はてなキーワード: 相関関係とは
何か書ける時/書けない時って、あくまでわたし個人的にパラメータが壊れてる時だと思った。
次に気分は置いて技能的に、書ける⇔書けない
そして締め切りという客観性や自分のモチベで、書く必要がある⇔書く必要はない
この三つのパラメータにどういう相関関係があるのか文系のわたしにはイマイチ説明ができないが、相互に関係してると思う。
小説、漫画、イラスト…なんでもいいけど、何かしら書いてる人なら「気分的にめっちゃ書きたいけどなんか筆が乗らない日」とか「特に書きたいものはないけどなんとなく筆が乗る日」とか感覚的にあるんじゃないかなって思う。
そしてこのパラメータの噛み合いが悪い時に創作鬱を起こす。ここ数日わたしはそうだった。
あと先述の三つとは別にアイディア面でも「いいアイディアがぽんぽん浮かぶけどうまく形にできない日⇔全然何も浮かばないけどコツコツ単調な作業を進めるとすごく集中できる日」ってあると思う。わたしはある。
広瀬すずちゃんの朝ドラの牛のポスターがもう十勝版アルプスの少女ハイジを彷彿させる、
逆に言えばアルプスの少女ハイジ十勝編2019春と言っても過言ではない、
まさに十勝つくして!と一大観光産業になること間違いないしね!
それに、
むかーしの朝ドラのおしんのおしん役の人もおしん役で出るって言うから、
そうなると、
十勝ツアーや十勝スライスチーズや十勝切れてるカマンベールチーズなど
もう十勝づくしな
で最後は暖炉か何かの薪が燃えてる炎にかけられて鍋のチーズをぐるぐるかき混ぜるシーンは
クラーク先生もビックリするぐらい美味しいチーズフォンデュを作る、
札幌までチーズフォンデュ差し入れに行って良かったね!って言う
日本チーズフォンデュ初めて物語ってオチなんじゃないかな?と私は踏んでるんだけど。
きっと物語としては
味は美味しのだけれど経営は美味く行かなくて、
そしてどこかで恋に落ちてみたいな。
で、また踏ん張って地元に戻って、原点からやりなおそうってことで一からチーズ作りに励んで、
それが大当たりでってそれって前回のラーメン物語のまんぷくラーメンじゃない!って。
でも話の本筋としては、
るーるるるるる、って言うの。
私の十勝ってイメージは結局チーズだけしかないのかよ!ってなるけど、
広大な十勝カマンベールの切れてるタイプでさらにお酒のおつまみになるブラックペッパーが挟み込んである、
あれは美味しくて憎いわよね!
ほんと美味しいのよ!おつまみとしてもいいし、
だから一石256鳥みたいな感じで、
まだ観てないんだけど。
でも帰ったら早速録画したのを観るわ。
あんまり十勝情報を予習しすぎるとドラマ本編が面白くなくなっちゃうから、
登場人物が誰とか、
そういう相関関係図とかもあえて見たくないのよね。
ドラマ見ていく中で
それは自分の中で構築すればいいの!
それが朝ドラのいいところじゃない!
でもさ、
切ったのをまた包装するのって大変な仕事よねーって。
あ!もしかして切れてるチーズを綺麗に包む機械誕生物語かも知れないわ!
そうよきっとそう!
オープニングは広大な十勝をバックに、
どんな高さから吊してんだよ!って思うぐらい、
オープニングに間違いないわね。
うふふ。
昨日結構食べ込んじゃったので、
帳尻合わせになしよ。
しばらくは質素に生きたいわね。
行きつけのカレー屋さんやっぱりシェフが変わったから味が変わったと思うわ。
なんかちょっと残念ね。
苺と桃が効いてるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いつからか、はてブでアイコン未設定な人のブコメでのクソリプ的なコメント、記事に対する暴言などが目立つようになってきた気がする。
アイコン設定している人でもそのようなブコメを書く人は当然いるので体感でしかないけれど。
クソリプ書くような人の他のブコメを見ると、だいたい別の記事でもクソリプやら暴言やらやっかみやらをしているので非表示にがんがんしていっている。
イメージ的にはYahoo!ニュースでコメントの酷さと近しくなっている。
Yahoo!ニュースのコメントの酷さは、対応されていた記憶があるので、アイコン未設定な人のブコメの酷さと相関関係あるのだろうか?
個人の選択を可能にするのは社会の情勢です。社会は政治家だけが作るものではありませんが、社会の仕組みは政治家が決めるものである以上、
>生殖は意味のない行動でもないし、そもそもリスクとかリターンとか言ってるのがおかしい。
むしろ、先ほどからさんざん「個人の繁殖成功が最大の動機である」と書いています。
繁殖は生き物にとって最大のテーマです。生き延び、子を為すこと。
ですが、意味があるからこそ無駄になるような行動はリスクとして避けようとする性質を生き物は持っています。
ほんの一例を挙げると、自分の子が危険に近づいた時に遠ざけるなどです。
繁殖が人生最大の意義であれば、繁殖の成果である子を失うリスクは避けるのは理解できますよね。
コストというのは他の分野でもよく使われる概念ですので、理解されないというのには驚きます。
生物学での出産・育児に関するコストの概念も、もともとは経済学からの借用です。
何がどう理解できないのかも把握できないので、もう少し説明してもらっても良いですか?
もしよろしければ、Wikipediaの「社会生物学」から「親による子への投資、親子間の利害対立、兄弟間の利害対立」だけでもさらっと目を通してもらえると理解が早いでしょう。
生き物はオスとメスで繁殖でのコストがそもそも差がありますが、
動物の性差(行動まで含め)はすべてのこの差のために生まれています。
>いいえ、資金が十分ならそれで勤めとして十分です。むしろ最大の貢献です。
給与を妻子に還元するだけでは不十分です。また日本の現況として、日本男性の給与も十分ではありませんよね。
親の資源は先にも書いたように、子への教育も非常に大きな要素です。
親二人が子の世話に携わった場合と、いわゆる疑似母子家庭では出生率に有意な差があり、前者のほうが高いことがわかっているのです。
単純な算数です。
出生率が低いのが悪いと仰っていましたよね?出生率を上がる方法がわかっているのになお「家庭進出」を拒むのは男性の単なるワガママです。
それに先にも書いたとおり、裕福な家の子がそのまま裕福に育ちやすいのも「両親が」十分に子の世話をする家庭のほうが子がそのまま裕福になる率が高いのです。
いいえ、移民とは統計が別です。統計学検定でも取られてはどうですか?私の取得した実感では、2級程度でもこのぐらいの統計は読めるようになります。
>また、「高い」と言っても2を切ってることに変わりない。
引き下げ圧力ではなく?
それに「日本でだけ」下がっているのはどういう理由でしょうか?諸外国は順調に上がっているのに?
一つ教えてさしあげます。相関関係があることと、因果関係があることは別です。
つまり共働き率の上昇と賃金の停滞はたまたま同じ時期に起こっただけ…めんどくさいので書きます、逆ですよね。なぜ逆に紐づけるのでしょうか。
バブル崩壊後、男性の平均賃金が低下したため、女性が働きに出るようになったというだけです。
日本の男性は無理やり、同意しない共働きの結婚を選択させられているのですか。そんなわけはありません。
なんども繰り返しますが、女性だけに責任転嫁する詭弁を弄しても出生率は上がりません。
社会全体で生産効率を上げ(少子化が進もうと進むまいとこれは上げるべき数字です)、
異常な長時間労働を解消し、
単純な足し算引き算です。
「動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ること」
しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。
「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの」
要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級にランク付けされていることになる。
仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、
以下のようになる。
****************************************
【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物)
・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊」「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種
【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物。野良は対象外)
・哺乳類
・鳥類
・爬虫類
・魚類
・両生類
・すべての無脊椎動物
****************************************
この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。
法律上では金魚やカエル、カブトムシといったペットは愛護しなくてもよいことになっている。
一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。
しかし、現実には「金魚やカエル、カブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。
そして、金魚・カエル・カブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、
もっと言うなら、ゴキブリをペットとして愛している人もいるだろう。
だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、
平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリの場合は、器物損壊にはなるだろうが)
にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、
別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。
それなのに、個人の自由であるべき嗜好を、法律で罰則まで付けて強制している。
【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、
「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人の属性によって、
曰く「犬猫を虐待する人間は殺人犯になりやすい」だの「昆虫を愛する人間は異常者」だの、
これは「黒人は犯罪率が高いから黒人は犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。
ニューヨークなどの都市で黒人の犯罪率が高いのは統計的事実だが、
だから「肌の黒い人間を規制せよ!」などというのはバカバカしい。
黒人の犯罪率が高いのは、「黒人に貧困層が多いから」「黒人に教育を受けてない層が多いから」かもしれない。
肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。
「犬猫の動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。
と、ミュージカルを見る度思うことを、グレイテスト・ショーマンを見てまた思った。
*
・容姿
・歌
・ダンス
・演技
*
容姿以外は平凡な才能しか持っていない人も中にはいただろう。それでもきっと、相応の努力をしてスキルを磨いたんだ。
*
それとも、全ての才能に恵まれた、役者の中でもほんの一握りの芸達者だけがミュージカルに出演しているというのか?
そんなふうにも思えない。
*
もしかしたら、容姿が良ければ歌や踊りもうまくなるという相関関係があるのかもしれない。
つまり、例えば、
・容姿が好き→人に見られることが好き→他の芸を練習したくなる
・既に成功している→ミュージカル出演機会に恵まれる→練習する機会が与えられる
ってことなのかもしれない。
いずれにせよ、(適切に)練習すれば、誰だって、人前に出て恥ずかしくないくらいにはスキルを鍛えることができるってことだと思うんだよね。
いつもそれを励みに、失敗しても何くそ、と思って生きている。
たとえば「風邪」を例にして考えよう。
このことはまず忘れて
風邪のメカニズムについて一切知らない時代の人間になったつもりになってくれ。
次のような統計データがわかる。
つまり「風邪を引いている」という要素と「体温が高い」という要素に相関があるわけだ。
だからといって、「じゃあ、身体を冷やせば風邪を引きにくくなるんだ!」という結論を出してはいけない。
風邪の発熱はあくまで「ウィルス」という未知の原因によって引き起こされる抗体反応で会って、
もしもこの相関関係を因果関係と早とちりして、全国で風邪予防のために患者に冷水をぶちまけたら、
「アイスクリームが売れる月には熱中症が多くなる」という相関がわかっているなら、
いや「相関」じゃん……
「相関関係」なんてどれだけ調べても意味ないんだよ、「因果関係」が見つかるまでは
たとえば「アイスクリームが売れる月には熱中症が多くなる」という統計上の相関関係がある。
だが、だからといって「アイスクリームが熱中症の原因だ!」とは言えない。
普通に考えて、アイスクリームが売れる=暑い月だから熱中症も同時に増えているというに過ぎない。
これはほんの一例で、これ以外にいろんなどうでもいい相関がこの世にはある。
統計に詳しくない人が見たら「相関関係がある」って聞いたら「やっぱり密接に関係してるんだ!」って思っちゃうけど、
相関ってのはその程度のことなんだよ。