はてなキーワード: ファンレターとは
その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意の数字を入れてほしい。)
そして私は、そのお祝いの作品を作っている。
けれど、私はそれがまったく楽しくない。
その理由も分かっている。そのことを書きたいと思う。
信じて、この作品が好きだ!と発信し続けてきた。
それは世の中に出たばかりで、たまたま手に取った私は今までに出会ったことのない世界観、表現の美しさ、その他全てに心を奪われてしまった。
今思い返しても、人生で五本の指に入る素晴らしい偶然の出会いだと思う。
私はクラスメイトや友人にその作品を布教しにかかったが、作品のターゲット層と私の年代が合っていないこともあり、あまり捗らなかった。
それからしばらくした頃、世の中でインターネットで好きな物を発信する手段が出てきて、
学生から社会人になり、様々な自由を手に入れていた私は当然、インターネットの場でこの大好きな作品を広めよう、もっと色々な人に知ってもらおうと活動しはじめた。
しかし、その時にはもう遅すぎた。
作品はヒットすることなく数年が過ぎ去っていて、インターネットにあったのは一握りの熱心なファンの集まりと、「あの作品面白かったよね」と思い出話として語る人々だけだった。
天変地異でも起きない限り、あの作品が多くの人の目に留まることはなくなってしまっていた。
もちろん、多数の人の目に留まることが全て善というわけではないし、私はファンの集まりで出会った皆さんにも思い出でも語ってくれた人たちにも大いに感謝している。
ただ、私自身が、「自分の好きな作品が沢山の人の目に留まってほしい」と強く思っていただけだ。(言ってしまえば、メジャーになってほしかったということだ)
私は何度も、作品が出た頃に何もできない学生だった自分を恨んだ。あの時に何か出来ていたら、と。でも恨んだところでどうしようもない。
それは同じようにインターネットに流れていた、『ファンの声で公式を動かした』という先人たちの実績の数々だった。
最近Twitterに流れてきていたものだと、サクラ大戦のような、あれ。
私はそれを信じて、声を上げ始めた。
といってもそこまで大それたことをしたわけでもなく、推し作品を布教する話になったら本気でプレゼン画像を作ったり、良さを語るブログを書いたり、
あるいは公式に定期的に作品展開の希望を送ったり、n周年の時にお祝いの二次創作をしたり、幸運にも作者さんと直接お会い出来たときにファンレターで思いを伝えたり。そんな感じ。
(今思い返せば、署名活動の1つでもやればよかったと思う。それをしなかったのは私の怠慢だし、何より「もし集まらなかったらどうしよう」という、自分の好きな作品を好きな人の人数が可視化されることへの恐怖にビビったチキンさ故だ。情けない)
たくさんの良き出会いもあったし、嬉しいことに私の発信から作品を手に取ってもらえたこともあった。
そのことには感謝してもしきれないし、ファンとして声を上げていて本当に良かったと思う。
ただ、私には天変地異を起こす力は、なかった。
なかった。
数年前出た小さな設定集を最後に、私の好きな作品は止まっている。
きっとこれはよくあるありふれた話なのだろう。悲しい思いをして諦めているのは私だけではないのだろう。それは分かっている。
作品のヒットだって時の運だ。どんなに作者さんが粉骨砕身しても、プロデュースが頑張っても、ヒットしないものはヒットしない。
分かっている、分かっているのだけど、「どうして私の好きな作品が」という思いは拭えない。
(私の好きな他の作品も似たような感じなので、余計に思ってしまうのだろうというのもある)
そう思っているうちに、声を上げることが辛いと思ってしまうようになってしまった。
馬鹿な、と思ったし、そんなことはない、たとえ天変地異を起こせなくても声を上げる意味はある、と言い聞かせた。好きな作品について話せる人に出会えるんだし。いいじゃん。
そう、これは一人のファンが作品から離れることを、おおげさに書いた文章だ。
気持ちが離れたことを「公式を動かせないことに疲れた」と言い訳している、身勝手で自信過剰で自分の力量を見誤ったファンのたわ言だ。
たわ言だ。
絶対に言いたくなかった、たわ言だ。
言いたくなかったけど、吐き出さないとおかしくなりそうだったから、ここに書き殴っている。
その作品はそろそろn周年を迎える。(nには任意の数字を入れてほしい。)
n周年が過ぎた時、私にとってその作品は、
「あの作品面白かったよね」という思い出になってしまうのだろう。
もし、これを目にした人で、私と同じように公式に届け!と動いている人がいたならば。
私はあなたが天変地異を起こせることを、強く、強く、願っている。
そして、それと同じくらい、あなたがあなたの好きな作品を好きでいることに疲れてほしくないと、強く、強く、強く、願う。
おわり
きっかけは約3年前 2016年の年末だった 滅多にpixivに絵をまとめない作者が一気に作品をまとめて投稿した しかもTwitterに上げたものをまとめることが殆どだったのに 今回はほぼ未発表のもの
スケブのイラストとカップリングのカラー色紙が数枚、オリジナルのイラストが入っていて ツイッターですら見たことのなかった推しカプの絵がたくさんあって純粋に大喜びした
でも当時親しいと思っていたフォロワーは軒並み喜んでいなかったどころか反応すらあまりしていなかった
なんでだろう?と思う気持ちと 作中で絡んだことなどないフォロワーが推してるマイナーカプの絵があったことで何か確信にも似た気持ちがあった
年は明け2017年 変なDMが届くようになった 「作者と繋がってるって本当ですか?」「まとめられてますよ」まとめサイトや掲示板のリンクが直接送られてくる 見てみると原作者とオタク数名が繋がりを持っており、その内の一人が何か問題を起こして仲間外れにされてアカウントを消したことを暴露した内容だった ここまでは別に良かった ツイッターでは良くあることだ
恐ろしくなったのは匿名でLINEが送られてきた時だった 何度か一緒に遊んで顔を合わせたことのある 顔見知りのフォロワー数名としか交換していないはずのLINEアカウントを知っていた 教えたその内の誰かがサブ垢を取得したのか それとも誰かに教えたのか
送られてきた内容は「あなたは繋がろうと思えば原作者と繋がれる立場にいるんだから、余計なこと書き込まない方がいいよ」というものだった
掲示板に原作者と繋がれないことを恨んだ私が書き込んだと思っているらしい言われようだった これで実際に自分が原作者と繋がっていて 好きなカプやキャラの色紙を書き下ろしてもらえていればどんな罵倒も誹謗中傷も甘んじて受入れられたに違いない そんな物は無い 原作者のLINEのアカウントも顔も声も私は知らない
渦中の内の一人にある事ないこと吹き込まれて 自分のアイコンを描いてくれた一番仲の良いフォロワーのアカウントは消えた
私は繋がっていた側からも 原作者と繋がっていたが裏切られて繋がりが切れたらしい側からも どちら側からも何も言われず知らず ただこいつも何か知ってるんだろうな、と周囲からぼんやりとした疑いの目を向けられた 何も知らなかった 誹謗中傷のDMは続いた
ジャンルを離れようと思った
けどここで離れたら嫉妬しているようで 自分だけ作者と繋がれてないことが嫌だからオタクやめるという証明のようで悔しかった
自分は作者じゃなくて作品が好きなんだ!関係ない!意地でも繋がりたいなんて思わず好きでいてやる! 決心した それが真にジャンルそのものを推すオタクである証明になると思った
それから取り憑かれたようにそのジャンルのことばかり呟き他の作品に見向きもしなくなる この件で自分が好きでなくなってしまったら 人間関係のゴタゴタでジャンルを去ったあの人と同類のようなものだ それは嫌だ という強迫観念のようなものだった
それから3年が経った 強制的に目を背け続け 好きでい続けた日々に終止符を打った明確なきっかけは分からない 3年前のあの日から我慢し続けた意地を断ち切った決定的なものはクラウドファンディングかもしれない
原作10周年記念 盛り上げようという名目で開催されたクラウドファンディング 最高額が50万コースだった 50万コースで原作者が好きなキャラを一名書くよ、という文言を見て真っ先に 馬鹿にしてるのか と思った
お友達のオタクには好きなキャラどころかカプを無償で書いたのに?原作で接点すらないマイナーカプの色紙を描いたのに?
何度もツイッターで言いそうになっては留まる それとこれとは別、それとこれとは別だろうと言い聞かせて
それからの公式側の対応が酷かった 度重なる延期や発送遅延 お世辞にも良いとは言えない本編作画のOVAとオープニングが未完成の「完成披露」試写会 完成披露試写会は5万以上のコースでないと参加できなかった
ガタガタの作画に全く動かないED そもそも映像が全く無いどころか主題歌すら流れないOP 誰も怒ってなくて 良かったね と言っていて正気かと思った
こんなにお粗末でいつ燃えてもおかしくないのに全く燃えないのが悲しかった 一億近く集めたくせに金の使い所が不透明 サイトには「イベント製作費用、プロモーション費用、リターン品製作費用」に充てると書いてあったが
イベントは特に衣装も無くセットも並 ライブパート以外は小物を使ってモノボケ、原作の朗読と今までのイベントの中でも最も安上がり
プロモーションは完成披露試写会まで本編映像は全く無し、オープニングとエンディングの視聴すら無し、それどころか一枚絵すら更新されない始末
リターン品はCD、複製台本、円盤、レプリカの学生証、薄いブックレットと正直何にそこまで金をかける必要があるのか不明だった
結局当初の予定から五ヶ月くらい遅れて発送されたクラウドファンディングのリターン品
ここまで来て最後の最後に円盤とCDと複製台本以外の同梱物全ての入れ忘れ、声優のオーディオコメンタリーはクラウドファンディング版には未収録で一般発売版限定、それだけでも舐めているのに クラウドファンディング版のジャケットにもオーディオコメンタリー収録と印刷ミスしてしまったせいでジャケット再配達……
酷さはもう擁護できなくなっていたし どんどん冷めていくのが分かった 一億円は全部再配達の費用に宛てられたのか?
この頃にはもう自分が言わないと誰も気付かないのでは?とすら思ってしまいツイッターで対応の酷さへ愚痴を吐いていた
気持ちが離れてしまったから魅力的に見えなくなってしまったのか 本当に作風が変わったのかは分からないが この頃から原因不明の休載も相まり原作を昔のように純粋に段々読めなくなる
楽しみにしていたイラスト集第二弾は 手描きのコメントやイラストが全ページ描かれていた第一弾に比べ イラストはおろかコメントも無し 掲載されてるイラスト毎の大きさもちぐはぐで 明らかにやる気がないのが悲しかった
本誌で秋に発売されると発表のあったスピンオフ作品の単行本は 延期します等のアナウンスは何も無く半年近く延期された もちろん謝罪も一切なし そして誰も怒らない 発売されるだけでありがたい!という空気 異常だ
最新刊だって購入日から一度も読み返していない 極め付けは最新刊の後書きが 3年前の事の発端とも言える作者のゲームアカウント(名義隠してイラスト上げてるサブ垢)で「知り合ったオタクがアシスタントになったよ!私のことゲーム垢で知り合ったから作者と同一人物だと思えないみたい!毎日お仕事楽しい!」と存在を一切隠そうとせず こちらを煽ってるとしか思えない内容だったこと
もう冷め切って諦め果てたはずなのに 今日ポストへ仕事の郵便物を出しに行った時に 学生時代このポストから劇場版の等身大スタンディ欲しくてハガキ出したなあとか ファンレター送ったなとか 本誌のお便りコーナー宛にハガキ出して 作者から一言コメント貰えただけで大喜びしてたなあとか思い出して 泣けて仕方なかった
こっちが一言きりのコメント大事にしている間に作者は特定のオタクと繋がって 一緒にUSJ行ってたり カラオケ行ってスケブ描いたり オタクの女体化イラスト描いてあげたり オタクの推しカプのサイン色紙フルカラーで描いてあげてたんだもんな
繋がり持ってたオタクがVtuberになれば サブ垢があるのにわざわざ公式名義の方のアカウントで応援絵二枚も描いて上げて 今までVtuber関連のツイートなんて一切したことないのに露骨にリツイートまでして もう隠す気無いよな 馬鹿馬鹿しい
また昔みたいに楽しく没頭出来る日がいつになるのか分からない もう来ないだろう 勝手に憤り勝手に冷めた自分が悪い
最近は楽しかった頃の記憶だけをぼんやり辿って反芻している 好きだった 楽しかった 楽しい7年間だった こんなこと知りたくなかった
こんなことなら3年前意地を張らずに離れるべきだった 作品だけを好きでいてキャラクターだけを推して健全なオタクで在りたいと思って 3年間知らないふりをしてツイッターを続けた 何があってもジャンルが変わってもアカウントは消さないと思っていた 消した 自分の二次創作物もツイートもこんなジャンルに関わっていることが憎いから消した
私は繋がりを持って原作者と遊んで自分だけの推しカプの色紙を描いてもらいたかったのだろうか
本当は繋がりを持っていたオタクに嫉妬していたのだろうか 友達に描いたやつ〜とわざわざ自分からピクシブに作品を上げたりオタクに贔屓のリプライばかり送り 原因不明の休載期間に公式垢には作品のイラストを一切上げなかったくせにゲーム垢にはイラストを上げ続けていた作者に失望していたのだろうか
ふせったーにこれと似たようなことを書いた翌日に 滅多に絵を上げない原作者が5枚もイラスト連投してた上に 今までほぼ言及していなかった原因不明の休載について他人へのリプライで「休載期間が本当に悔しくて〜」と釈明していて笑いが止まらなかった
イェーイ見てる〜? 繋がってないオタクのことなんて眼中に無いか
界隈へのお気持ち表明なんて大手旬ジャンルの話だと思ってたし 対岸の火事みたいに見ていた まさか緩くて優しい人間関係を売りにしている作品でドロドロの人間関係が露呈して嫌気が差すとは思っていなかった
Free hack
Free hack
Free hack
Free hack
Free hack
Free hack
Free hack
Free hack
お金を払ってでも間に人に入ってほしいという下請けに対して 1円でも安くしたいから、直接交渉をしたい なんていうじこが増えてきた
一所懸命自分たちの価値観に基づく、くそみたいな、人間失格のオタクになら 自分たちが教えていいという人たち
懸命に 日銭をもらって 日々を生きている俺達
おしおえてやる という人たち
さぞかしきもちがいいだろう
文通やったり、ファンレター書いたり、お手紙を書く習慣がある人は世の中にたくさんいる
でもたくさんの人達の中に入るとその分手紙を書く人口が少なくなって手紙好きが視界に入らなくなる
だから普段はそれほど手紙市場の大きさを気にすることはほとんどないんだけど
ロフトとか東急ハンズとか、雑貨店に並んでるたくさんのレターセットや便箋や封シールに圧倒されると
100円ショップもレターセットとか便箋に力をいれてくれて嬉しい
今、私は手紙が100通位書けそうなほどお手紙グッズを持っている
それらを使いきって、また買い足すときが待ち遠しい
「手紙市場をオタクが支えている」っていう人もいて、ああ、そこは文通してる人じゃなくてファンレター書くオタクなんかい!って思った
手作りという訳ではないけれども手紙用の封筒に色々と加工を加えて遊んでいたら切手の位置の設定を間違えていたことに気づいて「私としたことが~!」という気持ちになった。
横封筒なのに切手の位置を左上にしてしまった。日常的によく目にする縦のはがきと同じ位置
丁度、推しにファンレターを書こうとしてて、切手の位置が違っても別にいいかと思ったけど「お誕生日おめでとう」という大事な内容の手紙だし以前に推しに送った手紙の切手の位置は正しい位置なので推しに「なんでこの人以前はちゃんとしてたのに今は間違ってるんだろう」と思われたらどうしようと思って既製品のレターセットを使いました。
なんで切手の位置が決まってるかっていったら、郵便局が機械で自動的に郵便物を処理する際、横封筒の左上に切手があると機械が切手を読み込みできないのよ。マナーというよりは郵便局の機械の都合上のお願いっていうか……いや、マナーと言えばマナーなのか
それで、私が今回推しに使ったレターセットはちょっと特殊で、切手は正しい位置に貼ったけど機械で自動的に読み取りできないだろうなというつくりで、「じゃあ郵便局の機械に配慮して封筒選び直した意味ー!!」と思った
郵趣やってる人はわかると思うんだけど、切手好きや手紙好きな人は遊び心出してあえて切手をずらして貼ったりすることもあるんだよね。
何が言いたいかというと切手を貼るときに仕事でやるぶんには正しい切手の位置で貼るけど、個人的な趣味でやる手紙の切手はもう好きに貼らせてくれないかなあ。あまりにも非常識な貼り方はしないからさ。常識の範囲内でやるから……ていうかはがきを見慣れすぎてて横封筒で切手の位置が右上ってもはや違和感が私の中である。
仕事ならいくらでもルール守るけど、プライベートの切手の位置で機械がどうのこうの、マナーがどうのこうのってヒヤヒヤしたくないわあ。世の中のレターセット、どう見ても機械通せないだろ。これは手作業で消印押すだろってデザインのものたくさんあるじゃん~
オッケーにしてくれ!ってかもう2020年だし切手を宛名面のどこに貼っても機械で読み取れるように技術が進化してくれ、と自分が間違えたのに長い言い訳をしてみたよ
もう30年ぐらい前の話。
担任は新任の先生で、いきなり5年生を持つには負担が大きかったからか、副担任がついた。
おじいちゃん先生は普段ほかのお仕事をしてて、週に何回か助っ人にくる感じで
授業というよりは雑談しながらいろんなことを教えてくれるおじいちゃんて感じで
話が逸れすぎて理科の授業が道徳の時間に変わってしまったりしていた。
私は、いつもニコニコニコニコしている小柄でかわいらしいおじいちゃん先生が好きだった。
ある日、校庭で女子3人くらいとおじいちゃん先生で雑談していたとき、
おじいちゃん先生には息子がいて、その息子さんがマンガ家をしているという話になった。
おじいちゃん先生はもったいぶってなかなか教えてくれなかったけれど
最終的には息子さんの名前を教えてくれた。
「えっ!知ってる!○○(雑誌名)に載ってる人や!お兄ちゃんが買ってる!」
その場にいたのは女子ばっかりで
私たちはきゃあきゃあ騒いだ。
『そっかぁ、君らでも知ってるんかぁ』って
嬉しそうに恥ずかしそうにしていた。
そんで、その年のうちにおじいちゃん先生、突然亡くなってしまった。
ほんとに突然。
たしか天気が悪くてすごく寒かった気がする。
私はそのお葬式の時に一回だけ、漫画家をしているという息子さんを見た。
お葬式のあと、どういうタイミングだったか忘れてしまったけどクラスのみんなの前でおじいちゃん先生の奥さんがお話をしてくれる機会があって、
(最初にも書いたけどおじいちゃん先生は学校の先生がメインのお仕事ではなくて
お仕事を継いでくれる人がいなくてたいへんなの、と奥さんは話していた。
私はその時、おじいちゃん先生は息子さんに自分の仕事を継いでほしいとは思ってなかったんじゃないか、ということを奥さんに伝えたかったけど
小学生の私にとってクラスみんなの前で過去のエピソードを持ち出して奥さんになにかを伝えるというのはハードルが高すぎて無理無理の無理だった。
そこから30年、おじいちゃん先生のお仕事は別の人が引き継いで、息子さんは息子さんのお仕事の世界で活躍を続けている。
こないだふとその息子さんの名前をググってみたら
その当時から数年前まで実家を継ぐ継がないですごく葛藤していた内容のインタビュー記事が出てきて
やっぱりこの話したほうがいいんじゃね?と思った。
息子の名前を教え子が知ってたこと、名前を聞いて子供らがきゃあきゃあなったことをめちゃ誇らしく思ってたと思うよ。
私たちが知らないだけでおじいちゃん先生はもしかしたらその話を奥さんや息子さんにしたかもしれない。
これを読んでる他人様にはどこにでも転がってるようなちょっとお酒が美味しくなるほっこりエピソードでしかないかもしれないけど
もし、もし、息子さんが
「親父は最後まで俺の仕事を認めてくれなかったな~」みたいなことを思ってる、または思ってたとしたら
いやいやいやいや、そんなことないから!大丈夫よ!めっちゃデレてたよ!あなたのお父さん!!って背中バンバンしてあげたいなと思って書きました。
いつかそのうちファンレターでも書いて送ろうかなとか思いながら30年経ってしまったので
このままでは死ぬまで書かないなと思ったので手軽にネットに書き込んでしまいました。
どうにか息子さんに届くといいなぁ。
誰か心当たりあったらおしえてあげてください。
もう30年ぐらい前の話。
担任は新任の先生で、いきなり5年生を持つには負担が大きかったからか、副担任がついた。
おじいちゃん先生は普段ほかのお仕事をしてて、週に何回か助っ人にくる感じで
授業というよりは雑談しながらいろんなことを教えてくれるおじいちゃんて感じで
話が逸れすぎて理科の授業が道徳の時間に変わってしまったりしていた。
私は、いつもニコニコニコニコしている小柄でかわいらしいおじいちゃん先生が好きだった。
ある日、校庭で女子3人くらいとおじいちゃん先生で雑談していたとき、
おじいちゃん先生には息子がいて、その息子さんがマンガ家をしているという話になった。
おじいちゃん先生はもったいぶってなかなか教えてくれなかったけれど
最終的には息子さんの名前を教えてくれた。
「えっ!知ってる!○○(雑誌名)に載ってる人や!お兄ちゃんが買ってる!」
その場にいたのは女子ばっかりで
私たちはきゃあきゃあ騒いだ。
『そっかぁ、君らでも知ってるんかぁ』って
嬉しそうに恥ずかしそうにしていた。
そんで、その年のうちにおじいちゃん先生、突然亡くなってしまった。
ほんとに突然。
たしか天気が悪くてすごく寒かった気がする。
私はそのお葬式の時に一回だけ、漫画家をしているという息子さんを見た。
お葬式のあと、どういうタイミングだったか忘れてしまったけどクラスのみんなの前でおじいちゃん先生の奥さんがお話をしてくれる機会があって、
(最初にも書いたけどおじいちゃん先生は学校の先生がメインのお仕事ではなくて
お仕事を継いでくれる人がいなくてたいへんなの、と奥さんは話していた。
私はその時、おじいちゃん先生は息子さんに自分の仕事を継いでほしいとは思ってなかったんじゃないか、ということを奥さんに伝えたかったけど
小学生の私にとってクラスみんなの前で過去のエピソードを持ち出して奥さんになにかを伝えるというのはハードルが高すぎて無理無理の無理だった。
そこから30年、おじいちゃん先生のお仕事は別の人が引き継いで、息子さんは息子さんのお仕事の世界で活躍を続けている。
こないだふとその息子さんの名前をググってみたら
その当時から数年前まで実家を継ぐ継がないですごく葛藤していた内容のインタビュー記事が出てきて
やっぱりこの話したほうがいいんじゃね?と思った。
息子の名前を教え子が知ってたこと、名前を聞いて子供らがきゃあきゃあなったことをめちゃ誇らしく思ってたと思うよ。
私たちが知らないだけでおじいちゃん先生はもしかしたらその話を奥さんや息子さんにしたかもしれない。
これを読んでる他人様にはどこにでも転がってるようなちょっとお酒が美味しくなるほっこりエピソードでしかないかもしれないけど
もし、もし、息子さんが
「親父は最後まで俺の仕事を認めてくれなかったな~」みたいなことを思ってる、または思ってたとしたら
いやいやいやいや、そんなことないから!大丈夫よ!めっちゃデレてたよ!あなたのお父さん!!って背中バンバンしてあげたいなと思って書きました。
いつかそのうちファンレターでも書いて送ろうかなとか思いながら30年経ってしまったので
このままでは死ぬまで書かないなと思ったので手軽にネットに書き込んでしまいました。
どうにか息子さんに届くといいなぁ。
誰か心当たりあったらおしえてあげてください。
いわゆるファンレターなんだけれども
自分が急にコロナやら何やらで死んだら二度と書けないかも知れないんだなと思い
推しを応援する気持ちを推しの仕事の感想などと共に便箋3枚にしたためたわけです
推しはキャリアの初めに大きな役をもらって順風満帆かと思いきやその後はさっぱり大きい仕事がなくて
何となくメンタルに不安定な部分が見え隠れするようになってSNSに顔を出す頻度も減って
それでもたまに仕事が入れば規模に関わらず誠実に取り組む推しが私は大好きなので
「大好きです」って書こうと思ってふと考えたんですよ
こんな1ファンに過ぎない一般人からの手紙にいきなり「大好きです」とか書いてあったら
ペン先が乾いて書き出しの文字がかすれる程度に小一時間悩んだけど結局「大好きです」って書いた
コロナもあるし、次に推しが事務所に行って私の手紙を受け取るのは、そしてそれを読むのはかなり先かもしれない
その時私は生きているだろうか
残念ながら、人の悪意は止められない。
「誹謗中傷はやめよう」と言いつづけることは大切だけど、それでもきっと。
リアリティショーの出演者が、自身に向けられた大量の悪意に押しつぶされ、みずから命を絶ったと思われる話。
僕はアイドルファンだ。48グループや坂道グループの握手会や、よりアイドルとの距離のが近い、いわゆる「地下」の現場にも通っている。そういった現場やSNSなどで賛辞や批判を「容易に」「直接」伝えることのできる昨今のアイドル業界に関しても、確実に発生しうる問題だ。
どれだけ発言や行動に気を使っても、曲解する人は必ず出てくる。だから誹謗中傷が来ることを前提にタレントの心をケアする仕組みを、お金や時間をかけてつくるしかない。
ファンレターをマネージャーがひとつひとつ開封してカミソリが入ってないか確認していた時代とは違うし、「有名税」なんてことばで片づける時代でもない。
公式のBLは素晴らしいと思うが、個人的には非公式のBLが大好物である。公式カプという暖かな焚き火を平和に囲むより、火のないところに煙を立てて勝手にキャンプファイヤーをするのが大好きである。
友情というかブロマンスというか、決して恋愛感情ではない強い絆で結ばれた男達が好きなのである。あるいは、互いに嫌悪し顔を合わせる度に命を取り合うような男達が好きなのである。原作ではどう考えても結婚しない、肩は組んでも手は繋がない男達を二次創作であれこれウフンアハンさせるのが好きなのである。
で、好きがこうじた私は、ありがたいことに作家になれた。
私が腐女子であることは誰も知らず、あくまで健全な男達の友情を描き、これも大変ありがたいことにそこそこの人気が出た。
ファンレターもいただき、皆とても清廉というか純粋というか、腐女子の腐の字も感じさせない……ちょっとは感じるかな、でも「A×B萌えです」などとはっきり言う方は存在せず、届く前に抜いてくれているのかもしれないが誹謗中傷もなく、本当にありがたい環境にある。
が、きっとあれでしょう?作者には言わずとも裏では萌えてくださっているご婦人方がいらっしゃるでしょう?と邪推をし、私はpixivを見た。Twitterも見た。すると、出るわ出るわA×BにC×D!甘酸っぱい初恋からドロッドロのR指定まで!ウッヒョーありがてえ!……と思ったのだが、ふと気付く。いくら探しても推しカプが出てこない。検索方法が悪いのか?略称が違うのか?特別な呼び方があるのでは?と考え得るあらゆる可能性を検索バーに叩き込んだが、推しであるA×Cが一向に見付からない。代わりに出てくるA×BとC×Dの山……っ!いや分かる確かにそこもオイシイ細かいところまで拾って広げてくださりありがたい、しかし何故だ、何故なんだ……誰か一人くらいA×Cにも萌えてくれていたってバチは当たらないだろう、もう自分で描くか?布教するしかないか?とネームをいや駄目だ危ねえ、そんなことしてる場合でもねえし増田やってる場合でもねえけど何故だ!!
ええと、皆様いつも本当にありがとうございます。「公式」としては燃えていないのが私の好みでありますし皆様もきっとその筈なので、推しカプが「そう」見えていないのは狙い通りではあるのですが、もし……もしもね、いつかA×Cにも萌えてくださる方がいたならば、ここに同志がおります。一生名乗り出れないけど、私がここにいることを何かの時に思い出してください。いや待って、作者が実は腐女子だったとか言われたら私なら倒れるからやっぱり忘れてください。
森○嗣という理系小説家が日記型エッセイの中でいっていたのだが
作品の感想てのは誤字・誤植の指摘以外はほぼほぼ思ったとおりのところに玉がかえってくるようになった。
それであまり欲しくなくなったと。
読者とのキャッチボールというより、ピッチャーフライで打ち取ろうとおもってなげたらちゃんとピッチャーフライが帰ってくる、
三遊間に打たせようとおもったら三遊間にいく、というようなコントロール含めてプロの仕事をしているのだ、という印象を受けた。
自分の場合はそこまでプロではないが、たいてい最後まで飽きずに読まれただけ、文字通り本当によんでもらえただけで満足ではある。
また、それ以上の感想はやはりコントローラブルすぎて蛇足になる気配は少しある。
盛り上げたシーンで盛り上がりましたねっていう感想がくる。
ごくあたりまえの感想をいただき、好意がありがたいと思うだけなのだ。
だって監督オレ、演出オレ、音楽オレで小道具大道具オレ、背景協力オレ、レシピ指導と方言指導もオレ、の映画みたいなもんだし。
「自分はネコフェチなのでネコがいじめられているようにみえて困りました」みたいな予想外のはあまりこない(そういう目的外にまで届くほどは売れてないだけでもある)
ただ、たまに自分の守備でない一枚イラストでのいいシーン再現とか
肉声(いいセリフとして朗読されたり)とかあると、うわっそうか!すげーな!越えられた!ってなる。
たぶん描画エンジンがなく描写文エンジンしか搭載してないタイプの人間なんだろう。
で、結末が見える前から表紙描きさんを指定しておねがいして相応のお時間と謝礼をなげつけておくと
たいてい自分で作るより300倍くらいいいのがかえってきて、
そこで表紙つき、または挿絵つきの本が出せたし出店できた時点で
でもたまに絵もなにもないネット書き捨て文章にむかってすっごく把握しきった絵を投げてくれる人がいて
その人と次の本を出す。
そんな感じ。
ファンレターの宛先がなくなって早3ヶ月、元推しはどうやら何かの病気らしい。
「二度と会えなくてもどこかで元気に生きてるなら」という健気な願いすら叶っていないようだ。
推しに順列を着けるなら1番ではなかった彼ではあった。それでも大好きだった。過去形になった。
2020年1月31日から2月1日の日付変更線。コンテンツが見れなくなる瞬間を越えたくなくて、もうアイドルじゃない彼に気付きたくなくて柄にもなく深酒をした。あの日の姿は知り合いに見られていないといいな。
そのあと個人的に多忙を極め、なんとなく過ごせていたが、先日彼からの発信があった。最初で最後の配信。私は立ち会えなかったが、さほど悲しくなかった。
ああ、終わったんだな
そう感じた。
大好きでした。
どれほど大変な病気を抱えているのか、はたまたちょっと休めばなんとかなるのか、何かを守るための嘘なのか分かりませんが
どうかどこかで元気に生きていてください。
ただのファンには知り得ない顔で誰かと幸せに過ごしてください。
後悔だけはしないで欲しいけど、それも越えて自分で選んだ道を進んでいってほしいです。
痛すぎて匿名じゃないと無理。
あーあ、大好きだったんだけどなあ
タイトルの通り、先日推しに初めて手紙を書いた。推しはバンドをやっていて、初めて生で見た時からずっと好きだった。
ライブの後に撮影会とか握手会を割と頻繁にやるバンドだからライブを楽しんだ後に直接話して一緒にチェキを撮ったりしていたのだけど、私がコミュ障な上推しを見ると頭が真っ白になってしまうため直接話せる機会があるにも関わらずありきたりなことしか言えなかった。でもコロナの影響でライブは軒並み中止になってしまった。楽しそうに演奏する推しが大好きなのにそれを見ることができない悲しみ。コロナめ!推しが毎晩夢にまで出てくる。次会えたら会いたかったと言ってしまいそうなくらい会いたい。コロナめ!
そんな中推しが所属するバンドのメンバーがインスタでファンからの質問に答えていて、ファンレター送ってもいいですかという質問に事務所に送ってくれたら嬉しいみたいなことを返していて、書くか…手紙…となった。
手紙を書くのは本当に苦手。交換ノートとかも自分の番で何ヶ月も止めてたタイプ。そんな私が手紙。もう推しの名前を書くだけでドキドキした。でもちゃんと書きたいことはほとんど書けた。投函した後にあーあれ書けば良かったとか思うこと結構あったけど。でも読んでくれたらいいな。
切手買うの楽しくてたまっちゃう。買わなければ減っていくだけだから、買うのをやめたらいいのに自分の好みの特殊切手が発売されたら買っちゃう
でも、いざというときはゆうパックの送料に使うからいいのです。
あんまり使わないかなと思ったけど買った白い紙で縦の線が入った便箋。改まった真面目な手紙を書くときの便箋もなんだかんだで出番があっていざというときのために持っててよかった。普段は華やかでキレイなデザインやかわいいデザインの便箋使ってます。
私が手紙を書くときは身内あてか、ファンレターです。文通はやらない主義
文通やればお手紙たくさん出せるんだけどそれだと手紙を出すのが半強制義務になっちゃうから。私は相手からの返信を期待せずに私から一方的に送りつける手紙が好きです。自分のペースで時分が好きなときに手紙を書けるからね。でも、たまにお返事がくるととっても嬉しい。
今日もお手紙投函した。相手は私の文章をどう思うかなってドキドキしている。ちなみに夫の祖父母と義両親あてです。
ファンレターも書きたい。書きたい欲がムクムク沸いてきている。
手紙は落ち着いて、自分の気持ちを相手に伝えることができる素敵なツール
SNSのコメントやメールと違って、封筒や便箋、切手を自分の好きなデザインで選べる!私の好きがつまった私の気持ちの分身です。
自分の好きな人達に好きを伝えるお手紙を愛してます。今持ってる手紙のための道具たち。使いきるのに何年かかるんだろう。せっかく私の手元にあるんだからガンガン使ってあげたいな。特殊切手もたくさん使って、その役目を果たさせてあげたい。送られてきた封筒の消印が押された切手が好きだ。役目を終えた切手の姿に美を感じる。やっぱり切手は郵送料として使ってこそ意味があると思っているよ。
酔っ払っている。
映像研。
今、アニメ6話まで見たところ。
設定を作り、動画を割り、資金や環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。
で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。
しかし悲しいかな漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。
完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。
それだけじゃない。
アニメを制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場の感覚をアニメの作り手自身が持ち込んで足している。
強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。
映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメのプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。
「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」
粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ。
祝福をもって、受け入れられたのだ。
そして、アニメのプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。
エンディングにアニメーターとして参加したことがその証左だろう。
原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。
で、このアニメは、アニメ界からの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。
エンディングの動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。
それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。
これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。
原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、
「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。
それでいて、そのラブレターに勇気づけられたことに感謝も示す。
偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬でしかないでしょ。
お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。
それが傑作に、ならないわけがない。
余談
それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。
そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。
アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。
そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。
酔っ払っている。
映像研。
今、アニメ6話まで見たところ。
設定を作り、動画を割り、資金や環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。
で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。
しかし悲しいかな漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。
完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。
それだけじゃない。
アニメを制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場の感覚をアニメの作り手自身が持ち込んで足している。
強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。
映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメのプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。
「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」
粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ。
祝福をもって、受け入れられたのだ。
そして、アニメのプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。
エンディングにアニメーターとして参加したことがその証左だろう。
原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。
で、このアニメは、アニメ界からの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。
エンディングの動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。
それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。
これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。
原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、
「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。
それでいて、そのラブレターに勇気づけられたことに感謝も示す。
偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬でしかないでしょ。
お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。
それが傑作に、ならないわけがない。
余談
それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。
そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。
アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。
そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。
うたの☆プリンスさまっ♪が好きだった。
19歳の夏にドはまりして、もうすぐ8年目を迎えようとしている。計算が合っとるかは知らん。
別に後悔は無いけれど、楽しい楽しい大学生活の大半をうたプリのために費やした。
それはそれで最高に楽しかった。
うたプリを通じて友だちができた。今でもプライベートで遊ぶ人たちもいる。ただ、もううたプリの話はしないけれど。
シャイニング事務所は実在、と念じていた。プリツイがそれを高めてくれた。
イチオシのアイドルを自担と呼んで、同担拒否だった。ファンレターも書いた。
こんなに2次元(当時は3次元だと思い込みたくて、そう振舞っていたけれど)にはまったのは初めてだった。
一人暮らしをいいことに、部屋にもポスターを貼ったりフィギュアを飾ったり、腕枕クッションを買ったりした。
痛チョコを作った。ケーキも焼いた。自担の喜びそうな料理を覚えて、自炊を頑張るようになった。
自担がプリツイで紹介したものと同じものを買っては自己満足に浸っていた。
みんなの生まれ年を考察したツイートに感化されて、みんなはサザエさん方式ではなく毎年一緒に年齢を重ねていってくれているのだと信じていた。
自担の誕生日は特に豪勢にお祝いした。いろいろ作りました。いろいろやりました。
完全に黒歴史だけれど、コスプレもした。いやあれはダメです。見返すことのできない黒歴史。
どこに行くにもくまプリを連れて行った。写真もいっぱい撮った。自分の写真の数倍、くまの写真がある。
自担の白い衣装は汚れやすくて、何度も一緒にお風呂に入った。洗濯ネットに入って吊るされる姿は何とも言えずかわいかった。
汚れも落ちなくなってきて、くま本体もボロボロになってきて、今は部屋でゆっくり眠ってもらっている。お疲れさまでした。今まで、本当にありがとうございました。
自担の担当!って感じの服、イメージカラーとかモチーフとか、自分には似合わんのにいっぱい買ったな。
イベントがあれば頭の先から靴まで一式「それっぽい」のを探し回って揃えるのも楽しかった。
楽しかった。
最高だった。
ただ、公式に対して不満に思うことが多すぎた。
自担は、アイドルのみんなは悪くないのに、と葛藤することが日課だった。
プリツイでのキャラ崩壊もやめてほしかった。誰ですか。誰だったんですか、あれは。
飛行機距離の茶の間なりにたくさんのイベントにも行ったつもりだけど、物販何も無くてすごすご退散することも一回二回じゃなかったよ。
それは私が大人になったのかもしれない。
大人になったから、運営に対して「社会人としてこれは無いわ」とますます思うようになったのかもしれない。
大人になったから、周りの若い子たちの勢いについていけなくなったのかもしれない。
大人になったから、猫なんて抱えて持ち歩けないと思った。別にねこママたちをディスっているわけではないけれど、自分には無理だった。
ただ、大人になったから、「彼らのために割く時間がもったいない」とは一度も思ったことがない。
7thプリライが取れなかった。
マジLOVEキングダムは、とてもよかった。最高だった。あれが見たかったのだ、私は。
だから、7thも行きたかった。過去形じゃないですね。行きたい。
なんならもう交通も宿泊も押さえてる。地方の民だから馬鹿高いんだわ。それでもキャンセルしたくないんだよね、ハハ。
けれど、私は4thの雪がドサドサ降り積もる中立ち続けた前日物販地獄や、
5thの寒空の下7時間立ち続けて何も買えなかった物販地獄や、
カルライ1stの始発で行って並んでもやっぱり買えなかった物販地獄や、
6thの入場本人確認リストバンド地獄を経験している。退場も地獄だったけれど。
スタリファンミも入退場はそれなりに地獄だったけれど、熱が落ち着いていたのでそこまで何も思わなかった。
それらを思っても、行きたいと思ってた。
ただ、あの頃のような熱はもうないのだと気がついた。
昔なら、はらわたが煮えくり返るほどに怒っていた。
4万出したって行きたい、と思ってた。買わなかったけど。
だけど、最低3万5千くらいのそれらのチケットを見て、私は何も思わなかった。
この値段を出して行きたいな、と思えなかった。
いや行きたいんですけど。
ただ、あの値段を出してまで、高額転売から買ってまで、行きたいと思えなかった。
転売に対する怒りも、あの頃ほど湧かなかった。無だった。どうでもいい、と思った。
私の熱はそんなもんになっちゃったけど、今が楽しくて燃えてる人はたくさんいるんだと思う。
それはそれでいいと思います。楽しいもんね、うたプリ。楽しかったです。
うたプリ、今まで本当にありがとうね。たくさん感謝しています。
これからもよろしくって言いたいけれど、今の心境だとちょっと難しい。
でも7thは行きたいです。両日。
へりくつかもしれんけど、マジLOVEキングダムを経てのプリライ7thなので、このライブは個人的に「これまで」なので。
別にジャンルを完全に離れるつもりはないし離れられるとも思えないので、これは砂掛けじゃないです。
別にいいけど。
ひとまず以上。
推し、めちゃくちゃ好きで超会いたくて会いたくて気づいたら五年くらい経っていたんですが、ついに今年推しの名前が事務所から消えてテニパにもメッセージ無くてテニミュも全国立海後編始まったしこれ以上ないタイミングなのでさよならブログを書こうと思って書いています。
かなりとっ散らかった文章ですが、読んで頂ければ幸いです。
大好きなので、大好きなのは辞めないと思うんですが、思い出にして前に進みたいのでさよならします。
私が岡崎和寛くんを知ったのは高校三年くらいの時でした。当時、テニミュを好きな友達がいて、テニプリ原作が好きだった私はものの見事に引き摺り込まれました。
高校三年生は受験で遠征もできず(地方の貧乏学生だったこともあり)、短大の一年生になって初めてテニミュに行きました。最初に行ったのは公演ではなくて大運動会2014だったけれど。
そこで初めてテニミュを浴びて、目の前で動く推しを見て、岡崎和寛くんが好きなフォロワーとも会いました。幸せだったな〜〜楽しかった!障害物競走でビリになってみんなに見守られながらゴールする岡崎和寛くんの深司めちゃくちゃ可愛かった。本当に可愛かった。夜公演の前にブロマイドが売れ残っててフォロワーと落ち込んだのはいい思い出(よくないけど)(公演後は売り切れてた)
運動会に神尾が欠席で、公演の後に神尾のスペースを空けて不動峰で写真撮っててすごいほっこりしたなぁ。
その後、セカンド全国立海が始まって、岡崎和寛くんが好きなフォロワーや友達と観に行きました。実はその全国立海の公演期間中に私を岡崎和寛くんに肯定される出来事が起きてしまいました。確実に身バレするから書けないけど。
私は親やクラスメイトにずっとずっとそれを否定され続けていて、それをすること自体はすごく好きなんだけど、時々ものすごく嫌気が差すことがありました。しかもその出来事の直前に、ショックな事があったので余計にきつい時でした。
うーん、ぼかして書こうとしているので訳の分からない文章になっていて申し訳ないです。でも、とにかく自信がなかったとだけ分かっていただければ大丈夫です。
そんな時に推しに"それ"を肯定されてしまったんですよね。今考えればそりゃやばいですよ。ずっと否定され続けていたことを推しに肯定されたんだから。
それからはなんかもうすごくて、超しんどかったけど何とか立ち直ってそれを続けられて、今でも続けられています。こんな幸せなことあるか〜〜?!ない!
そのきっかけで不動峰のオタクのフォロワーができたし(それまで岡崎和寛くんが好きなフォロワーとリアルの友達くらいだった)なんなら今でも超仲良いフォロワーがいます。
高校の個人ホムペを見ていた頃、好きだった方と繋がれたりとかもありました。いや〜〜すごいな?!
岡崎和寛くんのおかげで、好きなことを続けようと思えて、狭いインターネットの世界がすこし広がって友達ができました。
全国立海の公演期間中、ほんとうにほんとうに幸せハッピークソ野郎でした。
所詮行く公演も少ない在宅オタクだったのですが、日替わりレポをチェックしたり、かずくんとゆうきくんの差し入れ合戦を見てニコニコしたり、体調を崩してるらしいかずくんを心配したり、バルズのお揃いのキャップに湧いたり、全部新鮮だったので在宅でも楽しかった。
俳優オタク一年生だった私は何もわかっていなかったので、金を出すべきとか、公演沢山入るべきとか思いつきもしませんでした。周りにもそういう人がいる訳でもなかったし。本当に何も知らなかったしわかっていなかった。
今思えば沢山公演入っとけって思うけど。結局こうなってしまったんだから。
いやでもかずくんの日替わり天才だったよな〜〜〜〜本当に大好きなんだよなぁ。日替わりで日吉や裕太と仲良くなっていく過程をやって最後には友達になれたりとか。『深司信じられない』もかずくんはゲームが元ネタって知らなくて、偶然思いついて使ったらファンレターでゲームのネタだと知った、みたいなのとか。日替わり毎日考えなきゃいけないのに、全国立海終わった後は楽しかったです!の一言で終わらせてるんだもんな。
やっぱ天才だよなぁ
全国立海の大千秋楽をライビュで観て、最後の日替わりで泣いて(本当にあれはずるいけど天才だと思った)、映画祭があって(ドラキュラのかずくん会いたかったな〜〜行けばよかったな………)、ドリライがありました。
ドリライ、ライバルズの出番が鎬だけで謀反……って気持ちだったな。ソロ聴きたかったな。でもはじめてのドリライ楽しかった。
ドリライでは初めて岡崎和寛くんとハイタッチして驚きすぎて腰抜かした。いやだってまさかできると思ってなかったし俳優オタク一年生だったし。同行者の方にちょっと心配された(それはそう)
大好きだなぁ。
でもまさかドリライ2014が最後に岡崎和寛くんに会える機会だと思わなかったなぁ。
いや普通思わないよな?それで終わりだなんて。
確かにドリライの後に仕事決まってなくて不安だった気はするけど、元々仕事が多い人ではなかったし(書いてて悲しくなってきた…)そのうち決まるだろうと思ってたな。能天気だなその時の私。決まらないから安心しな。
ドリライが終わって、かずくんの仕事が決まらなくて不安で、サードのキャストが発表されて、そのなかに健人とまちゃがいて二人とも全国立海のアンダーやってて、サードのお披露目が近づいてて、かずくんの誕生日が近づいていった。
かずくんの誕生日にアメスタの配信が決まって、喜んで見た。すごい酔っ払ってたな笑 でも楽しそうでかわいかったな。
多分アメスタの次の日か前の日のどっちかだったんだけど、サードのお披露目にかずくんが行って、サード不動峰のキャストに囲まれててああもう先輩なんだなって思った。
健人とツーショット撮ってて嬉しかったけど複雑だった。多分まだいまいち健人を受け入れられてなかった。
それからはサード不動峰公演が始まって、チムライがあって、やっと健人の深司が受け入れられて、ルドルフ公演があって、ドリライがあって、サード不動峰が一旦テニミュから離れた。
かずくんはたまにツイッター更新して、その度に私はひっくり返るような気持ちになったりフォロワーからリプ飛んできたり、インスタ始めたり、インスタのお陰で数年ぶりに動いてるかずくんを見れたりした。
Love's by keyのパーカー買ったりもしたなぁ。まだ家にある。捨てられない。
なんか五年ってすごく長い時間のはずなのに、アメスタからかずくんのことで何があったかが数行で終わってしまうの、とても悲しい。数行ぶんくらいしか私は知らない。
当然といえば当然だ。その時から岡崎和寛くんは俳優の仕事をしないつもりでいたのだろう。むしろ気まぐれでツイッターを更新したり、インスタを更新していたことが奇跡だったのかもしれない。
インスタのタグ付け?で岡崎和寛くんが何か他の仕事してるんだろうなっていうのを知ったもんな。
岡崎和寛くんが今何の仕事をしているのか、結婚しているのか、してないのか、なにもわかんないけど、わかんなくていいけど、幸せに暮らしていてくれればいいなと思います。
話がすっ飛びますが、12月19日からサード全国立海後編が始まりました。ライバルズ、つまり健人の深司くんが出ています。
健人にとってはセカンドでアンダーで出ていた公演にようやく出るってことなんだなと思うと本当にエモすぎて死んでしまう。
ここまで長いようで早かったなぁ。いや長いか。
私の取れたチケットは12月23日の公演でした。あれだけの倍率で取れたチケットがこの日ってもうめちゃくちゃ笑ってしまった。だってこの日岡崎和寛くんの誕生日だよ、私早くこの日をなんでもない日にしたかったよと思った。軽い気持ちで申し込み出すもんじゃないなと学んだ日でもありました。(あとでにちかちゃんの誕生日だってことも知った。おめでとう)
今年もまた12月23日が特別な日になりました。きちんと岡崎和寛くんの誕生日ケーキも食べました。テニミュを観ました。凄かった。
もうね、私絶対これ岡崎和寛くんに観て欲しい。絶対絶対観てほしい。健人の中に岡崎和寛くんが生きているよ。本当だよ。でもそれを伝える手段が無いに等しいんだから笑っちゃうよなぁ。
次から少しネタバレなのでまだ全国立海後編を観ていない方は数行飛ばしてください。
まさかスポットをねらえが聴けるなんて思ってなかった。メドレーがファーストのままだからだろうけど。
あとやっぱり一番は日替わり………かずくんがセカンド全国立海で日替わりやってたシーンと同じシーンで健人も日替わりやると思わないじゃん。ビックリしすぎてひっくり返るかと思った。そんなのエモすぎて死ねるじゃん。それにまさかGMKKもやるなんて思ってなかったし。
健人が。セカンドでアンダーで出てた健人がサードの全国立海でGMKKやってるの、マジでマジでエモい以外の言葉でどうやって表せばいいんだ。こんなことってあるか。
とどめはGMKKのコールだった。深司だった。
都合のいい深読みしすぎなオタクだから、岡崎和寛くんが誕生日だから深司がコールだったんだなと思ってしまった。
本当にこんなの死んでしまう。
チケットはその日の公演一枚しかなくて、まあ実際観たらもっと観たくなるだろうなと思ってたけど、とんでもなく満足してしまったので今のところその欲があんまりない(いや、チケットがあれば行きたいけど………)
あと、色々見てて気付いたことがあるんだけど、健人のなかに岡崎和寛くんが生きている。どうとか具体的にはあまり書きたくない…………けど確実にそうだと思う。
健人にかずくんの深司がどう写ってたのかずっとわからなくて、正直かなり不安だったけれど、健人のなかに岡崎和寛くんが生きてることが分かってすごく嬉しかった。本当にうれしい。
よかったな〜〜本当に良かった。
さよならします!思い出にします!って言ってここまで書いた癖に会いたくて仕方ないな。かずくん、本当にキモくてごめんなさい。
私はずっとずっと岡崎和寛くんに直接会って、私を肯定してくれたことにお礼を言いたくて5年も引きずっていました。もうここまできたら呪いだよ。どうしてこの程度のことぐらいが叶わないんだろう。不思議だなあ。
つくづくオタクと推しを繋げているものって脆いなものなんだなと思う。推しが行方をくらましたらもうオタクは推しが何をしているのか、生きているのかすらわからないままなんだよ。
改めて考えるとめちゃくちゃしんどいな。当然のことだけれど。
推しにはオタクのことなんて気にせずに生きていてほしいと思う反面、推しのことが知りたくて仕方ない生き物だから仕方ないのかな。矛盾しかなくて本当に面白い。
岡崎和寛くんがサード全国立海後編に行ってくれたらもう思い残すことがないので、安心して死ねるなぁ。人生短いけどできるだけ思い残すこと無い方がいいじゃないですか。自分ではどうにもできないけど。
どうにか行ってくれないかな〜〜そしてそれを教えてくれたらいいな………
だらだらと色々書いてみて、とんでもなく短い間だったけど私は岡崎和寛くんにいろんなものを貰ったんだなと思いました。
テニミュがめちゃくちゃ楽しいと思えたこと、付き合いが長くなるフォロワーと知り合えたこと、自己肯定感、幸せな思い出、沢山沢山貰いました。岡崎和寛くんがいなければここまで沢山幸せなことがあったかどうかわかりません。本当にあの時は幸せでした。岡崎和寛くんにはどんなに感謝してもしきれません。
岡崎和寛くん、本当にありがとう。あなたがいなければ私は今どうやって生きていたのかあまり想像ができません。多分今よりもっと死にたかったと思う。
直接会ってお礼を言うことはもう叶わないので、届きもしそうにないところからお礼を言わせてください。
どんどんn活躍していて。
自分が応援できることは投げ銭というか、課金と言うか、お金出すとかファンレター書くくらいしかできん・・。
この、文章の力が弱まっている時代に。文章くらいしか一般スキルが無い自分がつらい。文章を書くのも、読むのも(読解力)、現代人は弱まってるので、文字のアドバンテージや影響力はどんどんへってるよなー。
お絵かきしたり音楽作れたりする人にあこがれる。音楽は少しだけ手を出したことがあるが挫折したしなあ。そうすれば推しに直接的に応援になるのに。
とりあえず手を出してなんか、やれば。いいのかも知れんが。最初の一歩が踏み出せない。
自分なりに愛情表現の仕方はいろいろある。文字以外には造形とか。それやりたいなーと思いつつも重いケツがなかなか上がらなかったり、基本的なタスク処理スキルが足りてない、という致命的な問題もあるなー。
社会って、なんか、視聴覚に訴えてわかりやすいことばかりじゃなくて。視聴覚にわからんけど重要な事やってることなんてたくさんあるわけで。インフラとか。
自分もその。一般人にはわからんし、そもそもそんなものの存在すら把握されないような仕事だし、そのすごさを伝えることも難しいのだろう。もちろん推しにも・・。
遠距離恋愛というか。なんというか
自分のテリトリーとするスキルを、推しがすごーいと言ってくれることは無いだろうカテゴリなんだよな。
自分自身よりも、自分の成果が評価されてほしい。でもその成果物の製作者は俺!ってわからなくても良い。(わからないほうがいい)
ただ俺は幽霊みたいに俯瞰して、「どや。俺の成果物、すごいだろ・・・」と空から腕組みして見守っていたい。みたいな。なんかそういうイメージ。
それはそれで半分くらいすでに実現してるんだけど、うれしさと寂しさが半々に襲ってきて複雑な感情すぎてよくわからない。
例えるならビットコインの開発者とされるサトシ・ナカモト氏みたいな存在。
それに近い存在っちゃそうかもしれん、たぶんこの記事を見てる人の家の中に俺の成果物がたぶんあるかも知れない、っていう。そういう成果物なので・・・。
どや。すごいやろ