はてなキーワード: 道化とは
ブログとか沢山文章を書ける場所を持っていないので持て余した感情を解き放ってすっきりしたい。
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25日クリスマスの土曜日にM-Line Special Make a Wishというコンサートに行ってきた。
M-Lineはアップフロントに所属する主にハロープロジェクトのOGメンバーを中心とした歌手活動を行うアーティストたちの総称というかファンクラブ名称。
私の参加した25日には元モーニング娘。の道重さゆみ、元Berryz工房の夏焼雅、元Juice=juiceの宮本佳林、元つばきファクトリーの小片リサが出演。
上記以外にも元℃-uteの鈴木愛理や元モーニング娘。の高橋愛や田中れいなが出演したり現役ハロプロメンバーがゲスト出演することもある。
ハロプロ同様ほぼ毎週末全国のどこかでコンサートをしていてセットリストも出演者も結構毎回変わるらしい(下調べせずに行ったのでこの辺は曖昧です)
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もともとハロプロ好きではあるがそこまで熱心にOGは追ってなかったものの、昨年juice=juiceを卒業した宮本佳林のソロデビュー曲として収録されている「氷点下」がとても素晴らしくてどうしても生で聞いてみたくて参加した。
https://www.youtube.com/watch?v=ejeKV4zq0EI
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しかしクリスマスということでハロプロソングの中からクリスマスソングをチョイスしていたり、今日だけの特別なセットリストを聞けたのは嬉しかった。
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道重さゆみのパフォーマンスを生で見るのは何年ぶりというくらい久しぶりだったのだが相変わらず彼女の放つ「かわいい」は強い。
道重さゆみが思う道重さゆみの最上級な「かわいい」を声、歌、ダンス、表情、ポージングすべてから感じて、ブレのなさ、セルフプロデュース力に改めて感服した。
卒業して何年も経つのに今でも道重Tシャツを着てコンサートに足を運ぶ彼女のファンの皆さんの気持ちに共感する。
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今回の道重さゆみ、夏焼雅、宮本佳林、小片リサという4人のメンバーの中で名も顔も一番知られているのは道重さゆみだろうが、
おそらくM-Lineの中心、エースというかセンター、顔とも言えるポジションになるのは今年ソロデビューしたばかりの宮本佳林(と、この日はいなかったが鈴木愛理)
歌もダンスも申し分ない実力のある夏焼雅といるだけで存在感抜群な道重さゆみはむしろ宮本佳林と小片リサを支えながらリードもする頼もしい先輩という立ち位置のような気がしていた。
(もちろん個人の感想ですし二人がこのコンサートの脇役という意味ではない。全員どう見たって主役だった)
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この4人の中で、小片リサはつばきファクトリーを諸事情で活動休止、脱退、そしてソロとして再デビューという少々後ろ暗い経歴があり、
なおかつM-Lineの中では活動歴が最も浅い後輩メンバーという微妙な立ち位置。
表向きはカバーアルバムを発表して、イベントではつばきファクトリーと和解する機会も設けられ新たなスタートを切っているものの、
自分がつばきファクトリーでは小片リサが好きだったこともあり、大丈夫かな、と不安で複雑な思いを抱えていた。
脱退の理由となっているものが他メンバーにも少なからず関わる内容でもあるため加護ちゃんの喫煙騒動のように個人の問題として自虐で昇華してしまうのも難しく(自虐にできるほど時間も経ってないし)
その経歴ごと小片リサが腫れ物扱いになってしまわないかと不安だった。
最初に復帰したM-Lineコンサートで暖かく迎え入れられていたというをレポを見聞きしていてもやっぱり不安なわけです。
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しかし行ってみればM-Lineではソロアーティストでjuice=juiceの元センターで売出し中の宮本佳林が自ら喜んでトナカイの被り物をしたり汚れ役と言うかピエロ?道化?を演じに行ってしまい、
その調子のまま小片リサや道重さゆみにも絡みにいき、道重さゆみには絡みにくいと困惑される状態。(とてもおもしろかった)
仮にこの被り物や道重さゆみという大先輩にグイグイいくような役回りを小片リサがしているとその経歴と元の彼女の真面目な性格から「罰ゲーム感」が出てしまうものの
M-Lineの輪の中心にいる宮本佳林が自ら引き受けてそこに小片リサを巻き込んでMCをしたり、SNSでも彼女との交流を重ねている様子をアピールしてくれているのは
小片リサが新たなスタートを切るにあたってとてつもなく温かい支援だと感じた。孤立させず、かと言って罰ゲームの空気も出さず、すごくうまいやり方でM-Lineに溶け込ませている。
宮本佳林の本心はわからないけどサポートのつもりでやっていると言うよりは恐らく心から楽しんで小片リサと交流を重ねているものと思う。
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そして今回目的であった宮本佳林の「氷点下」は聞けなかったものの小片リサのデビューカバーアルバムに収録されている「真夜中のドア〜stay with me」が本当に素晴らしかった。
https://www.youtube.com/watch?v=LpFTzsG23Pw
クリスマスに失恋ソングかいな、と思ったがとくに最近失恋したわけでもないのに胸に響いて涙が出そうになり気づけば前のめりになって聞いていた。
ステージで毎週末歌い続けることで既出の動画や音源よりも完成度を高めてきたのだと思う。本当にこの曲を聞くことができてよかったと思う。
来年もM-Lineのコンサートは続き、ゲストを迎えながらのソロライブもする予定らしいのでより多くの人の耳に小片リサの生歌での「真夜中のドア」が届いてほしい。
パフォーマンスに関しては先述の道重さゆみが「かわいい」に全振りしているわけだけど、小片リサの場合は本当に彼女の真面目さというのをとても感じる。
ものすごく可愛いとか大胆でダイナミックだとかそうした派手さやわかりやすい特徴はないかもしれないが曲に対して真摯で丁寧。
そうだ、つばきファクトリー時代から彼女のパフォーマンスのこうした真面目な部分が愛おしくて惹かれたんだったな、と思い出させてくれた。
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コンサートの最後に歌われたのは「HAPPY大作戦」(モーニング娘。)だった。
「今日ここに集まっている人たちはみな違う個性を持っていて、まったく生まれたところも住んでるところ全然違って…あ、一部同じ服(道重T)の人もいるけど(笑)、それでも今日この日はここでこのコンサートに来たいと思って集まってくれたそのことが、そしてここにいるみんなが愛おしい(意訳)」と言ってくれてジーンと染み渡った。
このMCはおそらく「HAPPY大作戦」の2番の歌詞『君も 私も あの子も違うんが個性なんだよ』というところに引っ掛けて話してくれたのだと思う。
そうした部分にも道重さゆみらしさを感じて、きっと道重さゆみファンはまた彼女の虜になるんだろうなあと感服。
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そしてこの「HAPPY大作戦」の歌詞は、目の前にある仕事も勉強もなんだって全力で頑張るんだ、手は抜かない、そんでみんなで最高の未来をつくろうよ、なんて綺麗事とも取れるが
日々仕事や色々な面倒事、聞くに堪えないニュースを見聞きしている生活の中でふとこういう曲を聞くと、「あぁそうだな頑張らなくちゃな」と思えてしまうもの。
そしてこの曲は少し前にも一部でツイッターに話題に上がっていた。
秋元康がHKT48というグループに書いた「アインシュタインよりディアナ・アグロン」という曲が簡単に言うと「女の子はバカでいい」とでも言っているようで女性蔑視的だと批判されたのだが、
(見てみるとびっくりするほど薄っぺらな歌詞なのでさすがにプロデューサーとしてこれを自分とこのアイドルに歌わせようと思ってしまうのどうなんだろうと思ってしまう)
それに対して恵泉女学園大学ではそれならばどういった歌詞なら良かっただろうか?という授業を行い替え歌が作られたという。
https://www.keisen.ac.jp/blog/president/2016/05/post-4.html
そしてその替え歌の歌詞がモーニング娘。の「HAPPY大作戦」的な世界観だとして一部で話題になっていた。
HKTの曲が話題に上がった(炎上した?)のは2016年頃のようだが自分がこれについてのツイートを知ったのは先月かそこらのことだった。たまたまRTで見た。
改めて聞いて、そうだ頑張らなくちゃな、学生の頃なんかはこうした歌詞を見ても斜に構えて綺麗事言っちゃってさ、と思っていたけど結局歳を重ねていくと色んなことに真摯に立ち向かって頑張っていかなきゃいけないんだと思わざるを得ないことが多くてこうした曲に立ち戻って勇気づけられてしまうんだなと思う。
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そんな明日も頑張って上司とやりあって最高の2022年を迎えるんだって気持ちになった。
おやすみなさい。
上記のリンクからわかる通り、『〇〇で草』など本文中に『草』という文字がある増田に対して『チョコエッグ🍫🥚』とトラバをすることがほとんどだ
表記にはやや揺れがあり、『チョコエッグ🍫🥚!!』・『チョコエッグ!🍫🥚』・『チョコエッグ🍫🥚🍫🥚』など、感嘆符の有無や絵文字の数は統一されてない
トラバの応酬からなるレスバトルの後になされることが多いイメージが私にはあったが、調べてみたらレスバトルとは必ずしも関係ないようだ(参考→ anond:20211203184639)
レスバトルの応酬による増田全体の雰囲気が悪くなることを嫌い、自ら道化となって『チョコエッグ🍫🥚』とトラバをしているのだろうと、チョコエッグ増田を初めて見た時に私は考えたがどうやら違うようだ
だとしたら、『チョコエッグ🍫🥚』とトラバをする理由は何であろうか?
私の予想だと【3】だ
増田でバズりたいという欲求があるもののバズれる文章を作成する能力が無いので、継続するだけで注目される【3】の方式で目立つことを考えたのだろう
ある程度の作文能力があるなら、脈絡もなくチョコエッグ発言をせずに、賛成なり反対なりトラバ元に合わせた内容で意見を投稿するはずだからだ
【1】や【2】が目的なら、たとえ文章が稚拙であったとしても何らかの意見を発表するだろう
それ以外に理由を思いつく方がいるなら、トラバやブコメで意見を頂けるとありがたい
もしかしたら、たし🦀増田など他の名物増田が、新たな言葉をバズらせようとしている可能性も捨てきれない
いずれの理由であろうとも、注目すべきは次回の『増田のやべーやつ番付』だ
前回の2021年11月場所(anond:20211121173123)の時点ではまだ活動は認知されていなかったので何ら言及されていないが、チョコエッグ増田が名物増田を目指しているなら、番付入りも当然狙っていることだろう
現在のところチョコエッグ増田はほぼ毎日のように活動しているから、このペースで継続していたら注目も集まり、次回の番付入りの可能性は十分にある
チョコエッグ増田は次回の番付に掲載されるのか? それまでチョコエッグ増田は活動を継続するのか? 番付掲載後も変わらずに活動を続けるのか? チョコエッグ増田が何らの意見表明をする時が来るのか? といったところが個人的に気になるところだ
センズマンザイホウーッス
昔の職業とかを見ていると案外昔も今も稼ぎ方の形というのは変わっていないのかもなぁと思ってしまいます。
今はタレントとかYouTuberとかでテレビやインターネットを介して道化が集まっておりますが
昔はその地方のそこかしこで道化が出てきて金をせびって帰って行ったのでしょう。
道化と書くからわかりづらいけれども、乞食と書くにはあまりにも背格好がキマりすぎているし
ですが、そうやって一時でも格好がつくように誤魔化した後に金をせびるから財布の紐やいろんなものが緩むのかも知れませんね
緩急という奴でしょうかね、違うかも知れませんね。
まぁ、気を引き締めていきましょうということで。
はてブやTogetterだと、「日本の一大事」みたいな感じで言及されるけど
世間では何の関心も持たれてないんだよな
温泉地にしてみれば「温泉むすめ」で来る人は、こんな炎上関係なく来る
知らずに来る人は日本全国ありふれた萌えキャラの一つ程度(言ってしまえば何もないのと変わらない)
実際、国の表彰対象になる程度には地域に貢献していたし、フェミがクレームを入れまくるという営業妨害しなければ、変わらず貢献するだろう
んじゃ、旗振りの著名活動家は除いて、SNS上だけで批判に賛同し、オタに反論することしかしない、似非フェミの活動が何に寄与したかって言うと、「なんにも」という所だろう
あえて言えば、「議論が深まっ太郎」か
Dappiもそう
大体、Dappi程度のことで野党に入れなきゃって人は、とうに投票に行って野党に入れてる人で、それで鞍替えって考えられないだろう?
Dappiをありがたがる人間はもとからネトウヨで、それで鞍替えって考えられないだろう?
でも、マスコミ動員してスクープぶち込めば、世間が変わるに違いないみたいな、旧態依然とした意識で活動しちゃう
国民を「知らずに扇動されてる道化」と見ちゃうから「知れば扇動できる道化」と考えちゃう
みんな、手元にツール持ってるんだからさ、肌感覚でわかるんだよ
Dappiみたいな存在がどういう物か
俺は小さい頃はとても明るいムードメーカータイプだった。クラスの中心でリーダーシップを発揮して引っ張っていくタイプではなかったものの、お茶らけて人前で話すのが苦にならないタイプだった。
当時髪はさらさらだったが、濡れると林家ぺーみたいな天パになった。当時は髪質なんて全く気にしていなくて、夢にあふれ明るい子供だった。
小学生の高学年ごろ、自分が周りの生徒と比べれて剛毛なことに気づいた。大人になれば綺麗な髪質になる、きっとトリートメントとかリンスとかすればなんとかなる。そんな認識だった。
中学にあがるといっきに髪質が変化していった。剛毛の太い縮れ毛生えてきて、うねりだし、髪が爆発しだした。
卒業までの間についたあだ名は「ちん毛」「陰毛」「チリ毛」「アフロ」「堅焼きそば」「スチールウール」散々だった。
学生時代の人間関係という名のスクールカーストにおいて、こういう負のステータスである重度の天パはカーストの最底辺で生きる羽目になる。中1の頃は、持ち前の明るさでお道化ていたが、「ちん毛の癖に調子のるな」と蔑まれ、いつもニコニコヘラヘラしていた俺はフラストレーションが溜まる思春期の同級生たちの捌け口となり、「何を言ってもいい」「何をしてもいい」相手になった。文房具を投げられ、男子トイレで首を絞められた。
運動も勉強もできない俺は、このあたりで心の底から人生がどうでもよくなってしまった。頑張ったところでどうせちん毛だし、どこに行ってもこれから先こういう目に合う事も凡そ想像がつくようになった。
学校に行くのが酷く嫌だったが、親に学校での扱いを素直に言うのはもっと惨めな気持ちになって辛くなって俺が立ち直れなくなりそうだったので、その事は黙りつつも学校を休みがちになった。
俺は学生時代の同級生の事は恨んではいないけど、もしも目の前で中学の頃の同級生が死にかけていて、俺が今すぐ救急車呼ばないと死んでしまうなら、俺は素通りすると思う。
出席日数はと学力は学年でドベだったので、近所の偏差値30の高校に通うことになった。
東京キラキラ総合職バリキャリウーマンに憧れて入った会社だろ?
ちょっと信じがたいレベルのバカ登場。「人気ランキング上位の企業」だけを根拠に
見下してた、などという邪悪な価値観を具現化するマジックショー。
辛いのはお前の感性が「会社を辞めた人」とか「ドロップアウトした人」を見下してるからだよ
お前を傷つけてんのはお前自身なンだわ
いや、お前だよ。お前。
自分で殴って傷つけておいて、痛いのはお前自身のせいなンだわ、って最低のクズの言い分。
辞めろというアドバイスはいいと思うが、元増田まで勝手にそこに含めて「ピッタリ合ってんだよ」「負けただけ」?
どう見てもマウントしたいだけの同類をかばうために、無理筋すぎる理屈を四苦八苦して引っ張り出してくる見苦しい道化。同じ穴の狢はお前じゃねえか。
神話や民話に登場し,人間に知恵や道具をもたらす一方,社会の秩序をかき乱すいたずら者。道化などとともに,文化を活性化させたり,社会関係を再確認させたりする役割を果たす。
ていう語釈が2番目で載ってた。あー、たしかにコムロくんそういう感じで受け止めてもアリだなーとw
でも、他の英和辞書、英英辞書などなどで見ると、一つ目の語釈「詐欺師、ペテン師」しか載ってないのなww
個人的には、皇室・王室スピンオフした繋がりで、ヘンリー・メーガン・ケイ・マコカンパニー的なものを立ち上げて面白ビジネスとか始めて、ガバっと儲かった収益をどっかの国際慈善事業とかに寄付したりして、ぐぅの音もでないセレブの地位をモノにして欲しいw ガンバってくれw
https://anond.hatelabo.jp/20210925221708
極論、今までは正論ごり押しで通るような戦いしかしてなかったわけだ。
男性の協力を得る必要もなく、むしろ男性に対して間違ってるところを正せというだけでよかった。
それだけ男性による差別がわかりやすくダメだったってことでありこれは男性が恥じるべきところだ。
一方で今までの戦い方は「男性側の譲歩」「男性側の反省や変革に依存する」というタイプのやり方でしかなかった。
批判してたら男性側が何とかしてくれるのを待つという、「旦那に依存する妻」みたいな旧来モデルの女性の思考で何とかなる部分だった。
ところが、そろそろいい加減、女性でも票が割れるような問題が増えてきて、社会全体として物事を進めるためには男性側の理解や協力が必要なところになってきた。
そうなった時に、男性から協力を得られない今までのごり押しの戦い方しかできないのであれば、物事を動かすことはできない。
こうなると、女性側も自分で判断して優先順位を決めなければいけない。
全てにおいて女性の言い分が通るみたいな話にはならない。 この部分を通すために、この部分は我慢、みたいなことが求められる。
男性さん、なんとかしろってあまえた姿勢をやめて、主体的に考えないといけない。
まだ今の日本のフェミニズムはこの段階にすら至っていない。まだクレクレちゃんでしかない。
だから、立憲民主党の方々と同じように延々と批判だけをやってる。
これから先は、そういう姿勢だと「ただのチンピラ」扱いになっていく。
そろそろ、小さいところからでいいからギブアンドテイクとか妥協ができるようになりなさい。
今までは良くも悪くもフェミニズムはわがままな子供扱いだった。
ただ勢力も大きくなったしいい加減批判だけの子供のままでは困る。
批判に対して代替案を求められて反発しているようでは子供の域を出ない。
大人の世界ではいちいち代替案をよこせなんてことは言ってもらえない。批判だけの人間は黙って無視される。
フェミニズムはよく男を子供扱いしているが、少なくとも交渉の姿勢においてはフェミニズムの方がまだガキである。
今のままでは大人扱いされることなく、いつまでもまともに向き合ってもらえないまま、かまってくれるオタクたちを批判するだけの道化になってしまう。
フェミニズムはそろそろ、批判だけの子供の領域を捨てて、大人として自分たちでことを目指すべきだ。
フェミニズム議連は、年老いた、しかもフェミニズムを履修している女性であっても、いまだに考え方が子供じみていて男に甘える習性が抜け入れていないことを顕著に示した。
あれを反面教師にして、フェミニズムは批判するだけじゃなくてきちんと自分の責任で自分の意見が述べられる、立派な大人であることを示していきたい。
この漫画、どうにも違和感あるのは春日さんとやらの容姿と、それに対する作中の扱い及び当人の悩んでなさ。
ルッキズムの観点があまりにも「なさすぎる」のが、この漫画に感じる違和感だなー
「春日さん」が、あのがっちりした太めの体型や顔にコンプレックスを感じてウジウジ悩む事もなく、仕事でも私生活でも無理な笑顔を作って媚びなくとも許され、
自然体でナチュラルに生きてられる事がこの社会においてあまりにも、リアリティがない。
女性はとにかく華奢で細身であるべしという本邦において、普通はああいうがっちり体型の女性だったら物凄いコンプレックスを抱いて内向的になって小食になったりしそうなものなのに。
あるいは道化になって無理に笑いを取ろうとするか。
そういうコンプレックスなく堂々と大食いする「春日さん」って、見ていてスカッとするかもしれないけれどリアリティはないな…と思う。
現代日本(…に限らず)で女性が生きててルッキズムに晒されないなんて事はないのに、あまりにもその視点が「なさすぎる」。
これで春日さんとやらが物凄いお嬢様だとか漫画家やスポーツ選手みたいに特殊な才能・肩書があるとかなら容姿コンプ無しにのびのび生きていてもまだ有り得ると思うんだけど、
実際は別にそんな事はないようだし。
そして仮に当人は悩んでいないとしても、女性は男性同様に女性の容姿には物凄く厳しいものだしレズビアンも例外ではない。
「野本さん」が「春日さん」に容姿度外視で惹かれるのにどうもリアリティがないと思うんだよなー。
これってこの「春日さん」がいわゆるトランス女性だったなら、ルッキズムの負担を感じずナチュラルに生きていられる事も「野本さん」がそれに惚れる事にも説得力が出来ちゃうんだけど。
勿論漫画なんだし登場人物は現実にあるような悩みや差別から解き放たれて自由に生きていてもいいんだけど、この漫画は下手にリアルです!現実的です!って主張しているからさあ…どうしても現実と掛け離れすぎてる部分が気になる。
あとこの漫画、主人公の野本さんとやらが呪術廻戦の釘崎野薔薇にしか見えないんだよねー。内容以前の問題としてそこが気になるよ
(呪術廻戦の野薔薇の元ネタはヒロミ GO!らしいが、そっちには別に似てない)
もしかしたら春日さんとやらの方、最初はもっと痩せてて髪形もポニーテールで眼鏡かけてて真希そっくりだったとか?その容姿なら今のストーリーでも理解できる。
必死に泳ぐ姿が凄いと実況が口々に語る。
哀れだ。
「(だるまのくせに)早い(じゃないか)頑張ってます(ね。健常者には決して勝てない身体で)」
そういった声援以外、存在しなかった。
泣きそうだった。
自分が子供の頃に、親や教師やクラスメートから憐れみ混じりに結果でなく努力を称賛された時の震えるような悔しさが燃え上がっていた。
心の奥、消し炭になったはずの心は、木炭のように、より強い火種として心の奥に眠っていたらしい。
テレビから聞こえる「(障害者なりに)頑張れ」「(障害者のくせに)凄い」の声、他人事とは思えなくて悔しくて悔しくて
盲目のランナーたちが語る勝利の秘訣、縦走者とのチームワーク。
世界一を目指して走るその足にピッタリと張り付いて走るもうひとりのレーサー。
目が見える縦走者は横で目の見えない選手をアシストしながら走り、目の見えない選手はそれに必死についていく。
親に手を引かれながら走って横断歩道を渡る幼児の姿がふと浮かんだ。
自分より早い人達が、サポートをしながら走ってくれて、それでようやく手にするメダル。
見えない眼を見開いて浮かべた笑顔の奥に、伽藍堂の心が見えるようだった。
悔しいだろう。
「盲の国では片目が王になる」という故事がある。
借りた片目で王になった盲の王。
目明きの世界のただの人。
私はパラリンピックが嫌いだ。
「お前たち日陰者にも活躍の場を与えてやろう」という健常者側のプレゼントのような態度が嫌いだ。
「哀れなお前たちの努力する姿から勇気をもらってやろう」という態度が気に食わない。
そもそも人がスポーツをする姿から勇気だの希望だのを得ようだの与えようだのという姿勢自体が気に食わない。
実に気味が悪かった。
こんな気持ちの悪いことをやっていたんだと1000年後の教科書には載るだろう。
1000年後の地球には「障害者共が障害者なりに頑張る姿を観てやろう」なんて薄ら寒いパラリンピックなんてなくなっているだろう。
○ご飯
朝:スクランブルエッグ。キュウリ。ミニトマト。マフィン。カップスープ。昼:ピーマンとエリンギの炒め物。せんべい。夜:バターロール。ウインナーと人参とセロリのコンソメ煮。チーズ。
○調子
○ドラガリアロスト
運営が末長く続いてくれるためには遊ぶのが一番と言うことで、ガッツリプレイ。
「第1章王子の旅立ち」
・5段階評価:3
・あらすじ
アルベリア王国の第七位王子ユーディルとその双子の妹である巫女のゼシアは、父親である王のアローラスから、国を守るためにドラゴンと契約し聖片を集めるよう命じられる。
ミドガルズオルムと契約を結ぼうとした時、それを阻止するように仮面の魔獣使いと衝突する。戦いの中でその仮面の下がぜシアと同じ顔であることに気づく。
エルフィリス、ランザーヴ、クラウ等を仲間にしながら霧の森を進み聖片を見つける。
しかし、何かに操られたかのようなアローラスの襲撃を受け、聖竜エリュシオンに覚醒して応戦するも、ゼシアは聖片と共にアローラスの下に行ってしまうのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
・感想
ただ流石に情報が多すぎる。アルベリア王国のアルベリウス。こいつ重要そうなのに名前がまず覚えにくいし、聖片とは別に魔神を封印した技があるとかも、まだもうちょい待ってくれよと思った。
ゼシアが可愛いけど、普段のシナリオではあんまり出番がないから、メインでめでたい。
・5段階評価:2
・あらすじ
近衛騎士団団長のリーフ、そのライバルのハール、第6位王子エミュール等とまみえながらフォレスティエの青年リュカと共に、彼らの集落を守る王子たち。
エミュールはマーキュリーとの契約を利用してフォレスティエ達を襲う。
しかし、戦いの中で契約に偽りがあったことが判明し、マーキュリーは契約を破棄しユーディルと再契約を行う。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
敵が来た、倒した。だけのお話でキャラクタの魅力だけなのでそこにフィーチャーして感想を書く。
マーキュリーかわいいかわいいストーリー。ドラゴンは可愛いキャラが多いけど、やっぱり六竜達が僕は好きだな。
周囲全員に劣等感を抱いているエミュールは見ていて痛々しいけど、シナリオを円滑に進めるための道化ポジションらしくちゃんと責務を全うしててがんばれってなる。
あと人間ではリーフとハールの関係値はこの頃から色々あるんだなあ。えっっっ。
「第3章緋竜の火山」
・5段階評価:2
・あらすじ
ゼシアを助け出そうとするユーディルだが、自分の意思でアローラスに着いていくと言い、出来るだけ多くのドラゴンと契約して欲しいと伝えた。
その言葉と強がりを言うブリュンヒルデのために、ユーディルは契約を交わす。ブリュンヒルデは過去に一緒に戦った冒険者ムムの姿となり、ユーディルに抱きつくのだった。
・印象に残ったセリフ
ムム「人間って、こんな感じかしら」
オリジナルのムムが実装された今だからこそ言うけど、こんな感じじゃなくない? 顔や体格はまあそうだけど服装よ。
・印象に残ったキャラ
ムム。
こういう類の尖った性癖、ドラガリに限らずワーフリでも似たフレバーのがあるけど、Cygamesの中にそういう個人がいるのか、集合的無意識の中にそういうものを好む気質が人間にはあるのかメッチャ気になる。ごめん適当言いすぎたわ。
・感想
今回も敵を倒すぜうおー! 的なあっさり目のお話なので、キャラ萌え観点で感想書くぜ。
ムムよなあ。ドラガリ人気キャラの間違いなく3本の指に入るキャラだけあって、そりゃもうかわいい。こういう恋愛的な意味で一途なキャラはわかりやすくて好き。
子供時代のゼシアのエピソードもあったりで、こういうのいいな。少なくともナームがイマジナリーフレンドで、ユーディルは王子としての血だけを持ったクローンみたいな黒い憂鬱な設定じゃない、(じゃないよね???)のを確信できて心が落ち着く。
いやこれでも、やっぱり憂鬱なストーリーなんかな。5章までしか読んでないので、さくさく遊んで次々読もう。
「第4章輝竜の山脈」
・5段階評価:2
・あらすじ
ユピテルと契約するために山道を進む王子一行。エミュールたち帝国軍も同じ目的で山を登っていた。
エミュールたちを見捨てられないユーディルは彼らを助けながらユピテルの元に向かう。
ユピテルはそんな彼らに殺し合いを命じるが、ユーディルは王として例えドラゴン相手でも悪いことをしたら正すと言い切り、結果ユピテルとの契約を果たす。
そこにゼーナがやってきて封印遺跡に行き、アローラスとゼシアを止めるための戦いに向かうこととなる。
・印象に残ったセリフ
ユーディル「忘れるなんてできないよ。たとえ許しがたい人でも、兄だから」
優しいユーディルの一幕。非人道的なエミュール相手にも優しさを見せるのは、優しさがすぎる気がするするけど、仲間たちもそれを指摘してるので、きっといつか何かあるんだろう。
・印象に残ったキャラ
みっともないけど、こういう潔さがないキャラは人間らしさがあると思う。
・感想
誰にでも優しいユーディルと、誰しもに嫉妬してしまっているエミュール。
ユーディルもエミュールも、どちらの生き方も決して楽じゃないだけに、少し読んでて辛かった。
馬鹿だなあと笑い飛ばせる豪快なキャラがそろそろ出てきて欲しいなあ。具体的には火で銃でフェス限な王子が。
「第5章封じられし者」
・5段階評価:3
・あらすじ
ゼーナはゼシアと力を合わせてこの世ならざるものを浄化しようとするが失敗してしまう。
この世ならざるものは、アローラスからゼシアへと乗り移り代わりユーディルを背後から不意打ちで仕留め、無窮の川を引くと宣言する。
ゼーナの捨て身の転移呪文で王子一行は助かるも、ゼシアはハールを従え次の封印遺跡の向かうのだった。
・印象に残ったセリフ
ゼーナ「ごめんなさい、私の旅は失敗です。悲しい未来を変えることはできませんでした。」
薄々わかっていたものの、どこかの地点からタイムスリップしてきたセシア本人だったとわかるシーン。
こういうタイムスリップものの後悔のシーンは創作物における大好物なので好き。
・印象に残ったキャラ
ゼーナ。
いやこれ本編中でまだゼーナって呼ばれてないのか。
・感想
アローラス、ゼーナと立て続けにキャラが退場していく悲しい展開。
僕は家族愛ものに弱いので、アローラスが自身の意思をゾディアークに託したあと、ゾディアークもユーディルを息子のように扱うのよかった。
けど何よりゼーナの本意と失意は読んでてグッときた。
「第6章聖城に起つ」
・5段階評価:4
・あらすじ
ゼシア奪還という目標を見失った王子一行はその目的のなさを指摘されてしまう。
しかしユーディルは「国」を作り、民を守ることを誓い、ヴァルクスに立ち向かう。
ヴァルクスの言う王にための三つの資格をみせたユーディルは王の道を歩むため、新アルベリア王国の建国を宣言するのだった。
・印象に残ったセリフ
アルベリウス「国あっての人ではない。人あっての国だ」
いや厳密にはこれとユーディルが言ってたんだけど、まあ普通にいいセリフなので。
・印象に残ったキャラ
ヴァルクス。
質実剛健なキャラ大好き。こういう男キャラ好きだわ。プレイアブルになってないのなんでなんだろ。この先を読めばわかるのかな。トールはプレイアブルなのに。
・感想
特に2D絵だけどキャラが動いて演技するところや、アニメーションなど、演出面でいっぱい魅せてくれて面白かった。
当たり前にユーディルは国王だと思ってたけどこのエピソードがあってのそれなんだね、わかってなかったや。
なんにしてもたぎって燃えるいい話だった、ユーディル好きだなあ。フェス限実はまだ持ってないので、3周年フェスで天井対象になってくれると嬉しいな。
・5段階評価:2
・あらすじ
領主に謁見すると、ランザーヴの父親であることが判明する。結果、ランザーヴを水上都市に戻せば同盟を結ぶという交換条件を突きつけられる。
そんな中、第二位王子ファルエスと第六位王子エミュールがちょっかいをかけてきたため、ランザーヴは非道になれないユーディルに変わっってエミュールを始末しようとする。
しかし、ユーディルの影響で変わったランザーヴは手をかけることはしなかった。そんなランザーヴの成長と、ランザーヴが自分の国に必要だと言い切るユーディルを見て、水上都市の領主は同盟を結ぶのであった。
・印象に残ったセリフ
ムム「ま、これからもジャレ合いましょう。お互いに全滅しない程度に、ね♪」
ドラゴンと人が仲良く喧嘩し続けることを示唆するムムの含蓄あるセリフ。
ドラガリ存続の危機をきっかけにプレイし始めてるのでしみじみときくセリフ。
・印象に残ったキャラ
ランザーヴ。
甘いユーディルに変わり非道になろうとするがなりきれない、変化を示すシーンが印象的だった。
・感想
同盟国を増やす話、ランザーヴのお当番回、ファルエスの登場と要素は多いわりに薄味だった。
特にランザーヴはやる時はやるけど、ユーディルに感化されて変わったと言われても、じゃあこれ名前の出てないモブキャラもやってないのか? とか思うと不殺はどうしてもモニョるし、描写がもう少し欲しかった。
道化し過ぎ、素性言わなさ過ぎで人脈が意図せぬ方向に広がった 元に戻して慎ましく生きる
どこを見ても誰かが怒っていて、引用RTで「一緒に怒れ」と言ってるように見える
完全に悪い奴ならわかるけど、なんか煽り記事みたいなのにひたすら引っかかって毎日毎日憤怒憤怒してる人はさ、他人を叩くことにハマる正義厨を越えてただの瞬間湯沸かし器になってるよね
あと「ああこれ怒りポイントなんだ」みたいなのが周ってくるのもキツイ。
「これ怒っちゃうんだ、自分に一切害がない話なのになにをそんな」みたいなね
疲れはしないんだけど、なんか人間って愚かだなあって思ったよ。
関係ないけど、野々村真絡みでデマ流してる奴は本当にしょっぴいた方がいいと俺は思う、やりすぎだあれ。反社会的勢力の扱いでしょあんなの
いやそれ以前に、
電車通勤と実家や旅館での食事が同じリスクだと思ってるん? お前が思ってることって9割間違ってる可能性あるから、自分の感覚で物事考えるのやめたほうが良いよ
ナゾの具体的数値が出てきたw
人間は自分の感覚以外で物事を考えることはできない。外で聞いたことを自分の中の取り入れてそれを感覚にしていくんだ。意味不明な思想強制を押し付けてんじゃねえ、匿名モラハラ野郎。
電車通勤の方が旅館での食事よりリスクが低いってエビデンスはどこにもない。
車で旅行に行って誰にも会わずに自室で食事をして帰ることは不可能ではないし、おそらくそれなりに愉しいが、しかし完全な在宅よりはリスクはある。コンビニに弁当を買いに行くのとどちらがリスキーかは比較不能。ただ、県外ナンバーの車をみて、「こんなに旅行者がいるなら自分も遊びに行っていいかなあ」と思う人は必ず現れるだろう。そこには注意が必要だ。
創作と発表に飢えてるわけでもない
コンテンツを見てそれっぽく語ればいい
熱く語れば一目置かれたりもする
当人ですらそれに気付かず自身のアイデンティティをオタクに置くことがある点で
大抵こういう人は「年齢とともに楽しくなくなった」という
そりゃそうだ
楽しさの大部分はコミュニティにあったのに
年齢とともにそれがなくなっていくのだから
そして
だけど本人も思い込んでいると気付かずに思い悩んだり
昔なら青二才
今ならだれだろう?
曲がりなりにも文化批評をしてやろうとするサブカル勢に良くあるスカした接し方でもなく
自分の趣味として(当人は楽しんでる体で)接しているように見えるが
歳を経るごと回を重ねるごとに誤魔化しが利かなくなっていく
本人が気づいているなら邪悪ではあるが救いはあるが
今一度
自分がなんでそのコンテンツを見てるんだろうと考える時間を持つと良い
TLSの下校会話も定期的に楽しんでいるが
LoveRには手が出なかった
そこにチンピラが特殊詐欺やら震災復興やら五輪中抜きを元手に、アベノミクスとか世界的な株高でパンパンに膨らませて儲けたあぶく銭で一旗あげようみたいになってて、
しかしまあ半グレ風情がカネを握らされても学がなくて基本的に馬鹿だから流行りものにすぐ飛びつくわけ。というわけで配信者崩れの道化とかワナビー3DCG技術者の裏方役に鎖つけて引っ張ってきてYouTube上で見世物小屋をやってみるかって流れでやってんのよ。
でも結果あれでけっこう儲けてるみたいだし市場に最適化された行動して結果出してるんだからあいつらが正しいんだけどな。馬鹿しかいなくて馬鹿向けしか売れないから馬鹿に最適化して当然だろ。半端に通ぶって賢ぶったおまえに媚びたってスパチャも小銭しか投げやしねえだろ。
まああとコンピューターも結局どこまでいっても装置産業だしカネの羽振りいいやつが偉いよ。モラルのないやつがカネ握って馬鹿やガキを相手に商売するんだからそら最強で、しかも馬鹿にジャンクフード食わせ続けてれば馬鹿はもっと馬鹿になるから客はさらに増える増えるよ。そして海外にも似たような馬鹿も多少いるからそいつらも釣る。夢がある。こいつらが新時代の勝者だ。
私は何をしているんだろうな
みんなは日々、何をしているんだ?
いや、そういうことを聞きたいんじゃない
何のために何をして生きているんだ?
ケツが群青色したクソガキみたいなこと言って申し訳ないんだけど
みんな一体どうしているんだよ?なんで平然と生きていられるんだ?
そんなこんな言ってる私もさ、傍から見たら幸せに暮らしているように見えると思うんだ
齢40、一男一女に恵まれそこそこの企業でそこそこの給与を得て暮らしている
平日は働き、土日は小学生の子供達におとうさんおとうさん言われながら遊び回っている
どう?びっくりするぐらい平凡に幸せを享受してそうなシチュエーションでしょ。
なのになんなんだろうな、この虚無感は
苦しいんだわなんかここのところ。
思い当たる原因はたくさんある
家がなんだか苦しいんだ
妻は怒りの発出を自制することがない
育った家庭でそれが当たり前だっただからだろう
怒りを隠すことがない。不快なことを己の中で処理すること無く発出するのだ
怒りを発出することは非常に少ない
というか怒りを覚えることが少ないのだ
そこに怒りを感じて発出することは非常に利己的であり恥ずべきことと考えている
まぁとにかく、恋は盲目。そこが良い部分にも見えたのだ
ただやはり、時間が立つと恋という目潰しも効果が薄れてくるのだ
子供に怒りというコミニュケーションしかとれない妻には疲れてしまった
ずっと見せてきたよ。怒りじゃないコミニュケーション。怒りじゃない教育
妻に対しても、子供に対しても
少しの軌道修正はできるのかもしれないけど、大きな転換というのは人間の仕組み的に無理なんだと思う
私が無償の愛で包んでいくつもりだったんだけどどうにも苦しくなってきた
なーんて言ってもさ
結局は私が支えていかなきゃいけないわけ
働いているのは私だけだからさ
私が急に消え去ったらみんな露頭に迷うわけ
もちろんおとうさんおとうさん言ってくれる子どもたちを愛してないわけないじゃない
昔は自分の命と引換えにお金を残すなんて到底考えられないと思ってたんだけど
もうわかるよね。露頭に迷わせることがないならその手段もそりゃ考えるよ。
まぁまだ私はその境地にはたどり着いてないのでご心配なく
はい、これが1個目
まだまだ続く私の苦しみ
2個目は仕事
すげーよねみんな。高い能力でどんどん仕事をさばいていくのよ。
そこそこの企業がまだ、小童だったころに入ってさ、私以外のみんなの努力でそこそこになったわけ
そうなるとさ、そこそこにふさわしい人材がたくさんはいってくるの
小童にふさわしいスキルしかない私はそのふさわしい人材には淘汰されるよね
ふさわしくなれるように努力しろよってそこそこの人材のみなさんは言うでしょ?
そこもスキルなんだよ。努力が実をすぐに結ばないんだ。今更さ、この業界向いてなかったかなって思うぐらい
だから私はさ、日々ゲボが出そうになりながらそこそこの人材のみなさんの活躍を見てるの
もうなんだろうね、根本が違うんだよ。やる気に満ち溢れて輝いてるんだよ
ゲボ吐きながらその皆さんの半分ぐらいの仕事を必死でさばいてるの
知ってるよ。君らがつかえねーなって目で見てるの
でもここが俺の限界なんだよ、これ以上は象がヘソでイングリッシュマフィン焼き上げるぐらいに無理
でももうそろそろ終わりだよね、息苦しいよ、俺の居場所じゃないってわかってるよ
はい、これで2個
ラスト3個目
人ってさ、希望があると生きていける、頑張れるみたいにいうじゃない
でも良し悪しだなって
中途半端に輝いた希望が失われると、より深い絶望に落ち込んでしまうんだよ、って思っているところ
みんな夢はあるかい、どうだい、夢
恥ずかしながら私はある、あったというのが正確かな、あったんだ
苦しい日々のなかでさ、偶然に近い形で夢に向かえる環境ができたんだ
ちょっと今からでもその夢一緒に追おうよって言ってくれる人がいてさ
日々から時間を少しずつ少しずつ割いてその夢に近づけるように努力してきたんだ
本当に今更、今更すぎるんだけど、久々に生きている感じがしたんだ
それこそ冒頭の、私は何のために生きているのかを感じていた
とても辛い、とても辛いことなんだけどさ、なんでだろう
家庭の私、会社の私は私がなりたい私じゃなかったんだよ
自己実現ってこと?高校生かよ?って言われるだろうけどそうだよ。
でもさ、日々の自分が100だとしてさ、10だけでもなりたい自分だったなら
結構やっていけるもんでさ
夢を追っていたここ1年は上手く回っていたように思う、
ただまぁそんな都合の良い日々は続くわけもなく
夢を一緒に追ってくれる人がいなくなってしまいましてね
ここは長いしぼやっとしてるんではしょりますが、突如見切りを付けられてしまったのです
一緒に追ってくれた人はさ、お前は操船が上手だ、そっちの方向であっている、そっちに宝島はある
ってさ、ずっと盛り上げてくれてたわけ、私も信頼する人だったからさ、その言葉に乗って進んできたわけ
でもその人が、やっぱダメそーだわ、降りるねー。なんていったら無理じゃん。
宝島の影も見えなかったよたしかに。でもそんなすぐに見つかるもんじゃないし。
でも少し見えたじゃんいろいろ、少しずつ航海していく自身があふれてきたのにさ。あーあ。
こうやって一瞬見えてしまったありたい自分が死んでしまったわけです
残るのは何?
くるしーわ
夢を失った抜け殻だけだよ
わかってる、わかってるよ
みんなそうなんでしょ?夢をつかめるやつなんて一握りなんてそんなの武田修宏だってしってるわ
だから妥協して手がとどく幸せをつかみながら生きろよって話なんでしょ?
やだよそんなの
一回手をのばしちゃったんだよ、無謀にも手をのばしちゃったんだよ
わからんよね、たぶん、私の気持ちの1/10も書けていないし伝わる量なんてさらにこの1/10だよ
でも書かないとやっていられなかったんだ
それでも私は生きていくからさ
みんなが夢を掴んでいくオリンピックがつらいよ
これは彼らのオリンピックであって、私のオリンピックじゃないんだ
勇気をもらう気持ちはわかるけどさ、私の勇気は吹き飛ばされそうだよ
どうなるんだろう私は
みんなどうしているんだよ
五輪さえ閉幕すればイベント開催のコロナ対策について大人数の動員における有効事例ができあがり、いまよりも柔軟にイベント開催を行えるとわずかな希望を抱いていた音楽ファンや演劇ファンは何人いただろうか–––––
一縷の望みは五輪が始まることなく打ち砕かれた。相次ぐ批判と辞任の嵐により、日和見から一転、動き方を間違えば80年代のおたく差別にも近いバッシングを受ける可能性が万が一にも出てきてしまった。
唯一の救いは岡崎体育・近田春夫・明和電機が率先して道化を演じ、音楽業界への厳しい批判の目を発展させる動きをどうにかやわらげる役割を果たしたことだ。単なるSNS上でのポーズであろうが、偶然だろうが策略だろうが後に英雄的行動として振りかえることになるやもしれない。
此度の問題については、単純に擁護ができない……もはや擁護はせずともよい、身内からの声が早かったくらいであった部分もあるが、やはり五輪失敗を目論む勢力による粗暴なやり方はより多くの人間に絶望を与えた。
あまりに文脈を無視し、元の表現をゆがませた抜き出しをもってして苛烈な批判を浴びせる様は目に余る。
ここを批判した途端に、元の表現が表現の自由に基づくという論拠も揺らいでしまう。
幾人もの表現者たちは戦い自由を勝ち取り、自由をどうにか守ってきた表現者が自由にその身を貫かれてしまう。
今回の抜き出しという手法は合ってはいるのだが、あまりに悪辣で人の心のない手段なのだ。
はじめから両手両足をもいで袋叩きにしているのと近しい。
ここでもし仮に五体満足のままだとしても、殴られている側からすれば、だれが殴っているのかわからないのである。
オリンピックを見ても、内閣を見ても、自分を殴った手はそこにないのだ。
あれだけ尊かった自由は、名の知れない誰かによって黒く濁り、呪いのように心を蝕んでいる。
救ってもらえるかと思ったが、尻尾のように切り捨てられてしまった。
五輪を失敗させるためにありとあらゆる手を尽くされ、ただ静かに五輪の閉幕を待つだけであっただけの人間がことごとく「見えない民」たちに傷つけられている。
おそらく誰が立っていても、どのような人生を歩んでいたとしても、無差別につるし上げられすべてを否定されていただろう。そこに思いやりもなければ、憎悪すらないのだ。
ただ使い捨てられるだけ。
後半にいくにつれ無理のある部分も増えてきているが、傍若無人に失敗へと突き進む様は無敵の人を彷彿とさせる。しかしその姿は見えず、なにかを失うことは絶対にない。
嵐のように襲い掛かり、跡形もなく吹き飛ばしていく。