2018-02-01

お母さん

母はかなり太っていて、私は痩せている

たまに母に会うと、必ず「いかに私が痩せているか」、「足が細過ぎて気持ち悪い」、「痩せてるからオシャレができて羨ましい」などの体型に関しての言及をされる

私が普通に食べていても太らないことを母は知っているから、ちゃんと食べてないんじゃないか?という親心ではない

そこに脈絡などないし、目的もない(不安から意味のないことを口に出しているだけ)

なんだか疲れる

普段自分から人の体型に言及することなどない私からすれば、母や世の中の少なくない数の人間が太っている/痩せているの話題を好むことが不思議でならない

他人の体についてごちゃごちゃ言う人は精神的に未熟だとすら思う

はてブでもダイエット記事が人気なのかときどきホッテントリ入りしているが、そのブコメ欄で太っていることへのものすごい嫌悪をにじませたコメントを見ることもある

なんだか怖い

健康問題があるほど痩せている/太っている人が健康を大切にしたいと思った時に、自分でどうにかしたいと思うのはわかる

肥満や痩せすぎが寿命を縮める、というのは価値観でなく事実のようだし

健康でいることがその人にとって重要でそのために体型を変える必要があるなら、それは各自頑張ってくれたらいい

でも人の体型なんてどうでもいいではないか

私が痩せていることで何か迷惑か?

母が太っていると何か悪いのか?

そんなことはないだろう

母が過剰に私と母の体型を比較するようになったのは、世間が「細い方がよい、太いのは悪(または許されないほどに醜い)」みたいな考え方を植えつけたからに思える

そんなものを植えつけられてしまう母の愚かさもどうかと思うが、母だけでなく人は世間空気というものに影響されて生きている

(私の体型に言及してくる人は母だけではない)

例えば「肥満は悪で痩せていることは善」の別バージョンとして、「赤毛は醜い・金髪馬鹿」や「筋肉があるほうが偉い」など色々あり、全部同じようにくだらないのだが、それらを自明なことかのように信じている人も少なくない

考えてみるに、世の中には人に劣等感を植えつけるためだけの言説がはびこっている

それらは主にお金を稼ぐために利用されるが、これほど醜いこともないと思う

まず人の劣等感を刺激し、それを解消するためのものを売る

コンプレックス商法というやつだ

醜いもの問題とするのであれば、太っていること、痩せていること、髪が少ないこと、肌が荒れていること、背が小さいこと、背が大きすぎること、などなどを醜いと嫌悪する感情こそが一番醜いのだが、それらはあまり(その醜悪さに見合うほど)非難されない

なぜだろう

ときに、劣等感が強すぎる人と付き合うのは大変である

劣等感が強すぎると判断を誤りやすいし、他害行為に走りやす

劣等感があるから頑張れた」みたいなことも聞くが、適切な自己肯定感はそれよりもはるかによい

から、みなが住みよい社会のためには、人に劣等感を植えつけるための言説は淘汰されるのがよい

自由表現規制しろとは言ってない)

人間社会は今まで一応は順当に進歩してきた

からこれに関しても今後人々の意識が変わり改善されていくだろうと期待している

とりあえず私個人ができることとして、次回母が私の体型に言及してきたときになんて返せば母の体型へのこだわりを薄められるか、考えているところ




勘違いしないでほしいが、例えば「顔に大きな痣がある人」を見たときにウワッと思って一瞬嫌悪する、そのようなことは仕方がないと思っている(「顔の痣」を何に置き換えてもらっても構わない)

人間は違いに敏感な生き物だから

しかし、そうした嫌悪感情をおおっぴらに表に出すことは問題がある

世の中には同じものを見てもなんとも思わない(嫌悪しない)人がいるのに、そうした嫌悪感情の開陳はそういう人間にも嫌悪をうながし、本来嫌悪しなくて済んでいたもの嫌悪させることにつながるから

誰も幸せにしない価値観再生産する必要はない

個人の中で終わらせればいいことだ、といえのが私の考え

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