はてなキーワード: 相関関係とは
君のわけのわからん難癖に答えてやってるだけだが?
正直意味を取ることすら不明瞭だが、相関関係=たまたま同じ傾向があるだけで、因果関係=消費税増税に世って景気を悪化したとは言えない。といいたいがように見える。
で、こちらは、消費税増加は需要の最大のものである消費を押し下げる。更に、法人税減税、累進所得税減税は、金を滞らせるところを多く減税させる。
金の回転数を落とす。これらの作用により失われた30年を創りだした。以上。
企業、富裕層周りは、具体的に金を使う用途以外減税してはならない。
ま、適当に難癖つけたら相手黙るんじゃないかってああかいたのだろう。
だが、相手が悪かったな。
一度中学で知能テスト受けたけど、クラスでもっとも優秀な1名のみ名前を告げられただけ
さて、その優秀なヤツはごく普通の公立高校に進学し、そのまま就職したようだ
そんなことより、大学に入ってから優秀なヤツはとんでもなく優秀な一方
阿呆なヤツも掃いて捨てるくらいいた
そちらの方がよほどショッキングだった
「なんでこんな阿呆なヤツと一緒に勉強しなきゃいけないんだ」と思いつつ
「あいつあんな本読んでいるんだ」と驚き、早速同じ本を読んでみたりと
今から思えば下らないことで悩んでいたのだなぁと思う
要するに同じ学科でも会話が成立しそうにない状況だった
企業は採用にあたって、学問にどれほど傾注したかなど歯牙にもかけないだろう
会話が成立するか否かは、結局共有する語彙にかかっているのではないかな?
これを書こうと思ったきっかけは、人気記事にあがっていたこの記事
「会社で臭いと言われるのだがどうしていいかわからない」https://anond.hatelabo.jp/20180918135609
似たような症状で悩んでいる人がいることを少しでもわかって欲しい。
この症状の改善策を見つけたい。
この症状で一番辛いことは、生きているだけで他人に迷惑をかけることである。
あまりにも私の経験と一致するところがあり、何か情報を得られないかとこれを書いている。
私も全く似た症状で数年悩んでいる。
臭いと言われ、咳払いをされる。
臭いと言う人もいるし、臭くないと言う人もいる。
私と同じ空間にいる人は、喉にたんが絡みよく咳払いをする。
喉にたんが絡み咳払いするのなんて誰だってするよ、と思うだろうが、私の行く先行く先で異常と思うほどに反応される。
統合失調症ではないかと思われるかもしれないが、今まで普通に生きてきたので統合失調症ではないと思う。
よく分からないことは、
・私のことを臭いと言う人と臭くないと言う人が極端に分かれていること(臭いを感じる人と感じない人がいること)
・私がいるだけで周りの人に刺激(私の場合は、周囲の人への喉への違和感)を与えてしまうこと
この症状になった心当たりは、
・長期的な過度のストレスを感じていた
である。
臭くないと言う人は、病院の先生、健康診断の先生、今の親しい友人
臭いと言う人もいるし、臭くないと言う人もいる。臭いと言う人は本気で臭いと思っているし、臭くないと言ってくる人と話をしていても本当に臭いを感じていないように見える。
「会社で臭いと言われるのだがどうしていいかわからない」のコメント欄を見て思うことは、この症状を経験した人でないとこの症状をありえるはずがないと思ったり、会社からのパワハラだと言ってしまうのも無理がないところである。この症状を経験している私自身こんなことが本当にあるのかと思っているのだから。
ここで、PATMと呼ばれる症状を紹介したい。
「PATMとは、一緒にいる自分以外の人がくしゃみやのどの違和感を訴え、まるで自分がアレルゲン(アレルギー症状を引き起こす原因)のようになって周囲の人に影響を及ぼす症状です。つまり本人に異常は無いのに、周りの人がアレルギー症状のようなものを訴えるようになるのです。本人が自分の体臭に敏感になり発覚することもありますが、それ以外には自覚症状が出ないためなかなか気が付くこともありません。」(引用)
このPATMは、2018/3/6の世界仰天ニュースでも放送されている。
http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20180306_03.html
私がこの日記を書こうと思うきっかけになった日記「会社で臭いと言われるのだがどうしていいかわからない」のコメント欄にもPATMではないかと指摘がなされている。
私はずっとこの症状に悩まされていて、このPATMと名付けられた症状が世の中の一部の人に起きていることを理解した時、この症状で悩んでいるのは私だけではないんだと気持ちが楽になったことを覚えている。それまでは、この症状は私だけのもので一生治るものではないし、一生他人には理解されることはないと思っていたから。
PATMは、今まで精神的なものだと思われることが多かったようだが、今年発表された論文
( 皮膚ガス測定および鼻腔内微生物検査に基づくPATMに関する考察 https://www.jstage.jst.go.jp/article/siej/21/1/21_19/_article/-char/ja )
によると、被験者の皮膚ガスからトルエンやキシレンなどの化学物質が基準値より極めて高い量検出されており、精神的なものではないことが明らかになっている。
また皮膚ガスを測定した人の中では基準値の100倍近い化学物質が検出された方がいるようだ。
私の今の現状は、この症状を治したくて病院へ行っても症状を認識してもらえないため、治療することが出来ていない。
自分でも、洗濯をより注意したり、歯磨きを注意してしたり、食生活を改善したり、睡眠を多くとったり、ストレスを貯めないように生きている。
なにより辛いことは、この症状を理解してもらえないことである。
同じ空間にいる人にアレルギー反応を起こさせてしまい、病院に行ってもあなたは普通だと言われ治したくても治せない状況にいる。
会社のようなストレスのかかるところにいると臭いを発し、ストレスがかからないところだと臭いを発さないのかもしれない。
なぜこんなにも臭いと言う人と臭くないと言う人が分かれるのか理解できない。
これだけ気を使っていても、私に対して臭いと平気で罵ってくる人がいる。
会社以外は外に出られなくなった。会社にすら行けなくなったらもうおしまいだと思っている。
休みの日は家にこもり、人混みをさけ、会社に行くときも交通機関を使うのをやめた。
こんな状況じゃ何もすることができない。
何か新しいことを始めたいと思ってもすべて足かせになる。
自分がいるだけで周りの人に辛い思いをさせているのかと思うと本当に辛い。
生活保護を受けようと思ったって、医者にすら理解されないのにどう説明したらいいのか。
今はいいけどこれがずっと続くと思うと長くは続かないと思う。
これを読んでこんなこと本当にあるのかと思う人も多いと思う。
何より、生きてるだけで他人に対して迷惑をかけてしまうのが本当に辛い。
何か発展があるのなら、身バレ覚悟で東京の代々木公園に時間を決めて座り、この日記を読んでもらった人に通りかかってもらって理解してもらえたらなと考えている。
追記 09/25 8:25
PATMについてダイヤモンドオンラインで紹介されていました。PATMについて化学的に研究されている先生の記事になります。
https://diamond.jp/articles/-/157697
「シックハウス症候群の時は15年以上かかった。皮膚ガスがアレルギー様症状を誘発するかどうかを精査する必要があり、皮膚表面に棲む常在菌の関係も調べたい。その後、仮説が正しければ、なぜ体内から化学物質が出てくるのかといった医学的な研究が要る。そのためにはまず、PATMに興味を持ってくれる研究者を集めるのが初めの一歩になる」(抜粋)
追記 09/25 16:03
私と逆の立場の人の投稿を見つけた。2014年の投稿。私は何らかの関連性があるのではないかと考えている。
http://q.hatena.ne.jp/1393263179
職場に化学物質過敏症の人が何名かいます。その人達だけは、ある特定の人が出社している間、咳やのどの痛み、目の痛みが発症し、その人が不在のときは症状が起こらない状況が続いています。状況からアレルゲンがその人であることは明らかなのですが、相関関係を立証できないため、会社に環境改善を訴えても取り合ってもらえません。立証できないのに注意をすることでモラハラだと訴訟を起こされるリスクを徹底して避けているようです。実際に医師からアレルギー症状や喘息と診断されている人がいるのにも拘らずです。このような場合は、今の医学や法律では、理解されることの少ない、化学物質過敏症の人が泣き寝入りするしかないのでしょうか。(投稿全体を抜粋)
追記 09/25 22:40
たくさんの方から読まれており、改めて調べ誤解されたくないことを書いておきたい。
PATMと臭いについて多く書いたが、PATM(People Allergic to me)は、名前の通り、周囲の人にまるで自分がアレルゲン(アレルギー症状を引き起こす原因)のようになって周囲の人に影響を及ぼす症状である。
PATM = 臭いと感じる人、感じない人がいる臭いを発する症状ではないこと、そしてPATM自体が臭いを伴うものではないことを書いておきたい。
実際に診療されている先生のサイトを見ると、PATMの人の中には、それとは別に異常な体臭を伴う場合もあるようだ。(出典 https://www.konishi-clinic.com/symptoms/patm.html)
私はこれなのかもしれない。
臭いに関して多く取り上げられているように感じるが、PATMの問題は周囲の人にアレルギー反応を起こさせてしまうところである。
この日記は私が経験したことを書いたものであり、PATMについては実際に研究されていてる先生の記事、診療されている先生が書かれているページを見ていただきたい。
臭い人に対してわざと咳払いをするなどのコメントがあるが、私の経験では、それとは違い我慢したくてもできないように咳き込むのである。
同じ空間にいる人に臭いと思われているか、思われてないかは口に出してもらわないと分からないが、咳き込み辛そうにしているのは分かる。
この日はすごい反応される、この日は全然反応されない、この日は普段と同じだ。
何が違うのだろうと考えたりするがよく分からない。
体調と同じで何かが関係しているのだろう。
私が一貫して言いたいことは、私がいると周囲にアレルギー反応を起こさせてしまうことである。
PATMの症状を訴える人の皮膚から皮膚ガスとしてシックハウス症候群(症状は、目がチカチカする、鼻水、のどの乾燥、吐き気、頭痛、湿疹など)の原因とされている物質が基準値より極めて高い量検出されており、それと同じ症状が周囲で起こっているのであれば、何もない訳がないというのが私の本心である。(出典 https://diamond.jp/articles/-/157697?page=2)
この原因を究明しようと研究されている方がいる。
私も検査などできることをやっていきたい。
アベノミクスが始まったころ盛んに聞かれた言葉「トリクルダウン」。景気拡大効果が大企業や富裕層から中間層や低所得層にも広がるとされたが、安倍氏と石破氏はそろって懐疑的な見解を示した。
口火を切ったのは石破氏だ。「東京や大企業の成長の果実が、やがて地方や中小企業に波及するという考え方を私はとっていない。経済のメカニズムが違う。そういうトリクルダウンみたいな話が(政府の)『骨太の方針』に記述があるのでやや違和感を感じる」
安倍氏は「石破議員から『安倍政権がとっているのはトリクルダウンの政策だ』という趣旨の話があったが、私はそんなこと一度も言ったことはない」と反論。「地方対東京の対立構図ではなく、東京の経済が良くなれば地方でつくる農産物の価格も上がる。そういう相関関係もある。ただ『したたり落ちる』という考えをとったことはない」と強調した。
うーん???
anond:20180905112138 anond:20180905112647 anond:20180905113328 anond:20180905113414 anond:20180905114121 anond:20180905115321 anond:20180905121312 anond:20180905121222 anond:20180905122145 anond:20180905122320
増田ではもうやった?
自称左巻きであり、自称マイノリティという巨悪()と戦う増田は
『男が痴漢になる理由』って本について語り合ったか?
https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/18/sexual-molester_a_23248308/
「自分自身がストレスフルだったり自暴自棄になっているとき、自分よりも弱い者を性暴力で支配したりいじめたりすることで自らの優位性を確認するという『痴漢パーソナリティ』」
――そもそも、痴漢加害者のリアルな実態はどのようなものなのでしょう。
私たちのクリニックで調査した痴漢加害者のパーソナリティは、最終学歴が「四大卒」の「会社員」ほぼ半数を占めています。さらには結婚していて子どもがいる、娘の父親である加害者もいます。
そうです。見た目が色黒で筋肉質で暴力的な性犯罪者はほとんど見かけません。どちらかというと色白で細身で、話し声も小さいような、なよっとしたタイプの男性が多い。
これは痴漢だけではなく、強姦の加害者も同じです。私は強姦加害者との面会するため拘置所に行くことが多いのですが、事前に調書で読んだ加害者のイメージと、目の前に座っている本人がとても同一人物には思えないことが多いですね。犯罪行為と見た目の印象が、どう考えても乖離している。
いいえ、痴漢を突き動かしているのは性欲だけではありません。以前、200名を超える加害者に聞き取り調査を行ったところ、過半数が「痴漢の行為中に勃起していない」と回答しています。
また、対象行為直後に駅のトイレなどで射精するタイプは少数です。つまり性的欲求を満たす目的で行為に及んでいるわけではないと分析できます。
夫婦間でセックスがあるにも関わらず、常習的に痴漢行為をしていた妻帯者もいます。セックスレスも痴漢行為と相関関係はありません。
――性欲解消ではない。じゃあ一体、何のために......。
「そんなことをするのか?」という話になりますよね。
多数の痴漢加害者にヒアリングを重ねて導き出された答えは、痴漢行為は彼らにとって「ストレスへの対処法」であるということです。スポーツで汗を流したり、趣味に没頭したりするのと同じ感覚で、彼らは痴漢行為で自身のこころを安定させているんです。
そうです。加害者のヒアリングで浮かび上がってきたのが、「自分より弱い存在を支配したい」「征服したい」「じわじわいじめることで優越感を味わいたい」という声でした。
「釣り」に例える人もいましたね。「今日はいい獲物が釣れた」というギャンブル性やレジャー感がある、と。痴漢同士が情報交換したり成功体験を自慢し合ったりする掲示板サイトがあるのですが、そこに書き込んで評価されることで、間接的な報酬効果となり問題行動が強化されていたというケースもありました。
https://anond.hatelabo.jp/20180822005110
こんな程度の噓んこ数字遊びにあっさり騙されるってどういうことなの。脳みそ入ってんの?
そんなことはないだろう。事故が起こる要因を考えればいい、車種で決まるだろうか?むしろ車種によらない要因が主で、更に多数あるはずである。
軽自動車の交通事故件数は 131,909件、登録台数21,847,783に対し、1万台あたりの事故は60.4件と7%程度多くなっている。
普通自動車の死亡事故発生件数は 1,097件、1万台あたり0.28件に対し、軽自動車は 853件、1万台あたり0.39と、普通車に比べ39%も多くなっている。
したがって、車種による安全性を比較したいという趣旨においては、この比較には全く意味がない。
本来であれば速度、事故がおこった道路、出来れば性別・年齢ごとに比較して車種の影響のみを考慮する工夫をすべきだが、元増田が出した数字のみで辛うじて意味のある評価をしたい。
元増田は「②JNCAPの新安全性能評価」において車種ごとの試験結果を比較している。これが実際の事故において、どの程度の影響を持っているか?を見るべきだ。
したがって、事故の発生件数に対する、死亡事故の割合をみるのがいい。
普通自動車 死亡事故 1097件 事故件数 222,486件 死亡事故は、事故 100件に対して0.493件となる
軽自動車 死亡事故 853件 事故件数 131,909件 死亡事故は、事故 100件に対して0.647件となる
繰り返すが、この評価には事故が起こった条件にたいする評価がない。したがって数値にはブレが存在する。この時100件あたりの事故件数の差の 0.154件は有意に危険であるといえる差であろうか?
乗員保護性能の平均値を有意に反映した数字になっているだろうか?その評価は、元増田が出している数字のみからでは行えない。
軽自動車が、普通自動車に比べて、死にやすい危険な車種であるか?は、元増田がやった事故件数の評価では全く言えていない。(安全性能試験の評価数値のみで語るべきだっただろう)
確率は条件がそろえば加減乗除の対象にしてもいいが、何を比較しているのか理解していなければまるで意味がない。
台数あたりの事故発生数は7%増なのに死亡数は39%増ということは、一事故あたり30%多く死ぬってこと(4人乗ってた普通車なら1人生き残れても軽だと全滅する)
まったく意味が分からん無価値な評価だ。なんで死亡事故の増加割合と、事故の発生数の増加割合を引いていいと思ったのだろうか。
7%と39%という評価はミスリード。正解は、事故率は0.5658%と0.6037%なので0.0379%増。死亡事故率は0.02789%と0.03794%なので0.01114%増。さわぐほどの差かね?
恐らく、0.6037 - 0.5658 なんだろうが、引いたことで何を評価できているのか理解できてるのだろうか。。。「割合は」0.0379%「増加」していない。
割合の差は0.0379だが、この場合、あるドライバーが事故を起こす確率は 0.0379% 高いと言って価値があるか?
まだ元増田が1万件あたりに均して、その割合を取って7%と言っている方が意味がある。
これらのコメントに星を付けた奴は阿保。
はてなーは数字も読めない、3行以上の文章は理解できない、タイトルしか読めない阿保ばかりである。
数字を使った場合に、その数字が何を評価しているか?というロジカルシンキングの基本がミジンコほどもできない連中が政治だなんだ言ってるのは笑える。
cider_kondo どうでもいいけど軽運転者に多そうな属性って 1.若葉マーク 2.紅葉マーク 3.大きな車の取り回しに自信がない人 だよね。増田時空には、因果関係がないと相関関係は存在しないの? それとも馬鹿なの?(煽ってみる
俺が分かったのは、お前って奴は
という事だな。頭が悪すぎてどうすればいいのか分からん
俺が言ってることは、相関そのものについてなのは、交絡って言葉一つで、正しく理解できている事を表現できているブクマカの存在で分かるだろ
ある事象の発生確率に影響がある複数の変数が、互いに相関している状態を排除して、1変数(この場合は車種のみ)の確率に与える影響を正しく評価しなくてはならないという事だ。運転手の年齢性別、事故時の速度、気象、時刻 etcとある中で、車種の影響を評価するのは、おまえのような馬鹿が考えるほど簡単ではない。
因果とか、相関とか、時空とか、自分でも意味を理解してない言葉は使うな。
馬鹿だ阿保だ間抜けだと罵倒せずに済むような評価はどういうものか?
論文ではないから評価手法の妥当性を検証せずともいい、条件の絞り込みに蓋然性があれば、多くの人は納得するはずだ
これであれば、
事故発生件数にたいする死亡事故の割合の評価=車種が死因の直接的な要因であることの指標
まず落ち着け
別に中国とか韓国の企業でなくても、ソ○ーでもキヤ○ンでもニ○ンでもパナ○ニックでも当たり前のようにやっている手法だ
最近ではコンパクトカメラ自体がオワコンだからCMそのものを見なくなってしまったが、今でもカメラ名とCMなどで検索すれば見られるはずだ
その中で使われているさもそのカメラで撮りましたという写真は、ほとんどがフェイクといってよい
それは撮像素子の大きさだ
そして撮像素子の大きさによって左右されるものは何かというと、ボケだ
被写体にだけピントが合っていて残りはすべてがぼやけているようなきれいっぽい写真を一度は見たことがあるだろう
スマホのカメラでボケを作ろうとしてもなかなかうまくいかないと思ったことはないだろうか
最近のスマートフォンではポートレートモードなどとあとでエフェクトとしてボケを加える機能などがあるが、つまりそもそもそのカメラではボケを作ることができないということの裏返しといってよい
もし通常のポートレート撮影などでボケを得たいと思うなら、少なくとも1型、もしくはフォーサーズ以上のサイズが必要になる
しかし、コンデジやスマホの撮像素子は、それと比べて遥かに小さい
難しい話しをするつもりはないが、撮像素子が小さい=合焦の光が細くなる=ボケが小さくなるという物理的な相関関係が生じる
何が言いたいかというと、スマホだろうがコンデジだろうが、作例のように提示される写真がもしきれいにボケていたなら、要するにそれはフェイクだということだ
唯一マクロ撮影の場合のみ、小さな撮像素子でも背景がボケることがある
だが作例でそんな写真が使われることはまずない
自分が初めてカメラを買ったのは、まさにCMに騙されてのことだった
作例のように見せられる写真のきれいなボケを見て、学生のなけなしの小遣いをはたいて小さなカメラを手にしたときのトキメキは今でも忘れようがない
しかし、その後いくら頑張ろうともCMで見たようなきれいなボケのある写真は撮ることが出来なかった
その後必死で勉強してたどり着いた結論は、CMでみたようなきれいな写真は、そのカメラでは絶対に撮ることが出来ないということだった
そこにはカメラの知識がある人間ならすぐに分かるようなフェイクがメーカー主導で繰り広げられている唾棄すべき現実がある
カメラが売れることは喜ばしきことだが騙してまで買ってほしいとは思わない
本当に早く滅びてほしい
元増田の言葉がピーキーだから反感を集めてるようだけど、しかし集まってるぶコメが “弱者に寄り添いたい症候群” のオンパレードでなんだかなあと思う
まずね、2歳児というとだいたい歩き始めて少したっていて、歩き方もちょっとしっかりしてきて、食べ物もミルクや離乳食は卒業し普通のものを食べてる頃あい、言葉も少しずつ喋るし数もちょっと数えられる、親の言うこともなんとなくわかってる感じが出てくるけど、“魔の2歳児”という言葉が存在するように時にはアンコントローラブルになる事もある、そんな感じの時期。
もちろん個人差はあるしADHDなどを持ち出すとそりゃいろいろあるわけなんだけど、一般的な話として「2歳児にはしつけも効かないし親は何もできない、だから外で子供が騒ぐのは仕方ない、親は悪くない」というのはぜったい違うと思うんだよね。
まず、子どもについて。
子供の学習能力を甘く見ちゃいけません。彼らにもしっかり環境適応能力は備わっている。当然だよね、生物として環境に適応できなければ死ぬんだから。ただ幼い頃はまだ身体的制約が大きいのでその適応力は弱い、だから親のサポートが必要。
俺が大事だと思うのは、彼らは一生懸命環境に適応しようとしているのだから、親が根気強く粘り強く環境への適応の仕方を教えたり、サポートしたり、促したり、環境そのものを調整してやることだと思うんだよね。子どもにとって不適切な場所には行かないようにするとか、その環境に適さない行動をしたときに都度、注意をするとか。
例えば、子供が騒いじゃいけない場所、騒がない方がいい場所で奇声を発したとき、親が毎回毎回人差し指を口にあてて「しーっ!」とやる。当然彼らは最初、その仕草の意味を理解しないので効き目はないが、その仕草のあとたまたま静かにしたら誉められた、なんか「しっ!」の後に黙るとよくわかんないけど誉められるなあ、という成功体験が続けば次第にそれを理解し始めて、やがては「こういう場所では母ちゃんに「しっ!」ってやられる事が多い気がする!」と予測を立てられるようになる。これこそが学習能力であり環境適応能力でしょう。
個人的な経験からすると、騒がしい子どもの親はその「しっ!」をほとんどやらないんだよね。諦めてるのか必要ないと思ってるのか、いや俺はおそらく「判定が甘い」んだと思ってるんだけど。
群衆の中に自分がいるという意識が低くて、周囲と自分の間の境界の判定が甘いから、あまり気にしてない、気にならないんだろうなあと思う。ものすごい香水が臭い人とか、イヤホン音漏れすごい人とか、電車の中で飲食する人とか、、、明確に悪いことではないけど周囲との距離感を意識できてたら普通はしないでしょってことでも平気でできる人は判定が甘いんだと思う。どの声の大きさなら“うるさい”レベルなのかっていう判定が甘い親はほとんど「しっ!」とやらない。子供と親の性格には確実に相関関係があると思う。
実際のところその辺はママさんたちの方がすごくシビアに見ていて、そういう部分で気の合うママさん同士がグループになる傾向があるのは端から見てておもしろい。そこら辺を“ちゃんとしたい”と考えているグループと“あまり気にせず自由奔放に”というグループがあって、その2つはたぶん仲が悪い。女性特有の“笑顔で殴りあう”、みたいな恐ろしい世界。
ちょっと脱線したが話を戻すと、子供の環境という部分に関しては親にできることはたくさんある。
そりゃね、世の中のお店は売り上げが欲しいから「子どもOK!おいしいお子さまランチあるよ!おいでおいで!」とやるんですけども、当然だけど別にそこに行かなくてもいいわけです。外食しなくていいように予定を組むとか、子供が寝てる隙にさっと食事を済ますとか、親が交代で食事をとるとか、、、 ぶっちゃけ、「泣き止まないから放置」とかいう選択が一番理解できない しかも母親1人かと思ったらまさかの父親登場、ふたりいるんかい!と笑
まあいろいろゆーとりますけども、言いたいのは、別にムチでビシバシやるようなしつけじゃなくて、どんなに小さな事でも細かいことでも、やんわりとしかしながら根気強く子どもを促していると、子どもはそれにすぐに適応する ということです。
騒がない子どもは環境に適応した結果そうなった。個人差の部分はゼロではないと思うが、それは実際かなり小さい、親の影響の方が遥かに強大。
親から環境適応のヒントを与えられ続けた子どもは、行動の判定基準に「騒ぐと周囲に迷惑がかかる」といった“大人の感覚”が加味されていて(その意味が分かってなくても)、逆に親からヒントを十分もらえてない子どもは独自の解釈で環境適応した結果、騒ぐことが周囲に与える影響が加味されていない判定基準によって行動するようになる。ということ。
オウム真理教の「アビラケツノミコト」とは、一体何だったのでしょうか?
アビラケツノミコトとは「軍神を率いる光の命」という意味の単語だそうです。
アビラケツノミコトの初出は、「トワイライトゾーン」1985年10月号(KKワールドフォトプレス刊)でした。
考証の資料として、原文を見てみましょう。
仏教用語。サンスクリット語a vi ra hūṃ khaṃの音写。以上の5音綴は,それぞれ万有の構成要素である地,水,火,風,空を表わし,大日如来の内面の悟りを表明するとされる。一般には,すべてのことを達成するための一種の呪文として用いられる。
地水火風空(a vi ra hūṃ khaṃ)のうち「風」(hūṃ)が揃ってないので、まだ不完全(未完成)な状態、という意味もあったようです。
最終的な理想国を築くために
神をめざす超能力者
レポート/■■■■■
今月号の口絵14ページで、空中浮揚の連続写真を紹介した麻原彰晃氏。彼は師にもつかずに、独自の修行でこのレベルに到達した。だが、この超能力者の目的は、はるか先にある。
彼は、特定の宗派の僧でもなければ、団体のトップに座す人でもない。人間の師ももたない。彼の修行は独自で、しかも数千年も伝わる聖典の奥儀なのである。
麻原氏が修行を思いたったのは今からわずか8年前である。世の中すべてのものに強い矛盾を感じたのだ。何もかもウソだ。自分さえもウソツキだ。まわり中のこと一切が限りなくイヤになった。
どうしたら正しく生きられるか。彼は、その日からすべてを捨て、行に入った。
行は毎日2~5時間に及ぶ。仙道、大乗仏教、密教、チべット密教、ヨガ。ひとつに執着せず、数数の修行法をとり人れ、自分が納得する形で行なっていった。
修行を始めると、様々な神秘的なことが起こりだした。たとえば、トランス状態での異言。
その時のテ―プを聞かせていただいた。東洋系の言葉らしいが、私としては、TVなどでも聞いたことのない言葉だ。口調はかなり激しい。過激な説法、または、訴えのように聞こえる。
「アジアの、インド、中国、チベット、その辺の言葉だと思います。おそらく、自分の過去生と関係のある言葉でしょう」
麻原氏が、修行8年にして空を飛ぶということは、過去生でかなりハードな修行をしていたに違いない。彼は、テ―プに吹き込まれた自分の口から発した言葉を訳せる人を希望している。でも、もしかしたら、現在ではすでに死滅してしまった言語かもしれない。
修行3年にいたったころ、彼の魂は彼の肉体を抜け出し始めた。「体が回転するような感じになったんです。ウォンウォンというモーター音に似た音がして、それからシューという音がしたんです。その時、魂が抜け出してゆきました。
抜け出した先で、魂は宇宙の星星を見たり、『人』と会ったりするんです」
こんなこともあった。シャヴァアサナ(屍のポーズ)をとり、トランス状態に入っていた。
彼は、大ス夕ジアムのようなところにいた。観客スタンドは、裸の僧で埋まっている。中心で、やはり裸の僧の彼が説法をしている。
「霊界での説法なんですね。私はそこで説法をして帰りました」
聖典を読んで帰ることもあるという。魂が、修行において気になることを調べに行くのだ。
「自分が現実で読む本を先読みしているのです。だから、実際に読む本の内容は、すでに知っていることが多いのです」
魂が抜け出さずとも、本の内容を理解していることも度々ある。修行中「ああ、これはこういうことなんだ」と感じた通り、後に読む本に同じことが示されている。
もちろん、修行に危険が伴わないわけではない。普通だったら死んでいるというような目にあったことも1度や2度ではない。
「その時は、自分の守護神に頼むのです。そうすれば、必ず、元のところに帰ってこられる」
麻原氏には、たくさんの信仰している神、守護している神がいる。彼は、それらの神々から修行法を学んでいるようである。
「トランス状態のとき、神々が現われることがあります。神々はヒントを与えてくれることもあります。または私が質問し、神が答える。質疑応容形式のこともあります。その中で得たのは、『生きることを否定せよ』ということです」
麻原氏は、いつも出会う神とはニュアンスを異にする3人の女性に出会っている。彼には、霊界人とも宇宙人とも感じられた。
「まず1度めは、5年前。妻の出産の時のことです。朝、自宅で目覚めるとロングへアで緑色の服を着たグラマーで美しい女性が、私に向かってオイデオイデをしているんです。
全身はエーテル体とも思えるもので、炎の赤をしているのです。髪の色は、全身の色を薄くしたような感じで、ジャンパースカートのような形の服に茶色のべルトをしめていました。
会話はありません。『私があなたを守護しているのです』と私に見せているように思えました」
2回めは2年前です。自宅で、眠る直前のことです。髪は肩まで垂らし、オレンジ色の服をきた目鼻立ちの美しい女性でした。体色は人間と同じでした。この時も会話はありません。
3回目は今年の5月。ここ(麻原氏の道場)でです。髪の長さは肩ぐらい。やはりオレンジ色の服ですが、体の色は、何というか、この世にない色なんです」
3人の女性たちは、共通して美しく、グラマーであり、口をきかない。決まって、彼の左側に現われる。そして、彼女たちが去った後、場の空気が揺らぐという。
「最後はいつも、霧のようにかき消えてしまいます。ひとつ修行が進むと、異なった人が現われるんです」
麻原氏は、これまで世に出ようとは考えなかった。ところが、ある時、声を聞いたのである。
彼は今、シャンバラのような王国、神仙の民の国を築く準備を開始するため、多くの人に修行法を関放する必要を感じた。
今年の5月のことである。彼は神奈川県三浦海岸で頭陀の行を行なっていた。五体投地をしていたときのことである。突然、天から神が降りてきた。神は彼に向かってこういった。
アビラケツとは、彼の初めて聞く言葉であった。彼は、サンスクリットを教えている人を訪ねた。
すると、アビラケツとは、地水火空の意味で、アビラケツノミコトとは、「神軍を率いる光の命」、戦いの中心となる者と判明したのである。
彼は、天から降りてきた神によって、西暦2100年から2200年頃にシャンバラが登場することを知り、それまでアラビケツノミコトとして戦うように命じられたのである。
彼は考えた。チべットのような王国を造らなくてはならないことはわかっている。しかし、チベットは戦争を好まない国である。理想国を造るため、戦さを用いてよいのであろうか。
彼は、シヴァ神や、ヴィシュヌ神などの自分の信仰する神々や自分を守護してくれる神々に相談した。神々は「命を受けるべき」と返答した。
麻原氏は、神を感じるだけでなく姿を見るという。それによると、たとえばシヴァ神は、白銀のような色、ドライアイスのような色の神体を持っているという。
ところで、ここでいうシャンバラとは幻の国、聖人たちが住み、全宇宙の、そして過去から未来永劫に至るすべての英智が納められている国である。かつて、秦の始皇帝、アレクサンダー大王も求めてやまなかった土地なのだ。
シャンバラは、地下深くにあるといわれている。そして、地球上のある地点からは、シャンバラへの通路が開けているという。
その昔、チべットの首都ラサにあった古ポタラ宮の地下の一室はシャンバラへの入口であったと伝えられている。そこで、チべットはシャンバラの影響を受け、チべット密教を開花させたのだ。
聖者たちのひと握りの者たちはシャンバラを訪れることができる。そこで、ある者はシャンバラの住人となり、ある者たちは社会に戻り、許された者にだけシャンバラを伝えたのである。道教の祖・老子は、シャンバラの人になったといわれている。
麻原氏の話に戻ろう。
「2006年には、核戦争の第1段階は終わっているでしょう。核戦争なんて、ほんの数秒で終わってしまい主す。日本も死の灰の影響を受けているはずです。
核戦争は、浄化の手段ですね。だから、私は『ノアの箱舟』も信じられます。選りすぐったレべルの高い遺伝子だけを伝えるんです。
だけど、人が『自分の分け前をさいて人に与えよう』というように考えない限り、『浄化』はなくならないんですね。そういう気持ちになかなかなれないのが人間でしょう。
もし、それが真実でないとしたら、地獄・餓鬼・畜生・人間・阿修羅・天という六道はなくなってしまうでしょう。
私の目指すのは『最終的な国』なんです。それは、仏教的・民主主義的な国で、完璧な超能力者たちの国なんです」
そのためには、修行と解脱しかないのである。修行の意味を麻原氏に語っでもらった。
「修行とは、ジュースの1滴を、テ―ブルクロスの上に落とさず、水の中に落とす、ということなんです。1滴のジュースとは、人間のことです。1滴のジュースは、テーブルクロスの上に落とせば、ただのシミです。でも、水の中に落とせば広がるでしょう。
水の中にただ1滴のジュースを入れたって、水は色を変えないでしょう。でも、水の中には確実に1滴のジュースが入ったんです。
魂の根元的な状態ですね。拡散した1滴は、水の中のことすべてを知り、経験できるんです。これが空であり、寂静です。高次元に昇華した状態ともいえます」
大きな水がめの中の世界を体験している麻原氏の身辺は、アラビケツノミコトを任じられて以来、急転しだした。
修行で岩手県におもむいたときのことである。彼は、天からオリハルコン、またはヒヒイロガネと呼ばれる神秘の石を与えられた。
ヒヒイロガネとは、超古代文献『竹内文献』などにも登場する石である。神社の玉砂利のように滑らかだが、それよりずっとツヤがあって黒い。ズッシリと重たく、力ネの名の通り、金属的な感じの石なのだ。
水を張ったバケツに石を入れ、念を入れる。その石で円陣を作り円陣の中で瞑想する。
ヒヒイロガネは、手に入れた人誰にでもパワーを発揮するものではないという。念を入れられる者の手にわたってはじめて、パワーを与えられ、驚異の力を噴き出すらしい。
念を入れたヒヒイロガネは、多くの人々を同時にトランス状態にすることもできるという。この石については、いずれまた機会があったら報告したいと思う。
麻原氏に行法の一部を実際に行なっていただいた。
麻原氏は、座して、様々な印を結ぶ。印は2、3秒で変化する。
「これはチャクラ開発のための印です」
次に、立ち上がり、上半身を少し前方に傾けた。腸というか、腹の中がゴロゴロと動き出した。これは浄化法・ナウリのひとつ。腹にあるマニプーラ・チャクラの覚醒に役立つ行だ。
次は仰向けに寝てから足を天に持ち上げるショルダースタンドの形。空中浮揚に欠かせないビシュダ・チャクラの覚醒が目的だ。
それからライオンのポーズ。これは、クンダリニーの覚醒に必要なポーズである。
麻原氏の修行には、かなり危険なものも多い。たとえば浄化法のひとつで、幅7センチ、長さ3メートル半の布を呑み込むというものなどだ。この時は、呼吸ができなくなるほどだという。
彼は、修行中、シャヴァアサナに入ったとき、チャクラの光を度度見るという。
ちょうどフラッシュがパッパッと飛ぶような感じで、下のチャクラから順に光を放ち、同時にやはりフラッシュのような音がするという。音と画像がシンクロするのだ。
経験によると、音と光は様々な神秘体験には、共通して現われるらしい。たとえば未来や過去へタイムトリップするときは、マーチのリズムのような音、霊体が離脱するときはブーンという振動のような音。
これは、各種の教典とも矛盾しないという。そこで、そのような音を作って流せば、修行者は案外簡単にタイムトリップや霊体離脱を経験できるのではないかと麻原氏は考えている。
それでは、私たちがすぐにでもできる修行法について尋ねてみた。
「それは、まず何よりも五戒ですね。1が殺生をしないこと。蚊が自分の血を吸っていたら吸わしておくことです。
2が盗みを働かないこと。
3が誠実にして、ウソをつかないこと。
4が邪淫をつつしむこと。
5が禁酒すること。
以上の五戒に徹することですね。悪の行為をやめ、将来にするだろう善行をどんどんすることです」
集中的に瞑想などをしようと思うなら、空気のきれいなところの方が効果的だ。プラーナ(気)の満ちあふれた海や山を選ぶとよい。ただし、風のないところで行なう。地・水・火・風・空のエネルギーは、想像以上に誘惑的なのだ。
次に、食物は、玄米菜食の方がよい。1日に1回、または2回。または少しずつ、数回に分けて食べる。ヨーガの激しい修行をする行者の場合、日に1800~2000カロリーが理想といわれている。一般の人なら1200~1500カロリーで足りるだろう。ただ、カロリーと栄養とは異なるから、栄養はしっかり摂らなくてはならない。
「(日に)3食は獣の食事、2食は人間の食事、1食は聖者の食事という釈迦の言葉があるんですね。
でも、日に1食では、一般的には栄養が足りなくなってしまう心配がありますから。日に1度という場合は、夕方に摂るのが理想ですね」
玄米菜食だけで、スワジスターナ・チャクラ(腰・仙骨)までは開発できる。しかし、それより上のチャクラは、修行でしか開発できない。
「スワジスターナ・チャクラは植物を司るんです。ここが開発されれば、低い次元の超能力は身につきますね」
麻原氏は、腹のマニプーラ・チャクラが開くまでは、外食は一切しなかった。もっとも、化学物質などの変なものを食べることを体が受け付けなかった。
でも、今は多少腐ったものを食べようが何を食べようが平気である。火のエレメントがすべてを燃やしてしまうのである。
チャクラが開くということは、規制がなくなるということも意味しているのだ。
尾骨のムラダーラ・チャクラが開くと規制され、腰のスワジスターナ・チャクラが開けば性欲の規制がなくなる。腹のマニプーラ・チャクラが開けば食欲の、胸のアナハタ・チャクラが開けば行為の規制がそれぞれなくなる。
規制がなくなるとは、「何をしてもいい」ではなく、規制をせずとも自動的にコントロールされるということである。
「食べ物に気をつけるのもいいが、もっと大切なのは精神です。食物の害より精神の害の方がずっと悪いです。肉を食べたからってすぐ内臓が悪くなることはない。でも気持ちに及ぶ害は、すぐに体を悪くします」
つまり、肉体への栄養よりも精神への栄養の方が大切なのだ。適当な食事よりは、瞑想1時間の方がずっと栄養になるらしい。
「物質で人間は救えないということをもっとよく考えるべきなんですね」
正しい食事をし、正しい修行から得られるもの、それが超能力である。最近は、魂の浄化・向上こそ第1義で、超能力は邪道という考えも広まりつつあるので、麻原氏における超能力の実義をしてもらった。
「魂の進化・向上という考え方がありますが、それは、人間の魂が阿修羅・神々に至ることなんですよ。つまり、超能力の獲得と魂の進化・向上ということとは、矛盾しないばかりか、正しい相関関係にあるんですよ」
それゆえ麻原氏は自分を神に変える修行をし、「完璧な超能力者の集団」と彼のいうところのシャンバラ王国を設立するべく、神軍を率いて戦うのだ。
麻原氏のまず当面の目標は、自由自在に空を飛べる空中浮揚。それと、大脱身を成功させたいという。
「これは、アジナ・チャクラから自分の魂を抜き出させ、目的としている相手の身体に人る超能力のことです。これが可能になると、三界(欲界・色界・無色界)を自由に行き来できるんですよ。ここまでくると、もう人間といっていいかどうかわかりませんけどね。また、核戦争の脅威から身を守るには、極熱にどれぐらい耐えられるか、放射能をいかに防ぐか、ということになると思うんですよ。今の修行方法でそれに耐えられる身体はできると思っています」
麻原氏は、空中浮揚の初歩までの修行か達成した。しかしながらこれは、全修行の段階の4分の1にすぎない。生きているうちに、全部達成できればいいという。
「私は、ハ夕ヨガでいうところの解脱はすでにしています。真我も見ています。これから求めるのは仏教でいう真解脱です。それがいくつもの決め方がある解脱のうちでも最高のものとされています。
修行を達成した人間は、次の生を好きなように形づくれるという。麻原氏の中には、地球、自分、宇宙、神々……超大な計画がもくろまれているのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20180702130449
言っちゃ悪いが、生まれついて社会に出るまでコミュ力が磨かれたDQNやいじめっ子は
一線を越えるところまでは絶対に行かないのだ
コミュ力がないくせに願望だけは一丁前で現実でうだつが上がらず折り合いつけられなくなって承認欲求が暴走した陰キャやアスペが職場で大問題を起こしたり
リア充DQNがゾンビPC技術使って冤罪をでっち上げて警察相手に挑戦状を送るサイバーテロなんかしたか?
エリートDQNが道端歩いてる女児を車に連れ込んで、文章にするのもおぞましいほどの暴行した挙句に殺害して捕まったなんて凶悪犯罪をしたやつが一人でもいたか?
現状で満足して生まれも育ちも真っ当なリア充上級国民のDQNが
トラックで秋葉原のホコ天に突っ込んだ挙句に通行人無差別にナイフで刺し殺したなんて事件があったか?
悪で強いというのと、性根が腐って陰湿で狂気を爆発させるってのは相関関係にはないんだよ
こういう陰キャに限って今までいい子で生きてきたのにと愚痴るが
悪いことしないのは人間として当たり前の大前提で、そんなものは長所でも自慢にもなんねーんだよ
逆に言えばそれって悪いことしたいけどする度胸もないというだけで、悪の限りを尽くしたい願望はあるって自白しているようなものだろ
自分がアスペでコミュ障で空気読めなくて嫌われて、疎まれて当然、おまけに性根は邪悪ですなんてクズが一丁前に人間扱いしろなんて健常者である人間様に、人間以下の出来損ないが押し付けんじゃねえよ、わかったか、ゴミ
発達障害者が適切にケアされず家族にも見捨てられた場合、ああいうかたちで世間と家族に復讐するとわかりやすく示してくれたから。
個人レベルでは、例えば発達障害の引き篭もりなんか対する親族からの風当たりは相当に弱まるだろう。
下手に追い出すと人を殺しかねないのだから、腫れ物に触るようにして養い続けるしかない。
ゆすりたかりで食ってるヤクザの対家族限定版になれたようなものだ。
社会レベルでも、発達障害当事者や家族が適切な支援にアクセスできるようにすべきという機運は高まるだろう。
発達障害の無職なんぞ見下すどころか路傍の石ころ程度にしか思ってなかったであろうエリートがただ新幹線に乗っていただけで無意味に無残に殺されたのだから。
世間のそれなりの立場にある人間に危機感を抱かせるには十分だ。
このどこにいるかわからない爆弾どもが爆発する可能性を減らせるという名目の予算は過去に無いほど通しやすくなっているはず。
当事者団体や専門家は事件と発達障害の関係を否定しているし、統計的に相関関係が無いのは事実なんだろう。
でも世間は統計よりも犯人が理不尽な殺人にはしったのは発達障害をこじらせたからという物語であの事件を理解している。
発達障害当事者・家族・専門家はこの世間の誤解を支援の充実に徹底的に利用すべきだ。
こんなチャンスは二度と来ないかもしれない。