はてなキーワード: 道化とは
あーこれは、匿名空間に限らず今まで人にものを教えた経験が多分少ないでしょ?
信頼関係が形成されてない状況で、いきなり侮辱から入るのは、クリエイティビティを増すのではなく奪う効果しかない。実際に知識を持っていたとしても、マウンティングが目的だと即座にバレる愚行だ。
考え方が整理できてない。
「まだイメージできてないと思う」「ぼんやり考えてるだけじゃ」など、相手の心を削り、モチベーションを割くことに終始している。聞かれてもいない、やるべき論を押し付けて締める独りよがりさに身勝手な性根が透ける。一方で、「絶対に具体的な謎解きを思いつく」など自説の無根拠な称揚があるのは、道化になっている自分に気づいてない証拠だ。考えが整理できていないのはあなただと思う。
「魔法でものを別のものに変身させて謎を解くみたいなゲーム」って、考えた側はそれだけで満足しちゃうけど、実は何一つ具体的じゃないアイデア。
それだけで満足している様子は文中のどこにもない。
具体的さは、どの抽象レベルにあるかによって異なる。すべてのアイデアは具体的だと言えるし、逆に具体的でないとも言える。人を支配するのを目的として、無敵ワードを運用している。
正直、あと一歩ではない。
もしあなたのアドバイス風マウントレターが広く一般に向けられた記事だったなら、俺も、とやかくいうことは無い。ただスルーする。
どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。
これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人の自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。
・生い立ち
私はごく普通の環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分は一言でいうと優等生気質だった。学校の勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプの人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。
小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋な身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からはブラスバンドをやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。
中学では周りの部員が吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽室から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師が黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔な信者であり、親や先生にほめられている優等生の自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間性からどこかで破綻すると思っていた。
高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラルや教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校の部活は軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問が専任を希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプの人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力。中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人にアプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験はもっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力の限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しかし高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生からも勉強ができるという認識をされていた。
3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本や演出を担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通に大学に行くねとなった。
問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。
「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」
親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊な制度をもつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内の大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。
1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。
「大学では勉強、サークル、恋愛、バイトのうち2つしかできない」
勉強は好きではないので、サークルとバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオで個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金がショートした。親にバイト禁止されていたため練習や交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。
大学の授業はひどく不親切であった。大学のレベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義で解決してしまうものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかりやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間の無駄に思えて次第に講義も休みがちになった。
それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなものが大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。
・崩壊
初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生を謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義も存在しない。正義と道徳に立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。
そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから、黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分の無能さを騙して生きていたのかもしれない。
さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費の負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動は事実上全部やめ、バイトと勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情を説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。
人にやさしく優等生してきた自分の生き方への批判と自分が仲良くしている人たちへの非難のダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。
数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルやバイト、恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分の無能が隠せなくなってしまったのである。
3年目は再びバイトを禁止した。クラスでの試験対策の仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだり大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分で学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境のサポートがあって自分で勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。
公正世界仮説、評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学のいじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。
・専攻決定
4年目にして2年生。この年は諸々の事情でクラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。
そして、4年前に選択を先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強は面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職は卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。
理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学のシステムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間に選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。
このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。
5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。
3年生の必修は実験だけだったので、他の単位を犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単な文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。
溜まりに溜まったレポートは夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。
4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続きと入試勉強、足りなかった単位の試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。
学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力が要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。
親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなたは世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般の評価が邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。
やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークルで作曲を体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。
・進学と私
大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部生時代に夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたからである。研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないから就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。
私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。
なんか「Vtuberはキャバ嬢!w」と言いたい奴に向けられたエサみたいな文章。
配信者を見下すとかバカにするとか、そんなもん配信ごとにノリが違うに決まってるだろうが。
じゃすぱーやスタンミは道化を演じ、それをリスナーがバカにする様をよく見る。
逆に釈迦はイジられキャラって感じではなく、度の過ぎたリスナーにはビシッと警告するタイプだ。
格ゲー界隈では「バカ決定戦」にヌキやかずのこが出演していたし、プレイヤーとしてのリスペクトを持ったうえでイジる文化がある。
ネモのように元・社会人の切れ者キャラの場合、知識や社会常識の無さでイジるノリではない。
結局は配信者によるわけで、「女配信者はバカのフリしなきゃいけない」ってのは思い込み。
言ってしまえばどう調教するかって話で、拾うコメントの傾向ひとつで配信の空気も変わるもんだ。
東大クイズ王が集まるQuizKnockの動画だって、ミスや知識のなさをお互い弄って笑いをとってる。コメント欄では道化を演じるメンバーが「こんな風にプライド捨てて笑いに変えられるなんてすごい」と賞賛される。仲のいい人だからこその「イジり」っていうのは、誰でもごく普通に行うコミュニケーションの一つだし、とりわけ配信なんかをやるならそれなりに派手なコミュニケーションが必要不可欠なのは当たり前だろう。もちろんその副作用に目を向けてはいけないわけではないが。
結局「Vtuberはキャバクラ」という結論が先にあって、その結論に向かって理屈をこじつけているだけなんだよな。少しでも実情を知っていれば実態にそぐわないことはすぐにわかるのだが、こういう人々は「俺が知る必要なんてない」と言い訳するための根拠を探しているんだから、まあ実情を知ろうとするわけがないよね。「見ればわかる」ものをいくら言葉で説明しても無駄。
Vtuber界隈が全くの無垢無謬だとは思ってないよ。例えば「キャラの固定化」というのはかなり問題があると思ってる。それぞれに演じたいキャラがあるはずなのに、不特定多数が関わる文脈の中で「この人はこういうキャラ」というレッテルが既成事実化してしまう。例えば、月ノ美兎と喋る時は「先輩」として謙るというのが「鉄板ネタ」になっているけど、月ノ美兎自身はそういう扱いをあまり好んでいなさそうに私は思う。樋口楓のことは恐怖の対象としてとりあえず怯えておく、とかね。樋口楓自身は調子いいお気楽な人だから、そういうネタにも乗っかってくれるけど。黛灰とかがその辺気を使って「あえて弄る」一幕なんかもあったけど、あれは必要な一幕だったと思う。
「この人には(この形式の)セクハラをしていい」みたいなのが暴走することもあるけどな。
Vtuber界隈自体が発展途上で、いい所も悪い所もたくさんあるけど。よく知らん奴が適当なこと言ってるのはすぐわかるもんだよ。本当に批判すべき、悪しき風潮というのは、実際にその内部で生きている人々にしかわからない。
ブログとか沢山文章を書ける場所を持っていないので持て余した感情を解き放ってすっきりしたい。
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25日クリスマスの土曜日にM-Line Special Make a Wishというコンサートに行ってきた。
M-Lineはアップフロントに所属する主にハロープロジェクトのOGメンバーを中心とした歌手活動を行うアーティストたちの総称というかファンクラブ名称。
私の参加した25日には元モーニング娘。の道重さゆみ、元Berryz工房の夏焼雅、元Juice=juiceの宮本佳林、元つばきファクトリーの小片リサが出演。
上記以外にも元℃-uteの鈴木愛理や元モーニング娘。の高橋愛や田中れいなが出演したり現役ハロプロメンバーがゲスト出演することもある。
ハロプロ同様ほぼ毎週末全国のどこかでコンサートをしていてセットリストも出演者も結構毎回変わるらしい(下調べせずに行ったのでこの辺は曖昧です)
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もともとハロプロ好きではあるがそこまで熱心にOGは追ってなかったものの、昨年juice=juiceを卒業した宮本佳林のソロデビュー曲として収録されている「氷点下」がとても素晴らしくてどうしても生で聞いてみたくて参加した。
https://www.youtube.com/watch?v=ejeKV4zq0EI
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しかしクリスマスということでハロプロソングの中からクリスマスソングをチョイスしていたり、今日だけの特別なセットリストを聞けたのは嬉しかった。
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道重さゆみのパフォーマンスを生で見るのは何年ぶりというくらい久しぶりだったのだが相変わらず彼女の放つ「かわいい」は強い。
道重さゆみが思う道重さゆみの最上級な「かわいい」を声、歌、ダンス、表情、ポージングすべてから感じて、ブレのなさ、セルフプロデュース力に改めて感服した。
卒業して何年も経つのに今でも道重Tシャツを着てコンサートに足を運ぶ彼女のファンの皆さんの気持ちに共感する。
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今回の道重さゆみ、夏焼雅、宮本佳林、小片リサという4人のメンバーの中で名も顔も一番知られているのは道重さゆみだろうが、
おそらくM-Lineの中心、エースというかセンター、顔とも言えるポジションになるのは今年ソロデビューしたばかりの宮本佳林(と、この日はいなかったが鈴木愛理)
歌もダンスも申し分ない実力のある夏焼雅といるだけで存在感抜群な道重さゆみはむしろ宮本佳林と小片リサを支えながらリードもする頼もしい先輩という立ち位置のような気がしていた。
(もちろん個人の感想ですし二人がこのコンサートの脇役という意味ではない。全員どう見たって主役だった)
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この4人の中で、小片リサはつばきファクトリーを諸事情で活動休止、脱退、そしてソロとして再デビューという少々後ろ暗い経歴があり、
なおかつM-Lineの中では活動歴が最も浅い後輩メンバーという微妙な立ち位置。
表向きはカバーアルバムを発表して、イベントではつばきファクトリーと和解する機会も設けられ新たなスタートを切っているものの、
自分がつばきファクトリーでは小片リサが好きだったこともあり、大丈夫かな、と不安で複雑な思いを抱えていた。
脱退の理由となっているものが他メンバーにも少なからず関わる内容でもあるため加護ちゃんの喫煙騒動のように個人の問題として自虐で昇華してしまうのも難しく(自虐にできるほど時間も経ってないし)
その経歴ごと小片リサが腫れ物扱いになってしまわないかと不安だった。
最初に復帰したM-Lineコンサートで暖かく迎え入れられていたというをレポを見聞きしていてもやっぱり不安なわけです。
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しかし行ってみればM-Lineではソロアーティストでjuice=juiceの元センターで売出し中の宮本佳林が自ら喜んでトナカイの被り物をしたり汚れ役と言うかピエロ?道化?を演じに行ってしまい、
その調子のまま小片リサや道重さゆみにも絡みにいき、道重さゆみには絡みにくいと困惑される状態。(とてもおもしろかった)
仮にこの被り物や道重さゆみという大先輩にグイグイいくような役回りを小片リサがしているとその経歴と元の彼女の真面目な性格から「罰ゲーム感」が出てしまうものの
M-Lineの輪の中心にいる宮本佳林が自ら引き受けてそこに小片リサを巻き込んでMCをしたり、SNSでも彼女との交流を重ねている様子をアピールしてくれているのは
小片リサが新たなスタートを切るにあたってとてつもなく温かい支援だと感じた。孤立させず、かと言って罰ゲームの空気も出さず、すごくうまいやり方でM-Lineに溶け込ませている。
宮本佳林の本心はわからないけどサポートのつもりでやっていると言うよりは恐らく心から楽しんで小片リサと交流を重ねているものと思う。
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そして今回目的であった宮本佳林の「氷点下」は聞けなかったものの小片リサのデビューカバーアルバムに収録されている「真夜中のドア〜stay with me」が本当に素晴らしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=LpFTzsG23Pw
クリスマスに失恋ソングかいな、と思ったがとくに最近失恋したわけでもないのに胸に響いて涙が出そうになり気づけば前のめりになって聞いていた。
ステージで毎週末歌い続けることで既出の動画や音源よりも完成度を高めてきたのだと思う。本当にこの曲を聞くことができてよかったと思う。
来年もM-Lineのコンサートは続き、ゲストを迎えながらのソロライブもする予定らしいのでより多くの人の耳に小片リサの生歌での「真夜中のドア」が届いてほしい。
パフォーマンスに関しては先述の道重さゆみが「かわいい」に全振りしているわけだけど、小片リサの場合は本当に彼女の真面目さというのをとても感じる。
ものすごく可愛いとか大胆でダイナミックだとかそうした派手さやわかりやすい特徴はないかもしれないが曲に対して真摯で丁寧。
そうだ、つばきファクトリー時代から彼女のパフォーマンスのこうした真面目な部分が愛おしくて惹かれたんだったな、と思い出させてくれた。
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コンサートの最後に歌われたのは「HAPPY大作戦」(モーニング娘。)だった。
「今日ここに集まっている人たちはみな違う個性を持っていて、まったく生まれたところも住んでるところ全然違って…あ、一部同じ服(道重T)の人もいるけど(笑)、それでも今日この日はここでこのコンサートに来たいと思って集まってくれたそのことが、そしてここにいるみんなが愛おしい(意訳)」と言ってくれてジーンと染み渡った。
このMCはおそらく「HAPPY大作戦」の2番の歌詞『君も 私も あの子も違うんが個性なんだよ』というところに引っ掛けて話してくれたのだと思う。
そうした部分にも道重さゆみらしさを感じて、きっと道重さゆみファンはまた彼女の虜になるんだろうなあと感服。
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そしてこの「HAPPY大作戦」の歌詞は、目の前にある仕事も勉強もなんだって全力で頑張るんだ、手は抜かない、そんでみんなで最高の未来をつくろうよ、なんて綺麗事とも取れるが
日々仕事や色々な面倒事、聞くに堪えないニュースを見聞きしている生活の中でふとこういう曲を聞くと、「あぁそうだな頑張らなくちゃな」と思えてしまうもの。
そしてこの曲は少し前にも一部でツイッターに話題に上がっていた。
秋元康がHKT48というグループに書いた「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という曲が簡単に言うと「女の子はバカでいい」とでも言っているようで女性蔑視的だと批判されたのだが、
(見てみるとびっくりするほど薄っぺらな歌詞なのでさすがにプロデューサーとしてこれを自分とこのアイドルに歌わせようと思ってしまうのどうなんだろうと思ってしまう)
それに対して恵泉女学園大学ではそれならばどういった歌詞なら良かっただろうか?という授業を行い替え歌が作られたという。
https://www.keisen.ac.jp/blog/president/2016/05/post-4.html
そしてその替え歌の歌詞がモーニング娘。の「HAPPY大作戦」的な世界観だとして一部で話題になっていた。
HKTの曲が話題に上がった(炎上した?)のは2016年頃のようだが自分がこれについてのツイートを知ったのは先月かそこらのことだった。たまたまRTで見た。
改めて聞いて、そうだ頑張らなくちゃな、学生の頃なんかはこうした歌詞を見ても斜に構えて綺麗事言っちゃってさ、と思っていたけど結局歳を重ねていくと色んなことに真摯に立ち向かって頑張っていかなきゃいけないんだと思わざるを得ないことが多くてこうした曲に立ち戻って勇気づけられてしまうんだなと思う。
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そんな明日も頑張って上司とやりあって最高の2022年を迎えるんだって気持ちになった。
おやすみなさい。
上記のリンクからわかる通り、『〇〇で草』など本文中に『草』という文字がある増田に対して『チョコエッグ🍫🥚』とトラバをすることがほとんどだ
表記にはやや揺れがあり、『チョコエッグ🍫🥚!!』・『チョコエッグ!🍫🥚』・『チョコエッグ🍫🥚🍫🥚』など、感嘆符の有無や絵文字の数は統一されてない
トラバの応酬からなるレスバトルの後になされることが多いイメージが私にはあったが、調べてみたらレスバトルとは必ずしも関係ないようだ(参考→ anond:20211203184639)
レスバトルの応酬による増田全体の雰囲気が悪くなることを嫌い、自ら道化となって『チョコエッグ🍫🥚』とトラバをしているのだろうと、チョコエッグ増田を初めて見た時に私は考えたがどうやら違うようだ
だとしたら、『チョコエッグ🍫🥚』とトラバをする理由は何であろうか?
私の予想だと【3】だ
増田でバズりたいという欲求があるもののバズれる文章を作成する能力が無いので、継続するだけで注目される【3】の方式で目立つことを考えたのだろう
ある程度の作文能力があるなら、脈絡もなくチョコエッグ発言をせずに、賛成なり反対なりトラバ元に合わせた内容で意見を投稿するはずだからだ
【1】や【2】が目的なら、たとえ文章が稚拙であったとしても何らかの意見を発表するだろう
それ以外に理由を思いつく方がいるなら、トラバやブコメで意見を頂けるとありがたい
もしかしたら、たし🦀増田など他の名物増田が、新たな言葉をバズらせようとしている可能性も捨てきれない
いずれの理由であろうとも、注目すべきは次回の『増田のやべーやつ番付』だ
前回の2021年11月場所(anond:20211121173123)の時点ではまだ活動は認知されていなかったので何ら言及されていないが、チョコエッグ増田が名物増田を目指しているなら、番付入りも当然狙っていることだろう
現在のところチョコエッグ増田はほぼ毎日のように活動しているから、このペースで継続していたら注目も集まり、次回の番付入りの可能性は十分にある
チョコエッグ増田は次回の番付に掲載されるのか? それまでチョコエッグ増田は活動を継続するのか? 番付掲載後も変わらずに活動を続けるのか? チョコエッグ増田が何らの意見表明をする時が来るのか? といったところが個人的に気になるところだ
センズマンザイホウーッス
昔の職業とかを見ていると案外昔も今も稼ぎ方の形というのは変わっていないのかもなぁと思ってしまいます。
今はタレントとかYouTuberとかでテレビやインターネットを介して道化が集まっておりますが
昔はその地方のそこかしこで道化が出てきて金をせびって帰って行ったのでしょう。
道化と書くからわかりづらいけれども、乞食と書くにはあまりにも背格好がキマりすぎているし
ですが、そうやって一時でも格好がつくように誤魔化した後に金をせびるから財布の紐やいろんなものが緩むのかも知れませんね
緩急という奴でしょうかね、違うかも知れませんね。
まぁ、気を引き締めていきましょうということで。
はてブやTogetterだと、「日本の一大事」みたいな感じで言及されるけど
世間では何の関心も持たれてないんだよな
温泉地にしてみれば「温泉むすめ」で来る人は、こんな炎上関係なく来る
知らずに来る人は日本全国ありふれた萌えキャラの一つ程度(言ってしまえば何もないのと変わらない)
実際、国の表彰対象になる程度には地域に貢献していたし、フェミがクレームを入れまくるという営業妨害しなければ、変わらず貢献するだろう
んじゃ、旗振りの著名活動家は除いて、SNS上だけで批判に賛同し、オタに反論することしかしない、似非フェミの活動が何に寄与したかって言うと、「なんにも」という所だろう
あえて言えば、「議論が深まっ太郎」か
Dappiもそう
大体、Dappi程度のことで野党に入れなきゃって人は、とうに投票に行って野党に入れてる人で、それで鞍替えって考えられないだろう?
Dappiをありがたがる人間はもとからネトウヨで、それで鞍替えって考えられないだろう?
でも、マスコミ動員してスクープぶち込めば、世間が変わるに違いないみたいな、旧態依然とした意識で活動しちゃう
国民を「知らずに扇動されてる道化」と見ちゃうから「知れば扇動できる道化」と考えちゃう
みんな、手元にツール持ってるんだからさ、肌感覚でわかるんだよ
Dappiみたいな存在がどういう物か
俺は小さい頃はとても明るいムードメーカータイプだった。クラスの中心でリーダーシップを発揮して引っ張っていくタイプではなかったものの、お茶らけて人前で話すのが苦にならないタイプだった。
当時髪はさらさらだったが、濡れると林家ぺーみたいな天パになった。当時は髪質なんて全く気にしていなくて、夢にあふれ明るい子供だった。
小学生の高学年ごろ、自分が周りの生徒と比べれて剛毛なことに気づいた。大人になれば綺麗な髪質になる、きっとトリートメントとかリンスとかすればなんとかなる。そんな認識だった。
中学にあがるといっきに髪質が変化していった。剛毛の太い縮れ毛生えてきて、うねりだし、髪が爆発しだした。
卒業までの間についたあだ名は「ちん毛」「陰毛」「チリ毛」「アフロ」「堅焼きそば」「スチールウール」散々だった。
学生時代の人間関係という名のスクールカーストにおいて、こういう負のステータスである重度の天パはカーストの最底辺で生きる羽目になる。中1の頃は、持ち前の明るさでお道化ていたが、「ちん毛の癖に調子のるな」と蔑まれ、いつもニコニコヘラヘラしていた俺はフラストレーションが溜まる思春期の同級生たちの捌け口となり、「何を言ってもいい」「何をしてもいい」相手になった。文房具を投げられ、男子トイレで首を絞められた。
運動も勉強もできない俺は、このあたりで心の底から人生がどうでもよくなってしまった。頑張ったところでどうせちん毛だし、どこに行ってもこれから先こういう目に合う事も凡そ想像がつくようになった。
学校に行くのが酷く嫌だったが、親に学校での扱いを素直に言うのはもっと惨めな気持ちになって辛くなって俺が立ち直れなくなりそうだったので、その事は黙りつつも学校を休みがちになった。
俺は学生時代の同級生の事は恨んではいないけど、もしも目の前で中学の頃の同級生が死にかけていて、俺が今すぐ救急車呼ばないと死んでしまうなら、俺は素通りすると思う。
出席日数はと学力は学年でドベだったので、近所の偏差値30の高校に通うことになった。
東京キラキラ総合職バリキャリウーマンに憧れて入った会社だろ?
ちょっと信じがたいレベルのバカ登場。「人気ランキング上位の企業」だけを根拠に
見下してた、などという邪悪な価値観を具現化するマジックショー。
辛いのはお前の感性が「会社を辞めた人」とか「ドロップアウトした人」を見下してるからだよ
お前を傷つけてんのはお前自身なンだわ
いや、お前だよ。お前。
自分で殴って傷つけておいて、痛いのはお前自身のせいなンだわ、って最低のクズの言い分。
辞めろというアドバイスはいいと思うが、元増田まで勝手にそこに含めて「ピッタリ合ってんだよ」「負けただけ」?
どう見てもマウントしたいだけの同類をかばうために、無理筋すぎる理屈を四苦八苦して引っ張り出してくる見苦しい道化。同じ穴の狢はお前じゃねえか。
神話や民話に登場し,人間に知恵や道具をもたらす一方,社会の秩序をかき乱すいたずら者。道化などとともに,文化を活性化させたり,社会関係を再確認させたりする役割を果たす。
ていう語釈が2番目で載ってた。あー、たしかにコムロくんそういう感じで受け止めてもアリだなーとw
でも、他の英和辞書、英英辞書などなどで見ると、一つ目の語釈「詐欺師、ペテン師」しか載ってないのなww
個人的には、皇室・王室スピンオフした繋がりで、ヘンリー・メーガン・ケイ・マコカンパニー的なものを立ち上げて面白ビジネスとか始めて、ガバっと儲かった収益をどっかの国際慈善事業とかに寄付したりして、ぐぅの音もでないセレブの地位をモノにして欲しいw ガンバってくれw