はてなキーワード: 有効とは
問題としては「喫煙者の煙は許されないのに自動車の排ガスが許されるのは何故か?」であり、「自動車と排気ガスは不可分であり、かつ自動車は有用なので利用せざるを得ない」「人間の行動と喫煙は可分である」「その上で自動車の排気ガスは出来るかぎりにおいて規制されている」という答えを返したわけだが、それに対して「運転手が何らかの違反行為をしている」「自動車が何らかの違反状態にある」といった例を挙げるのは、本質的に上記の回答と関係がなく、何ら反論になっていない。自動車に乗っているか喫煙しているかに関わらず「違反はよろしくない」からだ。喫煙者が乗車しているだとか自動車を作っているだとかに至っては何を例示しているのかさえ分からない。車に乗るために喫煙が不可欠であるというわけでもないし、車の製造も同様である。こうした見当違いのまぜっ返しが有効な反論であると思っているのなら、議論の流れを理解していないと判断せざるを得ない。
× 学歴なんかなくても
学歴の代わりになるような、他人を圧倒でき納得させられるなにかを持っているのでないのなら、素直に学歴を積んで対外説得力を持たせたほうが早い
普通の人はそんなすごいものをそもそも、あるいはまだ持っていないから、とりあえず学歴を積んでおくのだ
学歴があれば「ちょっとすごいだけ」で正しい道に引っ張り上げてもらえる可能性がある
それはもしかしたら正しい育ち方の下で開花するかもしれない
残念ながら、引っ張り上げられなかった才能は萎むように、間違った陽の当たり方をした才能は腐るように、不可逆にできているのだ
不思議だね
> ここ5,6年の悩みで最近はっきりわかってきたんだけど、俺いつのころからかどうやって勉強していいのかわからなくなった。
> 一番大きいのは結婚して子供できて自由な時間が減ったことなんだろうけど、でもそれ以前から勉強ぜんぜんできなくなったの。
お前は俺かってくらいまったく同じ状況。なので最近ずっと「俺ってもっと優秀な人間じゃなかったか」って思って自己分析してるんだけど、ここ数年で一気にスキルセットが変わったのが大きな原因かなと思ってる。デザインパターン、アスペクト指向、UML、プロジェクト管理手法、積み上げてきたものはたくさんあるけど、今はまったく使えない。若者より知識はものすごくあるけど、意味がなくなった知識ばかりなので実質的な比較をするとほぼ対等。アジャイル、クラウド、機械学習・・・新しく出てきて若い世代が中心的に学んできた技術の存在を考えると、おっさんたちはむしろ若者よりマイナスになってしまったわけ。知識の量は若者より多いのに関わらず。
なので、勉強をするときも「若者よりスタート地点がだいぶ低い」という観点で勉強しないとダメだと言う結論に至った。その方法とは、簡単なコンテンツを、大量の時間をかけて大量に吸収する、ということ。
後、子供はもう致命的な。特に休日今までは合計で16時間くらいは勉強に使えていたのが0時間になる。一ヶ月だと64時間くらい消えてるのね。勉強できないってより勉強してない。となると、前述の「大量の時間をかけて」が無理ゲーなので、すでに詰んではいる。
> もう俺は嫁さんと一緒にあと20年近くかけて子供2人育てなあかんからITが好きか嫌いかで仕事選べる立場じゃねーーーの!
「すでに詰んではいる」と書いたとおりなのだが、これもまったくの真実。「技術ができない人」が「大金を得なければならない」。しかもそれは自分のためではなく、家族という他人のため。その行為は悪ではなく、善。
驚くべきことに結婚して子供ができると「能力の低下」と「収入の増加」を同時に満足させなければならない。そのためにできた制度が、おそらく年功序列であり、管理職なのであろう。そして今はその制度が壊滅しつつある。それでもこの矛盾と戦わなければならないので、結局は能力がなくても若者からお金を奪っていく方法を考えて、どんな手段を使ってもそれを実践していかなければ家族(言い換えると次の世代)を守れない、ということになるだろう。
管理職になる他にも、自分の持ってるレガシーな技術を後輩に強制して、自分のレガシーな知識が有効となる土俵に議論を持っていくという手もある。いずれにしてもろくでもない。
『男として生まれただけで生物学的に加害性があるって気づいてくれ頼むから。』 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1168000
男に生まれただけで加害性がある、とわかりやすく言ってしまえばさすがに大体の人はオイオイオイとなる。
でも言い方を工夫すればそうでもない。
現代社会では、基本的道徳として「力のある人はない人を傷つけやすいから、大いなる力には大いなる責任を持って、強い側は弱い側に配慮し優しくしましょうね」みたいなことが広く教育されている。
その上で「男性は平均して肉体的強さがある」「年収が多い」「職に就きやすい」「性犯罪を起こしやすい」「セックスで苦痛を与えやすい」「妊娠の際に逃げやすい」「男性社会なグループが多いのでそれらに馴染みやすい」など男性の強さ(実際これらの強さは傾向論、マクロ論としては間違っていないと思う)を指摘されれば、基本道徳と結び付けて「男性は傾向として強さがある。強いということは加害危険性が高い。だから人一倍気を使って暮らせ」という、「男に生まれただけで加害性がある」とほとんど変わらないメッセージが受け取れてしまう。
それは男性側も「自分たちがそういう風に責められてる」と感じうるし、女性側もそういう風に受け取れるわけだが、受け取った人がこの分割を己の中で繋げて縮めて「男に生まれただけで加害性がある(みたいに責めるのはやめろ or だから反省しろ)」と言ってしまえば冒頭リンクのように叩かれる。
分割された状態での主張にオイオイオイというのは、アンチフェミやアンチポリコレみたいな層が多いけど。
利益が対立する側の行動を縛る時には、道徳による罪悪感ってのがめちゃめちゃ便利に使える。
ただしそれが有効に働くのは、相手が道徳のテーブルについてる限りであって、責められすぎて「うるっっっせえーーー!! なにが道徳じゃ正義じゃ善じゃボケーーー!」と逆ギレしだしたら話は変わる。
それでも道徳で圧す側に無理矢理テーブルに座らせ続けるパワーがあれば構図は変わらないが、縛られてきた側に席を立って殴り合いをできるくらいになるとわやくちゃだ。
言ってみれば、毒親に「ちゃんとしなさい、親には従いなさい、孝行しなさい、悪い子ですね」と道徳され続けた子供が、やがてブチ切れて親をめちゃめちゃ憎悪し、自活能力を得ているならば親を捨てようとするようなものである。
そしてこれは「貞淑でありなさい、はしたない」と道徳されてきた女が男性嫌悪者ミサンドリストになるのとも同じであるが、果たして女が道徳テーブルを蹴り上げて好きな場所に行ってしまえる力があるかが注目点だろう。
弱者男性とフェミニストは共闘できるということを言っているのは、男女双方の道徳のテーブルに着くことを嫌がる層に着目した人なのだろうが――この二者が着くのを拒んでいるのは、それぞれ違うテーブルではないか?
昔の社会は野蛮だという風に言われがちだけれど、多分何千年も前から、「できるだけ道徳的でありましょう、正しく良い人間でありましょう」という道徳的意識は色んな社会で行き渡っていたのだと思う。
今までの何千年だか何万年は「弱いものは強いものに従え、さもなくばみんな死ぬ」というのが基本道徳で、それにより様々な弱きもの、たとえば女性や病人や子供などを罪悪感を縛りコントロールしてきたんだろうけど、昨今は「強いものは弱いものに優しくしろ」が道徳として力を持ち始めたので男性(特にもシスヘテロ成人男性か)を罪悪感でコントロールすることもできるようになりつつある。
でも、これは決して、対立相手を道徳の罪悪感で縛るという構図そのものから脱出できたわけではない。
とはいえ罪悪感での縛り縛られを完全放棄し、自分はいかなる道徳のテーブルにもつきません、相手を道徳のテーブルにつけることもしません、としたならば、その先には何でもって自分たちの生きやすさを交渉するのかはわからない。
それってアノミーとかアナーキズムみたいな世界になるんじゃないか。
https://anond.hatelabo.jp/20171029085625
ひどいディベートの授業の体験増田があったので、ディベート経験のある自分が解説してみる。
ディベート経験は5年くらい。大学から始めて、高校生の指導やディベート甲子園の運営、全国大会出場などをしてきた。
何について討論するのかを決めなくてはいけない。
元増田にあった、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」ではディベートにしづらい。中高生では基本的に政策ディベートというものを論題にする。
例えば、「日本は生徒のルーズソックスの着用を禁止すべきである」
という、行うことがはっきりしており、肯定と否定に分かれる事ができるテーマが望ましい。
また、現状で肯定側と否定側の意見が戦えるほど現状の価値観が偏っていない論題が望ましい。
もしルーズソックスは校則で禁止されてる場合は、この論題をすべきではない。
今までディベート甲子園で行われた論題はここにある
http://nade.jp/koshien/proposition
ゆるい論題だと、「ドラえもんは未来に帰るべきである」「日本の学校は制服を廃止すべきである」などがある。
これは大前提。1チームは2~4人。というのも、スピーチをする機会というのは試合を通して4回しかないからだ。
自分の考えとは関係なく、機械的に決めたほうがよい。また複数回行い、肯定側・否定側を両方経験することが望ましい。
ディベート甲子園では、試合当日に肯定側か否定側のどちらになるのかが決まり、複数回試合をする。
ディベートをするには、立論というものを最低限準備する必要がある。これは討論の土台となるものである。
肯定側は、論題を肯定する政策の中身と、それを行ったときに発生するメリットを説明する。
この立論がディベートの試合の中で土台となり、試合の一番最初にスピーチする。そこから討論を行っていく。
逆に立論中に述べられなかった論点は後から出してはいけない。出してしまっても審判は、その発言を無効と判定する。
なので言いたいことはできるだけ立論にいれる。中学生なら4分、高校生なら6分にまとまるよう原稿を用意する。
メリットは、「現状分析」「発生過程」「重要性」の3つから構成される。
現状分析では、主にルーズソックスが規制されていない状況で起きている問題について説明する。
できるだけ問題が大きいことを主張する。例えば、ルーズソックスを履いていることで犯罪に巻き込まれやすい、と設定する。
この問題を具体的に説明できるよう、資料を集める。例えば、高校生が犯罪巻き込まれる率、ルーズソックスを履いている高校生への印象調査、声をかけやすいと言った定性的な資料など。
発生過程では、ルーズソックスを規制したときに、この問題が解決されることを立証する。
現状では、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる であるが、
プランを実行すると、規制されるとルーズを履いてくると怒られるので履かない→下校時に遊びに行くが、声をかけられる率が減る→トラブル減少
というルートを立証する。
重要性では、このメリットが発生したときに、それがどれだけインパクトがあるのかを示す。
青少年のトラブルは精神に悪い影響を与え、学業を疎かにさせる。それは国全体の産業と競争力に大きく影響してくる。
できるだけ大きいほうが良いが、大きくするとそれだけ立証が甘くなるので注意。
デメリットは、「現状分析」「発生過程」「深刻性」で構成される。
現状分析では、現状で特に問題が起きていないことを述べる。現状サイコーという訳である。
週5日も校則され時間の大部分を占める学校生活でみんなルーズソックスを履いていきて、おしゃれとして、自己表現として楽しんでいる。
発生過程では、立てるデメリットが起こる過程を立証する。デメリットを「多様性の低下」としてみる。
ルーズソックスが規制される→学校に履いてこれなくなる→時間の大部分を占める学校生活で自己表現ができなくなる→画一的な人格が形成される
とか。演繹的に論理の矢印を作ったら、主張を補強する資料を集める。
「ルーズソックスは私を表現するもの」と言っている資料だったり、服装の厳しい学校の卒業生はクリエイティブな職業に就く割合が低いみたいな資料を探す。
深刻性では、デメリットが発生した場合にどれほど深刻なのかを述べる。
画一的な人格形成によって、クリエイティブな思考が苦手で国際競争力が低下するとかかな。あまりよい深刻性が思い付かないが。
ここまで準備して始めて試合ができる。
各側の発言機会は4回。スピーチ担当者以外は話してはいけない。(準備時間を除く)
①肯定側立論 4分
②否定側質疑 2分 (肯定側立論にわからないことを質問する。反論はNG)
③否定側立論 4分
④肯定側質疑 2分
⑥肯定側第一反駁 3分 (否定側立論に反論する + 否定側第一反駁の反論に再反論する)
⑦否定側第二反駁 3分 (肯定側第一反駁に再反論する +議論をまとめる)
⑧肯定側第二反駁 3分 (否定側第二反駁に再反論する + 議論をまとめる)
①発生過程を削る
②重要性(深刻性)を削る
のいづれかになる。
発生過程というのは、A→B→C→Dのようにつながっているものうち、一箇所でも切れば、例えばB→Cを完全に切ると、全く発生しなくなる。
完全に切るのは難しいので、B→Cの半分を削る、という反論の仕方になってくる。
例えば、メリットの現状分析の、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる、だと
1. 規制なくても全員履いてるわけじゃないよね
2. 全員が下校途中に遊びに行かないよね
3. ルーズソックス履いてるからといって声かける人の割合がわからないよね
みたいな反論になってくる
重要性への反駁だと、
みたいな反論になる
ここまでやれたとして、ジャッジができる人間がいないと教育としてのディベートに価値はない。
議論をまとめて、メリットとデメリット、どちらが大きいか判定して、勝敗をつける。
ジャッジは、すべてのミクロな議論について、どういう反論があったかと説明し、最終的にどちらが優勢で、なぜその判定をしたのかを話す。
その結果、立論におけるメリット・デメリットが何%削れたのかを定量的に示す。
先程出てきた
を元に、紙に丸を書いて、メリットとデメリットの大きさを書いて判定するやり方が取られている。
ディベートのジャッジは通常ディベート熟練者が行う。つまり有効なディベートは経験者がいないとまともに成立しない。
ディベートをやるときは、1つの論題に対して数ヶ月かけてリサーチ、立論作成、試合を繰り返し、議論を熟成させていく。
この過程で、反論のポイントの探し方、強固な論理的思考力、頭の回転速度、スピーチの聞き取り及びメモの方法を学んでいく。
ディベートで一人前になるには2年くらいかかると思っている。授業で1回やったとか、企業研修で1日とかでは決して身につかない。
中学校、高校の場合は、地域のディベート甲子園事務局に連絡を取ろう。
それか近くにディベートサークルがある大学を探そう。指導に来てもらえるかも。
大学生・社会人の場合は、サークルに入ろう。探せば色々出てくるよ。
とにかく指導者が付いて、じっくりやらないと身につかない。
http://japan-debate-association.org/contest
想像を絶するスピードと論理、資料の殴り合いが見られて、初見ではほとんど理解できないだろう。
だがこういう世界があるということを知っておくのも良いだろう。
今、酔った状態で、Netflixのアカウント作成したんだけどさ、クレカの番号と有効期限入力したわけね。アカウント作ったあとにセキュリティコード入力してないことに気づいたんだけど、これってクレカの番号と有効期限だけでカードとして認証取れてるってことなの?
アメリカ合衆国退役軍人省で使われている「パフォーマンス・ベース・インタビュー(PBI)」の質問サンプルが、面接に挑む(採用側なら挑まれる)時に役立ちそうなので、「クリエイティブシンキング」「カスタマーサービス」「柔軟性と適応性」タイプに絞って質問を訳してメモ。
参照記事によるとこれらの質問は、基本的に「問題」「行動」「結果」で構成されているので、その人間の実際の能力をある程度推し量ることができるそう。タイプ別にポジションによって質問レベルが異なる。面倒くさいのでほぼgoogle自動翻訳のままで列挙。
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「チェンジエージェント」とは、もともと組織開発の領域で使われ始めた用語で、組織における変革の仕掛け人、あるいは触媒役として変化を起こしていく人のことを言います。変革の当事者として、自らそれを指揮すべき立場にある経営者や組織のトップとは一線を画し、むしろその代理人(エージェント)として、変化への対応を余儀なくされる組織のメンバーとの間を仲介し、信頼関係を醸成して、改革を支援・促進する役割を担うのがチェンジエージェントの立ち位置です。
元ページ:
参照記事:
スタートアップの採用に役立つ「パフォーマンス・ベース・インタビュー」の質問の一部翻訳 – Taka Umada – Medium
https://anond.hatelabo.jp/20171024213457
アメリカのトランプ後の政治状況で、「人権はファンタジー」に対して、リベラルが有効な反論を準備できなくなってしまった。これは、日本と全く同じ状況だと思う。
ただ、フランスとかオバマ以前のアメリカとか、そもそも政治的対立の軸が日本と違う(違っていた)。「人権は戦って勝ち取るもの」っていう意識が、文化に沁みついているから。「ファンタジーである人権を守る」は、右派と左派の共通の認識で、そこから先の議論が闘わされるのが政治だったわけで。
日本は人権に関しては最先端の国なのかもしれない。世界が<日本化>している。ファンタジーとしての人権が消失し、共同体主義だけで世界が回るような錯覚が支配しようとしている。<日本化>は、愚民化とか、衆愚化と言っても良いかもしれないけど。
はじめに断っておく、
つまり、私の言いたいことは政治ではなく選挙における投票行為の意味であって、それ以上それ以下でもない。
議論をしたいわけでもなく「せめてこれぐらいはわきまえて議論してほしい」と願うだけの文章である。
であるが普段論考に慣れていない人には少し細かすぎる理屈かもしれない。
だが、「せめてこれぐらいはわきまえて議論してほしい」の理由には意味のある主張には必須だと思われる。
必ず読んで!ではないので、できれば読んでほしい。あと僕の思想がにじみ出た範囲は勘弁してほしい。
言うまでもないが、投票する権利は国民に与えられている。条件は18歳以上。日本国憲法は具体的に指示まで出してくれないので、”民主的に”国会によって法律で決められる。
選挙活動も年齢などの条件を満たせば認められる。
選挙活動は”他者の投票行為”に関与する行為(強制は除く)を含むので、「ルールを守って投票先をおすすめしましょう」となる。
因みに「できるだけ投票に行きましょう」も選挙活動と言える。理由は後述する。
選挙活動がなければ、メディア以外の情報はなくなるので、選挙を行うのは事実上できないと言える。メディアも選挙活動の様子と、世論調査結果を報道するとが主な発信となるし、選挙活動が起点となって世論調査となるので、選挙活動を嫌う人は多いが、そもそも選挙活動がなければ選挙という民主主義は成立しない。
選挙活動を嫌う根本的な理由は自身の行動について指図される嫌悪感からくるもので、加えてめんどくさいので、ついつい選挙活動について、文句を言いたくなるのだ。
わかりきっていることだが、選挙はめんどくさいです。
紙で投票する選挙方法は時代遅れだ。選挙に行ける人は時間と心に余裕がなければ行けない。これは明らかに時代にあっていない。だが、ルールを改正するには投票しなければならない矛盾を常にはらんでいる。
プロパガンダは悪い意味で使われることが多い用語だが、ここではその意味を含まない。「選挙に行きましょう」は政府広報だという意味だ。もちろん例外はある。
なぜ政府広報は「選挙に行きましょう」というのか、それは投票率の低下は民主主義の崩壊を意味するからだ。
だから「選挙に行きましょう」は「民主主義を守ろう!」と転換できる主張である。だが、大多数が選挙にいかない(行けない)ので、これはすでに一部の国民と政府広報における実質的な選挙活動になっている。
「選挙に行きましょう」が民主主義の唯一の回答と捉えられかねないが、それは間違っている。だが、他に現時点で有効な対策は考えられていない。
白票は「政治に対する不信感への表明」と受け取られるのに対して、棄権票は「政治に対する無関心」と言われているのが通説だ。
めんどくさくて白票にした人だっているはずなのにそれは糾弾されない。
だが、この通説には根拠が無い。”選挙に行く人”は「選挙にいかない人」と「選挙にいけない人」を区別できないので、
体良く意味付けをしただけだ。ここに気がつくかつかないかで、棄権票の意味が大きく変わってくる。
論理的に言える白票と棄権の違いはせいぜいが「投票所にきた人」と「来なかった人(来れなかったを含む)」だ。これに勝手な意味付けをしても議論は空論に終わる。
つまり、棄権票は一方的に「政治に対する無関心」とまとめられがちだ。だが、「選挙に行きましょう」運動の意味するところは、政府が”投票システム”の変更に前向きではない印象を与える。
棄権には様々な理由があるに違いない。最近は棄権理由を一方的に決めつけて、自己の主張を通そうとする人が目立ってきた。
あえて定義するなら「平和に平等に国家運営しましょう」というぐらいの意味だと僕は思っている。今の投票ルールでは国民の約半数が政治に参加していない事実があるので、残りの半数をいかに参加できるようにするか、これがより良い民主主義を目指す起点となるべきだ。
オウム返しに同じことを言われては、嫌になるに決まっている。
この辺の共通認識が足りていないので、投票率に対する議論は不毛に終わることが多い。共通認識が確認できないのですれ違いになり、互いの主張を誤解しあうのだ。
「自分が貧困になる可能性がある」とか言って、福祉政策の必要性を主張している人がいるけど、バカじゃないの?
ネトウヨだって、労働問題や福祉政策については弱者目線の人が多いっつーの。
人が失職して生活に困ったり、病気・障害を負うことはあっても、性別は変わったりしないし、LGBTになってしまう可能性は無い。
そのため、「もし経済弱者になったら」という仮定は有効だが、「もしマイノリティになったら」という仮定は無意味なのだ。
一方、現代の左翼(リベラル?)は、経済的弱者だけではなく、マイノリティを支援しようという動きを取っている。
つまり、女性、少数民族、LGBTが差別されない社会を作ろうというのである。
このようなアイデンティティ・ポリティックスは、明らかに左翼の力を分散させる結果になっているし、個別に見ればマイノリティが経済的強者というケースもあるから、ねじれを生んでいる。左翼がネオリベの走狗になっているという、まるでディストピアのような政治状況だ。
それに、マイノリティの間でも利害の衝突はあるわけで、女性・LGBTの権利とイスラム教徒の権利は衝突するのではないか? 本邦においては、hatenaやTwitter界隈で、フェミニストとオタクが演じている激闘がそれである。
https://anond.hatelabo.jp/20171023212011
追記
「ネトウヨだって、労働問題や福祉政策については弱者目線の人が多い」という部分に反発があるようだが、在特会のレイシストが「普通の日本人」と自認していることを考えてみればいい。
彼らの脳内では、自分たちは権力を持たない一市民である。そして実際、その多くは富裕層ではなく、一介の庶民なのだ。
差別や排外主義、歴史修正主義の主張を行っている者たちが、労働者である自分たちの賃金を上げてほしい、ブラック企業は撲滅してほしいと述べることは、ことさら矛盾していない。自己の利益を最大化しようと活動するならば、自分とは直接関係のない者に対して冷淡にふるまうことは合理的だとさえ言える。
失業や貧困については、将来的に起こりうる不安だから我が事として考えられるけれども、差別問題をそのように理解するのは難しい。こうなると元増田の人が言っているように、リベラルは「弱者を救えば最終的には貴方も救われる」というやり方で連帯を訴えるか、「弱者に尽くす事は損得勘定以上の意味合いがあるのだ」という宗教じみた倫理観に訴えるしかなくなるだろう。
私は別エントリで、サヨクのことをカルト宗教と呼んだが(https://anond.hatelabo.jp/20171024075235)、後者の態度がまさしくそれである。それは信者に損得勘定を忘れさせ、人権やポリコレにひたすら尽くす苦行・喜捨をやらせて、仲間内でたがいにその涙ぐましい努力の成果を自慢しあっているようなものだ。
勿論、そのようなカルト的な熱狂で動いているサヨクがいたからこそ、さまざまな人権問題が改善してきたのだとは言えるし、むしろ有益な部分は多い。
今年のトークショーはひどかった。
思うことがあり、不満点を書く。
「開場前」
6時半くらいには20人以上はおり、7時59分にはすでに200人以上はいたと思う。
そして、8時になったら歩道まで伸びていた列は
突然ヌーの群れのように大移動。
私は8時ピッタリに並んだため、何が起こったかわからずとりあえず走った。
整列しているのかと思うと、始まったのは意外なこと。
今までの列形成はまるで無視。「スタッフの誘導に従ってください」
とはあったが、雨も風もひどい中急に中央に人を集めて
軒下に入れない大多数の人に向かって「危ないので傘は閉じてください」といい、
ずぶ濡れになり寒さに震えながら諸注意を5分程?聞かされるのは辛かった。
諸注意が終わった時点で「ゆっくり入ってください」と言われ突然の
列形成。ゲストのために遠方から来たり、早朝から並ぶようなファンも多いのに
我先に、と詰め掛けるのは誰にだって考えられたはず。
おかげで、一つしか空いていない扉に
あちこちから女性の悲鳴や、痛い痛い!!玄関の扉が割れる!!押さないで!
「なお、当校は、本イベントに関する待機列形成やその他建物開場前に
当校敷地内で起こったいかなる事故等の責任を負わないものとします。」
とツイートされていたが、どう考えても
途中で扉を全て解放していたが、あのまま開かず、ガラスが割れて、参加者の体にガラスが
刺さっていても「一切責任は負わない」と言えたのか。
学生だから仕方ない、ではない。あの時間、引率の先生や大人もいたはずなのに
なぜ的確な判断を出せなかったのか。と疑問に思う。
この騒動のおかげで、入れなかった人に
クソど田舎が、と富山県や県民が非難されていたのを聞いたり、twitterで見かけた。
確かに何もないところだが、地元民としては県民性が悪いと言われると悲しいと思う。
「開場後、並んでからの不満」
カウンターで何度も何度も人数をカウントされていて頑張るところはそこではない
2列になってくださいー!と言われたが、後ろが詰まっていて2列になれないといっている参加者もいた。
「友人と離れるかもしれないですが2列になって詰めてください…」と言われたが、
隣り合わせにならならいから嫌で動かないのではなく、下がれないのである。
列と列の間にでも手を入れて「はい、ここで2列」と前からやっていけばスムーズだったのでは。
長時間待たされ、挙句入場時にも不満が多い中で何度も何度も2列に並んでくださいと言われ、
結局なあなあな2.5列になっていた。
室内にいたので自分は良かったが、この台風の大雨と気温の中2時間も待たされた人の事を思うと心が痛んだ。
会場内で折り返し地点を作るなどして列形成の列を工夫すれば外に並んでいる人も中に入れたのではないか。
と並んでいた時言われたが、並んでいる段階で人数は確認できたはず。
そもそも、8時ぴったりに来て入れない人も多かった。つまり8時の時点でキャパシティはとうに超えていた。
そういう時こそtwitterで今からお並びいただいても無理だとか、そういう告知するべきではないのか。
アノ人が来るからすごいな〜って、参加者を隠し撮りしている場合ではない。
法律を扱う大学でありながらプライバシー権侵害と肖像権侵害というのを知らないのか。
もっと言うと、公演中も客席にカメラを向けられて、ギョッとした。
オタクということを隠して来ている人も多い。仕事を無理言って休んで来ている人もいると思う。
トークショーの様子を取るならともかく、勝手に観客を取る行為、やめて欲しい。
スタッフがショートカットのため、列の横を回らずにバリケードに使っている
長机に登ったりジャンプしたりして向こうへ行く、というのが気になった。
待機している人に足が当たって危ないということがわからないのか。
学生だけならともかく、一般人が多いところでとても行儀が悪いと感じた。
「トークショー中」
大学の備品ということで仕方ないとは思うがマイクの音質も悪く聞き辛いのに
入場の曲がPerfume?ということに疑問。(生徒の趣味?)
声優のみならず、歌手として様々なキャラソンを歌いアルバム6枚、シングル5枚出しライブもしている人に対して
別のアーティストの曲を終始流されるのはゲストにとって失礼にあたるのではないのか。
(おかげで、途中とある事があった時「背景にかかってる曲俺のじゃないからね?!」と苦笑される始末)
また、衝立のせいで見切れる席がでるのは仕方ないと思うが、
あるいは、見切れ席でもいいならと、整理券をもらえず帰って行った人に
抽選などしてもよかったと思う。
「注意事項の変更の曖昧さ」
twitterが頼りである。また、訂正するなら先の文章は全て削除するべき。
以下になります、では伝わらない。
実際に、8時前に並んではいけないと思って8時に向かう人がかなり多かった。
8時前なのになぜ並んでいるのか、しかるべき対応を期待している人が多かった。
敷地はどこまでなのかと言っている人も多かった。
今回は特に、台風という特殊な状況だったため、今後改善とすれば
「天候や状況により、配布開始を早める可能性があります」等入れるべき。
ビショビショの中、2時間も立ちっぱなしにされるのは苦痛だった。
待機していたとのこと。去年の1番目の人は深夜2時から待機していた。
防犯上の都合もある、ご遠慮ではなく、いっそ禁止にして欲しい。
また、早朝などについても例えば6時から、などの時間を決めて欲しい。
大きなイベントの物販などの決まりは、整列は最寄り路線の始発時間などにされていて、
それ以前に来た人はペナルティとして最後尾に回されたりしている。
去年はわかりやすいところにあってよかった。
今年もあるかと探していたが、どこにもなかった。
どこにあったんですか?
周りにも聞いてみたが、知らないという人も多かった。
柿原さんに2回も当てられていた。柿原さんも君名前変えたのか?!とびっくりしてた。
だったら整理券と一緒に一人一枚アンケート用の紙を渡すべきではないか。
総じて、私が体感して感じたのは
去年も参加したが去年の方がずっとマシだった。ということ。
去年は横入り防止のために、並んでいる人にだけ配ってくれる資料があった。
(※24日追記:それでも横入りはあった、との指摘はありました)
本当に素晴らしい大学祭をやりたいのであれば、
メインイベント、と銘を打つのであれば以下の事を改善して欲しい
・開始時間はしっかり決めて欲しい。曖昧にしているから深夜11時や2時に来る人がでる。
・アンケートボックスはチケットを渡す際や、手渡されるパンフレットに書くなど皆が知ってるように、また一人一回など平等にして欲しい。
・twitterをもっと有効的に使って欲しい。リアルタイムで詳細を知らせて欲しい。
・本当に見たい人が来るので、もう有料でもよいかと思う。
・ただ、休憩室があったのはありがたかった。
(しかし、休憩していたら、たこ焼きを売りに来た生徒自身が大学祭何もなくてつまらないでしょ?たこ焼き売れ残ったら、俺たちかわいそうだと思ってこのたこ焼き買ってくださいよっていうのはどうかと思った。ナンパかな…)
twitter参考
https://twitter.com/Tul_Info/status/921881554124541952
https://twitter.com/Tul_Info/status/921983953040433153
https://twitter.com/tul_gakuseikai/status/920563287267328000
https://twitter.com/tul_gakuseikai/status/920557368936558592
https://twitter.com/tul_gakuseikai/status/920552920868839425
https://twitter.com/tul_gakuseikai/status/920914492912893954
https://anond.hatelabo.jp/20171020193624
Google フォームで年齢アンケート作ってブコメしたら、思った以上に回答が多かったので、結果を公開します。
調査期間:2017/10/21 4:03:51 ~ 17:01:19
対象:http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171020193624でコメントを見て回答した人
有効票:729
調査方法:Google フォームで作成のアンケート https://goo.gl/forms/bD47WlcZjM9dhaOy1
Googleフォームから送られてくる結果と、集計に使った表、グラフまでこちらにすべて置いてあります。随時更新
https://docs.google.com/spreadsheets/d/17QLz8vTfD7sxKs90J7zyE2fZR82pcOllTEFmz16a_rw/edit?usp=sharing
年代 | 回答数 | 割合 |
---|---|---|
〜9歳 | 36 | 4.94% |
10代 | 28 | 3.84% |
20代 | 247 | 33.88% |
30代 | 289 | 39.64% |
40代 | 99 | 13.58% |
50代 | 14 | 1.92% |
60代 | 3 | 0.41% |
70歳〜 | 13 | 1.78% |
計 | 729 | 100.00% |
平均年齢 | 31.5 |
最多年齢 | 30 |
中央値 | 31 |
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はてなメディアガイド 2017年10-12月版 (PDF注意)
自社調査(2016.8.11-8.28 有効回答数630件)
となっており、調査規模はそこまで変わらない。