2017-10-24

投票における棄権意味とか議論の前提とか

はじめに

はじめに断っておく、

この記事政治的な主張に基づいていないということだ。

まり、私の言いたいことは政治ではなく選挙における投票行為意味であって、それ以上それ以下でもない。

議論をしたいわけでもなく「せめてこれぐらいはわきまえて議論してほしい」と願うだけの文章である

である普段論考に慣れていない人には少し細かすぎる理屈かもしれない。

だが、「せめてこれぐらいはわきまえて議論してほしい」の理由には意味のある主張には必須だと思われる。

必ず読んで!ではないので、できれば読んでほしい。あと僕の思想がにじみ出た範囲は勘弁してほしい。

投票行為選挙活動

言うまでもないが、投票する権利国民に与えられている。条件は18歳以上。日本国憲法は具体的に指示まで出してくれないので、”民主的に”国会によって法律で決められる。

選挙活動も年齢などの条件を満たせば認められる。

選挙活動は”他者投票行為”に関与する行為強制は除く)を含むので、「ルールを守って投票先をおすすめしましょう」となる。

因みに「できるだけ投票に行きましょう」も選挙活動と言える。理由は後述する。

選挙活動がなければ、メディア以外の情報はなくなるので、選挙を行うのは事実上できないと言える。メディア選挙活動の様子と、世論調査結果を報道するとが主な発信となるし、選挙活動が起点となって世論調査となるので、選挙活動を嫌う人は多いが、そもそも選挙活動がなければ選挙という民主主義は成立しない。

選挙活動を嫌う根本的な理由自身の行動について指図される嫌悪感からくるもので、加えてめんどくさいので、ついつい選挙活動について、文句を言いたくなるのだ。

選挙はめんどくさい

わかりきっていることだが、選挙はめんどくさいです。

紙で投票する選挙方法時代遅れだ。選挙に行ける人は時間と心に余裕がなければ行けない。これは明らかに時代にあっていない。だが、ルール改正するには投票しなければならない矛盾を常にはらんでいる。

選挙に行きましょうはプロパガンダ

プロパガンダは悪い意味で使われることが多い用語だが、ここではその意味を含まない。「選挙に行きましょう」は政府広報だという意味だ。もちろん例外はある。

なぜ政府広報は「選挙に行きましょう」というのか、それは投票率の低下は民主主義崩壊意味するからだ。

から選挙に行きましょう」は「民主主義を守ろう!」と転換できる主張である。だが、大多数が選挙いかない(行けない)ので、これはすでに一部の国民政府広報における実質的選挙活動になっている。

選挙に行きましょう」が民主主義の唯一の回答と捉えられかねないが、それは間違っている。だが、他に現時点で有効対策は考えられていない。

白票棄権

これは票からは見えない主張を意味している。

白票は「政治に対する不信感への表明」と受け取られるのに対して、棄権票は「政治に対する無関心」と言われているのが通説だ。

めんどくさくて白票にした人だっているはずなのにそれは糾弾されない。

だが、この通説には根拠が無い。”選挙に行く人”は「選挙いかない人」と「選挙にいけない人」を区別できないので、

体良く意味付けをしただけだ。ここに気がつくかつかないかで、棄権票の意味が大きく変わってくる。

論理的に言える白票棄権の違いはせいぜいが「投票所にきた人」と「来なかった人(来れなかったを含む)」だ。これに勝手意味付けをしても議論は空論に終わる。

棄権票と民主主義

まり棄権票は一方的に「政治に対する無関心」とまとめられがちだ。だが、「選挙に行きましょう」運動意味するところは、政府が”投票システム”の変更に前向きではない印象を与える。

棄権には様々な理由があるに違いない。最近棄権理由一方的に決めつけて、自己の主張を通そうとする人が目立ってきた。

これは明らかに詭弁で強弁なのだ

時代とともに変わる民主主義

民主主義”には固定化された定義はないと言ってよい。

あえて定義するなら「平和平等国家運営しましょう」というぐらいの意味だと僕は思っている。今の投票ルールでは国民の約半数が政治に参加していない事実があるので、残りの半数をいかに参加できるようにするか、これがより良い民主主義を目指す起点となるべきだ。

選挙に行きましょう」運動だけでは逆効果だ。

オウム返しに同じことを言われては、嫌になるに決まっている。

選挙ぐらい行って当然」という主張は、すでに時代遅れだ。

残念ながら主権者の約半数を切り捨てる発言になりうる。

この辺の共通認識が足りていないので、投票率に対する議論不毛に終わることが多い。共通認識確認できないのですれ違いになり、互いの主張を誤解しあうのだ。

ちなみに

私は今までのすべての選挙における投票をすませています

  • 議論の前提とかいいながら、増田が何について議論したいのかを明らかにしてない時点で何も語ってないに等しいよ。

    • >議論をしたいわけでもなく「せめてこれぐらいはわきまえて議論してほしい」と願うだけの文章である。

      • だから「何の議論」かってことが重要になるんだけどね。

        • ああ、理解した。「先の衆議院選挙の投票率にかかる議論」ぐらいのものだよ。具体的な何かじゃない。主な具体例をあげるなら「白票でいいから選挙行こうって主張」と「棄権にも意...

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