はてなキーワード: cdショップとは
283プロの3人組アイドルユニット「アルストロメリア」と彼女たちを担当する「プロデューサー」に加えて6名の登場人物達を描く群像劇。
日常に疲弊している登場人物たちが、アルストロメリアの影響を直接または間接的に受けて、少しだけ前向きになれるまでを描く。
性別:女性 / 年齢:26歳 / 会社員 Webディレクター
後輩を指導しながら旅館のウェブサイトのリニューアルの提案活動を行っている。
高熱を出して会社を休むことになったが、他人に任せられないと無理を押して提案書の作成を続ける。
復帰後、後輩の提案成功を知り、自分がいなくても仕事がまわる事にショックを受ける。
アストロメリアの事はよく知らないが、バラエティ番組に出演していた甜花の「自分には甘奈の代わりはできない」という言葉を聞いて羨ましく思う。
かつては新生活に胸を躍らせていたが、今は学業とアルバイトに追われている。「全ては慣れの問題」「毎日は永遠に今日の続きだ」と感情を押し殺すように日々を過ごしている。
アストロメリアの曲は好きで聞いているが、アイドルには興味がなくメンバーの顔も名前も知らない。
ある日務めてるコンビニに甘奈が訪れるが、気が付かずに対応する。
元演劇部。ステージ上で輝くことに憧れていたが、向いてないことに気づき辞めた。
友人には勉強熱心で真面目だと思われているが、甘奈のように可愛くなりたい、変わりたいと思っている。
「使わないけどお守りに」と、甘奈がプロデュースした化粧品を購入する。
商談に訪れたテレビ局の部長から「仕事人」をテーマにしたドキュメンタリー番組への出演を打診され驚く。
アルストロメリアのファン。「先生らしくない」と保護者に言われたことを気にしている。
街中で千雪が出演する結婚式場のCMを見ているところを生徒に目撃され、近々結婚するらしいと噂される。
近々開催されるフェスにアルストロメリアが出演することを知るが「先生らしくなるために」と参加を諦める。
アルストロメリアの曲を買いにCDショップに行くが、娘ぐらいの歳のアイドルのファンになってしまったことに引け目を感じており、なかなか購入することができない。
離れて一人暮らししている娘がおり、メッセージを送るが仕事が忙しいらしくなかなか既読がつかない。
娘と、娘と同じように頑張ってる人を勇気づける曲をかけて欲しいと、アルストロメリアが出演するラジオにお便りを出す。
283プロのアイドルユニット「アルストロメリア」のメンバー。
大崎姉妹の双子の姉。幼い頃から妹の甘奈に面倒を見てもらっている。人と話すのが苦手で、アニメやゲームなど、インドアな趣味が多い。高校2年生。
娘に送ったメッセージの既読がつかないというラジオに来たお便りに対して、想いがすぐに伝わらなくても諦めずに何回も伝えてあげて欲しいと答える。
283プロのアイドルユニット「アルストロメリア」のメンバー。
大崎姉妹の双子の妹。誰とでも分け隔てなく接する天真爛漫なギャル。今しかできないことを全力で楽しみたい今ドキの女の子。高校2年生。
姉の甜花からは「なーちゃん」ファンからは「まな」という愛称で呼ばれている。
他人に甘えず自分で自分を褒められるようになりたいと、ストイックに自主練を続けている。
娘に送ったメッセージの既読がつかないというラジオに来たお便りに対して、きっと娘さんはすごく頑張っている時で、見守ってもらえて嬉しいと思うと語る。
283プロのアイドルユニット「アルストロメリア」のメンバー。
優しい笑顔が印象的な、事務所のお姉さん的存在。母性溢れる落ち着いた佇まいが特徴。手先が器用で、かわいい小物を作るのが趣味。
初めての現場で、案内してくれた青年に「はじめましてですよね」と挨拶をするが、以前仕事で出会ったことのある相手だと分かり謝罪する。
出演したラジオ番組で、よく「皆さん」という言葉を使ってしまいがちだが、不特定多数として一括りにするべきではなかった。よければもっとリスナー自身のことを教えて欲しいと語る。
カーテンを閉ざした部屋で過ごしている。
・ストーリーの終盤、それまで肩書だけの”名も無きモブ”でしかなかった登場人物達の本名が次々と明かされていく演出が話題となった
話数 | サブタイトル |
---|---|
オープニング | I am. |
第1話 | song for Someone |
第2話 | voice for Someone |
第3話 | color for Someone |
第4話 | off stage |
第5話 | good night |
第6話 | present |
エンディング | You are. |
・google:YOUR/MY Love letter シャニマス
HMVといえばタワレコとかと並んでCDをたくさん売っている、音楽好きに愛された店だったと記憶している
特に90年代を若者として過ごした人たちには、ある種、憧れのようなワクワク感もあったのではなかろうか
しかし、もはや音楽はネットで買うのが当たり前、それどころか定額サービスで個別に買うことすらあまりない時代になり、CDショップの実店舗に最近足を運んだ人はどれくらいいるだろう?
先日久しぶりに行ってみると、売り場の1/4くらいしか真面目なCDやDVDはおいていなかった
残り3/4は、いわゆるネットアイドルのような人たちのグッズや一番くじが売られていたのである
売り場には、にじさんじのグッズ、すとぷりのグッズ、ホロライブの一番くじ、などなど
にじさんじグッズが、フェアだったのか知らないけど、めちゃくちゃ面積をしめていた
90年代のCDブームは古すぎるにせよ、2010年代なら、これがAKBとかジャニーズだったのかもしれない
会いに行けるアイドルもいまや昔、いまやアイドルもリアルは避けられているのだろうか
インターネットは薄暗い世界だったのが、もはやリアルより尊いメインカルチャーになり、Vtuberが実存アイドルを超える日もそう遠くないのかもしれない
ネット見ていると既得権益けしからんというコメントを見るけど、もうネット側は階層が出来てしまって既得権益を持っている層が固定している。
匿名でバックグラウンドがわからない人が何かしらかの趣味やこだわりで良いものを作ったら褒められるような時代は過ぎ、
顔出しでインフルエンサーを目指さざるを得なくなって、容姿によってスパチャで稼げたりする。
YouTubeも普通にやっていたら注目もされず、一発悪いことをした方が目立って状況変えられるのではないかといった誘惑が常に付きまとう。
プラットフォームがアーティストを支援してくれるようになって食えるようになったかというとそうではなく、プラットフォームに人を呼び込むことが優先された。
CDショップでアーティストの宣伝に力を入れればよかったのに、先にプラットフォームの宣伝しないとダメになり、プラットフォームに参加したとしても競合多すぎて別のプラットフォームで宣伝して導線繋げないといけない。
ネットで稼げるというが、どこかから拾ってきたニュースと、その場の流れを見てどう叩けばPV稼げるかになり、
毎日ネットのどこかで馬鹿が何かしてないかを多くの関係者が探し回っている。
ダブルインカムで家計所得を増やすよりも、不動産価格が上がるスピードが早く、
得したのは税金が回収できる政府と、住宅ローンを増やせた銀行と、住宅価格をあげられた不動産だ。
住宅補助金が貰える分も、それを前提にした価格付けになっていて、結局苦しいままだ。
コロナで加速した感はあるけど、もともとの傾向だったんだろうなと、いうのはあるとおもう。
小さな住宅街とか昔は少なくとも駅前には本屋やCDショップとか生活必需品以外の遊びと言って良いのかだけどそういう店が少しはあったもんだけど今はもう本屋すら絶滅、CDやゲームのショップなんかそんなのあったっけみたいな感じになってて結構寒々とした感じに。
住宅街なんで古くからの店がやめたあとになんかはいるかというと、飲食は禁止みたいなのが多くて、じゃあなにが入るかというと訪問介護。あとは保育か。
小さい本屋が無くなるのはしょうがないし、たぶんCDやゲームのショップは地球上からほぼ消えちゃうんだろうけど、そういう遊びの店がきっぱり消えてしまうとなんかさすがに切ないね。八百屋とか肉屋とかもだいたい大手のスーパーに駆逐されちゃったし昔は結構そこらへんにいろんな商売の人がいたような気がしていたけど、今はもうほとんど全部サラリーマンって感じ。今の子供とか昔の漫画たとえばドラえもんとかみてもああいう感じの風景理解出来るのかなあ。
数年ぶりに夢に出た。
変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYがベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。
俺がよく歩き回るのは本屋とCDショップが一緒になった妙にサイバーなインテリアのフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光と蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代のゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティビティ系のアトラクションもある。スノーボードのハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊なシューズをレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモードを任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚も施設に紐付いている。
祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後に祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父は視力を測る機械の前に座って、奥で店員が老眼鏡を調整するのを待っている。
そう言って祖父は自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかしきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感だけが残って泣きそうになっている。
SATYは実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラスの女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。
そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末は教室ではいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中は特別美人でも秀才でもない普通の女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理で大福をひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。
高2のある日、たった一度だけだが、広末がSATYに用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイの材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから、屋上の植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末はぶどうシャーベットだった。広末は一口あげるといって自分のスプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。
夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物がジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中がこちらに背を向けて座っていた。
高3になると俺と田中が文系、広末は理系を選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。
夢の中の田中は高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たものの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋で見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校を卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒で地元に就職した彼女が上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中のマンションはゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。
夢の中の田中もスミノフをハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。
「マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」
田中の視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係のバランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。
気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中がヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。
目が覚めると泣いていた。
もう10年ほど職場の人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。
SATYに行きたいと思う。
著作権法的には金を取らねばならんのだろうが、それによって音楽を楽しむことにかなりキツい制限がかけられ続けてきたのも確かだ
例えばMidi、昔はホームページに行けば音楽が流れサイト管理人の人となりを知れた
そこで出会って知り合った曲やアーティストも多く、CDの購買や新譜のチェックに向かう原動力であった
CDショップには無料で新作の歌詞カードが置いてあり、それを持ち歩いてウォークマンで曲を聞いたものだ
今はそんな時代ではない
新曲を積極的に知ることもないし、ラジオやテレビ番組で流れないと買うこともない
ヴィレッジヴァンガードお茶の水店は2020年に閉店した。小さい建物入り口から想像できない、地下に伸びた店舗、ダンジョンのように商品が詰め込まれた店内、漫画本が充実したセレクト。他の店舗と比較しても特徴的で、よく通った。
近くにあってこれまたマニアックなCDを借りることができたレンタルCD屋、ジャニスも2018年に閉店した。(さらに中古CDショップとして残っていたジャニス2号店も、最近閉店した。)
一人で暇な時、よくこの2店へ行った。大抵は、休みの日の午前。「何か探しているわけじゃないけど、何かあるかもしれない」くらいの気持ちで見に行って、何か見つかればラッキー。買ったり借りたりして、その日の午後はそれに夢中になる。何も見つけられなかった時は、ミニシアター系の映画館に行く。お昼ご飯はあの辺のカレーや蕎麦で決まり。これで休日は満喫できた。
検索とサブスクで、音楽や映画は探せるし、見られる、聞ける。きっと今年聞いた新譜音楽アルバムの量は、あの頃よりも多い。ただ、(主観的に)自分の手で見つけた感覚が薄い。自動的にセレクトされたおすすめを消費している。困ったことに、おすすめの精度も高い。
ここ数年は、どうも時間が早く過ぎ去って行く。
昔フジテレビで「プロ野球ニュース」というタイトルのスポーツニュース番組をやっていた頃、RYOBIのCM曲が好きでそれ目当てで見てたんですよ。
YouTubeにありました
https://m.youtube.com/watch?v=NL8MSMlnr5U
当時誰の曲かさっぱりわからなかったんですが、CDショップに行ったら「RYOBIのCM曲」とポップの付いたCDが置いてありまして、即買いました。葛生千夏さんのアルバムでした。
インディーズのアルバムで今は廃盤、中古でしか手に入らないのが残念ですが。配信あればよかったのに。
Chinatsu Kuzuu: Nature Rewards Me
https://m.youtube.com/watch?v=ZsfNcEGb_XI
ちなみに植松伸夫の本人名義のアルバム「ファンタズマゴリア」でファイナルファンタジーのテーマ歌ってるのも葛生さんです。おそらくアレンジと打ち込みも葛生さんじゃないかな?
ファイナルファンタジーⅥのCMで使われてたので覚えている人も多いと思います。
TVerで「家ついて行っていいですか」を見てたらふと、Let it beって良い曲だよなぁとしみじみ思った。YouTubeで探したら、ノラ・ジョーンズがエンパイアステートビルからライブしている映像、おそらく昨冬のものが公式にアップされていた。このような映像が、思った瞬間に無料で観られる時代ってとてもありがたいなぁと思った。再生回数は69万回程度だった。これって少なくない?YouTuberの動画とかと比べてどうなのと思ってみてたら、Hikakinがnobodyknows+とココロオドルを歌っている動画は200万回再生だった。「フォローフォロワー時代の終焉」という記事を思い出した。CDショップの店頭POPで店員が推している音楽はすばらしいはずだ!と信じて育った世代なのだが、あの頃が正しかったのかどうかは分からないけど、いま検索アルゴリズムがあの頃の店員みたいに、こういうのものいいよ、だったらこういうの知っておいたほうがいいよ、と薦めてくれているとは感じられない、この再生回数の格差をみても。旅行を予約すると出発1週間前に現地周辺地図を自動的にオフライン保存しておいてくれる、みたいなGoogleの仕組みはすばらしく便利に感じているのだけれど、音楽とか、映画とか、感性を伴うものにおいてこれ常識になってもうずっと続いているって大丈夫?と、いまさら思った。まぁ結局ココロオドルの動画もみちゃったんだけど。それでこれを増田に書こうと思いついて10年ぶりにはてなにログインしたら、かつての自分、卑猥な記事ばっかりブクマしてたことが判明。そっと閉じて別アカウントを作った夏。
昨日の夜11くらいに、家に帰るために乗った地下鉄で、つり革を掴んで、トンネルを走る電車の揺れに揺さぶられて、目的駅を目指していたら、途中の駅で酒臭い酔っぱらった若い奴らが(3人くらい)ぺちゃくちゃ喋り合いながら、人目を気にせずに乗り込んできた。
喋り合いながら歩いてくる酔っぱらいの三人衆が、自分が乗っている電車に乗ろうとしてきた瞬間、何だこいつ等はと思った。
だけど自分も私欲のために、このコロナ禍を打破するために出された緊急事態宣言を無視して欲しいCDをCDショップで見繕っていたので、あまり偉そうな気持ちは持てないなと考えた。
そうしたら、その3人の中でよく喋っている多弁な男が自分の後ろに回り込んで来る前に肩をぶつけて横を通り過ぎたので、前言撤回をして、偉そうな言葉を今すぐ吐き捨ててやろうかと思った。
けれど、自分は現在保護観察処分を下された身なのを思い出し、偉そうな言葉を言えば乱闘になるかもしれないと考えたら、思いついた言葉をぶつかってきた男に言うのは面倒くさいなと考え気にしないふりをした。
気にしないようにするために、ズボンのポケットの中に入れてあるスマホを取り出してヤフーニュースを見ていたら、後ろの奴らが馬鹿みたいによく騒ぎ始めた。
乗ってくる前よりも盛り上がる奴らの会話は、よく耳に響いた。
やれあの女がどうだ、やれお前はうぶなんだとアントニオという男性に対した反省会を行っていたみたいだが、喋っている内容が下品すぎて、聞こえてくる会話が嫌で嫌でしょうがなかった。
正直言えば、モテたことも、モテるための努力も自分はしたことないので、非モテな現状に甘えている自分は、彼らに対して羨ましいと思う気持ちも少しはあったし、羨ましい気持ちから溢れ出た妬みも少なからずあった。
だが、そんな気持ちを持つ自分のほうが気持ち悪いと思ったので、心の中で舌打ちを打ってやり過ごそうとしていたら、次はバックに腕をぶつけてきた。
正直ビックリした。こいつ等、もしかして俺の財布を盗む気なのかと考え、此ればかりは俺の命に関わるから見過ごせんと思い、対処するために自動ドアのガラスに映る彼らを見てみたら、馬鹿みたいに腕をふるって騒いでる光景しかガラスの窓には写ってなかった。
よくよく考えれば、幾ら昼間よりかは空いてる電車内だとしても、バカ正直に財布を盗む真似なんてブラジルの窃盗犯でもしないよなと気づいたら、自分の過剰な被害妄想について呆れてしまった。
そんな呆れた被害妄想に浸っていたら、あっという間に目的の駅についていた。
急いで降り始め、今日は普段よりも疲れたなと思い、早く家に帰って休もうと考えながら、自分の心を労ってホームを歩き始めたら、そうしたら後ろから、まだ酔っ払って騒ぐ酒飲みの若い奴らの声が聞こえた。
段々分かってきていたけれど、後ろで騒でいた3人は、端から自分の事なんて気にすることなく楽しんでいる事を思い知らされた。
そうしたらなんだか自分が情けなくて嫌な気持ちになってしまった。
無性に疲れていたけれども、何故か無駄に長い階段を、隣にエスカレータがあるのに駆け抜け外に出た。
この寒さは、財布を盗まれると被害妄想に苛まされた時に生じた冷や汗から来てるんだろうなと思ったりもしたけど、そんな事どうでもいいやと考え、いつものように歩き始めた。
でも、いつものように歩いてるつもりなのに何百回も歩いてきた道は、何故か足取りが重くなるような、そんな道に変わっていた。
アホらしいと思いながらも、一向に治らな足取りは、とても自分の気持ちをムシャクシャさせた。
ムシャクシャしながらも、もう夜は遅いし、早く家に帰って寝ようと気持ちを変えようとしてみたら、足取りも軽くなってきた。だから、嬉しくなって、人が通らない夜の住宅路を、走ってみたら思いの外楽しかった。
今日は不幸な日だなと電車の揺れにつられながら考たりもしたけど、悪くはなかった日だとも走りながら思えた。
そんな事を、寝る事も忘れ書いていたらもう3時だ。さっさと寝なくてはいけない。
時は90年代。小室ブームまっただ中、オリコンランキングや音楽番組がクラスの話題として幅を効かせていた。
CDショップではゲームサントラは奥の隅の方にひっそりと置かれ、流通量も少なく、まさにマニア向けの商品だった。
「好きな音楽は何?」なんて問いに「ゲーム音楽」なんて言ったら鼻で笑われる。そんな時代だった。
たまにリリースされるアレンジバージョンだったり、メディアがCD-ROM媒体に変わることで、生演奏が取り入れられるようになっても、
まだミュージシャンからは音楽と思われていなかったり、馬鹿にされて悔しい思いをした、なんてクリエイターインタビューを目にしたこともあった。
インターネットが発達し、ニコニコ動画あたりでゲーム音楽を身近に楽しむようになってきたぐらいから、風向きが変わってきたように思う。
オーケストラのコンサートも多く開かれるようになってきた。聴きに来る人、そして音楽家が「ゲーム音楽が好き」という人が増えていった。
そして今回の開会式で、20曲近くの曲が入場BGMとして採用された。
安易だ、なんて批判的な意見もあると思うが、開会式を見た多くのゲームクリエイター、特に作曲者自身が、心から喜びの書き込みをしているのが全てだと思う。
今住んでるところ。てかずっと住んでるとこ。
自転車で10分の距離に小さいモールがあってそれとは別にスーパーは3つ。
ファストフードは普通に充実してるし高級店はないけどメシ屋も和洋折衷選び放題。
本屋、ゲーセン、CDショップ、マッサージ、病院、風俗。なんでもある。精神病院もある。
都会に比べると人は多くないので不動産とかもそこそこ安い。
人柄はあんまりいいとは言えないが、古くからの一戸建て住宅が立ち並ぶ地区が多く
治安としてはそこそこ安定していて、そこまでやべー連中がいっぱいいるってわけでもない。
ジジババばっかりではあるけど。あと外国人は少ない。
いわゆる「商店街」はほぼ終わってる。
3割くらいしか動いてないしその3割もいわゆる「商店街特権」があるから店を閉めてないだけ。
親はずっと「こんな町選ぶんじゃなかった」と言っていて、
この町は暖かすぎないし冷たすぎない。
かといって田舎みたいに誰もが顔なじみでみたいなこともない。
ほどよく人が流動して、それでも残る人がいて。
ただ、住人の3割は創価だし精神病院が近いので交差点で叫んでるジジイは後を絶たない。
街並みも小汚い。
それでも俺はこれくらいの町でいい。
お前らの町はどうだ。