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2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160107113910

ここで言ってるのは自分が謝らせたいから怒ってるんじゃ無いんだよね.

最初は当然普通に話をしているんだけど,全然謝らないからどんどんエスカレートして怒ってしまうんだよ.

もちろん,そのときは「謝ってくれないなぁ」とか思ってなくて,後で気付く.「そういやあい全然謝らなかったな」みたいに.

怒ったところで暖簾に腕押しなことは全然分かってるんだけど,

そういう次元を飛び越えてしまうぐらいの奴の話なんだよね.

自分ではコントロールできないぐらいの怒りを与えてくる人間の話.

こればかりはそういう人と長い間一緒に生活しないと分からないと思う.

寮生活とかルームメイトとか,それこそ結婚相手とかね.

2015-08-21

メシマズメシマズ駆逐する

もう何度目だメシマズ話。

うちの姉は子供の頃から味のない食を好んだ。刺し身に醤油はつけないしうどんは麺だけ食うし、こんにゃくもゆがいただけでいいらしい。そんなだからとにかく食に興味がない。寮生活をしている間に何故かジャンクものは覚えて帰ってきたが、基本食事作りは面倒な用で盛り付けもしないし、常に茶色いぐっちゃぐちゃのものを鍋のまま出す(そのまま食卓に出すタイプの鍋でもないのに)

母親特にメシマズではない。母方の祖母は本土と違う味付けの料理をしていたが、六十過ぎて料理教室似通ってから素晴らしくメシウマになった。母方家系は味覚が鋭いほうだと思うし自分はそれに輪をかけて味にうるさいタイプである

父親もその世代にしてはわりと料理好きで普通にうまいものを作る。父方の祖母は味付けが塩だけのメシマズかつ殺人マシーンなので、姉の味覚異常はこの辺りから来ているのかもしれない。

そんな姉だったが、結婚した相手の母親まり姑がそれに輪をかけたメシマズだったらしい。姉の場合レシピ通りには一応作れる(レシピないと味が崩壊するが、あれば忠実にその通り作る。ただし野菜切るのとかはいい加減なので生煮えでもごりごりでもきにしないし、書いてなかったらアクはとらない)が、姑は創作メシマズレシピ通りに作れないタイプなようだ。

姉の夫は姉の料理を食べえて感動したらしい。お前どんだけハードル低いんだよと同情するが、もう絶賛褒めちぎり、時には涙するらしいのだ。

それがいい方向に働いたのか、姉は少し食に興味をもつようになったし、食卓の彩りも考えるようになってメシウマはいかないもの普通程度になった。あまりにも強烈なメシマズを見てこれはいかんとおもったらしい。

メシマズメシマズ駆逐された瞬間である

ただし駆逐されるメシマズは弱い方のメシマズだ。強いメシマズけが後世に残るのだ。

2015-08-01

http://anond.hatelabo.jp/20150801201155

言いたいことをくみ取るのが難しい・・・・・・

俺は徹頭徹尾ちょっとは違う話も混ぜちゃったか)「金の話」しかしてないのにこのトラバは「金」の要素が一個もない

主題に沿わずだだ自分意見を開帳する傾向は確かに寮生活で養われそうだけど

http://anond.hatelabo.jp/20150801194722

そうだね

お上の設定した税率に諾々と従うのは是として自分から払うのは非とするその根性寮生活で培われたのか

あと、誰かの保護を受けて存在するような吉田寮吉田寮ではないとも思う。

あれはそもそも社会寄生する存在であって、社会保護される存在ではない。

屁理屈の自治理論を振りかざして大学迷惑をかけ続ける吉田寮でなければ、死んでいるも同然だ。

教育機会の平等とか色々建前捨てますって宣言?

露悪で逃げる趣味高校卒業しておいてほしいンゴねえ・・・

2015-01-15

私はこの春、首都圏女子大に入りました。

出身東北なので、女子寮に入ることになりまし た。

この学校は、自宅通学生以外は寮に入るのが普通 で、4大生は1、2年生の間、短大生は2年間、寮生活 を送らないといけません。

すぐに友達もでき、寮生活はにぎやかなので、寂し くないのがいいところです。

集団生活最初はとまどうこともありました。

みんなで入るお風呂ムダ毛を剃ったり、アソコを 丹念に洗ったりすることです。

なんだか恥ずかしいなぁと思ったものですが、先輩 は堂々と脇を平気で剃っていて、これも慣れなんだ なと思いました。

中にはスネや腕など、全身を剃りまくっている人も いました。

また、かなり丁寧に時間をかけて、アソコをコネコ ネと洗っている人をみると明日デートなんだなと ピンとくるようになりました。

同性ですから、けっしてジロジロ見たりはしません が、どうしても視野に入ってくるんです。

そんな寮生活ですが、私にとっては(他の人もそうか もしれませんが)、一つ、困った問題がありました。

それは、オナニー自由にできなくなってしまった ことです。

この寮は4人一部屋で、部屋の両サイドに2段ベッド があり、4人が寝るのですが、ベッドに付いている ちっちゃなカーテンを閉めて、はじめてプライベー トタイムになります

私は最初実家を離れた寂しさや、学校友達に慣 れるまでは、そんなこともあまり考えなかったので すが、慣れてくると、やはりムクムクとあの欲望が 湧きおこってきました。

高校までは田舎実家で、自分一人の部屋でしたか ら、いつも好きな時にオナニーにふけっていたもの です。

だいたい週に4、5回はしていたと思います

今の私の位置は2段ベッドの上段なので、激しくする と振動が下で寝ている子にも伝わりそうですし、声 も出せません。

こっそりしても、雰囲気でバレそうな気がして、ど うしようと思ったものですが、やはり、どうしても 我慢できず、入寮3週間目ぐらいからオナニーをする ようになってしまいました。

本当は大胆にしたいので、下半身だけでも裸で大き く股を拡げてしたいところですが、それはせず、寝 間着として穿いているスウェットパンツの中に指 を入れて、ゆっくり触っています

欲望のかなり強い日は、パンツの中は、あの液でも うあふれそうになっています

ゆっくりゆっくり割れ目に指をあてがい、寝返りを うちながら横向きになったり、仰向けになったり。

まり腕を動かすと、激しくなってしまうので、掛 布団を脚にはさんで、指先だけの動きで刺激するよ うにしています

「あぁっ!」と声が出そうになりますが、それもな んとかこらえ、どうしても声が出そうな時はハンカ チを咥えています

私の真下の子は寝つきがいい方で、スヤスヤと寝息 も聞こえてきたりするので、バレてはないと思いま すが、最後は指先の動きを速め、クリトリスをこす ります

やがて絶頂感がやってきますが、この時も静かにイ クようにしています

でも、この時はやはり体が海老ぞってしまます

ティッシュの箱からティッシュを抜くとき、シュッ シュッと音がしてしまうので、こっそりと抜き、濡 れた指先と股間を拭きます

今は先にティッシュを出して、用意しておくように なりました。

少し息も乱れてしまますが、どんな環境に居て も、やっぱり、これだけはやめられません。

というか、自然と指が股間に吸い寄せられてしまう んです。

考えてみれば、オナニーだけでなく、オナラも思い きり音を出して放屁できない不自由さもあります が、こんなのは私だけなのかな、それとも、他の子 も同じなのかな?

2014-08-23

代ゼミ 27拠点→7拠点 に思う

よく三大○○というものがある

そして、三大予備校と言った場合は、河合塾代ゼミ駿台である

少なくても、僕が予備校のころは、「今でしょ」でお馴染みの東進なんかは

授業を放送で切り売りしているなんかうさんくさいところであった

本日読売新聞によれば、代ゼミは全国27の拠点を7つに減らすという

そしてその削減校の中に、仙台校も入っていた

私が予備校時代の話である。聞いた話で真偽は不明だが、だいたいその通りだと思う

「全国の代ゼミで、寮生が一番多いのは仙台校」

そう。仙台校は東北6県より学生を集めるマンモス校だったのだ

はっきり言えば、私大の多い宮城をのぞけば

大学とは高校の中でもトップクラスの限られた人間が行くところ」

と思ってる地域は多い。その中でも、大学に行きたい、ちょとでも都会に出たい。

そんな地方民が中核都市仙台に集まり、同じ環境の人たちと寮生活をし

そして東京なりなんなりの大学へ進学していく。

田舎には戻らないという固い固い意志

その舞台が、代ゼミ仙台校だったのだ

削減された理由

そんな意識が変わってきたこともあるし

しろ、今は他県の地方都市でも「今でしょ」でお馴染みの東進の授業も受けられるし

予備校生活なんてだっさい一年間を過ごしたくない

そんな思いしなくても、大学だったら行けるし

たぶん、こんなとこなんだろう

僕は予備校にいた。そういった人たちと頑張った思い出がある

さようなら代ゼミ仙台校。さようなら予備校

2014-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20140610152221

ああ、その通りだけど、

クズの仲間入りではないだろう。

心が綺麗=非クズっていう、お前の定義おかしいって。

社会からみて「クズ」の話だから

お前が何なのか分からんけど、人のポストのあら探ししようとするお前やクズが視界から消えてほしいとおもってる俺は心は綺麗じゃないかもしれないが、社会的クズかどうかは別の話だ。

意味わかった?

社会的な「クズ」をどう処分するか、は真剣に考えるべき話だと思うんだ。

で、全員に生活保護あげることができればいいけど、それは無理じゃん?生活保護支給額さげれば広くそういう人を支えられるかもしれないけど、わりと生活保護支給額多いじゃん。

じゃあ他の選択肢として、社会的クズの山を作ろうってことだよ。

適当ネット企業でもいいし、北陸の山でもいいし、バリ島でもいい。

ん、確かに、海外っていいかもな。インドとか、年間10万ぐらいで暮らせるらしいし、そのへんに放り込んで、エサ与えて、形だけデータ入力とかの仕事を国からプレゼントしてさ。

年間20万円支給、ボロ家での寮生活ネットあり。みたいな。

1日1時間しか働かなくて3食昼寝とネット回線付き。+20万円やるから映画みたり風俗いったりカフェ楽しんだりして娯楽でもしてよ、みたいな。

どうかな?現実的になってきた気がする。

2014-04-28

暮らしズボラ飯

4月から新入社員として寮生活を送っている。

病気するわけにもいかないので適度に野菜もとりつつ食費も抑えたいが、しかしこの寮ときたら食堂は勿論、炊事場もなく、かろうじてシンクがあるといった不遇ぶり。

そして自分自身がすごい面倒くさがりという、そんな中で完成させつつあるズボラ飯を紹介するので似たような境遇の人がいたらぜひ。

必要もの

電子レンジ

炊飯器

・丼

・タッパー×10個以上

ラップ

メニュー

温野菜

 にんじんキャベツきのこ類、オクラ等の野菜と鶏胸肉、鶏もも肉、豚こま肉等の肉。

 「きのこ入りキャベツミックス」のようなものを使っても可。

 これらをラップを敷いたタッパーに一食分ぶちこむ。これを一週間分冷凍

 解答はレンジで4-6分あたためれば温野菜ができあがる。

 焼き肉のタレやら、マヨネーズ、胡麻ドレッシングポン酢、なんかをかけていただく。

 野菜とタレのバリエーションを変えれば全然飽きない。

味噌汁

 温野菜と一緒に。もちろんレトルト

・副

 鯖の味噌煮缶詰、納豆なんか。

(番外編)

レトルト

 電気ケトルで温める。ラップを2重に敷いた丼にご飯を盛ってかける。

2014-01-09

童貞までかなりかかった俺の話

簡単な来歴的には。

16歳 初めての射精夢精)、エロ漫画にドハマり

20歳 初めてのオナニー、初めてのAVオナホにドハマり

23歳 初めての風俗

25歳 脱童貞、2nd童貞卒業

  

結論から書くと、

童貞こじらせて頭おかしくなった奴はソープへ行って適当にやって、セックスはどーでもいいオナニー以下のゴミプレイと悟るんだ。童貞をバカにする奴は精神的におかしいバカ。童貞に卑下することは何の論理性もないし卑下してる時間もったいない

  

なぜ童貞卒業したくなったのか。

 子供のころから勃起をするとくしゃみが出ていた。エッチなことを考えるとくしゃみが出ていた。そのせいかエロいことを最後まで考える事ができず、オナニーをしていても最後まですることができなかった。

 16歳で、おれは寮生活だったのだが、初めて夢精した。余談だが自分は20歳までずーっと寝ションベンが収まらなかったので、またおもらししたかな?くらいだった。

 その後も数か月に1回夢精していて、夏休みなどで実家で寝るのが怖かった。

  

 18歳で高校卒業大学へ。エロ漫画にド嵌りし、またエロ画像にもド嵌りした。1日6冊くらい中古で50円くらいのエロ漫画を買いまくっていた。エロ小説立ち読み書店の棚数個分全部読んでいた。毎日毎日自宅から10キロ離れたエロ本が安く売ってるところへランニング、びしょびしょの服のままエロ本を買いまくり立ち読みまくり

 医者に行ったのだが、「そういう人は結構いるし、射精するまでの刺激が足らないのかもねえ」ということだった。

  

 20歳ころまで、なんとかオナニーをして射精をしようと、いろいろ試した。『らきすた』にはまったのでコロネでオナニーしようとしたり。エロ画像を見ながら何時間も粘ったりしたが、全然射精できなかった。

 ある日、オナホを買った。TENGA

 あっさり射精できた。嘘のように射精ができた。びっくりした。風呂桶にビシャビシャと出て、今思うと嘘のようなんだけど、風呂桶の半分くらいまで出た。というと嘘っぽいが、少なくともペットボトル半分くらいの量はあったと思う。そして、すぐにオナホにまた突っ込んで、5,6回連続射精した。

 それからは、オナホにド嵌りした。多分、一生でセックスするより多い回数オナホ半年射精しただろう。

  

 23歳くらいまで、ひたすらオナホとのオナニーにはまった。洗えて何度も使えるオナホにひたすら朝もなく夕もなく、一日10回オナニーした。「自分は回りの人よりはるかに性で遅れをとった、俺は、一生分を今取り返さないと」みたいな言い訳で手を変え品を変えネタを変え、オナニーしまくった。

 しかし、一抹の不安があった。「どんだけオナニーしようと、セックスしなければ性の遅れなんて取り戻せないぞ☆」。

 そして、童貞あおりまくるスレには顔を真っ赤にマジレスしたり。『童貞をあおる』系のエロ漫画憎悪を込めてオナニーをしたり。非処女を叩きまくるレスをひたすらしたり。ヤリチンドキュンあおり続けた。

 だが、どーしても、「セックスをしなければ」となった。

 正直、セックスでの性感染リスクが怖すぎてセックスなんて処女しかやらなくていいやと10代のころは余裕をぶっ扱いていたのがここにきて焦りになった。

  

道程1~初ソープ

 脱道程を考える場合、まず思いつくのが、「ソープへ行け」だろう。

 当然わかっていたのだが、2次元に頭をやられていた俺はそもそも3次元へ移れなかった。

 「2次元>>>>>3次元」という趣旨スレというのを見たことある人も多いだろう。

 俺はこれを当たり前に受け入れていて、AVすら初めて見たのは20歳のころだった。しかも、AVを見ても「3次元汚い、なんか、2次元を真似してるらしい会社とかのも見たけど、圧倒的に汚い、こんなので興奮とかバカやろ」という感じ。

 喪男スレにも書き込んでいたし、夏の葬列というまとめスレも読みまくって共感していた。

http://web.archive.org/web/20070210005503/http://d.hatena.ne.jp/SAGISAWA/)←こんな感じのアンチ女を盲信していた。

  

 しかし、道程卒業はやぶさかではなかった。

 「俺だけのことが大好きな美少女、できれば外人さんで年下の超絶かわいい処女」とか、まあそれに似た、2次元美少女そのままの娘しか、絶対嫌だと思っていた。

 しかし、絶対無理なので、童貞卒業絶対無理だと思っていた。

 だがしかし、年齢的にも、「いない歴=年齢」である。焦る。一生独身率99%だろう。

 焦った。焦りは世への呪詛となった。「自分ができないことを当たり前にできている奴らがにくい、皆が当たり前にやれるから俺がこんなに焦るんだ、社会が悪いんだ!!!!」と完全にくるっていた。

  

 しかし、それでも、童貞卒業する作戦は常に考えていた。

 「かわいい外人さんとならやってもいいかな。」 「コスプレ美少女ならいいかな」 「AV女優トップクラスならやってもいいかな」 「ロリ系は3次元でもかわいいから犯罪かよお。あ?イスラムなら小学生結婚できるのか???」

 信じられないかもしれないが、これでも真剣に考えてこれだった。かなり妥協しまくっていた。AVもたくさん見て、トップレベルAV女優なら、まあギリギリオナニーの1ネタとして、2次元のローテーションの下位くらいには五分れるかなー?くらいな。

 本当に、これ以外は無理だと思った。

 ってことで、風俗に行くことにした。

  

 最初は、とりあえずソープ。クッソ安いソープだが、とある信者が、「激安ソープセックスした話」で盛り上がったのを参考に行った。

 出てきた女は30歳と言っていたが、40くらいか?当然、セックスなどしなかったが、おっぱいをもんだり、雰囲気を見たり。興味があった足コキをしたり。オナホで鍛えすぎたのか、射精などほど遠かった。

 だが、異常につまらなかった。やっぱリアル女なんてこんなもんか。と素直な落胆とともに、「こんなクソみたいなもんで脱道程とかふざけるな、俺が二次元でやってきた脱童貞歴史を余りにも侮辱してる」

 異常に性感染が怖くなり、即効で薬局に行き、アルコールを買った、消毒のうがいも買った、公衆トイレで全身にアルコールをまぶした。ちんこアルコールを塗るとクソ痛いのだが、ピョンピョン跳ねながら全身に塗った。

 『コーラで膣内を洗えば妊娠しないよ?』みたいなのをかつて聞いていて、それを盲信してコーラで口をゆすいであなるにふりかけた。家でも何時間も消毒とかしまくった。

 「三時女はクソだな」「クソみたいなもので性感染リスクとかバカじゃないか」

  

 俺は、ソープにこりて、「オナクラ(女がほぼ手コキするだけ、おっぱい触れるかも怪しい。)」

  

道程2~オナクライメクラヘルス

 次に、オナクラに狙いを定めた。

 http://blog.livedoor.jp/nemusoku/archives/19152075.html

 まあ、この手のオナクラ女の子最上級!!!

 との熱弁スレが多かったのだ。

 俺は、簡単にこれを信じて、オナクラに行った。

 「AVトップくらいかわいい子ならセックスしてやってもいい」という傲慢な気持ちで行った。

 が、結果から言わせてもらうと、全然ダメだった。

  

 女がかわいい???

 別に電車にのって、見渡したらいる女のレベルってあるだろ?アレが来る感じだよ。

 確かに、ピグモンはいないかもしれない、モンスターハンターは無い。

 が、かわいい子???いねーよ。AVの中堅レベルですらいねーよ。

  

 1度めは騙されたかな?と思ったが気を取り直して2、3回行ったのだが、全然ダメだった。

 というか、はずれを引いたので、オナホでその場でオナニーして帰った、3回とも。

 最後には、女の方が、「おっぱいを見せない」という基地外行動に出たので、流石にブチ切れた。

 二度とオナクラには俺は行かないと決心した。

  

 次に、ヘルスに行くことにした。

 というのも、無料案内所に行ったんだが。前回の反省を込めて、「お勧めおっぱいを教えてくれ」とお願いしたところ「この時間早くっておっぱぶとかまだなんですよ、イメクラおっぱいつきますよ?」と教えてもらったからだ。

 ヘルスはいわゆるホテルヘルス

 来た女の子普通だった。AV底辺レベルか?まあ、普通の女だな。

 あらかじめ、どんなプレイをするのかは決めていた。総合格闘技が俺は好きで、その技をかけまくった。

 三角絞、糸通し、潜りスイープ、等等。

 また、69の時のちんこの入れ方のフェラで、思いっきりつきまくった、クンニはせずに。

 ここで、かなりヘルスにいいイメージが湧いた。

 「ほお!中に入れる以外はたいていのことできるのか!!!!!」

 また、ヘルスなのに、オナホオナニーしたが。

  

 そこからヘルスに若干はまった。初めての口内射精も楽しかった。性病が怖かったが。

 自分的には、「やってみたかったプレイ全般」+「オナホオナニー」という場所だった。

 一般的AVでは見れないような様々なプレイを俺は妄想するのが趣味だったので、ここでやりまくった。

 1回のプレイで10個くらい新アイディアをためしていた。

 嬢からは必ず、「お客さんおかしいよ」的なことを言われまくった。

 エロ漫画を持っていって朗読とか、「妊娠させるから!?いいね!?孕め!孕め!」とエロゲみたいなことをやっていた。

  

 金髪外人とやれるヘルスにも行ったのだが、「パネルと違うババア」が来た。しかも異常な臭さを香水ごまかすが香水がクソくさい、おっぱいは整形で硬い。

 やれるもんじゃなかった。5分程度で飽きて、目の前でオナホオナニーした。

  

 さらに、イメクラにも行った。

 コスプレをさせてやるのだが、う~んという感じ。

 嬢がコスプレアニメを見てないどころか、アニメに興味が無いんだよなあ。

 これだと全然萌えない。

 だからコスプレイヤーかいるんだろうなあ。

 と思ったが、好きなアニメコスプレが数個あったので、数回イメクラに行った。

  

 が、が、が、。

 こんだけやったが、不安があった。「俺、こんだけ三次元嫌いだったら、童貞卒業できないし、俺の望むような理想の道程卒業とかできんやん」

 そして俺は、とある風俗を見つけた。

  

  

 「飛田新地」。そう、日本で一番レベルが高く、料金も高く、『女の子を直接見て選べるので、超絶美人とやれる』という。

  

飛田新地

 25歳、焦っていた。「一生童貞じゃん俺」という危機感が半端なかった。

 「一生独身ジャン」ってのは、そりゃそうだろwとしか思わないが、一生童貞風俗で解消できるはずなんだ。

 飛田新地に行くことにした。

 「脱童貞妊娠させるつもりで射精、超絶美少女、気持ちいいセックス

 この3点が果たしてなうのかは不安だったが。

 飛田新地に行ったときに、「超絶美少女」は完璧にOKだった。

 信じられないかもしれないが。

 AVトップレベル。は当たり前だった。

 AVっていえば、今やアイドルよりかわいいのが当たり前。そのレベルだった。

 直接見て選べるのだ、当然だろ。

  

 だが、飛田新地は料金が高く、30分で数万。

 俺は、射精なんてできるのか不安だった。

 射精できなかったようにオナホは当然用意したし、嬢を選ぶ前に何度もipadエロ画像を見て勃起できるか、射精直前まで行けるか確認した。

  

 そして、超絶美少女を選んだ。(後で聞いたところ俺より年上だったが)

 店にあがって、即ゴムがつけられて、フェラ

 そして、騎乗位。

  

 騎乗位、気持ちがよかった。少なくとも、オナホで感触が微妙な時くらいの気持ちよさはあった。

 ちんこへの圧迫が巧いんだろう。床オナになれた人でもいけるんじゃないか?っていうくらい圧力尿道にかけるが、決して痛くはなかった。

 圧迫も上下前後パターン豊富だった。

 ちんこへの膣からのしめつけも相当だった。

  

 ちなみに、キスをして、ディープしようとしたが、ここではキスは禁止だということだった。

 バックや正常位をためした。がしかし下手で気持ちよくない。

  

 最後に、騎乗位をお願いした。

 普通に気持ちいい、オナホ並だ。

 射精した、普通に

 「孕ませるつもりのセックス?」OK!

 こんな美少女中田氏して、妊娠さるんだ!という興奮があった(ゴム突きだけど)。

  

 これでだめだったら、AV女優を買えるデリヘルで10万くらい払って生本番やるつもりだった。(AV女優のデリはあるが、クッソ高いが、めっちゃ美少女もたまに居るので安心して買える)

  

nd童貞

 その後、普通にソープに行き、普通にセックスをしてみた。

 適当な店の適当ババアとのセックスだが、あっさりやれた。

 が、まったく気持ちよくなかったし、ババアだるい

  

 そう、これが『普通セックスなんだな』という感じで、くだらないなと感じた。

  

これを書いた理由

 脱童貞系の日記を俺は脱童貞するにあたり読み漁った。

 そこで読んだことには、「脱童貞できてよかった、かわいい相手でよかった!」 「道程を早く卒業するとか意味がない童貞なら童貞でいい」 みたいな感じだった。

 必死感が感じられなかった。

 童貞特有必死感が感じられないのはおかしいと思った。

 だから書いた。

  

 あと、安心してほしい、「脱童貞もの」は今でも普通に楽しめる。杞憂だった。

 あと、「女への憎悪」は消える。なんというか、「道程をネタにバカにしてるやつってどんだけ精神レベルが低いんだよ」っていうごくごく当たり前の理屈にたどり着く。

  

 個人的には、童貞卒業したほうがいいと思う。童貞であることのプレッシャーは年齢がたつほどヤバイから。回りに完全に遅れるってのは恐怖だ。

 そして、ネットで調べても童貞卒業方法はわかりやすくない。

 ソープと簡単に言うが、ソープがある場所ってのはかなり限られているしわかりにくいし、初めてのソープ適当卒業しても、全然よくない。

  

 俺と同じく童貞で苦しんでいる人もいると思う。童貞こじらせて頭おかしくなった人もいると思う。

 ハッキリ言って、下手な女のセックスはまったく気持ちよくないし、童貞をバカにするとかくだらない話だし、童貞であることはなんの心理的不満を感じることでもない。

 が、童貞卒業するってことで、「本当に大したことが無い」ってのがわかる意味で、童貞卒業したほうがいい。

  

 書かなかったが、エロ画像漁り、エロ動画漁り、エロ漫画読み、AV漁り、オナホ漁り。エロゲー。 どれもこれも、ものすごく時間を使ってものにした。それぞれの分野を、「もう十分やった」と思えるまでには相当時間がかった。この作業をやらないと俺は童貞卒業できなかったが、これは本当に修行僧なみに時間がかかる。

 こんな無駄時間をかけてほしくないのだ。

2013-11-15

ささいなことなんだろうけど

「腐」タグが付いた作品をブクマする勇気を下さい……

別に本番もちゅーも何もない作品やん。

なんで「腐」タグなんだろう。

あと、なんで作品の正式名称じゃなくて略称なんだろう。

設定に捏造ありすぎるから

んなこと言い出したら小説の方は吸血鬼とか寮生活とか

もはやキャラ名前借りただけの作品がゴロゴロしてんのに。

ああ、あと一歩を踏み出す勇気を……勇気を……

2013-09-25

海運系船乗りマニュアルその1

あいさつ

以前、話題に取り上げて貰った海運系船乗り。

その情報増田に公開しようと思う。

  

船乗りとなるには

主に6種類の方法が想定できる。

  

最も敷居が低い方法

それは小型船舶操縦士免許を取得することだ。

漁師とならずとも遊覧船釣り船などで必ず要る資格であり、趣味で取得する人も多い。

区分は「1級」「2級」「特殊」に現在は別れており、業界人は「新1級」などと頭に「新」を付けることがよくある。

これは法改正区分が変わったからであり、旧区分と混同しないためだ。

区分はいわゆる「水上バイク」が独立区分の「特殊」となった。これは水上バイクに関する海難 (海で発生する事故のことを指す業界用語)が頻発したからだ。

区分は新2級よりも新1級の方が大きな船に乗れるという認識で間違いないが、詳しく知りたいのならググると良いだろう。

ちなみに「コレもはやクルーザーだろ」とツッコミたくなるような高級プレジャーボートで無い限りは、たいてい新2級で事足りる。

ただし、新1級と新2級では水上バイクを運転することができないので、水上バイクを運転したいのなら「特殊」を取得しよう。

社会人であっても1ヶ月あれば取得できる。

  

ちなみにだが船舶系の運転免許資格は有資格者が同伴しているのならば無資格者が船舶を運転しても良い事になっている。

まりお父さんが有資格者で同伴しているのならば子供に船を運転させても良いということだ。

子供にカッコイイ姿を見せたいお父さんは取得を検討してみたらどうか。

  

高卒資格も得る

高卒資格も得ようとする場合は「水産高校」「海上技術学校」「商船高等専門学校」へ進学しなければならない。

ただし実は各校とも得られる船舶系資格微妙な差異があるので注意が必要だ。

  

水産高校

基本的に漁業系の技術を習得するための文部科学省管轄の高校だ。

海運系に特化しているわけではないが、大まかな知識技術は「船舶」という枠組みにあるため共通点もあり就職先には海運系企業もある。

  

水産高校へ進学する場合は注意点がある。

その水産高校によって取得できる海技士免状の等級に差異があるんだ。  

当然、等級が低ければ法に定められた権限も違い、4級海技士より5級海技士権限が限定的である

4級海技士を取得できる水産高校の方が良いのか?という疑問もあるだろうが、4級海技士を取得できる水産高校は航海もしくは機関のどちらかしか取得できない。

5級海技士を取得できる水産高校場合は航海も機関も双方を取得できるんだ。

  

個人的には4級海技士を取得できる水産高校の方が良いと感じる。

理由はより高い授業レベルが期待できるし、そもそも就職したら甲板部もしくは機関部のどちらかへ配属されるからである

そして社会人になると昇級試験のために真面目に勉強する奴は少ないので早めに高い等級を取得しておくべきだ。

  

2年生になると遠洋へ出てマグロ漁を実際に行うことでも知られている。

マグロと共に小型のサメもかかるらしく、そのサメの頭を大ハンマーで殴って気絶させるそうだ。

筆者の友人にも水産高校の出の者が居り、彼の話では「女子返り血を浴びながらサメの頭をハンマーで殴ってる光景は壮絶だ」とのこと。

詳しくは多分、水産高校卒業した増田Twitter民が語ってくれることだろう。

  

海士機関士

小型船舶操縦士海技士の最も大きな違いは、小型船舶操縦士は航海も機関カバーするが、海技士免状は航海士用の「海技士(航海)」と機関士用の「海技士(機関)」で別区分となっている。

これは海技士免状が必要なほど大規模化した大型船に対応するための区分だ。

危険物取扱者にも様々な種類があるが、それと同様に航海資格では機関士となれないし逆もまた然りだ。

  

海技士免状の取得

海技士免状を取得するには「乗船履歴」「筆記試験合格」「口述試験合格」の3要素が必要だ。

先程から俺は「水産高校海技士免状を取得できる」と言っているが、正確に言うと水産高校で取得できるのは「乗船履歴の特別短縮」「筆記試験の免除」のみである

まり丸々の海技士免状を取得できるわけでない。

これは後述する海上技術学校や商船高等専門学校海上技術短期大学校、海洋大学校卒業しても同じである

国も馬鹿ではないので、たかだか学校を出たくらいではポンッと海技士免状をくれたりはしないのだ。

学校を出ただけのそんなヒヨッコを広大な海原へ放ったりはしない。危険すぎるから

  

海技士免状を取得しようとする者は、総じて口述試験の際に物凄く緊張する。

口述試験とはつまり面接による試験であり、学習した内容を試験官の出題に合わせソラで回答をしたり、時としてホワイトボードなどへ図解する試験だ。

  

何故、受験生口述試験の際に物凄く緊張するのか?

それはおそらくこの日本で取得できる資格の中で唯一、試験官が受験生に対して、ブチ切れ、怒鳴り、叱る試験からである

受験生があまりにも回答へ窮したり、回答すら出来なかったりすると試験官はキレる。

それもそのはず、試験官の多くは引退した船乗りで構成されており、ヒヨッコの出来があまりにも悪いと現役の頃の感情が蘇って鬼と化すのだ。

試験時間丸々説教に当てられた事例も多数あり、受験生はそうはなるまいと必死になって受けるのだ。

当然、そうなると落とされるのは言うまでもないw

  

海上技術学校

水産高校とは違い、国土交通省管轄の海運系へ特化した高校である。筆者の母校。

水産高校と比べて取得できる資格の差異は4級海技士(航海)と4級海技士(機関)の双方とも取得できる点。

  

海運系へ特化しているだけあり当然ながら漁法とかそういうのは一切学ばず、全て航海術や機関知識へ当てられる。

  

校風としては「実践主義」的であり、生徒に何でもやらせる。

俺の経験では校舎の外壁を消防ホースで洗ったり、屋上から「ジャコブスラダー」という空中ブランコで降りて校舎のペンキ塗りをしたり、やんちゃ破壊した校舎の板壁を修繕したり、グラウンドのフェンスを補修したり、ドアノブ直したり、電灯直したり、学園祭の野外ステージを作ったり、その他色々やらされた。

地域貢献ボランティアにも積極的であり、ごみ拾いに月一で参加させたり、近隣のジジババの家の植木の枝刈り草むしりさせたり、保育園児の相手をさせられたり、老人ホームの模様替えに派遣したりしている。

これらは「協調性」を育み、故郷を大切にする心を育むための教育らしい。

  

声を大にしては言えないが、海上技術学校最初である海員養成所は戦中からある組織なので、旧日本海軍思想を今でも色濃く受け継いでおり「お国のため精神」が根強い。

何故、そんな旧体制的な思想現代にも受け継がれるかと言えば、そもそも保護者海上自衛官だったり海上保安官だったりするためだ。

教官((海上技術学校では先生ではなく教官と呼ぶ))から生徒、保護者に至るまで完全なる右巻きであり、そこへ通う非海洋系家庭の生徒も右巻きになる。

歴史の授業では勝海舟日露戦争、大東亜太平洋戦争の部分となると異様な盛り上がりを見せる。

件の中国監視船衝突問題では問答無用で一色氏を支持するといった雰囲気である

風の噂では艦隊これくしょん流行ってるそうだ。

卒業者に海上自衛隊士官候補生を多数輩出している(現在尉官以上の卒業者がかなり多い)。

純粋培養ネトウヨが育つ環境なのでハテサの皆さんは気に食わない学校かも知れない。

  

文部科学省管轄の高校では無いためPTAとの関わりが非常に薄く、保護者も船乗りが多いため教官普通に生徒へ体罰を下す。

俺自身、高校3年間で何度教官から殴られ、グラウンドを走らされ、罰作業を受けたかからない。

「ウチのボウズがバカやったらブン殴って曲がった根性直してやってくれ」と親が言うので全く問題にならない。

しろ体罰が「問題があるもの」という評価を学校に関わる者全てがしていない感じだ。体罰必須であると。

生徒自身も「殴られて当たり前の行為をした」という認識があるため不満を持たない(殴られてマジムカつくという感情はもちろんあるが)。

  

一面から見ると厳しい校風であるため脱落者、つまり自主退学する者も少なくはなく入学者の1割程度は1年生の内に辞める。

これは海上技術学校自体が奨めていることで「合わないと思ったら早めに辞めて1年遅れで普通校に行った方が将来にも良い」という意見だ(俺の世代にも普通校へ1年遅れで行った者が居る)。

先輩は後輩の精神フォローをしているが辞めてしまう者は結局辞めてしまう。

中学時代に軟弱な者が続けられないか?と言えばそうでもなく、3年勤め上げることで肉体的にも精神的にも成長していることが結構ある。

逆に番格をはっていた様な剛の者が直ぐに辞めてしまうこともあり、本当に適正はフィーリングしかない。

  

水産高校マグロ漁にあたる航海実習は日本全国を帆船などで周回する。

海があれば増田地方にも帆船日本丸海王丸が入港してきたことがあると思うが、帆船に乗ってる一部の人間は海上技術学校の生徒だ。

そのためまともな修学旅行というもの存在せず、修学旅行先の定番である京都奈良北海道学生時代に行ったという思い出の無い者が結構居る(どうせ就職したら行くけれども)。

  

商船高等専門学校

こちらも海上技術学校と同様に海運系特化であるが、やはり微妙な差異がある。

  

管轄は文部科学省、5年制のいわゆる高専であり学歴としては海上技術学校より1段上である

海上技術学校との違いは、海上技術学校が満遍なく海運のことを学べるのに対し、商船高等専門学校は「航海」もしくは「機関」のどちらかをより専門的に学べるようになっている。

  

取得できる資格も3級海技士(航海)、もしくは3級海技士(機関)のどちらかであり、資格としても海上技術学校より1段上だ。

入学するにも海上技術学校は良い言葉を使えば「来るもの拒まず」であるが、商船高等専門学校一定以上の偏差値必要である(進学校並ではない)。

海上技術学校実践主義的なので「進学するまで何をしてきたか?」よりも「進学してから何をしたか?」が重視される。

文部科学省管轄である商船高等専門学校は前提としての偏差値があり、それ故に安心して一定以上のレベル学習は保障されているという利点がある。

  

比較的新しい海洋系の学校なので海上技術学校のような右巻き偏重ということもなく結構自由な校風のようだ。

海上技術学校もそうではあるが、入寮している生徒が多く、その寮生活に不満を持つ生徒が少なくないらしい。

  

近年、海洋系以外の学部を創設し、より広い入学者を募集しているようだ。

  

高校卒業してから

当然ながら高校卒業してからだって船乗りになるための道は用意されている。

  

海上技術短期大学校

高校の要素を持つ海上技術学校とは違い、基本5教科などは学ばず海運のことを集中して学ぶ2年制短大

一般高校卒業から最短で船乗りになろうと思うのならこの選択となる。

  

海上技術学校では3年かけて取得する4級海技士海上技術短期大学校では2年で取得できる。

ただやはり海上技術学校卒業と比べると1年間の周回遅れが発生するので、そのまま就職すると1つ年下の1年先輩が居る可能性があるので、そこを割り切る必要がある。

  

校風としては海上技術学校の生徒よりも意識が高いと言わざるを得ない。

普通高校から普通は選択しないだろう海運という道を選び、明確な目標を抱いて海上技術短期大学校へ来ているので資格の取得率が異様に高い。

海上技術学校海上技術短期大学校ではボイラー技士資格危険物取扱者資格なども取得できるのだが、海上技術学校海上技術短期大学校を比べると海上技術短期大学校の方が取得しようとする者が多いのだ。

就職に対しての熱意もスゴイので、本気で学ぼうとしない人間就職率だけ見て来ると単位が取れなくなり自主退学するそうだ。

しかも周囲は本気で学ぼうとしているので本気じゃない人間邪魔者扱いされるらしい。

  

海洋大学

海洋系大学が統廃合された結果生まれたのが海洋大学である。筆者の母校。

海上技術学校や商船高等専門学校からの進学者も多く、入学時は一般高校出身者と海洋系学校出身者の知識量の差や海への適応力の差が激しい。

具体的にはロープやワイヤーを結んだりする実技(ロープワークという)の際に海洋系学校出身者は一瞬で終えるが、一般高校出身者はモタモタとしてしまい数十分かかってしまったりする。

更には実習船での海へ出ると海洋系学校出身者は活き活きとするのに対し、一般高校出身者は船酔いで実習どころじゃなくなるなどである

半年間我慢して一般高校出身者でも真面目に学んでいれば海洋系学校出身者とのスキル差はそんなに開かなくなるのだが、それでもやはり実技で職人芸とも言える精度で物を完成させるのは海洋系学校出身者が一日の長もあり多い。

ただ必ずしも海洋系学校出身者が全てにおいて優っているかと言えばそうではなく、筆者の同期には金属加工で才能を開花させた一般高校出身者が居たりするので真面目にやってさえいれば問題はない。

  

資格は3級海技士(航海)または3級海技士機関)のどちらかが取得可能。

商船高等専門学校と何が違うかといえば、そもそも大学なので例えば「高等学校教諭1種免許状(商船)」なども取得できる。商船の教諭免許なんてレアなのでたまたま何かのきっかけで現役教師と会話することがあると非常に盛り上がるw

学科や専攻の選択肢が幅広いので個人的には海上技術学校時代よりも楽しめたような気がする。大学時代人生の春とはよく言ったものである

  

ちなみにだが海洋大学偏差値そこまで高くないくせに大学別平均年収ランキングでいつも上位にいる大学である(平均800万くらい)。

理由は簡単だ。船乗りは続けてると年収1,000万を余裕で超えるからだ。

  

就職

就活は多くの学生現実を見せてくれる悪夢だが、海洋系学生にとっては実はそこまで大きな問題ではない。

何故かといえば海洋系学生就職先の8割は教官教授、現役船乗りである親のコネからだw

ぶっちゃけ俺は1社目で決まりましたwww

  

採用

少しだけ経済の話をするのならば日本経済は海運に依存しており、最も速く経済の動向の煽りを良い意味でも悪い意味でも受けるのが海運業界だ。

出入口が港なんだから当然である

ただ好景気から採用枠が増えるかと言ったらそうでもなく、どちらかと言えば人材の過不足によって増減すると言って良い。

現在ベビーブーム世代引退最中にあるため人材不足を起こしており採用枠は多めだと言って良い。

  

その2へ続く

http://anond.hatelabo.jp/20130925032813

2013-08-09

わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。

中学入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネット世界にのめり込んでいった。

中でも楽しかったのはチャット

友達放課後マックに行ったり、クラス男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、

ちょっと不良ちっくな男の子達のリアル体験談にわくわくした。

わたしは地味で目立たないタイプ中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。

というか、クラス友達がいるっていうだけで、クラスメイト普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。

そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。

あの人に出会ったのも同じチャットルームだった。

あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、

そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。

毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然あいさつとかするようになった。

あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、

(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)

あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。

あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。

つの間にかそれを心待ちにしている自分がいて、

つの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。

あなたはどんな人なんだろう、

どんな生活をしてるんだろう

どうやら新潟県在住の歳はひとつ上。

人望厚く、生徒会長をやってるらしい。

(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)

部活野球部ポジションは不明。

すきなマンガはるろけん。

てゆーかけっこうオタク

(じゃぁ私もアニメ詳しくなろうかな!?

シニカル時事問題論破!そこがまたかっこいいよー!!

って思っていた。

ある日あの人が自分小学生の頃の恋愛について話し始めた。

それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、

というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、

(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)

その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。

でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。

私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。

だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。

そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、

使い方が謎すぎて放置していたメーラー説明書100万回読んでメールのやり方を会得し、

メールの画面が夢にまで出てきた)

やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。

あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、

あの人から毎日メールが届くのが嬉しくて仕方なかった。

何回も何回も推敲推敲をかさねて返事を書いた。

他愛のないお話ばかりをしたと思う。

学校友達部活先生

そして、友達たくさんいて楽しい生活送ってんだー!

みたいな見栄もはったきがする。

本当はクラス友達なんていないし、

楽しいことなんかなにひとつない毎日だったけど。

でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、

チャットだけではわからなかったあの人の本当の姿が、

少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。

夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。

あの人がどんどん近くなって来るような気がした。

ずっと昔から友達みたいに。

ある日わたしは決心した。

どうしてもあの人が同じ世界にいることを確かめたくなった。

あの人が生活する街を見てみたくなった。

本当は会いたかったけど、言えなかった。

から誰にも秘密で行ってみた。

電車で六時間雪国

そこは穏やかに時間が流れる真っ白い世界だった。

あの人が歩いているだろう道を歩いて、

あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。

源氏物語みたいなやつ。

今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。

ストーカー・・・??

ではないと思いたい。

帰ってからもそんなことは書かずにずっとメールを続けた。

そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。

それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。

文字以外のあの人のことを何も知らない、

会ったことも見たこともない。

でも気持ちだけは本当だった。

そしてあの人にはあっさりふられた。

理由は好きな人いるか・・・だったと思う。

まり覚えていない(笑)

都合のいい脳みそだな(笑)

そして私たちの1年間のメル友生活は終わった。

それから一年間はあの人のことが頭をよぎって仕方なかった。

あの人からメールが恋しかった。

そのあいだにわたしは高校に上がった。

高校生活は最悪だった。

高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。

唯一仲がよかった友達からも口を聞いてもらえなくなった。

成績もガタ落ちで留年寸前だった。

先生からは通信の高校定時制に編入することを勧められた。

私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。

心を閉ざして暗い顔をしている私に家族も冷たかった。

両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて

わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。

私は中学の頃以上に孤独だった。

誰かに理解されたかったんだろうけど、

それをうまく言葉にすることもできなかった。

勇気をふりしぼってあの人にメールを送ってみた。

あの夏の夜、あの人からメールの返信が来た。

絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。

どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、

私たち携帯の番号を交換して電話で話すことになった。

たぶん私が言いだしたようなきがする。

心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。

その時、わたしははじめてあなたの当の名前を知った。

それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンHNでやりとりしてたの笑

なんか本当に不思議な感じだった。

はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。

私たちは何時間も何時間も話した。

なにをあんなに話したんだろう?

たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。

気づくと朝日が昇って、朝になってた。

そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。

「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」

・・・わかんないよ笑」

・・・すき。」

どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。

たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑

でもわたしたちはこの電話きっかけに付き合いはじめることになった。

その日から私たちは何回も好きだよって言い合って、

毎日明け方まで電話お話しをした。

携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)

会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、

どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。

あの人は早朝の高速バスで遠い学校に通っていた。

その登校時間ギリギリまで話してることもあった気がする。

あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデル女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)

そうしているうちにあの人からあることを告白された。

それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。

それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。

当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。

今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。

自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。

でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。

本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。

それを説明することともできなくて、

たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。

実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。

なんでそんなこと言ったんだろうね、10年前のわたし。(笑)

変だよね。(笑)支離滅裂だ。

壊れる前にぶち壊しにして安心たかったのかなとも思う。

大切なものからこそ。

よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。

あの人と別れてすぐに私は高校中退した。

やめる前後はピークに荒んでいたけど、

いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、

それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。

わたしは友達がほしかった。

から信頼できる仲間が欲しかった。

身も心も生まれ変わって新しい自分になりたかった。

それから3カ月。

今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに

冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。

私の誕生日に短いメールを送ってくれた。

そのメールきっかけにあの人とまた連絡を取るようになった。

ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。

厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。

家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。

付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。

でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。

相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。

というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw

わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。

でも自分からはとても言い出せなかった。

あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。

春、私は高校入学して天理の寮に入った。

ぞの生活の厳しさたるや、それはもう想像を絶するものだった。

朝6時に起きて掃除点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校

はげしいルーティン。

金曜日ジェイソンとかよりずっとずっとこわーい先輩。(笑)

ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、

それでも自分自分で決めたことだから頑張ろうと思った。

もちろん携帯電話は禁止。

どじでまぬけな私は入学早々携帯が見つかり没収(笑)

反省10枚は書いた)

というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、

どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。

この公衆電話がまたすっごいの!

長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!

でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)

ちょー不便!!!(笑)

そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、

あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)

あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。

別に電話しても何を話すわけでもなかったけどさ。笑

それでも。

地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。

そうだ、手紙も何通か交換したんだ。

今でも大事にとってある。

あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。

(確かにあの人は字がへただった(笑)

そういう生活が4年目に突入した頃、

あの人と実際に会おうかって話になった。

あの人は大学生になっていて、

サークル関係京都に来ることになったので、

せっかくだからついでに会おうよってことになった。

その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。

あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、

みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。

わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール

でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。

だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから

と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。

いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、

誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。

から私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。

家族との間に感じている確執にも、

ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、

なんにも向き合えてなかった。

実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。

会うのが怖かった。

実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。

あの時、わたしはもう本当に緊張していた。

心臓爆発だった。

京都駅アトムの下で私たちははじめて会った。

2007年5月12日

出会ってから7年がたってた

わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を

わたしは一生忘れないと思う。

あの人は細くて折れそうな体で

外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。

黒いジャケットに黒いジーンズの全身黒づくめの人だった。

京都駅の長いエレベーターをあがりながら

あの人は私に一言

「でかっ!」

って言ったんだ笑

不思議な感じだった。

はじめて見たあの人は知らない人だったけど、

声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。

人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、

それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。

よく晴れた気持ちのいい日で、清水寺散歩に行った。

綺麗な新緑のさわやかな感じも、

景色の良いお店で食べたカレーの味も、

あの人の横顔も

今もあの日のように思い出せるよ。

よく歩いて、よくしゃべった。

あなた大学の話を、

わたしは寮生活の話を。

帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。

手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、

あのときの私にはそれがどうしてなのかわからなかった。

寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。

あの人からメールが来た。

「楽しかった。また会いたい」って。

私もおなじ気持ちだった。

数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。

いま考えれば不思議なことはなんにもない。

必然だったと思う。

私は寮生活仕事学校で本当に時間がなかったけど、

時間を作っては早朝まであの人と長電話した。

あの人は高校生の頃からずっと苦しみ続けてたみたいだった。

自分の些細な一言のせいで大切な人を亡くしてしまって、

もう人と深く関わるのが怖いって。

ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。

自分は生きてる意味なんかないのかもとも。

私になにかできることはないのか?って思った。

少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。

あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、

本当はものすごく苦しんでるように見えたから。

怖くないって言いたかった。

そうしながら少しづつわたしもあの人に自分のことを話した。

あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉不思議とすらすら出てきた。

いじめられてたこと、家族について、自分性格について。

そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。

混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。

私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。

それは数年前の私たちにはできなかったことだ。

今までどうしても踏み込むことができなかった、

でもとても知りたかった、

知って欲しかったことだった。

話しても話しても話したりなかった。

やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。

ずっとそうしたかったんだと思う。

たぶん14歳ときから

一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。

あの人が私に言葉をくれたんだ。

はじめてあの人に会いに新潟に行った夏休み

本当はわたしは不安だった。

戸惑ってたんだ。

あの人と話すのは楽しいっていう言葉意味を超えて楽しい

でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。

それが無意味不安だってすぐに分かった。

あの人がはじめて私に作ってくれた料理ペペロンチーノ

そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。

帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。

あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、

離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。

あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。

わたしも同じだった。

出会ったことが奇跡なんだって思った。

メール電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、

あの人は神様かそうでなければスーパーマンみたいな人だった。

いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、

私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。

自分のことがよくわからなくなってすぐに投げ出す私の、

私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。

ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。

お父さんみたいだった。

肉親以上の愛情を注いでくれた。

あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。

思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。

わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。

わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。

なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。

それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。

幸せエピソードを並べはじめたらきりがない。

真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、

会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸栃木クリスマスに買いすぎたモスチキン

大学ピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、

別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。

ねえ、わたしはおかしいのかな?

思い出を美化しているだけなのかな?

もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。

たまに幸せ妄想をするんだよ

あの人に出会うために何回も何回もの生を生きて

やっとこの世界めぐり会えたのかもしれないなって

からはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ

あの人がいればなんだってできるような気がした

あの人に話してないことがひとつだけある。

わたしはそれでも迷っていたんだ

私は若くて無知だった

本物がどれなのか判別がつかない程に。

奇跡だと思ってた

完璧だと思ってた

からこそ関係が変化するのが怖くて仕方なかった

わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた

いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った

しろそうなるべきとも思った

そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから

早くあの人を大切にできる自分になりたい

つの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、

あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、

あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった

わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした

わたしは確信がほしくてほしくてたまらなかった

あの人を失ったわたしは

かたずっぽになって

うまく立つことができなくなった

うまく声も出せなった

うまく笑えなくなった

うまく人と話せなくなった

世界は違うものに見えた

怖くてわたしを押しつぶしてくるの

何時の間にかわたしはあなた

荷物を預けて楽してたみたいだ

全部がのしかかってきて

息ができなくなった

笑顔は今でも引きつってる気がしてる

それでも

時間と一緒に少しづ

あの人がいない新しい灰色世界

わたしは受け入れていった

考えることをはじめた

どうしてこうなってしまったのか、

ここはどこなのか、

これからどう生きていくべきなのか 、

あの人のことを何度も思った

ずっと考えていて

分かったことはふたつだった。

ひとつめは、

自分感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと

どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ

ふたつめは、

本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなた出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。

出会えたことがすべてってこと。

ここは確かにあの人がいない Permalink | 記事への反応(2) | 23:51

2013-02-21

30代前半。金をいくら持っていればいいかわからん

金の遣い方が下手くそ

親が、金のことで良く言い争いをしていたので、金を遣うことは悪いことってイメージが付いている。

子どもの頃は、蛍光灯は2つある内の1つは消していた。少しでも金遣いたくないって思って。

高校も寮生活だったから、金を遣うこともなく毎日友達と喋って外でサッカーとかして金を遣わず遊べたし、

大学地方駅弁だったから、金をばかみたいに遣う機会もない。というかそういう感じのところの集まりには

参加しなかった。

今の職場地方。今遠距離恋愛中で、そろそろ結婚したいのだが、ここに来てどれだけ金を持っていたら

いいのか何にどれだけ遣えばいいんかわからんくなって来た。

今800万くらいあるけど、これが多いのか少ないのかもわからない。貧乏中小企業から給料は少ない。

車とかも当然買わずに全部自転車なので、百万以上の買い物をしたことがない。

今の金を遣わない生活が、大学から全然変わってなくて、なんか自分子どもだなぁって思う。

金の遣い方がうまい(羽振りがよさそう)な人を見ると羨ましい。

たまに晩御飯くらい豪華にって思うけど、腹が膨れたらいいか牛丼

たまには贅沢したらいいんだけど仕方を覚えていないから何もできないんです。

2013-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20130110172441

寮生活とかに近いかもね。

増田の人は、ホームレス支援施設の一人あたりの額から出してるから試算方向が違うけど、生活保護世帯200万人に予算3兆5千億円だから現在1人175万円。これの衣食住を集約して生活させるわけだから、半分から3分の2くらいに収まるんじゃないのという計算

一般的に言って、一人暮らしよりは寮生活のほうが生活費がかからないのは事実なわけで、それを大規模に集約すればより効果が出る。

2012-07-20

これからどう生きていけばいいんだろう……

現在大学生。あと数年で学生生活が終わり、社会人になる。

就職現実のものとして迫ってくると、いよいよ自分の将来を考えざるを得なくなってきて、日々ぐるぐる悩んで止まらない。

私はずっと家族に悩まされてきた。

小さい頃、母は病弱でずっと入院していたので、父は忙しいらしくずっと父方の実家に預けられていた。

毎日母のところに電話をして「次はいつ会えるかな」とか言ってたけど、結局、母は亡くなった。

私は父と一緒に暮らすもんだと思っていたが、なぜだかそのまま父方の実家で暮らすことになった。

家の中では、ずっと怒られっぱなしだった。けっこう注意散漫で飽きっぽい子どもだったので粗相をたくさんしたからだと思う。

また、自分のお願いが聞いてもらえない(抱っこして欲しいとか)ことが多かったと思う。

子どもなりに、親じゃない人にお世話になってるんだから迷惑かけちゃいけないと考えて、自分のことをしゃべるのを諦めた。

学校に通っているときは、いじめに近いいじりを受けていた。自分の呼ばれたくないあだ名でよばれるとか、容姿をそれとなくからかわれるとか。バイキン扱いされるとか。

当然イヤだと思うので家族相談したのだが、返ってきた答えは「気にするな。放っておけ。」

その時は「辛いね。嫌な思いをしたんだね」など、気持ちを受け止めて欲しかったのだけれど。今になったらそんなこと言えるけど、当時は言えなかった。

そうしてもらったアドバイスも守れなくて、かまってもらえないことが怖かった私はいじられキャラになっていた。

からかわれても相手の希望にのる。心はなんともできない気持ちがたまる。たまに爆発して、怒ったり泣いたりしてもからかわれる。

年齢的にも厨二病になっていったのだ。斜に構えた生き方をするようになっていった。

そして、ついに不登校になる。家にこもりっきり。

家族はどうしてと私を責めたり、こうすれば学校にいけるようになるといろいろ物を買ってきたりしたけど、結局学校に行かなかった。

そこでお父様の登場だ。私が叱られたら弱いということに気づいた家族は度々父を呼んでは、私と約束を結ばせて、破ったらペナルティを繰り返した。

約束学校にいく、毎朝起きる、顔を洗うとか。

ペナルティの内容は、ケータイ没収とかパソコン使用禁止とか、所有している娯楽品の没収挙句の果てには髪を切らせるなどのことをした。

私は、守れないことを分かって約束していた。約束するかどうかの自由はあると言いながらしなかったら見捨てられるし、これ以上暴力を振るわれたりしたらかなわないから。

ペナルティは怖くても約束は破った。守っても、いいことなんて何一つなかったから。

逃げたら良かったのに、なんて言うけど逃げられないくらい地理的に不利な場所だった。助けを求めても、誰も助けてくれないと思っていたし。

結局高校を出るまで不登校な感じだった。まあ、紆余曲折を経て現在大学へと入る。

はじめは寮生活だった。最初はとても良い感じだった。リア充みたいな生活をしていたと思う。

そこで、お金の使い方を間違えてしまい、お父様再臨。与えられた罰はケータイ没収、毎月の出納簿提出、家族とは連絡を取らない、父親と毎月「面接」。

気が狂いそうになった。ケータイがなくなったら、コミュニケーションが取れなくなる。みんなと同じじゃなくなって、笑われる。からかわれる。

お金の使い方も把握されるなんて無理。信頼できない父親と顔を合わされ、聞きたくないことを延々と聞かされる。

毎晩涙が止まらず、夜な夜な家族意味不明電話を繰り返し、周囲の人間にはどれだけ辛いかをアピールしていた。

自室からなるべく出ないようにしていたら、その年はほとんど単位を落とした。

なんか寮からも出ることになって、今、一人暮らし中。

一人になって、何も手につかなかったけどどうにか自分の居場所をいくつか見つけて、自分のやりたいようにできるので、なんとか大学も順調に進んでいる。

この様子だと、あと数年で学生生活が終わる。

問題はそこなのだ

家族は多分認知症で、父は帰ってきて面倒を見る気はないらしい。

また、実家は長年続いている家業がある。家業を継いでも人一人養える儲けにはならないそうだ。

私は、父とは関係を断って生きていきたいと考えているが、関係をたちたくない家族がいる。

色々考える。私はどのように生きていきたいのか。

転載されることなんてないとは思いますが、絶対にやめてください。お願いします。

2012-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20120614091209

ひとつ気になることがある。

去年、精神科入院しようとして、母と二人で病院に行きました。

母は泣きながら、辛い目に遭わせてごめんね、一緒に居たいから、入院だけはやめてください。

そう言いました。

俺もその言葉を聞いて泣きました。誰かを悲しませるなら、入院なんかしない方が良い。

薬の量が増え、なんとか生きています

子供は、いつか親元を離れて暮らしていくもんだ。寮生活一人暮らし結婚などによって。

増田ぐらいの年なら、親から離れて暮らしてる人はいっぱいいる。

「一緒に居たいから、寮生活一人暮らし結婚だけはやめてください。」と言う母親に、

「誰かを悲しませるなら、寮生活一人暮らし結婚なんかしない方が良い。」と思ってやめる子供

傍目に見れば、これはけっこう異常な親子だよ。入院だって同じだ。

もし増田のお母さんが、本当に「無償の愛」の持ち主ならば、自分の「一緒に居たい」という個人的感情二の次にして、増田現在と将来のことを考えるはずだ。そして、我が子は入院する必要があると判断したなら、そうさせるはず。

2011-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20110919013032

アドバイスになるかどうかわからんけど

 

自己都合退職場合退職金殆どでないし、失業手当も数ヶ月後から、とかになる。そんなものあてにしてると、非常に痛い目を見る(体験談)。働きながら転職活動して、転職先が見つかって入社日が確定してから会社をやめ、1週間後には新しい会社に移る、ぐらいの計画性がないと駄目だ。寮生活だと働きながら転職活動は厳しそうだけど、もともとボッチなら、この際その方が内緒に事を進めやすいだろ。

 

貯金は100万有ればギリギリかな。ただし本当に最低レベルの狭くて古い賃貸しか借りれないと思ったほうがいい。

・最悪の場合に、親に資金面で助けてもらえるかどうか相談はしといた方がいい。下手に東京に出て失敗して孤立すると、マジでホームレスに成りかねない。

東京では人付き合いにとにかく金がかかる。高い家賃を払いながら、人並みに人付き合いをするのは正直かなり難しい。

・人付き合いが出来ず、お金も無いなら、結局は会社と狭いアパートを往復するだけの生活で、普段の生活は実は田舎と大して変わらない。通勤電車がいくら満員でも、それで友だちが増えるわけでもなければ彼女が出来るわけでもない。今居る環境で友だちが作れないなら、東京に来ても同じかもしれない。

 

・今寮生活なら、家賃負担は軽いほうなのかな? それで貯金して、たまに東京OFF会やなんかに遊びに行く、ぐらいのほうが楽しいかもしれないぞ。家賃負担交通費負担バランスをよく考えてみ。

 

2011-07-08

転職することにした。現在は口頭だけど内々定の状態で、先方の待遇提示待ちの状態。

まだ上司にも報告してないけど、正式な内定を確認したらすぐ退職届を出そうと思ってる。来週ぐらい。

で、順番が狂ってるのは承知の上で(上司の報告の前に)同期兼友人2名に転職の報告をしようと思ってる。明日。もう今日か。

うちの会社地方都市のそこそこデカイ製造業で、新入社員のほぼ全員が入社と同時に寮生活を始める。

ひとつの寮に新人が15人ぐらいで、他に知り合いがいない環境はまさに同じ釜の飯の仲間なんだよね。

その釜の飯の中でも、気が合いよく飲んでた同期兼友人が2人(名前をそれぞれ森さん(仮名)、林さん(仮名)とする)。

仲良かったのは、3人とも仕事上のつながりがなかったからかもしれない。

森さん(仮名)も林さん(仮名)も会社の主流寄りの部署で、傍から見ててそれなりに忙しく充実してそうに見えた。

特に林さん(仮名)は海外出張やらで家を空けがちなくらい。

問題だったのは自分。結果として暇な部署に配属になっちゃったんだよね。

初めから暇だったわけじゃなくて、途中でいろいろあったんだけど。

(社長が変わってうちの部署の旗色が悪くなったりとか、リーマンショックの余波で開発予算削減とか)

で、帰る寮が一緒だから今日も森さん(仮名)も林さん(仮名)も残業だな」というのがわかってしまう。

ほぼ社内失業の身分を経験すると、残業存在するだけでうらやましい。

社内失業で身につくスキルは無いけど、残業(でこなす業務)で身につくスキルあるじゃん、なんて卑屈な気持ちで

毎日定時で帰ってた。「明日できることは今日しない」なんて同じ部署の先輩と話しながら。

それが1年半位続いて上もマズいと思ったのか、うちの部署は解散になり自分は森さん(仮名)の部署に異動になった。

森さん(仮名)も自分も開発の部署なんだけど、森さん(仮名)は食品自分半導体、ぐらいの分野の違い。

自分食品開発に必要なスキルは無いけど、まだ入社数年なので若さで引き取ってもらった感じ。

でも…と、森さん(仮名)の部署に異動になる前後から考えてしまった。

から同期兼友人をゼロからいかけなきゃいけない自分。結果的に(今の会社ではおそらく無駄な)新卒からの数年間。

これの価値を、ひょっとしたらどこか別の会社で評価してくれないかな、とか。

今の会社と全く別の分野でなら、卑屈な思いを忘れて心機一転頑張れるかも、とか。

森さん(仮名)と林さん(仮名)と、卑屈な思いを持ったまま友人としていられるのかな、とか。

転職活動してみたら、半導体時代にやってたことを評価してくれた会社が見つかって、興味ある分野だったし

所在地も昔住んでたとこなので、ご縁だなーと思って行くことに決めた。

求められる仕事をこなせるかな、首にならないかな、と不安だけども。

転職がほぼ決まって、入社当時の心の支えだった森さん(仮名)と林さん(仮名)に明日報告しようと思う。

そこから上司に流れてももういいや。

一応口止めはするし、言わないでくれると思うけど。

でも、今でもちょっと考える。

配属が別の部署だったら、バリバリ仕事できてたら、今の会社に暗い気持ちを持たなかったんだろうか。

森さん(仮名)や林さん(仮名)とも素直に付き合えたのかな、なんて。

今日の晩、多分最後かなと思いながら飲んできます

2010-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20101227001858

何か用事があるからとかで、断ることはできないの? あ、もしかして寮生活とかか?

自分場合、心をいれかえてこれから勉強したいから、という理由で断わったこと、あるよw

2010-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20101129191744

3億円の封筒を親から渡されて、寮生活で何か突発的に困ったことがあったら使えと言われた。


昨日の夜、突発的に金が必要になり、封筒から1億円を抜いた。

翌日、銀行から1億円下ろして、封筒に入れようとしたら、1億円しか入っていない。

2億円入っているはずなのに、1億円しか入っていない。。。1億円足りない。

泥棒が入ったのでなければ、同居人以外に金を盗める人はいない。

金に困っている同居人が盗んだに違いないと思った。


決して裕福じゃない両親が、もしもの時のために渡してくれたお金を盗まれた。

昼に外で会ったときは平然とした顔をしていた同僚に怒りを覚えた。

同時に、大事な金が入った封筒を、机の上においたままにしていた自分を恥じた。


時間後に帰宅する同居人をどう問い詰めるべきだろうか。

そんなことを考えながら、証拠として突きつけるために、家計簿的な日々の収支表を取り出した。

財布の中の金額と照らし合わせると、金額があわない。財布の金が1億円多い。

どうやら1億円抜いたつもりが、2億円抜いていて、そのことを忘れていたようだ。

「1億円急に必要になった」という事実が、間違った記憶を作っていたんだと思う。


お金がなくなっていなかったことに安堵する一方、たかが1億円で人を恨んでしま自分に呆れた。

今まで人を恨んだことなんてないし、恨みたくなんてなかったけど、

俺って、たった1億円で人を恨んでしまうんだな。

俺ほんとにしょぼいな、っていう話でした。

いや、俺ほんとにしょぼいわー。金庫とか買えって話。

3万円の封筒を親から渡されて、寮生活で何か突発的に困ったことがあったら使えと言われた。

昨日の夜、突発的に金が必要になり、封筒から1万円を抜いた。

翌日、銀行から1万円下ろして、封筒に入れようとしたら、1万円しか入っていない。

2万円入っているはずなのに、1万円しか入っていない。。。1万円足りない。

泥棒が入ったのでなければ、同居人以外に金を盗める人はいない。

金に困っている同居人が盗んだに違いないと思った。

決して裕福じゃない両親が、もしもの時のために渡してくれたお金を盗まれた。

昼に外で会ったときは平然とした顔をしていた同僚に怒りを覚えた。

同時に、大事な金が入った封筒を、机の上においたままにしていた自分を恥じた。

時間後に帰宅する同居人をどう問い詰めるべきだろうか。

そんなことを考えながら、証拠として突きつけるために、家計簿的な日々の収支表を取り出した。

財布の中の金額と照らし合わせると、金額があわない。財布の金が1万円多い。

どうやら1万円抜いたつもりが、2万円抜いていて、そのことを忘れていたようだ。

「1万円急に必要になった」という事実が、間違った記憶を作っていたんだと思う。

お金がなくなっていなかったことに安堵する一方、たかが1万円で人を恨んでしま自分に呆れた。

今まで人を恨んだことなんてないし、恨みたくなんてなかったけど、

俺って、たった1万円で人を恨んでしまうんだな。

速く貧乏生活から脱出できるよう努力しよう。そして、貧乏生活中は特に、お金管理をきっちりやろう。

俺ほんとにしょぼいな、っていう話でした。

2010-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20100621202132

両親で自営業やっていてなおかつ"できた"母親(昔の基準で)な場合、子ともにこういうダメ夫ができるよな。

母親がやり過ぎで過保護なんで、子どもが成長しないパターン

しかもサラリー経験自炊自活経験もないから、そもそもなんにも出来ないし。

基本、実家暮しオンリー野郎や自炊経験ゼロ野郎、サラリーマン経験野郎は結婚しても地獄見るだけだからやめた方がいいよね。

ああ、あと体育会系寮生活野郎も。(体育会系寮生活は基本賄い付きだから)

2010-01-28

姉ちゃんとセックスしそうになった時の話。

タイトルの通り、そうなりかけた時のこと。

タラタラ思い出して書いてみる。

僕には1歳上の姉が居て、ちっちゃい頃は何をするのも一緒だった。

(といっても、いつも姉ちゃんとその友達に苛められてただけのような気もするけどw)

まあ、よく喧嘩して殴りあいもしたけど仲のいい姉弟だったと思う。


高校受験で、僕は九州の某進学校合格して寮生活を送ることになった。

その学校鹿児島にあったので、当然僕は一人暮らしをすることになった。

で、勉強を頑張りだしたんだけどやっぱり男子校って女っけが無いんだよね。

で、今までは意識したこと無かったけど姉ちゃんのこと考えるようになった。

でも姉ちゃんだし、そんな女と感じたこともないしね。

血も繋がってるんだもん。ありえねーや。

でもそんな風に考えてたのに何だか分らないけど自慰してしまった。

しかも姉ちゃんのこと考えながら。

うーん、頭がおかしくなったのかなと思って、

その事を友達に話したら、軽蔑されて落ち込んだ。

こんなことしてたら、姉ちゃんと顔合わせられないなとか思ってたけど、

地元で姉ちゃんが彼氏作ってセックスしてたら、、って思ったら何だかいてもたってもいられなくなって

せっせと自家発電にいそしんでた。

で、高校1年の夏、姉ちゃんと会うチャンス到来。

実家飛行機で神速で帰宅。ところが姉ちゃんは語学留学か何か知らんけど

実家に居なかった。この時程、あほ学校ありがちな国際教育を恨んだことないよ。

姉ちゃんはあほじゃないけどね。

で、まあ、年末にやっと姉ちゃんとあった。


一人暮らししたことある人は分るかもしれないけど、

暫く会ってないと家族でも接し方が分らなくなってきちゃうんだよね。

家族って関係も意外と希薄なんだなとか子供心に思ったっけ。

つーか、姉ちゃんめちゃくちゃ可愛くなってた。

留学先でカラー入れてることを弄られたみたいで、

黒髪の大和撫子になってた。

ヤバイ、直視できない。

モジモジしてたら姉ちゃんに頭はたかれて何かキモいって言われた。

で、なんだとーっつったら調子戻ってきたけどドキドキしてる


その夜、

未だにこれは忘れられんことだけど気付いたら深夜洗濯機の前にいた。

そう、あれですよ。スンゲー姉ちゃんの匂いマジやばい

なんかやばい

やばいやばいやばい

で、流石にヤバイだろって思って鹿児島に帰ってから無理矢理に彼女作ることにした。

それで、まあ地元の友達(家から通ってる友達)の幼馴染紹介してもらって取り敢えず付き合った。

うーん、でもなんか違う。

姉ちゃんの匂いがわすれられんうーん。

で、夏休みになった。

再び姉ちゃんと再会。姉ちゃんは短大の推薦決まってたから

受験生独特の芋臭い顔にもなってなかった、、つーか前よりもっと可愛くなってた。

で、我慢できなくなって、夜中姉ちゃんの部屋にいってみた。

別に何にもする気はなかったまじで。ただ小学校のときみたいに姉ちゃんと並んで寝たいなて思っただけだし。

つーか、姉ちゃん寝相悪くてヘソ見えてるし。

布団直してあげて取り敢えず横に並んでみた。

すげー安心できる匂い。

姉ちゃんの寝顔まじかわいいやべえまじやべえ。

で、暫くニヤニヤ眺めてたんだけど、姉ちゃんが起きちゃった。

すげー少女マンガみたいな絵づらになったんだよね。

長い沈黙

僕も正直どうしたらいいか分らないし姉ちゃんがこらーって殴ってくるのを待ってた。

でも何もしてこない。

なんだ?やばい?もしかして強姦魔みたいに思われてる?とか色んなこと考え始めてあせって来た。

そしたら姉ちゃんが「いいよ」ってぽつっといった。

その時の僕は子供過ぎたのか真っ赤になりすぎて固まってしまった。

マジでやっちゃうのか?それはいいのか?

ふでおろしの相手が姉ちゃん?倫理に問題ない?

これはありなのか?まじなのか?

で、すげー沈黙

そしたら、「うそに決まってんだろ!」って蹴り落とされた。

やべー腹いてー。で、その後何もなし。

僕はこれ以降完全に姉ちゃんへの思いを封印した。



でもあれは正直やっちゃいそうなくらい長い沈黙だった。

きっとあの時姉ちゃんも経験なかったんじゃねーか?

あったらもう一押ししてくるだろ普通とか今になると思う。

お互いどうしていいか分らないし動けなかっただよ。


その後、この時の話はお互い一切触れず、

まあ、今は姉ちゃん普通に結婚して子供いて、僕は彼女いるもん(年収400超えたら結婚する予定)。

でもさ、

当時はこの体験ってすげーことで、周りの友達より数倍経験積んだみたいに思ってたけど

大人になって色んな人と会っていると、親兄妹恋人関係なく、下着くんかくんかしてる奴って男女両方いるし、

妹とか姉ちゃんとセックスしたことを自慢してる奴もいるからこんなのうんこみたいな話かもしれないけど、

まあなんだろう。キスぐらいしといても良かったかもって後悔してる。

2009-12-09

天理高校野球部員強制わいせつ事件

逮捕された容疑者は2年生3類(スポーツコース)に在籍。ポジションキャッチャー和歌山県出身寮生活寮生活だけに、生徒を預かっている学校責任は重い。

生徒は今夏の甲子園のベンチ入りメンバーではなく、今秋の近畿地区大会県予選でも登録メンバー外。

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