はてなキーワード: 公教育とは
男女論を2,3年見てたけど、結論としては車輪の再発明で、男は強くあろうとする姿勢でいたほうがマシなんだよな。
たとえどんなにキツくて泣きごと言いたくなって逃げだしたりしたくなるのもわかるけど、それも込みで、それでもシバいて強くあろうとする姿勢のほうがマシ。その副作用でもちろん死人も女性より多く出るがめちゃくちゃキツイ。
それは人権思想と相反するけど、そもそも男には人権がないから仕方がない。ルール無用の残虐ファイト。そりゃあ建前上はペラペラのポリコレで「人権があることになっている」のでしょうけど、事実オッサンに人権はないので、人権が無いなりの生存戦略が必要。そりゃ人権は欲しいですよ正直。欲しいのは山々だけど無いものは無いのだから仕方がない。
「そっちがその気なら、こちらにも考えがある」の姿勢でなきゃ人生を有利にやっていけない。「強か」というのはそういうことでしょう。
「オッサンにも人権を!」という幻想ベースで人生設計するのは悪手でしょう。残念ながら。それをなるべく人生の早い段階で気づいて戦略を立てるべきなのですが、今の義務教育だと正反対のことをやってそうでこわい。その無責任教育によって本音と建前の寒暖差で具合が悪くなる新卒が続出するわけです。
ポリコレ的に「オッサンには人権がない」という本音を公教育では言えないのか。逆効果じゃないのか。
的確な非公式教育を物心ついた以降のなるべく若い段階で受けられるか否かが人生を左右する。
義務教育で教わる建前上の「オッサンにも人権がある」というのを真に受けてはいけない。
「女は男を養わない」という不満は、「問の立て方自体が誤っている」って話だと思うんだよな。そもそも男には人権が無いから。
メンズリブ、男らしさから降りる、"平等"なら3K労働を女もやれ、女は男を養わない、といったモテないタイプの男女平等思想に基づく展開は、どれも意味がないし必ず負ける社会実験・思考実験に過ぎないものなので、そこにコミットするのは人生の浪費だと思う。筋トレでもしてたほうが有意義だと思う。
建前上の男性の人権を守るための(抽象的で広範な意味での)わずかな福祉リソースによって生かされる男性もいるけどレアケースなので、そこに期待しすぎるのも人生設計的に悪手と思う。その立場の人の成功体験は、あまり参考にしないほうが・・。男女差のない医療保険とかは別の話。
「置かれた場所で咲きなさい」なんだけど、その「置かれた場所」を誤認してしまうと取り返しのつかないことになる。
↑はやくこれになりたい
日本の、というか、世界中そうなんだろうが、公教育というのは、精々偏差値50を中心に35-65位の子供(と言ってもこの範囲に結構いるんだが)に最適化されている。もうちょっと言うなら、40-60くらいが楽しいのだろう。
こういう知的好奇心側にめちゃくちゃステ振りされた子供にとっては、公教育は退屈なものでしか無い。
周りの子どもたちも浮いた子供が目に付けば、邪魔しようとするのが楽しくなっていじめにもつながる。
つながるかもしれないしつながらないかもしれないが、そういう議論はしない。普通じゃないこともを普通の環境に入れることでどんなリスクがあるのか、そして最適な解決が何なのか、という話だ。
自分も親が俺のことを特別な学校に行かせるように進められたが断ったという経緯があり、学校が合わなすぎて苦痛でしかなかった。
もし子供のことを考えるのであれば、とことんまでいけちゃうようなところを選んだほうが、その子にとっては幸せかもしれないし、そういうのやめたいと言うなら改めて考えればいい。
いい意味であれ悪い意味であれ、普通じゃない子供にとって普通の子供を対象にした公教育は苦痛でしか無い。
これは全ての親が考えるべきポイントだし、ほぼすべての親は「普通に公教育に行く」以外の選択肢を学んでしないからそれ以外の選択ができないようになっている。
https://note.com/horishinb/n/n99e0a9e9d7a3
もう一つの例を考えてみましょう。現在、外国にルーツを持つ親から生まれた日本国民や、外国籍の日本在住者の人々が増えているのは周知のとおりで、そういう子どもの公教育を充実させることも大きな課題となっています。
これも「多様性の尊重の観点から、教育を充実させねば」という言い方がされることがありますが、果たして適切な言い方といえるでしょうか。
公教育を受けるのは子どもの権利なのですから、このように公教育の対応策が求められるのは、個々の子どもの教育を受ける権利を保障するためであって、別に「多様性」という状態を「尊重」するのが目的ではないでしょう。
私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。
とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生が放火をし、中学生が喫煙し、高校生がバイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。
私の家は紛うことなきホワイトカラー一家だ。元ボンボン・サラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しかし女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。
そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的はあくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年生から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験は小学校四年生から始まった。それもSAPIXや日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。
しかし、それでも学校の教員からの敵意からは逃れられなかった。
彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。
そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。
まずは保護者会で、担任の教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生の言葉は絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。
休み時間に円周率の計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強をしました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからのいじめが始まった。
帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。
「先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。
おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生」なのだ。クラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは「仲間意識の強い」彼らなのだ。
悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。
また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。
私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子の人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休みも図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校の教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれたメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。
一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこからか漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。
担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。
だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。
真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任に嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。
別の小学校に越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまったからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分の学校に問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。
私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分のオーディションに受かったら、自分の母親と隣のクラスの教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。
話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間に勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。
もし父親に先見の明がなかったか、私が過度のストレスで受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。
数年前の東大の入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生の意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれた人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。
エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実な場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。
アジア人だ。
明らかに明確な差別をしていて同じ点数をとってもアジア人だけは追い出しているというのがバレ始めている。
これは「日本の医大が女性を落としてる」のの比ではないレベルでヤバい差をつけてる。
まあ、そこまでは面白くもない事実なのだが、ここからが面白い。
アジア人の名門大入学者があまりにも優秀すぎて、他の入学生と話が通じないということが起きているのだ。
アメリカの名門大学内部で「学力差が人種によってできている」ということだ。
アジア人の入学者だけ妙に優秀で、逆にヒエラルキーと人種間学力格差が発生してしまうのだ
つまり、トップエリートをアジア人の集団が〆てしまうということだ。
逆アファーマティブ・アクションの結果だが、いいかげんに、人種間で得点をいじるのをやめて、公教育の機会均等をやったほうがいいと思う。
なぜなら「教育だけは平等」ということにしておかないと社会が格差によってぶっ壊れるからだ。
欧米の多様化というが、あれは格差の固定化によって多様化してるように見えるだけで、どん底に落ちたらとことんまで落ちる。
上流階級の人間が「自分たちはチャレンジできた。あなたもできる」とか言うのは嘘だ。
普通の人間は資金を集めるだけでも難しい、コネもない。失敗したら借金を背負い、それで一生のチャレンジは終わる。
だから上流階級は何回も失敗しても大丈夫だが、普通の人間はチャレンジすることが無理なのである。
そういう連中が、「チャレンジできるように」とか言ってるのを見ると本当にすげえなあと思う。
自分の与えられた状況がみんなにあると思ってる。
[追記]
思ったより伸びて驚いた。子なしに関する増田でタイトルみたいなブコメされているのを見て、昔のことを思い出して怒りが再燃して書いてしまった。バカバカ書いてしまって申し訳ない。
私にこう言ってきたのは東大より偏差値高い学校出た賢い帰国子女の人だったので、そういう意味では私より頭いいと思います。日本の制度を知らなかった可能性は0.1%くらいあるかもしれない。
なんていうか、めちゃくちゃ勉強できるのにこれかー!と思ってよけいに腹立った記憶があります。私に子どもはいないけど相手の子の出産祝いとかはしてきたし、子ども可愛がってきたのに、こんなこと言われるんだって思ってしまって。
勉強できるのに地頭悪い→バカとか言って溜飲を下げたかったのかも。失礼な物言いだったなと一晩たって少し反省しています。ブコメでも言われていたけど、次(そんなんあったら嫌だけど)はちゃんと当人にその場で言ってしまうようにします。増田でバカ呼ばわりするよりはずっと健全だね。
じゃあ今あなたの子に使われている私の税金返してくれるってことですか。妊婦検診や◯歳児検診みたいなやつ、子ども手当て、あなたや子供は何も納めてないのに3割負担になる医療費、子が将来受ける公教育にかかる費用、あなたが何も払ってないのに将来もらえる3号年金、全部返してください。それがフリーライドじゃなくて私の未来の福祉だけがフリーライドと言われるのはなぜ?国が保障する福祉って、本来お互い様なものではないですか。そんなん言うなら近世以前に戻ってすべて自分で賄ったらいい。あなたが言ってるのはそういうこと。
そう思ったけど結局口には出せなかった。そんなこと言い出してしまう人が、そもそも反論されたところで理解できると思えなかったから。
バカはなんでも思いつくままバカなこと言えるのに、少し頭が回る側が目の前のバカに恐れをなして結局口つぐむこの状況って何なんですか。明らかに世の中バカのほうが生きやすいじゃん。バカにわからせる労力がとてつもなくて疲れる。みんなもっとカジュアルにバカにバカって言おうよ。そしたら世の中のバカに物事分からせるコストもっと下がると思う。
俺アンチポリコレ派オタクだけどさ、ポリコレ派ってほんとバカだよね。
俺の周囲のアンチポリコレなオタクも、別に女は差別しろとかトランスはけしからんとか黒人は画面に映るなとか思ってないんだよな。
だから、「ハリウッドで完全オリジナル新作やります! 主役は女4人!」とか、「今度の映画ではトランスの人を主役に抜擢しました!」とか、「アフリカを舞台にした歴史ファンタジー大作です!」とかなら、別に燃えないわけよ。だってそれに反対する理由なんてよほどの差別主義者じゃない限りはないもの。『ブラックパンサー』に文句言ってる日本のオタクほとんどいなかったでしょ?
なのに、「過去の名作をリブートします! 主人公は男4人組から女4人組に変えました!」とか、「シスがトランス役やってるのはけしからんので圧力かけて引き摺り下ろしました!」とか、「ヨーロッパっぽいファンタジー世界だけど特に脈絡なく黒人出します!」とかやってるから、はぁ?????? って言われるわけで。
お前そんなん、差別主義者だけじゃなく作品ファンからも異議が出て当然だろ……
なのに、彼らは「異議を唱えている人=差別主義者」だという等式のまま、異議を唱えてる人全員に殴りかかってくるのね。そんなことしてたら敵が増えるだけだってなんでわかんないのかな。バカなのかな。バカなんだろうな。
おまけにさ、あいつら多様性とか言ってるけどさ、想定してるのはアメリカ的な人種構成に基づく多様性で、思い描いてるのもアメリカ的に人種の特徴がはっきり描き分けられる多様性演出なんだよな。「多様性」観が一様すぎる。
アメリカでは人口の1割以上が黒人だけど、日本では外国籍って人口の3%未満で、しかもその「外国籍」で一番多いのは中国人、次が韓国人。こいつら見た目で日本人と区別つかん。3位以下もベトナム人とフィリピン人とブラジル人、つまりアジア人とアジア人と日系人だよな。日本は見た目クリソツなアジア人だらけの国で白人・黒人は超マイノリティ、ってのを根本的に理解してないんじゃね。
もうさ、この人種構成を見ただけでさ、アメリカのような「パッと見でわかる人種的多様性」なんて日本にないってわかるべきじゃん。日本人・中国人・韓国人が大多数(この3民族を合わせたらほぼ99%に近いのでは)を占めている国で、10人中1人が黒人の国みたいな見た目でわかる多様さなんてありえないって理解してしかるべきじゃん。
なのにさ、日本に来て平然と「東京の街を歩いてみたが多様性に欠けるように見える」とかいうリポートしちゃうジャーナリストがいるわけよ。お前、頭湧いてんのか? ちゃんと耳を澄ませて東京の街を歩けば日常的に中国人や韓国人とすれ違ってるのがわかるわけだけど、お前にはその区別がつかんのか? そもそも駅で日本語と中国語と韓国語の放送してるの聞こえてるのか? っていう。まあどうせあいつらは日中韓が入り混じって歩いてることに気づきすらしてないんだろうけどな。
で、そういう社会で生み出された少女漫画風の表現が「白人に見える」とかケチつけてるわけよ。「白人だらけに見える! もっとrepresentationを!」とか真顔で呼びかけてた声優もいたけど、えーと、日本のアニメにはアジア人ばっかり出てくるんだが……日本における中東系の人口比なんて微々たるものなわけだが……っていうかあんたら中東系も石油王のファッションしてない限り我々の目にはヨーロッパ人と変わらん見た目なのだが……イスラエル系アメリカ人がアジア生まれアジア育ちのアジア人に向けて「アニメは白人だらけ」ってケチつけてるの悪い冗談としか思えないけどでも悲しいことに事実なのよね。
(このアホ発言したRyan Colt Levyって声優の顔写真見てみ。普通の日本人に見せたら「白人」って言うと思う。ちなみにそのケチつけてた声優が声をあててたのは『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』と『魔入りました!入間くん』なんだけど、まさかこいつイタリアを舞台にしたアニメを見てアニメは白人だらけって騒いでたのか? アホすぎない?)
世界はどこもアメリカみたいなものだと勘違いしてアメリカみたいな描写をしろと言ってくる連中が本質的に多様性を理解してるわけねーじゃん、っていう。
日本のオタクってこういう、日本の文脈をまったく考慮せずにアメリカ基準で多様性を押し付けてくる「リベラル派」とか、そいつらにかぶれた意識高い系洋画洋ドラファンの連中にトランプ以前からウンザリしてるわけ。
で、最近だと「文化の盗用」とかいうクソ理論で、和服を着たり日本語のタトゥー入れたりしたセレブが燃やされてるでしょ。彼ら彼女らが日本のものを身にまとうことを非難されることで日本の日本人がどれだけ屈辱を感じているかなんて、魂がホワイトウォッシュされた連中にはどうせわからないんだろうけどね。バナナのこと意識高い系アジア系アメリカ人って言うのやめてやれよ。
そして『ラブライブ!サンシャイン』のポスター騒動、火をつけたアカウントが「多様性を認め☀️寄り添い🌏支え合う🌟」とか名乗ってたわけで、まあ多様性とかわざわざ声高に言う連中の言う「多様性」観がどれだけ画一的で多様性を欠くものであるかっていうのが再確認されたと思っていいんじゃないですかね。
こういうことの積み重なりによって、ポリティカル・コレクトネスがどうとか多様性がどうとかいう意識高い系フレーズが順当に「過激派のイチャモン」と見做されるようになり、その支持者も「ヤバいやつらだ」と思われ警戒されるようになっていったわけです。よかったですね、あなたたちの行動は我々の意識を順調にアップデートしていますよ! 主にウイルス対策機能の面で!
で、本題に戻るとさ、ポリティカル・コレクトネスだの多様性だのって、リベラリズムの本質になんも変わりないよね。
再分配の強化、公教育の充実、社会的自由の拡大、表現の自由の擁護、同性婚や選択的夫婦別姓の実現、これら現代的自由主義の主要なアジェンダはポリコレやら多様性やらがなくたって十分に唱えられるお題目だと思わない?
俺もリベラル派オタクだぜ。一緒にリベラル派オタクをやっていこうよ。刑法175条の廃止とか、リベラル派とオタクが矛盾せず成り立つ論点はいっぱいあるはずだと思うけどね。
当たり前だけど、自由を重視する俺も、構造的弱者が存在するってことは公正な自由競争を行う条件が整ってないってことなんだから弱者救済には賛成だよ。でもそれは自由で公正な社会のための地ならしであって、弱者の救済そのものが目的じゃない。あくまでそれは手段で、最終的な目標は自由な社会の実現(この手段としての弱者救済を否定するリバタリアニズムには明確に反対)。だから弱者側の要求が自由や公正を脅かすのならそれに反対する。
リバタリアニズムは弱者救済を否定していない。公権力による強権的な弱者救済を否定している。
自分の意志で自分の財産を元に弱者を救済することは何も否定していないし、その行為を称賛する人や何なら賛同して寄付する人もいるだろう。
公権力による弱者救済を否定する根拠は、もちろん自己所有権の侵害(自分の意志に反して自分の財産を接収され、自分の意志に反する用途に使用される)だけど、
もう一つ、公権力による弱者救済のための規制や介入は、市場原理に任せるよりも不効率であるということも大きな理由だし、(何をもって「公正」とするかにもよるけど)リバタリアンにとっては不公正でもある。
また、"実際に"弱者の生活を良くするのは、資産を取り上げてばらまくことではなく、技術の革新である。
例えば、事故で障害をおった人々の生活を"実際に"良くするのは、車椅子や義手の機能改善やロボット技術の発展だろう。
公権力による強制的な財産移転は、資産の集積を元にした技術革新とそれによる生活の向上を阻害し、結局は弱者の生活を良くすることにはつながらない。
現代の富裕層と貧困層の格差は原始時代の格差よりも格段に大きいが、現代の貧困層は原始時代の貴族よりも良好な生活環境に有る。
弱者救済について問題とすべきは相対的な格差の解消(=富裕層から貧困層への資産移転)ではなく絶対的なレベルの改善(=技術革新、安価大量生産)ではないだろうか。
上記は無政府資本主義のようなかなりハードなリバタリアニズムの意見で書いたけど、
よりマイルドな古典的自由主義や最小国家主義では、例えば教育補助のための資産移転なども議論されている。
それにしても、公教育やら福祉やら税金やらについては何も言及していないのに何で新自由主義やリバタリアニズムを感じ取れるんだろう。俺は教育の機会均等も福祉の充実も累進課税も支持してるんだけど。
ひょっとして改憲とかカジノとかのあたりかな? でも自衛隊を憲法に明記して文面と実態を合わせようというのは別に自由主義に反する考え方だとは思えないし、友達どうしでカネを賭けて麻雀をするという誰にも迷惑をかけていないお遊びが違法とされる現状はリベラル派としては許しがたいけどね(ジャーナリズムの倫理とか公務員の守秘義務とかは別の問題)。
単純賭博罪と常習賭博罪を廃止し、賭博開帳図利罪を改正して無許可の賭博場のみを取り締まるようにした上で、特区では許可されるレートを引き上げるという形にすればスッキリと筋の通った立法になるはずなのに、なぜか人権侵害の悪法である単純賭博罪を温存した上でカジノ特区を作った安倍政権のやり口はクソ。
当然、本来廃止されるべき悪法である単純賭博罪を持ち出して政争の具にしている野党のやり口もクソ。友人どうしでの賭け麻雀が犯罪になるような法律は間違っているので変えるべきなのに、それが犯罪であるという前提の下で賭博行為そのものを叩くのは許しがたい(悪法もまた法なりという話ならまだ理解できるんだけど、マジで賭博を悪事だと思ってるよねあの人ら)。
派閥に従うから疲れるんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。自分の思想に、信念に従えよ。
懊悩を掘り下げろよ。性差別主義者や性犯罪者は差別主義者や犯罪者であるがゆえに叩かれるべきだけど、男全体みたいに性別でくくって罪悪感を抱かせるのは違うし、小児性愛者みたいな生まれついてのセクシュアリティに基づいて叩くのは差別だろ。リベラリズムの理念に反するだろ。行動に対する非難はしてもよいが生得的な属性に対する非難は単なる差別だというリベラリズムの根本的な理念を思い出せよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
私は考えない様にする、ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
・・・・そういう事は考えない様にする。
考えろよ。そもそも表現の自由はリベラリズムの根幹だろうが。公共空間では最大限の自由が実現されるべきだという立場を貫いて宇崎ちゃんもあいちトリエンナーレも擁護するのがリベラリズムだろ(批判も表現の自由の一部なので、文句があるなら好きに言えばいいんだけど)。もっと言うと男女の立場は平等であるべきなのだから、もしも女性アイドルの消費が性的消費でケシカランなら男性アイドルの消費もそのように非難されるべきだし、ジャニーズが幅を利かせてるならAKBだって堂々と楽しんでいいんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
そんな彼が、最近、シスヘテロ女性やフェミニストによるトランス女性差別を厳しく批判している。
彼の態度は一貫している。私等及びもつかないほどリベラルな価値観をきちんと内面化している彼が何であろうと差別に厳しい態度を取るのは当然だろう、でも、
ふと、考えてしまう。彼もまた、フェミニズムによる男性批判に納得がいっていなくて、トランス女性差別はそんな彼の鬱憤を晴らすのに格好の機会だったんじゃないか?
もしもトランス女性が女性でありトランス男性が男性であることを受け入れるのなら、リベラリズムの観点からはトランス差別に反対する以外の答えは出てこないだろうが。一部の自称リベラル女が差別主義に走ってトランスを排斥しているとしたら、それはその自称リベラル女が間違ってるんだよ。人を見てものごとの善悪を決めるんじゃなくて原理原則に従ってものごとの善し悪しを量れよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
こんな事はツイッターには書けない。こんな考えを持っている事は周囲の人は知らない。迂闊ないいねは絶対にしない様にしているし、懊悩もおくびにも出さない様にしている。完璧にリベラルだと思われているだろう。
お前が周囲からリベラル派だと思われてるかどうかなんてのは心底どうでもいいんだよ。俺は改憲派で、カジノ設置に反対せず(安倍内閣の作ったカジノ法はクソだけど)、フェミニストでもないけど、俺が思うリベラリズムの原則に従っているから自分のことをリベラリストだと思っているよ。たとえ周囲のリベラル派と意見が違ったとしても、もしも周囲がリベラリズムの原則に背いているなら、それはそいつらが本当のリベラル派じゃないだけであって俺がリベラル派であることは揺るがねーよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。
リベラリズムはまずもって自律の思想だよ。自由を重んじ、自由をどのように実現させるのかを考えるのがリベラリズムだろ。女性差別の撤廃は自由で公正な社会のための前提条件であって最終目標ではなく、もしも女性側の要求が自由や公正を脅かすのなら両性の平等の観点に立った上でそれに抗うのが真のリベラリズムだろ。リベラル派の言ってることを支持するのがリベラリストなんじゃなくてリベラリズムを信奉する個人の集まりがリベラル派なんだよ。
元増田が党派への帰属を優先して自分の主張を押し殺しているから逆だろと指摘したまでだよ。所属する党派に合わせて自分の主張を選ぶんじゃなくて、自分の主張に合う党派に帰属するべきなのに。
リベラリズムの解釈は色々分かれててリベラリズムの中にもいくつも派閥があるけど、ある解釈を支持するからある派閥の一員だというのが本来の姿であって、ある派閥の一員でありたいからある解釈を支持するなんてのは本末転倒でしょ。まず自分の信念があって、派閥への帰属はその帰結に過ぎないわけで。
各論はああそうね感じはあれど、私は「イズム」も「従う」のも苦手…「イズムに従え」って割と怖い言葉だ/元増田は杭打ってない建物って感じだったけど、この増田はhammer and sickle感がつおい…
外部にあるありがたい教典に従えって言ってるんじゃなくて自分の持っている信念に従えって言ってるだけやで。自分が従うべきリベラリズムは自分の外じゃなくて内側にあるんやで。それ以外の何者にも拝跪しないのがリベラリズムやで。
仮に俺がネオリベや古典的自由主義者だったとして、新自由主義も古典的自由主義も自由主義すなわちリベラリズムの一部である以上、リベラルと名乗っても何もおかしくはないのでは。
いやリバタリアニズムとリベラリズムは区別せんとリベラリストは元よりリバタリアンからも相手にしてもらえんぞ。政治学政治思想学的には両者は全く別物で定着してるし俺定義は通用せんて。
それ、誰に向かって言ってる? 俺をリバタリアン呼ばわりしているブコメに向かって言ってるならいいけど、俺に向かって言ってるのなら、俺は一度も自分をリバタリアンと言ってないし(anond:20200625140552でも書いたけど、公教育の充実や累進課税を支持してるのにリバタリアンなわけないじゃん)、リベラルとリバタリアンをごっちゃにもしていないよね。
表現の自由を絶対最高至高とみなすのって馬鹿自慢だよな。物事は複雑にからみあうのが当然なのに「表現のジユウガー」で解決との脊髄反射こそ思考停止。複雑な問題を考える脳がないと自慢する馬鹿は多いな。
私は、この増田が言ってること全然理解できない。Twitterで散見されるような言説の継ぎ合わせに見える。自分の頭で考えるのが大事だというなら、元増田の方がよっぽど自分の頭で考えてる人だと思う。
So what? 自分の信念に従った結果twitterでよく見かける言説とよく似た意見が出力されてくるなら、それは俺と同じ信念の持ち主が大勢いるってだけの話でしょ(派閥って本来そういうプロセスで生まれるもんだよね。自分と同じ意見の持ち主を寄せ集めて○○派って自称したり呼ばれたりするわけで)。
もっと言えば、他人の意見が自分の信念と合致するならどんどん他人の意見を支持すればいい。俺もネットでしょっちゅう他人の意見を読んで「俺はここまで考えてなかったけど、確かに俺の信念からいえばこの主張は正しいな……この主張を支持する!」みたいな感じで他人の意見に影響されまくってるけど、それで何も問題ない。支持するべき他人の意見を取捨選択しているのは俺の信念で、取り入れた他人の意見は俺の血肉になるのだから。
あと、「理解できない」ってどゆこと? 「言わんとすることを理解はできるが、支持も納得もできない」ということ? それとも本当に理解できない?
総論賛成。で、自由・公正の定義は人によって違うから常に自分のスケールを疑うべき。スケールは本人の欲求を正当化(または当然視)した形や、抑圧感情の変形発露の場合が多々あるし、本人が無自覚なケースも多い。
自分の欲求を正当化してくれる主義主張を奉じるのは普通のことだと思う。俺が自由主義を信奉するのも、誰にも迷惑をかけていない俺の行動を制約されるのはめちゃくちゃ腹が立つからであって、自分の感情が主義主張のベースになってるっていう点では女性差別に憤るフェミの人たちと変わらないわけで。
ただ、そこで欲求に忠実になりすぎて主義主張の普遍性を放棄するのはよくない。これは何派であっても同じ。自分の主義主張と欲求がぶつかったときに「原理原則論からいえばこの欲求は間違ってるな」と言えるかどうかが分かれ目。そこで欲求に忠実なあまり普遍性を投げ捨てると、TERFとか、エロの自由は大事だけどあいちトリエンナーレはけしからんから潰せと主張する一部の残念なオタクみたいな醜悪な存在に成り下がるのだと思う。
これは余談だけど、ガチガチの自由主義者って多分chaoticな性格の人が多くて、lawfulな人との相性は絶望的に悪いと思うんだよね(いや、そういうのは俺だけかもしれないけど)。日常生活で俺みたいなchaoticな人間が衝突することが多いのは圧倒的にlawful goodなので(evilな人はそうそういるもんじゃないけど、lawful goodはそこらじゅうにいるから衝突する頻度が高い)。だから元増田が心の底ではリベラリズムを支持しているのにlawfulな界隈に所属していたら神経が削られるだろうなと思う。
人間に向いてないんじゃなくてlawfulな性格の人に向いてないんだと思うよ。chaoticな性格の持ち主にとってはこれほど快適で生きやすい思想はない。
元増田の「リベラルを演じること」に共感できる点が一つも無い。多分lawful goodな環境での順応を目指してるのだろうけど、肌に合わない環境になぜ執着するのか理解不能
chaoticな人間にとってlawfulの集まりってめちゃくちゃストレスフルだから(逆もまた然りだったりするのかな?)、「この派閥自分には向いてないわ」と思ったらさっさと逃げればいいのにね。
同意(笑)カオス属性じゃない、規範大好きな人達がリベラル名乗ってるのがマジで謎なんだよな。トランス女性やエロポスターに不安と不快を感じる人達の受け皿はちゃんとある(保守主義)のでそっちに行って欲しい
ほんとこれ。lawfulな人が無理してリベラル名乗らなくてもいいのにね。保守主義とかフェミニズムとか共産主義とか別のイズムを名乗ればいいのになぜかリベラリズムを名乗りたがる謎。
それはそれとして宇崎ちゃんポスターはR-18ではない一般漫画の表紙を使ったものであり、「エロポスター」という言い方は誤解を招くので反対(「エロビデオ」「エロゲー」「エロ漫画」といったらちょっぴり性的とかじゃなくてモロにR-18っていう意味になるんだから、「エロポスター」と言ったらR-18のポスターという意味になるだろう。しかし実際にはあのポスターはそうではなかったわけで)。
https://anond.hatelabo.jp/20200531081711
思った以上に反応が大きくてびっくりしました。
元増田の投稿をテンプレにしてあまり考えずに「普通」と書いちゃいました。「これぐらい普通でしょ」と煽る意図はありませんでした。すみません。趣味で輸入車買うのが普通でないことは自覚してます。
トラバやブコメ、とても参考になりました。色々な年収xx万円投稿も面白かった。
https://anond.hatelabo.jp/20200601004512
金融資産は億を超えている。銀行株を中心に現物をあつめていて、毎年配当を500~600万円弱受け取っている。サラリーマンとしての年収は1200万円位で、個人請負の仕事で500万円前後という内訳。
このポートフォリオはとてもいいですね。
ぶっちゃけ昇給すればするほど責任が重くなります。期待に応えようとハイプレッシャーの中で頑張ると結果として成果が出てしまい、また昇給してしまう。そしてさらに高まるプレッシャー、というループ。
確かに余裕がある生活かもしれないけど、日常的な生活はセレブというほどのものではなく、仕事の重圧に見合うものなのか頭のどこかでいつも考えてしまう。
前掲の年収2000万円の増田氏のように、収入を分散させてほどほどのプレッシャーの中で働くのが理想かもしれない、と思った次第です。
これも見習うべきポイントです。若い頃はいわゆる自己投資に励んでいてほとんど貯金や投資をしていませんでした。自分は時間を味方にするにはやや遅きに失する年齢ですが、子どもにはしっかりと金融リテラシー教育をしようと思いました。
いろいろな人のコメントにありましたが、子どもはまさに贅沢品ですね。公教育が信頼できて年金制度がしっかりしていれば仕事のペースを落としてもいいかな。
どんな仕事をしているのかというコメントがありましたが、身バレが怖いので伏せさせてください。出身大学は私大上位校です。
まとまりませんが以上です。