はてなキーワード: ブログ村とは
前の仕事を辞める前の一年くらい、通勤時間や余暇は、ひたすら自死遺族のブログを読みあさってた。
ブログ村のランキングを上から順に辿っていた時もあるし、「自死遺族」「ブログ」で検索してヒットしたブログを上から辿っていた時もあった。ただ必ず、一つのブログにつき、一番古いエントリから最新のものまで全部通して読んで、読み終わったらまた次のブログに行く、みたいな読み方をしていた。
発見当時の現場の様子を克明に書き綴る人もいれば、会いたいとか後悔しているとか、ポエムのような言葉の羅列を数行ずつ書き綴る人もいた。徐々に徐々に内容が変わっていく人もいれば、何年も何年も同じことを繰り返し書き綴っている人もいた。
ただどのブログも、終わるときは突然、ぷっつりと更新が途絶えていた。
こんなところを読んでいる人なんかいないだろうけど、って書いてる人たくさんいたけど、読んでたよ。毎日読んでたし、更新待ってるブログだってあった。
かわいらしいものが似合わないからこそ、かわいらしいものに惹かれたのかもしれない。
中学生のころからKERA!を買い、ネットでロリィタさんのブログを読み漁り(ブログ村のロリィタランキングをよく見ていた)、
嶽本野ばらを読み、下妻物語やマリーアントワネットの映画を観て、
世の中にはこんなに悪趣味なくらい可愛らしい世界があるのだ!と頬を赤らめた。
可愛くない女の子がロリィタを着ると笑われる、ということを知ってしまっていた。
もともとロリィタを着るにはたくさんの制約があり、それをひとつでも破っていると嘲笑の対象になる。
太ってはいけない、
キレイに化粧をしていなくてはならない、
肌を見せてはならない(夏でも長袖)。
しかし、それをしっかりきっちり守っていたとしても、
毎日小倉優子や深田恭子の顔を見て、「こんな顔だったら…」と思ったし、
自分をこんな顔に産んだ両親も恨んだ。
化粧を頑張れば普通の部類に入るかも!と思ったが、
分厚い一重や思春期特有のニキビ肌なんかは頑張っても頑張っても不器用な中学生には隠しきれなかったし、
ネットで調べたテクニックを駆使しても分厚い化粧を施したブス、にしか見えなくて
「私の限界はこんなもんか」と思ってまた泣いた。
毎日毎日アンジェリックプリティとベイビーザスターズシャインブライトのHPと店舗ブログを見た。
私もかわいいものを着こなすかわいい人の仲間入りがしたかったけど、
そのころ流行っていたyaplogでネット上で見つけたかわいいものをコピペしたブログを作った。
かわいくなりたかった。かわいい私になりたかった。かわいくない私はいらなかった。
高校生になっても、一度もロリィタ服に袖を通すことはなかった。
むしろバイトして買ったロリっぽい小物も「そういうの似合わないからカッコイイ系目指せばいいのに」と言われて密かに傷ついたり、
読モのAMOちゃんって子が私の理想すぎて自分が本当に嫌いになったりして、
かわいくないのにかわいいものが好きな自分を笑われないように、
かわいいものが好きなのに全く似合わない自分をこれ以上嫌いにならないように、
好きなものを隠すようになった。
「カッコイイ系」の服を着て「そういうの似合うね」って言われたりしながら生きていたら、
25歳になっていた。
いまの私は高校生のときより痩せたし、化粧も上手になったから、
むくみがとれてちょっとだけ薄くなったまぶたを二重にできるし、
高いコンシーラーとファンデーションを駆使してなんちゃって美肌を作ることもできる。
でももう、25歳。
もう私はブサロリから抜け出せるかもってところで、オバロリになっていた。
この前、深夜に酔っ払った勢いでメルカリでロリィタ服を買おうとした。
一着も持っていないのに受かるわけがないと思って凹んで、
そんで落ち込んだら急に躁状態になって、
中古のロリィタ服でも買って、家でひとりでこっそり着ようと思ったのだ。
それはすごいいい考えのように思えた。
私のロリィタ服コンプレックスって、きっと着たいのに着れなかったからこんなに引きずってるに違いなくて、
きっと一着買って着てみたら少しは満足するんだろうって思った。
でも、購入ボタンを押すのに何十分もためらって、ためらって、結局買うのをやめた。
私は着てはいけないんだと思った。
ここまで大事に思っていたロリィタ服を着て、大事に思ってきた自分に失望したくなかった。
彼氏と別れたときだってこんなに泣いたことないってくらい泣いて、
次の日ロリィタサイトのブックマークを消そうとして消せなくて、また泣いた。
着とけばよかったのかなあ。若ければ「若さゆえの過ち」って笑い飛ばせたかもしれないし。
でも、昔を考えたらやっぱり着れなかったよ。
そんで、多分これからも着れない。
後は文芸評とか映画批評とか? んで面白さは人それぞれなんで、つまんないのが持ち上がってると納得行かない。
対策は簡単なんだよ。もっと面白い物があると思ったらそれを拾ってきて拡める。
こいつツマラン、って思ったら似たような面白いサイトをそれこそ持ち上げればいんじゃね?
一番難しいのはその行為に見返りを求めず続けられるか。
取り敢えずはてな以外のランキング貼るからそこからピックアップしてブクマしてみたら?
ブログ村 http://www.blogmura.com/ranking.html
goo http://blog.goo.ne.jp/portal/access_ranking/
yahoo http://blogs.yahoo.co.jp/THBLOG/top.html?dt=w
楽天 http://plaza.rakuten.co.jp/acc/g600/
excite http://www.exblog.jp/ranking/
こういうのいいのか知らんし、多過ぎてよく分からんけどな(笑)
こんなんもあるのか。
ランク対策 http://ebloger.net/ranking-comparison/
三人いればいいんでしょ? 呼び掛けはマズイらしいから主観で紹介すればいいじゃん。
暇な時に俺もやってみるよ。誰かの目につくかどうかは知らんけどね。
さきほど連絡先だけ残してスマホを捨てました、実家に焼却炉があるので燃やしたらバチバチいってました。とても乾いた音でした。
次はモデムをたたきわろうと考えているのでこれでインターネットの世界とはしばらくお別れになるかと思います、PCは文章を打つのに必要なので残しておきます。
思えばはじめてインターネットに触れたのはテレビのニュースで2ちゃんねるは悪いところと言っていたので興味本位で覗いてみたのがはじまりでした。アナーキーな雰囲気とは裏腹にただ言葉だけが無意味に踊っていました。
その後FC2でブログを書いてみたりアメーバピグで遊んでみたり現在ははてなブログも細々と書いております。twitterはつまらなかったのでやめました。
どこのプラットフォームでも乾燥した言葉だけが無意味に無意義に無機質に無思慮に無価値に無個性に無配慮に無防備に無慈悲にただ並んでいただけでした。
時にはインスタントラーメンみたいに味のする文章にも出会ってきましたがそんなものは三日も経てば忘れてしまいます。意味がないです。そもそも人生に意味を求めるほうが間違っているのでしょうがインターネットは意味どころか完全なる虚無でした。得たものはただ肥大した自尊心と歪んだ文章力だけでした。
そもそもブログなんてものを書いて自分を語ることにどれだけの価値があるのでしょうか。日本社会では自我を滅することが美徳であるしまた処世術でもあるのです。自分を殺すことが良い悪いなんて価値観なんか知ったこっちゃありません。精神的な自殺こそがもうただこの社会の純然たる現実です。
自尊心を肥大させ言い訳に近い言葉を集めるこのインターネットの世界に傾倒していくということはこの社会からの適応力を失っていくことを意味するのではないのか。はてな村のみなもあまり楽しそうには見えない。ブログ村も同じだ。2ちゃんねるもやふこめもフェイスブックもツイッターもばくさいもほすらぶもしたらばもどこもかしこもただ言葉だけが踊っている。