これって相当なストレスになるのに全然わかってもらえないよね。
幼稚園や小学生の頃ってやたら「残さず食べてえらい!」みたいな完食する事を美徳とする風潮があるけど、ああいう空気が「食べ残す事は悪」的な刷り込みになってるんだと思う。そして親や先生はそれが健全だと思い込んでて、子供に残さず全部食べさせる事も教育の一環だと勘違いしてるんだろうなって思う。
けど少食の人間から言わせてもらうと、食べられない人は本当に食べられないのにそんな事で余計なプレッシャーをかけないで欲しい。特に子供の頃は尚更。そんな事されたら食べることが嫌いになるだけなのに、何故わからないんだろう。
保育園で担任だった先生は食べ残しを絶対許さないたちで、少食だった私は毎日全部食べなさい、他の子は嫌がらないでちゃんと食べてるよって怒られながらごはんを食べた。限界で気持ち悪くなって吐いたら、嫌いなものを食べさせたから吐いて嫌がったのだと決めつけられて叱られた。本当につらかった。粗末にしてる訳でもわがままで残してるわけでもない、ただ生まれつき皆より食べられないだけなのになんで怒られないといけないのってずっと思ってた。
私には当時先生に言われて今でも忘れられない言葉がある。「そのわがままで残したお肉、〇〇ちゃんが食べなかったせいで命が無駄になっちゃうんだよ。その豚さんの命、〇〇ちゃんがゴミにしちゃった。可哀想」少食じゃない人はきっと先生の言葉は普通だ正論だって言うんだろうけど、私はこの言葉のせいで給食に肉や魚のおかずが出るのが怖くて仕方なかった。当時の私にはそれぐらい強いトラウマだった。無理やり食べさせてトラウマを作るのが健全な教育って言えるんだろうか。
他の子より食べられないんだって事を認めてあげる。食べ残す事は仕方ないことと理解する。責めたりしない。たったその程度のことがどうして出来ないんだろう。それが出来れば、例えばいただきますの前に各おかずの量をバランスをみて減らしてあげるとか、間違っても食べられない子を罵倒しながら無理に食べさせるより遥かにまともな対応が出来るはずなのに。
大の大人が食べ残しなんて、って理解のない人からは批判されるかも知れないけど、何なら「少ししか食べられない食の細い私アピール」みたいな捻くれた見方しかできない偏屈で頭の悪い女性もいるかもしれないけど私は成人した今でも外食時は普通に食べ残してる。食べ切れない時は本当に食べ切れないから。野菜不足は嫌だから追加でサラダ頼んで、でもメインの料理は残すみたいな食べ方も普通にする。でも私はこれを悪い事だと思ってないよ。ただ無理のない食べ方をしているだけ。あの担任の先生みたいな完食原理主義者からはそれなら外食なんかするなって言われそうだけど、じゃあ生まれつき少食の人間は友達と外食を楽しんではいけないのか?って話になるよね。
残すのは悪いことじゃない、食べ切れない時は無理に食べなくてもいい、こんな単純なことに気づくまでに10年以上もかかったけど、そう思えるようになってからは驚く程気持ちが楽になって、食事が苦痛じゃなくなった。それから一人暮らしするようになって、食べられる分だけ無理なく食べる現在のような食べ方をするようになって初めて、食べることにストレスを感じなくなった。食事を楽しいと思えるようにもなれた。
今思い返してみたら食事に対してトラウマが出来ていた子供時代のあの空気も先生の態度も全部異常だったんだなって思う。けど、今でもこういうバカみたいな考えの親、先生って多そうだよね。完食した子を褒めても良いけど、完食できない子を叱ったり無理に食べさせる事で真っ当な教育してる気にならないでほしい。
命を食う責任を感じない人間になりたくない
いや、それでも残さず食べられない事は悪なんだよ アフリカで飢餓に苦しんでるやつらの前で同じ事言えんのかよ
松本人志「アフリカの子供達だって腹一杯になったら残すやろ」
お前に残飯処理のコストを余計に払う気があるのなら、堂々とそう主張して問題ないんだろうけどな
大人にもなって食い物粗末にすることをグダグダ正当化するとかヤバイな…お前日本人じゃないんじゃないの? いただきますという言葉の意味ぐらい理解しような糞チョン