はてなキーワード: ラベリングとは
https://www.nicovideo.jp/watch/sm37128926
「差別撤廃の歴史を知らないから」差別しちゃうんだ、とかいうやつ
差別にランクを付けて、質が違う、苦しみが違う、みたいに言ってしまうやつ
みたいな
リベサヨにありがちなのが、この構造的差別に苦しめられたのだから、黒人の暴動は理解できるというやつ
そのくせ、日本にいると、「暴動は支持しないが理解できる」とか日和っちゃうやつ
「えせ同和」などと切断された活動もあるが、アイヌ関係も胡散臭い活動家が居る
昨今はLGBTもここに入ってきた
3は差別とされないことが多い
差別ではないんだから罵倒していいし、偏見で犯罪者予備軍にしても良い
そんなことを、憚りなく発言する「反差別」の人間もたくさん見た
「社会的」なのもそう
一部のバカが「区別」と呼ぶソレに正当性を付けて社会化したのが「社会的差別」だ
社会的な常識となったから、法律などで固定化したのが「構造的差別」だ
個々の事象は、罵倒であったり、排除であったり、偏見であったり、そういうもの
それらを「差別」と呼んでるだけだ
バカはさ、酷い差別じゃないと救済対象じゃないって真顔で言うんだよ
違うよ
「相手が血反吐を吐くほど苦しむようならやめてやろう、どうだおれは進歩的だろう?」みたいなバカだから差別するんだよ
今回のBLMは、黒人利権を強くして、白人の区別は悪い差別、黒人の差別は良い区別、みたいになるだけだぞ
本当にアホくさい
マジで!?ヒラリーって意見を求められると途端に口ごもる、おとなしい図書委員タイプの子だったん?歴代大統領とかもみんな?
意味分からなかったからもう一回読んでみたけど、なんか書き手の「言い切る」って言葉の定義が前段と後段でくるくるしてて何回読んでも意味不明なんだよ
曰く、
コンサルが意見表明するのもトランプが「メキシコの国境に壁を作ってやる」のも「言い切る」らしいんだよ
でも商人が「金さえあれば、誰でも取引しますよ」って言ったらそれは「言い切る」じゃないらしい
どういうこと?
でもね、ここで気付いたわけ
確かにこの前段部分を丸々なくせば最近の分断化する世界について書いた文章とも読めないことはない
言い切るっていうのは分断のこと
全く関係ないものや既存の概念に新しく〇〇力とか名前を付けてラベリングする商売なんだってね
そうかそうかなるほどね
だからホリエモンと公民権運動とかいう字面だけで笑える組み合わせも無理やり「言い切る」って言葉でまとめてるんだな
って納得してブコメを開いたわけ
そしたら絶賛の嵐
頭がおかしくなるかと思ったね
コンサ"る"(既存の単語に新しい意味を付け加えてバズワード化しどうとでも受け取れる中身のない言葉をクリエイトすること)みたいな記事書きたくなったよ
万が一身バレした時のために断っておくが、この話に出てくる全員のことが私は好きだ。
日本文化の一部分に対する不満を書いてみる。
簡潔に書くと、30代未婚の私が、弟の結婚式に色留袖を着たいと言ったら身内の反対にあって諦めたという話だ。
私は、「新婦の年齢が高くて場を華やかにしたいなら喜んで振袖を着るけれど、新郎新婦は十分若いし、私はシンプルな色留袖を着たい」
と話したが、理解されず。
やんわりと反対され続けた上に、遠戚からの「振袖は未婚女性の正装です」というLINEを見せられたり、70代のおばが色留袖を着ると聞いたりして(おばの横に並ぶのが憚られて)、断念した。
ここからは妄想だが、「振袖を着ないなんて祝う気持ちが欠けている」「なんだかんだ振袖を着れて良かったでしょ(後日)」という空気があるように感じてしまったのも辛かった。
私にとって振袖を着ることは、「披露宴でブーケトスをするので独身の女性は必ず前に出てください」と言われるのと同様のことだった。
むしろ、ブーケトスは一瞬だけれども、振袖は挙式からずっと着ているわけで、苦痛は大きかった。
「独女限定のブーケトスに参加したくない」と言うことと、結婚を祝いたくないということは同義だろうか。違うだろう。私は、単純にハラスメントに遭ったと思っている。
けれども当時は、「これはブーケトスと同じだ!ハラスメントだ!」と主張することは敢えてしなかった。なぜなら、心情を理解してもらえるというよりは、「あぁ‥だから独り身なんだ」と憐まれるだけで、余計に傷つくと思ったからだ。
しかし結局、私の心はずっと傷ついている。だから、ここでひっそり供養しようと思う。
決して誰かを責めているわけではない。言うなれば、日本文化にハラスメントされた気持ちでいる。
私が望むのは、着物で女性の未婚/既婚をラベリングする文化が無くなる未来だ。
私が今までに参加したブーケトスは、もれなく全員参加で男女も未婚既婚も関係なかった。もし「正式なブーケトスの参加は独身女性のみ!」と硬直化していたら、ブーケトスはとっくに廃れていただろう。
振袖も色留袖も、着たい人が着れるようになれば良い。もしそうなったら80歳の誕生日に振袖で街中を徘徊したいwww
でも今のところは、しばらく着物を着たくない。
元々オタクだったんだけど
今でもまぁまぁオタクなんだけど
徐々に薄れていって、特にそういった知り合いが減って来た時
例えば今はIT関係のことを学生の頃から10年以上やってるんだけど
なんというか、自分がIT関係者だと思いこんでるだけのただのモブなのではないかと思えてくる
うーん、説明が難しい
見知らぬ界隈のパーティーや集会やイベントに参加した時の、果たして自分は何なんだろう感、あれに近い
年は食ってるので、恐らくそこらの若いにわかよりは古参なんだろうけど
ある1ジャンルに詳しい人の中に入り、かつそれに興味を持っていることで、ようやく自分が何者かラベリングできると思うんだ
中に入るだけでもダメだし、詳しいだけでもダメで、詳しい同士で集まらないとこの謎の空虚感は減らないのではないか?
でもこんなこと考えてるの自分だけかもしれないし
最近、自分とは真逆で色んな人に会って話を聞くのが好きみたいな社交性の塊みたいな人に
もっと色んな人に会って話したほうが良いって言われたんだけど
自分の考えたことなのか、誰かの受け売りなのかわからなくなりそうだし
誰かの意見を聞いてもそれが自分に適用できるかどうかはわからないし
とにかく「属したい欲」が最近強いのかもしれない
なぜ自分がこんなにイライラするのか知りたいので整理しようと思って書いてみる。
思いつくところではこんなところ。
朝の寝室が臭い。
気がつくとソシャゲしてる。(スマホの電池がすぐなくなるみたいで常にバッテリー持ってる)
タバコやめてって言ったのにこっそり吸ってる。
主に家事において私が指示したことをそのままやらないで自分のいいようにアレンジする。(たまにそれで失敗する)
頼んだ買い物を忘れる。
鍵を忘れて外出する。
家にあるのに持って行かないで出先で子供のお茶やティッシュを買う。(準備してあったのに)
同意を求めて話をしても自分の意見を返してくる。(これについては以前にそうじゃないと言った)
少々上から目線。
冷蔵庫の中にしまう場所をラベリングしても見てないで違うところに入れる。
いらんもの買ってくる。
逐一言った事もあるが、やはり気分が悪くなるらしく子供に愚痴を言っていたのでもうやめた。
言いがかりなところもあるし、これらを全て直せはしないだろう、と理性では思っていてもやはり私はイライラする。
ホルモンバランス?アラフォーで更年期?それとも何か病気だろうか?
夫婦向けの本をアレコレ読んでは見たけど「男が我慢しろ」しか見つからなかった。
旦那に「お前のやる事なす事全てイライラするんだけどどうしたらよい?』と聞いてもいいだろうか?
言われたらどう思う?
永江一石がリツイートしたネタだが、今回のコロナウイルス、仮に3年前に流行してたら、「新型です」と判明出来なかったらしい。
遺伝子解析技術がこの3年間で進歩したお陰で、「新型コロナウイルスです」と同定出来るようになったとか。
「今年の風邪は、こじれる風邪が多いなあ」「今年は、少し肺炎の老人死者が多いなあ」と医療関係者や厚生労働省が愚痴って、以上終わりになってた可能性が高かったらしい。
つまり、下手に「新型コロナです!」とラベリング出来るようになり、「普通の風邪と区別されるようになってしまった」から、自粛・休校・無観客・選抜中止・五輪中止の大騒動になってしまったらしい。
ある大学生と一部の人の「中流階級」という言葉の定義の違いからその大学生のTwitterが小さく炎上している。
その学生は東大学部入学式の祝辞と今年の入試の現代文の文章を引用し、自分が恵まれていたことを振り返っている。
その際、自分の生まれが東京の中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級の定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。
その後学生は自分の定義として社会学者の定義を引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのみリプライをした。
また、リプライの表示設定をよりプライベートなものにするという提案のリプライに賛同している。
以下ではこの件について意見を述べる。当該学生を攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。
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祝辞と現代文で扱われた文章のメッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。
祝辞、努力したら報われるという思考は恵まれた環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな
入試の文章、現代では教育を媒介として格差が再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える
当該学生は自分が恵まれていることに自覚的であることは重要であると解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、
多くの批判は学生が自信を表現した「中流階級」という言葉の定義の差から生まれているようであった。
言葉の定義の差なので当該学生のツイートになんら誤りはないが、学生が世間知らずとして批判されている。
祝辞や入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリの自分の努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、
世間知らず(自分の社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。
学生の「中流階級」の定義の引用元については、おそらく20年以上前の社会階層を元に定義されていて、
現在の社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。
ここ20〜30年程度の中流階級の喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。
学生が後からツイートで定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般の定義を用いるべきであろう。
もし私が祝辞や入試問題の背景、さらに当該学生の意思を正しく捉えられているなら、
当該学生はまさしく祝辞や入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。
また、中流階級の喪失がインテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切な定義の使用も皮肉なものであるように自分には感じられる。
「現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威で自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分は学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。
批判のツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金で提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)
理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。
加えて、不愉快な批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施を宣言している。議論を放棄しているようだ。
こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的な政治家の台頭を助長しているのではないか。
自分はこの20年ほどで先進国、特に日本やアメリカでは富裕層と貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。
そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。
また学生の炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬は放置しろなどといった態度も見られる。
自分の判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。
このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト(東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学に勉強をしに来ている学生の気持ちを考えて欲しい。テニスサークルの男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補の学生があまりのハイスペックに炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。
また、学生はこういったツイートをすることで自分が努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。
私が例の入試の現代文の文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力は他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。
ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境も努力に正に働きかけ、しかしその中での努力は精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。
もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院に合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。
なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、
私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判が殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。
一応自分もこういった人たちと同じような大学を卒業しているが、こういった発言をインターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。
なお、私は中流と下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。
経済的な理由で、家族の泊まりの旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行は20年で1度だけあった)。
進学実績のある高校に入学した時も、裕福な家庭出身の学生の多さに驚いたが、東京大学に入学した時の驚きはそれ以上であった。
裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。
彼らと同じように青春を謳歌しようとしたが(当時の自分はサークル活動や恋愛へのコミットに強迫観念を抱いていた)、家事やアルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さからご理解いただけるだろう)。
理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。
牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬や自分の惨めさを日々感じていた。
都内の一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除の収入基準をクリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。
就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。
貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身の学生が、家事やアルバイトをこなし、貸与・給付の奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。
炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育を媒介として格差が再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。
GDPが世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育を媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。
私が知らないだけで、学生にアンケートをとって学生の家庭の親の年収や資産を調査したものなどが公表されているのだろう(道義的に公表しないはずがない)(追記:公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。
多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。
(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布が性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))
一部のコメントへの返信
美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます。
でも格差が再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります
そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞や現代文では展開されていると捉えています。
ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma
元記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います。
しかし入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに不平等になっています。
東大生の親の資産を調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査で調査されているのでリンクを貼ります。議論の参考になればと思います。
ご教示いただきありがとうございます。こちらの資料(学生生活実態調査(2018年))
の39〜42ページに出身地や世帯収入、家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。
このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。
東京大学は入学した学生の貧富の調査・公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています。
世帯収入と出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生、首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。
特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援の施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。
当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。
努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特に恵まれた人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間の不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。
世界各地で医療・嗜好大麻が合法、又は非犯罪化される中で、日本では公に議論が進まないのは、むしろ各州で合法化の進むアメリカのせいなんじゃないかという気がしてきた
まだ解禁するな、という連邦からの圧力がある、或いは敢えて日本を放置しているんじゃないか、という妄想です
勿論、他に議論するべき問題がいまの日本に沢山あるのは判るが、莫大な経済効果を産む可能性のある大麻産業を、このタイミングで議論すらしないことは明らかに遅れをとっている。
しかしアメリカ側からすればこの状況はかえって好都合だ。グリーンラッシュと呼ばれるこのビジネスチャンスに、介入は愚か、「マリファナは悪だ」と、
かつてアメリカ人の一部がメキシコ移民やニグロ排斥のために捏造のラベリングをした情報を、未だに多くの日本人が信じ切ってるんだから、この市場に日本企業が参入しないことは、少なくとも現状では、アメリカは優位である。彼らにとっては、日本人にこのタイミングでしゃしゃり出られるのは甚だ迷惑、という考えがあるのかもしれない。
ウヨvsサヨの罵り合いとかさ。
こういう二項対立な分かりやすすぎるラベリングが蔓延して、その結果カオスになるのって、皮肉だよね。
男vs女とか、日本vs海外とか、年寄りvs若者とかも全部そう。
なんでそんなラベル貼って罵りあってんのよ?って思うっしょ皆。
もっと他の要素(軸)も絡まっていて。
レーダーチャートというかさ、ベクトルのように表現される筈でしょ。
いつしか多くの人が(誰もが?)、二項しかないように思い込んで。
数字ってさ、6-7桁までしか一度に記憶できない、って言うじゃん?
多くの人にとって「よく考えれば」グラデーションになってる。複数軸ある。
でも、共通認識として社会が保持できる容量は、二項ラベル分しかないんだろうね。
で、そういう社会の言説からフィードバックを受けて、自分を構成しちゃうんだよね。
「ウヨとサヨ、2つあるらしい。俺はウヨだ(あいつはサヨだ)。」みたいな。
「少女との性行為を許容されるという誤った考え方」「それらがなくても生きていける」と断罪された英国の39歳男性がPC上で持っていたのは「制服少女の性行為マンガ」。「表現の自由」を盾にしない英国司法の賢明で潔い判断に大きな拍手を送りたい。
@wired_jp https://t.co/csPV9dPfeV— 浅野ふみ子(史子) (@asafum814) 2020年1月21日
裁判官は「誤った考えを許容」する危険性を指摘。被告の弁護士は、この訴訟によって漫画ファンが意図せずに犯罪者になる恐れがあると主張。「この訴訟は、あらゆる漫画ファンやアニメファンたちに注意を促す警告となるだろう」と。日本でもいよいよ社会的論議が求められているのではないだろうか。— 浅野ふみ子(史子) (@asafum814) 2020年1月21日
ツイッターで以上の発言が話題になった浅野ふみ子、しかし、13年前は規制反対論者だったことをご存知だろうか。
表現規制に反対する非政府組織「NGO-AMI」が、2007年7月の参院選を前にして立候補者を対象に意識調査のアンケートを実施したことがある。その中には浅野ふみ子も含まれていた。以下に今回の話題に関連する回答を抜粋する。
■問3;
漫画・アニメ・ゲームなどフィクションによるメディアと犯罪行為の因果関係において、「メディアが主要因として犯罪を誘発させる」とする学説は科学的に実証された研究はありません。こうした事実はご存じでしょうか。
A;知っている
■問4;
漫画・アニメ・ゲームをはじめ、表現媒体は、様々な要素が詰まって一つの物語を構成しています。にも関わらず、性的な描写ひとコマを取り、文脈を無視して一律に『有害』として、『猥褻』・『有害図書』として取り締まることは必要だと思われますか?
〔理由:文脈無視の一律規制は表現の自由を侵す恐れがあります 〕
■問5;
外務省や文化庁など様々な省庁でも、漫画・アニメ・ゲームの海外への進出をはかる政策を実施しています。そうした「MANGA」「ジャパニメーション」の製作者には、かつて成人向け漫画やアニメ・ゲームを出発点として成功した方も大勢います。
私共はこのような多様な表現や幅広い創作活動がこの現在の業界を支えていると実感しますが、それでもなお現在レーティング、ラベリング、ゾーニングなどがなされている『成人向け作品』を『猥褻』・『有害図書』として取り締まる必要性があると思いますか。
■問6;
「有害情報から子どもを守るための検討会」(内閣府)において法規制が必要との声が挙がっております。
しかし漫画・アニメ・ゲーム業界関係者からは、「既に自主規制を行っており、これまでに問題が発生した例はない」という声もあります。
これら『有害情報』に対して「新たな法規制は必要」と思われますか?
■問8;
「猥褻」・「有害図書」などの問題についての個人的な意見があればおよそ400文字以内でお聞かせ下さい。
日本社会の「文化」にかかわる問題ですから、国家権力が「表現の自由」を奪い、取締りを強化することでか、解決する問題ではなく、社会が自主的に解決してゆくべき課題です。その国民的な議論の中で、子どもをどう守るか、人間性の尊重をどうつらぬくか、などがしっかりと位置づけられてゆくことが大事だと考えます。
https://web.archive.org/web/20101128015254/http://picnic.to/~ami/chibaken.html
今こういう仕事をやっていて、こういうことを将来やりたいと考えていて、こういう休日の過ごし方をしていて、資格の勉強もやっていて〜。
初対面で挨拶もそこそこにこういう話をずーっとしてくる。
挙動不審だとかわけわかんない返しをするとか愛想がないとかそういうんじゃない。
爽やかで、明るく、淀みなく、一見スマートそうに振る舞えてはいるんだけどとにかく自分語りしかしないからイライライライラする。
彼自身には場を回しているつもりがなぜかあったみたいで、私やもう一人いた子に質問を振ってきたりしたけど、一言二言返すともう自分語りに軌道修正して果てがなかった。
彼による自分語りの都度、もう一人の子はエチケットとして「凄いですね〜」とか「それ、尊敬します」とか相槌打ってたけど、これが火に油でむしろ彼の自分語りをドライブさせていった。
イライラを通り越して疲労困憊だった。もう一人の子も疲れた顔をしていた。
挙句の果てに「いやいや、僕でもできるんですから全然簡単ですよ。もしよかったら今度一緒にやりませんかー?教えますよ!」。
ああ、こうやって「好感触だったのに何故か切られた。女は腹黒い」みたいな逆恨みが生まれていくんだろうなあと思った。
あのさあ、こんなとこ絶対に見てないだろうから落書き気分で遠慮なく書くけどさあ、「良い人だけどモテない」ってラベリングされてる時点でまず結構なブサイクなんだよ。お前も例外じゃなかった。
だからこそお前が取るべき勝利戦略はスマートで柔和なモテ男(糞アニメに出てきそうな)キャラを演じることじゃなくて、普通の自然なコミュニケーションを取れるよう努力することだったんだよ。
相手への思い遣りや気遣いができれば簡単なことだよこれは。演じることなんかじゃ決してない。
結局、好かれない自分、凄く申し訳なさそうに拒絶される自分を手っ取り早く無視したかったからキャラ作りのほうに突っ走ったんだろどうせ。
それじゃモテねえよ。てか、間違った自信をつけたキモオタ的なゾワゾワゾワー感しかなかった。
あとさあ、ほかの男が私たちと楽しく雑談してるときにめちゃくちゃ怖い顔してジーっと見るのやめな?
あれヤバイよ?
2世学会員の話が増田や知恵袋に出てくると大体熱心なタイプの話ばかりで、こういう熱心な人たちばっかりだと誤解されたくないし被害被ってるので、悲しき2、3世側の話も聞いてほしい。
自分は3世。父方母方ともに祖父母が入信していて、2世の親同士が創価大学で出会い結婚したという超筋金入りのサラブレッドだ。
小さい頃から月一の座談会(地域の学会員の集まり)、少年部(小学生の集まり)、新年に行われる勤行会みたいなイベントをものをごくごく当然のものとして受け入れてきた。
そして小学1年生の頃、半ば強引に創価学園に入ることを母親に約束されて、中学受験をして創価中学に入った。ついに純血のスーパー創価人3の誕生だ。ジジババは大喜び。
学校では
・記念日的なものの日に式典(バカ長い卒業式みたいなの)を行う
・たまに信仰してる超大物(海外ハリウッド俳優やサッカー選手)がくる
ことがあったけどそれ以外は普通だった。
生徒のタイプはまちまちだが、本部職員の子供や学会で役職のついてる人の子供よろしく、入信している芸能人の子供など、ただ創価学園に入れたい!というパンピーの親とは別の創価的なハイクラスタの子供が結構いた。
聖教新聞が学生鞄に入ってるとか、大白蓮華(学会の機関誌みたいなやつ)昼休みに読んでるようなガッチガチなのもいたが、そうでもないやつとの割合が半々くらい。
なので入ったらゴリゴリの信者になるというような場所ではなかった。特に何の違和感もなく学生生活を送っていた。
けれど、高校生になってアルバイトをするようになり「得体の知れない何かの一部」というレッテルをはられる経験をしたことで考え方がガラッと変わった。
アルバイト入りたてのコミュニケーションの一部で、「高校どこなの?」と聞かれ「創価高校です」と答えた時に明らかに怪訝な顔をされた。
相手も人間なので、コミュニケーションを著しく変えることはなかったが、自分にとっては忘れられない体験だった。
自分もネットで調べたりしてたので体外的にどう思われてるかは知ってた。選挙の電話やばいとか入信勧誘されるとか。
でもそういう得体の知れないものという目線がまさか自分に向くとは思ってなかった。たまたま親がそうだっただけで、自分自身は何もしてないのだから。
でも知らない人にとっては「創価」という言葉を聞くだけで「うわっ」となってしまうものなんだなということをしっかりと認識したタイミングだった。
イメージだけでラベリングされてしまう何かを背負っているというのがとても苦痛に感じた。
就活、結婚いろんなものに響いてくる。親族には悪いけど、そんなに信仰してるわけでもないのに、嫌な思いをし続ける必要がなぜあるのかと。
このままエスカレーター式に大学まで創価に行ってしまったら、本当に全部創価になってしまうことに危機感を感じ、普通の私立の大学にいった。
創価大学に行かなかったことでジジババは露骨に悲しんだが親も何も言わなくなり、そもそも学会員と接する機会がほぼなくなったので、気負いすることもなくなった。
けれどもこれから結婚とかの話が出てくるとめちゃくちゃ話はややこしくなるのが目に見えていて辛い。
今いる彼女も、知り合いたてでfacebook見た時に友達が創価高校だらけで舌巻いたらしい。最近は自分の気持ちを知ってくれているので創価いじりしてくるくらいにはフランクになったが、「お父さんに行ったら絶対やばい」と言っている。
彼女には辞めてと言われるが、親からしたら「別に何も強制してないのにわざわざ辞めるの?」という感じらしい。
こちらとしては相手に迷惑かかるくらいなら辞めても全く構わないけど、自分側の親族とこじれるのも好ましくない。結婚とかを考え始める歳になるとこんなに辛くなるとは思わなかった。
こういう創価の家系に生まれたけど、信仰してない、してないのに創価ってだけで辛い思いをしている人は本当に沢山いる。
けどそういう人はそもそも隠したがるので、web上にも出てこない。だから全国の創価好き、創価を愛する者たち、創価を憎む者たち、全ての創価関係者に伝われっ!