2018-01-19

安易な黒塗りのタブー化ってやっぱヤバいんじゃないの

もう何周遅れの話題だよって感じだけど書き留めておく。

差別とは思わない」が約5割、“浜ちゃん黒塗り”騒動での視聴者意識

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180116-00000322-oric-ent

【黒塗りメイク差別だと思うか?】

差別にあたると思う……7.9%

差別にあたると思わない……55.6%

・どちらともいえない/わからない……36.5%

明確に差別だと断ずる人は7.9%と少ないが、どちらとも言えないと判断を保留する人が36.5%もいるのを見て、これはと思った。両者を合計すると44.4%。過半数に近い。

こうなった以上、日本においても黒塗りは表現方法として「死んだ」と言っていいだろう。昨年の年末エディ・マーフィに扮する浜田を無邪気に笑っていた人たちも、今年も同じ画を見せられたとして笑うことができるだろうか。きっとできない。それは「これは差別表現なのではないか」という問いかけがノイズ」となって絶えずまとわりつくからだ。過半数の人はもう無邪気に笑うことはできなくなった。差別にはあたらないと強固に信ずる人であってもこの「ノイズからは完全に逃れることができるだろうか。日本人はもう無知はいられなくなった。

(「死んだ」と言ったが、もちろんこの「ノイズ」を知った上での表現は終わっていないし、そういうことをする表現者が出てくればいいなと思う)

コンプレックに根差すタブー

黒塗りは何故ダメなのか?ぶっちゃけるとそれって「コンプレックスから」だろ。

人種カリカチュアがいけないとか色々言うけど、白人の真似をして金髪にするのはOKで付け鼻をするのはNGなのはそういうことだろう。高い鼻に憧れがある日本人にはピンとこないかもしれないが、白人にとって高すぎる鼻っていうのはコンプレックスであり美容整形対象である。一方の金髪はもう説明不要だろう。

ティファニーで朝食を』のユニオシに我々日本人イラッとさせられるのは出っ歯が醜いという基準があるからだろうし、細い目を強調されて嫌なのは目はぱっちりしている方がいいっていう信仰があるからしかし、日本人であっても糸目が美しいと感じる人ならば、何怒ってるの?となる。

引用になるが(http://wezz-y.com/archives/51171)、黒人自身が黒い肌を忌み嫌っていることが実験で示されている。

Q:「醜い人形はどっち?」

A:「こっち」(黒人人形を指す)

Q:「なぜ?」

A:「黒人から

Q:「どっちの人形あなたに似てる?」

A:「……わたしに?……」

女の子はおずおずと黒人人形を指差すが、触ろうとはしない。その時の女の子の辛そうな表情。なんと残酷実験だろうか。

また随分前のことなので一体何の文章だか忘れてしまったのだが、「僕たちは君たちのように黒い肌を洗い流すことができないんだ」と黒塗りへの嫌悪感説明している人がいたのが衝撃だった。洗い流す…?

こうした背景で、黒塗りの安易タブー化って、むしろ黒い肌=醜いという刷り込みの再強化に加担するだけなんじゃないか?むしろ、黒い肌に扮することをセクシーもの、カッコイものとしてガンガン消費していくべきだ。実際に、美しい黒い肌ってあるだろう。

浜田の件だが、美肌でも何でもないおっさんだったのが運の尽きとしか言えない。メイクが雑だったのもあるかもしれないが、あれは美しくなかった。意図せず黒人コンプレックスを刺激してしまった。

海外では、褐色キャラコスのための黒塗りが差別的だと非難されるケースがあるとか。上記の通り、英米スタンダードに組み込まれつつある日本でもその日は遠からずだろ。

いやいや、我々は憧れとしての褐色キャラコス積極的にしていくべきなんですよ!

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