はてなキーワード: 暗喩とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/3269632237259870801
「構成が上手い!」「トリックが凄い!」みたいに絶賛されてるけど
作者が用意した理屈より先に読者の目に入る描写、そこが全然ちゃんとしてない。
これはどうかと思う。
全てのネタがばらされたあとでも各描写と真相との整合性が全然ないので
トリックによっていろんな伏線がピタッと収束したというような感心や快感もない。
あの真相が意表を突くのは、それまでの描写によって刷り込まれた無意識の理解からは有り得ない真相だから。
ちゃんと各要素を整理せずに読んでると「意表を突かれた感」がトリックによるものだと勘違いしてしまう。
以下具体的に言う。
最後の反応とか見るに、この親はお兄ちゃんもまほちゃんも可愛がってる。
出来のいいお兄ちゃんを良く見過ぎていたとかプレッシャー掛けちゃってたっていうだけで。
そうなるとまほちゃんのあの全身のあざだらけはなにごと?
え?よいご家庭の子がなんでそんなことやってて、なんでばれてないの?っておかしさ。
親には一緒にやってるor黙認してるような不穏な伏線はないのに
お兄ちゃんが妹にあんな露骨な虐待をやってたという真相はおかしいでしょ?
描いてる側は「巧みな構成で虐待という真相を隠してました」って言いたいのかもしれないけど
構成が巧みと言うより同居者である親にそういう描写が何もないから読者はその可能性は消してるわけでしょ。無意識の裡に。
なのに「虐待でした」って言われると「えっ?」って確かに意表突かれるんだけどそれはトリックの凄さじゃなくてむしろ杜撰さでしょ。
読後に「この親の設定や描写どうなっとるんや?」という矛盾が残る。
(ラストでぱっとお姉ちゃんとまほちゃんのエモに世界を閉じるのはそこに気付かれないための逃げ切り法として見ればまあまあ上手いけども。)
そもそも痕でバレるバレない以前の話で
なんでまほちゃんは「お兄ちゃんにぶたれてる」って親に言わないの?
なんか親に言えないような性的虐待の暗喩だよみたいな話を始めちゃう?
親の虐待に日々をおびやかされている子なんだよね?
そうなるとなんでこんなに終始強キャラのオーラをまとってるの?
そのせいで色々まほちゃんや読者からのミスリードを生んでるんだけど
この強キャラオーラの理由が最後まで説明出来てないから「トリックです」とはならないんだよね。
親もいないのに部屋まで入り込んでるからだよ。する?そんなこと。
お姉ちゃんの行動がただのクラスメートとして不自然だから彼女に見えてるだけで、これは叙述トリックの巧みさでもなんでもない。
プリント押し付けられて仲がいいわけでもないむしろ嫌ってる男子の家まで行ったら、ドア越しでプリント渡してパッと帰るよね。
2回目はもっとひどい。
元からクソ野郎だと思ってたけど妹を虐待してて暴力癖まである奴だとほぼわかった。
なんでそんな奴の家に平然と一人で入っていけるの?またしても親もいないし。
引き続きお兄ちゃんの彼女かなにかに見えるのはこのおかしい行動のせいなんだよね。
この行動が出来るのはせいぜいお兄ちゃんの彼女、それもお兄ちゃんのことを色々見透かして性格が強くて精神的に支配してるような彼女。
お兄ちゃんのようなああいう性格と世間体の奴が虐待を暴かれて問い詰められたら逆上するよね。
小さい女の子日常的に殴ってるような奴が同級生女子から非難されたり殴られたりしたらどうすると思う?
別にそういう場面に慣れてなくてもそれぐらいの想像はつくはずなのに
おねえちゃんは終始なんの緊張感もなく堂々と振る舞ってるし
何の怖気もなくパンチで圧倒する。
この展開も確かに意表を突かれるけど、これはトリックが凄いとかじゃなくてみんなの行動がおかしいだけじゃん?
なんでおにいちゃんはあれだけクズなのに何の反撃もせずされるがままなの?
とりあえず口を塞ごうと思ったらお姉ちゃんを殺しちゃって大惨事とかになるよね?
「お兄ちゃんの彼女」→「異様に強キャラ感のある変な女」→「母親に虐待されてる女」→「強キャラ感じゃなくてマジで強い女」になってるけど、
それぞれが見え方の問題ではなく行動自体がおかしくて、その理由が結局説明出来てない。
これもうトリックとかミスリードとかじゃなく単に滅茶苦茶なだけでしょ。
キャラがぶれてるという言い方すら生ぬるい。
まほちゃん視点で年上のお姉さんが強キャラに見えてたとかじゃなくて、
クズお兄ちゃんを精神的にも暴力的にも圧倒してるからマジで強いだけだし。
何故一ミリも取り乱さず撥ねつけて帰れるのか、
全部説明なし。
こんなのをトリックの中心部に置いたらそれは構成やトリックとしては0点でしょ。
「酒乱ぽい母親」より「どうしようもないクズで弱い者への暴力癖のある同級生男子」の方が怖くないとか弱いだなんてこともないだろうし。
小学生同士のいじめに介入するお姉ちゃんとかならこの強キャラ感や圧倒力でもいいかもしれないけど。
これはまほちゃん視点どうこう叙述トリック的にどうこうじゃなくて
単に出来が悪いだけですぜ?
(『響』みたいに女子高生主人公の胆力と暴力をテーマとした漫画なら違う評価になるけど、
あくまで構成力やトリック的なものを評価させようとしてるのであればと言う話ね。
(ちなみに『響』はテーマである暴力描写については真摯だったので素人女子高生が正面からパンチ一発で相手を昏倒させるなんて場面は一度もない。
響がお姉ちゃんの立場だったら、リビングの重いもの握って洗濯機の音に紛れて忍び寄り背後から頭にガツン→崩れ落ちたところに顔面蹴りだと思う。殺しかねないけど確実に反撃能力は削ぐ。)
別に、頑張って構成して絵を描いて1本の漫画を仕上げた作者に対しては1ミリも悪意的なことを言いたいわけじゃないのよ。
けど読者サイドについては、これを「構成が見事」とか「四季賞級」とか言う人達はどうかと思うのよね。
あなたたちは流し読みの雰囲気しか受け取ってないレベルだよね。
それでまた腹立つんだけど
こうやってものすごく雑に読んで雑に褒め上げる読者が
ちゃんと読みこんだうえで「これこれこうだからうーん、いまいち」っていう読者よりも
「素直な良い読者」であるみたいな言い方をするじゃん。
んなアホな。
ヘタクソで腐ヲタ向けだけど、お暇なら聞いてください。
「ヒマジン」
推しの呟きに リプは飛ばせないよな
鍵の垢なら 萌えが吐ける
それでいいさと ブクマだけ欠かさずに
ずっと隠れて 楽しそうに見てる
ああ 今 自CPで
受けが綺麗と笑うのは攻めがいい
でも辛いねって苦しそうなのも
別れそうになって伸ばした手で抱き寄せて
行くなよって寂しそうなのも
それも攻めがいい
意外と続いたね と増田に書こうとして
打ちかけのまま ポケットに入れた
変われないかな
受けが綺麗と笑うのは攻めがいい
同志が見つかるかもと
ただ落ち着かないんだ
思えばどんな映画を見たって
行ってみたい都会の地でやるオンリーも
頭に描くのはいつでも
見慣れたはずの シチュがこんなにも
馬鹿だな モレは
攻めはどんな顔をしてるんだろう
受けが綺麗だねってツイに書きたくなるんだろう
モレは やっぱりモレは
受けが綺麗と笑うのは攻めがいい
でも辛いねって苦しそうなのも
別れそうになって伸ばした手で抱き締めて
好きだよって叫びそうなのも
全部攻めがいい
先日、ここ十数年使っていなかったMIXIからメールが届いていることに気がついた
この同級生とは十年前に参加した同窓会にも参加していなかったため、40年以上没交渉
ならば宗教勧誘かなにかと思ったものの、一応中身を確認してみた
はて、何かあったかと思い出をひねり出してみるも何も出てこない
むしろ同級生の顔すらおぼろげで、そもそも同級生だったのかすら怪しい
同学年であったことは間違いないのだが
流石にこのご時世、得体のしれない相手と直接交渉する気にはなれないので、謝罪内容を書いて寄越すように返事をしてみた
何度か直接会って話すと拒否されたものの、没交渉が長かったこと、このご時世対面したくはないことを伝えると、
すると、私にとっては黒歴史と化していた事件の事実が書かれていた
数ヶ月前に自分の子供が冤罪をかけられクラスメイト、教師から疎まれて心を病んでしまったこと
ここで過去に自分が犯してしまった罪を思い出し、謝罪を思い立ったこと
そうだ、長らく忘れていたが、自分が人を信じなくなったのはこの当りだった
当時、学級文庫は係が貸し出しノートに記載し、返却の際には係に告げ、返却を確認することになっていた
当時人気の本を借りた私も読み終わって返却した
だが、その本がなくなったのだ
人気の本だったので、順番待ちしている生徒多く、ついには騒ぎになった
だが、所詮は子供、最後に借りた人間が犯人であると騒がれてしまったのだ
結局、担任教師も私の話なぞ聞かず、家に忘れてきたのだろうと責め立てられた
当然その教師から親に連絡が行き、家中探させられたのだがあるはずもなく
最終的に親が二冊学級文庫に寄贈するということで話が付いたことを覚えている
教師と親との間でどんな話が持たれたのかは一切知らない
私はこの事件を切っ掛けに借りた本を無くした悪いやつ
という悪のレッテルを張られたまま数年を過ごすこととなった
そして同級生のみならず、教師と親の信頼も信用も同時に失ったのだ
流石に中学校に上がってからは思い出話にも出てこないようなものではあったが、
それ以来と言っては大げさかもしれないが、物の貸し借り、出納には厳しくあたってきた
全てを記録したがる癖はこの時身についたのかもしれない
同級生の贖罪の気持ちはわかるが、これは自分が楽になりたいだけの謝罪であることは明白
子供が似たようなことに巻き込まれてようやく自分の犯した罪の重さに気が付き、
その重さに耐えきれなくなって没交渉の相手に連絡をとってきたのだろう
この同級生に直接謝罪の機会を設ける代わりに子供を同席させる、とか
誠意が見えないと暗喩してみる、とか
色々頭をめぐるものがあるが、そんなことをしてみたところで私の失った信頼と信用と人生は帰ってこない
だが、それを伝えれば、きっと、40年も昔のことを未だに恨んでいる器量の狭いやつと揶揄されるだろう
当時私を糾弾した人間全員に釈明してこいというのも一興かもしれない
結局、私は同級生に返事を書けずにいる
今更謝罪などされても、何も変わらず、私としては胸のモヤが深まるだけだ
同級生の禊を手伝う気にもなれない
子供のことと私のことは別の話であること明白だが、親の因果が子に報いが思い浮かぶ程度には気の毒には思っている
ただ、同級生には今後40年は苦しんで貰うほうがこちらとしても溜飲が下がる思いだ
私は40年目の真実を胸に前に進むことにする
例え残された人生があと僅かであったとしてもだ
少々ポエムチックになってしまったが、家族知人に話せる内容でもなく、
BLが好きだが、男性向けエロもアナルモノが好きだし、Pornohubやxvideoなんかでもブクマはほぼほぼアナルモノ。
私がアナルに目覚めてしまったのはJCの頃。たまたま聞いてた深夜ラジオのHなネタコーナーである。
「お尻に単三電池入れてオナニーしてたらおじいちゃんに見られてとっさにロボットのマネをした」アホな投稿だった。
だが、それを聞いて「お尻って気持ちいいの?」って思ってしまったのだ。
元々早熟で、JSの小さいころからΦを圧迫すればなんか気持ちよくなると知ってしまってた。
そこからラジオをマネて圧迫オナの度にお尻にも何か入れるようになった。
お尻に処女膜はないので気軽に乾電池から始まり、サインペンになり、極太サインペンにと辿る。
大人になってΦの処女をうしなうと、元よりエロイことに興味が大きい私は当然の如く大人のオモチャにも手を出す。
まあ色々買ったよね。ついでにアナル用も買ったよね。
で、当時付き合っていた人と別れた後、オナニーがついついお尻に偏ってしまった。
別にΦが嫌いとかそういう訳ではないし、ポルチオでイケる。でもお尻が好きだから手が伸びるのがソッチってだけである。
で、そんなひとり上手な状態で、実に15年くらいソロ活動に勤しんでいた。
この15年で情報はボンボン手に入るようになり、どうすればよりお尻で気持ちよくなれるのかとか、入れた後に手ごたえのあるところがヒューストン弁だとか、もっと奥のS状結腸まで行くにはどのくらいの長さのオモチャが必要かとか、そういう知識が身についた。
割と最近S状結腸も攻略できた。2年くらいゆっくりオナニーできる時に結腸攻略に挑んでいたのだが、先日結腸前の壁をこねこねしてる時にいきなりズボッと奥へオモチャが嵌った。
「おお!これが結腸か!」喜び勇んで結腸用のオモチャを取り出し入れてみた。
最大太さ3.7cmの玉が8個連なってるタイプの全長50cmもある結腸越え用オモチャ。それまでは5個目までしか入らなかった。
はたしてオモチャは入った。ちょっと苦しかったが50cmを納めきって根元の吸盤の付け根までずっぽり。嬉しくてそのズッポリ咥えているケツを自撮りした。
ちょっと私の開発具合に話が逸れすぎた。まあそんな性活を今までしていた。
で、話は変わるが三か月くらい前に恋人が出来た。彼女は長い付き合いの相手で、出来たと言うか15年前の恋人と同一人物である。
付き合ってない間もシモの話を含めてあらゆる話をする仲だったので、私がアナルマニアなのも知ってる。
その恋人と一度エッチした時、準備を特にせずになだれこんだのでΦにも指しか入れなかった。
私はポルチオではイケるが、Gスポではイケないので、正直言うと演技をした。
まあ乳首でイケるし、クリも可愛がってもらったので、Φ以外は満足だったのだが。
先日オナニーしている最中に「このままじゃだめなんじゃないか」と考えてしまった。
とりあえず、イケるとこを増やしておこうとGスポを開発してみようという気になった。
アナル用の短いプラグはGスポ開発にも使えそうだったので、よーく洗ったプラグをつっこんで、Gスポとクリを同時責めしてみた。
結果はんー?ってかんじ。クリの気持ちよさはあるのだが、Gスポが気持ちいいのかよくわからない。
まあ慣れれば変わってくるかもしれない。そう思ってた。
入れようとしたバイブは普段はお尻に使ってるガンガンピストンするバイブだった。太さは3.2cmくらい。挿入長は15cm程度。
尻ならちょいとワセリンを塗ればツルンと呑み込む、いつものヤツだった。
それにコンドームを被せ、ローションを塗り、さあΦに入れるぞ!と押し付けた。
・
・
・
押し付けた
・
・
・
入らねえ。
よくご無沙汰のΦに対して「クモの巣が張る」なんて暗喩を聞くが、テンパるくらいに入らない。
つか、処女喪った時より痛い気がする。
もしかしてこれが噂に聞く膣痙攣か?リラックス、リラックス……。
リラックスついでに他のディルドを使ってアナルオナニーしてみる。こっちはいつもどおりだ。ふつうに入る。
Φと*は8の字筋と言う筋肉で繋がってるはずなので、お尻に入るならきっと膣痙攣ではないだろう。
・
・
・
入らない。
リラックス目的でやったアナルオナニーでだいぶ満足していたので、その日私はもうちょっとお尻をいじってから終了とした。
その後も何度かΦに挿入を試みてみた。
2.8cm以下のプラグやディルドなら難なく入る。まだGスポは分かんないがポルチオは刺激すれば気持ちがいい。
でもやっぱり3.2cm以上のプラグやディルドは痛くて入らない。
幸か不幸か、恋人はAセクなのでこっちが色々仕掛けないと手を出してこない。
私はHがしたくても、相手は基本そんな気にならない質なので難しい相手だ。
たぶんこれから先も私はソロ活動を極めると思うし、そのうち追々Φも普通に普通サイズが入るようになるかも知れない。
つれづれなるままに書いたが、要は
勿論タイトルは釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリア(チェコ)人なわけですけど。
独文学というとカフカ、カフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較的ポピュラーな御仁であります。ユダヤ人の家庭に生まれ、生地である現在のチェコ=プラハの言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアスな人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています。
カフカの文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカの作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものをカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリックや暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカの抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカの立場というものが表れているように思われます。カフカは基本的にコミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身の人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。
コミュニケーションという営みは人間と基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分の人生や他人の人生をコントロールしようとします。しかし、そのような一般的なコミュニケーションの立場と、カフカのコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われます。とはいえ、カフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。
つまり、カフカはユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家や国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカは現在のチェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまり、カフカは自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。
カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーションを根本的に支える言語というものは――自身の人生をリラックスさせ、他者との間に健全なコミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種の異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうが、しかしやはりこの視点はカフカを理解する上では切っても切れない重要な点となります。カフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋の異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語やレトリックは基本的に、一種の生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家の国民が土着言語を用いず宗主国の言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語と人格は複雑に結びつき、そして、自身の人格や感情を表す際に、極めて重要な役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかしカフカにおいてはそれは事実ではありません。
カフカの作品群において、カフカは言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語の構成に依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまりは暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカの文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事や物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水が現実の自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身の感情を説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情を説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。
この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マンの文学においても、感情や内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます。感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーションや言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます。言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。
しかしそのコミュニケーションへの失望が結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーションに失望をしていてさえなお、小説をものしたのですから。
何故カフカは文学を書いたのでしょうか? 文学は自己表現である、という一般的な見方と、カフカの文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学は自己から自己への感情の乖離です。いわば自己の自己に対する乖離そのものです。
そのような営みは、恐らくカフカの人間性に淀みを与えているようにさえ思えます。自己の自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊的行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊を目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家や小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命と生活の痕跡を世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまり、カフカの文学はコミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーションや言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。
結論から言えば、カフカが文章を書いていたのは、恐らく乖離を目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己を乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己を省察可能な対象として対置する行為が、彼の文学の目的の一部だったと言えるでしょう。
このような記述は文学における一般論の範疇を出たものではなく、彼の人生や文学の目的は未だもって謎に包まれています。カフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーションの媒体である文字や言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。
夢月ロアと金魚坂めいろの騒動について、色々twitterやnoteやはてなでお気持ちを垂れ流してるお前ら。悲しかったり苦々しかったり、燃えろよ燃えろの気分で見てるんだろうが、燃えろよ燃えろ組以外は諦めろ。にじさんじはこれからも定期的にこの手の炎上をし続けるぞ。
2.金魚坂めいろというライバーがデビューした(ウリの一つが訛り)
3.金魚坂めいろの訛りが、自分(夢月ロア)の訛りのパクリだと思った夢月ロアが金魚坂めいろに抗議をした(夢月は自分の訛りをオリジナルの訛りだと主張している)
4.金魚坂めいろは自分の訛りは自然に出るものだからと主張して突っぱねた
6.金魚坂めいろは運営にも不信感をいだき、お気持ち配信したり、夢月ロアを暗喩するアレコレを配信やtweetに仕込んだ。結果として多くの金魚坂視聴者が夢月にヘイトを向けるようになった
7.金魚坂めいろがVtuberのスキャンダルを燃やすことを専業にしている鳴神裁という人物に内部情報をリークした
8.リークにより話題が一気に金魚坂・夢月界隈からにじさんじ外部まで広がった
10.話題が大きくなりすぎたため、運営と夢月ロアが内情や経緯を公開した
みたいな感じだ。詳細はググってくれ。
初見の人でもこう思っただろう「こんなもん、いくらでも回避方法があるやろ」
そのとおり。
「夢月ロアが金魚坂を訛り仲間として引き入れる方針をとったら?」「金魚坂が夢月の主張を受け入れて訛りをフェードアウトさせていたら?」「運営の仲裁が金魚坂に不信感を抱かせるものでなかったら?」「金魚坂が視聴者にいたずらに匂わせをしなければ?外部にリークしなければ?」....
twitterを見れば何十種類でも回避案は見つけられるだろう。
「でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。だから、この話はここでお終いなんだ。」
上記のセリフの元ネタ(ブラックラグーン)でもそうだが、いろんな要素が運悪く噛み合うと残念な結果になる。人間通同士の喧嘩はもちろん、飛行機事故も現場猫案件もそうだ。だから絶対にこれからもこの手の炎上はなくならない。
こういうと、「いや、飛行機事故なんかはシステムや運用、安全装置で回避できるはずだ」というやつがでるだろう。それも一理ある、にじさんじの場合ならなんらかのルールづくりやサポート体制によって防げるものもあるだろう。でもそれは事故の要因になる要素が、人間が人間である限り消えないもの(思想、心情、無能、不注意、怠慢、体調不良)でないものの場合だけだ。思想をもって事故を起こす人間は止められない。無能は問題を起こさない限り発覚しない。不注意も怠慢も体調不良も消えてなくなったりしない。
今回の例ではどうか
・あるライバーが他のライバーの特徴を「自分のパクリだ」と思う可能性を消滅させられるか?ノーだ
・ライバー間のやりとりで、ライバー同士の確執や軋轢が生まれる可能性を消滅させられるか?ノーだ
・あるライバーが他のライバーからの要求を突っぱねる可能性を消滅させられるか?ノーだ
・ライバー間の揉め事に運営が仲裁に入った際、ライバーが運営に不信感を持つ可能性を消滅させられるか?ノーだ。
・ライバーが揉め事に関して匂わせ配信をする可能性を消滅させられるか?ノーだ。
・ライバーが外部に情報をリークする可能性を消滅させられるか?ノーだ。
リスクを最小化していくことはできるだろう、今回の件の最後の2つなんかは、運営が禁止事項として定めれば抑止できる部分があるだろう(というかリークはうまく抑止されてる方だと思う)し、今回の金魚坂の件もある程度抑止力として働くだろう(だからこそ、金魚坂はクビ以外なかっただろう)。でも可能性は消えない。そして、上記のようなことは無限にバラエティがあり、大小あわせれば毎日のように発生する。
そこそこにじさんじを見ている人間なら、夢月とは全く関係のないところでも特定のライバー同士に明確な確執があったり(ある時期から絡みがぱったり消えたり)、ライバー自身が「誰々とマジ喧嘩した」と明言したり、あるライバーから別のライバーに否定的な言葉が出たりするのを聞いたことがあるだろう。でもそれらは炎上しなかった。でも、明日もそうとは限らない。
一応、ほぼ完全に封じ込める処方箋もある。ライバーの権限を減らし、相互でのやり取りを制限し、配信内容を管理し、契約内容を厳しくし、それでもそこそこの待遇を維持できるなら、数年単位で無風を作ることはきっとできる。それが今のファンが期待するにじさんじかどうかは知らん。
まぁそんなわけだから、twitterやnoteやはてなでお気持ちを垂れ流してるお前、諦めろ、覚悟しろ。
お気持ち発信をやめろと言ってるんじゃない(犯罪や嫌がらせはやめろ)。自分たちは騒動が持ち上がるたびに悲しい気持ちになって、お気持ちを発信し続けるしかないのだと諦め、未来の騒動について覚悟しろ。ちょっとなれない初心者が運転する車の助手席に乗った気分で覚悟をしろ。運転者が優良ドライバーになる可能性を夢見るくらいは許してやるから。
クローゼット(英語: Closeted、および英語: in the closet)は、ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、クエスチョニング、インターセックス(LGBTQI)の人々で自身の性的指向や性同一性を公表していない状態を暗喩する言葉である。
言葉の背景
20世紀後半のアメリカでは「クローゼット」はゲイの歴史学や社会動態を把握するための重要なメタファーになっている。クローゼットの概念はカミングアウトのそれと切り離せないものがある。衣類を仕舞う「クローゼット」を当人の心に見たてて、「(性的指向を)隠している状態」(in the closet)と「表に出した状態」(come out of the closet)の二つの状態を暗喩して、当人の性的指向や性同一性の扱いを二元論的に示している。この背景から「クローゼット」な人物は「偽って暮らしている」「不幸な人生」という皮肉の意味でしばしば用いられている[1]。
前述の意味での「クローゼット」は第二次世界大戦後となる1950年代のアメリカで始まったとされる。「第一次世界大戦後のゲイの人々は…今の "coming out" という表現を使っていなかったが、 "into"という表現(同性愛社会やゲイの世界の『中に』入る)はあった。その当時も世間は大きくて人々の交流も盛んだったから…まさにクローゼットに隠しているようなものだった」(Chauncey 1994, emphasis added)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%88_(%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91)
一時期、ネトフリでジョーカー(Joker) 観れるよと推してる増田 (anond:20200709210553) がいたけどジョーカー観た?
個人的には、公開時に映画館で観たし、名作だけどドンヨリするので何回も見る映画じゃ無いかなぁって思うんだけど、
彼は日記にこう綴る (日記を書くシーンなので少しずつ日本語字幕が出てくる)、
(日本語字幕)
『心の病を持つものにとって最悪なのは・・・』
『世間の目だ』
『こう訴えてくる』
『心の病いなどない・・・』
『普通の人のように してろと』
(原文)
the worst part about
having a mental illness
is
people expect
you to behave
as if you
D😊NT
ホアキン・フェニックスの演技が最高だとか、 XXのシーンが映画○○のオマージュ・80年代の描写・美術が素晴らしいとか、
△△の暗喩・社会風刺がとか、どこまでが本当かわからない構成がイカしてる(すべて虚構 ジョークの可能性あり)とか、
そういうんじゃ全然無くて、
あの映画を観て多くの人がドンヨリした気分になったことを知れたことだ
『困難を抱えている人にみな共感することができる』、
社会性動物なんで当たり前っちゃ当たり前の話でもあるんだけど、文字にすると、言葉にすると、闇を照らすような言葉だよね?
(当たり前の例)
[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full
[Current Biology] Harm to Others Acts as a Negative Reinforcer in Rats
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8
日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)
https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/
実際、ジョーカーの日記の文でネット検索すると、出てくるでてくる共感の言葉 (もちろん暴力と精神疾患を結びつけるな誤解を招く😡もあったよ)
そして、Quora に出てくる "The worst part of having a mental illness is people expect you to behave as if you don't."Do you agree with this statement?
とまったく同じ文言の質問の山 (その質問は既にありますよの概念は世界中どこにも存在しない)
ほんで、山を覗いたり、blogを見たりすると、精神医療従事者に限らず、
『身体の障害は目に見えるが精神の障害は目に見えないため、元気に見える(障害を持っているように見えない)』
『理解の無い人たちに、“病いや障害は無い。普通に振る舞え” と言われるか、“クレージー” と言われる』
『精神疾患が無いように振る舞うことを強制することは、当事者から自信を奪い、病状を深刻に悪化させる』
『昔の同性愛者・女性・黒人(白人以外の人種)のように社会に差別され抑制されている』
『彼らは、愛、共感、思いやり で扱われるべき』
って言ってるし、
よっぽどこのフレーズが気に入ったのか引用したTシャツ・トレーナーなどのアイテムやパロディ商品も作られている
「ああよかった、また世界はひとつ、優しくなった、良くなった」と言って良さそうな風にも見えるけど、
どうですか? 映画 ジョーカー(Joker) の 後では、世界は少しは思いやりのある生きやすい場所になった感はありますか?
まぁおそらくそうはなってはいなくて、わたしたちは想像力があり共感も出来るのに、どうしてそうなっちゃうのかというと、
Quora で、ある元教師いわく、
(多くの人は、「人と違う」人を非常に不愉快に思います。彼らは病気の人、障害者(ディスエイブルド、ハンディキャップ、チャレンジド)を無視することを好みます。
ほとんどの場合、「他者」に対してどのように行動すべきかについての無知と知識の欠如であり、彼らの不安は回避行動に変換されます)
でも、『どのように行動すべきかについての知識の欠如』が原因なのはわかっているけれど、わたしたちは具体的にどんなアクションをするべきなんでしょうね?
数学や科学などの用語を日常的な文脈で暗喩として用いるのはやめてほしい。ものすごく頭が悪そうで、見ている側が恥ずかしくなる。
公共の場所で、「ウチの地元でタクさん知らない人なんかいねえよ。三中のフジモトとタメ張ってたからね」なんて言ってる人がいたら、学の無い人なんだなあ、と思うだろう。それと同様。
元はDCインサイドという別の大手掲示板から削除された過激/有害な書き込みを集めたまとめサイトが発祥だが今は独立した掲示板となっている。
必ずしも批判的な蔑称というわけではなく、外国人も各地域の有名料理の名前を付けて使用する。
寿司女、カレー女、ウォッカ女、フィッシュ&チップス女等。
イルベは女性蔑視のかなり強い男性中心のコミュニティなので女性からの批判の声も多いが、中絶情報を共有してるようなお前らが俺らの道徳性を批判してんじゃねえという意味が込められている。
イルベユーザーは全員障害者扱いされているのでキリクキリク(車椅子や義足などを使うときに生じる擬音)を合言葉のように使う。
アニメオタクに対し気持ち悪いから一生隔離場所に閉じこもってろという意味が込められている。
全羅道(イルベでよくイジられている地域)を理由もなく批判するために使用。
ちなみに丸焼きとは死傷者340人となった大邱地下鉄放火事件が元になっている。
全羅道住民が批判されることを恐れて別地方出身/在住を騙ることに由来。
「慶尚道民です」と書き込んだ後に逮捕された青年が全羅道住民として報道された逸話は多くのイルベ民の爆笑を誘った。
盧武鉉元大統領の演説動画と音楽を合わせて使ったMAD動画などを指す。
盧武鉉元大統領+無限RTの造語。Twitterなどで行われる工作RTなどを指す。
盧武鉉元大統領の漢字姓。韓国語で「ノー」の音になる部分で無意味に使われる。
イルベ民が5月23日にSNSやメッセンジャーアプリのプロフィール画像を上下反転させる習慣を流行させ物議を醸した。
ネカマが男性のオナニー動画を言葉巧みに入手しそれを材料に金銭を脅し取るモムケム詐欺が流行した。
急発進や前方確認不足でまともなドライバーを驚かす女性ドライバーをヘラジカに例えている。
フェミニストに都合の良い言葉だけ並べて本心はセックスしたいという下心しかない男のことを指す。
意図的にこれを装い多くの反論を集めるレス乞食も問題になっている。
女性が女性という立場(女性器)を使って都合よく金銭的に得をするテクニックを指す。
女性というだけで男性に奢られることやホワイトデーの数倍返しの要求、女性器を使い金銭的に余裕のある男性と結婚し扶養に入るなど。
ガンとは雌のことを指し、また存在が癌的であることも指している。
誤報や誹謗中傷問題などの責任がよくイルベ住民に押し付けられることに由来。
イルベユーザーであることをカミングアウトすることを指す。大抵の場合ドン引きされる。
女性だと自らカミングアウトすることに加え、「俺も男だが~」から始まる女臭さを隠せてない女性擁護の書き込みなどのことも指す。
コミュニティの崩壊を招きかねないので大変な禁忌とされている。
とある地域で特定の政党の支持率が90%を超えたことを受けどこかの国のようだと思ったイルベ民が作った造語。
整形モンスターを指す造語。主に人造人間のような顔と胸を持つ女性を指す。
金大中元大統領が北朝鮮への金融支援で実質的に核開発に貢献したことからつけられた蔑称。
ペンギンとはバットマンの敵キャラであるペンギンと顔が似ていることからついた。