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はてなキーワード: 映画批評とは

2016-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20160614105126

>でも、まったく文句のない自分にとってのとても面白い本なんて、20冊読んで1冊あればいいほう。

皆そんなもんじゃいかなあ

映画批評の例もあるので、思うように書いてみたらどうでしょう

匿名の利点を最大限に活かしましょう

2016-04-25

日本映画面白くない責任映画ファンにある

ちょっと古いネタだけど

【スクリーン雑記帖】今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言(1/5ページ) - 産経ニュース

俺は普段映画を見ないのね。で、話題になった次の増田を読んだ。

ここ最近で俺が面白いと思った実写邦画ベスト10

挙げられている映画10本。ブコメを見る限りでは、いいリストであるらしい。しかし、うち7本はまったく聞いたこともなかった。『野火』と『花とアリス殺人事件』はかろうじてタイトルを聞いたなあという程度。『海街 diary』はむしろ評判悪いと勘違いしていた。もちろん俺の情報感度が鈍いというのは認める。ただし、そんな俺の目にも触れる程度の大きな話題にはならなかったというのは事実だ。

一方で、こういうのはホッテントリ入りして目にするんだよな。

2015年 この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞 結果発表 - 破壊屋ブログ

まらない、またはつまらなそうな映画をいかに面白おかし茶化すかという大喜利企画。洋邦問わずだけど、標的にされるのは邦画が多い。

あと、こういうのとかさ。

超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」40点(100点満点中)

超映画批評「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」30点(100点満点中)

今はこれ。

超映画批評「テラフォーマーズ」5点(100点満点中)

話題作とくに漫画原作で点数低いとブクマされやすい。

映画ファンは、とくに邦画に関して、いかに貶すかバカにするかという点で芸を磨きすぎている感じがするんだよ。読んでみればわかるけど、上の記事はすこぶる面白いんだよな。他にも挙げれば宇多丸罵倒芸とかさ。面白い面白すぎるんだ。結果として、どうにも邦画の悪いイメージばかりが先行してしまっている。

一般論として、褒めたりお勧めしたりするよりも、批判したり貶したり茶化したりするほうが拡散伝播しやすいというのがあると思う。その上、映画ファン邦画に関しては後者に力が入っているのよね。結果、邦画がつまらないという話ばかりが蔓延して、良作が話題にならず埋もれてしまっている。素晴らしい作品だよという話を、いろいろな人から様々な形で目にし耳にすれば、1度劇場に足を運んでみようかと思うだろうけど、邦画に関して言えば、つまらない下らないバカバカしいと駄作の評判ばかり聞いて、良作を知る機会が少なくなってしまっているんだよね。俺が増田の紹介する10本の殆どを聞いたことすらないというのもこれが原因だろう。『海街 diary』を評判悪いと勘違いしていたのも、有名女優タレント)を揃えた邦画というだけで駄作なんだろうなという先入観をもち、認知を歪めたのだと思う。

じゃあ映画ファンはどうすればいいかというと、駄作の罵倒蔓延に負けないくらい大きな声で繰り返し繰り返し、自分の好きな映画評価できる作品を勧め褒めちぎるってことなんじゃないかな。参考になるのは『ガールズアンドパンツァー』というアニメ映画。「ガルパンはいいぞ」という言葉は目障りで気持ちいくらいに広がり、結果として多くの人に知られ、興行的に大成功を収めた。もちろんもともと良作なんだろうけど、それだけではこの興行収入は達成不可能だった。ファンがしつこいくらいに宣伝しまくって(自分も何度も足を運んでってのもあるようだが)、あの数字を叩きだしたわけだ。実写ファンもこういうことをやるべきなんだよ。くだらない映画茶化すことに頭をひねるのではなくて、見るべきだと思う映画をしつこいくらいに宣伝し、褒めちぎり、身近な人を半ば無理やり連れて行き、その作品数字を残す。映画話題で駄作の割合を減らし良作の割合を増やすように努力をする。そうすることで、邦画を取り巻く現状は大きく変わるのではないかと思う。傑作に心打たれるよりも、駄作をバカにしている方が楽しいんだったら、そりゃ日本映画レベルが低いのはお前らが望んだことじゃねえかとしか思わんよね。

いいかげん超映画批評を信用するのやめろよ

映画批評界のやらおん」と言っても過言ではない。

ブクマすら控えるべきレベル

2016-04-18

劇場版名探偵コナン 純黒の悪夢レビュー

いつもは本ブログ映画批評はしているのだが、今回は匿名ダイアリーにした。本ブログリア友に教えるのは絶対に嫌だし。

以下ネタバレを含みます。本作視聴済み以外の方は戻ってください>

映画館にぎりぎりで到着。実は女の子を1人誘ったんだけど体よく断られたので泣く泣く1人で来た。

さて今回の映画だが、結論から言ってまったく駄作である。もう見終わってびっくらこいた。ここまでつまらなく作れるのは逆に才能だと感じる。

まずコナンファンとしていわせてもらうと、映画の冒頭カーチェイス紺碧の棺で、記憶喪失ネタ瞳の中の暗殺者で既にやっているではないか!!もうこの時点で興ざめである

また驚いたのがキャラクター薄っぺらさだ。黒の組織FBI公安三すくみが今回のテーマだったようだが、FBIは冒頭にコナンタクシー代わりに使われたのち出てこないし、公安観覧車に同乗していたモブキュラソーの太ももプレスで簡単にイってしまうような腰抜けである赤井赤井ブンブン回るオスプレイを前に「難しい…」とつぶやくばかりでなかなかライフルを撃とうとしないし、安室に至ってはいきなりキレはじめてストリートファイトをおっぱじめたのである。この安っぽい韓国映画のような作風はどうにかならないのだろうか。

まり1人として魅力的なキャラクターが描けていないのである。これで喜んでいるのは格好良ければ何でもいいような脳みそ高野豆腐女子だけであろう。

キャラクターといえば新キャラキュラソー」にも触れなければならないだろうが、こいつは一体何だったのであろうか。せっかくの美貌とオッドアイという個性を持ち合わせているのに、さっさと記憶を消され、満足に活躍する間もないままダンプの中でプチッである。まあ生かしておくと赤井を超えるチートキャラになるので死亡フラグは登場時点でビンビンに張っていたわけだが、それにしても作中ずっと「わからない…」を繰り返すだけの痴呆女に成り果ててしまった…これには俺もベルモットがっかりである

ベルモットで思い出したが、黒の組織あほすぎる。ヘリやオスプレイぶんぶん飛ばしまくっているようだが、あれは暗殺と言えるのだろうか。ちなみにオスプレイは上空200mを飛行していても90デシベル騒音が響く。彼らは水族館の照明を落としただけでご満足のようだが、地上の人間には丸わかりである(はずである)。あとちょっと笑ったのが、オスプレイに乗りながらズラかるときジンが「空自が来る前にずらかるぞ」と言っていたが、あまり航空自衛隊を舐めた発言である国籍不明未確認機をレーダーが捉えていないとでも思っているのだろうか、それとも首都高大爆破事件をもみ消した「大きな力」とやらがここでも働いているのだろうか。謎は深まるばかりである

ジンの話をもう少しさせてもらうと、驚いたのは以前より精細さを欠いた哀れなジンの姿である爆弾を仕掛けたはいもののあえなく解除され、空しく起爆スイッチを連打する姿は面白すぎるし、いきなりオスプレイからガトリング砲をぶちまける姿はまるでクールとは正反対だ。実はこいつは非常にアホなのでは?そもそも組織内にFBIだのCIAだのがガバガバに潜入しているのもこいつの責任なのかもしれない。しか倉庫バーボンキールを追い詰めたのにも関わらず、メール一本で「まあいい…」って、あなたあの残酷なまでのポリシーはどこに行ったのでしょうか。

と、ここまで残念続きのキャラクターたちであるが、キャラクターを作ったのは主に青山剛昌であるしかし今回の駄作映画戦犯はやはりお涙ちょうだいの情けないB級ストーリーであろう。これは原作者ではなく映画制作班の責任も大きいと思う。

まず全体としてロジック筋道が立っていないのは本当にやめて頂きたい。ゆっくり視聴しているのに、いちいち思考する必要が出てきて非常にしんどいのである映画時間に厳しく制限をつけることで視聴者解釈余地を与えないことが利点であるのに、僕が映画中に女の子のことを考えているようでは失格である

特に頭をひねるのが、映画終盤、ベルモットが「あのメールを送ったのはあなた?」とキュラソー電話で聞いたのに対し、キュラソーが一瞬の躊躇のあと「えぇ、そうよ…」と答える場面。

コナンによってメール送信されたのはキュラソー記憶喪失中で、その後もメール送信に関してキュラソーが何らかの情報を得た、ような描写存在していない、つまりこの電話の時点でキュラソーメールことなどまったく知らないのである。ではキュラソーはなぜこのような返答をしたのであろうか。考えられる説としては、

1.キュラソーが送ったと答えたのはカーチェイス中に送ったメールのことだった

2.少年探偵団の仕業だと予感し、とっさに判断した

1の場合ならば返答の説明はつくが、一瞬の躊躇の説明がつかない。あれは別に思い出すのに時間がかかったのではないだろう。

2の場合もどうであろうか。彼女少年探偵団を頭が切れる集団だと捉えていたとは到底思えないし、クールキッドとは特に絡みもなかったのでこれもあり得ないだろう。

どちらにせよ心理描写が描けない監督なのは間違いがないようである

さて、数々の爆破と死傷者を出し、屍を踏み越えてきた黒の組織さらにNo.2であるRUM存在示唆され、物語は紛糾を極めている。作者は「原作100巻までに物語を完結させる」と息巻いているが、果たしてこのペースで間に合うのであろうか。物語は始まったばかりである

2016-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20160414171615

 んー、広告代理店ゴリ押しが嫌われるのと根は同じだやね。

後は文芸評とか映画批評とか? んで面白さは人それぞれなんで、つまんないのが持ち上がってると納得行かない。

 対策は簡単なんだよ。もっと面白い物があると思ったらそれを拾ってきて拡める。

こいつツマラン、って思ったら似たような面白いサイトをそれこそ持ち上げればいんじゃね?

 一番難しいのはその行為に見返りを求めず続けられるか。

 取り敢えずはてな以外のランキング貼るからそこからピックアップしてブクマしてみたら?

総合   http://blog.with2.net/

ブログ村 http://www.blogmura.com/ranking.html

goo  http://blog.goo.ne.jp/portal/access_ranking/

yahoo  http://blogs.yahoo.co.jp/THBLOG/top.html?dt=w

楽天   http://plaza.rakuten.co.jp/acc/g600/

excite  http://www.exblog.jp/ranking/

こういうのいいのか知らんし、多過ぎてよく分からんけどな(笑)

こんなんもあるのか。

ランク対策 http://ebloger.net/ranking-comparison/

 三人いればいいんでしょ? 呼び掛けはマズイらしいから主観で紹介すればいいじゃん。

暇な時に俺もやってみるよ。誰かの目につくかどうかは知らんけどね。

2016-02-19

年間映画数本しか見ないぼく、の親父がおすすめする映画

イラ映画館では確かに一本か二本くらいしかみないけどね。

前田さんの映画批評は好きな方。

今はもうなくなったけど、サイト名忘れたがなんかいっぱい映画評論やってたサイトがあってそこのほうが好きだったな。

 

亡くなった親父が黒澤明の大ファンで、黒澤明全集みたいなの持ってたな、ぼくは読んだ事ないけど。

ちっちゃい頃から七人の侍」は凄いとか、「生きる」を見ろ、とか「乱」は流石黒澤だ、とかよく聞かされたもんだ。

スターウォーズテレビで一緒に見たときは散々、この映画は「隠し砦の三悪人」の真似だ、とか言ってたっけ。

でもルーカスの事は褒めてたよ。スピルバーグも凄いって。

なので一発目はこれ。

 

用心棒監督は当然黒澤明

マニアックな事はおらっちにはわかんねーけど、めっちゃ面白いよね、これ。

三船敏郎演じる素浪人の「桑畑三十郎」がかっこいいし、仲代達也演じるやくざもかっこいい。

また殺陣が素晴らしいし、オイラ素人から専門的なことはよく分からんけど構図とか色々めっちゃ凝ってる。

七人の侍同様凄すぎて、アメリカ映画とかに真似されまくったらしいけど。

パート2に当たる「椿三十郎」も同じくらい名作だよ。最後の血飛沫が出すぎだけどw

 

ゴッドファーザー」フランシス・コッポラ監督

親父はこの映画コッポラも凄いって言ってたな。

でもオイラ最初の方にある馬の首のシーンが恐すぎて、ちっちゃい頃はそれ以上見る事が出来なかった。

最近改めて見てみると、凄い映画だなぁと思ったね。

マーロン・ブランド以上に凄みのある人なんて入るのかなぁ?と思ってしまうくらい。どう見ても明らかにほっぺた脱脂綿含んでるけどw

とにかく、マフィアこええええええええって映画ですけど、人間愛・親子愛・兄弟愛みたいなのが実に濃く描かれてます

なお親父に言わせれば、コッポラもこの映画で黒澤の真似してるんだってさ。

「悪い奴ほど良く眠る」だったっけかな、なんか真似されてるらしい。

 

パリ、テキサスヴィム・ヴェンダース監督

いやこれは正確には親父のおすすめではないんだけどね。

たまたま親父がテレビつけたまま寝てて、そこに映ってた映画がこれだったってこと。

なぜか親父がイビキするその部屋でじっと見てたわけ。

かなり昔の話なので、内容はあんまりはっきりとは覚えてないが、とにかくぼろぼろ大泣きした映画

わけも分からずに見ててこんなに大泣きした映画はこれしかないw

最後のシーンと言うか景色がめっくちゃ素晴らしいと言うのは強烈に記憶に残ってます

 

クラッシュ監督ポール・ハギス

偉い古い映画ばっかりの紹介だけどこれは最近。つっても公開は多分10年前かな。

ぼくは前評判も聞かず大した情報もないまま映画見て感動するのが好きで、なので10見たら9は失敗なんだけど、そんな中で当たった映画の1つ。

この映画アカデミー作品賞取ったなんて知らなかった。

いやこの映画マジで凄い。

脚本が物凄く良く出来てて、調べるとボールハギスは同じくアカデミー賞取ったクリント・イーストウッド監督の「ミリオンラーベイビー」の脚本書いた人って言うじゃないか。

とにかくすんばらしい!手放しで絶賛。・・・親父は何の関係もないがw

 

砂の器野村芳太郎監督。でもこの監督よく知らんw

親父は生前、繰り返し「砂の器」がいいって何度も言ってたんだけど、オイラあんまりそうは思わんかった。

ハンセン病? これがよく分からんかったからかも知れんけど、何せ起きた犯罪殺人一件としょぼくて・・・ごめん。

ただ、親父も言ってたけど、ゴッドファーザーの曲を真似したとしか思えんテーマ曲はなかなかいいとは思った。

 

とりあえずこんな感じで。

2015-11-08

屍者の帝国

 伊藤計劃はディティールの作家だった。

 はっきり言ってしまえば、虐殺器官トリックハーモニーアイディアも、SF観点からするとさして目新しいものではない凡庸ものだ。

 にも関わらず、「夭逝天才作家」として祭り上げられる以前から○○おじさんを含むめんどくさい連中に評価されている理由は何かと考えると、ディティールの積み上げる圧倒的なリアリティにあるのだと思う。

 虐殺器官に出てくる心理マスキング処理、ハーモニーに出てくるアマゾンめいた個人評価スター、これらは今現在からの延長線上の未来として演算される現実的もので、一部の組織企業内では既に現実のものとして実装されているものであろう。

 彼の死から早6年、彼の最後作品である屍者の帝国が、Project itohの最初映像作品として公開される、それも彼が最も愛した映画という形をとってだ。

 6年間、それはあまりにも長い時間でした。僕らの好きだった計劃さんは、どうしようもなくめんどくさい(そして愛すべき)はてダ映画おじさんという存在から、いつの間にかに「夭逝天才作家」という世間を騒がすアイドルになっていてProject itohなるもの始動してしまう始末。

 それでも、それでも、Projectに苦虫を噛み潰したような表情で立ちすくむ○○おじさんたちも、御大小説映像化されることには公開される前は素直に喜んで胸のときめきを抑えきれなかったはず、そう公開される前は。なんなんですか、いざ公開されたとなればハダリーたんのおっぱいとか階差機関に対する言及はあれども映画のものに対しては皆口をつぐみ挙句の果てに「地獄はここにあるんですよ」と指差す始末。

 はっきり言おう、○○おじさんたちは生前の計劃さんから何も学んでいないと。

 映画批評っていうのはレビューではない。もっと体系的だし、少なくともウェブに溢れる「面白い」「つまらない」といった感想程度のゴシップではない。

 批評とはそんなくだらないおしゃべりではなく、もっと体系的で、ボリュームのある読みものだ。もっと厳密にいえば「〜が描写できていない」「キャラクターが弱い」「人間が描けていない」とかいった印象批評規範批評の粗雑な合体であってはいけない。厳密な意味での「批評」は、その映画から思いもよらなかったヴィジョンをひねり出すことができる、面白い読み物だ。

 だから、こいつは映画批評じゃない。まさに印象批評的で、規範批評的で、それはすべて、ぼくが紹介する映画を魅力的に見せるためにとった戦略だ。

 面白い映画面白かった、という。

 このページでいろいろ書いていることは、結局そういうことだ。

「おかえり、フライデー

 人間は死亡すると、生前に比べて21g体重が減少することが確認されている。それが霊素の重さ、いわば魂の重さだ。我々は魂が抜けた肉体に擬似霊素をインストールすることによって死者を蘇らせる。

 原作は我らが伊藤計劃、そして円城塔。といってもたった30枚の遺稿は映画化にあたってオミットされている。メディアミックスなるもの今日当たり前のものになりつつあるのに、なぜかこと映画化に関しては地雷であるという評価が当然のものになりつつある、特にマンガアニメ原作付きのものに関しては顕著だ。本作もその類に漏れず、○○おじさん達から大変な不評を買ってしまっているが、伊藤作品映像化という観点からすれば私は十二分に楽しむことができる傑作だと思った。

 原作付き映画に何を期待するかは人によってそれぞれ違うが、原作ストーリー通りに話が展開するだとか、セリフを忠実に再現するだとか、冒頭の30枚を残すだとか、少なくとも私はそういったことには重みを置かない。小説には文字の、映画には映像の文法がそれぞれあるのだから、単に忠実に再現するだけでは翻訳として成り立たないし、少なくともメディアミックスとしての価値はない。それは原作ファンを称するクラスタに向けた言い訳に過ぎず、怠惰姿勢だと思う。

 文字とはすなわち情報であり、映像もすなわち情報である。その違いがどこにあるかというとtxtファイルwmvファイルの容量を比べるまでもなく、圧倒的な情報量にある。つまり同じシーンを描写するにあっても、映像化のためには不足する情報を画面に徹底的に描き込まなければならない。では不足する情報をどこから補ってくるかといえばやはり原作であるのだが、単に帰納演算に基づいて情報を付加すると、あたかjpeg画像を拡大したように荒く違和感を感じるものになってしまう。そこで映像化にあたっては、原作を入念に読み込み世界観理解したうえで、原作存在しなかった情報を加えることでディティールを明確にする。一方でその情報量が過剰であるが故に、人は文字を3時間追うことができても、映像を3時間観ることは困難なのもまた事実現実的には予算だとか尺の問題だが)。そこで行われるのは物語圧縮である。先に述べた情報の付加と異なり、如何に情報量を減らさずに短い時間に収めるか、如何にディティールを残したまま圧縮できるかが肝になる。

 こうして完成した映像作品は、個々人の頭の中に存在する「原作」とは違ったものとなっているので、ほぼ確実に違和感を与えることになる、場合によってはそれが不評の原因になるかもしれない。だが、ここであえて言わせてもらえば、その違和感こそがメディアミックスとしての醍醐味であって、映画を見る楽しみの観点であろうと。

 私はかつて植民地だった地域によくある上海租界のような場所が好きだ。それは現実宗主国建築物を現地にある材料で模したまがい物に過ぎないのだけれども、望郷の念からか過剰に演出されたそれらの建物は本物のフランスイギリス建物より本物らしく見える。例えるなら歌舞伎女形女性より女らしいようなものだ。

 映像化された屍者の帝国に、私は原作より原作らしいもの、あるいは書かれることがなかった、この世界線には存在しない真の原作面影を感じることができたと思う。

 ボンベイにたむろする屍者の労働者、○○おじさんにも大好評だった圧倒的なディティールの階差機関、白く荒涼としたカザフスタン目黒雅叙園相撲浮世絵ジャパン映像化に際して付加された情報量についてだけでも映画として申し分ない。かつて彼が愛していた世界観型の映画のように、産業革命時代に屍者技術なるもの存在した場合どんな世の中になるかというSF観点なif、たったひとつの嘘による世界構築がなされている。

 「あなたにもう一度逢いたかった、聞かせて欲しかった、あなた言葉の続きを。」

原作ではフライデー円城塔で、ワトソン伊藤計劃にあたる。彼が残したテキストを読み足りない情報を補って、作家伊藤計劃脳内にエミュレートして続編を書くという行為を考えれば当然の配役である小説エピローグで、彼岸に渡ったワトソンを思ってフライデーは自らの意思を持ち動き出す。一方、映画ではその立場が逆転して、ワトソン円城塔フライデー伊藤計劃にあたり、旅の目的伊藤計劃の復活である映画の文法としては旅の目的明確化だが、○○おじさんにとっての不評の元凶となる改変だ。BLノイタミナだとdisる気持ちもわからなくはないけど、ヴィクター書記を手に入れて伊藤計劃を復活させるという話が映像化第一弾として公開されることに意味を感じる。

 冒頭にも書いたが伊藤計劃小説は言ってしまえばそんなでもないし、同じようなものを書ける人は出てくる。けど、彼の映画批評のような愛と薀蓄に溢れた文書を書ける人はもう出てこないような気がする。それでも彼がもし生きていればこの映画をどう評論しただろうか、死んだ彼がこの映画を見たらどう評論しただろうか。

 あなたはここにいるわ、そう思えるような文書をみんなもっと書いて欲しい。

2015-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20151017161356

ヲタク特有の知識ひけらかしたい欲求、似非アカデミズム欲求みたいなのがあって「語りたい」んだよ。

でも純文学批評とか映画批評は先行研究がたくさんあってそれらを一通りおさえておかないと小馬鹿にされて終わる。だからラノベとか深夜アニメとかギャルゲとかを語って先行者がいないところででかい顔しようぜっていうのは東だったわけなんだが、いまラノベを語っているのはそのさら尻尾だよ。中心点は彼らの内的世界肥大した自意識であって、ラノベってのは重要じゃないんだよ。便利な生贄ってだけ。

2015-10-05

最近マングローブが潰れたことで虐殺器官の話がよく出てくるから伊藤計劃についてのウィキを見た。この人32歳で作家デビューの29歳ではてなダイアリー開設って…。なんだこのざわざわするような経歴。しかも、34で亡くなってて、2作しか出してないけど伝説的という判断の難しい経歴してる.それまで興味のなかった作家名前から唐突はてなダイアリー名前が出てきて、作家デビュー比較的遅咲きで、もっと言うとブログ創作ではなく評論系だと知ってなんとなく気になり始めてる…ぼんやりと.まぁ、前から「有名になる前ははてなダイアリー使ってました」とか「作家デビューする前はブログガンガン書いてた」的な人の存在は聞くから今更驚くことはないけど、ちょうど僕がはてなに入るのと入れ替わりに亡くなってた人だったか全然存在を知らない・聞かない・興味ないで寝耳に水だった。最後日記が(亡くなる2ヶ月前で)酷い病状を綴った生存報告で、プロフ典型的はてな民みたく非モテがうんぬんとか書いてる…。なんだこの異質な空間

ああ…あと3年早く伊藤計劃さんの映画批評記事は見たかった。自分がしたい方向性に対するものは多分こういうことなんだということがガッツリ書かれてた。これは読んで良かった。今の僕には葛藤がないけど、ないことを再確認させてくれた。さっきの映画評とは反対に「これ、文章力が桁違いに高いけど、中身は(古参の)はてなおっさんが考えそうなことそのものだよなぁ」ということに驚いてる。そして、少しはわかる分だけ胸打たれる自分がいる。

芸術系就職率というか進路の不安定さって薄い奴と濃ゆい奴の不協和音産物なんだと伊藤計劃さんのブログを見て気づいた。薄い人は「なんで来たの」という程度でしかなく、濃ゆい人はその人らに時間を潰されたり、自分達を批評しうる相手に出会えず煮詰まったりしていくんだろうなぁ…。と思った。

僕は中学生からオタしてた人に比べるとオタになった年齢も歳行ってからだし、もっと言うとそれ以前も特に文学少年だったわけでもないから趣向として深いところに行きたいと思ってても、結局薄いものの中にしか選択肢がないと頭の中で思う程度の世界観しか長らくなかった人間ゆえ、どちらでもあり、ない。そこが難しくて、ぬるオタならヌルオタ、濃いオタクなら濃いオタクになれると幾分か幸せになれる気はするが、あいにくどっちにもついていけないんだよなぁ…。それで「自分ルールオタクしよう。他人必要としないマニアが多いモノをつまみ食いしていこう」という不思議オタクをしてるわけだ。高校生まで4大週刊誌モーニングぐらいしか読んでなかった人間中学から同人誌読んでたオタクオタク力で勝てるわけ無いじゃん!エドワードゴーリー読んだら家族会議が始める母親のもとで母親がすすめるカラマゾフの兄弟をきっちり読める息子が育つと思う?…という家庭環境でした。「濃いオタクをやりたいんだったら、発達がある程度完了した中学生高校生の段階でキッチリ文学読んだほうがいいよ」と僕は言っておく。大学生になってから読むのは結構しんどい大学生になると何にも縛られないから辛いことをやりたくなくなるんだよ。

から、グリザリアの果実みたいな話になっちゃうんだけど、高校生までにすべきことは読書と同年代とのセックスなんだよ。その2つができてれば人生結構豊かだが、私の人生はその2つをしそこねたかモテとしてもオタクとしても中途半端で、独自路線模索せざるを得ない状況になってしまった。電波教師じゃないけど、高校生勉強してる場合じゃないんだよ。旧帝大早慶に行ける自信がないなら、1文学読むこと、2同級生セックスすること、3部活かなんかで体力をつけることの3つにリソース傾けたほうがいいよ。パワーもないやつはホームラン狙うより打ち分けやミート守備の練習すべき。身もふたもない話、高校卒業した後ならいつだって大学なんていけるけど、モテることで救われたり、文学知識・読む体力が要求される(映画からゲームまで様々な)娯楽に没頭できる年齢は若いうちしかなく、またその時鍛えてからじゃ遅い!若さの使い方を学校にまるなげするな!自分のために若さを使え

前に、貧乳向け下着を作った二十歳の女からアートニートクズしかいない」みたいな書き込みを見て「いや、20で道が決まってるほどキッチリと道を見つけてたか環境があったか、レールを敷いてもらったかしたあなた幸せなんだよ」と言いたくなったことがあるけど、今の気分そんな感じ

何か他人フォーマットに当てはまらない事に気づいても、それで悲観するのはやめよう。他人フォーマットしかない人生でもなきゃ、自分フォーマットを作っちゃいけないわけでもない。他人に当てはめるばかりじゃ自分の持ってるパーツをよく吟味しなくなってますます自分が作れなくなっていくからね。そりゃ、高校生だったら適合してるかもしくは今からでもできるという指針としてこうすべきということはあるが、それは自分ではもうできない。今の自分にできるのはフォーマットの中に入れたなら入り続けることで、入れなかったのなら作ること。過去にどうすべきだったはさほど意味は無い。0ではないが

僕はあなたじゃないけど、あなたじゃないといけないってことでもない。畏怖や憧れは相手への経緯を超えて自分比較したらタダの嫉妬か、むしろマイナスの後悔にしかならない。あなたにも、またお前にもなれず、組み込まれることもないと気づいた時点ですべきことはもっとあるだろうからそれをしようか

“「自分が読めていないだけなのじゃないだろか」”/これ、逆も怖いんだよなぁ…しんかいさんみたく「自分けが読めているか10年前の作品自分だけは批評できる」みたいなスタンス。そんなわけないのにね♪あと、「誰も信じるな」という大きなタイトル批評の話の前についているのも個人的には好き。引用ゲーム評論をするアニメオタク系の評論の人を知ってるがアレはいわゆる権威主義的でしかなく考えてさえない

danose Zガンダムグリザイアの果実電波教師モテを語るオタク。ついでに殴られるしんかい。やはりしんかいは許されなかった。

2015-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20150914213551

映画批評なんて参考にしてる奴はいないだろうからどうでもいいんだが、水原希子ミカサはわりと高評価も多くないか?

2015-09-14

進撃の巨人問題点は、監督じゃない。

前田有一の「超映画批評」で、進撃の巨人(後編)が俎上に上がっている。

やたらと監督批判が厳しくて、話題になっているが、私としては監督は悪くないと思う。

 

この作品何が悪いかというと、基本的に、配役が悪すぎる。

水原希子ミカサにはまったく合わないキャラという評判だ。また、演技も不評だ。

  http://laughy.jp/1438845157277107155

 

石原さとみも、かわいいことはかわいいが、恋愛ドラマには向いているとしても、凄惨作品には合わない。

 

俳優だけでなく、脚本家もひどい。脚本は、プロではなくて、ただの評論家である町山智浩なんていう人物が書いている。(もう一人との共同脚本だが。)こんなアマチュア脚本を任せるということ自体が間違っている。

 

こういう観点から見ると、監督もまた人選ミスだとわかる。樋口真嗣は、特撮監督ではあるが、監督としての実績は乏しい。日本沈没では成功したが、隠し砦の三悪人では大失敗し、のぼうの城では成功した、というくらい。系統的に見て、特撮を生かす系統監督であり、映画のもの演出能力は低いと見るしかない。他の大監督に付き添う特撮監督ぐらいの位置が適しているように見える。

 

結局、俳優脚本家監督も、すべて人選ミスだと言える.その責任はすべてプロデューサーにある。人選するのはプロデューサー仕事からだ。

 

今回の樋口真嗣監督は、この人が悪いというより、もともと能力を超えた仕事を割り振ったことに問題がある。樋口真嗣監督ばかりを責めるのでは可哀想だ。この監督は、何か悪いというよりは、単に監督としての能力が低いだけだ。悪いのは、そういう人に監督を任せたプロデューサーだ。責めるなら、プロデューサーを責めるべきだ。

 

p.s.

前作の 成功・不成功は、商業的に製作費を回収できたかどうかを基準に見ています作品出来映えではなくて。

 

2015-08-27

9月11月にかけて公開されるアクション洋画レビューまとめ

映画批評サイトRotten Tomato」からまとめてみました。


アントマン(ペイトン・リード監督9月公開)

批評家支持率:79%

観客支持率 :90%

批評家まとめ:ポール・ラッドチャーミングな演技のおかげで、『アントマン』はその小さなスケールにふさわしい形でマーベルスリルを観客に与えてくれる。もっとも、マーベルとしては最高クラスの傑作というわけではないが。

コメントピックアップ

褒「『アントマン』は面白い。なぜなら、大作映画的なトリックを大作映画的な誇張表現なしに実現しているからだ」――メル・キャンベル(「ジャンキー」)

貶「害虫ってスタート地点がスーパーヒーローとしてキワモノだな、って以外になにかあるの?」――リチャード・ローパー(「シカゴ・サン-タイムズ」)


キングスマンマシュー・ヴォーン監督9月公開)

批評家支持率:75%

観客支持率 :85%

批評家まとめ:スタイリッシュで、ロックで、なにより楽しいマシュー・ヴォーン監督ははしゃぎまくりの放埒さでもってスパイ映画打ち上げ成功した。

コメントピックアップ

褒「『キングスマン』は紳士にはオススメできない。この作品は、お下劣で血に飢えている俺らのための映画だ。遺漏なく完璧に練られた技巧で、邪悪オタクたちを爆笑させてくれる」――ビルゲ・エビリ(「ニューヨークマガジン/ヴァルチャ」)

貶「ヴォーン御大問題は、映画技術としてのバイオレンス描写に一切興味を持っていないところだ。彼はバイオレンス描写を使っているのではなく、浪費している」――マノーラ・ダージス(「ニューヨーク・タイムズ」)


ラストナイツ紀里谷和明監督11月公開)

批評家支持率: 16%

観客支持率 : 45%

批評まとめ: 面白みのないタイトルが中身の独創性のなさをよく表している。『ラストナイツ』は手垢のついたファンタジーによる比喩表現の寄せ集めだ。ジャンル的な目新しさ、面白みもない。

コメントピックアップ

褒「往時の作り手たちはラグジュアリーな息吹をジャンル映画に吹き込むすべを心得ていたものだ。もはやそんな大作はあまり観られなくなってしまったがね。私はこの作品が大好きだよ……欠点も含めて」――ジョン・ダーニエル(「スレート」)

貶「『ラストナイツ』はこの上ないほど完全な駄作だ。とにかくダルくてからっぽで、disる気力さえ沸かない」――クリスティ・ラミーア(「ロジャー・イーバートドットコム」)


ピクセルズ』クリス・コロンバス監督9月公開)

批評家支持率:16%

観客支持率:55%

批評まとめ: 懐かしのクソゲーのようだ。『ピクセルズ』は「やりなおし」のコインを追加する価値もないし、そもそも25セントに値するかも疑わしい。

コメントピックアップ

褒「まあ、80年代ネタてんこもりの内容は子どもにはウケないだろうけれど、それなりに面白いよ」――レイファー・グズマン(「ニュースデイ」)

貶「『ピクセル』にはウィットもなければジョークもない。よって言うべきことも何もない。ゲロだけはたっぷりあるけどな」――ジョン・セムレイ(「グローブ・アンド・メール」)


ファンタスティック・フォージョシュ・トランク監督10月公開)

批評家支持率:8%

観客支持率:21%

批評家まとめ:かったるい上にテンションも低い。『ファンタスティック・フォー』は必要ユーモアや喜びや色とりどりのスリルを欠いた状態で古典コミック現代的に翻訳するという、あまりに痛々しい過ちを犯している。

コメントピックアップ

褒「主演の四人――マイルズ・テラーケイト・マーラマイケル・B・ジョーダンジェイミー・ベル――は良いキャスティングだ。彼らのギーク理想主義ジョシュ・トランク監督の広い視野によく合っている」――ベン・サックス(「シカゴリーダー」)

貶「笑えるほどチープ。頭の悪さでは『未来惑星ザルドス』に迫るレベル」――クリスティ・ラミーア(「クリスティ・ラミーア・ドットコム」)


ジョン・ウィックチャド・スタエルスキ+デヴィッド・リーチ監督、10月公開)

批評家支持率:85%

観客支持率 :80%

批評家まとめ:スタイリッシュスリリング、めまぐるしいアクション。『ジョン・ウィック』はキアヌ・リーブスアクション映画へのカムバック作として満足な出来だ。今後のシリーズ展開が期待される。

コメントピックアップ

褒「完璧はいえない。だが、(特にハリウッド製中規模アクションドラマとして)際立っている。先週の金曜のレイトショーを観てからずっと私の心に固く刺さりつづけている作品だ」――デヴィッド・シムズ(「ジ・アトランティック」)

貶「スタイリッシュ暴力映画、ってだけ」――ブルースディオンズ(「ニューヨーカー」)


コードネーム U.N.C.L.E.ガイ・リッチー監督11月公開)

批評家支持率:67%

観客支持率 :80%

批評家まとめ:『コードネーム U.N.C.L.E.』は面白げな仕掛けとスター俳優でなんとか平凡なストーリーごまかそうとがんばった結果、全体としては本質のなさをギリギリ露呈せずにすんだデコボコアクションスリラー、といった趣に仕上がっている。

コメントピックアップ

褒「ここまで誰得?って作品もそうそうないと思うけど、だからこそ、この映画が上手にリンボーダンス踊れていることにビックリした」――ウェズリー・モリス(「グランランド」)

貶「見た目はいい(ガイ・リッチーはいだって巧妙な映像作家だ)ものの、古いドラマリメイクとしては圧倒的に受け身すぎ」――アダム・グラハム(「デトロイトニュース」)

2015-08-02

実写進撃の巨人感想(ややネタバレ

・60点。(ただし70点満点)

・(70点満点の映画の例:「ドゥームズデイ」「トロールハンター」「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!史上最恐の劇場版」など)

・とても面白かったです。

・「劇場版あまちゃん」を観に行ったら「橋本愛福士蒼汰セフレになっていた」という超展開。

・全国のあまちゃんファン激おこプンプン丸だが、能年玲奈ファンの私は、めっちゃかわいい能年ちゃんが観れたので大満足、といった塩梅

ホラー映画として観ると大変満足度が高い。

馬鹿登場人物

・けれん味のあるゴアシーン。

いまいちだと言われるシナリオも、ホラー映画と思えば十分すぎるぐらい。

・超映画批評、「リアル鬼ごっこ」75点、「進撃の巨人」40点

・「リアル鬼ごっこ」は、トリンドル玲奈の下着姿と、斎藤工白ブリーフ姿が観られた。

・たぶんそれが原因で35点差。

・結局、石原さとみおっぱいを出さなかったのが悪い。

石原さとみおっぱいを出してくれてさえいたら、本当に言うことがなかった。

石原さとみおっぱいが観たい。

・後編には期待しています

以下、たぶん大事伏線

原作で唯一の東洋ハーフミカサ役の水原希子が、映画版では唯一のアメリカ人とのハーフ

・冒頭シーンに出てくる爆弾金髪白人女性が描かれているので、作中に「西洋」は存在するはず

セリフ外来語がない


ということで後編は「巨人放射能大怪獣! 全部アメリカが悪いんや!」オチと予想します。

どうなる後編。出るのかおっぱい

2015-08-01

http://anond.hatelabo.jp/20150801134104

はてサという集団がいるというと、いかにも秘密結社的な恐ろしさがあるのかもしれないが、

その実、そいつらは組織力も結束力も富も名誉も実績もない独立した個の疎な集合体しかないので、

芸能人一人の発言翻弄される哀れな存在しかない。

ネトウヨ芸能人デヴィ夫人以下だよそいつらは。

映画を語るチカラも超映画批評未満。

こういうことを言うと「ケンイシュギガケンイシュギガー」としか言えないんだからおもしろいよね

2015-07-31

から批判されまくってクソサイト認定されていたものの、

から参入してきた2chまとめサイトなどが輪をかけて酷すぎて、

相対的評価が上がっているJ-CASTニュースGIGAZINE、超映画批評

[]よくある質問

望むと望まざると関わらず、権威を持つということは、そういうことだ。

今回は映画関連。

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.「超映画批評」への信頼度が人によって両極端なのはなぜですか。

「誰がどう見ても駄作」の批評への信頼度は高いが、そうじゃないときは個人の限界をモロに露呈させているからさ。

例えば、調子に乗って無意味な続編を作った映画として、私は「トワイライトサーガ系列をよく挙げるのだが……。

おっと、勘違いするなよ。メインターゲット層にの視点を絞っていえば、「トワイライト」はその役目を間違いなく果たしている。

ただ、分不相応流行り、調子に乗って無駄な続編を作ったのがダメというだけさ。

特に、そのシリーズの中でも「エクリプス」は、蛇足と駄作の境界で反復横とびしているような出来でね。

シリーズも板についてきただろうに未だ大根役者デフォルト顔がお口ポカーンヒロインのベラ。

少年雑誌ラブコメ漫画失笑するレベルの、「ニュームーン」での不自然三角関係を無理やり継続

明らかに吸血鬼エドワードのほうになびいているのに、ベラが狼男ジェイコブにキス要求したときは、新喜劇ばりのズッコケをしてしまったよ。

シナリオも、シリーズ全体から考えて不必要だと断言していい内容の薄さ。

唯一褒めたいアクションシーンすら、カップラーメンができるのすら待ってくれない。

そんな「エクリプス」に超映画批評は何点つけたと思う?

75点だ。

トワイライト」、「ニュームーン」よりも高い点数をつけてしまったんだ。

しかも、あのサイトではかなりいい方だということも、信頼を損なうには十分な理由だね。

最終作で、無駄パート1、2に引き伸ばした「ブレイキング・ドーン」の批評? 

ないんだな、これが。

あと、これは私にとっての例で、他にも明らかに変な点数をつけて批評をしているから、試しに探ってみるといい。

はいえ、これは超映画批評権威なんてないという話なだけで、そもそも個人の感想なんてアテにならないものさ。

もちろん誰にだっていえるが、大事なのは君が実際に観て感じた体験、それこそが真実なんだ。故に、己自身という「個」に勝る評論家存在しない。

批評がなければ映画が観れない、或いは批評を読んだだけで映画を観た気になるような輩でなければの話だが。

まあ、色々けなしたが、酷い低得点ときは割と信頼できると思うので、あのサイトは話半分で読むことをオススメするよ。

別に前田無一氏の人格までどうこういうつもりはないし。

Q.マントの似合うヒーローバットマンですか、スーパーマンですか。

その二択だけ?……じゃあ、スーパーマンで。

バットマンはカッコイイかもしれないが、私からすればあれはコウモリコスプレしたおっさんなので。申し訳ないが。

私がそう思うのは、やはり数十年前のTVドラマの影響が強いね(OPでひたすらバッマーンっていうやつだ)。

ファンにとっても、バットマン世間に知らしめたという意味で功績は評価するが、いかんせんコメディ色の強さが今のダークな世界観を好む層には合わない。

映画バットマンが、ボンバーマンのように爆弾を持って走るシーンや、サメ撃退するシーンはいま見ても面白いが、滑稽すぎるともいえる。

バットマンロビン」の評価を見てもそれは伺える。

残念だが、いまのバットマンに望まれていないんだ、そういうのは。

だって、好きなバットマン映画を挙げるなら「マスク・オブ・ファンタズム」を挙げるしな。

ああ、アニメテッドシリーズだよ、すまんな。

はいえ、アニメテッドシリーズとあるエピソードで、TVドラマバットマン俳優声優で参加したこともあるし、やはりTVドラマ版を無下に扱っちゃダメだとも思うんだ。

くれぐれも、リスペクトを忘れないことだよ。

ダークナイト」の吹き替えを観た時、声優がちゃんとクリスチャン・ベイルバットマン喋りをマネしていて吹き出しそうになったんだが、つまりそういうことだ。

2015-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20150620173841

お互い、見たことな映画批判し合ってる人って横から見たらシュールじゃん?

まずは一回見ろと、唾棄すべき作品だろうととりあえず見てからじゃないと、少なくとも映画批評とかそうじゃん。わざわざ見て文句言うのが最低ラインと言うか。

せめて、君は見た上でリスペクトが~とかいってんのかと思ったけど、どうやら違うみたいだし、それだと拝聴しても深い話は出ないだろうしどうでもいいやって思っちゃった。

あとはまあ、いろいろ思ったんだけどもうこっちはしらけちゃったんで。

恋愛の終わりってなんかこんな感じだよね。

2015-02-22

「超映画批評の採点を鵜呑みにするな」 0点(100点満点中)

映画批評に限らんけど。女二人が「めっちゃ泣きましたー!」言ってるCMとか、ロッキンオンの長文の方のディスクレビューとか、風俗無料紹介所くらい胡散臭い
批評とか感想なら(中身のない罵倒や絶賛を除いて)それが曲解電波でも、映画を読んだ一人一人の自由な考えだから間違いじゃないいつも答えはひとつじゃない「愛してる」と君が言う口先だけだとしてもたまらなく嬉しくなるから。それに色々な評論を読んでいろんな角度から君を見てきたその全てが愛しくて作品理解を深めたり、「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」とツッコミ入れるのも楽しみ方の一つ。
ただ、点数低い(評判悪い)から見ないとか、点数高い!見にいく!とかはよくない。スマステネガキャンに流されてるだけかも。面白い映画が見たいならチャップリンとかエドウッドとか、評価が定まった古典作品を見ればいい。
週ファミのクロスレビューでも、点数より採点者一人一人のコメントや点数を付けた理由とかが大事だったはず。
から絶賛されてたり好評価でも、お仕事でやってるだけかもよ?と疑ってかかるべき。でも胡散臭い採点ならそのうち誰も相手にしなくなるから別にいいか。

2014-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20140704183202

面白さの方向性がぜんぜん違うのでおまえが考えるような比較にはならない。

人造人間という共通点ターミネータードラえもん比較するようなものだ。

映画批評なんてどうせ深い意味もなく書いているんだろうしあまり気にするな。

2013-07-29

なぜ増田には読書感想映画批評がないのだろう

本を読んだり映画を観賞したりした後、日記がわりにちょっとした感想批評を書きたくなることってあると思う。そしてときには、それを公開して作品について他の人と話し合ったりしたくなることもあると思う。

でも自分ブログ等でそれをする場合自分がどんな本や映画を見るのかといった情報が読者に知られることとなってしまう。そんなの気にしないという人ももちろんいるだろうが、それは嫌だという人もそれなりにいるだろう。またそうしたやり方をする場合、どうしても自分が発信者で他の人は情報受け手という関係になりやすく、対等な立場で忌憚のない意見交換をするということは難しいんじゃないかとも思う。

こうした難点を考えるとき増田は誰が書いたかからず、またトラバによって気軽に対等な意見交換をすることも可能であり、感想批評の投下にきわめて適した場所ではないかと思うのだけど、そういうのはほとんど見ない。なぜ?何か理由があるのだろうか。

2013-03-22

作画を語る語彙

http://anond.hatelabo.jp/20130320200411

「本当は誰も作画を語れないのに、あえて語らないのだというポーズをする優越感ゲーム」気持ち悪いです。

ま、でも、難しいですよね作画語り。

演出語りをそこそこ「それっぽく」する人は多いですけど、その語彙は基本、映画批評からの輸入ですし。

アニメしか見ずに、アニメの演出を語れるようになった人っていないんじゃないですかね。

作画語りの語彙不足についても、結局は実写作品(映画演劇)の批評から役者の演技を語る語彙」を引っ張ってくるのが一番手っ取り早い気がします。

「そんなお勉強したくねーよ」「映画だの演劇だの、お高くとまりやがって」

と言いたくもなるでしょうが

しかし、昔の作画オタクって、その辺の教養を身につけてる人が多かったような気もするのですが(特撮オタクは間違いなく多かった)。

今はそうでもないのかな。

2011-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20110721143713

※個人の感想です

2010-11-10

日経夕刊の「玄牝」評価がヒドイ

日経夕刊にシネマ万華鏡という映画批評が毎週載るのだが、

はてなで話題(?)の「玄牝」に関する評価・コメントが、

ヒドかった。

手元に紙面がない(間違って捨ててしまった)ので引用できないのが残念だが、

とにかく映画ポジティブに評価していて、

はてなで問題視されている「自然分娩至上主義の問題点」とか「吉村医院カルト性」に

ついては、一切言及されていない批評になっている。

予備知識がない日経読者は、この批評を見ると

「いい映画なんだろうなあ」、吉村医院も「いいお医者さんなんだろうなあ」という

先入観を持ちかねない批評なのである。

5段階評価で「星4つ」の評価がされている。

この評価は

http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/2010-0999.html

http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20101109/p1

のような

吉村医院カルト性が露呈されているので、カギカッコ付きの『いい映画』」

という皮肉的評価ではない。

単純に、「出産や女体の神秘を描いた、いい映画」として星4つ評価なのである。

なんか

宮崎アニメナチュラスティックで、いいよね」的な

無邪気な「ノリ」で星4つ付けているのである。

そもそも、日経は、意外なことに、こういう「ナチュラル原理主義」に対して、

ワキが甘い。

ホメオパシーが問題になる前の今年の7月頃とかに、これも日経夕刊だったが、

ホメオパシーを好意的に取り上げていた。

朝日によるホメオパシーバッシングが始まってからも、日経ホメオパシー批判は

やけに遅く、全然力が入っていなかった。

日経男性読者というのは、こういうナチュラル原理主義に対して

懐疑的な人が多いからあまり実害ないのかもしれないが、

その奥さんは、ナチュラル原理主義に対抗できる「リテラシー」を

ちゃんと持ち合わせているのか?

お嬢様育ちで、旦那の高収入に惹かれて結婚して専業主婦で、てな感じの奥様だと、

いわば無菌状態で、そのままナチュラル原理主義に感化されちゃうんじゃないか?

2009-02-04

さっき酷い映画批評家の酷い映画評を読みながらふと思ったんだが

酷い批評とか記事ってついつい読んじゃうよね。怖いもの見たさで。

じゃああえてそういう酷いライターさんだけを集めてサイト作ったら人気サイトになれるんじゃなかろうか。

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