はてなキーワード: 凡庸とは
日本はご存じの通り一度雇用したら解雇するのは難しいし、給与を下げることも難しい。
中小零細企業では別だが企業規模が大きくなるほどこの傾向は強い。
つまり、いまこのタイミングで大手企業に高めの給与で転職できれば
この先、少しぐらい景気が悪くなっても会社が潰れることも解雇されることもなく、減俸されたとしても僅かな金額だろう。
一方、小さなベンチャー・スタートアップはあまりおすすめできない。
「なんとなく良さそう」という理由だったり、露出が多くて楽しそうな雰囲気だから決めるというのは危険だ。
いまは VC 投資が活発なので社員数名で尖った会社や勢いのあるスタートアップが話題になるが、この先の見通しは暗いと感じる。
VC 間の競争が激しくなり出資に入り込めない、またはシードとは名ばかりの個人への少額融資みたいな案件が多く回収見込みが薄くなっており
ニッチな分野を攻めるように20代前半に限定した VC の出現などプレイヤーが飽和状態になっている。
数年のスパンで考えたとき、この先の景気動向によっては次ラウンドの調達ができずジリ貧になるスタートアップが続出すると思われる。
学費稼ぐためにホストのバイトやってて、そこで風俗嬢のお客さんができた。本人はガールズバー勤務って言ってるけど、容姿の感じや金の使い方からして絶対に風俗だろうなあと思って、ある時たまたまtwitterアカウントをチラ見できて、アカウント名おぼえておいてあとで読んでみたら生中ソープ嬢だったっていう。
その客から枕を強いられている。誤魔化してきたけど限界が近い。相当貢いでくれるお客さんなので精神的なサポートは限界までやってるけど肉体面はむりや……びょうき こわい まだ生きてたい。でも稼げなくなるのもまた困るしで。売れてるホストならいいけど所詮凡庸なホストなのでいかんともしがたい……
東大に入学した春、僕は父親の年収が700万円だと知った。日本学生支援機構の奨学金に申し込むために、世帯主の収入が必要だったからだ。
当時の僕は父親の年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。
https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php
1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市の郊外、人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産の普通車、家は駅から少し離れた3LDKのマンション、外食は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。中高時代はスーパーのフードコートでマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後にラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。
これが普通の金銭感覚だと思っていたし、今だってそう思っている。
父親の年収700万円が基準額より高かったので、結局無利子の奨学金は借りられなかった。なので、学部生時代は親からの仕送りで過ごした。ボロアパート5万5千円の家賃と、それとは別に5万円の生活費を毎月親から貰っていた。
仕送りの額について友人と話していて感じたことだが、どこまでを仕送りの額として申告するかは個人差がある。家賃込みの額を言う人もいれば、携帯代も光熱水費も全部親が払っていて、本当に自分の自由に使える金額を申告する人もいた。僕は、携帯代と交通費と光熱水費は自分持ちの5万円だ。
東大に入ってできた友人は、世間の言うほど金持ちではなかった。毎日のように高級なランチを食べるだとか、服に月に10万円使うとか、そういう人はほとんどいなかった。医者の一人娘の女子が親からクレジットカード丸ごと借りていて、自由に使っていいという話を聞いたが、流石にそれはウワサ話になるぐらいには少数派だった。
三鷹寮に住んでいた友人は、本のためにバイトに明け暮れていた。
あらかじめ言っておくと、ほとんどの東大生の親は、子供の本代を惜しまない(と観測範囲の中では思う)。僕の仕送りは5万円だと言ったが、学期初めの教科書代は別途追加で送られてきた。公立の高校でさえ周囲はそうだったから、そもそも(子供の学歴にかかわらず)本を与えてくれる親は多いのだろう。でもやっぱり、書籍部で1冊数千円する専門書がドカドカ売れていくのを見ると、東大生は本にお金を使うし、親もそれを惜しまない傾向は他の大学に比べて強いのだと思う。そんな環境の中、三鷹寮の友人は本を自分で買っていた。外部の人に説明すると、三鷹寮というのは東大直営の学生寮で、月1万円ちょっとで住むことが出来る格安の家賃が魅力だ。その代わり、三鷹にあるのでキャンパスから遠いのと、入居者には所得制限がかかっている。なので、三鷹寮に住んでいた時点でその友人はさほど裕福な方ではなかったのだろう。僕は不躾にも、彼に「本代を親に頼まないのか」と聞いてしまったことがある。彼は「授業で指定された教科書代は貰っているけど、こういう本は教科書じゃないから」と言った。理系の僕にはよくわからなかったが、彼の買う本は美術論や建築物の写真集だとか、普通の本屋にはあまり置いてなさそうな文化的なものばかりだった。普通のハードカバーの小説みたいなサイズの本が、3500円した。「これは教科書でも、研究用でもなくて、ただ自分の興味のために買ってる」と言う彼の姿は、僕には少しまぶしく見えた。
東京の私立中高一貫男子校出身の友人も、いつもお金に困っていた。サークルの活動には熱心に参加するが、その後の飲み会は断ることが多かった。そのくせ、誰かの家で二次会をやることになると「宅飲みなら安いから」という理由で必ず駆け付けた。大学進学後、彼の家のルールでは小遣いがゼロになり、遊ぶ金が欲しければバイトをしろということになったのだそうだ。実家住まいだとこういう人は何人かいたように思う。僕は仕送りを貰っていたので携帯を格安スマホに切り替え、自炊でケチれば、浮いた金がそのまま自分のものになったが、実家住まいの人間はバイトをする以外の方法でお金を得ることができない。その上、友人は郊外に家があったので、通学に1時間半ほどかかり、夜遅くのバイトができないのだと愚痴っていた。
大人になった今少しわかるのは、東大生の親は確かに金持ちだったが、教育費と都心の住居費に金を注ぎ込んでたのだということだ。だから、食事や服、旅行などのわかりやすい贅沢はしない。その代わり、海外の大学への留学費数百万円をポンと捻出するし、子供が女子だったらセキュリティのしっかりした家賃10万円のマンションを借りる。でも、遊ぶためのお金を直接子供にくれるわけではない。大学が忙しくてさほどバイトができなかったから、僕らは他の大学生に比べても飲み会なんかの遊びにお金を使わなかった。こういうわけで東大生は自分のことを貧乏だと思っているのだと思う。
大学院を修士で卒業した僕は、今は某メーカーに就職して、工場のある田舎で生活している。1年目の盆休み、帰省した僕は数か月遅れながら初任給で親を食事に連れて行った。話題は当然、僕の仕事のことばかりだ。そのうち、給料の話になった。ごくごく一般的な修士卒の初任給の額と、冬のボーナスの金額の目安を告げると、母は「お母さんの給料なんてすぐに抜かされちゃうわね」と答えた。
その瞬間、僕は重大な事実に気づいて膝から崩れ落ちそうになった。
どうしてこんな簡単なことに6年間もの間気づかなかったのだろう!
僕 の 実 家 の 世 帯 年 収 は、1000 万 円 を 超 え て い る !
共働きであったことを知らないわけはない、ないのだが、父親の年収を知った時の僕は母の給料をそれに足すという単純な足し算ができなかったのだ。弁明すると、僕の父親は700万を稼いでいた当時50代前半で、年収がピークにある時期だ。僕の家が世帯年収1000万円を超えていたのはわずかな期間だろう。そして、僕らの親世代にとって年収700万円というのは50歳前後の男性の年収の中央値で、僕の父親は周囲と比べても実際凡庸だったのだ。母は専門職のフルタイム勤務ながら、年収300万円代で、これも稼いでいるとは到底言い難い。僕の父親も母親も、普通の人で、並の年収だったので気づくのがだいぶ遅れたが、共働きのおかげで世帯年収は1000万円を超えていたのだ。
その事実に気付いてからしばらくは、ショックで呆然としていた。僕の家のしゃぶしゃぶといえば豚肉だった。一体いくら稼げば牛肉のしゃぶしゃぶを食べられるようになるのだろう?同じマンションの住人でベンツに乗っている人がいたが、あの家の人はいくら稼いでいるのだろう?あるいは何を犠牲にしているのだろう?ハワイ程度なら僕も海外旅行をしたことがあるが、ヨーロッパに出かけている人たちはどうしているのだろう?僕は1000万円を稼げるようになるだろうか?東大を出たところで、この不景気では実家以上の暮らしができないのではないだろうか?
幸いというべきか、今の僕は30歳手前にして世帯年収1000万円を実現した。といっても、僕が600万、不動産営業の妻が400万円という内訳だけど。引っ越しや結婚式、新婚旅行など、金の吹っ飛ぶイベントが一通り終わって、ようやくゆとりが出てきたとはいえ、こんなもんかという感じは拭えない。そろそろ子供を持ちたいので、妻の収入が無くなるのを覚悟しないといけないし、子育てとマイホームのために貯金を続けているといったところだ。
妻は高いものを購入したい時、必ず僕に確認する。冬物のコートとか、デパートの化粧品とか(妻が怖じ怖じと切り出した割に、化粧品は6000円と意外に安かったのでそれぐらいなら確認せずに今後も買っていいと伝えた)。僕も相談するようにしているが、この間のカメラのレンズはOKが出なかった。これが年収1000万円の暮らしなのか、と考えると今でも不思議な感じがする。まだ子供がいないから多少ゆとりがあるだけの、「普通」の家庭だと思う。
おれの聞いたケースでは、超一流大→超大手コンサル→脱社畜の思いで独立起業→黒字化しない。こんなはずでは・・・→「いかがですか」ブログに手を出す、というパターンがあったな。そして、その会社と横のつながりがある同じような独立起業弱小コンサルが「読まれるブログ」のマニュアルを作っていて、それを仲間内で共有している。「主語を『私』にするな」、「です・ます調で書け」といった文章スタイルの指示から、キーワードの出現頻度や繰り返し方の指示まで、パワポでまとめられたマニュアルがあったりね。「なぜそこでパワポなのか。文字だけなのだからワードでよいのではないか」と思うかもしれないが(おれは思った)、何でも全部パワポで作るのだそうだ。パワポで資料を作ってご満悦な界隈なのだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20190316041332
あと、クラウドソーシングのサイトでは、仕事の案件の概要くらいは登録しなくても閲覧できるようになっているから、どんなものか、見てみるといいと思うよ。「文章を書くことに興味のある方」を募集しているような案件は、常に掲載されているはずだ。おれが見たときは「海外記事のリライト」ってやつも多かった。政治的・時事的なやつじゃない。仮想通貨やファッションアイテムだ。
おれも好奇心でクラウドソーシングのサイトを見て、テストライティングだけやってみたことがある。お題は「ライターの個性」など関係しようのない、百科事典的で凡庸で退屈極まりないもの(例えば「還暦祝いの習慣」)、文字数は2000字だったかな。やってみたけど1000字も埋められなくて、ブラウザ閉じた。お題が「還暦祝いの習慣」なら、例えば「うちの祖父が還暦を迎えたときはこんなお祝いをした」などといったことが書ければよいのだが、「主語を『私』にするな」という鉄則があるところではそれは禁じ手なので、純粋に、文字数をどう埋めていいのかわからん。
それができてるだけでも増田はすごいと思う。文章おもしろかった。だがそういう文章を書くというスキルだけでは仕事なんかないのが現実だよね。匿名ブログは継続的に読ましてもらうよ。
なんか大学ジャーナリストが、就活生の不安をムダに煽っている。どうせ自分の飯のタネを必死にこさえているのだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiwatarireiji/20190227-00116339/
あくまでも一般論であるが、就活に関するコラムで、作家やライターが書いたものを当てにするべきではない。
読むべきものは、日々現場で採用に携わっている人か、少なくとも会社で働いている人が書いているものに限る。
なぜ大学ジャーナリストが、自分に「学生のエントリーシート」を評価できるスキルがあると思いこんでいるのか理解に苦しむ。
「就活生のエントリーシートがしょぼすぎる!」なんて煽ってるのは、自分がYahoo!個人のアクセスに応じて原稿料をもらうためだ。就活生のことを本気で考えているわけではない。
特にこの人は、自分では就活に失敗しているし、会社でロクに働いたこともないし、なにしろ採用に携わったことがない。でも、態度のデカさだけでここまでやってきた。
まあ、自力で生き延びるようとしている人は、他人からとやかく言われる筋合いはない。ただ、弱いものを騙して生き延びようとする存在は、放置すべきではないだろう。
滑稽なのは「問:学生時代に頑張ったことは何ですか?(400字以内)」について、図々しく添削例を披露していることだ。
はっきりいうが、添削したものと元のものとでは、大した違いがない。元のもので通らなければ、添削後のものでも通らない。
就活というのは、そんな片手間の手練手管で突破できるものではないのだ。なめてはいけない。
何が悪いのかというと、ネタの選定だ。ジャーナリストであっても編集者であっても、共通する認識がある。それは「ネタが8割」ということだ。9割、いや、すべてと言ってもいいかもしれない。
だから、添削で真っ先に指摘すべきは「私が大学時代に頑張ったことは委員会活動」では、ネタとしてまったく弱いということだ。
1つ目の対策は「強いネタと差し替える」ことだ。4年間を見渡し、本当に自分が力を入れたことを率直に振り返るしかない。
そのときに「学業とバイト」という凡庸なものしか出てこなくても、落胆する必要はない。それは事実だからだ。事実であれば、いかにも取ってつけたような「委員会活動」よりも、ずっと説得力がある。
できれば「学業」と「バイト」の中に、なにか興味をひいたものがあれば、その部分にズームインすればいい。
2つ目の対策は「弱いネタを組み合わせる」ことだ。弱いネタ1本で押し切ろうとしても、無理が出る。
だって、実際に委員会活動にばっかり力を入れたわけじゃないだろ? そんなもん、4年間の学生生活に使った全エネルギーの中で、3%にも満たないはずだ。
実務に携わらない作家やライターは、就活を突破するための作り話で何とかなる、と勘違いしている。就活は、そんなに肩肘張って臨むものではないのと同時に、そんな風になめて臨むべきでもない。彼らは、そのさじ加減を理解していない。
「学生時代に力を入れたことは、学業が6割、バイトが4割くらいです。学業は専門のマーケティングの勉強が面白くなって、関係する選択科目も受講しました。ゼミは社会心理学の○○○○先生のところに入りました。大学に入って初めて知ったことが多く、まだまだ勉強が足りないと感じているので、これからもいろんな本を読んでいきたいです。バイトは飲食や接客、運送などもやりましたが、自分に一番合っているのは家庭教師かなと思いました。できない子を伸ばすためには、時には辛抱強く待つ必要があると知ったのが一番学んだことです。あと、印象に残っているのは、1年と2年のときに体育会の委員になってテニスの講習会を担当したことです。2年のときには副委員長になったのですが、参加者を増やすために募集期間を延長したり、プロの選手を呼んでメニューの魅力を高めたりして、前の年の1.5倍の参加者を集めたときには達成感がありました。」(393字)
細かいところは勝手に推敲すればいいけど、これが普通の大学生の4年間なのではないのか。別に海外で事件に巻き込まれたりしなくていい。悪いけど、そんな話はいくらでも聞きますから、もう飽きてます。
そんなことが聞きたいのではない。こういった普通の話を聞きながら、この中で引っかかりがあれば、面接担当者が質問するので、そこでリアルな内情を打ち明ければいいのだ。
「へえ、どうやってお願いしたの?」
みたいな話は、後でやればいい。
あ、もう晩酌の時間だ。あとは君らに頼んだぞ。高名な大学ジャーナリストと、普通のサラリーマンのおっさん。どっちの方が信用できると思う?
その程度なんだよ俺は
実力や気力や体力や勤勉さがあるようなそんな素晴らしいひとびとがきっと俺のやりたかったことをぜんぶ代わりにやってくれるだろう。そのなにもないクズで無能で下から数えたほうが早いような凡庸な自分はそんな素晴らしいひとのお邪魔にならないように慎ましやかに生きていくことが必要なんだろう。
いままで、俺にも運が幾度となく回ってきた。そのどれもを俺はつかみそこねてきた。それは俺に実力も気力も体力も勤勉さもなかったからだ。単にあたまがわるいのだ。自分の頭で考えられないし、考えたとしても間違っている。そして考えたことを十分に行動も移せなかった。
かつては、こんなだめな自分だけど、いつかどうにかなる、どうにかできると信じていた。牛歩のような道のりでも進むことはできるのだと、「そうは在れなくともそう在ろうとすることはできる」のだと、前進できるのだと思ってきた。でも俺も今年で29だ。俺は老いた。まだまだいけると言う者もあるだろう。でもこの29年間できなかったことが、どうしてこの先の31年だか51年だかに実践できるだろう。ゲームのパラメータとは違う。これから俺はどんどん老いていく。体力は衰え目や歯が悪くなり記憶力も下がり柔軟性も失せやがて無知蒙昧とした視野の狭い汚らわしい田舎の老人のひとりとなるのだろう。今後の31年だか51年だかをかつてのように信じられない。自分の可能性を信じられない。そんなものはないと思う。でも生きていかなきゃならない。ひとの邪魔にならないように、せめてもの体力を奮い立たせ、体調やメンタルヘルスに気を使い、睡瞑運菜、でもなんで生きているんだろうなあ。意味もない。
今は寝不足でくたくたで酒を飲んでいるからこんなことを書いている。でも信じられないことに、この鬱屈も焦燥感も、少しべそべそしてからぐっすり寝てアルコールが抜けて体調が戻れば喉元過ぎて忘れてしまう。そしてバカバカしいこの日常がまるで幸せかのように勘違いして日々ニコニコ太陽に感謝して生きてしまう。こういうんだから俺はだめなんだ。今が人生のピークであとは下り坂なのに、なぜそのことを普段は忘れてしまえるんだろう。
今は頭がとても冴えているんだ。その頭が告げている。自分の頭で考えて出した結論はひとつ。死んだほうがいい。お前は人生のルートを間違えた。これからは思い出したように過去の後悔ばかりして、生きていくんだ。それはつらいことだから、だから死んでしまったほうがいい。死ね。
本当に圧倒された。
まさに力技で見せつける映画だったなあと。
なのでこれだけだったら、最近の邦画とかにありがちな、低予算コスプレ学芸会になっていた可能性すらある。
でもこの映画はそうならなかった。
むしろ上述のような脚本にツッコんでる批評なんか吹き飛ばすような、観客からの熱狂的支持を勝ち取ったわけで。
そして、その音楽を核にした演出でグイグイ迫ってくる映像美。もちろん極めつけはラスト20分の長尺のアレである。
素晴らしい音楽の前には、どんなことも些細な問題になるのは間違いないと思わせてしまう、打ちのめされるような美声とビート。
だからこの映画を見れば、誰でも必ずQueenの音楽の歴史的価値を再認識することになるだろう。
というか単純に、Queenのサウンドが頭の中でリフレインして止まらなくなること請け合い。
で、そういう内容になったのは、監督や役者が二転三転した上に、撮影が始まっても監督ガーという事件が起きたりで、脚本自体は超無難でオーソドックスにするしかなかったのかなーという気もしている。
それにフレディ・マーキュリーというパーソナリティの関係上、作り方を間違えれば往年のロックファンのみならず、LGBTクラスタからも厳しい批評が待っていただろうし。
まあ、よく作ったなあという感じ。
なろうやラノベが古典に似てるからすごい、価値があると思ってる人がたまにいるけど、それは本来誇るべきことではないんだよ。
新しい表現ができてない、凡庸な表現にすぎないということなんだから。
古典を持ち出して、だったらなろうもラノベもと言う人いるけど、それは根本的におかしい。今はもう2019年なんだよ。古典が評価されたのはそういう時代だったからというだけ。現代で同じことをやっていてもなんの価値もない。19世紀小説から一歩も出てないほとんどの大衆文学は読み捨てのゴミでしかない。
ラノベもなろうも保守的な表現で、だからこそ読む価値がない。内容に現代性があって批評性があればまだ読む価値もあるが、古典を踏襲したありきたりな構造でつまらない旧式の価値観垂れ流してるだけだからなあ。
中庸と呼ばれるポジションを確保するのに、通常は大きな努力が必要だということを我々は大いに知っている。
増田は今それが死後読まれることを想像してワクワクしているんだろう?そのワクワクが生きることだ。人生の興味だ。
俺が小学生のころに遺書を書いたときもそうだったよ。人生に絶望しているのに、不思議な高揚感があった。
死ねなかったけどな。
懸命に凡庸な生を生きてきた自分を、その裏にある凡庸でない考えを。
そしてそれは、生きてるうちでもできると思うよ。
まあどうせあなたは死なないよ。自殺なんかしたら凡庸じゃないもの。それはあなたのポリシーに反する。
駆け出しのデータサイエンティストもどきです。34歳。昨年から外資ITにて”データアナリスト”として解析部署に採用され、働いています。待遇としては年収950万円。額面からみるとかなり恵まれているのは重々承知しているものの、親や家庭の事情があってもっと稼ぎたいと考えています。具体的には40半ばで1500-2000万。ただ、自分のスキルセットから鑑みると現在はもらいすぎ、または頭打ちに近いのではないかと思っており焦りを感じています。なのでアドバイスをいただけないかと思いここに投稿してみることに至りました。
前職では実装まで行う社内コンサル的な業務を6年していました。データをあちこちからもらってエクセル一辺倒(殆どのデータが100万行に収まったため)で加工分析、インサイトを見つけ施策につなげる等。そこでは高度な統計は必要とされず、四則演算にせいぜい大学教養レベルの数学までで事足りていました。
企画としては投資回収FS、KPI再設定や商流・価格体系改善、在庫予測適正化。システム開発、実装に伴う社内外折衝、効果測定。上層へのレポーティングなどなど。内4年間は海外において販社立上げ、地域統括会社での予実管理から現場部隊管理、飛び込み営業まで雑多にやっています。ただ、読んでおわかりいただけるように散漫とした経験です。1社目は重電会社での設計を6年していましたが、企業人としてのいろはを除けばこの経験は現在ほとんど使われておりません。。。
ほぼできません。遅ればせながら最近始めました。SQLを習い、何て便利なツールなのか!!と感動しながら毎日嬉々としてこねくり回しています。幸運にも現在の会社にはDWHがあり、すぐに活かすことができています。あんなに加工に苦労していたデータが一瞬で結合・集計されて出てくる快感。。。業務範囲でも需要予測、異常検知などをMLに置換する動きがあり、幸運にも機械学習スクールに通わせていただくことになりました。実務にもすぐ使えそうなのでとても楽しみにしています。汎用性のある技術を習得することで自身の市場価値が高まるのではないかと期待しています。ただ軌道にのってもプログラミングがそこそこ使えるようになるまでには少なくとも3-4年かかるのかなあと思っています。見積もり甘いでしょうか。そのころには40手前。難しい分野と認識しており、自身の能力的に凡庸なレベルでしか体得できないないし挫折する可能性もあります。
さて、冒頭に書いた収入を目指すための選択肢としては①現在の会社で出世する、②現在のデータアナリストとしての実力を磨き海外に挑戦、③国内他社へ転職、④起業、⑤副収入先を作るでしょうか。
②は給与が高いアメリカを想定しています。しかし、技術力もないし英語もネック。シンガポールでなら何も不便なかったけれども、英語が母国語の国で渡り合っていくには非常に厳しいと感じています。(TOEIC970) 1on1ならアメリカ人相手でも何時間でも会話できますが、相手が2人以上になると格段に難易度が上がる。。。幼子が2人いる上、海外に挑戦するには年齢もそろそろネックだなあと。シンガポールなら給与的にも実現可能性的にも良いのかもしれません。それ以外ではプログラミングスキルと実績を上げて①か③、というのがある意味王道でしょうか。
そもそも、日本におけるデータサイエンティストの給与レンジはこれからの5年10年でどれくらい伸びるでしょうか?アメリカではジュニアレベルで6桁スタートで、チームリーダーなら中央値35万ドルだそうです。夢がある。
https://www.kdnuggets.com/2019/02/data-scientists-expensive-hire.html
一方、次の記事によれば日本では40台で655万程度。信頼性は不明ですが現在の自身の給与から考えるとあまり伸びしろは期待できないように感じてしまいます。
https://heikinnenshu.jp/it/datascientist.html
少しでも増やすために、雇われ以外の副業も考えてはいますがなんとなく踏み出せていない状況です。まとまってない文章ですみません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12436780429.html
これそんなに面白い?
でも文章だけで勝手に盛り上がってるというかなんか全然ついていけない
「私今面白いこと言ってます! どうです!? どうです!? 面白いでしょう!」みたいな
語彙力や表現力が絶賛されているけど、どれも凡庸な表現でしかなく新鮮味がない
全部どこかで見たような表現
ただし動画にしたら面白そうというコメントは自分もその通りだと思った
でもこれは文章
でもみんなこういうのが好きなのか
知的な人は冷たいように思われがちだが、幼馴染に「有給たくさんとるようにしてる」と言ったら、真面目に働きなよとかいう反応で説教されるが、美人で教養のある女性は社会の趨勢を理解しており応援してくれる、そんなイメージがある。知性は実生活での寛容を生む。
ただ、一緒にいて落ち着くのは幼馴染だ。昔話もできるし、自分のことをスーパー大エリートのように思っているので自尊心も保たれる。
ただ、結婚して関係性が変わるとしたら凡庸な幼馴染ではないか。自分の頭で考える訓練を受けていない人は世間に簡単に流され、特に井戸端会議なんか参加したらダメになるんじゃないか。
ところで、相手からしたら笑顔が眩しくて話を聞いてくれて色んなところに連れて行ってくれるけどバカか、常に穿った考えで卑屈でしかし話す時は常に上から目線だけど一応賢いとされている人、どっちを選ぶうんだろう
嘘。送料と梱包材代で一件500円ほど掛かる。
本の原価も一冊500円なので足すと1000円。このクソみたいな同人誌を読んでいただくために一人に1000円ずつお支払いしている。新刊マイナス1000円です! 馬鹿みたい。
イベントには出ていない。どうせ売れない。下手で凡庸で人気がないのは分かってるけど自分のブースでモーゼ起きんの見たくなかった。
だから価格0円送料無料で通販限定頒布することに決めた。売っていいクオリティではないから無料にした。こんなことしてる人間他に見た事がない。他に類を見ないほど私の作文の出来は悪い。下手くそなのが分かっているのに本を作ってしまった。文章を書いて本を作りたいという気持ちに勝てなかった。本と呼ぶのもおこがましいようなインクと紙の廃棄物がダンボールで送られてきた。
粗大ゴミの引き取りにはお金が掛かるし、私の同人誌の頒布にお金が掛かるのも同じ理屈なんだと思う。儲けたいわけじゃなくてそうまでしないと引き取ってすら貰えないのが辛い。そんなゴミを作ってしまったのが辛い。そんなゴミしか作れないのが辛い。そんなゴミを作るのをやめられないのが辛い。そんなゴミを人に見せびらかす自分の性根の醜悪さが辛い。今まで読んできたたくさんの素晴らしい文章から何ひとつ受け取れていなかったことが辛い。鬱状態だった私に生きる気力をくれた原作からこんな糞の搾りカスしか生み出せなかったのが辛い。ごめんなさい。こんなに下手なんだから早く書くのをやめたい。筆を折りたい。好きという気持ちを適切に表現出来ないなら何かを好きになること自体をやめたい。やめます。ごめんなさい。こんな人間でごめんなさい。まともに書けないのはまともに生きていないからです。なんでこんなに頭が悪いんだろう。さっさと死にます。
個人情報を受け取った分はちゃんと発送するけど読まないで欲しい。捨てて欲しい。たった1000円でこんなゴミを送り付けてごめんなさい。
https://courrier.jp/news/archives/150572/
何も言ってなくない?
何か奇抜なこと言ってる?面白いこと言ってる?
自分はそもそも演説で感動させる奴ってキング牧師であろうとヒゲ伍長であろうと全部嫌いなんだけど、
それでもこれはないw
正義は、母たち、父たち、すべての両親が子供たちと一緒にちゃんと時間を過ごせること。
こんな凡庸陳腐な文句を「キング牧師ばり」と言っちゃうのはさすがにキング牧師への冒涜では?
I Have a Dreamを読んでこいよ。
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/
全然違うだろ。
違うのはわかるよな?
わからない奴はもうここで閉じていいぞ。お前はそれでいいや。
演説で政局動かすマンが嫌いな自分でもI Have a Dream自体は認めざるを得ない。
このキング牧師のI Have a Dreamと、この女下院議員の子供の作文みたいなものを、並べますか?
はてなは国語的素養の低いポンチプログラマーしかいないから味噌と糞の区別もつかないのだろうか。
そして本当に不思議なんだけど、
感動的な演説できる政治家が有能な政治家だとか誠実な政治家だなんてどうして考えられるの?頭悪すぎじゃない?
(そして何度でも言うけどこの最年少女性下院議員の演説は感動的ですらないただのガーベッジですよ?)
更に不可解さを増すのが、あんたら自身にその方向の能力が全然ないってこと。
それどころか何がよい演説で何が出来の悪い演説なのかを自己判断する脳みそすらない。
クーリエジャポンが「キング牧師ばり」「最年少」「女性」って言いながら紹介しただけで
こんなどうしょもない、見るべきところが何もない、内容空疎なゴミを評価しちゃうんだもん。
自分達が全然不得意で良し悪しの判別すらつかないジャンルに大事なもの賭けすぎじゃない?
なんでそんなこと出来るのかというと
・そもそもその先がどうなるかよく考えてない
フラットに考えてみなよ。
もしくは、これまでの社会制度の改善には本当に感動が必要だった?
なんで感動の効果を計測もせずに信じてるのかわからない。バカなんじゃないの?
危険な作用についてもあわせて考えたことがないよね?やっぱりバカなんじゃないの?
君達は君達の嫌いな政党に演説上手な若手が出現して急激に台頭したらどんな反応になる?
「衆愚」「危険なポピュリズム」「中身のない巧言令色」って言うんじゃないの?
それと同じことをどうしてやる?
(そしてしつこいようだけど冒頭の女性下院議員は演説すら上手くありません
あれをいい演説とか言うのはひいきの引き倒しで、そういう身内だけで通じるオナニーばっかしてるから勝負に弱くなるんだよ。
キング牧師やヒットラーは元々の支持者じゃない人間の心まで掴んで扇動するパワーがあったから歴史に名を残したんじゃないのか)
2019年に「正義」という言葉を振り回せるのは傲慢かバカかその両方だと判じられて仕方ありません。
「自明の正義」とかバカなこと言い出すのってなんとなく保守のイメージがあったんだけど
最近はなんかリベラルサイドが正義正義って言って、突っ込まれると不満そうな顔してるのをよく見かける。
キング牧師がI Have a Dreamで正義に訴えたのは50年以上前よ。
あの頃はもっと社会は素朴で、アメリカは正義の国だと疑うアメリカ国民はいなかったし、正義という言葉は陳腐化していなかった。
(それ以外にもキング牧師の「正義」の使い方には工夫と言葉への鋭さがあるんだけどそれはここで国語の成績低い奴等に説明してもしょうがないから省略)
十分に分断されきった国でだらだらっと「正義」を言い出して誰の心が動きますか。どうユナイテッド出来ますか。
遠い日本の反応ですら分断的でしょう。
それにしたって、返す返すも、あの女性下院議員の演説はゴミだけどな。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
この1文にすら負けてるでしょう。
彼女の演説全文聞いてもキング牧師のこの1文の100分の1も胸に迫らないでしょう。
内容自体もくだらないからだけど、そもそも国語的な能力が全然違うんだよ。
キング牧師の演説が喚起するようなイマジネーションがどこにある?
キング牧師の演説は雄大なイメージがありありと目に浮かぶだろうが(だからやべーんだけど)。
寝言は寝て言えよ。
なかなかに恵まれた2018年秋アニメの中で自分に一番ヒットしたのがゴブリンスレイヤーだった
かいがいしい女神官ちゃんかわいいだけで視聴継続していたのだか、物語そのものがなかなかに趣深かった
この作品の中で主人公のゴブリンスレイヤーは作品世界の中での最強クラスキャラでもなく、何か特殊能力があるわけでなく、自分の能力を如何に雑魚であるゴブリンを効率よく殲滅するかだけに使うことに特化したキャラとして描写されている。
まあそうなった原因は幼少期の体験にあるという、過去から何十番と煎じられた話である。
(結果「心が壊れた」と作中で描写されている有名キャラはFateの主人公とか)
この作品の中で他と異なる色彩を放つのは、作品世界の中で存在が明示されているスーパーキャラが別にいるということである。世界の脅威はこの勇者によって解決されるのであるが、勇者は自分たちの街を常に守る存在ではない。
その中でゴブリンスレイヤーはこの自分たちの街を守る存在として描写される。
ゴブリンスレイヤーは凡庸な冒険者よりは強い存在であるが、別に特別強いというわけではない。本人もそれを自覚しているし、自分の限界を知っている。
その限界の中で自分の守れる範囲で自己犠牲をして人々の生活を守ろうとする。
ほぼ大抵の人は自分が地上の勇者でなく、なんでもないただの人だと自覚する。
その諦めの感覚は救いでもあるのだが、現状維持の麻薬でもある。
麻薬に溺れず、たとえ勇者でなくても街の戦士として必死になれば何か得られるのではないか。
そう思わせる内容であった。