はてなキーワード: 金髪とは
みたいな組み合わせが大好きなんだけど、源流はどこにあるのかな
全て私の価値観に基づく主観なので違う意見があるのは重々承知している。
自分は二次オタでジャニオタだが、女の子のアイドルに関しては次元問わず殆ど無知なので男性アイドルにおける考察だと思ってほしい。
本題に戻るが、二次元のアイドルに足りないものは「変化」と「成長」だと思う。
二次元のアイドルが成長しないという意味ではない。むしろ存在する物語の殆どはそのアイドルの成長を描いている。
実際に私たちが生活している時間軸に合わせてコンテンツが展開していく、というプロジェクトもあるぐらいで、二次元界隈でも「初期の〇〇くんより~」みたいな意見はよく見る。
しかし違うのだ。私が見たい変化や成長はもっと人間味のある自然なものなのだ。
雑誌で「お母さんの作ってくれる玉子焼きが好き」なんて言ってた男の子が思春期に入って出来始めたニキビを上手く隠せないままテレヒに映ってしまうとか。
事務所に入りたてで先輩グループに入れられた子のダンスがだんだんとそのグループの中で一番ダンスの上手い先輩に似て来て、ああこの子はこの先輩の後ろ姿からダンスを学んでるんだなと窺い知れるとか。
同じ金髪アイドルでもいつも綺麗にしてる子もいれば頻繁にプリン頭になってる子もいて彼はズボラなんだなと発見できるとか。
そういう大したことない、うっかり見落としてしまいそうな程度の変化に魅力を感じるし、これからも見届けたいと思わせられる。
もちろん二次元のアイドルにだって彼らにしかない魅力があるから三次元のアイドルの方が優れているとかそういう事が言いたい訳では無い。
これを観たきっかけだってアマプラで「あなたにオススメ」で出ていたからだ。
実際に観てみたら萌えアニメなんてとんでもない。
第一次大戦みたいな世界観を現代の超優秀なサラリーマンが「金髪美幼女に」転生して生き抜くという、
いわゆる「なろう系」の物語。
また魔法が登場し、主人公にはその素養が多分にあるという設定だ。
普通のアニメであれば、主人公がいてそれを補う形のパートナーや魅力的なサブキャラによって脇を固められており、
どのキャラクターを好きになってもそれなりに楽しめる作りになっていることが多い。
間口が広いのだ。
同様の結果をもたらす実力があると言い切れるほどエネルギーが溢れている。
なろう系の本懐である「チート級の能力を有した主人公」といういつも通りの設定であるが、
「また俺なんかやっちゃいました?」とかいうクソカスゴミカスクソクソクソのようなことは一切言わないのも良い。
実力はもとより戦争観や宗教観、倫理観なども非常に確固たる信念を持っており、揺らぐ描写が一切見られない。
とてもカッコイイのだ。
別に幼女じゃなくても余裕で話は成立するし、必要性も一切無い。
なのになぜ作者は主人公を幼女にしたのかなって思ったけど、その答えは1話にあったわ。
このアニメは海外でもそれなりにウケたらしく、劇場版も制作されているそうだ。
劇場版が上映される頃までこの作品の内容を覚えていたら観ようとは思う程度に面白かった。
そして最後に。
これに尽きる。
出張先のホテルから徒歩15分のところに漁港がある。寂れた小さい漁港なんだけれどもどうやらそこから灯台を見ることができるらしく、夜のその灯台の美しさは、七罪消滅して極楽浄土にいけるほどだという。
それを聞くなり「ほほ。これは、僥倖」とつぶやきつつ、テクテク歩きで漁港に行った。夜の漁港は、黒い海面がヌラヌラとぬらめきながら町の明かりを反射して、そこにいると何だか神聖な気持ちになるものです。
港内に人影があった。それは、ヤンキーだった。どうしてヤンキーだったかというと、髪の毛を金髪にしていてパーマだったからである。しかも小太りのヤンキーだった。ヤンキーはそこで何をしていたか。釣りをしていた。尋常じゃなく短い釣竿だった。漁港の暗闇の中で、ヤンキーは釣り糸を垂らし、うつ向いて黒いヌラヌラした海面を集中して見ていた。
ヤンキー・イン・ザ・ダーク。そう思った。
金髪ないし銀髪のライバルキャラ(シャア、ゼクス、クルーゼ、ハリー、マスク、チョコの人、他)
昔、地図を片手に迷っている風の同い年くらいの西洋人を見かけてメイアイヘルプユーしたところ
「あっ大丈夫です、すみません」とネイティブ日本語が返ってきて
あっ失礼しました、ってなりつつ道に迷ってるのか聞いたら
友達の描いてくれた地図がわかりづらくて…というので見せてもらったら本当にわかりづらくて
なるほどこれは…と二人でうーんとなりながら
多分こういうことなのではないかと私が解読して一緒に途中まで行ってみることにした。
歩きながら「日本語ふつうに喋れるのに英語で話しかけてなんかごめんね…」って言ったら
「えっそんな、それより困ってるところに声かけてくれたのが嬉しいよ!なかなかそんなことしてくれる人いないもん」って言ってくれて
そうかー えへへ
うんそうだよありがとね えへへ
って感じになりつつ
しばらく行ってみたら行き方もわかったのでバイバイした。
というほんわかした思い出がある。
https://anond.hatelabo.jp/20180413215842
「なんかごめん」を言ったのは彼女の喋り方が完全にネイティブだったので
「この子ずっと日本育ちぽい、私が英語で話しかけたのってよそ者扱いしたってことだなーやだーしまったーー」って思ったからだった。
私が通っていた小学校には海外の方がちらほらいて(各学年に1、2人)
子供の自分はとくに外見の違いを気にせず遊んでいたつもりだったのだけど
後年になって親同士の話で白人の子が「みんなと同じ黒い髪と黒い目がいい金髪と青い目やだ」とぐずったり
家で頑なに英語を喋らず日本語を使うという悩みがあったと聞いた。
だから、英語で話しかけて嫌な気持ちさせたかもしれない、と頭によぎったのだった。
人が嫌な気持ちになることを回避した気遣いの行き届いたコミュニケーションを、最初から完璧にやる、というのはきっと不可能だけど、知らなかったことを一つずつ知って行って、ちょっとずつ守備範囲を広げていきたいものです。まあ、できる範囲で。
・桐崎千棘(ニセコイ)
・澤村英梨々(冴えない彼女の育て方)
・牧瀬紅莉栖(STEINS;GATE)
・アスカ(新世紀エヴァンゲリオン・設定上は金髪らしい)
→単純に気になるから。ストーリが面白そうで、見たいとかも無くはないけど、サキイカが歯に挟まっているような、それがとても歯がゆい。
一年に一回くらいのペースで、思い出してはググる→わからない、というのをかれこれ5年くらいしています。
あと、キャラクタは現実寄りで、アニメっぽさは薄かった記憶(とはいえリアル調ではない。うろ覚えなので断定情報にはできないのですが、金髪とかピンク髪とか、そういう記号的表現はあまりなかったような…)。
アニメで画像検索してたらSHIROBAKOの感じが近いかもしれない?あれくらいアニメっぽさが薄い感じ。(とはいえこれもうろ覚えなので(略
→現実的な武装のみです。重火器メイン。剣や刀も無かった?服装は、緑っぽくて、迷彩服?プロテクターとか?そんなだったような。
これが多いのか少ないのかはともかく。
結論から言うとこのアニメはあんまり面白くない、というところ。
なんせ話の進み方がゆっくりすぎる。
丁寧な心理描写を描きたいのかどうかわからないが、とにかくじれったい。
私「はやくキスシーン見せて」
キャラ「嫌です」
私「なんで?(殺意」
とは言うもののキスシーンの作画はめっちゃヌルヌルなので3話に1回くらい出てくるキスシーンで多少満足できなくもない。
超イケイケマジ卍。
それに対してヒロイン。
感情表現はほぼなく、その内心はほとんど読み取ることができない。
物語は2人を中心に進んでいく。
幸子はそんな美穂に段々と惹かれていくのであった。(適当
まあまあこんな感じ。
かいつまんで説明しただけなのにツッコミどころは死ぬほどあれどアニメだし多少はね?
序盤の焦点は2つ。
・幸子はどの段階で美穂を意識するようになったのか
・その感情はなんなのか
美穂への思いが恋愛なのか家族愛なのか姉妹愛なのか憧憬なのか。
恋愛経験が無く強い憧れがあったのでいつの間にか恋愛感情になっていました。
そしてその表現と確認をキスでしかできないのがこの作品のもどかしい魅力の1つ。(のような気がする)
百合っつーとマリみて以来触れていないのでほぼほぼ初心者である。
マリみてといえば、主人公の親友(由乃ポジション)はこの作品でも健在。
髪形も性格もどことなく似ている。(ほぼ一緒。初めて出てきたときはよしのん!よしのんじゃないか!と思ったくらいだ。声が池澤春菜じゃないから違うことに気が付いた)
なんだマリみてじゃねーか。やったぜ。
というわけで妙に気合の入った作画のキスシーンのあるマリみてである。(結論
OPだけでもガッツリキスシーンあるので興味が出たらみて欲しい。
1クールだとしたらあと2話くらいで終わるので最終的に「2人は幸せなキスをして終了」なのは間違いない。
そこは心配していない。
頼むぞ。
エリアル、母親のマキアをネタにオナニーしちゃって強烈な罪悪感に襲われたことがあると思うんだよね絶対。
それこそアスカで抜いちゃったシンジなんか比べ物にならないレベルで激しく後悔したと思う。
でもマキアはエリアルをいつまでも子どもだと思ってるからエリアルが悶々としてることに気づかないで一緒のベッドで寝たがるし、もしかすると一緒に風呂にも入ろうとしたかもしれない(あの世界のお風呂事情はよくわかんないけど)
エリアルの抱いている思いは限りなく恋愛感情に近いものなのに、自分が幼い頃に織ったヒビオルを大切にしているマキアを見ると、この人は絶対に自分を恋愛対象としては見てくれないのだということを嫌でも思い知らされる。かと言って他の誰かとくっつくのかと思えばそんなこともなくて、徹頭徹尾自分の母親であろうとする。もう自分のほうが背格好も上だし、見た目だって年上にしか見えないというのに……。
こう考えるとどうあってもエリアルはマキアから離れざるをえない。あんな生殺し地獄のような女といつまでも一緒にいたら、そのうち何かのはずみで衝動的に一線を越えて、一生悔いるハメになるかもしれないし。
レイリアが娘のことを「忘れる」「ヒビオルには織らない」と言っていたのに対してマキアがエリアルのことを「覚えている」「私のヒビオルの一部」と言ってたのは対象的だった。さよならの朝とはマキアとエリアルの別れの場面だけではなくて、レイリアと娘の別れの場面も指しているのではないか。ならば、そこに飾られる約束の花とは「あなたのことを覚えている/忘れる」という約束のことなのかもしれない。知らんけど。
物語中盤以降のレイリアは、あの花でいうとイレーヌさんみたいな雰囲気のキャラだけど(ここさけの順の母親とも近いかも? クーデリアの母親はどうだろうか?)、あの辺のキャラって舞台装置以上の役割が与えられていないというか、脚本家がそこを描こうとしていないというか、ぶっちゃけ興味が無いんじゃないかという気がちょっとだけする。
レイリアにとって「飛べること」は自らの意思で置かれた環境から抜け出せること、新しくやり直せることを指しているんじゃないかな。レイリアの最後の大ジャンプは自殺でもあり、あの城での出来事を全てなかったことにすることでもあったのかもしれない。元気な娘の姿を見たことで、レイリアにとってあの城で思い残すことは何一つなくなって、昔のレイリアに戻る踏ん切りがついたということなのかも。
(これは一応 anond:20180307093757 へ向けたトラバ)
髪を染めてた頃のマキアはなんとか人間であろうと努力していたように見えるけど、金髪に戻ってしまってからは、もう自らが人間社会にとってのアウトサイダーであることを当然のこととして受け入れているようなフシがあったっけね。ラストでも、あの家族の曾祖母としてではなく、あくまでもかつてエリアルの育ての親だったものとしてあの家を訪問しているように見受けられたし。そういえば、最後に贈られたタンポポにはどんな含意があったんだろ。
イオルフの村、石灰質っぽい山に囲まれた盆地っぽい場所なので、あの山は武甲山でヒビオルは秩父銘仙なのでは。
岡田麿里にとっての花(もしくは華)って一体全体なんなんだ