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はてなキーワード: 死の恐怖とは

2021-06-29

戦時中は反出生主義は流行らなかったのだろうか

当時の日本人にとっての死の恐怖は、今のコロナ禍よりも激烈だったと思う。

毎日のように繰り返される空襲警報と、子供すら徴兵する末期的状況があった。

当時の人たちが「子供を作ってもその子たちは幸せになれない」と考えていても不思議ではない。

仮に戦争が終わったとしても、焼け野原になった世界子供を育てていかなければならなかったわけだし。

まあ、戦時戦後に生まれてきた子供たちが社会人になる頃には日本高度成長期を迎えるわけで、その時の心配杞憂になったけど。

2021-06-16

もっと死の恐怖を感じたとき

学生の時に免許取ってからそんなに期間経ってないにも関わらず、なんか自信満々でスピードを出す知人の車に乗ったとき

逆にいうとそれ以外に思い当たらないので幸運と言えるかもしれない。

2021-06-01

死は無。無は恐怖。死の恐怖は避けられない。

から宗教ってもんが生まれたんだよね。

ほとんどの宗教で最も大事作用はは死後を保証してくれるってこと。

輪廻転生でも、主の御許に誘われるでもなんでもいいんだけど、死んでも無にならないよ、大丈夫だよと信じさせてくれる存在宗教

オウム東大卒とかバリバリ高学歴会社経営者がハマってたのも、結局、どんだけ頭がよくても、金があっても死の恐怖を克服することはできないということ。

実際、死の恐怖を克服する方法は少ない。

 

1.アホになる

考えてもわかんねーもんはわかんねーから考えるのやーめぴwwwwwと死を忘れる、棚上げする方法

日本では一般的解決方法である

 

2.アホになる

宗教など「死後の世界」や「死んでも生まれ変わる」といった、死によって無にならないということを信じることで死ぬことは終わり、恐怖ではないと思い込む。

海外では一般的解決方法である

 

3.アホになる

死とは何か。死んだら本当に無になるのか。を、文献、歴史等を紐解き心霊的、科学的にあらゆる角度から徹底的に考えつくす。だいたい発狂したりするけど、哲学者かになったりもする。

 

4.アホになる

もう開き直って死んじゃう。

たまにいる。まぁ、やめとき

 

他にもちょこちょこあるが本当に少ない。棚上げ理論採用するにしたって、ふと寝る前に「もしかたらこのまま目が覚めなかったら」という恐怖を覚えたことがある人は少なくないと思う。

無を考えることはできない。考えることができないのが怖い、というのはいかに人間的で愛すべき愚かさだと私は思う。

2021-05-30

anond:20210530114409

そもそも人間自殺には身体的だけでなく死の恐怖という苦痛を伴うので生まれた後の自殺と生まれないことを一緒にできない

まれなければ苦痛はないが自殺には苦痛が伴うので自殺権利云々自体筋違い

2021-05-20

anond:20210520202443

下衆のお前に輸血が回らないことを願ってるよ

事故病気、誰かから暴力で痛い思いして血が流れて体が冷たくなっていく恐怖を味わうといい

死ぬ瞬間は怖いぞ?走馬灯見る暇もなく死の恐怖に怯えてくれよ

お前は上級国民じゃないから血は後回しだ、最後尾のな

2021-05-17

「観ないよあんなクソ映画

金曜ロードショーで、タイタニックを2週に渡って放送していた。

それに伴い、モヤモヤする記憶を思い出したので書く。

中学生の頃、タイタニックを初めて観た。

おそらく、個人的ハリウッド大作というものを初めてまともに鑑賞したのがその時だったと思う(それまではジブリ映画クレヨンしんちゃんなどのアニメ映画や、親の趣味だった古い外国映画VHSばかり観ていた)。

実写と区別のつかない高度なCGや、短くも情熱的な恋の切なさ、巨大客船沈没パニック死の恐怖表現リアルさに、私は深い感銘を受けた。

周りでも大いに流行っていた。

その当時好きだった男の子と少しでも話したくて、私は休み時間か何かに「A君はタイタニック観た?」と尋ねた。

その男の子学校勉強がよくできる上、アニメ漫画などに詳しくて話も面白く、いわゆるイケメンという感じではなかったが清潔感があり、私にとって気になる存在だった。

その彼から返ってきた答えが「観ないよあんなクソ映画」だった。

それに対してどう返答したのか私は覚えていないが、咄嗟に「えっ、なにそれーひどーい笑」とかそんな感じで返事をしたような気もする。

もちろん、それから話が発展したという記憶もない。

話のきっかけが欲しい、もし観ていたなら感想を訊きたいという気持ちだったと思うのだけど、なんだかめちゃくちゃびっくりしてしまったという衝撃の印象だけが20年以上経った今でも心に残っている。

自分が好きだと感じたものを、観てもいないのにクソと言われたことがきっかけで、恋は急激に冷めた。

中学生の恋なんてそんなもんかもしれません。もちろん全部がそうとは思わないけど。

思い出して数日間モヤモヤしてたけど、「人が好きと言っているものに触れもしないうちから否定するのはやめよう」という、当たり前だけどうっかりやってしまいがちな失敗として胸に刻んでおきたい。

ところでテレビで久しぶりにタイタニック観て思ったけど、やっぱものすごいお金かかっててゴージャスだしまずその時点で観る価値がある程度あると感じる。

今回は個人的に以下のような感想を持った。

・命の価値に差があった過去に戻ってはいけない。現代でも克服したとは言い切れぬものの克服する努力を止めてはならないこと

女性自分人生自分で選び取る、フェミニズム的側面を持つ作品でもあった

石田彰版を円盤化してほしい

2021-04-20

anond:20210420214714

子供がいれば死の恐怖がやわらぐとかいうのは嘘で

子供がいてもいなくても死の恐怖はべつにやわらがない

バカ人一倍恐怖耐性が弱く必要以上に自分の中で恐怖を膨らませてオタオタする

・じゃくしゃだんせいはたいがいバカ

2021-04-14

anond:20210414001604

信者でない人間を肉体的にも精神的にも攻撃しない

死後どうとか観測できないことで死の恐怖を誤魔化さな

コミュ力に関わらずコミュニケーションの場を作る

くらいは達成してくれ

2021-03-29

とても嬉しいことがあったか死にたい

とても嬉しいことがあった。自分努力存在のもの肯定されるような出来事だ、というのは大げさかもしれないが、自分はそれくらい嬉しかった。だから、この嬉しい気持ちのまま、死んでしまいたい。嬉しいことがあるといつも死にたくなる。

旅行の帰りにも死にたくなる。楽しい思い出と少しの寂寥感を抱えながら、家の近くの交差点信号待ちをしているとき、このまま飛び出してしまいたいと思う。人に迷惑をかけて死ぬのは良くないからやらないけど。

でも辛いときや悲しいとき普通に死にたくなる。苦しいのは嫌だ。死んだら辛いのも悲しいのも無いから死にたくなる。

逆に生きたいと思うときほとんどない。何か楽しみなことがあっても、この楽しみな気持ちを抱えたまま死にたいと思う。○○をするまでは死ねないというよりも、○○をしたい楽しみな気持ちが終わらないうちに死んでしまいたいと思う。

まあこんなふうにぐだぐだ書いていても、多分自殺とかは出来ないだろう。この間ぼうっと歩いていて、気付いたらすぐ近くに車がいた。死の恐怖を感じた。おかしな話だ。死んでしまいたいと思いながら、死は怖い。ありふれた平凡な人間だ。嫌だ嫌だ。

事故死ぬのはダサいから何かの病気になって研究されながら死ぬか、誰かを庇って死ぬという漫画みたいな展開で死にたいな。誰か死なせてくれ。

2021-03-03

ハルウララに対して激昂したモブウマ娘Aを救いたい

唐突だが私の性癖

「かわいそうじゃないと抜けない」&「徹底的にかわいそうな目にあったキャラが救われる瞬間に快感を覚える」だ。

なので元ネタエリートばっかりの世界を描いてるっぽいウマ娘に全く興味がなかったのだが、

この記事を読んで無限に興味がわいてきた。

https://note.com/stormroastpork/n/n8834b1cd55f7

ハルウララ?そんなものには興味がない。

私が興味があるのはモブウマ娘Aだ。

……このキャラ最後まで姿も名前もわかる事なく、「ウマ娘A」というモブ肩書固有名詞として背負い続ける。

ハルウララが「負け犬の星」などと持ち上げられている裏で、名前すら知られない「馬A」達はひっそりと消えていく。

あああああああああああ。

私の心にずっきゅんきたあああああああああ。

この娘への妄想だけでご飯3杯いける!




というわけでここから話が脱線するのだが

ウマ娘好きな人にぜひ読んでもらいたい作品がある。

7SEEDS」っていうんですけどね。



この作品夏至の章こそが「モブウマ娘A」の世界なのだ

とある学園で未来エリートを育成するという名目で1000人以上いる候補生を集めている。

しかし実は、この学園の目的はこのうち生き残るべき優秀な7名だけを選ぶことだったのだ。

それ以外の生徒はその7名の糧となるべく選別の過程で全員皆殺しにされる。


殺し屋組織で幼いころから競わされ、仲間を手にかけることを強制された」みたいな話だったら珍しくないだろうが、

この話のえぐいところは、候補生たちは

殺される直前まで「7名に選ばなれなかったら殺される」ということを全く意識せずに教育されるというところだ。

みんな仲良しで、自分こそが7名に選ばれるものだと切磋琢磨しあっている。

直前までは選ばれなければ殺されるという悲壮感が全くない。

からこそ、突如世界地獄に変わった後多種多様な表情を見せてくれるのだが

そういうところが最高に私の性癖にずっきゅん作品なのである



上のnoteを読む限り、プレイヤブルなキャラクターから見たウマ娘世界は、選別が始まる前の世界だ。

プレイヤブルなキャラクターは、たとえ目標達成できなくても何度でもやり直せる。

ただただクリアできるまでのびのびと走ることを楽しめる楽園のような世界だ。




一方のモブ馬娘の世界は、「選別」が始まった後の世界だ。

モブ馬娘Aがなぜあれほど激昂したかって考えると、

ハルウララにすら勝てない雑魚自分は殺されることを知っていたからだろう。




単なるハルウララ嫉妬なんて生易しいものではない。

モブウマ娘は、毎回毎回背後に迫る死を感じながら走ることを余儀なくされる。

それが経済動物極致である競走馬に知性を与えるということなのだ。

自分を待ち受ける運命を知り、

恐怖に押しつぶされそうになりながら走り、

でも寝不足続きで訓練もうまくいかず、

そうやってアリジゴクの中で苦しみ続ける。

そしていざその時が来たら

どうして私に知性なんか与えたんだとサイゲームス神を呪い

助けを求める声をグッとこらえながら人知れず消えていくのだ。

そんな彼女が、全く勝てないくせに

死の恐怖から解放された存在を見たらどういう気持ちになるか。




むはああああああ考えただけで興奮する。

むくむくと二次創作の意欲がわいてくる。



のだが

世界観やキャラクターを壊す二次創作禁止されてるらしい。

なるほど、私みたいな人間いるか二次創作禁止されるのね。

ほんとすみませんでした。



友人にこの話をしたら

お前が言ってるのはこれと同じ。陳腐すぎる。センスがない。

https://togetter.com/li/1372208

など全否定されました。

彼女は「かわいそうでないと抜けない」属性がないのに

私がキモイ妄想を話しても引かない、とても懐が広いやつなのですが

とにかく口が悪い。

ぼろっかすに言われて悔しいので

友人を満足させるべく

もっとかわいそうなウマ娘二次創作設定を考えて送りつけることにします。

ありがとうございました。

2021-01-27

anond:20210127165907

だよねえ

戦争死の恐怖ごまかすために配布する薬物だから

平時に使ったら交通事故多発

2021-01-14

死を常にうっすら意識している

20代女性です。

私はコロナ禍になる前から常にうっすら死を意識して生活しているのだけど、周りの人はそうじゃない人が多いらしい事に最近気づいた。


たとえば車を運転している時、急に車のタイヤが外れて制御不能になり、派手に事故をして死亡するイメージを持つ。

逆に道を歩いている時には、そんな制御不能トラックか何かに急に突っ込まれ死ぬんじゃないかと周囲を見回す。

友人や恋人と別れる時はこれが生きてるあいだの最後の姿かもしれないと思う。

知り合いからの不在着信があると、死の間際の最後電話だったんじゃないか不安になる。

家族からメッセージの返信が遅いと、事故や発作で死んでいるのではないか心配になる。

一人の時には自分心臓の鼓動を感じ、こんなのいつ止まってもおかしくないな、と思う。

このまま目を閉じるともう二度と起きないんじゃないかと思いながら眠りにつく。


小さい頃はとても怖くて不安だったが、今では慣れてきたのもあり、常にうっすらとした死の恐怖ぼんやりと感じている。

からコロナ流行してから、急に人々がヒステリック感染症危険性を叫びながらあちこちを消毒し始めるのを見て、逆に今までは安全だと思ってたのか、と少し驚いた。


私はコロナにかかるのも怖いし、それと同じくらいに急な事故や発作で死ぬのも怖い。持病を持っているわけではないし、これまで大病に罹ったこともない。だけど死はいつも私の隣にある。みんなはそのことを忘れているだけなんじゃないかな?と疑っているんだけど、どうなのかな。

2020-11-24

anond:20201124152724

オウム真理教で一人だけ無期懲役になったお医者様は

勤務医時代死の恐怖真正から考えすぎて頭がおかしくなった理屈で同情を買って減刑をもらったはず

2020-10-15

anond:20201015105107

敵との距離が離れて確認しづらくなるほど死の恐怖は薄れる

実際に死にうる距離かどうかはさして重要じゃない

2020-10-11

何故みんながまともに社会生活を送れているのかわからない

働くのって普通に嫌じゃね?

働いて得られるのって金、つまりは生きるための権利だけじゃん。

自分の事を今一度考え直してみて何がしたいかを考えると、何もなかった。

何も無いは嘘で本当に何もせずに空を眺めて過ごすことがしたいと思った。

でもそれじゃ生活できていけないじゃん?

あと生きてても良いことって無いし。

これまでの人生を振り返って楽しかたこと、良かったことって片手で数えられるほどもないし、人生幸福度連続的に推移すると仮定するとここから先いいことも多分ないじゃん。

もっと早いうちに人生損切ってりゃあ良かったなあ。

最近死の恐怖も無くなって来たし近いうちに逝くわ。

2020-10-07

死の恐怖を完全に克服した

こんな簡単なことだったのか。

じゃあ俺先逝ってっから

2020-10-06

他人にクソを浴びせかけるということ

この日記今日「マイ日記」というアプリで完全プライベートで書きはじめたものだが、思いのほか長文が書けたのでこのクソを人に浴びせかけるとどういう心の動きになるか、どんな文句を言われるか発達障害者ADHD)が認識の歪みを治したい半分好奇心半分で匿名ダイアリー投稿するものである

以下アプリコピペ

日記をつけることにした。このアプリタイトルをつけなくていいのが良い。タイトルは頭を使う。それはともかく、非常にダラダラした1日だった。昼夜逆転し、やる気が起きず、テレワーク始業の時間になってようやく眠気が来るという有様だった。寝てはいけないとは思いつつ、そのモチベーションが保てずAmazonプライムをダラダラ見ながらというか聴きながら就寝。

14時あたりに起きるがこの体たらくに罪悪感、金曜から返信していない取引から怒られる恐怖(実際この程度の遅れで怒る人間はいないが、見てるのに返信していないという罪悪感が被害妄想を駆り立てる)、全力を出しても生活を立ち直す未来みえない絶望などから、今やるべきことを無視してまたAmazonプライムを観る。

コンサータが切れそうなので病院を予約したが、上記理由と「黙って業務時間中に行くのは会社に悪い」という謎の罪悪感が伴ってやはり動けない。散々現実逃避でサボってたくせにである

いや、単純に億劫なだけなのを「会社に悪い」という後付の理由真人間っぽく取り繕っているだけだな。自分への言い訳だ。なんとなく頭の片隅では見苦しい言い訳だと感じつつも、結局はこの期に及んでいい人ぶりたいんだなという事実に今気づいて少し発見だった。さらに、日記でこれを赤裸々に書くことで自虐的気持ち良さにも浸っているのかもしれない。そういうのは思春期学生とき卒業しとけよ。と別の自分が突っ込んでいる。でもこれは赤裸々に書くものと決めたから。

というわけで、とてつもなく億劫だったのでとりあえず気持ちの良いことをとオナニーに逃げる。野原ひろみさんのエロ漫画でシコりつつ決め手にかけるのでエンジェル倶楽部を流し見するも結局は中途半端はところでイく。「こんな世界に生きれたら」と願った。

その後一服して遅れつつも心療内科に行きコンサータをもらう。27から36に増えた。これでなんとか動けるようになれば良いのだが…。とは感じつつも同時に薬に頼るのも限界があるという事実脳裏にへばりついている。

今日進歩はこの日記をつけようと思ったことだ。日本語おかしくてもいいので思考客観的に見れるよう、ハードルを低く設定して続けていきたい。「今日ダメだった」の一言でもいい。日記が書けないほどのモチベーションの低下がみられるという事実が記録されるからだ。(この理屈だと何も書かなくても事実として書けなかった、という記録が残ることにはなるのだがそれはあまりにもその日を思い出すきっかけがなさすぎる)

まり「頑張らなきゃ」と思わないように意識したい。てにをはや語尾の統一表記揺れなどは気にしなくていい。ここに至っては自由なのだから自分でその拙さを許せるかどうかだけだ。(とはいいつつ、見直して流石に変だと思うところはちょっと直してしまう)

しか初日で単なる思いつきにも関わらず、(あるいは初日から?)誰にも見せなくていいという気楽さから結構長文が書ける。これは意外だった。自分の中は空っぽだと思っていたが、他人相談するより吐き出すほうが向いているタイプなのかもしれない。既にもっともっと書きたいと思っているが、この気持ちが続くかというと謎である。寝て起きるとリセットされるのが常だから。むしろ家に帰ったら別のことがしたくなるだろう。そのほうが楽だから。場に気分が左右されすぎだ。自分がない。アイデンティティを得たい。

※結果、家に帰る途中でコンビニ寿司豚汁を買い、タバコを吸いこの日記追記をしている。金ないのに寿司なんか買うな自制心ないボケナスと思いつつ、追記するモチベが保てているのは褒めたい。これから深夜までサボった分の仕事も取り戻そうと思っているし。

だけど、思えば中学のころから辛い気持ちを吐き出すために絵を描いていた。僕の表現本質は排泄なのだうんこ他人ぶっかけるわけにはいかない。この年になって自覚するとは、頭が悪いにもほどがあるな。自分文章をみてすこしすっきりするのは「こんな大きいうんこした」という満足感と相似するものだろう。

からクリエイターに向いているとアールキャップなどでも診断されるが、今のエンターテイメントは数が多すぎてレッドオーシャンだし、全体的に洗練されすぎていて、上質な作品さえも話題性がないと見てもらえない。この手の診断のクリエイターとは社会不適合者の言い換えであることは理解している。

というか、クリエイターはたいてい締め切りがあって、よほどの大物であるか、かけがえのない技術がない場合クライアント要望市場を的確に把握しつつも個性を出す必要があるので、普通サラリーマンよりコミュ力や自制心が必要だと思うのだが。なぜ社会不適合な解答をするとクリエイターを勧められるのか。検査を作ってる人間クリエイティブ仕事の内実をきちんと理解しているのか?発想力や企画力必要からこれじゃない?知らんけど。レベルしか思えないのだが。

しかし、小学生のころはアホだがよく笑い、運動も好きで、友達結構いてなおかつ可愛げがあったと思うのに、どうしてこうなった理由は明白、中高時代の荒んだ生活のせいなのだが。

中学校に行くのが本当に嫌だった。不良に弄られる、遊びで殴られる恐怖に支配されていた。また、小学校時代の友人たちがどんどん環境適応していき、若干の攻撃性を帯びていくのも嫌だった。とは言っても不良になったわけでもなく、一般的にみて普通だったのだが。超個人的な細かい部分の変化だ。ちょっと口が悪くなったりメダルゲーム競馬遊んだエロくなったりしただけだ。むしろそれはポジティブなことで、健全でたくましい成長と言い換えてもいい。僕が自意識だけ肥大して、強くなれなかっただけだ。

なにはともあれここで自己肯定感自己肯定感なのかな?ともかく人格形成において何かしらの重要な要素が欠落したのはたしかだ。なにもやる気が起きなくなった。)がなくなり根暗となる。

それを引きずり高校に進学したあと友達が出来ず、マイナージャンル音楽を聴いてアイデンティティを保っていた。良さは全然わかってなかったのに、みんなにないものをもっていると思いたかった。いわゆる中二病というやつだ。実際、あんなに聴いていたのに曲の展開や歌詞などうろ覚えだ。下手するとそのジャンルの有名なバンド名も出てこない時がある。聴いていたというより聞き流していた。

三年になると優しいオタクたちが仲間に入れてくれたが、彼らのパッとしなさに内心見下していたので「僕はこいつらとは違う」と一線引いていた。客観的に見れば同じどころか僕のほうが気色悪くてヤバいやつなのに。今でも交流はあるものの、話が合わなさすぎてやはり見下している部分があるのは否定できない。というか、純朴すぎて自分社会不適合者であるにもかかわらず「社会でやっていけているのだろうか…」と最悪すぎる心配をしている。何目線なんだ。いや、最悪すぎると自虐して予防線を張るのやめたほうがいいよとまたもや別の自分が言っている。はあ。

大学に関しては楽しかったと思わないと自分が保てない。実際はコミュ障すぎてサークルでも「そこにいた」だけなのだが、それを弄ってもらえたおかげでなんとなく存在感は出せていた気がするので、青春経験した、というカウントにしておきたい。そうしないと僕の人生悲惨すぎるので。彼女はいなかったが。ただ、尊敬できる人間には少なから出会えた。うーん、こんな赤裸々な日記でも大学生活に関しては脳のリミッターが解除しきれず、曖昧擁護してしまっている。恐らく尊敬出来る人たちと同種の人間なんだと思いたい心が、まだある。

話しはエンタメに戻るが、昔も話題性重要というところは変わらないかもしれないが、私小説は排泄に近い表現ゴロゴロあるからなあ。とはいっても、詳しくはないかイメージの話だ。したり顔であるからなあ」じゃあない。しかし昔のほうが荒っぽい、素材そのままみたいな表現が許されていたのはたしかだろう。

売れる売れないはともかくとして有効データなど取れないし、今ほど娯楽が多くないのでともかく試してみようという機運と余裕があっただろうと思われる。知らんけどきっとそうだろう。そのかわり、働き方はめちゃくちゃだっただろうけど。その荒っぽさにはついていけなかっただろうから、どっちにしろ詰んでいる。というか、そもそもクリエイターなれるほど上等なクソは捻り出せない。そんな面白人間ではないし、根気もこだわりもない。

僕はどこへ向かい、どこに落ち着くのだろう。一生落ち着かないのかもしれない(むしろそれが濃厚である。なんせ学歴私立文系偏差値50程度、仕事もできない、生活破綻している発達障害者なのだから今日明日も多少の見栄と死の恐怖によって死んだように生きている。本能と少しばかりの社会性によって辛うじて生かされている。タバコを吸ってゆるやかに自殺しているが、体調が悪化するとやめてしまうことの繰り返しだ。

こんな中途半端自分でもどうか、少しでも幸せ人生になりますように。わがままにも祈らざるを得ない。アーメン

ああ、掃除をしなければ。

2020-09-19

あなたの余命、お「死」らせします。

自分の余命がわかるスマホアプリダウンロードしたことから、逃れられない死の恐怖に直面する若者たちを描いたホラー

あるパーティの席上で、若者たちが見つけたあるアプリ

自分の余命時間を伝えるという、そのアプリスマホダウンロードし、自分たちの余命年数で盛り上がる中、コートニーに余命3時間の通知が届く。

不安に襲われたコートニーは恋人エヴァンの車で帰ることを拒み、1人で帰宅する。

コートニーが乗らなかったエヴァンの車が事故を起こし、彼女アプリには「同意事項が破られました」との通知が届く。

幸い、コートニーは事故に遭うことはなかったが、アプリカウントダウンは「0」を表示していた......。

2020-08-05

anond:20200805214652

まれないことと死ぬこととはまったく別の事だぞ

例えば死が確定したとしてどうせ死ぬんだから同じだろって拷問されるは嫌だろ

できれば安楽死したいはずだ

まれなければあらゆる面倒がなかったのにな

死の恐怖におびえることすらなかった

2020-07-28

anond:20200728091856

どうせ死ぬことが決まっているなら(短期

死の恐怖がなく コロリがいい・・・ぐっすん

2020-07-25

ともをうしない

なかまをうしない

たぶん

仕事を奪われ

ひととひととのつながりを奪われ

死の恐怖をあたえないと気がすまないだろ?

ちなみに TVなどには可能なら 移りたくはないが、 頼まれれば 業界説明のために 協力しなくはないが 有名税のほうが 高く付くという業界 だってある

2020-07-23

anond:20200723234204

患者の明確な意思をだれが確認したのですか?

ALS患者身体障碍者は常に死の恐怖とある

事故に見せかけて患者暗殺することはいつ死んでもおかしくない重病人はいとも簡単なのだから

脅迫されor恫喝され無理やり、「安楽死したいです」と言わされたのではないという証明必要

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