はてなキーワード: ソニーとは
五輪開会式と、『ルックバック』についてをむりやり結び付けた話です
「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)の副代表のコメントが朝日新聞に出ており、とても驚いた。
東京五輪で開閉会式のディレクターを務める小林賢太郎氏(48)が解任されたことを受け、米国の有力ユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」のエイブラハム・クーパー副代表は22日夜(日本時間23日午後)、朝日新聞の電話取材に応じ、「適切な動きだ」と語った。
問題の動画は、小林氏がお笑い芸人だった1998年に発売されたビデオに収録された。20年以上経って問題視されたことに対し、クーパー氏は「それでも責めて、責任を取らせるべきか。イエスだ」と語る。
その理由については「彼には自分の行いについて自省する時間があった。だが、不適切だったと認める声明はこれまで出てこなかった。3、4カ月前でも『私は若かった、考えが浅かった』と言えばよかった。それこそが彼の問題だ」と説明する。
自分が驚いたのは、同副代表が、2017年、欅坂46の「ナチス風衣装問題」でこのような発言をしていたから。
「ソニーは適切に対応した。すぐに人を(SWCの本部がある)ロサンゼルスに派遣し、私は東京に来た。こういったことも踏まえて、その数か月後にまた東京に来た。我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」
「我々の本当の関心事は、不幸な事案を学びの機会にすることだからだ。」
今回の小林賢太郎氏への声明においても、SWCは決して解任を求めているのではなく、あくまで謝罪と教育が求められているのだと思っていた。
昨今の「キャンセルカルチャー」とは一線を画すものだと思っていた。
この数年で、趨勢が変わったのだろうか。
ここで『ルックバック』の話になる。
ルックバックの犯人像が統合失調症に対する偏見であるという批判、それに対する反応。
そして、不当だと突っぱねるでもなく、謝罪して引き下げるでもなく、
ただ意見として受け入れればいいのでは、そう思っていた。
しかし、このように今「批判・抗議」がただちに辞任や解任、引き下げに直結している現状があるために、
正当であるかどうか強く判断され、単に受け入れることができない、といったことが起きていやしないか。
「何も要求しない、ただ批判であるだけの純粋な批判」があると思う。
これが昨今難しくなっている。
表現規制問題について、「お気持ち」と呼ばれ始めたそれについての話が特にそうだ。
ただちに規制に繋がらない限りは、不快感の表明は当然あるはずのものではないか。
「お気持ち」は、単に「お気持ち」である以上は、完全に正当なものではなかったか。
個人の感情から一足飛びに規制論へ飛ぶからこそ、「それは単なるあなたのお気持ちだ」、という批判ではなかったか。
それが今では、単に何も要求しないものについても、「お気持ち」という言葉が飛び交っているのを見ている。
現状では問題とはされていない、かくれた課題というのは無数にあるのだと思う。
それに光をあてていくには、まず知ってください、認識してください、と主張していくことが必要と思っている。
主張は不当と突っぱねられてしまう。
それまで完全に突っぱねてきたものが、急に変わるのか?
ただ意見として聞いてもらって、少しずつ変わっていくことはもうできないのか?
小山田氏が辞任した際に、「謝っても許されないのなら、みんな謝らないで無視することになる」というような意見が複数あった。
「許さない人がいるのは当然だろう、何言ってるんだ」、最初そう思った。
個人の感情として、許す、許さないがあるのは当然のことと思うから。
「許す」、「許さない」はそのまま「突っぱねるか」、「降りるか」の対立構造に限りなく近づいてしまっている。
自分は「謝っても許されないのなら」を、100%は否定できなくなってしまっている
矢面にたって集中砲火を食らえばいいと思っていた。
「ただ批判を受け入れる」ことは、場合によっては、降ろされるよりも厳しい場面があるのではと思う。
文化人文化人言うけど日本の文化人ってすっげー内弁慶野郎ばっかじゃん
正直そのへんのゲーム会社の名もなき社員のほうがグローバルスタンダード叩きこまれてるよね
落ちぶれたといわれるゲーム業界だけどそのへんはレベルが違うと思うわ
コーネリアスとかまじコーネリアス()って感じだしあげくラーメンズってw
いや、べつにそういう文化あっていいけど、こういう国際舞台に立つ人間の人選としてどうなのって思う人選のレベルっていうのかな
まじで任天堂とかソニーの社員でやったほうがよかったんじゃねーのって思う
めんどくせーなっておもいつつあれで何がいいか悪いかとわかってるよね
視聴率の敵とか言われてテレビ業界に足蹴りにされてたゲーム業界のほうがレベルたけーわ
こういうこと書いたらすぐデッドオアライブとかチェリーピッキングしてきて
「ほーんこれがゲーム業界のグローバルですか~」とか逆張りで言いそうだけどそういうことじゃねーからな
ゾーニングとか現地化とか線引きとかTPOが分かってるっていう意味な
狭い業界で特定層に受けることやってきた業界とは違うのよって話
最近人を傷つけない笑いすごい!とか言ってたじゃん、こういうことすぐいうじゃんお笑いオタクって
でも例えばミルクボーイのコーンフレークのネタなんて「コーンフレークは生産者の顔が見えない」とかで笑い取っててさ
これで人を傷つけないっていう評価してんの?って思ったよね
ミキとかもそうで、何かのネタで顔の話になって、弟が「ハーフ顔だぞ!」って自慢したら兄が「東南アジア系のだろ!」みたいなこと言って
これゴールデンで流すのかよって思ったよね
日本のお笑い、日本のテレビで評価されるってこの程度なんだなって
この程度で人を傷つけない笑いが時代がどうとか言ってるの~?って思った
自覚がないってやばいよ、人を傷つけますって言ってやるほうがまだいいよ
だからさ、こういうこと許す連中の思う人選だとそりゃあーなるよねって思う
この文章では特に何かを問題視して、解決しようとはしていません。別にそれで良くて、俺も世界に何かを望んではいない
でも少しくらい寂しさがある
都内一人暮らしの男性向けに気軽に入れる店。とやらの広告があるけどそこには気軽に食べたりサクッと飲むのに丁度いいとか書いてる
私は西友の弁当を食べて水道水飲んでる。アルコールアレルギーで酒は飲めない
なぜこの私がその店に興味あると思ったのか。広告をレコメンドしているAIが雑といえば、まあ納得できると思うけど、けしてそれだけではないんだよ
そもそも私にフィットする既存の経済活動が極端に少ない。世界一周旅行もポルシェも興味ない。旅行はしないし、運転免許は持っていない
自転車保険?自転車もってないよ、GoogleのGPS機能有効にしてるんだからそこから情報とってくりゃ、俺が日がな近所の公園を何キロも徒歩で散歩しているのはわかるだろうが、そういう情報と連動していないんですかね
GPSと広告連動していないのは、Googleの良心として受け取っておきます
つまり、自転車も乗らないし一日に1時間も瞑想したり散歩したり、酒が飲めない男向けの経済活動がこの世に存在しないんだろう
俺が最近お金使ったのはぶっ壊れたソニーの3万円位するイヤホンとMacBookProの買い替えだけだしな
そういう商品ってわざわざスポットの広告いれて売れるようなものじゃないから、広告に表示されないのはわかるし、一度買っただけで同じ商品を何度も広告に出されたらそれこそ発狂するので、これらの商品が広告に出ないのは当然なんだけど
興味のある広告が一つも無いの、世間から見放されている感があるなぁ。どちらかと言うと自分が世間を見放してしまったので、大抵のことに興味が起きなくなっているだけなのかもしれない
冒頭で寂しさと書いたけど思い返すと少し違うかもしれない、こういうのをわびしいって言うのかもしれない
なのでメダルゲームのスマホアプリインストールして脳死状態で延々とルーレットまわしている
外周の抽選では1/3、中央の皿には最終抽選に進むための穴が中央にあって、体感的に1/5くらいの確率で入る感じ
ラッシュチャンスでは5/6のあたりを引き続ける限りWIN倍率が積み上がっていく。
計算するとラッシュチャンス到達までの確率は、 1/3 * 1/5 * 1/8 なので 0.8%くらい
実際は中央の更にボールをHOLDしておいて、1/8 抽選でボールを3つ使える場合があるので、体感的にはラッシュ突入までの確率は1%以上は確実にあると思う
そんで、ラッシュ突入では (5/6) ^ N でN連チャンで連チャン数が上がるたびに確率が低くなっていく、多くの場合は5連チャン(40%)くらいまでなら行けるけど、まあ体感的に5連チャン引けないこともよくある
10連チャンは (5/6) ^ 10 で16%くらいなんだけど、脳死状態で抽選機を回し続けてるせいで16%とかめちゃくちゃ確率高いじゃん。っていう思考になってきている
でも実際の抽選は物理演算のルーレットを使ってるし、過去のボールが穴を塞いで確率がかわったりするので数字のとおりではないよなとか、
しかも穴を塞いでるからって別に確率が上がるとも限らないよなーとか。あたり穴の前後の穴が塞がれた場合は、はじかれたボールがアタリに入る確率上がるけど、ハズレ穴に囲まれたハズレ穴が塞がれただけだとそのハズレ穴にボールがきたとしても左右のハズレにボールが流れるだけなので実質的にはハズレが減ったとはみなせないよなあとか
そういうことして生きてる
ただのスマホゲームですらこんな感じなので、現金賭けるカジノやったら完全に脳が焼かれるでしょう
そういう広告が出てなくてよかった
ソニーはネガティブな反応ついてもソニーはずっと無視していたぞ
▼ソニーのウォークマン宣伝のページがWEBサイトから消える
「音のディティールを掴んで音楽の世界に夢中になれる」ヘッドホン
#Cornelius や #METAFIVE など、多様な音楽を紡いできた #小山田圭吾 さんギター
古くからの #ウォークマン ユーザーでもある小山田さんが、ご自身のリスニングスタイルと音楽専用機に感じている魅力を紹介しますスタジオマイク複数の音符
https://www.sony.jp/feature/products/200826/?s_tc=jp_sf_tw_feajrny_0827
▼該当ツイート
https://twitter.com/FeaturebySonyJp/status/1298849564854648832?s=20
知らん顔し続けてたファンとNHKとソニーに対してはこれが普通の反応だからわかった?というお気持ち
あと、
Back in the 1990s, when his star was still on the rise, the now 52-year-old Oyamada, in interviews with local music magazines, recalled how he would, among other things, force a mentally-disabled boy to eat his own feces and masturbate in front of other students.
(地元の音楽雑誌のインタビューで、知的障害のある少年に排泄物を食べさせたり、他の生徒の前で自慰行為をしたりしたことなどを語っていた。)
anond:20210718233928 anond:20210718234504 anond:20210719020302 anond:20210719022059
696 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 95de-E0YB) 2021/07/18(日) 22:36:34.18 ID:1pbJBg2v0
ゴンドウトモヒコ
EXIT兼近
若新雄純
そうはいうても上級国民の御子息だからこのまま逃げ切る可能性もワンチャンあるで
少なくとも30年は無視してこられたし
NHKに身内がいるからなのかそれとも世界の評価を受けてなのかNHKの仕事もやってたし
ソニーの広告も引き受けてネガティブな反応ついてもソニーは無視していた
なのにここ数日で消した
▼ソニーのウォークマン宣伝のページがWEBサイトから消える
「音のディティールを掴んで音楽の世界に夢中になれる」ヘッドホン
#Cornelius や #METAFIVE など、多様な音楽を紡いできた #小山田圭吾 さんギター
古くからの #ウォークマン ユーザーでもある小山田さんが、ご自身のリスニングスタイルと音楽専用機に感じている魅力を紹介しますスタジオマイク複数の音符
https://www.sony.jp/feature/products/200826/?s_tc=jp_sf_tw_feajrny_0827
▼該当ツイート
https://twitter.com/FeaturebySonyJp/status/1298849564854648832?s=20
まずは、
日本は一部の特権的な人たちのみ犯罪行為をしても公職や公的なイベントメンバーに就任出来る
日本は一部の特権的な人たちのみイベントの主役を虐待した過去があってもイベントメンバーに就任出来る
これを否定する事例が作れるだけでも一歩前進じゃないでしょうか?
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。
英国のデイリー・テレグラフ (The Telegraph)で取り上げられたので話題のひとつとして Resetera にポストされてた
Japanese composer (Cornelius) who abused disabled classmates and forced them to perform sex acts remains involved in Tokyo Olympics opening ceremony
🔴Tokyo Olympics organisers insist they are happy for a Keigo Oyamada to continue as a composer for the opening ceremony despite interviews resurfacing where he described abusing mentally ill classmates.
Fuckでいっぱい ← 残当
That translated article is kind of a sad read, and he definitely didn’t feel an ounce of remorse ← 残当
(その翻訳記事はちょっと悲しい内容で、彼には反省のかけらもありませんでした。)
I'd only believe he really changed if he revealed he spent the last couple decades trying to make things right and using a great deal of his time and money to assist his victims and disabled people in general. ← 一般的にはそうだろうね
(彼が本当に変わったと思うのは、過去数十年間、物事を正そうと努力し、自分の時間とお金を使って、被害者や一般の障害者を支援してきたことを明らかにした場合だけです。)
Cornelius is an artist I really admired, I am shocked at this. ←ほんこれな。この話はパラリンピック以前から知っては居たけど胸糞&反省なさ過ぎてな。彼の音楽は好きなんだけどね
(コーネリアスは本当に尊敬していたアーティストなので、今回のことはショックです。)
wooow,, did not know this about Cornelius, disgusted.
And he wasn't even a kid when he blatantly admitted to these things in interview, he was 25 at the time... I feel like tossing a couple songs off my spotify now I feel like tossing a couple songs off my spotify now ← 記事を見た時、ワイもそうした
(うわー、、コーネリアスについてこれを知りませんでした、うんざりです。
そして、彼がインタビューでこれらのことを露骨に認めたとき、彼は子供でさえありませんでした。彼は当時25歳でした
...私は今私のspotifyからいくつかの曲を投げたい気分です)
▼ソニーのウォークマン宣伝のページがWEBサイトから消える
「音のディティールを掴んで音楽の世界に夢中になれる」ヘッドホン
#Cornelius や #METAFIVE など、多様な音楽を紡いできた #小山田圭吾 さんギター
古くからの #ウォークマン ユーザーでもある小山田さんが、ご自身のリスニングスタイルと音楽専用機に感じている魅力を紹介しますスタジオマイク複数の音符
https://www.sony.jp/feature/products/200826/?s_tc=jp_sf_tw_feajrny_0827
該当ツイート
https://twitter.com/FeaturebySonyJp/status/1298849564854648832?s=20
ソニーも消すくらいなら調べてから宣伝に採用すりゃあイイのに・・・
それはともかく、
彼がやったことは許されることじゃないけど、犯罪者の再チャレンジを許さない社会はそれはそれでヤバいし、
or
これでじゅうぶんな禊ぎにはなると思う
これからも精力的に活躍はして欲しいがパラリンピックには不適切なのは明らかなのでとりあえず辞退して
anond:20210718071328 anond:20210718113849 anond:20210718120209 anond:20210718120548 anond:20210718123324 anond:20210718130753 anond:20210718133951 anond:20210718170015
バカが考えもせずに「ゲームに批評なんて必要ない!」ってキレてる姿がよくネットで散見される。
録画してカウチポテトで爆笑しながら鑑賞したいくらいおもしろいバカなんだけど、バカが心配せずとも、批評はどんな分野にも必要で、にもかかわらずゲームに批評は今も昔もこれからも存在しないので大丈夫です。
「あらゆるゲームを網羅しているフリができる人がいないから」。
批評っていうのはつきつめればおもしろいつまらない価値があるこれはゴミだみたいな判断を下すことなんだけど、
じゃあなんのために価値をつけるのか、っていえば、歴史にその作品を位置づけるためです。ここでいう歴史っていうのは何年にスーパーファミコンが発売されて何年にファイナルファンタジー6が出ました、とかそういうカタログの話ではありません。いやまあ、カタログの話と関係ないわけではないんだけど。
で、その歴史が何でなりたっているかというと、網羅性と「名作」への共同幻想なわけですよ。
これがゲームでは大変むずかしい。
網羅性とは最初に言った「あらゆるゲームを網羅しているフリ」です。
まあ不可能ですよね。どっかのエレクトロミュージシャンがファミコンで発売されたソフトをすべて買って遊んでいたと語っていた記憶がありますが、それが可能だったのはせいぜいファミコンまでだったでしょう。
現在は主要なコンソールだけでも三つもプラットフォームがありますし、PCのインディーゲームにまで手を伸ばしたらキリがない。
プレイ時間だって今どきの大作となれば、クリアまで100時間超えなんてのは普通です。一日一時間〜二時間ずつ進めたとしても一つのタイトルに二ヶ月もかかりっきりになってしまう。そのあいだに、映画なら50本も観られるのに。
JRPGは基本的にレベル上げにさえ時間さえかければクリアできますが、一部のアクションゲームやシューティング、パズルゲームなどはプレイヤーのスキルに依存するため、下手くそはクリアできないという事態が普通に発生する。映画や小説はとりあえず読めば、内容を理解できているかどうかに関わらず、エンディングまでいけます。ゲームはそれすら許さない。そして、ゲームジャンルの得意不得意は人によって異なる。
映画にだってホラー専門の批評家や、SF専門の評論家もいるじゃないか、それと同じでJRPGしかできない人がJRPGの範囲で批評をやる分にはかまわないのでは? と反論される方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、○○専門の批評が成り立つのはメインストリームの批評が存在するからこそであり、そうした足場をそもそも持たないゲーム批評では専門批評もまたありえないのです。攻撃してくる相手がいないことにはカウンターパンチを打てないのといっしょです。
じゃあ、映画の批評家とかは映画ぜんぶ観ているのか。もちろん、そんなわけはない。他の芸術・文学分野でも供給はとっく過多に成り果てている。
でも、かれらは「すべて観ている・読んでいるフリ」ができるわけです。
あああの作家のあの作品ね。こんな感じなんでしょ。と観なくてもいえる。
なぜそんなことが可能なのかといえば、軸となる歴史的名作についての共通了解があるから。
暇さえあれば「20世紀の名作ベスト100!」とかオールタイム・ベスト投票企画をしょっちゅうやっている。
そんな五年とか十年とかの間隔で投票してもメンツ変わらんやろ、と思うし実際にかわりばえしない。しかし、とにかく議論のベースとなる古典を決めておいて、ノるにしろアンチするにしろ、その上でバトりあう。
ゲームにはそれがない。
けれども、なぜそれが画期であり古典なのかを説明できる人はそんなにいない。
ものによったら「その世代にたくさんの人が遊んだから名前が残っているだけ」というのもある。別にそれで残って悪いことはないんだけど、歴史に対する位置付けはやっぱりできていない。
映画や小説だって簡単にアクセスできる古典とできない古典の差がはげしいんだけど、ゲームほどじゃない。
今でこそニンテンドーもソニーもアーカイブスを持ってはいるんだけど、新機種に切り替わるごとにゼロからまたスクラップ&ビルドしているかんじで、ぜんぜん蓄積になってない。どうせ、昔を懐かしんでる年寄りしかやんねえだろ、みたいなナメた意識がありありと伺える。
出している側がそんなんだから、受け取る側の意識が育つわけない。
近所のホールで学校行事の作文発表会(?)をやったときのこと。
当然のように放送部は運営を手伝うんだけど、田舎ながら仮にもホールだからちゃんとした設備がある。専属のPAさんもいて、放送部の出る幕などあるわけがない。
なんかおもしろくなくて、生意気にもPAさんに『ビデオカメラにも音声おろしてください!』と言ってしまった。
PAさんは呆れた顔をしながら「それ、キャノンあるの?」と尋ねてきたから、『あ、これソニーです』と返した。
返した瞬間、やってしまったと思った。メーカーじゃない!入力端子の話だ!!XLR端子!!!
PAさん真顔になって、たぶんめちゃくちゃ言われたんだけど、もう何を言われたか覚えていない。
いま思い出してもクソ恥ずかしい。
コーナーの趣旨は、ソニー所属芸人がソニー製品持っているかチェックというものです。多分まだTverで見れるはず。
ソニー芸人の若い女の子の芸人の家に行ったときにOPPOのスマホとFiFineのイヤホンが出てきて
現場の小峠はじめ、スタジオ一同も聞いたこともない何じゃそりゃ〜っていうバカにする下りがあったんだけど、
普通にガジェットいじってる人間だったらOPPOのスマホとか超有名で知ってて当然だし、マニアならFiFineも名前くらいは聞いたことあるはずで。
FIFine(ファイファイン)をフィフィンって呼んじゃうスタジオや制作陣のほうがよほど物を知らないし、番組進行でバカにされてた女の子芸人の方がよほど最先端のテクノロジーやガジェット使いこなしている様が、典型的な物を知らない人が知識人をバカにしている様子で、滑稽を通り越して薄ら寒かった。
日本はガラパゴスのまま世界に差をつけられて沈んでいってるんだなぁというのは薄っすらと肌感覚では感じていたんだけど、なんかあのシーンは衝撃的で、本気でこの国ヤベーっという感じになった。
吉本の芸人のEXITというコンビがソニーからアーティストとしてデビューし、その新曲の「なあ人類」が公開された(https://www.youtube.com/watch?v=-llgmjt0C7U)。
されたんだが、これを聞いてみるとまあ酷いというか、現代においてどういう態度が「知性的」とされているかを象徴するような内容だった。
この曲の歌詞は要約すると、「"正義"を振りかざす人間が一番他人を抑圧しているだろ」というよくあるものだ。
具体的に見ていくと、
よくある誤解だが、多様性とは「一つの正解のみが存在するわけではない」という思想であって、「不正解が存在しない」という思想ではない。
こんなのちょっと考えれば解ることだが、我々の社会はすでに法律という規則を設けて、ここから逸脱するような人間を牢獄にぶち込んでいる。明確に正解不正解を権力で判定しながら暮らしているわけ。
この「不正解」の中に実は正解が入ってないか常に見直しましょう、というのが多様性のある社会の一つの姿勢で、「同性愛者」「危険な思想を公言しただけの人」とかいろいろな属性がその中から救い出されてきた。
要するに、社会というモノには厳然として「不正解」は存在する。この辺を曖昧にしてるとすぐ「人の権利を侵害する権利」だの「差別主義も多様性の一つ」みたいな御託が沸いてくる。
じゃあどこで「正解」「不正解」の境界を引くのか、というのが重要で難しい問題で、ここに多様な議論があるのは間違いない。「萌え絵を公共の場に出すな」みたいな議論は「萌え絵」を不正解の側に追いやるような議論な訳で、こういうのには私も同意しないよ。こういう点でリベラルとかフェミニストとかが万全に正しいわけじゃないとは自分も思うが、「不正解とかないし」はいくらなんでも、いくらなんでも酷すぎるほど粗雑。
「どこで正常と異常に線を引くのか?」という、最近なら朝井リョウの小説『正欲』みたいな問題意識なら大きな価値があるだろうが、この歌が言いたいことは「なんか説教してくるやつウザい」でしかない。さすがに中学生くらいでそのメンタルは卒業してくれ。
ここがこの歌のヤバさが爆発するところだが、マジでWikipediaでコロンブスを記事を流し読みするだけでもこんなことは口が裂けても言えないだろ。
コロンブスがアメリカ大陸を見つけた頃の人類社会には言論の自由も思想の自由も信教の自由も職業選択の自由も・・・・・・列挙していけばキリがないくらい何の自由もなかった。
奴隷という身分が公然と存在していたし、そもそもコロンブスは奴隷商人だった。
コロンブスがアメリカ大陸を見つけたのは「希望」だったのかもしれないが、アメリカ大陸側にしてみれば破滅的な悪夢の始まりだった(本当の本当にアメリカ先住民の歴史についてミリも知らないとしか思えない)。
百歩譲って、コロンブスのような当時の社会のマジョリティにとっては自由や希望に溢れた社会だったかも知れないが、なぜその当時差別される側だった有色人種のEXITがこれを肯定的に歌っているんだろうか。あなたたちが大航海時代にタイムスリップしたとしたら、「自由」も「希望」も全く享受できない身分だと思いますけど。この手の人って自分も世界的にはマイノリティの部類なのになぜかマジョリティの視点に共感しがちなんだよな。
コロンブスが生きた時代に、自由も希望もなく絶望に支配されていた人たちが、それでも希望を失わず戦い続けた遙かな延長線上に現代社会があるわけだけど、マジで違う世界を見ているんじゃないかとさえ思ってしまう。
もうね、この歌って要するにリベラルとかフェミニストに対する反感で全てが支配された人間の思考なんですよ。上でも書いたけど、いわゆるリベラルとかフェミニストの中にも粗雑な議論をする人はいっぱいいるし、そもそも端から見れば釣りメガネを掛けた女性教師的な、鼻につく傲慢さを感じるところもあると思うよ。
でも歴史的なスパンで見てリベラリズムやフェミニズムを否定することはいくら何でも出来ないわけ。基本的人権はなくても良かったとか、黒人や女性の人権が向上しなくても良かったと断言できる人だけがそういうことを言うべき。
これもうんざりするほど使い古された「正義の暴走が一番怖い」ってやつなんだけど、頼むから正義の暴走を懸念する前に正義がないことに怒ってくれ。
こういう人たちって例えばアメリカのBLMに対して「あんなのはただのテロ」「こういうことをするから黒人は差別されるんだ」とか言ってる人にかなりダブると思うんだけど、BLMの過激さに憤りを示せるのであれば、長年にわたってアメリカで公然と行われてきた黒人差別にまず怒ってくれよ。なんで彼らがああいう行動に出た考えてくれよ。
何か論争があるとネトウヨの文法に絡み取られて正常な議論が進まず、イデオロギーの問題にすり替えられてしまう。
「左のネトウヨ」という言葉もあるように、「ウヨ」であるか「サヨ」であるかはもはや関係ない。
そもそもネトウヨとは何なのかという話になるけど、これの定義は難しい。
古谷経衡は「中韓と朝日新聞が嫌いな人」と定義したことがあったが、これはもう当てはまらない。
彼らの嫌いなものは日進月歩で増え続けており、もはや何が嫌いかで語ることは不可能だ。
宗教で考えるとユダヤ人のようなものかもしれない。ユダヤ人の定義は一応あるが実態はあいまいで、「何となくユダヤっぽい」文化集団の一員であることをもって他者からユダヤ人と認識される。
ネトウヨ自身何か定義してるわけでも、入信の儀式をするわけでもないが、「なんとなくネトウヨっぽい」思想集団のことをネトウヨと他者は呼称する。
丸山眞男が右翼的な傾向を下記の10項目でまとめていて、これがよくできているように思うので、これを狭義のネトウヨの定義としてもいいのかもしれない。
(1)他のあらゆる忠誠に対する国家的忠誠の優先
(5)国民的伝統・文化を外部からの邪悪な影響から守れというアピール
(7)社会的結合の基本的紐帯(ちゅうたい)としての家族と郷土の重視
(10)知識人あるいは自由職業人に対して、彼らが破壊的な思想傾向の普及者になりやすいという理由から、警戒と猜疑の念をいだく傾向。
単にネトウヨを「政治関連で特定の思想をもって話す人物」に固定すると話はこれで終わるのだが、
興味深いのはネトウヨのように発生した別のムーブメントが複数見られる点だ。
覚えている人は少ないかもしれないが、かつて野球で「イボゴキ論争」という物があった。
野球選手の松井秀喜選手とイチロー選手のどちらが優れているかという論争で、この論争での書き込みがネトウヨそのまんまだったのである。
もう一つはゲハ戦争がある。
これも任天堂とソニーのどちらが優れたゲームハードを擁するかという論争で現在も続いているが、これまたネトウヨそのもののやり取りが続いている。
似たような論争は他のジャンルにもあるだろう。
今後も似たような論争は生まれてくるはずだ。
ネトウヨというのは単なるネット上での政治的論争に収まるものではなく、より広範な、ネット社会でのフォーマットになっている。
日本人はネットを使い始めると同時にこのネトウヨフォーマットに汚染されるので、「これはおかしいことだ」と思わなくなっている。
しかしその害毒は明確に社会を毒し、家族を侵し、個人を害している。
ネトウヨフォーマットはある種の依存症を生み出し、そのフォーマットの中でしかものを考えなくなる。
例えば、ある意見を見て「これは右か左か」「敵か味方か」「どの陣営の発言か」を先に気にするようになる。それに沿った思考しかできなくなるという恐ろしい病である。
AI時代に必要とされる人間の判断力を根こそぎ奪う、恐ろしい公害だ。そしてこれは人の死に直結することでもある。
とりあえず、普遍的な公害としての名前を新たに作ってほしいところではある。
ネトウヨという名前に矮小化されてしまうことで、この公害の恐ろしさが過小評価されてしまっている。