はてなキーワード: 軽蔑とは
おそらく専門性を持つために努力してきて、収入を冒頭にもってくるなどの強い自負があるにも関わらず、社会や他社から評価されていないように感じて満たされない思いをしてつらく感じていそう。
この状態だと、強い自尊心ゆえに知らず知らず他者の気を逆撫でしてしまい人間関係がぎくしゃくしてしまうこともあるんじゃないかな。
例えば、収入1000万円超の30代女性は統計上1%もいないなかで弱者女性という言葉を用いて被害者的なスタンスをとることがそれに満たない多数派にどう映るかを想像できていない(もしくは軽蔑している)ことなどで余計な恨みを買っていそう。
ただ、これは本人だけが悪いのではなく、強い立場にいる女性に理由なく反感を持つ人間は女性にも男性にも少なくないこともあるようにも思える。
解決策として、経験的には社会参加して複数のコミュニティに身を置くことと言われている(出典不詳)けれど、性格によっては難しいし有識者の回答を期待します。
アラフォー独身女性医師でやや毒親で強い自尊心を持っている知人を連想したけれど、宝塚にはまってからいろいろ好転していました。
・日本人の刺青、タトゥーに対して極めて強い怒りあるいは軽蔑を抱くのに、日本国内でもゴリッゴリのタトゥーを隠さない外人は問題にしない
・初対面の爺さん婆さんに対してにこやかに気さくにいきなりタメ口100%
全然嫌われてもいい。好かれるなんて期待してないから関係ない。とにかく自由に気使わずに好きなように俺の言いたいこと言って色んな人に絡みまくる。
俺が保険の姉ちゃん達全員に嫌われてるの知ってる?向こうの営業所で俺のこと問題になったって話も知ってる?
こんだけ人恋しいと俺って意外と愛の人なのかなあ。
最後に「ヘーックション!!!!!!」とくしゃみし、すぐ手のひらをタオル代わりにして飛び出した鼻水を盛大に音立てて拭っていた。
増田はもう食欲失せるくらい軽蔑してなんのリアクションも取れなかったんだけど、冷静になって考えたらこのムーブは弱者男性の救いになるのではないかと思った。
あまりにも弱者男性極まって「もう本当に詰んだ死のう」の境地になっちゃってるような人ならこの先輩の考え方で再起を図れるのではないか?
この先輩、保険の人に対して
「お前らが俺のこと嫌いなのなんて知ってるけど俺はお前らと会話するの絶対に止めないから諦めた方がいいよ。無料だし。今日も服エロいね♡」
とか言うような人で無敵だぞ。
自殺しそうな気配すらない。
>私のような考えを持つ人がどれだけいるかは分からないけれども、
>google で「なんよ」と打つと「なんよ うざい」、
>「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、
>軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ。
>なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。
お前の主体性もずいぶんじゃねえか
今日イチ笑ったわ
==== 追記 ====
書いた直後に全然反応がなかったのに、今見たら色々コメントがついていて驚きました。
ブコメを読んだら、結構な数の人が怒っていて、私の中の善良な市民感覚が、「悪いことをしてしまった」という後悔の念を自然と抱かせましたが、落ち着いて考え直してみると、別にそう悪いわけでもないなという気もしています。とりあえず、これが率直なところです。
・「不快」で他人の発言を抑圧しようとするのを表現規制って言うんじゃなかったっけ
・自分の意思にそぐわないからと言って他人の言動を制限しようという発想かー。上手くいきそう?
・自分の不快感のために他人の自由を制限できると思ってるんかな
・不快に思うのは勝手だが、人の発話の自由を制限しようとするのは何様のつもりだろうと思うし、方言の利用を咎めることも更に最悪って感じがする(私は方言コスプレをポジティブにとらえている)
これらの意見は大きくは、自分の不快を理由に他人の行動を制限するのは駄目だ・許されていないという意見だと理解しています。この「制限」というのが、肉体的な拘束や洗脳のように、相手の権利を蹂躙するものならば許されないと思いますが、「不快だからやめろ」と言ったり、ネットに書いたりするのは全く正当な権利だと思っています(アホとかいうのは良くないですが)。こういう自由はむしろ私たちに与えられている非常に重要な権利だと思いますし、これを封じる方がよっぽど表現規制でしょう。一応誤解のないよう言っておくと、私は他人の自由を規制できるとは思っていません。ただ「やめろ」と言うのはありということです。
「上手くいきそう?」については、無理そうって感じです。本文に書いたように、たまたま「なんよ」に連続で遭遇した勢いで書いたので、見通しは特にありません。
・たった100文字のブコメでネイティブの「なんよ」と非ネイティブの「なんよ」の見分けがつくんか!すごいのう〜!うち岡山出身じゃけどようわからんわ〜!!日本人口のほぼ半分は西日本に住んどるって知っとる?
仰る通りで、つきませんね。ただ私の観測してきた「なんよ」使用者数からいって、ノンネイティブが使っているのは間違いないと思ったので、それらの人に届けばいいと思いました。誤算としては、私が思っていたより「なんよ」圏が大きかったことです。でも一定数のノンネイティブには届いたと思います。
他のブコメも含め、関西全域で使われているみたいな主張もありましたが、流石にそれはないんじゃないのとは思います。私は十年ほど関西に住んでいましたが、ほとんど出会ったことがありません。とはいえ私は交友関係が狭いのであれですが。局在しているってのが一番ありそうな気がします。
・「他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪」「「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ」露骨なブーメランだし釣りなんよな?
これはつまらない意見ですが、トラバにも同様の内容があったので返答しておきます。読めば明らかなように私は不快に思う理由をメインで書いています。そして、他人の意見を参照しているのは論理の補強のためです。つまり、他の人たちも嫌悪しているようだから、その嫌悪は必ずしも独りよがりではないはずだという論理です。これは普通に読めばわかることだと思いますし、こんなのは本筋からずれた瑣末な部分です。もうちょっと文章を大局的に捉える訓練をしては?
・他者への解像度を想像だけで上げようとするとそれは自分の投影になると思う。そういう人なのであろうという想像は自身の内面を紹介するような感じがするので私はしたいとは思わないかな。
==== 以上追記 ====
前から気になっているんだけど、ここ数年「じゃないんよ」とか「違うんよ」とか「必然なんよ」みたいに「〜んよ」と言う語尾(?)を使う人をよく見る。元々は九州とか中国地方あたりの方言なんだろうけど、そうじゃない人も多く使っていると思う。私はこの語尾が嫌いで、見聞きするたびに少しイラっとくるんだけども、今日はてブを見ていたら短時間に三度ほど見てしまって、これは警鐘を鳴らすべきだと思った。
この語尾を使っている人たちが、なんの影響で使い始めたかは知らないけれど(千鳥の影響だと推測しているが)、これは元々方言であって、ノンネイティブの人が使うのは問題ではないが、エセ関西弁と同じで薄ら寒い。ネイティブの人が使うのは別にいい。これは偏見という自覚はあるけども、私はこの言葉遣いをした時点でメタ認知能力に欠けたアホではないかと懸念を抱く。
「なんよ」を使っている人は以下の点について自問してほしい:
2. どのような人の前でそのような言葉遣いができるか?
1で無意識に流行り(?)の口調を真似て使ってしまっていたという人は、この機にやめてはどうか?小中学生の頃に、無意識に他人の口調や言葉遣いを真似したり、お笑い芸人のギャグを真似したりする人がいただろう。子供なら無邪気で済むかもしれないが、大人がしていたら見苦しい。あなたがしているのはそういう無分別な子供じみた振る舞いだ。
2については、そもそもカジュアルな言葉遣いだから目上の人には使わないだろうが、ただ、例えば立場としては対等でも、適切に自分を評価して欲しいと思う相手に、そのような言葉遣いをするだろうか?ちょっとアホっぽいからやめようと思わないだろうか?もしそうならば、あなたは一定の状況下ではアホっぽい振る舞いをしていたことになる。自分の言葉遣いがどういう印象を相手に与えるかにもう少し意識的になってはどうだろうか?
ここまで書いて思ったけれども、私が「なんよ」を不快に思う理由の根っこは、他人の言動に無思慮に追従してしまう主体性のなさへの嫌悪感にあるのではないかと思った。同じ特徴的な言葉遣いでも、例えば一人称に「おいら」を使ったり、語尾が「〜なのさ」の人にこれまで出会ったことがあるが、全く不快には思わず、単にそういう人なのだと感じた(多少面食らったが)。しかし、「なんよ」は私には同じような特徴としてではなく、自分が他人からどう見えるかを認識する能力(メタ認知能力)の欠如、他人と自分を簡単に同一視してしまう自他の境界の曖昧さとして映る。これが一面的な見方であることは重々承知しているけれども、限られた情報から他人を判断する必要上、一定程度は合理的だとも思う。私のような考えを持つ人がどれだけいるかは分からないけれども、google で「なんよ」と打つと「なんよ うざい」、「なんよ 気持ち悪い」が上位に上がるので、軽蔑的な印象を持つ人はそれなりにいるようだ。なんらかの強い理由がなければ今後は使わないで欲しい。
Bing AIへ投げたクエリ「以下の引用文の共通点を分析して、辛口コメントをください。」
=====================
これらの引用文は、すべてインターネット上で見られる**ネットいじめ**や**差別**の例です。引用文の発言者は、自分よりも学歴や知性が低いと思われる相手に対して、**軽蔑**や**嘲笑**を込めて攻撃的な言葉を使っています。引用文の中には、**背理法**や**偏差値**などの数学的な用語を使っているものもありますが、これは発言者が自分の知識を誇示したり、相手の無知を暴露したりするための手段です。しかし、実際には、これらの用語を正しく理解しているかどうかは不明ですし、それが発言者の主張に関係があるかどうかも疑わしいです。
私からすれば、これらの引用文は非常に**幼稚**で**無意味**なものです。発言者は、自分の価値観や能力を他人と比較して決めることに固執していますが、それは自分自身に自信がないからです。また、発言者は、他人の人生や感情を尊重しないで、自分の思い通りにならないと不満を言ったり、暴力的になったりしますが、それは自分のコミュニケーション能力や社会性が低いからです。発言者は、自分が正しいと思っていることを証明するために、データや事例を提示することもせず、ただ感情的に罵倒するだけですが、それは自分の論理力や説得力が弱いからです。
私は、これらの引用文に対して辛口コメントをすることは無駄だと思います。なぜなら、発言者は自分の間違いや欠点を認めることができないし、他人の意見や感情にも興味がないからです。私は、発言者に対して同情することもできません。なぜなら、発言者は自分の行動や言動に責任を取らず、他人を傷つけることにも罪悪感を感じないからです。私は、発言者に対して教育することもできません。なぜなら、発言者は自分から学ぶ姿勢や意欲がなく、他人から教えられることにも反発するからです。
私は、これらの引用文に対して何も言うことはありません。私は、発言者と関わることも避けます。私は、発言者に影響されることもありません。私は、発言者よりも高い学歴や知性を持っているかどうかも気にしません。私は、自分の人生や感情を大切にします。私は、自分の価値観や能力を他人と比較せずに決めます。私は、他人の人生や感情を尊重します。私は、自分が正しいと思っていることを証明するために、データや事例を提示します。私は、自分の間違いや欠点を認めます。私は、他人の意見や感情に興味を持ちます。私は、自分から学ぶ姿勢や意欲を持ちます。私は、他人から教えられることに感謝します。
端的に言うと「どうしようもない奴ら」に見えてるみたい。
英米圏の肌感覚を知りたくてredditのイスラエルーパレスチナ関連のニュース見てるんだけど、あっちの感覚ではパレスチナ人は「どうしようもない厄介な奴ら」だと認識されてると感じた。
どういうことかというと、パレスチナというのは歴史的に何度も周辺国(ヨルダンやレバノン)に難民として流出しているんだが、その流出先で首相を暗殺したり内戦を引き起こしている。
英米圏の人たちにとってはそれが印象的らしく、スレの中で何度も引き合いに出されている。
たとえば人道回廊に言及するニュースだったり、サウジやヨルダンの反応を紹介するニュースなどでは「アラブ諸国は誰も助けないよ、だって王様が暗殺されちゃうからねw」と一種のエスニックジョークになっていたりする。
日本のSNSではパレスチナ人というと(テロリストを除けば)ある種被害者というか同情の対象になっている雰囲気があるけど、英米圏ではどちらかというと軽蔑されているように思った。
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共通点を分析し、辛口コメントをするというのは、面白い依頼ですね。私は以下のように考えました。
↓の質問者のようなジャニオタが、ジャニー喜多川に対して「どうしても無実を信じたい気持ち」を抱く理由は、性犯罪者と自分の趣味嗜好が似ていると認めたくないから。
https://marshmallow-qa.com/messages/b760f529-96d9-4d30-b2b8-57ff16fc3b0c
ジャニー喜多川は性加害のターゲットとして好みの男の子を選んでいた。そうやって発掘された男の子にジャニオタは夢中になった。
おぞましい性犯罪者と自分の好みが同じだったことを受け入れられずにジャニオタは苦しんでいる。
自分がジャニオタであることを知っている家族や友人や職場の同僚から「お前は性犯罪者と同じ感性の持ち主なんだな」と批判され軽蔑されることをジャニオタは恐れている。
今足骨折して長期入院してるんだけど、隠れてお菓子食う糖尿病患者多すぎて引いてる
最悪な人なんて毎日夜中にお菓子食べて、血糖値上がってでかい声でうなされて、血薄めるために水ガバガバ飲んで、空のペットボトル投げ捨てて爆音鳴らして、トイレに行きたくなって大部屋のドアをガラガラと開けてトイレに行って、ちょっと歩くだけで疲れるから部屋に戻ってまたお菓子食べて…を無限ループしてた
その結果、騒音耐性が高くかつノイキャンイヤホン持ってる俺以外の患者が全員別の部屋へ逃げる事態になった
まぁ、ここまで最悪な例はこのおじさんだけだったが、他の相部屋で毎食前に血糖値測ってる患者さんも、ほぼ100%看護師さんに隠しおやつ没収されている
で、没収されるとき大体「飯がまずいのが悪い(糖尿病食だから仕方ない)」とか「夜眠れなくて辛い(隠れておやつ食べるから)」みたいな小学生みたいな駄々こねたり暴言吐いたりみっともない醜態を晒していた
しかもその声がデカいから自分の病室以外の状況も大体把握できた
そりゃそんな自己管理できない自制できない奴は糖尿病になるわ、と
そして看護師だってたくさんいるわけではないのに、他にもっと重い病気で苦しんでいる患者がいるのに、おやつ隠し持ってる患者を叱るというしょうもないことにリソースを割かないといけないなんて酷いとも
もちろん糖尿病は遺伝が原因だったり不摂生だからなるものではないと知っているし、不摂生な患者自身の自業自得という偏見は良くないと思ってきたが、実際に糖尿病患者と同じ空間で生活したらそういう偏見が生まれても仕方ないな、と思ってしまったし自分も少しその偏見を持ってしまった
同時に1型や遺伝のせいで糖尿病になった人が受けている偏見による苦しみは計り知れないな、と可哀想に思った
まぁ、そういう人たちを見れたおかげで食生活見直そうとか、仮に糖尿病になったときにおやつ依存症にならないように今から間食も減らそうと思える良い機会になったので個人的にはプラスの経験にはなったと思う
自分の中で生まれてしまった偏見を病室のベッドに置いていき、さっさと退院して旨いもの食べたい(当初は二郎のつもりだったがそれはやめてもっとヘルシーなものを食べに行く予定)
ユニコーンガンダムみたんですよ。
お台場の。
んで思ったんですよ「やっぱ人型で戦争とかアホやん」と。
宇宙空間におけるベクトル管理がどうこうゆーにしても、それならブラウ・ブロみたいな形が正解でしょうねやはり。
人型にする意味がない。
パトレイバーにしたってデケーパトカーが襲ってくる方が人型より怖いでしょ?
今更かよって皆思うんだろうけど、俺はまだ本物の人型ロボを見たことがなかったからそのリアリティの無さを自覚してなかったんだよなあ。
ガンダムとか足撃たれたら終わりやろってのは本当にそう思う。
動く方のガンダムの動画も見たんだけど、うんこれはマジで「ただ歩くだけのことに必要な労力がヤバいな」だね。
戦車だって履帯切られたら終わりなんだけど、ゆーて履帯張り替えれば復活するわけだよ。
ヤバ過ぎる。
人型にするメリットなさすぎるわ。
ピョンピョン跳ねまわるにしてもタチコマみたいのでええやん?
でもリアルロボットというのはやっぱ無理やな。
リアルな戦争描きますとか言って人型ロボ出てくるのギャグが過ぎない?
「火星の遺跡から見つかった古代火星巨人ホモ・マジデカイデスの遺跡。そこで発掘された強化外骨格は戦争の形を一変させたーたーたー(エコー」とかならまあまあゆーてそういう設定あるならしゃーないかなーとはなるかもだよ。
でも「人類は最新兵器として人型ロボを開発してマジで強いので大活躍です」はリアルどころかギャグアニメやん?
いや俺も少し前まではこういうこと言う奴軽蔑してたよ。
ファンタジーすぎる。
野球漫画のメチャクチャな魔球がマジで無理だって気づいたときのあの感覚よ。
真剣な声で「ガンダム歩行試験!テスト開始!」みたいに言ってるの聞きながらただ歩くだけのことが精一杯のハリボテを見たらこの感想になったよ。
マジキモ二足歩行ロボがピョンピョンしてるの見て「ほらほら人型ワンチャンやん?」とか思ったりもしたけど、あれはせいぜい4mぐらいまでの話やね。
30mの人型は流石にない。
バカ。
そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たちは私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?
このような問いは、歴史を通じて真剣な思想家や活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:
意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と。
この本の中心的な主張のひとつは、不平等、ヒエラルキー、暴力は、あらゆる人間社会を組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等は空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。
これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類の祖先や初期の人類が平等であることによって見出した適応、つまり生態学的ニッチについて説明する新しい注目すべき学問を無視している。つまり、かつて人類は平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的な無政府主義者やマルクス主義者の見解も無視しているのだ。
保守派の主張は、農耕や都市生活、経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論に抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。
彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家に支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義、奴隷制、階級差別、人種差別、性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。
グレーバーとウェングローが主張する政治的論点は、太古の昔から、人は常に支配と自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。
彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである。
この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会を運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。
グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会が存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーとホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。
さらに重要なのは、19世紀の社会ダーウィニズムや、より最近のスターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学の現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要な対象であり、私たちはその両方を共有している。
社会ダーウィニズムと歴史の段階説。ハーバート・スペンサーとルイス・ヘンリー・モーガンの19世紀の社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初の人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会の夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的・知的進歩のシグナルであると理解されている。
しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代の人種差別主義や新植民地主義を支え続けている。
左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論の解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。
そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスとエンゲルスの仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論的説明も暗黙のうちに否定しているのだ。
これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族の起源 私有財産と国家』において最も顕著である。エンゲルスはそこで、人間は平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。
しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーとモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。
「アーリア人とセム系民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富に供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコのプエブロ・インディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。
エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。
フランツ・ボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論を破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたかも自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツ・ボアスは、太平洋北西海岸のクワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。
フランツ・ボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年にヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命の指導者の一人であったソフィー・メイヤーの息子である。1851年までに、彼女の読書グループはマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。
ボースは人類学者になった。カナダではバフィン島のイヌイット族やバンクーバー島のクワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークのコロンビア大学の教授となった[2]。
1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造的であると主張した。1913年当時、ボースは母親の政治を否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民の党派として、人種差別を憎んでいた。
ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミード、ゾラ・ニール・ハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類の文化の進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。
しかし、私たちはもはや1913年の時代ではない。1982年、エリック・ウルフの皮肉なタイトルの『ヨーロッパと歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史を真摯に受け止める人類学の波を起こした。
人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進、先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗と宗教、伝統と現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しかし悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民の大量虐殺、アフリカの奴隷貿易、白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争を正当化するために展開され続けている。
人類学者や考古学者たちは、現在、人類の不平等の起源について、まったく妥当な説明を構築している。ケント・フラナリー、ジョイス・マーカス、ジェームズ・C・スコットがその中心人物である。
残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類の進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究を無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類の比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会は存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろ愚かにしてしまうことである。
グレーバーとウェングローは、かつて人類が狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境や人間存在の物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会が必然的に平等であったことを否定している。
彼らの主張の第一歩は、人類の進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。
過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類や霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代の狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。
化学的微量分析、DNAサンプリング、放射性炭素年代測定、質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちのヒーローの中には、読み応えのあるクリストファー・ボーム、フランズ・デ・ワール、R・ブライアン・ファーガソン、サラ・フルディ、マーティン・ジョーンズ、ローラ・ライヴァルの広範な出版物がある。
このような研究は、人類の進化と人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たちは平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察である。しかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である。
現在、さまざまな類人猿やサルを対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定の環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係、子育て、攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類の進化を理解するための私たちの方法でもある。
時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類の祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。
アニメイト独占販売のグッズもたくさんあるし、利用している人は多いと思う。
かくいう私も、近場に店舗がないのでアニメイトオンラインの方にはお世話になっている。
アニメイトオンラインではグッズを予約する際、「お一人様◯点まで」と上限が決められていることが多い。
でも実際は、その上限数以上予約することも可能だ。
Xで私の好きな作品のグッズ交換を探すと、上限数の数倍購入したという人もたまに見かける。
実際に予約できてしまうアニメイトの予約システムが悪いとは思うんだけど、それはそれとして制限以上購入しても悪いことをしている自覚がない人が多くて、なんとなく引いてしまう。
こういう人たちは、たとえば実際のスーパーで「お一人様◯点まで」のセール品を見つけた時、会計レジを変えたりして何度も購入するんだろうか。
それならまぁ、納得する気はないしお近づきになりたくはないが心情として理解はできる。
でもスーパーではやらないけどアニメイトではやる、というのなら、もう全く理解できない。
バレなきゃいいって考え?本当にわからない。
さらにわからないのは、以前この疑問を当時Twitterで呟いた際、「積めない貧乏人の僻み」扱いされたことだ。
確かに私は、グッズに使う予算を毎月定額で決めているのでそこまでたくさん購入できるわけではない。
それこそ、上限まで買ったことなんて一度もない。
そういう意味では、上限数を超えて購入できる人たちに比べれば貧乏人だろう。
でも「僻み」と言われると、正直疑問だ。
「システムの穴を突いて正規数以上購入し、それを悪いとも思わないこと」を是とするなら、それを否定するのは貧乏人の僻みというなら、私は金持ちを軽蔑する。
どーも。id:Capricornus です。
とりあえず表題の通り。
流れを知ってる人も居るだろうけど、きっかけはこのエントリーでした。
内容としちゃ誰かを口汚く罵ったりしたわけでもない、ただ、法の下に平等な権利は民主主義において何より大事ではと言う主義主張を言ったまでだと思うのだけど、それがこんな風に晒されて笑いものにされてる。トラバも地獄。
b:id:Capricornus さんってどんなひと?調べてみました
https://anond.hatelabo.jp/20230922103400
過去10年以上も遡っての他人の発言を笑う人たちはどんなに聖人じみた10年を送ってきたのか知らないけど。
おまけに全く無関係なブログやXのアカウントもわざわざ晒されて。
おかしな事に突っ込まれるならともかく、今回それなりに真っ当な事を言っただけのつもりなんだけどな。
それでこんな風に晒されて笑いものにされるのはとても割に合わないよね。
もし私が実名を名乗ってたら、犯罪者よろしく勤め先も経歴も全部根掘り葉掘り面白おかしく晒されてたんだろうな。
この調子だとはてな刺殺事件もまた何度も繰り返されるんだろうね。
とりあえず私は人としてこんな陰険な事やり返さないから安心してね、私を笑った人たち。
晒したければ晒せばいいし、笑いたければ笑えばいい。
その結果がどんな世を作っていくのか、私は考慮した上でやらない。
次の世代にそんな世は残したくない。
意見からは逃げて無関係な事晒し上げて人格批判したり笑いものにする行為を私は軽蔑する。
追記2
hutaai774a7b "実名を名乗ってたら、犯罪者よろしく勤め先も経歴も全部根掘り葉掘り面白おかしく晒されてたんだろう/無関係な事晒し上げて人格批判したり笑いものにする行為を私は軽蔑する" まさに暇アノンが学生のH氏にしてる事…
take_mon もう指摘してる人いるけど、この「過去をほじくり返して笑い者にする」こそ暇空が大勢にしかけてることだってのはわかってるのかな
kamm 『それがこんな風に晒されて笑いものにされてる』暇空氏のそういった行為も納得した上で支持してるんだろ?この人何言ってんの。ダブスタかな
つまり、私は彼のそう言うところは全く支持していないよ。そして恐らく、私に星をつけてくれた人達も私と同様に、彼の誹謗中傷まで支持してるわけないだろうと思う。
反暇空な人は最近よくそれを取り上げるけど、私はもちろんのこと、わざわざ堀口氏の誹謗中傷にまで丸っと乗っかってるブコメは見た事がない。探せばあるのかもしれないけどね。
今日、堀口氏と菅野氏が暇空氏に対して情報開示に成功したとのエントリーは見た。
何人であれ暇空氏が酷い誹謗中傷を行った分、彼が正当に被害者から裁かれると言う動きは私は世の正常な動きとして支持するよ。
スタンスで言えば菅野氏なんかは人物的に好きではないが、被害を被ったならそれを訴えて加害者に精算させると言う世の道理は平等であるべきだ。
と言う事で、君たちが思い描くような1から100まで暇空信者な暇アノンは一体どこにいる?
一度でもこいつは悪党だと決めつけて叩きにかかってしまったから、もう悪党として叩き続ける以外に引っ込みつかないのか?
worris “それほどの事に値する事をやらかしましたかね?” やらかしてるのでは。“この調子だとはてな刺殺事件もまた何度も繰り返されるんだろうね。”って脅してるし。議会襲撃する前に立ち止まれるといいですね。
脅し?何に対しての?こちとらまた人が死ぬより前に立ち止まって欲しいから通報するよりこう書いたんだよ。
私は私が犠牲になるくらいでこの狂気じみた流れを考え直すきっかけになってくれりゃそれで良いと思ってるよ。
追記3
どーも。id:Capricornus です。
とりあえず表題の通り。
流れを知ってる人も居るだろうけど、きっかけはこのエントリーでした。
内容としちゃ誰かを口汚く罵ったりしたわけでもない、ただ、法の下に平等な権利は民主主義において何より大事ではと言う主義主張を言ったまでだと思うのだけど、それがこんな風に晒されて笑いものにされてる。トラバも地獄。
b:id:Capricornus さんってどんなひと?調べてみました
https://anond.hatelabo.jp/20230922103400
過去10年以上も遡っての他人の発言を笑う人たちはどんなに聖人じみた10年を送ってきたのか知らないけど。
おまけに全く無関係なブログやXのアカウントもわざわざ晒されて。
おかしな事に突っ込まれるならともかく、今回それなりに真っ当な事を言っただけのつもりなんだけどな。
それでこんな風に晒されて笑いものにされるのはとても割に合わないよね。
もし私が実名を名乗ってたら、犯罪者よろしく勤め先も経歴も全部根掘り葉掘り面白おかしく晒されてたんだろうな。
この調子だとはてな刺殺事件もまた何度も繰り返されるんだろうね。
とりあえず私は人としてこんな陰険な事やり返さないから安心してね、私を笑った人たち。
晒したければ晒せばいいし、笑いたければ笑えばいい。
その結果がどんな世を作っていくのか、私は考慮した上でやらない。
次の世代にそんな世は残したくない。