はてなキーワード: 暗喩とは
まず初めに、お気持ちでもなんでも、意味の通る長文を書けるだけでそれは「能力」である。内容がいくら恥ずかしいものでも、長文を書くことは決して恥ずかしいことではない。そして長文を「書ける」能力があることは、「書けない」自分の上位互換である。大富豪で超有名なローカルルールに8切りがある。殆どの場合場を流したほうがお得だが、「流さない選択もできる8切り」があったら、「絶対に流す8切り」の上位互換であることは間違いない。使い所はわからないが。書けるという選択肢は、あって損はない。得はわからないが。
第一に、お気持ちの種がないとお気持ち長文は生えてこない。種があれば2000字くらいはサクッと書ける私でも、種無しでなんか書けって言われてもパンティーって5文字書いて終わりだ。なんでも良い。好きな作品の心にひっかかった展開でも、嫌いな作品の嫌いな一コマでも、どうにかしてぶちのめしてやりたいノロケ増田でも、なんでもいい。何かしらの種を拾ってこよう。やる気があるなら、日々それを貯めておこう。いつかそれが、面白い短編小説になることがあるかもしれない。
お気持ち長文に必須なのが自分語りだ。自分に全く興味のない生きてるのか死んでるのかよーわからん人間でも、「自分がなぜこんな考えを持ってるのか」くらいのことは語れるのだ。ちゃんとした秀才か天才でもない限り、人は何かを「自分が体験したこと」に全てをなぞらえがちな傾向がある。恥ずかしいことではない。そういった類推ができることも、立派な能力だ。わりと誰でも持っている能力であることも事実だが。その誰でも持っている能力が、実は結構他人にとって価値があったりもする。なぜなら、当人が「しょーもない自分のしょーもない体験」と思っていることでも、他人にとっては「その人として生きていないのに、その人の追体験ができる種」になるからだ。自分語りはどんどんしていけ。ここはアノニマスダイアリ、匿名の掃き溜めだ。お気持ち自分語り長文がかければ、お気持ち長文初級編の免許皆伝だ。
ここから中級編。好きなもの、嫌いなものに関して言いたいことは皆様多々あるだろう。全部書くと、ほんとに散漫なお気持ち長"駄"文になる。1つにトピックスを絞ろう。一番好きなところ、一番気に食わないところが良い。それを言いたいがために自分語りも引用もする、ということができると、ビシッと焦点の合ったいいお気持ちが書ける。そして重大なポイントだが、これをタイトルにするんだ。タイトルっていうのは、読み手が「これどういう意味だ?」ってなったときの手助けになる。この暗喩伝わるかな、って思ってもタイトルにヒントがあると意外と読めるし、それを読めた人は文章をちょっとだけ好意的に読んでくれる。読み解けた俺スゲー、が続きを読む原動力になる。これが出来ると、「長文なのにスッと読めた」とか、「この比喩までこだわってるのイイね」みたいなコメントが付き始める。意図して出来たら中級免許皆伝だ。
上級は?と聞かれるかもしれんが、私もまだまだ修行中の身。中級も頑張っているところだ。世界に広がるお気持ち長文の文化、みんなも試していいんじゃないか。
ところで、この文章の書き方は、読書感想文コンクールで無双できる書き方でもあるのだ。本の中でひかかったワンフレーズに対して、あーでもないこーでもないと持論と自分語りをペタペタくっつけていけば、国語教師が花丸をくれるようなものが書ける。そこに社会問題とかでも絡めておけば、ナントカ賞みたいなゴミも貰えたりする。少なくとも、2ページと1行のイヤイヤ書かされた悲惨なものにはならない。何でも良いから書いていこう。
昨今は、書物のタイトルにもウェブページにも、沢山「生きづらさ」について書かれていますね。私は「生きづらさ」を感じたことはありません。都合よく生きています。ぶっちゃけ他人に生きづらさを感じさせる「圧倒的加害者側」の立場だからだと思います。辛い目にあわせてしまった人たち、ごめんなさい。
今まで生きてきて沢山の天才に出会ってきました。勉強は勿論のこと、イラスト、音楽的や、料理、セルフプロデュースなど芸術的な才能、コミュニケーション能力、洞察力、周囲への気配りといった対人関係を圧倒的有利に傾けさせる力といったところでしょうか。私が手に入らなった、文才を持つ人も何人も目の前に現れました。
私は凡人です。ですが、天才を沢山殺してきました。暗喩ですが、本当に殺してきたと自負しています。簡単に言えば、私のせいで、心理的肉体的負担を与えて潰してしまったことです。一人一人お詫びして回りたいですが、そういった被害を被った天才たちは私の顔も名前も思い出したくないでしょう。詫びの金品も欲しがらないと思います。私が逃げているだけでしょうが。こういう罪の意識ははっきりとあり、残りの人生は隠れ住むように生きます、結婚も子どもも作りません、娯楽という概念を捨てます。一生罪を償っていきます。とふとした拍子に思います。どうしようもなく生きています。すぐに死ぬのが正解なのですが、勤め先に迷惑がかかるなどと言い訳をして生き延びます。正直、今だって、職失って、家を解約すればすぐ実行に移せるはずです。少し前に、引っ越しをきっかけに自分の所持物を9割くらい減らしたとき、この世に私の痕跡はほとんど消せた、やっと死ねると思いました。結局己の愚鈍さに負けて飛べませんでした。人を現世に縛るのは、なんでしょう。なんとなく生きたくないを引きづって生きることに絶望しています。こういったです。私は天才達の死体の上をスキップしています。
宇宙から来たという不思議ちゃんの同級生の少女に惹かれていく小学生男子の話だった。
本来の姿はヘドロが積み上がったような姿だと工作の時間に模型みたいのを作ってみたりもしている。
(細かいツッコミを入れると、生体を惑星間移動させられるような技術を持っている生物の見た目が原始的なのは矛盾が甚だしいからもうそろそろやめてくれ。)
結局可愛いから、美人だからっていうふうにしか物事がとらえられなくなるだろっていう話。
最後は宇宙人と心が通い合いました!みたいな美談風に終わるんだけど、本当にそうなのか?
言葉もままならないままにそんなの歩いてたら速攻射殺案件だろ。
そうじゃなければ捕まって研究対象になるだけ。
そしたら地球人は野蛮だってことになって宇宙戦争。それが現実。
そういうふうにならないための擬態っていうなら、周りから注目されるような美人になっちゃダメだろうがよ。
結局この話は、地球人は見た目に騙される単純ないきものです。っていうことしか語れてないんだよな。
個人的には最後の転校生の存在がそれを裏付けるような暗喩に思えてしまって、真面目に演技している小学生をバカにしている最高に胸糞悪い映画だった。
映画の名前も覚えてないし、単独の映画を吊し上げたいわけではないので思い出すつもりもないけど。
この映画に限らず、浅いストーリーを登場人物の見た目だけでごまかすの本当にクソ。
そのくせ地球外生物と心通わせることができました!人間美しい!みたいなことを語られると本当に頭にくる。
美男美少女なら何でも許せるし許される。誰かが違うと言ったって、それを支持する圧倒的多数の前では無力同然。
努力で埋められるって言ったって、同じ努力されたら何倍差が開くと思ってるんだよ。
俺だってトムクルーズに生まれてたら同じだけ努力できるっつの。
ここだけの話、このままコロナ終わらなければみんな顔の半分をマスクで隠してる分フェアでいいよなーと真面目に思ってる。
これからの世の中、感染症も匿名性も守ってくれるマスクって割と必須アイテムになると思うんだけどどうだろう。
とりあえず町中歩いている利害のまったくない人間相手に顔を隠してられるのっていいことしかないよな。
「今日のあたしはチョロいわ」って言うのが合図
なんか素敵だった思い出も思い出しながら書くとなんか違うところにフォーカスしちゃっててつたわりづらくなっちゃう、その時の率直な気持ちよさみたいなことかきたかったのに。
だからさっき上に上がってた沖縄旅行のエントリとかはすごいいいなって思ったし、文章上手くかけてその時の気持ちを保管できる、アンド人に伝えることまで出来る人にほんとすごい。
やり続ければ出来るようになるのかもって思ってとりあえずかいてみた。また書こうかな。勝手にやってろやって思われるだろうけど。たまにくる反応が面白いからここに投稿してみる。あと前から思ってたんだけどうんこ投げコメントってなんだ?何かの暗喩?まあいいや。
大変趣がある。◎
尾崎放哉や種田山頭火の系譜を思わせる自由律の裏側に、女性用の下着という単純な提起だけに一見思えるが、
読む相手によって想像の奥行きに無限を与えており、鑑賞者に委ねる事で季節感についても省略の技巧を凝らし、
自らが感じ取るパンティーに対する悲喜こもごもの感情を想起させることがたった5文字に凝集されている。
私には、興奮のあまり後先を考えない若者の高揚の発露と見ることができた。
その場合、確かに性行為を暗喩する上でパンティーは乱暴に放り出され、脱がされ丸まったパンティーは、
興奮が冷めるまで注目され得ないことを見事に表現している。
情熱の本体は、行為の開始によってパンティーではなく人間本体に移ることにもこの表現技法は適切に見える。
文学や映像の世界で修辞的技法である、性行為の生々しい場面を、夜が明ける、花が落ちるなどの
比喩であらわす作品は陳腐化されているが、この作品では自然に視点を逸らすことに成功した。
パンティーはどんな色だろうか、汗ばんでいるだろうか、とするとこの行為に及んだ人はどんな人物だろうか。
どんな季節だろうか、どんな部屋だろうか。好奇心をこれほど擽る作品に出合えたことに感動している。
昔の偉い人ははこう言ったかもしれない。
一本の線がどう見えるのか。それを鑑賞する者に託すことが芸術の強さだ。
子供が描いたような絵が、何億もの価値で売られるのを目にすることがある。
その人には無価値にしか見えないことが、他の人にはとても価値があるように見える。
一滴の水と見るか、大海の一部と見るか。全ては自分次第なのだ。
私はこの作品を生涯忘れない宝物にしたい。
https://anond.hatelabo.jp/20200322025040
They walked along by the old canal
A little confused, I remember well
And stopped into a strange hotel
( ・3・) ふたりは古い運河に沿って歩いた。少しまごついていたのをわたしはよく覚えている。そしてふたりはネオンの輝く奇妙なホテルに入った。
――「奇妙なホテル」とは?
( ・3・) ホールにフランク・ザッパの蝋人形でも飾ってあったんじゃないか? ああ、この strange というのは unfamiliar ということだな。――ネオンの輝く見知らぬホテルに入った。彼は夜の熱気に打たれるのを感じた。まるで運命のひとひねりと共に走る貨物列車がぶつかってきたようだった。
( ・3・) 夕暮れの公園にいたふたりが歩きだす。ネオンが光っているから、あたりはもうすっかり暗くなったんだろうな。「わたし」の記憶によると、少しまごついていたようだが……。
――「わたし」が出てきましたね。
( ・3・) ふたりの背後に忍びよる謎の人物……。落ち着かない心の内までお見通しとは、たいした観察力だ。
――……。
( ・3・) いや、分かってるよ。賢明なる読者諸氏ならば、「わたし」の正体は説明せずともお分かりになるはずだ、ってことだろ? 分からないとおかしい。ナボコフの『 』を読んで、「 」と「 」とが同一人物だと気づかないようなものだ。
――『 』は読んでいないのですが……。
( ・3・) だから少しは本を読めって。ただしまともな本だぞ。『死にたくなければラ・モンテ・ヤングを聴きなさい』みたいなのは読書にカウントされないからな。
――話を元に戻しましょう。
( ・3・) 三人称の物語だったはずなのに、一人称の「わたし」がぱっと現れて、さっと消える。聴き手は混乱するんだけど、何事もなかったかのように、彼と彼女との物語が続いていく。
――はい。人称の問題は後で見直すとして、脚韻についてはどうでしょう。
( ・3・) 1行目と2行目、canal と well は母音が合っていないんじゃないか?
――子音しか合っていません。脚韻は、強勢の置かれた母音以降の音が一致しないといけないので、この箇所は韻を外していることになります。そのうえ、1行目と2行目とでは旋律も違います。
( ・3・) 違ったっけ。
――違うんです。第一スタンザでは、1行目・2行目・3行目はきれいに韻を踏んで、旋律も同じかたちでした。ところが、第二スタンザでは、1行目・2行目で母音が揃わず、canal は上昇する旋律、well は下降する旋律です。というか、"I remember well" のところは、はっきりした音程がありません。そこだけ語りのようになっています。
( ・3・) 例の「わたし」が出てくるところだな。ひょっとしたら、わざと韻を外して、旋律も外して、「わたし」に対する違和感を際立たせようとしているんじゃないか?
――わざとかどうかは分かりませんが、定型から逸脱することで、聴き手の注意を喚起する効果はあると思います。
( ・3・) となると、韻を踏まないことにも意味がありうるわけだ――あれ、6行目と7行目、train と fate も韻を踏んでいないぞ。
――6行目は train ではなく freight train の freight が脚韻にあたります。
( ・3・) まず列車の概念があって、それからより具体的には貨物列車、という思考の流れではないんだな。まずフェイトという音の響きがあって、その響きが無意識の言葉の渦からフレイトをひっぱり出してくる。それから列車の概念がフレイトにくっついてやってくる。意味が音を追いかけているみたいで面白いな。
A saxophone someplace far off played
As she was walkin’ by the arcade
As the light bust through a beat-up shade
( ・3・) どこか遠くでサックスを吹いている人がいた。――これは順番をひっくり返さないとうまくいかないな。――彼女がアーケイドを歩いていると、どこか遠くからサックスが聞こえてきた。くたびれた日よけから光が差し込み、彼は目を覚ました。
――まだ覚ましてはいません。
( ・3・) ――彼は目を覚ましつつあった。彼女は門のところで盲人のカップにコインを入れた。そして運命のひとひねりのことは忘れてしまった。
( ・3・) 夜から朝になった。どこか遠くでサックスを吹いている人がいる。時を同じくして、彼女はどこかへ歩いていく。そしてまた時を同じくして、夢うつつで横になった彼の部屋に光が差す。一行ごとに場面が切り替わって、映画みたいだ。
( ・3・) どこかへ歩いていく彼女は、そのまま消えてしまう。盲人のカップにコインを入れる、というのが何か象徴的な行為なんだな、きっと。運命、盲人、テイレシアス、と連想が働くせいでそう感じるのかもしれないが。
――何を象徴しているんですか?
( ・3・) 何かをだよ。メルヴィルの白鯨は何を象徴しているんだ?
――何かをですね。
( ・3・) そう。ある行為や対象が何を意味するのか一義的に定まらないとき、その行為や対象は象徴性を帯びるんだ。ひとつ賢くなったな。
――とはいえ、門のところの盲人は運命を告げるわけではなく――
( ・3・) それどころか、彼女は運命のひとひねりなんて気にしてないんだな、ちっとも。
――強い。
( ・3・) 強い。運命に抗う者は悲劇的な最期を遂げるが、運命に関わらない者はいつまでも幸せに暮らすんだ。――じゃあ、ありがたい教訓も得られたことだし、次に進もうか。
――その前にひとつだけ。わたしが面白いと思うのは、彼女が去っていくのを誰も見ていない点なんです。まず、どこか遠くのサックス奏者は物語に関与しない。
( ・3・) 音だけの出演。
――部屋では彼はまだ寝ている。そして門のところの盲人には――
( ・3・) 彼女は見えない。なるほど、興味深い指摘だ。きみ、名前は?
――……。
( ・3・) 名前は?
( ・3・) アルトゥーロ、ありがとう。そんなところにも彼女の強さというか、優位性が表れているのかもしれないな。
He woke up, the room was bare
He told himself he didn’t care
Felt an emptiness inside
To which he just could not relate
――ハーモニカの間奏を挟んで、ここからは後半です。彼と彼女とがいっしょにいる、あるいは少なくとも近くにいるのが前半でしたが、ディラン先生のハーモニカを聴いている間に、彼女のいた世界は彼女のいなくなった世界に変わってしまいました。――では、どうぞ。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は熊だった。
――クマ。
( ・3・) 「かすみの間」「うぐいすの間」みたいに、「グリズリーの間」だったんだよ。泊まった部屋の名前が。
――真面目にやりましょう。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は空っぽだった。彼女はどこにもいなかった。どうってことはないと自分に言い聞かせ、彼は窓を大きく押し開いた。心の内に虚しさを――
――虚しさを?
( ・3・) 虚しさを感じた。で、その虚しさというのは、彼がどうしてもリレイトできない――
――He just could not relate to an emptiness inside ということです。
( ・3・) どうしても関わることのできない虚しさ?
( ・3・) おまえが引きたいというのなら。
――ランダムハウスにちょうどいい例文が載っています。I can’t relate to the new music of Miles Davis. マイルス・デイヴィスの新しい音楽はわたしにはしっくりこない。――1972年に『オン・ザ・コーナー』を聴いた人はそう感じたかもしれません。そもそも1967年の『ソーサラー』からして、もう調性は不
( ・3・) 自分自身の虚しさとうまくつきあっていけない、と考えればいいのか。――どうしてもなじむことのできない虚しさを感じた。運命のひとひねりによってもたらされた虚しさを。
( ・3・) さっき "he was wakin' up" のところで「まだ目を覚ましてはいない」って添削が入ったのは、このスタンザの "He woke up" が念頭にあったからなんだな。
――そうです。ここではっきりと目を覚ます。
( ・3・) 彼女はいなくなっている。大丈夫だと自分に言い聞かせるってことは、大丈夫ではないわけだ。窓を開けたら心の内に虚しさを感じた、のくだりはなんだか分かる気がするな、感情の流れが。ぐっときたぜ。
――まず部屋が空っぽだという状況が語られる。でも本当に言わんとしているのは、彼の内面が空っぽになったことです。開いた窓のところに立って外と内とを画定することで、内面という言葉が自然に導かれています。
( ・3・) きみ、名前は?
He hears the ticking of the clocks
And walks along with a parrot that talks
Hunts her down by the waterfront docks
( ・3・) 時計がチクタクいうのが聞こえる。言葉を話すオウムを連れて歩く。水夫たちがやってくる港で彼女を捜す。また彼女が彼を見つけてくれるかもしれない。どれだけ待たなければならないのか。もう一度、運命のひとひねりが生じるのを。
( ・3・) 時計の音が聞こえてくるのにあわせて、時制が現在形になった。ここからは彼にとってまだ過去の出来事ではないんだな。
――彼女のいない現実が、一秒ごとに動かしがたいものになっていく。コンクリートが固まるみたいに。
( ・3・) 「言葉を話すオウムを連れて歩く」は何を意味するんだ? アメリカ文学で鳥がしゃべるといったら、ポウの「ザ・レイヴン」だな。死に別れた恋人と天国で再会できるだろうかと訊くと、鳥は「二度とない」と予言するんだ。
――このオウムは実在するんでしょうか? どこからともなく現れましたが。
( ・3・) そこを疑うの? 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」「エヴィデンスは?」みたいなものじゃないか。
――いえ、そうではなく、おそらく肩の上、耳元でオウムが話しているわけですよね、彼女を捜して歩いている間ずっと。それは暗喩ではないかと思うのですが。
( ・3・) おじいさんは暗喩としての山へ暗喩としての柴刈りに行きました。
――「周囲の人たちの話が、オウムの言葉のように空疎に聞こえてしまう」を暗喩的に言い換えると「言葉を話すオウムを連れて歩く」になりませんか?
( ・3・) 心ここにあらずだから、「よう、調子はどうだい?」と声をかけられても、「ヨウ、チョウシハドウダイ」と聞こえるわけか。まあ、そうかもしれないな。
To know and feel too much within
( ・3・) 内面を知りすぎてはいけない、感じすぎてはいけないと人は言う。わたしは今でも信じている。彼女はわたしの双子だったと。しかしわたしは指輪をなくしてしまった。彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた。運命のひとひねりのせいで。
( ・3・) 「わたし」が出てきたな。二番目のスタンザでは存在をちらっと匂わせる程度だったが、ようやく正体を現した。
( ・3・) そう。三人称・過去のかたちで物語が始まり、彼女がいなくなって時計の秒針が意識に上ったときから三人称・現在になる。そして今、一人称・現在で「わたし」=「彼」が胸の内を明かしている。
――すべて過去形で書くこともできたし、すべて三人称、あるいは一人称で書くこともできたと思うんですが、どうしてそうしなかったんでしょう?
( ・3・) なんだか「学習の手引き」みたいになってきたな。時制が変わるのは、彼女の不在が彼にとって現在の出来事でありつづけているから。人称が変わるのは――そうだな、最後のスタンザの心情は、客観的に、距離をおいて語れないんじゃないか。まだ傷が生々しくて。
――第四スタンザの「部屋は空っぽだった」から「窓を大きく押し開いた」のあたりはハードボイルドの流儀で、あまり感傷的にはなるまいという抑制が働いているんですが、最後のスタンザになると――
( ・3・) 抑制が外れて、ついでに三人称の仮面も外れる。他人の物語であるかのように体裁を保っていたのが、保てなくなる。こういう効果を生むためには、人称の変化が必要だったんだな。
別にこちらはソース至上主義でもないのだからソースを出す義理はないわけで。
でも「客観的材料を〜」と主張する側の人間が、ソースを出せないのは違うんじゃないの?
その点で、こちらとそちらは対等ではないよ。
>>お前の印象など知るか阿呆
>>お前の腐った脳みそ
>>仮に頭が悪いのでないとすれば、悪意に満ちている
暴言、増えてきたね。
ソースなんかなくてって、これが「成り立っている」という事実から答えは導き出せる。
仮に違和感を感じる消費者が大半であれば、こうしたものを売る商売は成り立たないわけだから。
(まさかアニメキャラが同じ顔というところまで否定するわけでもあるまい)
この辺は「オタク 冗談が通じない」「オタク 語彙力消滅」あたりで検索してもらいたい。
ソースがないから「嘘だ」とでも言うなら引っかかったサイトに手当たりしだい「嘘だ」と書き込んで、どうぞ?
表現の話題で「あくまで架空の個人であり女性全体とは無関係だ」というオタクが続出した。
それも一人や二人じゃない(このサイトを辿っていけばたくさん見つかると思うよ)。
ってツイッターに流れてきて、成程ツイッターもたまにいい言葉ながれるやんってなった。
多様性は自分の心の中にもって許す事で成立して、他人に押し付けた時点で、それは結局多様性の否定になってしまう。
素晴らしいと思うなら、自分で布教して、自分で作って、自分の背中で語れって事なのかな。
よく多様性として紹介される映画は、ズートピアとか、キャプテンマーベルとか、マーベル・ディズニー作品があるけど、結局活躍してるの黒人じゃん!女性やん!それの暗喩やん!ってなる事が多い。
実写版「キャッツ」とか、「異世界スマホ」とか、実写版「デビルマン」とか、pornhubで低評価が60%くらいになってる「一部の人」が好きな作品を見て「まぁ俺は無理だけど、好きな人もいるんじゃない?」
って思えることこそが多様性なのかもしんない。
でも結局この言葉を他人に押し付けた時点で、それは「自分にとって都合の良い多様性」の押し付けになってしまう事に留意したいよね。
○ご飯
朝食:なし。昼食:味噌煮込みうどん。夕食:パン、白菜とキノコと人参と鶏肉の塩ちゃんこ。
○調子
むきゅーはややー。
仕事中に、喉がとてもとても痛くなり、もう我慢できず早退させてもらった。
病院に行ったところ、喉の奥までカメラを通されて検査を受けた。喉が腫れていてよくない状態らしい。お薬をもらったので、早く良くなるといいな。
ただ、正直なところ、職場を出た瞬間ぐらいから、もうだいぶ良くなってて、単に精神的なものかもしれないなあ。
○遊ぶゲームランダムにきめーる「フライハイワークス」:「1:Shizuku」(3DSDLソフト)
○遊ぶゲームランダムにきめーる「ポケモン」:「1:ポケダン時」(DS)
このイベント、前にプレイしたときも思ったけど、同性愛カップルに子供ができることの暗喩のように思えてしょうがない。いや、同性愛カップルかどうかはプレイの仕方によるんだけどもさ。
○遊ぶゲームランダムにきめーる「最高のコンテンツを作る会社のゲーム群」:「3:本格スマホカードバトル」
ドラゴンのローウェンさんを8章までクリアした。エルフ、ロイヤル、ウィッチとプレイしてきたけど、ドラゴンは中々難しいな。
○遊ぶゲームランダムにきめーる「スマブラ参戦作品の元ネタを色々遊ぼう」:「1:スーパーマリオ」(スイッチのファミコンオンライン)
スーパーマリオって面白いね。いや、もうそんなの当たり前のことなんだろうけど、改めてこうしてプレイするとただただ面白いな。2もやろう。