2018-01-24

他人人生ホントわからん

父が死んだ。

まあ正直言うと「やっと死んでくれたか」という感じだ。

発達障害気味で子供の頃から悩まされ続けてきた。

父が帰宅してくるクルマの音が聞こえただけで

憂鬱になるような子供だった。


父は癌で死んだので末期は終末医療ホスピスに入ってた。

死ぬ1ヶ月ほど前、母が「あなた人生ってどうだったの?」と聞いたそうだ。

そしたら全くの躊躇なく、即答で「最高だった!」と答えたらしい。

それはもう満面の笑顔で。


それ聞いて仰天した。母もビックリしてた。


父はとにかく不平不満の固まりみたいな人だった。

まあ理解もできる。満州引き揚げ者だった父は何もかも失った人だ。


満州での裕福な暮らしも、将来の夢も(海軍大将になりたかったそうだ)、

人生安全他人というものに対する安心感や信頼感、

幼い時代の友だち、想い出の地、本当に何もかも。


過酷体験だったのはよく知ってる。

なにせ人前で全く涙を見せず、常に鬼瓦みたいな顔をしていて、

喜怒哀楽の「哀」だけ欠落したような人物だったのに

中国残留孤児」関連のニュース特集を見たときだけは

人目も憚らず涙を流していたくらいだ。


どれほどツラく悲しく恐ろしい体験だったか

話を聞いただけの我々家族ですら胸が痛くなるほどだった。


社会人人生も意に沿わぬことが多かったらしい。

成人してから特にからいろいろ聞いたが

旧帝大卒業してるほど能力は非常に高いのに

発達障害気味の性格の故か人に認められず、

出世もできずに悶々としていたそうだ。


である母は、父によると「異性として見たら全く好みじゃない」そうだ。

見合いの席で初めて会ったとき

「こんなブスは人生で初めてお目にかかった!」とたまげたらしい。


戦後すぐの時期に思春期を送ったためか、もの凄く米国贔屓で

結婚するならハリウッド女優みたいな金髪グラマー白人がいい」と

ずーっと思ってたそうだ。


母は一重の厚い瞼をしていてちょっとキツネ系の顔だが

知性が高いために表情がいいのでほどほどよい顔に見える。

とてもじゃないが「初めてお目にかかったレベルのブス」ではない。

美人でもないが。


まあとにかく、ことほど左様に父は一から十まで人生思い通りに行かなかった人物だ。

子供である我々も能力的、性格的に父の思いに添えなかったと思う。


なのに。

さあ死ぬぞ!もう死ぬぞ!となった段階での自己人生評価

「最高だった!」というのだから、本当に面食らった。


父はやっと死ねるのだなあ、不平不満だらけの人生で、

さぞかし生きるのがツラかったろうなあ、

社会に対する不平不満以外の事を喋ってるのをほぼ聞いたことがないというレベル

いつも怒ってる人だったのに。

「こんなクソみたいな人生、やっとおさらばだ、清々した」くらいは

思ってるだろうなあと勝手に思い込んでたよ。


今際の際の感想が満面の笑みで「最高だった!」ですか。

もうホント、訳がわからない。

苦笑するしかない。


他人人生ってホント、たとえ家族でもわからんもんだね。

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