はてなキーワード: 被差別民とは
追記しようと思ったが、微妙に長くなったので新しく書いた。
中には怒っている様な人が居たが、俺としては怒らせるために書いた文章では無いから、その辺は申し訳なく思っている。だから、この文章は出来るだけ整理して客観的に書いていきたいと思う。
まず、「彼女と結婚したくない」のブコメやトラバは読めるもの全部目を通した。
色々突き刺さったものがあったが、特に突き刺さったのが次のものだった。
女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する証明
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
勝手な言い分や感想とは異なったものだった。書店に行って確認までしたが、論破はできそうにないものだった。
そしてそのまま彼女のところに行って、話し合いをして、別れることになった。
彼女は泣いていた。そして俺も泣いていた。だが、別れることが二人のためであるという側面もある。もちろん、そうでない側面もある。ちょっとした騒ぎにもなって、特定されたくないので期待している人には悪いが、詳細は控えさせてもらおうと思う。
ここで終わらせてもいいのだが、処女を追求することについて、いくつか発見があったので紹介したい。
女性側に排卵隠蔽があるために男性はそれへの適応を迫られた.このため純潔性と婚姻後の性的貞操への選好が生じる.これは文脈に大きく依存し文化間で大きな差がある.
・若さへの好みについて
(改訂版追加項目)若さへの好みについて:男性が繁殖力を求めるのだとすると非常に若い男性は自分より少し年上の女性を好むと予測される.実際のリサーチでは15際の男性は17~18歳の女性を好むという結果が出ている.しかしその年の女性は自分より若い男性には全く興味を示さない.これは「男性の若い女性への好み」を「報酬強化」や「男性が権力とコントロールを求めること」で説明しようとする主張が成り立たないことを示している.
多くの動物と異なりヒトにおいては男性側が配偶相手の身体的な魅力をより追求する.また若さの追求は霊長類の中で独自の特徴だ.これは(長期的な配偶相手においては)選択時以降の生涯にわたる潜在的な繁殖力が重要であるからだ.若さや美しさの追求は西洋文化から来ているのではなくユニバーサルな特徴だ.女性に対する美・魅力の基準は決して恣意的ではない.ただし純潔への選好には文化が大きな影響を与えている.しかし結婚後の貞操を求める心は強くユニバーサルだ.
ブコメで叩かれるであろうことはわかっていたが、「呪いにかかっている」どころか「精神病」や「強迫性障害」まで出てきたことについては、はっきりいって今のはてなは異常だ。男性が処女を求めるのは、正常だ。
by-king誰とは言わんが、普段は価値観の多様性の大切さを説いてるのに、自分と合わない価値観に対しては真っ向から否定したり、精神病扱いして矯正しようとする頭悪い人が居るよな
ChieOsanai ふだん多様性万歳と言ってるはてなーも、男らしくない男は徹底的に叩く。それがはてな村のジャスティス。
ここでいう男らしさは、フェミフィルター(?)を通過できた都合の良い男らしさになるんだと思う。
ちょっと前に増田で話題になった「アナと雪の女王」のクリストフみたいな感じだ。
はてな村の多くの人は、ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー(SJW)なのだと思う。
東たちの言ってる「クリストフの扱いが可哀想」っていうのが今回盛大に馬鹿にされてるけれども、かつて同じことを書いてたブログがそっちは大賛同だったんだよね。
http://semimaruclimb.hatenablog.com/entry/2015/05/13/221216
どうしてこんなに違いが出たのかっていうと、
クリストフを「男」ではなく「被差別民族サーミ人」として申し立てたから。
「甘えるな」「まだヒーローを求めている」「ミソジニー」と罵倒だらけになるのに、
「その通り!」「見事な指摘!」「鋭い洞察!」と大絶賛になる。
アホくさ。
こういったことが起きる。
はてな村が偏っていることは、「はてなユーザーの性格分類統計」(http://fuyu.hatenablog.com/entry/2015/10/17/025450)でも言われていて、16タイプ中上位3タイプ(INTP,INFP,INTJ)で全体の半分の割合を占める。内向型8タイプで全体の81%を占める。日本人の標準MBTIタイプテーブル(日本版MBTIマニュアル P.80)だと、上位3タイプはESFJ,ESTJ,ENFPで全体の内34%を占めて、外向型8タイプで全体の62%を占める。
はてな村の人達は、自分の立ち位置の特殊性は理解した方がいいのだと思う。
そして、はてなを利用する人は、その偏ったブコメを安易に鵜呑みにしないほうがいい。5chの言葉を鵜呑みにしないがいいのと同じ事で、それはあまりにも当たり前のことだけど。
俺が勤めている職場には今年の春から、高校を卒業したばかりの女の子が入社してくる。
耳障りが悪かろうが、政治的に正しくなかろうが、自然主義の誤謬と言われようが、身分違いで失敗しようが、女性が上昇婚をやめられないように、俺も繁殖力(若さ・健康・くびれ・美)のある処女(排卵隠蔽対策)を求めることをやめられないのである。
そして、社会はそうした多くの人で埋め尽くされており、そうした人が投票や政治活動でそうした社会をまた形作っていく。俺はその社会の中で、処女に関することがふと頭に浮かび、扁桃体神経回路の情報処理の結果が視床下部へ伝えられ、自律神経反応を引き起こして心臓の拍動が早くなり、胃腸の動きの変化を体感しながら生きていくのは、結婚生活における日常生活を営むレベルでも困難になると、その経験から判断した。
これを読んでいる人も、色々な言葉を取り入れつつ、最終的には自分の頭で物事を判断してほしいと思う。
上昇婚に関しては
この話の大前提になるのは、「女性は自分より年収の高い男性としか結婚したがらない」という現在の風潮です。これは結婚に対する意識調査で性格・容姿の重要度が男女共通であるのに対して女性のみ経済力や学歴を求めるとする調査1、実際の女性の婚姻の双方で観測されており2、ほぼ揺るがない事実とみていいでしょう。女性は社会的地位が不安定だから自分より年収の高い男性と結婚したがるのだという意見もありますが、そういったものに縛られない医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらず“パワーカップル”と名付けられた高年収夫婦が統計的に明瞭に観測されるので、その指摘はほぼ無視して良いでしょう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c
あとシノドスのフリーライターのレポートもあったが、どれも「医術と呪術を混同する両論併記をやめよ」という趣旨が確認できる。
林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、
林氏は心無い中傷で県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。
本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。
壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。
そうした福島県民を始めとする東日本大震災の被災者の皆様の気持ちは自然であることは認める。
しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会が始動しだしたところである。
私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、
泥流による放射線の健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、
新潟県知事選当時、県内在住の反原発派から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。
(インターネット上で選挙運動や訴訟活動を行っていることを明記した人物に限定した話ではある)
現在、在日コリアンを念頭に外国にルーツある人物へのヘイトスピーチは違法化された。
この前例に則り、学術会議への異論も福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、
事実、在日朝鮮人や沖縄人への民族差別をアナロジーとして、福島県民への差別を説明するレトリックは存在している。
このような議論は被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である。
しかしポストコロニアルな当事者性を強調することで国や東電の構造的責任が看過されてしまうことはないのか。
実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災の観点から引用し検討することすら差別や呪術であり、
野蛮な攻撃とすることは学問の権威化であり、自由を害することである。
こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。
2007年の中越沖地震での放射能漏れが原体験として上げられている。岩手県の震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。
チェルノブイリは福島第一よりも安全という発言は海外への県の農産物輸出戦略の一環である。
国際的観点から見て廃炉出来ていない原発がチェルノブイリに比して安全だと言えるのか。
ショッキングな発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要な見解だったのであり、
過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。
(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義を扇動している自民党からしか国政候補へ立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)
私の知る限り、泉田知事が被爆が疑われる人物に意識的に差別的な県政を行ったという情報はない。
四期目を断念した後自ら原発に屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、
撤退理由であるフェリー船問題は船を売りつけた韓国企業が東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、
そのような形で追い込まれて撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。
このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難な言動を求めるのは酷すぎる。
県民の代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味を想像していただきたい。
このところ永劫回帰のようにエロ表現における争いが繰り返され、オタクとフェミニストのラグナロクは永遠につづくかのようにおもえる。
これだけやりあっていれば普通はたしょうなりとも相互理解というものが生まれるものであるけれども、それはリアルな論戦の話なのであって、不特定多数が不特定多数に対してやたらめっぽうに機関銃を撃ちまくるインターネット塹壕戦ではただ人が死ぬだけであり、平和条約は結ばれず、ただ人が死ぬだけであり、憎しみは連鎖し、ただ人が死ぬだけである。
毎日がソンムの戦いだ。
オタクとフェミニストはそもそも互いに互いを認識しているのだろうか?
フェミニストが「えっちなのは子どもによくない」と言い、オタクを宮崎勤と池田小のやつとエド・ゲインを足してニで割ったような怪物として罵る。
オタクは「表現規制をするな」と言い、フェミニストを権力によって表現の自由を、人間の尊厳を奪うヒトラーの再来として恐懼する。
彼らにはそれぞれ「何」が見えているのだろうか。
1950年代にPTAが中心となって展開されたマンガに対するバッシング運動だ。
暴力的な表現、子どもの情操に悪そうな表現はこどもに見せるべきでない、というスローガンのもとに当時芽吹きつつあった劇画や手塚治虫などを中心として爛熟しつつあったマンガ文化に打撃を与えた。
これによってオタクたちはDNAレベルで、「(残酷だったり過激だったりする)マンガを『わるいもの』として非難するのは保守派のファシストのおばさんたち」という了解が植え付けられたのだ。
なぜ戦争を二十年で忘れることのできた民族が六十年前の、教科書にも載っていない出来事を記憶しているのかといえば、それは語り部が優秀だったからだ。
悪書追放のやり玉にあがった漫画家たちはのちに大御所となって「漫画文化の立役者」として官民両方から賞賛される身分を獲得しても、悲惨な迫害を忘れなかった。
彼らはそのときの体験をエッセイ漫画にしたり、ことあるごとにマンガのネタに織り込んだ。
そういうものを読んだ後進の世代は「今は平和にマンガを享受できている国なのに、過去にはこんな悲惨なできごとがあったんだ!」とショックを受け、苦難の記憶を継承し、そのうち漫画家となった人々は「マンガや表現を悪と呼ぶわからずやな大人」たちを戯画化して描き続けた。先人たちを見舞った悲劇を繰り返してはならない。そう彼らは叫び続けた。
悪書追放運動の記憶の継承は、歴史上のあらゆるトラウマ継承運動のなかでも最も成功した部類に入る。それはオタクが長らく被差別民だった(と少なくとも自分たちでは認識していた)せいもあるだろう。
そういうわけで、マンガの守護者たちの末裔たちは今でも各所に見ることができる。ちょっと前にもあったよね。ほら、『マンホール』描いた人の……なんだっけ、なんとか都市ってやつ。
さて、戦争から七十年も経てば、各国家における仮想敵も大きく変わるものだ。アメリカがWWIIでは影の薄かった中東を主戦場とするようになって久しいし、そのアメリカとかつて世界を二分したソ連は国ごと崩壊してしまった。
だがオタクたちはずっと敵は「既存の道徳にしばりつけられた保守的で道徳的なガミガミおばさん」のままだと思い込んでいる。自分たちの敵はヒトラーであると叫び続けている。
「反表現規制」の旗のもとに団結しているオタクたちに比べて、そもそも男性と男性社会そのものを憎悪してやまないミサンドリストからオタクとの対話を求める層までほとんど分裂状態の様相を呈していて、
そうなったときにクローズアップされがちなのはラディカルな発言だ。
しかしオタク側が言い募るように彼女たちは「こどもたちを歪ませる」表現を憎んでいるのではない。
日本にかぎった話でもないかもしれないが、マスメディアやサブカルチャーにおける性的(エロという意味に限定されない)表現や言説は男性中心的な傾向が強い。
ふた昔前はテレビで女性がおっぱいをエロティックに晒すなんてのはゴールデンタイムにすらみかけられたし、
そこまで過激なものでなくとも、女性に対するセクハラめいた言動が「ジョーク」として受容される環境があった。
それはジャンプなどの漫画メディアにあっても同様で、男性読者からは「問題ない」描写、ジョークとしてスルーされる描写であっても、そこに女性に対する男性的な欲望、ひいては暴力を読み取る多感な少女は数多い。
そういうものがある種の社会に対する不信となって根強く彼女たちの底に残る。
男は言う。いや、あの程度の表現で傷つくのはあまりにか弱すぎるだろう。自意識が過剰すぎるのでは? たんなる一過性のメンヘラでは?
少女たちはテレビやマンガを消費するには、あまりにもセンシティブすぎるのだろうか?
一面にはそれもあるかもしれない。しかし、傷つきやすすぎることとの何が問題なのか?
刃のついた表現が現実に存在し、それで傷つけられる肌が現実にある。
何も知らない無垢な肌が刃に触れたときに血が出るのだとして、たしかに近づいてきたのは肌のほうかもしれないが、刃の危険性も知らないものにあらかじめ避けておけばと非難するほうもどうかしている、根本的に事故を防ぐためには刃のほうを鈍らせておけばいいのでは? 自動車会社などはそうやって事故を軽減しようとつとめているだろう?
私たちは次の世代を「正しく」育てようとは思わない、ただ、不慮の事故から守りたいだけだ。
傷つきたくないこと。傷つきたくないこと。
そういう意味では、オタクが表現規制運動の歴史を語りつぐことと少し似ている。
フェミニストの場合はあまりに内部で混乱しすぎていて、個別の問題の何が問題であるのか、その問題をどう解決していくべきなのかで定義の統一がはかれていないことだ。
これは攻める側の弱さでもある。
守る方は現状を維持しさえすればよく、つまりは「表現規制反対」に各員の意志を集約させればよい。
だが、フェミニスト側は具体的に個別の問題のどこをどういった理由でどう修正していけばよいのかまでを提示しなければならず、これに関する意見を調整出来ない場合、もっとも極端な意見ーーすなわちオタクたちが最も恐れる「全面的な表現規制」が対立を煽る人々によってショーアップされてしまう。
そうなってしまえば、あとは殺し合うだけだ。
彼らはお互いに敵を「保守派」として捉えている。
オタクの眼に映るフェミニストは「道徳を重んじて表現を認めないファシストガミガミおばさん」
フェミニストの眼に映るオタクは「男性社会の無思慮な暴力を肯定しつづけるレイピストクソ野郎」
ここでは、もはや誰が敵か味方かもわからない。
もしかしたら、敵も味方もいないのかもしれない。
https://twitter.com/toriwalking/status/773722928613429248
ゲーマー同士が@つきのリプライでナコルルというアイヌモチーフキャラクターの話をしながら他愛ない会話をしている。
そこに多分「アイヌ」とかその辺のワードで毎日エゴサしてる例の糾弾者が「怖いだろう、想像力がないのか?」といきなり喧嘩腰で噛み付いた感じ。
これで分かり合おうというのは、粗暴な言葉を使ったこの若者達でなくても難しいと思う。
憎悪ガチガチで固まっている本物のレイシストのヘイトスピーチ野郎に遠慮する必要は全く無いが、
アイヌに対して特に悪印象も持っていない人々の言葉尻を捕まえて怒鳴りつけるのは、一体何がしたいんだろう。
(というか逆にナコルルを通してアイヌに親しみさえ持っているだろう、それが良いか悪いかは別として。外国人がニンジャやサムライのイメージ(※偏見)のおかげで日本人に親しく接してくれるのと一緒だ)
ヘイトスピーチってさ、直訳で分かる通り「憎悪表現」なんだよね。
新大久保で心から在日韓国人が憎くて「韓国人は消えろー!」って叫んだりするアレだよ、アレ。
いきなり呼び止められて「お前アイヌ人だな、死ね」と言われたらそれはヘイトスピーチで間違いない。
そこまで行かずとも、やはり同様に街中で「あーあー、アイヌ人死なないかな」と言われたのを当事者のアイヌ人がたまたま聞いてしまったら、それは怖いだろうことは想像に難くない。
(コンテキストとしてナコルルや同様の非実在キャラクターの話だったとしても。今回のゲーマー達のリプライのやりとりをエゴサした状況は明らかに違いはするけど、そういうシチュエーションだったとして)
そういう時、仮に一言
「すみません、そういう意図ではないのかもしれないですが私はアイヌ人で今のあなたの発言が怖かったです。」
と言ったならよほどの相手でもない限り、「ああ、自分の発言は当該属性の人を傷つけていたんだな」と理解できるはずだし、そして静かに反省し謝罪することだろう。そして以後は気をつけるだろう。
要するに伝え方の問題。
本当にヘイトスピーチをやめさせたい、この世から根絶していきたいなら、コミュニケーションに気を使わないといけない。
今回の件についてだけ言えば、怒鳴りつけられたゲーマー側には明らかに理不尽感が残る。本人にそういう意図がないからね。
彼らに落ち度があることは間違いないが、それでも、軋轢は残るよ。粗暴な言葉にはそれだけ感情を動かす力がある。彼らだって人間なんだから。
「意図があろうがなかろうが、ヘイトはヘイトだ」とか、そういうありきたりな言説もあるっちゃあるけどさ。憎悪ってそういうことだっけ?
「私が不快なのでその言葉はやめてください」はいいよ、まだ分かる。けど、「それはヘイトスピーチです」はさ、伝わらないと思うよ。
そんな喧嘩腰だと、新たな憎悪が生まれるだけなんじゃないの?本物のね。
という疑問が出てくるのは別にそこまでおかしなことじゃないよね。
と想いながら当該の人物のツイートを追ってたら、ナコルルやゴールデンカムイのようなアイヌを描いたフィクション作品を片っ端からdisったり、
https://twitter.com/kotnei/status/773115914195566592
ネイティブではないがアイヌ語でツイートしてみた人に対して、該当ツイートを検索で見つけた上で「間違ったアイヌ語を拡散する責任感はないのか、間違っていると指摘がくるだけでもありがたいと思うべき」と噛み付いたりしている。
https://twitter.com/kotnei/status/770846937612324864
百歩譲って少数民族の、かつての歴史での被差別対象についてだから敏感になっている、もしくは半分頭がおかしくなっているというのは分かるが、それにしても態度が悪すぎる。
もうちょっとどうにかならないの?
普通、怖いものは見たくもないはずだ。何故わざわざTwitterで気に入らない言葉を検索して殴りに行くの?それって逆に憎悪になっちゃってない?
みたいなことを書くと、
「私は弱者、だから私が怖かったり傷つくような発言は、誰に向けたものであれどんな意図であれヘイトスピーチだ」
「強者の理想の弱者の押し付けはやめてください。あなたが勝手にやってください。私には関係ない」
とか言い出すんだけどね。今回の燃料投下役のはてこさんとかね。
それって一生平行線だよね。現実問題、それでなんか進んだの?誰からも理解されない独りよがりの全方位攻撃を何年続けるつもりなんだろ。
※ちなみに、オチにする意図ではないのだが、例の糾弾者(今回の件で若者たちからはアイヌおじさんと呼ばれている)は、純粋な日本人であり特にアイヌとは関係がない。
2016/9/9追記
aramaaaa マイノリティはマジョリティの気分を害さないようい抗議しないと聞き届けてもらえませんよというありがたいご提言です。
同じ属性、例えば日本人のおじさん同士だってこれくらいのことは気を使うんだよ。
電車内で携帯電話で通話してる人がいたとして、私たちが「通話はやめてください」って注意をしたいとして。
その時はできるだけ相手に聞き入れてもらえるように穏やかに、不必要に相手を傷つけたり、怒らせたり、追い詰めたりしないように伝える努力をするんだってば。当たり前にね。
いきなり携帯持ってる腕を掴んで「迷惑だと思う人がいるだろう!?お前は想像力がないのか!?」って言って、相手がモゴモゴしてたら携帯取り上げて叩き割るのは違うでしょう。
人間と人間とのコミュニケーションについての話をしてるんだから、そこにマイノリティだの、マジョリティだの、勝手な境界線を持ち込んであちら側こちら側って分けようとするほうがおかしいよ。
でも、もう年中差別のことで頭がいっぱいになっちゃってる人はそこがどうしても譲れなくなっちゃってるんだよね。
これについては、はてこさんの最新記事も本当に悲しかった。もうダメかもって思った。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/09/003414
「それにしたってヘイトスピーチ呼ばわりは行き過ぎだ、穏便に話し合い、理解を深めなければ元も子もない」という意見がたくさんあった。
わたしが思うのはそれを言っていいのは当事者だけで、加害者の子孫が被害者にそれを求めるのははなはだ見当違いだということだ。自分の民族が少数民族を面白半分で揶揄することを野放しにするのは恥ずべきことだと思う。相手を理解する必要があるのは被害者ではなく加害者の方で、自分の立場をあかすことさえ危険な当事者に説明するためのリソースを割けというのは傲慢だ。
「加害者の子孫」って。「自分の民族」って。それってつまり日本語ではてこさんのエントリを読める日本人だからほぼ全ての人だよね。
君たちは全員差別加害者の子孫だから野放しにするな、野放しにするなら同じ加害者民族のお前も同罪だって意見でしょう。これを過激と思わなくなってるのは、反差別のことを書きすぎて感覚が普通の人とかけ離れてしまっていると思う。
そしてやっぱり、「リソースを割けというのは傲慢だ」って話になるんだよね。はあ……。
※ちなみに「理解を深めなければ元も子もない」って主張も最初から理解を深めるべきなのは加害者側ですって意味で、一方的に私刑にするだけでは加害者に理解されないよってことだと思うよ。
※被害者に理解しろなんてどこにも書かれてないはず。はてこさん、最近そういうミスリード増えたよね。。。
更にこの後、
って話が続くんだけど。
ここから先はまた少し違う話。
上で言いたかったこととはまた全然違うから別物として読んでね。
確かにかつてアイヌに差別があったことはみんな歴史の教科書で習ってなんとなくは知ってる。
ナコルルや、ゴールデンカムイや、あとシャーマンキングにもいたよね?アイヌの子。そういったキャラクターで愛されて、少なくとも今の若い日本人達はみんな差別感情は持ってないんだよ。
ニンジャに興味津々な外国人の子供のように、無邪気だよ。それは良い面悪い面あるだろうし、"差別意識が全くない"ことで逆に今回のように元々口の悪いゲーマー達が迂闊で失礼なことを発言するかもしれない。
それがそんなに、悪なんだろうか。
「戦い続けるよ」なんて言われる、倒すべき相手なんだろうか。
今この瞬間オギャアと生まれた赤ちゃんにも、お前は加害者民族の子孫だって教えていくんですか?
なんかはてこさんの主張読んでると、もしかして静かに忘れられることが差別解消の第一歩なんじゃないかって思うことはある。
エタヒニンってなんですか?そんな人いるんですか?僕達みんな一緒じゃないんですか?だってあの子もこの子もみんな友達で、何が違うんですか?って、今の子ども達は本気で思ってるよ。
それを「あそこの家の子は被差別民族の血なのよ。私たちとは違うのよ。私たちは加害者なのよ」って教え続け、また時には迂闊な発言をした子を吊し上げ、それで何が得られるんだろう。
でもはてこさんみたいな人は言い続けるんだよね。知らないほうが悪い。免罪符にするな。ってね。
どうして撮らせてくれたかというと、映像系の学部に行ってて、他の人たちよりもカメラに触っているという理由からだった。あと、自分の父親が雇用主なのもある。
自分は人物 特に若い女を撮ると通報される人間だから、イベントや書泉グランデの撮影会のような場所でしか若い女は撮ることができない。
正直、キモメンに取られるのに慣れている性格があまり良くない人たちしか撮れない被差別民の自分が、普通の女を撮れるというのは嬉しかった。
ビルとかの建物しか撮っていなかった自分が、撮ることになって大丈夫かと不安になった。
WEB用だからJPEGで十分だけど、RAWもとりあえず保存する設定にしていた。
とりあえず撮れた。
どうして、セックスに困らない女を撮るのは苦しいのだろうか。
もう一人の優しいけど、冴えない女を撮っても何も思わなかった。
今後、撮る機会はないだろうけど、もう撮りたいと思わない。
従姉の元に産まれた娘ももう10歳になる。近所なのでたまに顔を見に行っている。
わかりにくいので仮名をリオとしよう。
リオちゃんは妖怪ウォッチとロボットのpepperに夢中である。その入れ込みようは半端なく、妖怪とロボットは彼女の心の支えなのだなと思う。
「うちにジバニャンとウイスパーがいたらいいなってすっごい思う」
なんで?と聞けば、味方をしてくれそうだから、という話であった。
昔からわりと厳しく育てている印象があったが私には子供がいないので、子供ってこんな感じに育てるのか~ウチはヌルかったんだな~程度に思っていた。
しかし最近はテレビで毒親の特集を見たり、精神不安定な元恋人の両親が更にヤバかった件もあったりして、従姉親子の変な点が目につくようになった。
たとえば、最近缶コーヒーBOSSのCMにpepperが出ている。「ロボットなのにこんなになめらかに腰が動くんですよ~」と言って踊る部分でリオちゃんは大歓喜なのだが
それを通りがかりの母親がみて「うっわー喜びすぎ。バカみたいだよ」と言い、一瞬でリオちゃんの顔は固くなって黙り込んでしまったこと。
あとはある日遊びに行ったら従姉がリオちゃんを大声で罵倒していて(お前みたいなバカは将来どうのこうの系)泣きながら勉強をさせていたこと。
いつもおとなしいのに時々やたら怒りっぽく興奮するようになったこと。
組み立て式のRobiが欲しい、お爺ちゃんかお姉ちゃん(私)と作るとねだったところ、「女の子なのにそんなことしたいの?リオちゃんは男の子だったのかなー?^^」から始まり、ネチネチとからかったこと。
それがセクハラじみていてとても可哀そうになった。小さい時に性絡みの事でからかわれるのは辛い。
私も髪が短くスカートも履かなかったので同級生の女の子達から随分からかわれたことがあり、その後の何年も自分を卑下して生きていたと思う。それが親からなら余計辛いんじゃないだろうか。
私はロボット好きなことは変じゃないし、きっとリオちゃんの人生の役に立つと思うよとやんわり言うのが限界だった。
もし仕事や勉強に繋がらなくても好きなものは人生の支えになってくれる。
従姉は間違っているのだろうなと思うのだけど、幼いリオちゃんにとっては唯一の母親で愛しい存在だろう、それを我々が否定するのはとても難しいことだ。
フォローすることも難しい。あなたは悪くないよ、悪いのはお母さんだよと言うのも傷つけてしまいそうな気がする。リオちゃんはまだ自分の母親を否定することは言ったことがない。
「いつかママが死んじゃったらどうしようと思って怖くて寝たくなかった」なんて言ってた子なのだ。
従姉は見栄っ張りでとても悪口が多い、母子家庭にも高齢出産にもヤンママにも偏見がある。それは両親がそう育ててしまったからで、本当に可哀そうなことだ。
彼女は夫と別居し実家で暮らしているが(従姉が離婚に応じない)周囲には単身赴任中ということにしている。見栄が邪魔して潔い生き方ができないのも彼女の不幸と苛立ちの元のような気がする。
私はアラサーの独身子無しであり、しかも会社員でないので従姉からしたら完全に被差別民である。
わりと頻繁にdisられていている。「結婚しないよりマシ」「あんなんじゃ結婚できない」という言葉は直接言われるのではなく、他の人間の悪口の為に言われるのだが
間接的にダメージを受けている。たぶんバカにされているなという部分で余計臆病になってしまう。
何か言ったほうがいいと思うかもしれないが誰も何も言えるわけがない。
夫は彼女に耐えきれず出て行き、両親は完全に支配下に下っている。妹は海外だ。
彼女の叔父である私の父に言ってみたがあまり状況をわかってはいない上に兄貴に悪いと言って注意できない。他人である私の母もやんわり言うくらいしかできない。
親しいママ友もおらず、一番友達っぽい存在が随分年下の私である。そして気弱で怯えている。
近所且つ親戚なので、関係の悪化は恐ろしい。そしてリオちゃんに会えなくなったらというのも怖い。
それにまだ問題はない状態ともいえる。
でも問題がおきたとしたらそれはもう子供にとっては遅いことなのだろう。
仄暗い想像をしながらも自然に状況が変わることだけを願っている。
早稲田大学が、今年度から非常勤講師の契約の上限を5年と決めたことに対して、非常勤講師15人が大学を刑事告訴した。これは直接には新しい就業規則が労基法違反だという訴えだが、根本的な問題は「契約社員は5年雇ったら正社員にしなければならない」という労働契約法の規定である。
常識で考えれば、非常勤講師を5年雇ったら終身雇用にしろと規制したら、4年11ヶ月で契約を解除するのは大学経営としては当然だ。この労働契約法改正については、私を含めて多くの経済学者が反対したが、厚労省の官僚と労働政策審議会の圧倒的多数を占める労働法学者には、この程度の論理的な推論もできないのだろうか。
私も非常勤講師をしているが、同じような仕事をしながら大学ほどひどい差別をしている職場はないだろう。授業が90分で、1コマ7000円だ。往復2時間の通勤や準備や試験監督なども考えると、時給はコンビニのアルバイトと大して変わらない。他方、准教授になれば無条件にテニュア(終身在職権)が与えられ、年収は1000万円以上になる。年間200コマとしても、1コマ5万円だ。
日本のサラリーマンは非競争的にみえるが、仕事のできない社員はクビにできなくても左遷され、定年まで窓際ポストで恥をかくので、長期雇用は「恥の文化」では強いインセンティブになっている。それは彼らがどこにでも配置転換できる汎用サラリーマンだからであり、外資では配置転換できないので、使えない労働者は解雇するしかない。
これに対して大学教師は「専門バカ」なので、配置転換という競争が機能しない。しかも准教授になったら全員がテニュアを得るので、授業のノルマさえこなしていれば研究する義務もなく、職階がないので出世競争もない。要するに競争原理がまったく働かないので、日本の大学が先進国で最低レベルになるのは当然だ。
文科省のデータによれば、アメリカの大学教員のうちテニュアをもつのは62%で、助教授では12%しかいない。一流大学ほど要件はきびしく、ハーバード大学では2300人の教員のうちテニュアは870人しかいない。東大が世界と競争するなら、秋入学などより、非常勤も含めてすべての教員をテニュア審査してはどうだろうか。