はてなキーワード: プレッシャーとは
辞めたい理由は、ライバルがいい業績を上げて自信をなくしたんだそうです。ちなみにフリーランスなので、ボケっとしてたら当然お金もゼロです。
彼は常に自信がなくて、これまでも何度も辞める辞めると言いながら、でも何とか仕事を続けていました。
しかし先月、ライバルが伸びたのをきっかけに、ずっと意欲的に活動できていないようです。
私は学生で、彼にどんな言葉をかけてあげたらいいかわかりません。今までは「辞めたいならいつでも辞めていいからね」と言ってきました。
でも今回は、「あなたの努力不足なんじゃないか」と冷たいことを言ってしまいました。理由は、そんなことで辞めて欲しくないからです。彼には才能があると信じているからです。そして、今まで彼のの仕事を横で見てきて、彼が1番力を発揮できるのは現在の仕事だと感じているからです。
彼に「今まで専業主婦になっていいよって言ってたのに、いきなり辞めるとか言ったからプレッシャーかかったんだろ。楽したいのは誰でも一緒だもんな。」と言われてしまいました。
でも本当にそんな意味で言ったんじゃないです。彼にはいつも貧乏でも一緒にいたいと伝えているし、専業主婦にはなりたくないし働くと言っています。
長くなりましたが、私は何と声をかければ良いのでしょうか。
「絵に描いたようなオタク像」をサブカルチャー自体が再生産している、という点については同意。だが「だから差別ではない」という主張には同意できない。そもそも社会的に差別が存在しなければ、ステレオタイプな「オタク像」が笑いやからかいの対象として成立しないのだから、それをもって「差別ではない」というのは無理筋だ。被差別者自身が彼ら自身の中に階層を作って「弱い者が更に弱い者を叩く」構造を作り出すのはよくあることだ。その構造を生み出すのが、彼ら自身の弱さなのか社会からのプレッシャーなのかは問題ではない。これはよくある差別の一風景に過ぎない。
どうも、何か「差別=ダメ、ゼッタイ」的な低レベルな学校の人権教育からくる悪影響かとも思うのだが、「差別者=悪魔/被差別者=哀れな善人」というイメージ(典型モデル)を抜け出せない人は意外に多いのだなと思う。実際の「差別」の諸相でそんなことはあり得ない。ときに差別者が、自らの差別意識に苦しんだり差別意識のせいで人間関係を壊して悲惨な目に遭うことがあり、彼らは十分可哀想な人であったりもする。逆に被差別者がその立場を笠に着て横暴な行動を繰り返したり被差別者の中で被差別者の王として振る舞うことだってよくあるのだ。差別を考える上で、上記のような典型モデルほど当てにならないものはない。差別者だから不正なのではないし、被差別者であることが主張の正当性を担保するわけではない。
たとえば「いじめ」ももちろん「差別事象」である。そして、それが差別だということの意味は「偏見に基づいて、特定の属性や個人が、社会的に排除されるといったことも含めて不利益を被るのは不当である」ということであり、それ以上ではない。いじめの解決とはいじめ被害者の心に寄り添って周囲がそれを100%実現することではなく、いじめという差別事件を引き起こした小さな社会の構造自体を変えることである。その意味では、加害者を過剰に罰することは、たとえ被害者がそれを望んだとしても当然避けるべきである。差別は絶対のカードではない。被害者に寄り添っているからといって、それが正義になるわけではない。
「被差別者だから正しいわけではない」ことを前提とすれば、「オタク」を排除しようとする社会的偏見で「オタク」が不利益を被っていることは事実であり、それは差別に相当する不当な行為である、と言えることになる(そしてそれはおそらく主張として正しい)。ゆえにオタクは差別されている。一方で、それは「オタク」を正当な理由に基づいて批判することを妨げるわけではないし、「虐げられしオタク」が全面的に擁護されるべきだということも意味しない。差別は差別でありオタクに対して偏見をぶつける行為は不当であるが、その場合正当な反応というのは、あくまで「オタク?別にいいんじゃないの」であって、それ以上の反応(たとえば「オタク大好き」とか「オタクを救え」とか)ではない。そういうことは、倫理的に判断されるのではなくあくまで政治的に判断されるべきことだ。すなわち、社会の中でお互いに正当性を主張し合い、社会的リソースをどう配分するかを合理的に話し合うということである。
つまり、増田の主張は「差別されているとしても、オタク差別に社会的リソースを配分する必要はないのでは?」という方が正確なのではないか。それはそれで一つの主張ではある。
平日に有給が取れたので、カメラを持ってあちこちプラプラしてきた。
昔住んでいた街や、嫁さんと結婚する前によく会いに行っていた駅や、
頭の片隅にあってまた行きたいなと思っていた場所を回ってきた。
ああ、ここにこんな店あったよなぁとか、ここにあったコンビニなくなってる!とか
その日の都内はいい天気で、青空や頬を撫でる風が心地よかった。
それで思ったのだけど、平日の昼間、この気持ちいい時間を俺はずっと仕事で費やしてる。
朝6時半に家を出て9時始業、終わりは19~20時(これでも転職してずいぶん早くなった)
帰宅は21~22時。(神奈川住み都内勤務なので通勤時間が長い)
多少の違いはあっても、日勤で会社勤めしてる人は同じようなものだと思う。
なんかすごく、もったいなく感じた。
人類はここまで歴史を紡いできて、科学も文化も社会制度も進歩してきたはずなのに、
どうしてこんなに長い時間拘束されて働かないといけないんだろう。
最近就職活動をしているのだけれど、志望動機や自己PRを伝えることが難しいということに気づいた。
まあ志望動機は、自分がやりたいと思う業界を志望しているのだから
やりたいなーと思っていることを書けばいいし伝えればいいんだろうなと思っていて、それで書類も通っていた。
けれどこの前グループ面接というのを行ったんだけど、一緒に受けた人達は「自分の性質は○○です」とか「自分は○○な人間だと判断しています」とか
割と自分とはこのような人ですよーという自己PRも含めて伝えていて、なるほどコレがセオリーなのかと気づいた。
確かに目の前にいるおっさん・おばさん群とは、はじめて会っていてしかも短時間に何人もさばかないといけないなわけでそりゃインパクトを感じさせるためにはそうだよなぁと面接終了後に感じた。
まあ俺がしゃべるのが全く得意じゃないのとプレッシャーに酷く弱いという就活に向かない為に生まれたみたいな性格をしているからだけれど、
考えがフリーズしてしまって喋りがたどたどしくなるのも自分で気になってしばしば落ち込む。
面接官の意図を読んで答えないといけないような気もするし、やる気って本来やらないとわからないはずなのに、それををみせないといけないって大変だな。
もうすぐ嫁が育休を終えて職場復帰する。復帰後自分は原則毎日20時帰宅を嫁と約束してて、職場の上長及びメンバーにもその旨は伝えている。
が、現実問題今の仕事で20時帰宅はかなり厳しく、予行演習と銘打った4月以降、毎度早出やら持ち帰りやらで凌いでいる。
で、ここ数日。自分は1週間で2度ほど大きなやらかしをし、突発の深夜残業、残業が発生した。結果、全ての家事が嫁に寄り、えらい迷惑をかけた。
帰宅のプレッシャーを感じつつの自分のミスでの深夜残業は、精神的にかなり来るものがあるが、負担をかけている嫁には仕事の弱音や愚痴を吐くことなんてできない。かと言って、会社のメンバーにも、普段早上がりで仕事巻き取ってもらってたりしてる手前、「嫁に迷惑かけててさ…でも仕事終わらんし」的な愚痴も言い辛い。
共働きの父親はみんなどうしてるの?家と仕事の板挟みになった時誰にも相談できなくね?みんな突発残業なんかしないスーパーマンなの?
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一晩経ってだいぶ冷静になった。
耳栓をして耐えてくれた女性には今感謝しかないです。私が図々しかったね。
子育てをしてると、責任の重さとか周囲からのプレッシャーに「うわーーーーっ」ってなることがよくある。
昨日までは旦那の実家に旦那無しで行かなくちゃ行けなくって、張りつめたものがあったんだと思う。
旦那の両親やお姉さんについて話す時、私はどうしても「悪い人ではないんだけど」と頭につけたくなってしまう。
義母さんは家事完璧なスーパー主婦だし、それを見て育ったお姉さんにも、私はダメな母親に見えているんだと思う。
自分語りになってしまうけど、子供を産む前まで、私はそれなりに頑張って働いてた。仕事が好きだった。
妊娠を望んでいたわけだけど、実際子供ができるとすごく戸惑った。産休・育休をとって元のポジションに復帰できる職場じゃなかった。
だから、隣の女性が羨ましかったのもあるんだと思う。いかにも仕事が出来そうで、たくさんの人に必要とされていそうで。
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働き方改革という名の元に、
わたしの職場では最近、フレックス制度が導入され、好きな時に来て好きな時に帰って良いとなった。
時間外労働も良しとしない風潮になり、早く帰る人が多くなった。
こうやってまとめるとさも良いことのようだけど、そのおかげでわたしはひどい目にあっている。
とある同僚が、「今日思ったよりも暇だから帰ります」と、定時前にいなくなってしまった。
でもその同僚の「暇」というのは嘘っぱちだ。見えていないだけだ。
その同僚がその「暇」な時間を使ってやれたかもしれないことを、誰がやっている?
わたしはその「やれたかもしれないこと」に気が付いてしまった。その価値にも。
だからわたしがやることになって、結局その日、わたしはひとりで職場に残った。
勘違いしないでほしい。別にわたしは早く帰りたいわけじゃない。
やるべきことをきちんとやりたいだけ。
それならばその生き方も認めてくれ。
「そんなの放棄して良いから早く帰れ」とか変なプレッシャーをかけないでくれ。
わたしの仕事によって誰かが救われるなら、誰かが少しでも笑顔になってくれるなら、
それが私にとっての真の「働き方改革」だ。
たまに仕事大好き人間で、それなりの地位なのにお茶汲みとか電話番までしゃかりきに自分でやろうとする人がいて、理解不能である。
管理職だったら管理職にしかできない仕事を優先しろよと思う。こっちは下っ端なので、電話とって雑用こなしてなんぼだけど、人が少ないときに電話を取りまくって伝言メモを書いて、相手の机に置きに行くだけで疲れる。
自分は仕事が嫌いなので必要最低限のことしかやりたくない。そして、わざわざ自分がやらなくても良い仕事まで抱え込んで残業しまくって疲れている人をアホだと思う。
だからといって偉そうに「電話はあんたが全部とっといて」とか言われたらムカつくけど、雑用から解放される代わりにに責任の重い仕事を処理するのが役職のある人の本来業務じゃないんだろうか。
やるべきことをやらない上司というのもムカつくが、余計なことをやり過ぎる人も勝手に自分を忙しくして疲れさせてどうするよと思う。優先順位間違ってる人や、やたらと忙しそうにして他人にプレッシャーかける人が嫌い。
何かね~、自覚してるかどうかはともかく、自分の時間を犠牲にして仕事に賭けてる的なアピールがイヤなのだ。下っ端は下っ端なりの仕事をして、管理職は管理職の仕事をして、お互いなるべく定時までに仕事を済ませるのがベストじゃないのか。自分じゃなくてもできる仕事は振るべき相手に振れよと思う。
けど飄々とうまくやってるなぁ、みたいに見てた
ちょっとくだけてるような風に見えつつ
お客さんとか上の人への対応わきまえてて
同僚や下の立場の人にも愛想よく、けどきちっと締めるところは締めてて
なんというかうまいな〜って思って見てた
けどここへ来てようやく仕事も落ち着いて来て
その人が以前よりよく笑い、他愛ない冗談言って周囲の人達と楽しそうに喋ってて
なんかこう 見てるこっちまで楽しくなる
昨日これを書いた子持ちの増田です
https://anond.hatelabo.jp/20180416201535
一晩経ってだいぶ冷静になった。
耳栓をして耐えてくれた女性には今感謝しかないです。私が図々しかったね。
子育てをしてると、責任の重さとか周囲からのプレッシャーに「うわーーーーっ」ってなることがよくある。
昨日までは旦那の実家に旦那無しで行かなくちゃ行けなくって、張りつめたものがあったんだと思う。旦那の両親やお姉さんについて話す時、私はどうしても「悪い人ではないんだけど」と頭につけたくなってしまう。義母さんは家事完璧なスーパー主婦だし、それを見て育ったお姉さんにも、私はダメな母親に見えているんだと思う。
自分語りになってしまうけど、子供を産む前まで、私はそれなりに頑張って働いてた。仕事が好きだった。妊娠を望んでいたわけだけど、実際子供ができるとすごく戸惑った。産休・育休をとって元のポジションに復帰できる職場じゃなかった。
だから、隣の女性が羨ましかったのもあるんだと思う。いかにも仕事が出来そうで、たくさんの人に必要とされていそうで。
若い女性って書いたけど、多分私と同じか少し年上かもしれない。
でも、彼女は丁寧なメイクとかツヤツヤの髪とか、ブランド物のハイヒール。一方のわたしはよれよれのパーカーにすっぴんボサボサまとめ髪で、完全におばさんだった。半分はやっかみだったのかも。
私(子持ち)のことを、勝ち組って書いてた人もいたけどこれ、勝ちなの?自分で選んだ道だけど、幸せなのかもよくわからない
コメントは全部読ませてもらいました。感情的な日記に反応してくれてありがとう。耳栓してくれた女性、配慮ありがとうございました。
毎朝起きること、毎日電車に乗ること、毎日誰かと顔を合わせること自体が駄目だった。ストレスになる。
その上で仕事とかもう無理。
そう思って引きこもって仕事してんだけど
臨機応変が苦手なので。
この間、少し大きい仕事が来た。せっかくなので受けてみた。
このお金に対する責任感、期待されてるプレッシャー、いいものを作らなければならないという強迫観念。
ちなみに本来1日で終わるような仕事だが、緊張のあまりやり直しにやり直しを重ねまくって現在作業4日目。
ストレスは続いている。
3日目の朝、起きてもめまいは治っておらず、加えて耳鳴りと軽い耳詰まり。
今もめまいがするし、割と吐きそう。
こんなことぐらいで。
受けたからにはやらなければ。
本当はもっと気楽にやりたい。
駄目なら次から依頼来ないっしょ、くらいのノリで。
なんでそんなノリになれないのだろう。
辛い。しんどい。
ストレス耐性が無さすぎる。
作業しているあいだ、呼吸は浅く、緊張のあまり歯ぎしりをし、へんな汗をかいている。
はぁ・・・
サカオタ増田です。
普段サッカー関連のブクマではあまり見かけない一部idの、今回の解任劇について怒り嘆くタイプのサカオタを嘲って小馬鹿にするようなブコメに反論をしたくなった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.footballista.jp/interview/44512
増田はサカオタなので、Jリーグ欧州各国リーグやACL、CL、CWCなどのクラブチーム選手権、W杯、EURO、コパアメリカなどの国別対抗戦や、欧州の親善試合やら予選なんかも隙あらば見るくらい、雑多にアホのように、現地で、または画面越しにサッカーを見ている。特にW杯やEUROなんかの国別対抗戦は短期開催&時差で寝不足フラフラだが見る。
そんな増田が、W杯のような国別対抗戦を楽しいと感じるその最大の魅力は、「抗えない俺たちのサッカー性」への哀愁である。
スーパースターのスーパープレーや、ダークホースの快進撃や、うちの子(応援しているクラブチームから選出された代表選手)の活躍をハラハラドキドキと待ちわびたり、という楽しみは当然である。
が、1か月寝不足でフラフラ、仕事にも支障が出かねない鑑賞行動を取るのは、出場各国のそれぞれの「俺たちのサッカー」からの逃れられなさに、しみじみと浸るのが本当に楽しいからだ。
サッカーにあまり興味がない方の中にはひょっとしたら驚く人もいるかもしれないが、今年のロシアワールドカップには、イタリアとオランダは出場できない。どちらもサッカー強豪国である。
イタリアはW杯優勝歴4回でドイツと並んで優勝回数歴代2位、オランダは優勝こそしたことはないが決勝や準決勝の常連の強豪国である、が、彼らは欧州予選で負けた。
世代交代に失敗したということもある、イタリアについては自国リーグが汚職やらなんやらでスッカスカのぼろぼろになったこともある。欧州予選がとてもしんどいという大前提もある。
イタリア、オランダ、どちらの国も、激しく「俺たちのサッカー」な国である。
イタリアサッカーは緻密な戦略に基づいた堅い堅い守備が特徴、オランダサッカーといえば華麗なパス回しとサイドアタッカーによる全方位性・攻めダルマサッカーである。これはもう、増田が子供のころの何十年も昔からずっとそうである。イタリア代表も、攻撃的にならなきゃだめなんじゃなかろうかと変化しようとした時期もあったが、結局上手くいかずW杯予選に敗退した。オランダ代表が守備を見直そうとした感じは伝わってこなかったがw(その辺もオランダらしくて大変カワイイが)、偉大なるロッベン、ファンペルシの後の世代交代もイマイチで予選に沈んだ。
増田が観察している限りでは、彼らは、変わりたくても変われない、捨てられない俺たちのサッカー性を抱きしめて当惑し悲しんでいるように見えた。
サッカー強豪国かつサッカーが文化になってる国(日本における野球例えや相撲慣用句と同様、サッカーが文化になっている国はサッカー例えが日常的に使用されたりする)では、むしろ「俺たちのサッカー」は、勝てない理由になるようなものでもあるのだ。
W杯本戦には出場できるが、イングランド(まるでラグビーのようなラン&放り込みサッカー。あれはあれで良いものだ)や、スペイン(世界中で流行したティキ・タカもこの数年は斜陽)も、「俺たちのサッカー」を抱えて、長い不遇の時を過ごした経験がある。
この10年ぐらいでサッカー見だした人はスペイン強くて当然と思ってっかもしれねーが、それ以前のスペインはむしろ「無敵艦隊wwwww」と笑われる、見てておもしれーけど勝てないと言われるサッカーをずっとやっていた。イングランドも、現代ではそのサッカーはもうアレでナニだと自国民からすら思われているが、ずーっと牧歌的な筋肉量がものを言うサッカーをやっている。スペインは変わる気なさそうだがイングランドは変わろうとしては失敗している。
ヨーロッパ勢だけではなく南米勢もだ。ブラジルが母国開催のW杯でやらかしたのは記憶に新しいと思う。ブラジルは強い個性でクリエイティブなプレーを見せるのが俺たち!という「俺たち観」があるが、それでは勝てないねとなりリオ五輪ではなりふり構わず「俺たち観」を引っ込めて優勝を勝ち取った。南米のもう一つの雄アルゼンチンは、歴史背景もあってイタリアに似た性格悪い系の守備が堅いサッカーである。そういえばアルゼンチンはコンスタントにW杯や南米大会で結果出してるからか、あまり「俺たち性」に対して疑義を抱いている様子がないように見えるし、「アルゼンチンのサッカーは底意地が悪い」みたいな言われ方に誇りを持っている様子すら感じられたりするときがある。実際すごい良いですよアルゼンチンのサッカーね。ほんと好き。
W杯で優勝したことある国の数は8カ国しかない。ブラジル(5)、イタリア(4)、ドイツ(西含め4)、アルゼンチン(2)、ウルグアイ(2)、イングランド、フランス、スペイン(各1)である。
ウルグアイの意外っぷりが際立つが、増田はJリーグで、フォルランが若干気の毒な状況下であっても見せてくれた素晴らしいプレーの数々を生で数度見ているので、ウルグアイやっぱすげーなと妙な納得感もある。
つい増田の好きなサッカー話に脱線してしまう、フォルランは置いておいて、たった8カ国しか優勝していないのがW杯であり、並んだ8カ国の顔ぶれの納得感がすごい。
どの国も「俺たちのサッカー」を愛し、その愛の深さ以上に俺たち性に由来する辛酸を舐めてた長い歴史もともに持っている。これが文化であって、このレベルに来てはじめて「俺たちのサッカー」なのだろうと思う。
翻って、日本は。
「俺たちのサッカー」探そうぜ!とひとつなぎの財宝を探すようなキラキラしたオールマイティのお宝だと思っていないだろうか、みなさん。
ショートパス中心、バイタル小さめに保ちながら俊敏性と組織力で相手をかき回す華麗なサッカーが、日本における「俺たちのサッカー」なのだろうか。
本当に?
思い出してほしいのだが、日本がW杯に初出場して以来、あまり多くはない勝った試合のほとんどすべてが、相手の攻撃や崩しにしつこく食らいついて、ボールをハラハラ爆弾のように皆で回しながらキープして、耐えて耐えてワンチャンでゴール、というパターンのほうが勝ち試合のパターンとしては多いのではないか。俊敏性と組織力に加えて持久力でコンタクトの弱さを補う、ど根性サッカーだろう。
自分が応援してるチームの試合って見ている時はアドレナリンが出てるし、勝とうもんならもういろんなこと忘れてしまうが、実は国際試合における日本代表の「勝ちパターン」は、ど根性サッカーである。個の選手のキープ力がない分パス回しでなんとかしのいでるのを、「俺たちのパスサッカー」と勘違いして見ている人も、実は少なくないのではと思っているのだ、増田は。
観戦してると興奮だけはあるんだよど根性サッカーって、手に汗握るシーンも増えるし。その興奮を充実に置き換えて「パスサッカー=充実」みたいに勘違いしてやしないだろうか。何のためのパスなのか、というところまでちゃんと「パスサッカー」なのだろうか。
増田は、今の日本のサッカーでスペイン代表やFCバルセロナのようなティキタカが出来ているとは全く思わない。しあと10年ぐらいでも出来ないんじゃないかと思っている。代表で見られるパス回しはどちらかと言うとハラハラ爆弾型であって能動的なパス回しからの崩しなんてさせてもらえないことのほうがほとんどだし、Jリーグを見ていても「プレッシャーがかかった中で正確なプレーができる」という日本サッカーの大きな課題はあまり克服されていないよなぁ…としみじみ感じる。これは欧州でやってる日本人選手でもなぜか代表戦になるとプレーの精度が落ちるので、こういうのが日本の「俺たちのサッカー」なら、増田にとっては納得感はすごくあるのだ。
コンタクトプレーじゃ勝てないからビクビクとパス回ししてワンチャン狙いだ!という、チマチマしたサッカーが「俺たちの日本サッカー!」と自虐的に誇るのであれば、増田も大いに賛同できる。
だが、多分だけど「俺たちのサッカーを!」と簡単に言う人たちの頭の中の俺たちのサッカーはもっと格好いい、W杯獲った時のスペインみたいなの想像してるのではないだろうか。
あと今の日本式の「俺たちのサッカー」ではW杯を獲れる日は金輪際来ないと思う。もっと先に獲るべき国がある。攻めダルマ・オランダとか。永遠の当て馬・ベルギーとか。チリやメキシコなんかも日本よりずっとW杯に近い。どころかそのうち中国あたりに抜かされても全然おかしくないと思う。
日本らしいサッカーを、オールジャパンで、という言葉は、JリーグからCL、国別対抗戦まで舐めるように消費するサカオタにとっては、虚しさと「他の強豪国ばかにすんでねーわ」という怒りである。
繰り返すが、「俺たちのサッカー」は、それを手にしたら無敵になれるようなものではなく、むしろ「逃れられない俺たち性という弱点」の裏返しでしかない。
たくさんのサッカー強豪国が、「逃れられない俺たち性」の上に、対戦相手に最大のリスペクトを払いながら相手を打ち破れる「穴」を探してつけ込める戦術を叩きこんで、それでも勝てないかもしれないのが、ワールドカップという大会なのだ。強豪国オランダは一度も優勝したことがないんだぞ。EUROで20年以上前に一回優勝したことがあるっきりだ。それでも増田はサカオタとして、オランダ代表の捨てられない俺たち性を目撃しては哀愁と感動を覚えるのだ。それがサッカーだと増田は思う。「俺たちのサッカー」がまるで希望のカードのようにありがたがることが、かなりくだらないことだと思う
あーあと、元のフットボリスタの記事は「短期決戦のW杯のチームの作り方はクラブのチームの作り方とは違う」という話がさわりの一つだと思うのだが、そのあたりについて言及しているブコメがなかったのも、君らもうちょっとこう、小柳ルミ子のように年間2000試合とは言わんけどもう少しちゃんとサッカー見てからわしらサカオタのこと馬鹿にしてほしいわと思いましたよ。
なぜ怒り嘆いているかということ自体、具体的なひとつひとつについては、下記のnoteがよくまとまっていると思ったので言及はしない。
https://note.mu/hatonosu/n/nac5433ccc430
ただ、この記事のブコメ、http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/hatonosu/n/nac5433ccc430 の中で一つ、文句を言っておきたいブコメがある。
ハリルホジッチ監督の手腕をどの程度評価するかは、その人のサッカーの好みの問題と何を目的にしているかによってかなり幅広に分布すると思うが、100点満点の高評価だという人はいないと思う。あくの強い監督であることは有名だったし、サカオタ界隈では就任時からこれは揉めるぞーと冗談が交わされていた。ただこの時期にそんな理由で解任されるほど低評価だとは思えないということと、その理由が子供じみてばかばかしくて、未来がないから怒っているということのほうが大きい。元のnoteの記事から読み取れるかと思うのだが…、単に上げ足を取りたいのだろうか。
付け加えると、ハリルホジッチ監督をことさら低評価に喧伝していたのは、主にスポーツ新聞や老舗系サッカー雑誌のネット記事中心、要するに「旧メディア」側だということは言っておきたいのと、彼ら旧メディアのバッシングはトルシエの時のほうがむしろ激烈だったなーとか、オシムが代表監督だった時もオシム特有のけむに巻く言葉の尻を捕まえてイライラさせられる記事を垂れ流してたなーとも言っておく。もっといえば、JFAのちょうちん持ちのような記事が出来る理由は、PV乞食な側面もあるだろうが、W杯本戦や再来年の東京五輪の取材融通やメディアパスの確保量を考えた忖度はあると思う。
長々しい文章をつづっているうちに2時間が経過し、なでしこの予選も、忖度モードでオーストラリアとともに本戦進出が決まりそうである。いやーめでたい。
男子代表は俺たちのサッカーを貫くのだろうから、その俺たち性から醸される悲哀を私も楽しむことにする。もちろん応援もするが。
理由は婚活がうまくいってない事の焦りとか周囲のプレッシャーとかそんなんが積み重なったみたい。
でも従姉の方にも確実に責任ってか問題はある。従姉の家は昔から厳しくて小学校はお受験だし当然頭も良かったし、その後も難関大行って有名企業就職してっていうドラマに出てくるエリートキャラみたいな育てられ方してるから伯母さんが相手は最低でもこれくらいの学歴で年収いくら以上じゃないと娘はやれないみたいなこだわりをずっと言い張ってたらしくて、従姉がアラサーになっても頑なにハードルを下げさせなかったらしい。
で、私も私の母さんもこの伯母さんがほんとに大っ嫌いで、うちは従姉の家と真逆で本当に平凡な家庭で割と自由に育てられたから「バカがバカを育てる好例」「ダメな親ほど好き放題させる」とか言われてよく見下してきて、特に実妹である母さんに対しては事あるごとにマウント取ってバカにしてた。
挙句の果てに、私が結婚した時までバカにしてきた。バカにされた理由は私ら夫婦が恋愛結婚だったから、ってたったそれだけ。私たちは高校時代から付き合っててそのまま結婚したから「バカだからどうせ顔しか見ないで交際してたんだろうに、そのまま結婚するなんて」って笑われた。私たちの卒業した高校は従姉が卒業した高校に比べて偏差値低い普通の公立高校だったからもれなく旦那のこともバカにされて、「見た目だけでのぼせ上がって結婚した将来性皆無のバカ夫婦なんてどうせすぐ離婚するのが関の山」とまで言われたから私も母さんも流石にブチ切れてもう縁切ろうってなって、以来ずっと疎遠にしてきた。長男出産した時も伯母さんにだけは一度も連絡しなかった。
けどこの間、お母さんが叔母さんに色々嫌な事言ったり結婚の話聞いた時失礼な事言ったの代わりに謝るから今度会ってゆっくり話せない?って連絡もらったから久々に会ってきた。
大まかに話聞いたら未だに彼氏すら出来たことなくて焦ってて、伯母さんの無駄なこだわりというか高望み?のせいで婚活も難航してるのに優秀なのにどうして結婚できないんでしょうねってプレッシャーもかけられてずっと苦しかったのと、それに加えて職場の後輩に「仕事しか取り柄なくて女性として終わってるからあの先輩みたいになりたくない」って陰口言われてたの知って色々と壊れたんだとか。確かに可哀想なんだけどそれ以上に今まで受けた伯母さんからの暴言がまだ全っ然許せないから、ざまあみろ以外の感情が全く湧いてこなかった。もうこのまま鬱に理解がないふりをしてようかとか、なんかゲスい事ばっか考えちゃうし。とりあえず今度旦那と息子連れて会いに行ってみようかな。伯母さんどんな顔するかな。
これやっといて、と渡される方が気楽
もうやるしかないわけだし、とりあえずこなす
まともな上司なら無理な量は渡さないし、多少苦労は合っても終わる程度には調整されてるはず
もし終わらなかったらその上司がその責任を持つことになるんだからまあ当たり前だろう
だけど、社長クラスの人からこんな話来てるんだけど、君向いてそうだけどやってみない?と言われたときのほうが困る
◯ヶ月くらいで終わりそう?本当にできる?大丈夫??無理そうなら断ってもいいよと変に心配そうに言われる
◯ヶ月単位なのを自身を持って終わるとは言えないし、やり始めないと規模感もつかめないし
向こうとしてはできそうかわかってないから本当にこっちで判断するしかないし、期限までに終わらず会社の評価落とすと困るのでできると言ったら絶対終わらせないといけない
プレッシャーが大きい
自分はサラリーマンをしながら、プライベートで自分の副業を進めていて、いつか軌道に乗ったら独立起業したいと考えています。
例え叶わなかったとしても、それをずっと追い続けている事が生きがいというか、一番の生きている意味だなと感じます。
そんな中、彼女と同棲することになったのですが、週3日ほどバイトみたいなことをしてて、あとは家に居て家事などをしているようです。
夜ご飯を作ってくれていたり、朝ごはんを出してくれたり、お風呂掃除してくれたりするのですが、なぜか自分はそれがむず痒いというか、若干の不快感を感じるのです。
その正体は、自分は夢を追って好き勝手してるのに、彼女は主婦になることを望んでいるような振る舞いで、きっとそれがプレッシャーのように感じているんだと思います。
自分は高校卒業してから10年近く1人で暮らしてきたので、洗濯も掃除も自炊もやるのは何も苦に感じません。
なんなら、別にご飯がなかったらコンビニで十分だし、掃除も選択も週末に1回やるぐらいで十分です。
多分、自由に夢を追っていたいというのが本当の気持ちで、主婦をされるとそれを制限されるように感じているんだと思います。
なので、彼女にも自分の好きな仕事を頑張っていたり、やりたい仕事や活動をするために夢を追っていて欲しいなって思うんですよね。
お互いが頑張っていて、数日不在にしても全然いいですし、たまに一緒にいれる時は一緒にいれる時間を楽しんで、やれる範囲でお互い家事をしてあげて、お互いの夢を応援できるような関係っていいなと思います。
まあ、そんなやつは彼女なんて作らず1人で生きてけって感じかもしれないですけどね。
これって相当なストレスになるのに全然わかってもらえないよね。
幼稚園や小学生の頃ってやたら「残さず食べてえらい!」みたいな完食する事を美徳とする風潮があるけど、ああいう空気が「食べ残す事は悪」的な刷り込みになってるんだと思う。そして親や先生はそれが健全だと思い込んでて、子供に残さず全部食べさせる事も教育の一環だと勘違いしてるんだろうなって思う。
けど少食の人間から言わせてもらうと、食べられない人は本当に食べられないのにそんな事で余計なプレッシャーをかけないで欲しい。特に子供の頃は尚更。そんな事されたら食べることが嫌いになるだけなのに、何故わからないんだろう。
保育園で担任だった先生は食べ残しを絶対許さないたちで、少食だった私は毎日全部食べなさい、他の子は嫌がらないでちゃんと食べてるよって怒られながらごはんを食べた。限界で気持ち悪くなって吐いたら、嫌いなものを食べさせたから吐いて嫌がったのだと決めつけられて叱られた。本当につらかった。粗末にしてる訳でもわがままで残してるわけでもない、ただ生まれつき皆より食べられないだけなのになんで怒られないといけないのってずっと思ってた。
私には当時先生に言われて今でも忘れられない言葉がある。「そのわがままで残したお肉、〇〇ちゃんが食べなかったせいで命が無駄になっちゃうんだよ。その豚さんの命、〇〇ちゃんがゴミにしちゃった。可哀想」少食じゃない人はきっと先生の言葉は普通だ正論だって言うんだろうけど、私はこの言葉のせいで給食に肉や魚のおかずが出るのが怖くて仕方なかった。当時の私にはそれぐらい強いトラウマだった。無理やり食べさせてトラウマを作るのが健全な教育って言えるんだろうか。
他の子より食べられないんだって事を認めてあげる。食べ残す事は仕方ないことと理解する。責めたりしない。たったその程度のことがどうして出来ないんだろう。それが出来れば、例えばいただきますの前に各おかずの量をバランスをみて減らしてあげるとか、間違っても食べられない子を罵倒しながら無理に食べさせるより遥かにまともな対応が出来るはずなのに。
大の大人が食べ残しなんて、って理解のない人からは批判されるかも知れないけど、何なら「少ししか食べられない食の細い私アピール」みたいな捻くれた見方しかできない偏屈で頭の悪い女性もいるかもしれないけど私は成人した今でも外食時は普通に食べ残してる。食べ切れない時は本当に食べ切れないから。野菜不足は嫌だから追加でサラダ頼んで、でもメインの料理は残すみたいな食べ方も普通にする。でも私はこれを悪い事だと思ってないよ。ただ無理のない食べ方をしているだけ。あの担任の先生みたいな完食原理主義者からはそれなら外食なんかするなって言われそうだけど、じゃあ生まれつき少食の人間は友達と外食を楽しんではいけないのか?って話になるよね。
残すのは悪いことじゃない、食べ切れない時は無理に食べなくてもいい、こんな単純なことに気づくまでに10年以上もかかったけど、そう思えるようになってからは驚く程気持ちが楽になって、食事が苦痛じゃなくなった。それから一人暮らしするようになって、食べられる分だけ無理なく食べる現在のような食べ方をするようになって初めて、食べることにストレスを感じなくなった。食事を楽しいと思えるようにもなれた。
今思い返してみたら食事に対してトラウマが出来ていた子供時代のあの空気も先生の態度も全部異常だったんだなって思う。けど、今でもこういうバカみたいな考えの親、先生って多そうだよね。完食した子を褒めても良いけど、完食できない子を叱ったり無理に食べさせる事で真っ当な教育してる気にならないでほしい。
既に原文を読んでいる人は読む必要はありません
騒動について詳しく知らないから知りたいという人向けの文章です
制作会社とゲームは関係ないと割り切れる人や騒動について詳しく知りたい人向けのものです
決して茶化していいものではないということを日本ユーザーに伝えるために記事を書きました
三行で読みたい人向けに簡単に書くと
シナリオ担当として採用されたAに対しシナリオモードのことを聞かされていなかった社員は必要ないと言い、社長はシナリオを書けと命じ続けました
結果ユーザーにはシナリオモードの実装をしないことを伝えられたのに自分には伝えられず給料泥棒扱いされたことに心が折れて退社
送別会の帰りに既婚者で子持ちの社長であるBによって帰り道を塞がれ不倫関係を求められたことが書かれています
ブログを書いた理由は先日の生放送でAが担当していたキャラクターに対しBの元恋人のような、という表現がされたことに対してのAの現状の告発です
Aの主張は今後生放送やその他を含む場所でAの名前をあげるのをやめてほしいというものです
この時点で嫌な予感がした方はここで読むのをやめてください
ここから先はブログを簡単に要約しながら和訳したものになります
まだ会社がAを含め7人しかいない2014年から2017年1月までの間Aは該当の会社に勤めていました
今回Aがブログを書いた理由は先日の生放送で該当Aの担当していたキャラクターに対しBの元恋人と揶揄された事に反論するためです
まだ7人しか会社に人が居ない頃にシナリオ担当として採用されたAに対し、Bは周囲の社員にその説明をせずシナリオを作れと命じました
社長のBにそう命令されたため、シナリオを書いていたAはその説明をする会議でシナリオは必要ないと周囲の社員から反対されました
それを繰り返されながらも良いシナリオを作るのがAの仕事だとBに言われシナリオを作り続けるAのことを周囲の社員は仕事をしていないとみなしました
Aは会社用のPCを与えられず個人のPCで2年間業務をこなしていたそうです
人数が少ないためシナリオ以外の雑務やイベントの物販、通販の管理などもAはやっていたそうです
ゲームがリリースされ、会社の規模が大きくなると共にAの席はなくなり、机がないので会議室で1日仕事をする日もあったそうです
提出するシナリオは全て却下され、会議は途中で中断され、机はなくなり、それでも社長であるBはシナリオを書けと命じます
そんな日々を繰り返すうちにうつ病になり会社のトイレで涙を流すことが増えたそうです
一度シナリオモードの実装の検討がされ、それに向けてAは立ち絵を表示してキャラクターが会話するアドベンチャー形式のものを提案した直後
Aには伝えずに公式生放送でシナリオモードの未実装をユーザーに伝えられました
シナリオモードを実装すると思っていた矢先に白紙にされ自分より先にユーザーに伝えられたことがショックだったと述べています
シナリオモードが未実装になった理由はローカライズ(多言語対応)のコストが高くなるためでした
それならば何故自分をシナリオ担当として雇ったのかと自問自答する日々だったそうです
その後Aは2016年10月に退職の意思を表示、1月に退社できました
Aの送別会の最後に既婚で子持ちのBが不倫関係をAに求め、逃げようとするAのコートを奪ったりドアを塞いだりしました
Bは生まれた娘をAのような人間に育てたいと語っていた人間だったためそういう行為をされるとは思ってもいなかったと語られています
それ以降転職しようにも職歴を書こうとするだけで思い出してしまうため書けず今に至るそうです
Aは会社を辞めた際に一度日記を書き、会社を辞めたけれどこの会社が作るゲームが成功することを祈っているという文章を綴っています
この話も先日の生放送でAの事をBの元恋人と言われなければゲームが終了するまで表に出すつもりはなかったそうです
社長であるBについての言及はB側の意見がないためAの主観的なものとなります
タイムラインの一部の情報のみを切り取ってAやBのことを面白半分でいじるのは不謹慎極まりない行為だと思っております
ゲームそのものとそれを制作している会社の人間がひどい人間であることは関係ありません
自分が課金したことによってこれらの行為に加担している人たちの給料になるのが嫌だという心理は当然わくと思います
この記事を読んだ人間がゲームをやめてしまうのは悲しいことだと思っています
これは筆者の主観ですが 本国の方が荒れているのは 向こうが日本以上に共感文化だからだと思っています
ですが だからといってそれを日本人が面白半分で取りざたするのもまたモラルを問われる行為であると思います
ただ 筆者はこの件に関して軽率に取りざたするのはやめてほしいと思っています
A自身もまた、この話に関しては触れずにそっとしておいてほしいと述べています
また この記事を書くことでもう一度この話が話題にのぼること自体も心苦しく思っています
どうか 最後まで読んだ人は拡散せずにこのままブラウザを閉じてください
最後に簡易翻訳機を通したAの原文訳を下記に記して終わりとします
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こんにちは、2014年度10月から2017年1月までにアークベアーズで働いていたGM彩です。
以前に書いた記事(http://gall.dcinside.com/board/view/?id=blacksurvival&no=277774)以降にすべてのことを整理して、
しかし、知人から2018年4月5日に行われた公式放送でGMに生かしオニムが「昔の恋人のような彩になったら良いだろう」という発言をされましたことと、
アークベアーズ内で複数の言葉が回っているという話を聞いて、この文を上げる決心をしました。
私はこれ以上のアークベアズ関連した仕事に私の名前が上がることを望んでいません。
会社で経験したことのために、うつ病とトラウマを得たからです。
1.
私は2014年10月アークベアーズに採用されました。ディレクターさんから私すべきことについての説明を聞いて、そのまま作業をしました。
そしてチームメンバーに私が作ったシナリオの説明をしていた中、発表が中断され 、「だからこれはなぜ必要があるのか?」という言葉を聞きました。
内部的にシナリオの計画や合意が全くない状態で、私を連れて来たということを、その時初めて知りました。その後も「シナリオをなぜ必要なるか」というツーの 反応が継続聞こえてきて、私は私でさえも、その答えを知らないまま黙々と作業をしなければならいました。また、「ゲームのような要素を追加してみるのはどうだろうか」とディレクター様の提案をしたとき、言葉により企画書にしてとみろいただき pptにして行きました。そして 、その企画書をレビューする過程でた従業員の方に 「なぜさせることもないことをしている」という言葉を聞いたことを覚えています。過ぎ去ったように言った言葉だ本人は忘れかもしれません。しかし、2年3ヶ月の間に、その言葉はずっと第頭の中に駆け巡った。 言葉あえて取り出さなくても、みんな、同様の考えをしてだろうという不安感が消え脂質んでした。 私のシナリオをはじめとする多くの企画をするたびに、「あれ、代替なぜしようというのですか?」「あの子あれ、またしようそうだね。他の仕事が多い」という考えをするつもりだろうか。
そんな気がしてとても辛かった、人と親しみも大変でした。
しかし、その言葉をされた二人を含めて、代表を除くすべての従業員の方々に悪感情はありません。
私を傷つける与えるためにした言葉ではないと思うし。概ね良い方であるということを、長い時間のように働いて知ってきたからです。
とにかく、私は 私の仕事に自信を持たないし、会社によく適応していないしました。 いつでも切らざるを得ないたい
コンピュータ支給を拒否して(小企業と資金がいろいろギリギリだと思いました)、2年の間に、個人のノートパソコンを持ち歩いて会社の仕事をしました。
いつでも残すことができるよう、机の上には何も置かないまま空置きました。
2.
私入射したときにアークベアーズは企画担当がディレクター様一人。アートを担当する方が二人。プログラマー三人。そして代表まで7人が会社の人員のすべてでした。
PVPモード以外のモードを開発する余力がなく、別の工数をかけずにシナリオを置くことができる方法を見つける必要がありました。
一度はチュートリアルに壮大を入れること。そして手紙やロビーのコメントを介して世界観を伝えることが最善でした。
また、GMレオン様が入射するまで会社に企画担当者は、ディレクター様と私はすべてのだったので... シナリオプロジェクトが暫定的に中断された期間中には、
続いて、他の計画と雑務をしてきました。 LogポリシーやUIの改善、戦闘時の処理の問題など、ゲーム内の企画から、
イベント検収やグッズ制作。販売店買物や包装などのゲームほか雑務まで。
広すぎると細かいことであるうえ、「シナリオのGM職を持っている人が担当していることだと見ることができないことだと、
私に何をしているかどうかが明らかにみても「シナリオGMがシナリオはない作っなぜあんなことをしているのか」音を聞くことがポンヘ明らかでした。
また、ユーザが「GM彩はシナリオもないし何をしているのか」と聞くたびにディレクター様も、ただ「GM彩さんはいろんなことをするのに忙しい」とだけ言って
確実に私は何をしていること、具体的に明らかにすることしたくないだ と思いました。
いろんなことをするのは楽しかったが、誰も知らずに、どこに行っても認められないことをしているという考えが続いました。
しかし、誰かがやるべきことであり、私が物事を熱心にすることにより、ゲームの発展に貢献することができると考えました。
しかし、やはり私はもともと引き受けた仕事(シナリオ)を継続していないためにについて。そしてこの会社に私は必要な理由について
確信を持たないたため 私の仕事に対する疑問と不安になりました。ディレクターの方に何度これに関連する話を取り出したが、
「よくしている」や「そんなプレッシャーは自分が打ち勝つことだ。会社はしてくれることができるものはない」という言葉を聞いたことを覚えています。
だからこれが普通だね。何とか自分で解決して勝たなければならな。する考えをしました。
アークベアーズはますます大きくなって、ますます多くの人々をかけました。人員を増やす過程で机が不足
空っぽの会議室に追い出され 、単独で 作業をしました。一人で部屋の中に埋め込まれている見て、私を除いて、オフィスの人々が
共にご飯を食べには、単独で残る時もしばしばありました。
しかし、その後ろには涙が多くなったことを見れば。 そして今、この記事を書きながらも涙が出るのを見ると、実際には大丈夫かとします。
多分その時から何かが間違っているということを直感したのかもしれません。
3.
そして、ある程度の時間が経って、一度触れたシナリオモードを再企画してみようという話が出ました。
私は恋愛シミュレーションゲームのようにキャラクタースタンディングが出て会話をするバージョンでは、簡単なカットシーンが出てきて、ビジュアルノベルのように
、テキストだけ浮かべて話を進めるのバージョン等... いくつかの企画したそのうちの1つのバージョンを採用してシナリオを書き始めました。
そのシナリオを作っていた渦中、カフェに上がってきたパッチノートを使用してシナリオモードが再びオプオジンことを知りました。
それまで私はどのような言質も聞いていないし、パッチが上がってきた次の出勤をしたら、「シナリオモードでは、空輸があまり含まれて伏せになった。
空輸はあまりかからないストーリーテリングをすることができる方法を見つけよう」という言葉を聞いたことた。
会社に通いながら一番大きく失望した瞬間ではないかと思います。
事実シナリオモードがなくなったことがこのような大きなことはありません。開発工数を減らすという言葉も当然できると思います。
しかし、中間過程を私に共有してくれず、ディレクター様と開発者の数人の相談だけですべてが決定され、その決定さえも
私に先に通知するのではなく、ユーザーに浮かべる通知を先に上げたのが、本当に傷がされました。
「この会社では、私何?」「私の役割は何ですか?」「私はどのように扱われているのですか?」...そんな思いがした瞬間に押しかけ頭が複雑でした。
初めて仕事を始めた時からずっとゲームと会社に愛情を持って最善を尽くして働いてきたのより衝撃を受けました。
その時から適切に仕事を進めていない。 何でもよく忘れてしまい、ぼんやりている時間が多くなり、
文字をよく読めないしセネ回の行を読んでいました。今もその以降退社直前までのものは、 記憶の中で退屈たように、よく思い出せません。
ただし頼まれた企画をか食べるか、ウェプトゥン作家様コンテを提供するのが遅くなったり。 データを誤って入力して、他のチームメンバーの方に申し訳ない感情が入っただけ覚えています。
第個人の心情が、とにかく。新しいコンテンツの追加が必要だった状況だったので、日誌や図鑑などを企画して、テキストを詰めました。
後で他の社員の方からプログラマ分の一人が「GM彩さんがあるかのようなものも、必ずしなければならと言い張っ
開発したところ、ユーザーは誰もいないならない」という言葉をしたことを聞きました。
私未熟してみると、開発者の方々に手が多く行ったことも、いろいろ足りないコンテンツを企画したことも知っています。
しかし、その代わりに仕事を引き受けて行うことができる人も、どのように作ればいいのか教えてくれる人もいませんでした。
方法は知らないのに、とにかくしなければならいました。私引き受けたすべてのものがそうでした。私はしなければならてすべきことをしただけです。
そしてそもそも、私はシナリオGMでした。シナリオGMがシナリオを入れてくれとお願いしたのが間違っているとは思わない。
シナリオが必要でない場合、あるいは持っていないとすれば。私を雇わないのが当たったと思います。
入社当初は与えられた仕事を一つずつして出て行く見てください。だからゲームをより硬くなって会社が大きくなる。
私が行くべき道を見つけることができないだろうか?私必ず必要な部分が生じないか?そんな希望がありました。
その考え一つで約2年余りの時間の間、会社を通ったとしても過言ではありません。
しかし、 その瞬間から、すべての信仰が消え、私自身と会社の疑問は確信に変わりました。
私はこのゲームをより良くすることができず、これ以上の成長可能性がありません。私が行ったことは、埋葬されるだろう...
そしてその時から、うつ病の症状が急激に激しくなり始めました。
4.
内臓がドキドキが感じられる。頭の中の血管が破裂しそうだ。胸がどきっと降り座ったときの、そのサハン気持ちが 24時間
一緒にしている気分だ。大嫌い。大嫌い。今、私が仕事をしなければジョトドゥェルだろうという事実を知るも何もする気力がかからない。
手が冷たく足冷たく泣きたい。ますます体になっていく感じだ。水分さえ抜けてしまえば本当に請求書になってしまいそうなので
、涙は首に戻ります。たまに太ももや目の下部のような部分が痙攣を起こす。