はてなキーワード: 金髪とは
私は20代後半の男性、今までの人生における髪型は、小学生低学年の前髪が目にかかるぐらい伸ばしていた以外は、小学生中学年以降ずっとスポーツ刈り。
中学生半ば、高校生にもなれば、もはやそれは坊主へと髪型は固定され20代後半になるまで髪型は変わらず坊主だった。
しかし20代前半辺りから思っている事があった、それは「オールバックを一度でいいからしたい」ただ単純な願望だった。
だが坊主の経験がある者なら分かるかもしれないが、坊主の状態から髪がある程度伸びると髪の先端が耳にかかって、
紙のこよりで『こちょこちょ』されているようで、正直うっとおしく、それが嫌で坊主にしていたので中々髪が伸ばせなかった。
それは25歳になっても続き、気がつけば20代後半に突入していた。私生活の忙しさや、精神的なダウンしていた事により、
洗顔や歯磨きといった基本中の基本の身だしなみを整えるだけで精一杯だった為、気がつけば髪が今まで以上に伸びていた。
髪が伸びている自覚があったものの、やはり散髪する余裕も無いまま、時だけが過ぎていった結果、
小学生低学年時とは言わないまでも久々かと思えるぐらい髪が伸びてしまったので、もうここまできたら伸ばそうと決めた。
それから数ヶ月、髪が小学生低学年時の記録を超えて伸びたのはいいが、実際問題、
私の人生においてそこまで髪が伸びたことがないので『前髪がウザい』『洗顔時に前面の髪がビシャビシャになる』等といった問題に直面した。
母上にアドバイスをいただきヘアバンドなる物を装着してみたが、恥ずかしながら私の頭は割とデカいので、装着したものの『ゴムの元に戻る力で髪の上を滑り、
スポンと抜けてしまう』もしくは『おでこに下がってきてラーメン屋スタイルになる』という新たな問題に直面した。
これには困った、そこでヘアジェル(ハードタイプ)なる物をこれまた母上からいただき、早速塗り慣れない手で櫛を使い七三分けにしてみた。
なるほど、これは便利。この日から私の人生から『ヘアジェルを塗る』という工程が加わった。
そしてまた数ヶ月経ち、伸びた私の髪はついにオールバックにする事が出来た。「自分がオールバックにするとこういう外見になるのか……」と思いつつも、これには満足がいった。
目標も達成したので、もうそろそろ髪を切ろうかなと思っているとそこへとある一言、「どうせ切るなら金髪とか髪染めてみない?」と言う発言。
これには悩んだ。外見とか、日常的には髪を染めてもいい状況かなど、そんな事はどうという事は無い。問題は頭皮へのダメージだ。
幸い、我が家に頭がハゲ上がるような者は一人もいないので高確率でハゲる事はないだろう。
しかし髪を染めるとなれば話は別だ、どれぐらいダメージあるのかと気になり、ある程度調べたりした。
悩んだ結果、「金髪なんて余程似合う人でもない限り、若い内にやっておかないと痛い外見になりかねないから今のうちにやっておくか。もう20代後半だけど。今を逃すとキツそう。」という考えに至り、
出来るだけ頭皮にダメージを与えないタイプの金髪用ブリーチを買い、親に手伝って貰いつつ染めることにした。
染めている間は暇だというのは話には聞いていたが、本当に暇を持て余していた。あまり顔を動かせないのでTVをボーっと見つめている間に終わった。
髪を洗い流し、鏡を見て驚いた。鏡を見て抱いた第一印象は「誰だコイツ」。その一言に尽きた。
その日以来、鏡を見るたびに見慣れない自分の姿が映るので、家でも外出先でも、鏡に映った自分を見てはビクついていた。
それから数日後、季節は真夏。坊主では楽だった髪も長髪では話が違う。
夏は蒸れるわ、蒸れた影響で痒い。季節関わらなくても、ヘアジェル・シャンプー&リンス量使うわ、洗うにも乾かすにも時間が掛かるわで徐々に自分の髪にストレスが溜まってきた。
坊主時代なら、シャンプー&リンスもワンプッシュもいらない半プッシュで済むし、髪はパパッと洗えて、乾いたタオルで拭けばドライヤー要らずだった。正反対過ぎる状況にもはや限界だった。
あぁ、なんという素晴らしき事か、すこぶる気分が清々しい!こんなにも頭が軽いとは!世界は明るいぞ!!
なんて高揚した気分に浸りつつも、カットされた髪を見て「こんなに長かったのか……」と驚いた。そりゃ色々と髪に使うもの量減るのは当然か。
去年の9月に大学を卒業し、フリーターとして社員数が数十人のスタートアップ企業で働いていた。
社員の方は皆モチベーション高く働いていて、旧態依然とした業界の慣習を変えようと日夜仕事に打ち込んでいる。
その一員として働けるということに誇りを感じる一方、得も言えぬ違和感を覚えることも多々あったのも確かだ。
当時から成果は全く上げられてなかった。
けれども温情なのか、ほどなくして正社員として働かしてくれることになった。
辞めた理由はとにもかくにもその業種が好きになれなかったことに尽きる。というか、嫌いだった。
「とにかく打ち込んでいれば好きになれるかもしれない」と思い残業もしつつなんとかやっていた。
頑張ってはいたが、正社員になり仕事量がさらに増えたことが原因なのか、ある時ぷつんと糸が切れてしまった。
その日から一度も会社に行っていない。ので実質辞めたと言ってもいいと思う。
突然辞めることに対する後ろめたさは特にないが(特に重大なタスクも抱えていない、あるのは膨大な量だけ)、
業界に馴染めないということをわかっていた上でここまで(正社員にさせて頂けるまで)働いていたことに関しては
本当に申し訳なく思う。完全な失態。もっと早く判断すべきでした。ごめんなさい。
しかしなぁ。。未だにPVにこだわったオウンドメディアを作ろうとしているのはいかがなものなのだろうか。
それに代わる具体的な戦略も描けず文句ばかりで情けなさ甚だしいが、そのやり方はもう辞めませんかと言いたかった。
検索結果を低品質な記事で埋めてしまうことに対する恥ずかしさとかはないのだろうか。
どうせやるなら1万人の中の1人に刺さるダサいキュレーションメディアよりも、
そうなっていたとしても続けていられた保証はないけれど。
言えば言うほど情けないな、これ。
二次にしろ三次にしろ、「どういうのが好み?」と聞かれると詰まってしまう。
環境ごとになんとなくの序列はつけられるけど、それぞれの一位に共通項があるかといえばそうでもないし。
結局は「みんな違って、みんな良い」に回収されてしまう。
「自分は○○推し!」とか「○○属性が好き!」みたいに立場を決めることができない。
最初はそれでも特に問題ないだろと思ってたんだけど、人と関わっていくなかで、
自分で発言の立場を決められないと、イマイチ話の輪に馴染めないってことに気づいてきた。
どこに対しても「それもいいよねー」って頷いてるだけって、相手からしたら面白くないのよな。
掘り下げ甲斐がないっつーか。
はじめてやったギャルゲーではおとなしい図書委員の子が好きだった。
でも他の作品では金髪ロリ娘やら先生やら、性格も容姿も属性もばらばら。
デイサービス友達とお昼食べるときにお金を持たなくなって、そのお友だちがなんだか変よって私に教えてくれた。
そこからはあっという間で、ほんとうにあっという間に孫のこと忘れちゃった。
働き者で、しっかりしてて、いつも商店でぽたぽた焼買ってくれてた。中学生のときぽたぽた焼あんまり好きじゃないって言ったのにいつもぽたぽた焼。小さいときそればっかり食べてたから。
金髪ギャルになったとき、おばあちゃんだけがおしゃれだねぇっていってくれた。
ボケても徘徊したり、暴れたりしなくてぼーっとしてた。最後まで家族に迷惑かけない優しいおばあちゃん。
おばあちゃんが私を覚えてるときに最後にいった言葉が分からない。悔しい。
寂しい。会いたい。
夢に出てきてほしい。
なので、はてなブックマークでお馴染みの面々に隠されたプロデューサーとしての一面を見ぬこうと思います。
サバカレーさんはアイコンの人形を、真壁さんはリトルミズキの人形をと、二人とも人形を扱うので、似ている。
近田さんは牛そのものであり、及川雫は雪像で牛を作るぐらい牛が大好きなので、似ている。
古谷楓さんはもう何年も6歳と言い続けている永遠の6歳児で、安部菜々さんも永遠の17歳なので、似ている。
ワロスハッカーさんは見た目の通りよくゲーム実況をしていて、三好紗南さんはゲームが大好きなので、似ている。
ユタ25さんとはるちん。
二人ともサッカーが好きなので、似ている。
めとろさんと矢口美羽。
二人ともボキャブラ天国が好きなのて、似ている。ボキャブラが好きだと言う設定はない。それにめとろさんは杏Pだったきがする。
周防桃子さんは杉村三郎さんの娘さんと名前が同じ桃子なので同一人物説。
kash06とクラリスさん。
アクメさんと緒方智絵里。
自分は(娘だが)父親に「あしながおじさん」を進められたときはこういう恋愛小説に興味がなく、なんでこんな他人(年上のお姉さん)の手紙をえんえんと覗き見などしなければならんのだとおもった。
今となってはもちろん、ツンデレなおじさん(金髪碧眼の若い男性である。執事にジャービス坊ちゃんとかよばれているええとこの子である)がとてもかわいいですねという生ぬるい目で見ることができる。
あと濫読家で妹がうるさい家だったので暇つぶしもかねて小学校中学校の900(日本文学・世界文学)のあたりはありったけ読んだ。
3冊まで借りられたので、シリーズ化してあればなんでも読んだ。(全集でないのは毛色が違う取り合わせになるので選ぶのが面倒)
ねしょんべん物語も落語全集も世界創成童話も南洋一のルパンもシャーロックもSF全集のトリフィドもコバルト文庫の氷室冴子も星新一も、まあ背表紙が同じ色の版型同一の本が棚に並んでいれば(そしてだれかに先に借りられていなければ)すべて読んだ。
しかし他人の「心理」とか「日常」とかを追跡する面白さは大きくなるまでなかなか感じられなかった。夢野久作なんか心の中の話しかしてないけどおもしろいので小学校で読んでたらショックだったかもしれないな。いやそうでもないか。
ルナールさんのにんじん、オチはそれでいいんかい。でも、ちょっとわかってしまった。2chから流行った毒親文学の走りだね。
小公女ポリアンナ、アニメはチャンネル権を主張する妹たちがいたために見ることはなかったけど、成人してから読むと強烈だな。「よかった探し」というミームをつくったのこいつやで。
赤毛のアンはテレビで見れた。今見ると馬車とかやはり宮崎動画だけあって木漏れ日とか子供向けなのにめっちゃがんばってる(そして低予算なのでたぶん子供の時はわかってなかった)
そのあとお小遣いが増えて漫画が買えるようになりSF系少女漫画やコバルト文庫も好きなだけ変えるようになり(少女向けsf漫画の出始め)、ウィングス創刊に立ち会った。ズッコケはたぶん自分が高校ごろでそのあと怪盗ゾロリとかでて自分の子供世代だとゾロリは全巻必修だったのかな。アンパンマンも地味な扱いだったと思う。今みたいなポケモンみたいなアニメ系作画じゃない水彩っぽい絵本がぽつぽつとでてはいた。児童だとバーバパパ、あと長靴下のピッピ、マガーク探偵団(これもなかなか長い)(しかし主人公が不細工で絵も今いち)
子供が特定の本を選ばないのは「長い文章がいやだ」「ふりがながふっていない」「文庫本は字が小さい」「挿絵が怖そうに感じられた」といった些細な理由だと思う。
追記、そういえばクレヨン王国シリーズは妹がたくさん集めていた。自分は誰も知らない小さな国シリーズ出てるだけ読んだくらいだなあ。
腐女子です
カラーなんて夢のまた夢です
だから多分なんですけど
でもすきなキャラが登場する話数まで
アニメは到達してません
長いこと二次創作をし続けてました
病的にというか……
かいていて、すごく楽しくて……
そういう立ち振る舞いが、プレーが
できるまで、彼はどうやって生きてきたんだろうこれからどうやって生きていくんだろう
って考えると筆が止まりませんでした。
でも最近はその熱も冷めつつあって、時の流れは早くて、
めっきりかくことをやめてました。
する人を見つけ(?)まして
生きててよかったー!と思って
なにより、彼がこの人(かいた方)に見つけてもらえて、自由に動いて喋って、感情を持っていて、本当にうれしいきもちになって
きみは高校3年間最後の試合、すっっっごく悔しかったろうけど、でも、よかったー!
この先君の頑張りや人生がこの素敵な絵師さんに、かいてもらえるかもしれないなあ!よかったなあ!と思って、そうして、その絵師さんのツイートをRTしていいねしている皆さんに、こんなに素敵な人がいたよ、って知ってもらえてよかったなあ〜なんて思って、
支部で……その推しの名前で検索をかけたらなんだか結果が自分ばかりで、
熱もって創作していた頃を思い出して、
少し涙が出て
「わたしばっかじゃん!」
なんて本音もあるけれど、
もう1回彼の創作したいな、と思ったりして、変な話ですが、うれしいと同時になんだか自分の元から勝手に巣立って行ったような気持ちにもなりまして、なーに言ってんだ、元々わたしのものなんかじゃないっての、なんてふざけみたりもして、でも、なんだかちょっと寂しいかもしれないです。いや、うれしいです。うれしいの方がおっきい。うれしいです。ほんとうに、すごく。なんせほかの人の創作、見れないんだろうな〜って思ってましたから。
増えるといいな〜とか、マイナーとか、モブとか、マイナーカプだからー、とかつぶやく元気もなかったというか……。元気があった頃はフォロワーさんにねだったりもしてました。なつかしいです。ねだってかいて貰ったものもすっごくうれしかった。それは本当です。
だけど、
こうして、自分以外の方の推しが見れるのって、こんなにうれしいことだったんだなって、再確認しました。
今、自分がいるジャンル、そして自分の推しはメインキャラの1人なので、自分以外の方の推しを見慣れてしまっていて、こう……リスペクトが足りない発言なども自分はどこかでしているような気がします。
気をつけよう、と思います。
本当に嬉しくて、嬉しくて、仕方がありません。ありがとうございます。ありがとう推しくん。ありがとうございます。
なんだか恥ずかしいので推しくんの名前を伏せています。すみません。
でももしも、推しくんを推している方がいらしたら、その方たちともこの喜びを分かち合いたい(?)気持ちがあるので、作品名だけ……ハイキューです。
母はかなり太っていて、私は痩せている
たまに母に会うと、必ず「いかに私が痩せているか」、「足が細過ぎて気持ち悪い」、「痩せてるからオシャレができて羨ましい」などの体型に関しての言及をされる
私が普通に食べていても太らないことを母は知っているから、ちゃんと食べてないんじゃないか?という親心ではない
そこに脈絡などないし、目的もない(不安から意味のないことを口に出しているだけ)
なんだか疲れる
普段自分から人の体型に言及することなどない私からすれば、母や世の中の少なくない数の人間が太っている/痩せているの話題を好むことが不思議でならない
他人の体についてごちゃごちゃ言う人は精神的に未熟だとすら思う
はてブでもダイエット記事が人気なのかときどきホッテントリ入りしているが、そのブコメ欄で太っていることへのものすごい嫌悪をにじませたコメントを見ることもある
なんだか怖い
健康に問題があるほど痩せている/太っている人が健康を大切にしたいと思った時に、自分でどうにかしたいと思うのはわかる
肥満や痩せすぎが寿命を縮める、というのは価値観でなく事実のようだし
健康でいることがその人にとって重要でそのために体型を変える必要があるなら、それは各自頑張ってくれたらいい
でも人の体型なんてどうでもいいではないか
私が痩せていることで何か迷惑か?
母が太っていると何か悪いのか?
そんなことはないだろう
母が過剰に私と母の体型を比較するようになったのは、世間が「細い方がよい、太いのは悪(または許されないほどに醜い)」みたいな考え方を植えつけたからに思える
そんなものを植えつけられてしまう母の愚かさもどうかと思うが、母だけでなく人は世間の空気というものに影響されて生きている
(私の体型に言及してくる人は母だけではない)
例えば「肥満は悪で痩せていることは善」の別バージョンとして、「赤毛は醜い・金髪は馬鹿」や「筋肉があるほうが偉い」など色々あり、全部同じようにくだらないのだが、それらを自明なことかのように信じている人も少なくない
考えてみるに、世の中には人に劣等感を植えつけるためだけの言説がはびこっている
それらは主にお金を稼ぐために利用されるが、これほど醜いこともないと思う
醜いものを問題とするのであれば、太っていること、痩せていること、髪が少ないこと、肌が荒れていること、背が小さいこと、背が大きすぎること、などなどを醜いと嫌悪する感情こそが一番醜いのだが、それらはあまり(その醜悪さに見合うほど)非難されない
なぜだろう
「劣等感があるから頑張れた」みたいなことも聞くが、適切な自己肯定感はそれよりもはるかによい
だから、みなが住みよい社会のためには、人に劣等感を植えつけるための言説は淘汰されるのがよい
だからこれに関しても今後人々の意識が変わり改善されていくだろうと期待している
とりあえず私個人ができることとして、次回母が私の体型に言及してきたときになんて返せば母の体型へのこだわりを薄められるか、考えているところ
※勘違いしないでほしいが、例えば「顔に大きな痣がある人」を見たときにウワッと思って一瞬嫌悪する、そのようなことは仕方がないと思っている(「顔の痣」を何に置き換えてもらっても構わない)
しかし、そうした嫌悪感情をおおっぴらに表に出すことは問題がある
世の中には同じものを見てもなんとも思わない(嫌悪しない)人がいるのに、そうした嫌悪感情の開陳はそういう人間にも嫌悪をうながし、本来嫌悪しなくて済んでいたものを嫌悪させることにつながるからだ
個人の中で終わらせればいいことだ、といえのが私の考え
ラクショーすぎるわ
24 数学 アリスSOS(問題)・仮面ライダービルド(必殺技)
48 ルービックキューブ ファイ・ブレイン(キュービック・ガロア)
49 バルーンアート ジョジョSBR(まだアニメ化してない世界だがアニメ化するのはほぼ確定の世界だから問題ないはずの世界だ)
52 漬物 ボボボーボ・ボーボボ(けものはいてものけものはいない)
65 ハーモニカ ふたつのスピカ(見上げてごらん夜の星を)
78 バードウォッチング ガンダム(手の空いている者は左舷を見ろ)
83 そば打ち てーきゅう(ごめん。うどんだった。まあ誤差みたいなもんでしょ)
90 フラワーアレンジメント アリスと蔵六(よく考えたら花屋とガーデニングって似て非なるもんだわメンゴメンゴ)
94 ダム巡り ∀ガンダム(ダムはガンダムのダムでありその歴史を巡っている∀ガンダムは実質ダム巡り)
98 ジグソーパズル 宇宙兄弟(ふたつのスピカと迷ったけど同じネタ2回は流石にね)
100 ステンドグラス まどマギ(なんかそんな演出合った気がする)
よっし俺の勝ち!
ネットで「最低」「見所がない」って言われてても、なんとなくユルく面白く見ることができてしまう。
ちょいちょいここは面白いな、って思える部分が見つけられたりする。
キャラの立ちがよかったりとかね。
もちろんクソ映画はクソ映画なので、テンポとかは尺稼ぎで死んでるし、セリフも
「サメ討伐隊に連絡を!今すぐ出動だ!」
「海中サメ濃度が上昇中!」
「そうだ!海中サメ濃度が上昇しているんだ!」
「どうすればいいんだ?」
「わからないわよ!そんなの!」
「サメ討伐隊だ!」
「サメ討伐隊に連絡を!」
みたいな感じになってるので大変なことになっている(ある程度誇張してますがやりがちな手法です)。尺稼ぎやめろや。
多分名作映画をちゃんと観てないから感性が死んでるんだと思う。
名作映画ちゃんと観ないとつまらないものもつまらないと思えないのかな、と思ったりする。
それでもクソ映画好きだよ。実写版デビルマンとかも観たよ。全編通して無だったけど。
初めは彼女も死亡フラグビンビンなんだけど、主人公たちが「私たちも鮫退治を手伝うわ!」って言い出してテレビの前の我々が「なんで?なんで?(ダイナミックコード感)」
ってなってる中、「バカじゃないの?」みたいな感じで至極正しい感性で愚痴っている。
「彼女は自分の身を守ることがうまいのよ」みたいに言われていた部分に自ら向き合っていくのが凄くよかった。
この映画、登場人物のキャラが凄く立ってるので、そこに魅力を感じられるのが良い。これだけは他のレビューとかでも共通してる意見なのでやはりここは面白い部分だと思う。
ただ、一個気になったのが
「シャークトパス」とおんなじなのが気になった。サメ映画のメッカかよ。
【追記】
この「女が好きなAV女優アンケート」http://zerokkuma.hatenablog.com/entry/2018/01/21/020623をうけて、わたしとわたしの好きなAV女優さんの話をします。
ひらりささんは自分の名を模したアカウントで誠実にやってるのに対してわたしは増田でごめんなさい。
佐倉絆さんのこと凄い好きだけど邪な目でしか佐倉絆を見てないから「コイツ、佐倉絆で抜いてるんだ」と思われながら生きるのは自意識的に死にそうなくらい辛い、というかまあ厳密に抜いてはないんですけど…抜くという概念?性欲処理の作業を「抜く」の一言で片付けられる男性諸君が羨ましいです。まーーーえっちな目で見てるんだけどね!
わたしと佐倉絆さんとの出会いは、「徳井義美のチャックおろさせて〜や」という番組内の企画「手コキカラオケ〜90点以上とったら100万円〜」である。
最初は佐倉絆目的ではなく、挑戦者側に「某アイドルグループの手●くんに憧れている青年が出ている」という呟きをTwitterで友人が呟いていたのがすべてのはじまりであった。
わたしも友人も別に手●くんのファンというわけじゃないけど、彼はめちゃくちゃ面白いですよね。人間として面白い。男としての性的魅力は全く感じないけどとかく面白くていい奴だと思う。たまに見ると元気が出る。なんでモテるのか(よく噂は聞きます)1mmもわかんないけど、定期的に「手●見てえ」ってなる、不思議。
でだ、その手●くんを目指してるってんだからそれなりに歌が上手いかチャラくてちょっとかっこいいかって思うじゃん、すっげえブサイクだった。ブスだけど格好付けて手●風の発言をして、手●を模した髪型をして、手●みたいな歌い方をするわけよ、手コキされながら。イきながら手●くんの決めポーズすんの。最高に面白いじゃん。しかも「恋を知らない君へ」(割としっとりした曲)ってチョイスがもう最高すぎて腹わたちぎれた。歌詞的に切ない曲なのでこの曲を歌いながらきったなく喘いでる姿はファンの人が見たら絶対怒るだろうけどわたしはあの映像より笑える映像をその前もそのあとも見たことがない。(手●と手コキってなんか似てるね)
そうして定期的に見るようになった手●カラオケ、手●以外の挑戦者も「おもしれーなw」って見てるうちに運命の出会いが訪れるわけです。「よく見たら手コキしてる方の女の人めちゃくちゃカワイイ……!」って。
篠田麻里子似で、女子アナみたいに清楚なのになんかすっげえエロい。
しみけんのお墨付きだもんそりゃ上手いわ
必殺技「絆のしずく」というくらいあって、唾液の量が半端ないんですよ、とろっとろ。ちゅーしたら絶対気持ちいいの。
きったねえ歌声なんか耳に入らないくらい佐倉絆の「いっちゃうぅ?」しか聞こえなくなった やばい。大体の挑戦者より背が低いきずぽんは挑戦者の肩に腕を乗せながら上目遣いでじぃっと見つめて来るんだけど、それがまた最高なんだ。手コキ部分は映らないからカラオケしてる挑戦者ときずぽんが着衣でうっとり見つめ合う図が映るんだけど、そこだけ見るとほんと月9みたいなんだよね……まあ手コキしてるんですけど。
細い指が、甘い声が男性器を握りながらわたしの脳みそを握って溶かした。性的対象は男性のみのはずだったのにえっちな気分になると「佐倉絆」、こときずぽんのことしか考えられなくなってしまったのだ。
気づいたらネカフェできずぽんの動画を夜通し見ていた。終電逃して夜中にネカフェに入ったはずなのにまた終電間際だった。笑えねえ。
手コキ物はもちろん、上原亜衣ちゃんとの百合モノがマジで最高。っていうか百合プレイって言ってんだからきずぽんと亜衣ちゃんがひたすらヤッてんのがこっちは見たいんですよ、「百合だーーー!」って飛びついたのに時々何が悲しくてきずぽんと亜衣ちゃんが2人してオッさんのちんぽ舐めてんの見なきゃいけないんだ、羨ましい、そこ代わってくれ。
(もちろん手コキが見たくてAVを見てる時は男性ありきだけど、百合が見たくてAV見てる時は男性器求めてないじゃん…?いちごパフェが食べたいのにトンカツを出される胸焼け感……)
あと、個人的にあの真っ白なきずぽんが水着の形に日焼けしたやつ、意味わかんないけど意味わかんないくらいドツボですね……
で、だんだん見進めるうちにわたしは、気づいてしまったのだ。「きずぽんの手コキを見たいんじゃなくて、きずぽんに手コキして欲しいんだ」って。あの細い指で、ねっとりとした視線で、意外とサバサバした声で、きずぽんに触られたい、きずぽんの手で陥落したい。私が男だったらAV男優にならなくとも件の「手コキカラオケ」に出演エントリーすれば、100000分の1くらいの確率でその施しを受けることが出来るかもしれない。けれど、わたしには生えてないのだ、男性器が。いくら願ってもわたしはソレを持ち合わせない。その時点で佐倉絆に手コキをしてもらえる確率は0.000000001からゼロになるのだ。こんなに悲しいことはない。
世の中の男性という生き物は実にずるい。実際にきずぽんと触れ合うことができなくたってAV男優に自らを投影することが出来る。その時点で5割くらいはきずぽんとセックスしてるようなモンじゃないか。
ずるいずるい、超ずるい。短小だろうが包茎だろうがついてる時点で全部男性器なんだから、憎くて羨ましくて仕方ない。
お前もどうせ包茎だろ?とか思うことで日常の不条理を自己消化してきたのに(男性諸君からしたら実に理不尽な話だろうが、直接そういった表現で他人を罵ったことはないので許して欲しい)きずぽんに出会ってからは「でもこんな男でも“付いてる”んだもんなあ……」と悲しくなってしまうのだ。
そう、VRである。
http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=84kmvr00001/
これね、マジすごい。VRが見れるビデオ店のVR機器は他の人の汗や精子の臭いがすると聞いて迷いあぐねた結果、このためにAmazonでVR装置買ってよかった……なんと、きずぽんとわたしが結合してるんですよ、きずぽんもわたしも付いてないのに。どこからともなく現れた空想ち●こがわたしときずぽんを繋いでるという限りなくファンタジーなフィクション。
でも、今までわたしがきずぽんに手コキして貰うためには知らないおじさんとか到底自己投影なんか出来そうにないマッチョな黒人とかその他諸々エクストラとにかく「わたしではない何か」を通さなくちゃいけなかったのに、VRきずぽんはわたしの知らないおじさんではなくて、「限りなくわたしに近い男」を見てくれるわけです。もう8割くらいわたしときずぽんがヤッてるじゃん。
わたしのファンタジー男性器を這うきずぽんの指。ファンタジー男性器にかかるきずぽんの唾液、そしてファンタジー男性器がきずぽんの小さな口の中へ………
実際は誰も居ないけれど、確かにわたしの隣に温もりはあった。今まで体験したどんなセックスよりもきずぽんとの擬似セックスは夢心地で、とろけるように甘い時間だった。
でも、やっぱりきずぽんの手コキをよりリアルに体感するために本物の男性器が欲しくて欲しくてたまらないのである。
VRは所詮VR、VR機器は汗だくで湿っていてもきずぽんが抜いてくれて華々しく散ったハズの証拠が現実には存在しない。だからわたしは佐倉絆でえっちな気持ちになったとき専用のわたしの男性器を諦めない。
もし、天変地異が起こったり白い生物と魔法少女の契約を交わして男性器が生えてきたら、わたしは金髪に染めて手●くんのソロ曲「I’m coming」(すげえやばい)を歌ってきずぽんとにっこり見つめ合いながら手コキカラオケするのだ。絶対100万円獲ってやるわ。
父が死んだ。
まあ正直言うと「やっと死んでくれたか」という感じだ。
死ぬ1ヶ月ほど前、母が「あなたの人生ってどうだったの?」と聞いたそうだ。
そしたら全くの躊躇なく、即答で「最高だった!」と答えたらしい。
それはもう満面の笑顔で。
それ聞いて仰天した。母もビックリしてた。
父はとにかく不平不満の固まりみたいな人だった。
まあ理解もできる。満州引き揚げ者だった父は何もかも失った人だ。
満州での裕福な暮らしも、将来の夢も(海軍大将になりたかったそうだ)、
幼い時代の友だち、想い出の地、本当に何もかも。
なにせ人前で全く涙を見せず、常に鬼瓦みたいな顔をしていて、
人目も憚らず涙を流していたくらいだ。
話を聞いただけの我々家族ですら胸が痛くなるほどだった。
妻である母は、父によると「異性として見たら全く好みじゃない」そうだ。
「こんなブスは人生で初めてお目にかかった!」とたまげたらしい。
「結婚するならハリウッド女優みたいな金髪のグラマーな白人がいい」と
ずーっと思ってたそうだ。
知性が高いために表情がいいのでほどほどよい顔に見える。
とてもじゃないが「初めてお目にかかったレベルのブス」ではない。
美人でもないが。
まあとにかく、ことほど左様に父は一から十まで人生思い通りに行かなかった人物だ。
子供である我々も能力的、性格的に父の思いに添えなかったと思う。
なのに。
「最高だった!」というのだから、本当に面食らった。
さぞかし生きるのがツラかったろうなあ、
社会に対する不平不満以外の事を喋ってるのをほぼ聞いたことがないというレベルで
いつも怒ってる人だったのに。
「こんなクソみたいな人生、やっとおさらばだ、清々した」くらいは
思ってるだろうなあと勝手に思い込んでたよ。
今際の際の感想が満面の笑みで「最高だった!」ですか。
苦笑するしかない。
俺の親は共働きだった。
門限を気にし、起床時間、親の言う事、親の価値観を気にしてきた。
守らなかったら、怒声を食らった。
もちろん、ムカついてもいたが、守っていれば褒められたので、
嬉しいときもあった。
親は世間には良いかっこして、悪く思われないようにと必死だった。
気に食わないことが在ると、世間を見下すことによって自分たちを肯定していた。
自分の考えをバカにされ、「今のお前にはわからない」と言われてきた。
親は口癖だった。
「好きにすればいいじゃん。」
「好きにすればいいじゃん。」
何を言っても同じだから、悩みを相談したことは一度もなかった。
そして俺は好きに生きなければいけないという価値観に縛られていた。
もう一つ口癖があった。
「人様に迷惑をかけるな。」
親ならいうだろう。でも、言われた俺はもうよくわからなかった。
迷惑をかけず、好きなことをするなんて、できなかった。
親のいう人様なんて9割自分たちのことだ。
親に迷惑をかけずにできる好きなことなんて、オナニーぐらいだった。
親は「お金が無くても幸せと感じて欲しい」と願って教育してきたようだ。
俺はその願いを遂行しなければいけないと思っていた。
「恒産なくして恒心なし」
(一定の職業や財産を持たなければ、しっかりとした道義心や良識を持つことはできない。)
「衣食足りて礼節を知る」
(人は生活に余裕ができて、初めて礼儀や節度をわきまえられるようになるということ。)
衣食も足りてなかった。
親の教えに沿って生きてきたが、俺は圧倒的に不幸を感じていた。
そして、親のプログラミングで動いてきた。
教育に正解は在ると思う。
教育って、出してほしい結果があって、そこにたどり着かせたいからするんでしょ。
目的を達成するかどうか。
ただ、批判したいヤツは、初めから親の言う事を守るように設計されてないんだよな。
別に珍しい話じゃなくてさ。
感情派は「スタートがそもそも違うんだよ」って話してもわかんないみたいなんだ。
もう爆死だ。
全部、嘘デタラメだった。
コード全消去だ。
色々考えたけど、こればっかりはもう無理だ。
解決できない。
だけど、地獄の世の中で、1個だけ伝えたいことがある。
うるせえ女子、
鏡の前にいる自分。
某コーヒーショップで好きなアイドルにどこかが似ている人をみつけた ネームプレートがついていなくて、その人のことは何も分からなかった 毎日のように通って、バレないように席に座ってからも顔をみた
ある日 インスタグラムでその店舗名をハッシュタグで検索していたら 店員のアカウントを見つけて その人のタグ付けされている投稿から 好きな人もいっしょにタグ付けされている投稿を見つけた
こうやってアカウントは見つかるんだな、気をつけないと行けないと思った こんなよはダメだし危ない奴のすることだと思ったけど、止められなかった
名前とか大学名とか、フォローしてる欄から好きなバンドとかもわかった
全然、ていうか一枚も顔を載せていなくてがっかりしたけどそんな感じはしていたから、裏切らないな、みたいな気持ちだった
その人はもとからそんなにシフトに入らない人だったけどもう二週間くらいきてないんじゃないの、ぐらいのノリで本当に来なかった こっちがサブのバイトなのかと思った
年末に一度見た レジにはあたらなかったし飲み物も作ってもらえなかったけど、泣きたくなるくらい嬉しかった その人がいるかもわからないのに、服とかメイクとかもちゃんとしていってたから毎回 バカすぎ
それで年明けてまた来なくなった
一昨日その人っぽい人をみた マスクをしてたから微妙だけど金髪だった その人のツイッター(インスタとidがほぼ同じで見つけた)を調べてる時にみつけた、金髪だったころの写真のその人と似てたし身長も同じぐらい、遭遇した場所も場所だから合ってると思った
そのまま一回は通り過ぎたけど、こんなチャンスあるか、と思ってついていった 文章にしていて、本当にこれは犯罪だと思った アウトだ もうしませんから その人はcdショップに行って、なんのcdかわからないけど表紙がベージュっぽいものを買ってた そして改札に入っていった 雨で、スエードの濡れちゃいけないヒールを履いていたのに走って中までびちょびちょになって、家で脱いだらふやけた足が出てきた
またその人のアカウントをみた 昔の投稿に珍しく人をタグ付けしてた 複数人いる中にあまり有名じゃない女優がいた 前も見たことのある投稿で、前に見たときは複数人だし2年くらい前のだからと思って何も気にしていなかった
でも、そのアカウントも、好きな人の最新の投稿も同じ、マイナーな劇場で撮った演劇のポスターだった 同じ日の
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なるほどねなるほどねなるほどね!!!!!そういうことでしたか!!!!って、なって 涙は出なかったけどちょっとその日は笑ったりできなかった ショートカットの、"彼女"感のある人。むりむりむりむりむりすぎこんな、こんなことってあるかよって思った これにタグ付けしてないのは相手が女優だからか、ああそうか、もし一般人ならもっともっと心をえぐられる投稿をしてたんじゃないか、って思った
こんなにつらいのに、友達には何も言えないのがまたつらかった 犯罪じみているから え、なんでしってるの?ってなるから
それと、好きな人が金髪になってたのは昨年付でお店を辞めたからじゃないかと思った あのチェーン店で金髪は見たことがないから
お店にはもう2度といけないなと思った あそこには 普通に場所としても好きではあったけど 苦しすぎてむり
それで、これがおとといのはなしだけどなんか更に心が沈んでいて、前にその人の好きなバンドの中で珍しく私好みのガールズバンドがあって 丁度よく暗いからそれを聴いてたけど、どの曲もあの人っぽさがあって ああ、ってなってた
私はこんなになってるのに、相手は私の名前も知らないと思うと、本当に何をやっているんだろうと思った けどあの人のおかげで去年の秋から幸せだった あー別れちゃえ、でも三つも下のガキは無理だろうし、どっちにしろもう2度と会えないな
くるしいから好きなアイドルをみて癒されようと思っても、その人を気にしだしたきっかけが"推しに似ている"だったから、見たらやっぱり似ててもっとダメになった いつになったら彼を楽しく見ることができるだろうか
もう何周遅れの話題だよって感じだけど書き留めておく。
「差別とは思わない」が約5割、“浜ちゃん黒塗り”騒動での視聴者意識
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180116-00000322-oric-ent
・差別にあたると思う……7.9%
・差別にあたると思わない……55.6%
・どちらともいえない/わからない……36.5%
明確に差別だと断ずる人は7.9%と少ないが、どちらとも言えないと判断を保留する人が36.5%もいるのを見て、これはと思った。両者を合計すると44.4%。過半数に近い。
こうなった以上、日本においても黒塗りは表現方法として「死んだ」と言っていいだろう。昨年の年末にエディ・マーフィに扮する浜田を無邪気に笑っていた人たちも、今年も同じ画を見せられたとして笑うことができるだろうか。きっとできない。それは「これは差別表現なのではないか」という問いかけが「ノイズ」となって絶えずまとわりつくからだ。過半数の人はもう無邪気に笑うことはできなくなった。差別にはあたらないと強固に信ずる人であってもこの「ノイズ」からは完全に逃れることができるだろうか。日本人はもう無知ではいられなくなった。
(「死んだ」と言ったが、もちろんこの「ノイズ」を知った上での表現は終わっていないし、そういうことをする表現者が出てくればいいなと思う)
黒塗りは何故ダメなのか?ぶっちゃけるとそれって「コンプレックスだから」だろ。
人種のカリカチュアがいけないとか色々言うけど、白人の真似をして金髪にするのはOKで付け鼻をするのはNGなのはそういうことだろう。高い鼻に憧れがある日本人にはピンとこないかもしれないが、白人にとって高すぎる鼻っていうのはコンプレックスであり美容整形の対象である。一方の金髪はもう説明不要だろう。
『ティファニーで朝食を』のユニオシに我々日本人がイラッとさせられるのは出っ歯が醜いという基準があるからだろうし、細い目を強調されて嫌なのは目はぱっちりしている方がいいっていう信仰があるから。しかし、日本人であっても糸目が美しいと感じる人ならば、何怒ってるの?となる。
引用になるが(http://wezz-y.com/archives/51171)、黒人自身が黒い肌を忌み嫌っていることが実験で示されている。
Q:「醜い人形はどっち?」
Q:「なぜ?」
A:「……わたしに?……」
また随分前のことなので一体何の文章だか忘れてしまったのだが、「僕たちは君たちのように黒い肌を洗い流すことができないんだ」と黒塗りへの嫌悪感を説明している人がいたのが衝撃だった。洗い流す…?
こうした背景で、黒塗りの安易なタブー化って、むしろ黒い肌=醜いという刷り込みの再強化に加担するだけなんじゃないか?むしろ、黒い肌に扮することをセクシーなもの、カッコイイものとしてガンガン消費していくべきだ。実際に、美しい黒い肌ってあるだろう。
浜田の件だが、美肌でも何でもないおっさんだったのが運の尽きとしか言えない。メイクが雑だったのもあるかもしれないが、あれは美しくなかった。意図せず黒人のコンプレックスを刺激してしまった。
海外では、褐色キャラのコスのための黒塗りが差別的だと非難されるケースがあるとか。上記の通り、英米スタンダードに組み込まれつつある日本でもその日は遠からずだろ。