はてなキーワード: 隠蔽とは
286 ソーゾー君 2015/02/07(土) 20:07:26 7VEQQSEs
イラク戦争の時に小泉は「自衛隊に死傷者が出たら渡しは責任を取る!」と言って憲法を無視して自衛隊を派遣した。
自衛隊が移動に利用していた列車が爆破されて脱線事故をした時に、死傷者が出ています。
国の為に戦った自衛官を国内での事故死や自殺者と言う事にしてその命を汚しました。
こんな状態で派遣は無理だ。
これは許される行為ではない。
隠す必要などなかった。
情けないだろ?w
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1422199606/
286 ソーゾー君 2015/02/07(土) 20:07:26 7VEQQSEs
イラク戦争の時に小泉は「自衛隊に死傷者が出たら渡しは責任を取る!」と言って憲法を無視して自衛隊を派遣した。
自衛隊が移動に利用していた列車が爆破されて脱線事故をした時に、死傷者が出ています。
国の為に戦った自衛官を国内での事故死や自殺者と言う事にしてその命を汚しました。
こんな状態で派遣は無理だ。
これは許される行為ではない。
隠す必要などなかった。
情けないだろ?w
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1422199606/
286 ソーゾー君 2015/02/07(土) 20:07:26 7VEQQSEs
イラク戦争の時に小泉は「自衛隊に死傷者が出たら渡しは責任を取る!」と言って憲法を無視して自衛隊を派遣した。
自衛隊が移動に利用していた列車が爆破されて脱線事故をした時に、死傷者が出ています。
国の為に戦った自衛官を国内での事故死や自殺者と言う事にしてその命を汚しました。
こんな状態で派遣は無理だ。
これは許される行為ではない。
隠す必要などなかった。
情けないだろ?w
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1422199606/
日本人から留学したりして日本文化や技術を学ぶ→習得後口先で日本に感謝の言葉を述べながら帰国→帰国直後は日本から教わったと公言しながらそれを広める→数年後、なぜか突然この文化は自国で数百年前から伝えられてきた文化だという作り話をし始める→日本のその文化は自国のこの文化が伝来したものだと話が変質し、枝葉がついてついに起源を主張し始める→日本はまた朝鮮人が馬鹿なことを言っていると無視→数年後、突然国連文化遺産に申請したり他国に自国起源の文化だとして国家予算を使って広め始め、日本の文化が自国のパクリだと主張し始める→別のものでまた文化盗難と起源主張を始める
朝鮮はついこの間まで中華国家の属国で文化も文字も存在しない土人国家だった。旗は大清属国旗を未だ使っており、国名も大日本帝国のパクった名前。当然教えるほどの歴史もなく、自国と自民族に対する尊厳が保たないから知恵を絞った挙句他国文化をパクって自国のものと主張したり、都合の悪い歴史は隠蔽して妄想ファンタジーを歴史だとし始めた。国全体が統合失調症でサイコパスとか本当に気味悪い連中だよ…
■その1。
久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。
……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気、ハートフルな人情ものを志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクターの個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリーが相対的に弱く、物語のバランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。
しかも、この作品の場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語の方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語の転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。
しかし、登場人物たちとの交流や恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品を評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマの主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。
あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢で方向性が似たものが多く、プレイヤーがストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活を俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。
■その2。
この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的にAVGのシステムで作られているので、その辺の違和感が最後まで気になってしまった。
全体としては、ストレートな物語を志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。
冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所と短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。
また、[エロゲーの主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。
また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近のエロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。
先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。
霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。
その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。
看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオの最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。
しかし、諦観と怨嗟が交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。
[生を肯定すること]をテーマに据え、病院を舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。
総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。
■忍び寄る総括。
個人的意見。えっ、紅葉とラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台の病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/12/22/132058
まともな人間なら、自分の「人生」は目的、「ビジネス」はそのための手段、と分けている。
しかし、他人にとってはその「人生」こそが「ビジネス」の対象だから、奪い合う。
「ビジネス」とは、損得勘定で他人の「人生」を解体して、自分の富を増やすこと。
その逆もしかり。
「ビジネス」においては、他人の「損得勘定」で、自分の「人生」が切り刻まれる。
それがはっきりわかっていればいい。
最悪なのは、自分の人生が奪われているのに、他人の「損得勘定」を内面化して、自分の「人生」を他人に明け渡してしまうことだ。
ってことかと。
2月5日〜14日の間に色々な疑念が噴出しています。キーとなったのはPubPeerと2chのスレのようです。
- STAP細胞 - NAVER まとめ
- [PDF]CDBに保全されているSTAP関連細胞株に関する検証について
- STAP細胞の存在示す証拠がない - ハフィントンポスト
- STAP細胞、提供マウスと一致せず 共著の教授が解析:朝日 ...
最後に感想。私は今回の事件はシェーン事件、ES細胞論文不正事件といくつかの点で共通点があると感じました。
http://bittermilk.hatenablog.com/entry/2014/12/19/005137
何か他人(多くの場合は母自身)に迷惑を掛ける行為をすると、「そういうことは良くないことだからやめなさい」と言う替わりに「あんたって人は○○するなんて、人に気配りの出来ない最低の人間だ」みたいな叱り方をされた。
子の私に対してだけでなく、夫である私の父に対しても同様だった。そして私が成人して家を出て離れて暮らすようになっても同じ様な叱り方をしていた。
しかも叱るときの語気は激しいもので、相手に恐怖感を与える物だった。
母本人は無意識にそうしていた訳ではなく、「その原因になっている考え方を直さなければ同じ事を繰り返して本人が困ることになるからそのように叱っている」と言っていた。激しい言い方をするのも「そうしないと伝わらないから」と言っていたが、実際は本人の中で怒りのコントロールが効かなくなっていた、という方が正しい気がする。
その様に育てられたことから、当然の結果として他人に注意されることに対して過敏に反応する習慣が身についてしまった。最悪なのは自己保身のために他人に原因がある様な言い訳をしたり、問題を隠蔽しようとする習性を身につけてしまったこと。これでそれほど深刻でない失敗が原因で対人関係を決定的に損ねる経験を何度もしている。
そして注意されることに過敏であるために、それなりに重要な事案で本来他人に注意した方が良い場面で、言うべき事が言えないという問題も抱えてしまった。
>2chでまるか食品工場を見て汚いだの食品を作る会社とは思えないって言ってる人いるけど、
日清食品、サンヨー食品、東洋水産と比べるとまるか食品の工場だけ極端に汚い様に見える。
http://www.akb48matomemory.com/archives/1014899551.html
>もし君が食べ物を開けたときに虫が入ってた!って時に一企業と裁判する覚悟があるならツイッターでスクープしてやればいいと思う。
この理屈は元企業側の人間らしいな。意図的に企業を貶めようとした嘘であれば確かに訴訟の覚悟は要る。
でも本当に虫が入っていたらやはりみんなツイッターに投稿するだろ。それに対して覚悟を一々求めるのはおかしい。
去年12月にもごきぶりが混入しhttp://parasiteeve2.blog65.fc2.com/blog-entry-1145.html
今年10月には蛆虫が混入していた。http://www.tanteifile.com/geinou/scoop_2013/10/07_01/
その時に今回の様な対応をしたという話は聞かない。やっぱり隠蔽しているんじゃないか?
それ最近っていうか、総額表示方式が施行された平成16年4月1日以降の事を指しているのか?
総額表示方式は平成25年10月1日以降外税表示が一時的に認められる様に改正されているから『消費者がそこまで馬鹿』だとしたら逆に安く成った様に感じている筈。
https://www.nta.go.jp/taxanswer/shohi/6902.htm
総額表示義務の特例として、平成25年10月1日から平成29年3月31日までの間、「現に表示する価格が税込価格であると誤認されないための措置」を講じていれば税込価格を表示することを要しないこととされました。
売り手側の都合の良い理屈。当たり前なんだったらそれを知らない消費者向けに「我が社の商品は稀に異物が混入しています。コスト削減の為です」って分かる様に書いとけよ。
>正直今回の事件で食品メーカーの現状もとい、食べ物を口に入れることについての理解が得られていい方向に進むんじゃないかと思ってた。
あまりにも都合の良い考え方。本人も書いているが斜め上に楽観的。食の安全に関しては厳しく成る事は有っても緩くは成らないだろ。理由が無い。
>いや、俺に損害を与えるなんてもってのほかだツイッターでいかに危険か拡散してやるってことするのはちょっとやりすぎじゃない?
異物混入が当たり前、だとしたら当たり前の事がツイッターに書かれるのも当たり前では?何のおかしい事が有る。
混入事故を起こしておきながらツイッターには書かれたくないって態度は隠蔽そのものだろ。
丁寧な対応をしたらやはりそれもツイッターで広まってくれるんだし。
ワタミの「過酷すぎる労働実態」明らかに 過労死裁判で会社側が「是正勧告書」提出
2014年9月22日、東京地方裁判所でワタミ過労死裁判の第5回口頭弁論が行われた。原告(遺族)側が提出を求めていた「是正勧告書」や「指導票」をワタミ側が提出し、裁判は進展を見せている。
是正勧告書とは、労働基準監督署の調査のもと、労働基準法や労働安全衛生法に違反した企業に交付されるもの。その中には過重労働や安全配慮の欠如、残業代の未払いなど、ワタミの過酷な労働実態が綴られていた。
「安全配慮義務違反」の判断材料になるか 今回ワタミ側が提出したものは、数ある是正勧告書の一端にすぎないが、全国の労働基準監督署がワタミ各店舗に指摘している事項は、このようなものだ。
「労働者時間外労働協定における1日の限度時間(7時間)を超えて労働者に対して時間外労働を行わせたこと」
「時間外労働協定の特別条項における月の特別延長時間(75時間)を超え、かつ、特別延長時間まで労働時間を延長できる回数を超えて時間外労働を行わせたこと」
「労働時間が8時間を超える場合において、少なくとも1時間の休憩時間を労働時間の途中に与えていないこと」
「深夜業に常時従事する労働者に対して、6月ごとに1回、定期に健康診断を実施していないこと」
「法定時間外労働となる当該時間外労働に対して、2割5分又は5割(月60時間超え)以上の率で計算した割増賃金を支払っていないこと」
ワタミは2014年1月、自社で設置した「外部有識者による業務改革検討委員会」(第三者委員会)から、法令遵守と業務改善のための「調査報告書」を受領しているが、その中で08年4月から13年2月までに、全国の労基署から「是正勧告24件、指導票17件」を受けたことが明らかになっている。
これまでの裁判では、原告側がワタミ側に対し「是正勧告書」や「指導票」の開示を再三求めていたが、ワタミ側は「ただちに出すとは言えない」「本件との関連が薄い」として提出を拒んできた。
それが一転する形で、今回提出された。これは、森美菜さんが2008年6月に入社2か月で過労自殺した後も、ワタミが法令違反による是正勧告を受け続けていたことを証明するものだ。ワタミ側に安全配慮義務違反があったかどうかを判断する大きな材料が出てきたという見方もできる。
原告側の玉木一成弁護士は裁判後の報告集会で、是正勧告書などが明らかになったことについてこう評価した。
「労働実態を隠蔽することに対する厳しい批判が、ワタミ側に寄せられている。今回『隠蔽しきれない』としてすべて提出してきたのは、世論の力ではないか」
「日本全国、北から南まで労基署が是正勧告している。これは違反のオンパレードだ。これは美菜さんが従事した過重業務が、全国で蔓延していたことを端的に示すものであると考える」
さらに同じ集会では、遺族である美菜さんの父母がこう心境を述べている。
「求めていた是正勧告書、指導票が出てきて、美菜が勤め始めた頃にも、すでに是正勧告書が出ていたことが分かりました。ワタミ側が、事実を隠して対応していたことを憤りとともに感じました。ワタミはひとつの典型例。こういう実態を多くの人に知らせてほしいと思う」(父・豪さん)
「渡邉美樹氏は、国会での過労死防止法の席で『たった一人の犠牲者を出したけれど、これからはこの法案で頑張りましょう』と家族の会に握手を求めたと聞いています。しかしなぜその子が死んだのか、一切自分で検証しようとしない。そして、同じことを繰り返しているのが本当に許せない」(母・祐子さん)
遺族側からは今回、美菜さんの同僚だった元ワタミ社員からの陳述書も提出されている。11月20日に開かれる次回の第6回裁判は、双方の主張をもう一度整理し直す形となるようだ。
「こういうのも『人権軽視』の一種なのだろうな」(http://anond.hatelabo.jp/20141009224728)を書いた増田だが、参加者が増えたことによってますます流れが分かりにくくなってしまったな。
これは俺がうまく整理できなかったせいでもあるので、申し訳なく思っている。
もちろんギャラリーに対して、な。トラバ削除とトラバツリー汚しを繰り返して自らの醜態を隠蔽することしか頭にない相手方(http://anond.hatelabo.jp/20141010222658)に対しては軽蔑の感情しかない。
ちょっと考えてみたが、俺はこの記事で互いの主張の流れを要約・評価したうえで改めて出典を示し、以後はこの件に関して記事を書かないことにしようかと思う。
ただし、流れの追いやすさを維持したまま相手方の醜態を周知する方法が見つかれば新たに記事を書くかもしれない(良い方法があれば教えてほしい)。
その場合は、この記事に追記をする(つまり○○(新たな記事)を書いたのは俺である、とこの記事に追記する)方法で自分が新たに書いたものであることを示そうと思う。
1
俺が、前段で「表現の自由についてろくに知りもしない癖に偉そうに語っている(ように見える)連中を放置すべきではないのではないか」という趣旨を述べ、後段で「関係ないが」と断ったうえで、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多いのだということをここ数年で気づかされた」という趣旨を述べた。
2
これに対して、相手方から「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」という趣旨のトラバがついた。
3
俺からの反論として、「俺は公共の福祉によれば簡単に人権を制約できるなどと考えているわけではない(実際最初の記事にそのようなことは一言も書いていない)ので、トラバは的外れである」ことを指摘するとともに、「人権を十把一絡げにして各権利の性質を考えることなく『制限は極めて厳格でなければならない』などと述べるのは人権論をまともに理解していないのではないか」という趣旨を述べた。
ここで少し補足しておくと、「表現の自由」は人権の中でも優越的な地位を占めるとされ、これに対する制約の合憲性を判断する際には厳格な基準によらねばならないとされる。このような理解が前提にあるので、人権一般について、「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」などと表現することは、法学をやっている者にとって非常に違和感がある。
4
相手方から「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点なのにも関わらず人権制約と大きい枠組みに逸らしている」という趣旨のトラバがついた。
この時点で「3」のうち俺の「的外れである」との指摘については無視されているように思われる。
5
俺からの反論として、第一に「人権制約の話をするにあたっては予め『関係ない』と断っている」、第二に「『公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多い』という結論を導き出した根拠として、表現の自由に関連する最初の記事前段の2つのリンク先に限定せず、『それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状』を挙げている」ことから、後段の人権制約に関する話の争点は「表現の自由」ではない(人権一般である)という趣旨を述べた。
6
相手方から、第一に「人権論が学問的営為であることの周知をすべきであることと公共の福祉によって人権が制約されうることの周知がなされていないこととは関係がある」、第二に「表現の自由に対する制約も人権制約であるから関係がある」という趣旨の「反論」がなされた。
このような流れをふまえれば、「6」が反論になっていないことは明らかだろう。
相手方は「4」で、「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点」なのに「人権制約と大きい枠組みに逸らしている」と述べている。
これはつまり、一般的な人権制約ではなく、「表現の自由」が争点である旨を述べるものだ。
そして、これに対する反論として、俺は「5」を述べたものである。
http://togetter.com/li/729640
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/729640
どうしようもないな。
いつものことながら、こうも訳知り顔で「表現の自由」について語れる面の皮の厚さにはおそれいる。
おそらく、人権論が体系化された「学問」であるという意識がないんだろうな。
「人権」はさまざまに分類され、それぞれについていかなる範囲で保護されるべきか、ということが慎重に議論されている(大雑把な言い方だが)。
そうした事実を知らず、あるいは軽く考える人々を放置することは、「人権」を薄っぺらい理想論と捉え(議論の厚みを知らないだけなのに!)容易く切り捨てる風潮を蔓延らせることにつながるのではないか。
そうだとすれば、これも一種の「人権軽視」というべきだろう。
人権論の権威を高めるとは言わないまでも、学問的な営為であることを周知するためのなんらかの手当てが必要だと思う。
関係ないが、昔ある人と「公共の福祉」について話したことを思い出した。
そのとき俺は、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるなどというのは誰でも知っている常識であって、皆それをふまえて議論している」という趣旨のことを述べ、相手は「いや、そのことを分かっていない人も結構多い」と応じたように記憶している。
それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状は、相手が正しかったことを明らかに示していると言わざるを得ない。
Mさん、俺が間違ってました。
後段(「関係ないが」以降)だけを読めば、これはどう読んでも人権一般に対する制約の話であって、「表現の自由」に限定した話とは読めない。
しかし、前段と関連させて読んだ場合、後段についても「表現の自由」に限定した話と読む余地が出てくる(その場合相手方が「2」で「極めて厳格」との表現を用いたことは、不自然とは言えない)。
そこで、「そういう読み方はしないでくださいね。前段と後段はまったく別の話であって後段は人権一般に対する制約について言及したものですよ」と注意喚起するために(も)、俺は「関係ないが」と断っているのである。
したがって、相手方が「表現の自由に対する制約も人権制約の一種である」などと主張することには意味がない。相手方は、人権一般ではなく表現の自由が争点だと述べているのだから。
相手方が主張すべきは、後段のみでも表現の自由に限定した話と読めることなのである。
本件に関して意味ある主張のやりとりはこの程度であって、後は相手方が勝手に、
なお、俺がこの件に関して書いたのは、本記事及び出典中の奇数番号の記事のみである。
今後新たに記事を書くことがあれば、適宜追記していく。
「こういうのも『人権軽視』の一種なのだろうな」(http://anond.hatelabo.jp/20141009224728)を書いた増田だが、「俺としては」(http://anond.hatelabo.jp/20141012230339)に対する相手方の応答が、相手方の過去記事(http://anond.hatelabo.jp/20141010222658)にさらに追記する形でなされていた。
ギャラリーのトラバツリー閲覧容易性を損なう旨注意喚起したにもかかわらず、過去記事への追記という形式を継続するようだ。
また相手方は自己のトラバの削除をさらに進めたようで、己の醜態の隠蔽に余念がないという印象である。
以下、すでに述べたことを繰り返しておく。
「そろそろお前のみっともなさが誰の目にも明らかになったので〆る。」(http://anond.hatelabo.jp/20141011093814)までですでに相手側の醜態は明らかとなっており、俺の側から主張として付け加えることは何もない(というより、付け加えることがあるなら〆られていない)。
しかし、「まともに知識もないくせに、そのテーマについて何事かを語れる、他人を批判できると思っているような人間」を放置するべきでないというのが俺の述べたかったことの1つであるから、当然まともな知識もなくつっかかってきたこの相手方についても、(相手方が反抗的な態度をとる限り)一切容赦するつもりはない。
というわけで、暇な人は相手方の無様をひきつづき観察してもらいたい。
なお、相手方の度重なるトラバ削除等により記事の流れを追うのが難しくなっているため、以下にまとめておく。
見どころは、
あたり。
を加えても良いかもしれない。
「単純に考える」ということの意味を分かってない人って多いのかねー。
「難しい問題を単純に考えたら失敗するだけだ」みたいなこと言ってる人を見かけたんだが、まったくそんなことないから。
「難しい問題を単純に考える」ことができる人こそが、その問題を解決に導くんだよね。
単純に考えられないってことは結局その人の力量が不足してるってことなんだよ、ほとんどの場合。
たとえば素人さんにはとても手が付けられないような複雑な事件も、実体法をしっかり勉強して要件事実も学んだ法律家であれば、かなり単純な要素に切り分けることができる。
だから、(俺は読まないけど)自己啓発本とかが「単純に考るのがよい」と言ってるなら、それ自体は正しい。
ただ、「単純に考える」という行為自体は簡単な事でもなんでもなくかなりの修練が必要である、という事実を隠蔽してるだけでね。
【追記】
俺が見かけた分かってなさそうな人(の一人)がやってきてて笑った。
単純に考えることと大雑把に考えることとは違うって説明してるんだけど、案の定分かってないなあ
479 ソーゾー君 [] 2014/09/02(火) 21:48:31 ID:WSm0WJvk Be:
http://gensen2ch.com/archives/4743163.html
「大東亜戦争の戦前、戦中に強制連行で連れてこられたと言うのは嘘なのw」
「大東亜戦争の戦前、戦中に日本の本土で働いていた朝鮮人は全て違法入国なのw」
「て言うか~大東亜戦争の戦前、戦中(朝鮮併合以降)日本政府は朝鮮人の本土入国を規制してましたw」
「て言うか~大東亜戦争の戦前、戦中に本土に違法入国した朝鮮人は大半が日本の敗戦と共に帰国しましたw」
「帰国した理由は「敗戦国の国で暮らしたくないから」だとさw」
「少数だけど残った連中もいますwコイツ等は「身分が低い」「天涯孤独」「ゴロツキ」でしたw」
「少数だけど残った連中は全てではないがGHQと結託して悪事の限りを尽くしましたとさw」
在日には二種類居る事を理解した?そして日本に一切非がないことも理解した?
「大東亜戦争の戦中戦中に来た連中は密入国の犯罪者」で「朝鮮戦争の済州島事件の時に来た連中は難民なの・・」
で・・この難民を受け入れて関西のある地域に住まわせて難民手当てを支給したのが
難民手当てだと正体がバレて被害者演じられなくなるし、受け入れた日本政府=霞ヶ関のクソ役人と自民党が
批判されるでしょ?
「だからこの事実を隠蔽する為に双方が結託して生活保護に変えたのw」
「て言うか~生活保護も違法なんだけどなw自活能力のない外人は強制送還ですからねw
「認定するのは霞ヶ関のクソ役人ですw毎年増え続けてますねぇ・・」
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1388615873/
パターン1
A「この◯◯って俺さんとか得意な分野だよね」
俺「そうですね。やりましょうか?」
パターン2
A「この◯◯って俺さんとか得意な分野だよね」
俺「そうですね」
パターン3
A「この◯◯って俺さんとか得意な分野だよね」
俺「そうですね。どうかしたんですか?」
昔はパターン1が正解かなあと思っていたし、あまり考えずに素直にパターン1で応対していた。でも面倒だということに気づきパターン2に移行していった。だがそれだと味気ないなと考えた結果、パターン3が良いのではないかと思い至り今は意識的にパターン3 で対応している。
パターン1は相手の要求が言外で隠蔽されているのにこちらの提案は言語化されてしまっており、まるでこちら側に能動性があるように見えすぎて釣り合わない。
パターン2はそういう心配は無い。しかし相手の心情を汲み取れないという評価になる可能性が高く、会話も続けづらく冷たい印象を受ける。
パターン3はある意味パターン2よりももっとKYかも知れない。相手は要求を言外に隠蔽しておきたい可能性が高いが、それを無視するからだ。だが相手と継続的にやりとりを続けたいという意識は伝えられる。
自分はパターン1が自然な対応だったけれど、そして周りを見回してみると、パターン2やパターン3が基本パターンに見える人も結構いる。この変化や対応方法に自覚的になったのは最近で、まとめてみて自分の考えていることの面倒臭さにおののいた訳だけれど、こういったことを意識している人ってどれくらいいるのだろうか。
今までサフなんかいらんやろ派だったが、改造で下地の色を統一したいのと、上に乗せる色が白だから初めてサフを買ってきて吹いてみた。
白サフにちょびっと普通のグレーの1000番相当のサフを混ぜて吹いた。
白サフだと思って買ったがベースホワイトっていう、隠蔽力の強い普通の白らしいが。
実際のところ、吹いてみると化粧のノリが良いっていう感じで上に乗せる白がちゃんとキレイに発色してくれる。
こんな良い効果があるならもっと前からサフ吹いときゃよかった。
ただサフって要するに溶きパテだから手持ちの0.2mmのエアブラシじゃすぐ目詰まりしちゃう。
朝日新聞社が慰安婦報道で撤回して謝罪しなくて自社に批判的な広告や記事の掲載を拒否してとかで散々なことになっているようなのだが、この件の内容については妙なこと書くと右からも左からも袋叩きにされるので止めておくとして、少なくとも明らかなのは、撤回宣言後の朝日新聞社の対応がどうやら最悪で、社そのものにとってことごとく評判を落としており、権威が地に落ちてしまっていてよろしくないということだと思う。これまでもマスコミの権威は、インターネットが普及して以来落ち続けているとは思うが、曲がりなりにも日本のクオリティペーパーの一つとして、今回の件は致命的な問題のように思われる。よほど朝日新聞的思想こそ真理と凝り固まっていない限りは、知的な人間を自認するものならば、今回の対応が重大な問題だと認識するだろう。全体として、意思決定機関の取っている行動が悪すぎる。朝日はまるで、自分で自分を殴りつけるようなことをしているようだ。ただ、そうだとして正しい対応はなんなのだろう。ひたすら平謝りすべきか。様々な批判や批難をすべて掲載した上で、なお開き直ればよかったのだろうか。僕だったら後者かなと思うが、実際それをやったらうまくいくものだろうか。まあよくわからない。
同じ構図は理化学研究所がそうであるように思う。理化学研究所が当初は小保方擁護のために動き出したのは確かだろうが、少なくとも3月の時点で、ほぼ不正と捏造であろうということで事態の収集に動いていたように見えたし、あのころの理研の見解によれば少なくとも今より数カ月前には懲戒処分が終わっているはずだった。だけど結局事態はまったく収集せずに、なにかを隠蔽しようとしている理研、笹井さんを自殺に追い込んだ理研というふうにことごとく評判を落とし、権威が地に落ちてしまっていてよろしくない。野依さんの立場に別の人間がいて、その人間がうまく事態を収集できたのならば、それは現在の野依さんを批判する理由になるのだろう。ではどうすればよかったかというと、最初の記者会見の時怒りのあまりムスッとしていた野依さんが、その科学者としての直観のままに、科学の名のもとに「笹井さんも含め」厳しい処断をまずしておけば、と僕だったら思うが、実際それをやったらうまくいくものだろうか。わからない。
というわけで、危機的状況に置かれた時、僕にはどのやり方が正しいのか分からないが、世の中のどこかには分かる人がいるんだろう。昔から言われていることだけど、やはり日本的組織にはもっともっとリーダー、マネージャーとしての手腕のある人が必要なんだろうなぁ。カルロス・ゴーンみたいなの。
うわさに聞くところによれば、ハーバードビジネススクールとかはいろいろなケーススタディを繰り返すのだとか。前述のように、手段はいろいろ思い浮かぶけれどもどれならうまくいくかはわからない、という状況に対し、ケーススタディは非常に有効な指標となりそうだ。少しかっこつけて言えば、歴史に学ぶということなんだろう。その中に、上記のように、組織に危機的な状況をもたらすような事件が起こったような対処の仕方、というようなのがあるのかも。
少なくとも私が知るかぎり、大学・研究所にそんなトレーニングを受けた人はいない。官僚だと、MBA留学してる人がいるはずなので、そういう人材がいるのかも。ただまぁ、あまりいいたくないけど、文科・厚労の官僚のレベルと、財務・経産・外務の官僚のレベルには明らかに差がある。やはり私の昔の友人とかで優秀な人間はほぼすべて後者にいるからなぁ。とすると、大学・研究所を指導したり、そこに天下りしてきたりする文科・厚労の官僚がそういうふうな優秀な素養を持ってるってことはあまり期待できないのかもなぁ。朝日新聞はどうなのかな?東大法で固まってそうなイメージあるけど・・・
まあ、MBAなんていうことはまったくわからずに書いているので、実際にMBA取った人がいたとしたら教えて下さいな。大いに自説をぶっていただき、いかにMBAが素晴らしいか(もしくは私が言うほど大したもんではないか)を教えて欲しい。もし前者だとするなら、次の日本の組織の危機的状況にあたってはMBA取得者が対応していただけるように、出世に邁進していただきたいものである。今回の朝日や理研の件を例にあげて、自分ならいかにうまくやれるかをプレゼンしていただきたい。研究機関でもよろしくおねがいしますよ。