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はてなキーワード: ナチュラとは

2021-05-29

思い出なんて消してやるっていう人の攻撃

3ヶ月分の思い出がなくなりました

ゴミを捨てられる人 そして自分ゴミだと思ったら、他人の大切なものでも捨てられる

世界価値観は私が決めているという通称 神様

ナチュラ存在する

違う価値観を認めない人 というか 存在すらも感じ取らない人

2020-11-15

オーシャントリコJET 控えめに使う けちけちつかう方が正解かも

強めに乾燥させたとき

つけかたがへたくそな俺等リーマンだと 逆にむらになりやすいかもしれない毛束な感じは出やすいんだが

これだと赤ではなくゴールド感 100%じゃなくて ナチュラかなにかで割ったほうがいいか

2020-08-28

anond:20200825231158

マスクのし過ぎで水分不足では?水を少しずつ、定期的にのんで。

繊維はすでに摂りすぎているかも知れないので、さらに食べ過ぎないで。

ぱさぱさしたものじゃなくて、水分が多いものを食べる。

ナチュラハウスかいって、ロースヒップティーとか、ミントティーのむといいかも。

他の誰かが書いていたけど、キシリトールなどのガムをそれなりの量たべる

でも即効性はないかも……。

アイスを食べる

腹式呼吸

トイレにゆっくり行く(すぐ出ない)

トイレのステッパーを買う

お腹を揉む

2019-12-26

無能の人

高校以前

私は比較好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.

中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.

母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベ宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.

私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラス女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.

私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校休みがちになった.父親料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.

けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親映画を見た.映画のシーンでセックス描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.

高校時代

高校受験の時は,親に経済的負担をさせるまいと,確実に合格できる公立商業高校情報処理科を受験した.

高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.

けれど,部活には入部した.商業高校だったもの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.

生物ドクターを出た先生顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物調査が主な活動だった.部活顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.

この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我しかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.

大学受験では,文系高校から理系大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.

何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期からか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.

大学時代

高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.

また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデルエッシャーバッハ」という本に出会って,その本に魅了された.

大学院 (修士時代

いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からカフェインの大量摂取昼夜逆転生活慢性的睡眠不足運動不足栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.

大学院 (博士時代

それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士から学費生活費は奨学金授業料免除アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.

博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠運動を優先した.O先生博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナル論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.

現在: 自分について考える

O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分エネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.

自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.

私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃からセルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.

死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.

文系先生に生きる意味相談したところ,その先生四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.

哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生ニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学雑誌現代思想を読んでみることを勧められた.

現代思想出会った

現代思想12月号は巨大数特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本巨大数ブーム歴史や,ふぃっしゅ数小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.

まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.

私は毎日,贅沢ではないけれど,質素暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.

これからについて

諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.

私は毎日研究室のデスクに座っては,ぼーっと研究以外のことをして時が無情に流れていくのを待っている.

こんな私が社会に適合できるのかどうかわからない.これから私は一体どうすればいいかからない.

2016-08-25

ヒッピーが嫌いだ。

ヒッピーが嫌いだ。

何がラブアンドピースだ。肉欲にまみれて人間関係がドロドロじゃないか

何が反戦運動だ。自分の周囲のいざこざも收められないくせに。

何がマリファナだ。あんものただの酒による泥酔状態と変わらないじゃないか

何がナチュラリズムだ。iphoneMac Book Airを手放せないくせに。

何が禅だスピリチュアルだ。おまえの信仰しているのはカルトじゃないか

何がメディカルプラントだ。ケミカルドラッグを常習しているくせに。

ヒッピーが多く住む場所に移り住んで3年目。

なんかこの人達映画で見たような「こころキレイ平和主義者」な人と違うと感じた。

個人的にはロンプラを愛用(愛読?)しているので創始者の人はすごいなとも思うし、バーニングマンにも怖いもの見たさ的な興味はあるけど、ヒッピーな人の「なんか矛盾している感」は自分にとって、意識高い系に相まみえるあのゾワゾワしたものと同じ感覚だった。

世の中には出会わなくてもいいものがあると知った。

2010-11-10

日経夕刊の「玄牝」評価がヒドイ

日経夕刊にシネマ万華鏡という映画批評が毎週載るのだが、

はてなで話題(?)の「玄牝」に関する評価・コメントが、

ヒドかった。

手元に紙面がない(間違って捨ててしまった)ので引用できないのが残念だが、

とにかく映画ポジティブに評価していて、

はてなで問題視されている「自然分娩至上主義の問題点」とか「吉村医院カルト性」に

ついては、一切言及されていない批評になっている。

予備知識がない日経読者は、この批評を見ると

「いい映画なんだろうなあ」、吉村医院も「いいお医者さんなんだろうなあ」という

先入観を持ちかねない批評なのである。

5段階評価で「星4つ」の評価がされている。

この評価は

http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/2010-0999.html

http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20101109/p1

のような

吉村医院カルト性が露呈されているので、カギカッコ付きの『いい映画』」

という皮肉的評価ではない。

単純に、「出産や女体の神秘を描いた、いい映画」として星4つ評価なのである。

なんか

宮崎アニメナチュラスティックで、いいよね」的な

無邪気な「ノリ」で星4つ付けているのである。

そもそも、日経は、意外なことに、こういう「ナチュラル原理主義」に対して、

ワキが甘い。

ホメオパシーが問題になる前の今年の7月頃とかに、これも日経夕刊だったが、

ホメオパシーを好意的に取り上げていた。

朝日によるホメオパシーバッシングが始まってからも、日経ホメオパシー批判は

やけに遅く、全然力が入っていなかった。

日経男性読者というのは、こういうナチュラル原理主義に対して

懐疑的な人が多いからあまり実害ないのかもしれないが、

その奥さんは、ナチュラル原理主義に対抗できる「リテラシー」を

ちゃんと持ち合わせているのか?

お嬢様育ちで、旦那の高収入に惹かれて結婚して専業主婦で、てな感じの奥様だと、

いわば無菌状態で、そのままナチュラル原理主義に感化されちゃうんじゃないか?

 
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