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はてなキーワード: 感情移入とは

2012-09-09

はたしてアニメメダロット』のアリカは47話でイケメンNTRれたのか

はたしてアニメメダロット』のアリカは47話でイケメンNTRれたのか?

このエピソードのことを思い出せるメダロット視聴者も今やごくわずかだろう。

主人公イッキ君の幼馴染ヒロインを出ずっぱりでやっていたアリカが、ぽっとでのイケメンにお熱を上げて良い仲になってしまうというあれだ。

だがニコニコ動画フルアニMAXにて現在メダロットの配信が行われており、

折しもフルアニMAX閉鎖前のすべり込み一挙配信のあおりを受け、同話の放映が目前に迫っている。

このアリカ恋愛ストーリートラウマを思い出す大きいお友達や、初めて見て動揺する新規視聴者が現れることは必定である

そこで新たな視点を導入して、少しでもショックを和らげておきたい。ビッチなどと罵り始める輩が出始めるのは目にみえていることだし。

さて問題の47話。この話では敵情視察へ赴いたアリカ記者アイスランド代表のイケメン選手との心のふれあい(と共に体の触れ合いも)が描かれる。

イッキに一切のデレを見せなかったあの男勝りのアリカが、イケメン君には真っ赤に惚れ上がり女の顔を見せ、ついには彼を想っての泣き顔さえ披露するのだ。

自分を助けたせいで彼が体調を崩し翌日の試合差し障りが出そうだと知るや、甲斐甲斐しく彼のために駆けずり回る。

だが試合延期の願いは叶わず最後には彼の胸に顔をうずめて泣いてしまう。結局イケメン君は対戦相手の世界チャンピオンに敗れてしまった。

これがアリカイケメン君のお話であるイケメン君の方にアリカの心が傾いたという見方が出るのは当然であり、それも間違いとはいえない。

だがこうは言えないだろうか。

ゲストイケメン君との恋愛は「主人公ヒロイン恋愛ごっこはやらない」という男児向け販促アニメ伝統哲学の下で、

アリカのイッキへの想いを最大限表現するための工夫だったのではないかと。

続く48話では、決勝戦前夜に自室でイケメン君の写真とイッキ・メタビー写真を両手に持ち「みんな頑張って」と意味深な表情でアリカが言うシーンがある。

あれだけホの字だったイケメン君とイッキ君が同格に並べられているのだ。

そもそもアリカがイッキを好きなのかはそれまでは劇中で明確に描写されることはなく、

天然ヒロインカリンに熱を上げるギャグ顔イッキを呆れた目でみたり、私も女扱いしろと突っ込みを入れたことがあるくらいであり、

それだけで嫉妬や好意といえる描写はなかった。

エンディングで流れるアリカキャラソン歌詞に「イッキにトキメいてる」という一節があり、これからアリカ本心を推察するということぐらいしかできなかった。

(あるいは他のメディアミックス作品の設定から勝手に補完するといった形)

だが48話にて、イッキが一連のエピソードを通して「好き」になったイケメン君と同じか、それ以上の地位を占めていたことが明らかになる。

劇中にて初めてアリカのイッキへの好意が明らかにされた瞬間である。そして終わりにエンディグテーマの「やっぱり君が好き」が流れる。

そう、実はイケメン君はアリカ可愛い表情を引き出すための駒に過ぎなかったということが明らかにされるわけである(以降はアリカとの絡みなし)。

先に述べたように、主人公男児感情移入であるがゆえにヒロインラブコメご法度、というのが販促アニメの原則。

この原則のためにイッキへの好意をこんな迂遠な形で示すほかなかったのだ。

(そもそも40話以降の世界大会編はもともと制作される予定ではなかったという(好評のため延長)。だからあえて好いたの惚れたのをほのめかす話をいれることも可能だったのだろう)

余談だが、最近男児向け販促アニメには萌えアニメの女キャラみたいなのがヒロインとして登場し、主人公にあからさまな好意を示すことも珍しくないそうだ。

アニメメダロットの奥ゆかしさこそ今求められる配慮ではなかろうか。

2012-09-07

杏さやは萌えるという話

すごく今更だけど、ふと気づいたのでメモ

まどマギにおいて、さやか、ひいては杏さやになぜ女である自分が惹かれるのか。

それは、さやかが「選ばれない方の少女」だからじゃなかろうか。

望んでも決して一番にはなれない。

上條への想いは双方向になることはなく、

まどかには魂レベルで繋がるほむほむ存在があり、

きゅうべえにはまどかを釣るためのエサ扱いされ、

マミさんが己の弱さを吐露したのはまどかだけ(なのにさやかの中でマミさんが絶対化されちゃってるのが余計痛々しい)。

絶対的なまどか存在があるから魔法少女の一番にもなれない。

自分が一番でないと悟ってしまいながらも、さやかは気丈に「正義ヒーロー」であろうとする。

清く正しくあろうとする。

その度に心がすり減っていく。歪みが生まれていく。

自分のやってきたことに意味はあるのか。自分は苦しんでるのに、誰も自分を見てくれない――

したくないしする必要もないと分ってても、親友比較し、嫉妬劣等感に苛まれる。

そんな自分がまた醜く思え許せなくなる。

さやか魔女堕ちしていく過程がやたら生々しくて痛々しくて泣ける。

物語の中には主人公メインヒロインというものがあり、それ以外のキャラはどうあがいても作中でヒーローヒロイン補正には勝てないようになっている。(外部での人気の大小とかとは別問題)

漫画アニメドラマが描くのは「選ばれた」子の物語

そんな中で、自分感情移入するのは「選ばれなかった」子の方だ。(エヴァアスカとかも当て嵌まってるかな)

自分自身が「選ばれない方の人間」だという実感を持っているからだと思われる。

これはどうしようもない劣等感とか自分自身に対する失望感とかでもあって、選ばれるように努力すれば云々みたいな綺麗事レベルの話ではない。

また、情けないことに、選ばれないことを受け入れ諦めながらも、心の片隅では選ばれたいと浅ましく思っている。

そして、二次元世界の「選ばれない子」に勝手共感を抱いてしまう。

からこそ、さやかには救われて欲しいと思う。

彼女が救われるにはどうすればいいのか。どうすれば満たされるのか。

擦り減ってしまったさやかの心が救われるには、互いに一番と思えるかけがえのない存在ができればいい。

そこで、杏子という少女存在だ。

正反対ともいえる価値観を持っているからこそ似た者同士というか。

作中では関係性を築く途上で終わってしまったけれど、あの二人は互いの一番近しい特別な存在になりうるんじゃないかと示されてる。

引き千切られんばかりに打ちのめされている「選ばれなかった子」も誰かに選ばれて、満たされて欲しい幸せになって欲しい。

杏子存在によってさやかが救われ、さやか存在によって杏子は安らぎを得て欲しいと願わずはいられない。

そういうわけで、杏さやという関係は自分にとってはどストライクだった。

BLが好まれる理由の一つに、性別とか恋人という括りとかの次元を超えた濃厚な関係性が描かれているから、というのがある気がするけど、杏さやはまさにそんな感じ。

(ほむまどまで行くと、二人の関係では留まら世界が巻き込まれてきちゃうので何かが違う)

2012-09-03

所詮他人事から言える

ネットでの炎上正義はない。

所詮他人事で騒いで鬱憤を晴らしたいだけ。

他人の不幸を蜜をメシうましているのと似ている。

飢餓で、4秒に1人死んでいるが、4秒に1回、死んだ人間感情移入していたら気が狂ってしまう。

そこで、見てみぬふりをするわけですよ。自分鬱憤を晴らせる都合のいい不幸を見つけて騒いでいるだけ。

2012-08-16

おおかみこどもの雨と雪面白くなかった件

お盆休みも終盤の昼間の新宿家族連れに囲まれて観ていていたたまれなくなったので書く。

出てくるキャラクターがどうも好きになれない。顔の描き方も好みじゃないし、それ以上に主役の宮崎あおいちゃん演じる花(以下あおいちゃん)が何考えてんのかわかんない。キャラクターとしての魅力、リアリティーがなさすぎて。

この映画の問題はあおいちゃんが健気で善良でどんな困難にも立ち向かえる女の子という設定に頼りすぎていている所にあると思う。

客観的にみれば人知れず自宅で出産した外に出せない子どもを2人抱えつつ、近所から通報されて児童相談所の人が来て死んだフリーター旦那が貯めた貯金だけを持って山奥へ逃げ出すという、なんとも独りよがりな状況であるのに、周囲との接触を自分から取ろうとせずに健気に田舎暮らしを始めたらなんとなく上手いこと手助けしてくれる人達が現れてうまく生活しているし、移住することに決めた廃屋の近所にはたまたま勝手に見守ってくれる菅原文太がいる。芋のおすそ分けから村の互助社会に参加するくだりでは、人里離れて暮らすことを目的として村との交流をする覚悟のないあおいちゃんが健気な姿をみせることだけを頼りに菅原文太に認められて話が進んでいく。この辺りはあおいちゃん自身にはなんの変化も無いのに、事は順調に進んでいくわけでどうにもこうにも都合が良すぎると思う。もしあおいちゃんの意思で周囲と交流して生活を営んでいく話にしたいのなら、健気さだけでなくそれまでの孤立主義を改心して自発的に関わっていくエピソードや身を削っていくエピソードが欲しいし、受動的に関わるのなら田舎ではもっと厄介なことを抱え込むのが常だと思う。独身男がつきまとってくるとか、村に居つかせることを前提に勝手見合いさせられたりとか。

で、あと他にも問題だと思うのは、子育ての大変さがちゃんと描かれてないんじゃないかというところ。一連の子育て描写では誰にも頼れずに2人のこどもを保護して養っていく苦労や重圧はあおいちゃん1人にかかっているはずなのに、オオカミであることの苦労は描いてもシングルマザーである事の苦労は描かれない。動物園の檻のオオカミ相談したりはするものの、あおいちゃんはなぜかずっとニコニコしながら良き母としての態度を崩さない。たった1人で子育てをしているのに、その大変さや葛藤が単なる健気さに覆い隠れてしまっていて、子育て重要な側面がみえないので、感情移入できないわ。その辺りのシングルマザーの苦労の描写でいえば、最近だと塚本晋也KOTOKOが良かった。孤立して育児をしていくことでノイローゼ精神的におかしくなっていくcoccoのように、右手に焼け焦げる中華鍋と左手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱えて途方もなく泣き崩れてしまう。そこまで追い込まれるまではいかないとしても、そんな医学的にも何者か分からないこどもを抱える不安、そんなシーンがこの映画にも欲しかった。

あとおおかみ男と結ばれたくだりは少女漫画も真っ青な純愛物語風になっているけれど、オオカミ男には社会的ケアを一切受けずに2人の子どもを設けて養っていく覚悟があったとは思えなくてなんだかなあって思う。もしオオカミ男にその覚悟があったとするならば、どうして本能を抑えずに街中で狩りをして川で死ぬことを選んだのだろうか。大学講義に潜ってソクラテスがどうとか勉強するよりも、自分本能との付き合い方を学ぶべきでしょうが

この無責任のしわ寄せが結果的にすべて母になったあおいちゃんに行ってしまっていて、あおいちゃんは不憫でならないはずなのに、2人の関係が単なる美談になっているのが腑に落ちない。

あとは音楽の使い方も好きじゃない。美化された田舎自然にさわやかオーガニックでダイナミックな音楽を乗せればさも感動的なシーンになると思っている。この久石譲風の高木正勝がこの映画のなんとなく感動的な雰囲気に盛り上げる主因だと思う。

以上、長文になったけど、俺が一番言いたいのはこれ。

オオカミフリーターのくせにあおいちゃんに中出ししやがって!!しかも1人ならまだしも2人目も作る所なんてまるで無反省

俺は高岡蒼甫を許さない!

2012-08-15

けっしてわかりあえない連中と同じ社会で生きるには問題

http://anond.hatelabo.jp/20120814124306

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20120814124306

『ロマ(ジプシー)の害虫ぶりを教えてやる』を書いた増田ですよ。賛否共々サンキュ。

当人としても意図的に過激に書いたので自分同意する人間よりも否定的な意見が多くなるだろうなってのは承知のうえだったけど、思ったよりも「これはひどいタグが少なくて意外でしたよ笑

ただはてぶの批判コメントを見回しても、まともな批判コメントが少ない。つかあきらかに俺のエントリをまともに読んでもないくせに他の人のはてぶコメントだけ読んでコメントしている連中が多すぎる。あのさ、「もう民族粛清とか強制収容キャンプとかが社会正義的に不可能なヨーロッパのなかで社会ルール無視して好き放題やっている害虫のような連中に対してどう対処するか」って話してんのになんで未だにファシズムとかナチスの話になるんだよ?俺がいつああい害虫には暴力を使っても問題ないみたいな話したよ?「黒とも白ともつかない感覚」っていってんに何勝手に白黒つけて一刀両断しようとしてんだよ?おまえらまともに人のエントリを読まずにコメントしてるのバレバレなんだよ。批判するならもっとまともな批判をしてみろよ。俺がぐうの音も出ないほどになって元エントリを消したくなるようなコメント残してみろよ。今回の件で有名ブロガーが次々とはてぶ非公開にしたがる気持ちがよくわかったわ。

最初にちゃんといっておくよ。今更「俺のいっているのは綺麗な区別で、差別なんかじゃない」なんてサムいことを言うつもりはないよ。俺はヨーロッパに巣くうジプシー連中がダイッキライだよ。6,7年前に初めて出張パリに行って空き時間ちょっと観光しようとしたらジプシーの売り子数人に目をつけられて、なんか汚いけど子供相手だし安いみやげ品なら買ってもいいかなって財布だしてモタモタしているうちに俺の財布の中身をかっぱらってダッシュで逃げていったあのガキどもの後ろ姿を見た時からあいつらには絶対に心を許すまいと誓ったよ。いまでもヨーロッパの町中であいつらを見かけても、俺自身はスルー技術を身につけて完全シカトしている最中でも、まだそういった対処も知らない若い観光客の周りにハイエナのように群がるあいつらをみると顔面を蹴飛ばしたくなるよ。この黒い気持を差別やらレイシストやらと言うんなら勝手にするがいいさ。

でもな、自分の保身も兼ねていっているが、過去に酷い経験をした人間が相手にこういった黒い気持ちを持ってしまうことは仕方ないことなんだよ。こんな俺や周りの知り合いが散々酷い目にあっても「あの子たちも貧しい生活を生き抜くために必死でやってるんだ」なんて清い心で見守れるほど高尚な人間じゃないんだよ俺は。

ただ決して超えてはいけない一線ってのがある。それが個人・国家レベル暴力あいつらを虐げようとすることだ。この一線を超えた瞬間に俺らはあいつら以下の存在なっちまう過去世界中で犯してきた過ちをまた繰り返してしまう。俺や他の大半のヨーロッパ人もそういうのをわかっているから、害虫対策&スルー能力を鍛えてトラブル回避に勤めてるんだよ。地元ヨーロッパ旅行者がああいった連中に絡まれているところを見ると、あしらい方が本当に慣れすぎてて感心しちまうぜw

ヨーロッパ諸国特に北欧西ヨーロッパ)ってのは今では世界もっと人権やら社会正義に厳しい国々で知られているけど、あいつらだって第2次世界大戦が終わってから民族紛争や虐殺を防ぐためにもジプシーみたいな連中を自分たちの社会に取り入れて安定を図ろうと努力はしてきたんだよ。でもいくらヨーロッパの連中が人と金を費やしても肝心のジプシーの連中にヨーロッパ社会に溶け込む意思がなかったらどうしようもない。せめて子供だけでもちゃんとした学校に通わせて教育を受けさせたら次世代から希望がもてるだろうが、肝心のジプシーの親どもが教育重要さをまったく理解せず、代わりに旅行から金を巻きあえげる知恵とか大道芸とかそんなのばっかしか教えてない(子供のほうが稼げるから)。そんなこんなで問題を先送りにしてたときリーマン・ショックで一気に景気がガタガタになって、どの国もジプシー北アフリカ移民の面倒を見切れなくなってフランス初め各国で負債押し付け合いの始まりですよ。

こんなヨーロッパ人を批判する連中は、だったらどうしたらよかったと思う???いっそのことジプシーのガキどもを強制的に親から引き離して人里離れた収容キャンプヨーロッパ社会に溶け込めるように「再教育」してやったほうがよかったのか???でもそういった暴力的な手段を放棄するって俺ら先進国人間は第2次世界大戦の後に決めたんだろ。

そういやはてぶ批判のなかで「個人の問題と社会の問題を混合するのは危険」ってコメント残してくれた人いたけどさ、それって違うでしょ。たしかに議論している際に個人と社会の問題をごちゃまぜにしたら話が進まないけど、こういった問題を現実的に解決しようとしたらやっぱ個人の意見コミュニティ意見となって、そしてコミュニティ意見社会全体の意見になっていくから最終的には全部つながっていくんだよ。ジプシー問題についてだって個人や各コミュニティに聞いたらやっぱ「自分たちの近所は勘弁」って意見になるし、そういった意見を吸い上げていって政府が取れる対応といったら税金つかって収容キャンプみたいなの作るか、それでも収まらなくなったら国外退去させるか、みたいな現実に行われている対応しかできないだろ。

ここまで読んだら、俺がなぜ前のエントリで「害虫対策しながら基本スルー」「自分たちの周りからは極力追い払う」という対処法に落ち着いたか理解できただろ?

それともまだファシストやらレイシストやら叫びたい奴はもう俺にはどうしようもないから、代わりに近所のTSUTAYAにいって『第9地区」っていうSF映画でも借りてこい。事前にわかやすく解説してやるとだな、あの映画にでてくる臭くて粗暴で話も通じなくて危険でどうしようもないエビ宇宙人ってのは、ここで語られてたジプシーやら南アフリカ黒人奴隷やら世界各国の被差別人間メタファーから。あの映画内では強制収容キャンプに閉じ込めてたけど、実際にはああいうけっしてわかりあえない・わかりあいたくない連中が自分たちの住み慣れた街にやってきて好き勝手しているのが現実からな。あの映画見ながらあのキャンプ近くの住人に感情移入して、それでも「エビ星人可哀想。あんなキャンプに閉じ込めるなんて政府マジ許せねぇ」とか心底思えるんだったら、もう俺から言えることはないわ。。。。

2012-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20120809164835

18禁レーベル喪女を弾き出すんですか弾き出さないんですか。

からいきあたりばったりで喋るのはやめてください。

からレーベル側としては明らかにはじき出す効果狙ってるでしょ。ゾーニングって言葉知ってます

「迷い込んで不快な思いをするのは可哀想だから看板します、知ってて来るなら止めません」っていうのがレーベル分けの効果として明らかに期待されてるでしょ。

知ってて見たい喪女は見るし、「え18禁とかやだ」って喪女は見ない。

同じことでしょ。「喪女主人公の作品」がイヤな喪女は見ない半面、興味をひかれた喪女は見る。

しかし中身は喪女の皮をかぶった…あといいよねループするしね。

少女マンガに出て来る男子高校生女子感情機微に素晴らしくよく気付きます

女性感性インプラントした、共感出来、安心出来、理解しあえて手が届く、非現実理想の異性です。

問題の漫画主人公もまるっきり同じ構造です。

理解不能のリアルな異性ではなく理解可能共感可能で安心できる女子高生

少女マンガに出てくる男子高校生は女心がわからなくて他人に相談して主人公女子高生に接し直して上手く行ったり行かなかったりしてるでしょ。共感というより理解の過程

それに「共感」と言ってますが、主人公女子高生を理解してくれる男子高校生が登場するとき、読者が共感するのは大体において男子高校生じゃなくて主人公の方ですからね?

「理解を受けて幸福主人公」に読者は感情移入(=共感)するのであって、王子様は理解を通じてお姫様を肯定する事が物語上の役割です。

「私モテ」において読者はそもそも理解しません。一方的に共感を与える側ですね。「あるあるww」って言う側。

でもそのあるあるは喪男のあるあるなので喪女やらせるのは無理があるし実際喪女共感できないわけです。

そこに対して、「何があるあるだ、ねーよきめえな、自己肯定するなら自分勝手にやってろ」というツッコミが入っているのです。

構造的には大昔からある発明で、表層的にも先例がたくさんあります

女性向けボーイズラブ漫画女性として男性と交際する構造ではありません。

BLにおける「あるあるww」はその点構造が近いっちゃ近いかも。で、BLはジャンルとして確立しておりレーベル分けされてるわけです。

あの種の男性喪女クラスタニーズを両立させて売上を更に上げるアイデアがあるなら

具体的なところをご開帳ください

私はそんなもんなかなかないと思うけど決め付けはいけないから聞きます

喪女板をもっと研究して本物に忠実な喪女を描けばいい。

妄想喪女を描きたきゃ木を森に隠すように喪の群の中に一人入れときゃ良かったんじゃね?

すぐ浮いてバレるだろうけど。自分がもてないのを他人のせいにするなんてリアル喪女でもキモイ自己中扱いされておしまいだし。ま、萌えりゃいいんなら放り込んでみればいいんじゃないですか。

喪女という言葉を使わない場合もどっちにせよ喪女はお客じゃないわけです

あなた元増田さんがよくわからない怒りに苛まれることはなかったでしょうが…)

喪女がお客じゃないんなら喪女が買わないように売るべきでしょ。

新しい言葉をもって新ジャンル確立するってあれでなかなか難しいんですよね。創造行為だし。

サボりたいのもわからないではないですが、それで金取ってたら批判されます

じゃあ具体的にあなたの基準を書いてください

・「この箱には美少女フィギュアが入っていますよ」

  →蓋を開けたらロボフィギュアだった(ただし超精巧)。美少女はロボの肩に乗る程度にちんまり

  →美少女フィギュアしかった層激怒。ロボ好き驚嘆、高評価。

 これはマーケティング的にアウトですが作品の質は保たれてます。売り方は全然ダメですがモノは良い。

・「この箱には喪女フィギュアが入っていますよ」

  →蓋を開けたら女の子っぽい塗装がしてあるが明らかにルサンチマンためてそうなオタクフィギュア

 これはマーケティング的にもアウトだし質もうんこです。ゴミです。

 ブランドかと思ったらパチモンやんみたいな。

 パチモンでもいいと思ってる人はそれでいいかもしれないけど一般的に言ってパチモンで喜んでるのってかなりみっともないですよ?それだけでも恥ずべきなのにパチモン他人に押し付けるとか広めるとかしてもう死ねいいんじゃないかな。的な。

 そもそも人間タイプで分類してブランディングするのだって下手すりゃレッテル貼りにすぎないんだからもっと丁寧にやってもいいくらいなのに「ボクの考えたモテないおんなのこ」を既に出回ってるスラングシール貼って売るなよと。

 評価してる人はコンプレックス故に愛さずにいられないんだろうなー、でもそれは喪女じゃなくてみっともないあなた自身の可能性が高いナニカなので喪女って呼称して語るのやめろよなオイみたいな。

 逆にあなた成功失敗の基準って何なんですか。ゼノグラシアがどっちだったかについても結局明言を避けてるし意味不明ですよね。

「喜んでくれる人がほとんどいなかったから」? 現実数字(笑)とやらを見せて下さいよ。

自分に都合のいい仮定・推測を持ち出すのは典型的詭弁です

・そもそも「むかついてる人が何人いるか」と作品の成功失敗は関係ありません…

じゃあ何でむかついてる喪女は客としてどうこうとか言いだしたんすかww

詭弁で関係ないじゃあないですか。行きあたりばったりで書かないでください。

・作品としても商品としても失敗作とは言い難い

あなたがこの作品にむかついてるならその怒りを正しく分析して表明すべきであって憎しみ任せに「失敗作だ」「失敗作だ」と言い張るのは不毛

元増田が大体全部網羅してるので特につけ加えることはありません。

その基準だと恐ろしくたくさんの作品がうんこになります

多分それはあなた意図ではないんじゃないでしょうか

無理に理屈をつけようとするのはやめてもっと素直に『私モテ』を叩いてはどうでしょう

言いたかないんですがその通りで、恐ろしくたくさんの作品がうんこだと思ってますよ。

マーケティング的にアレなだけじゃなくて中身もうんこなのは近年は私モテくらいですが。

2012-07-26

おおかみこどもの雨と雪を観てきた

これほどつまらない作品も久々に観た。

ネタバレ

序盤。ヒロインの花と狼男出会い

何の障害も挫折もない二人の馴れ初めは退屈でしかない。

狼男が、自分の正体を曝け出すシーンは、あくまでも神秘的に演出されており、汚らわしくないものとして描かれている。

当然、花は彼を受け入れる。

ベッドシーン

メロドラマが長い。感情移入も糞もない展開。

しかし、逐一「成長した二人の娘」の声でナレーションが挿入されるので、

これはあくまでプロローグであり、本編まで暫くかかるな、と視聴者にもわかる。

さっさと始まらねぇかな。

ちょっとの辛抱だ。

結論から言うと、最後まで、始まることはなかった。

一人目の子供が産まれる。雪。

この時、花は病院出産することを恐れ、自然出産を選ぶ。

ん? ってなる。

例えば……この過程をすっ飛ばし場合、観終わってから

「そういえば、出産の時、狼の姿で産まれてたら、どうしたろうね」

っていう、クソどうでもいい突っ込みを、敢えて先回りして予防されたような、

なんとも腑に落ちない感じがした。

このシーン、要るのか?

つまんねぇし、長いんだよ。

イヤ~な予感は募るばかり。

翌年に二人目、雨を授かり、狼男死ぬ

シングルマザーとなった花の生活が始まる……。

バイト大学も辞めて貯金で暮らすぎりぎりの暮らし

(いや、保険くらい入っとけよ。とか、そもそも在学中に産むなよ、などと思ったりしたが、何でそんな野暮なツッコミ入れたくなるかと言うと、無駄に説明ばかりの作品の癖に、肝心な部分でリアリティが掻き消されているからにほかならない)

夜泣する子供に切れる隣人。

虐待の疑いがあるとして詰め寄る児童相談所

遂に大宅から立ち退きを促される花は、田舎に引っ越すことを決める。

ジブリ空気感』を出したいのは十分わかったから、

冗長をどうにかしてくれ。サクッといってくれ。

ボロ屋に引っ越す。廃屋同然の木造住宅テンションうなぎ登りの雪。

何を見ても大声で笑い、走り回り、また笑い転げる……。

どっかでみたぞ。

トトロじゃん。

なんて言うと、したり顔で見下されるんだろうが、何度でも言うよ。

トトロじゃねーか。

ところで、この幼少期の雪、まじで声を当ててる子役が、上手い。

笑い方、ぐずり方、ヒスの起こし方、走ってる時のブレス、どれをとっても、リアル子供だ。

よって、宮崎あおい演じる花の棒っぷりが完全に浮いてくる。

ジブリも、富野由悠季もそうだけど、

中途半端リアルを求めて、「声優の演技を身に着けてしまった人は使いたくない」とか嘯いて、

こーいうところで露骨なギャップを作られると、ちぐはぐで、いらつくんだよ。

耳悪いんじゃねえの?

床を掃除して、洗い場を掃除して、雨漏りも修繕して、住めるようになる。

綺麗にしてみると、実はガラスの模様が可愛かったりして。

素敵な一戸建てに生まれ変わる廃屋。(また無粋いうけど、そうはいかねーだろ)

日暮しのために自家栽培を始める。

何度植えても病気で枯れる野菜達。

もうダメか……そこで農家ジジイが登場!

ようやくか!

と思った。そーいうアニメかと思ってたからだ。

ジジイは無愛想ながらも的確に指示を飛ばし

結果、作物は育つ。

案の定、活躍している。いいぞ。

遠巻きに見ていた村人たちも、徐々に花と交流していく。

それも、全てはジジイの差金だ。いいジジイ過ぎるな。

何の、代償もなく。頑張ってたから、助けたのだな。

しかしだよ。だがしかしよ。

野菜が採れて、村人とお裾分けしあって、

協力して、この田舎でも、生きていける。

ということが、説明された途端、もう出てこないんだよ。

まじでもう活躍なかったよ、ジジイも村人も。

説明の材料に使われただけ。

「このようにして生活していけてますから大丈夫です!」

って予防線を張られただけ。伏線もクソもない。

何の障害もなくなったわけ。花たちも、脚本も。

冬が来る。降り積もった雪山を転がって、走り抜ける。

はっきり言って、「生の躍動感」の押し付けなんて、見飽きてる。

一緒に見に行った友達は、ここが一番良かったって言ってたが。

まぁ、視覚的に面白かったら、それで良いんだろうな。

そして順調に子供が成長して、小学校に入って、

ようやくナレーションの年齢まで育って、

この時すでに一時間は経ってたんじゃないか

狼として生きるか、人間として生きるか、選びなさい。

人間としての自我が育った雪と、

狼として山を愛する雨。

姉弟の喧嘩のシーンなんかは、

つの間にか力関係が前後していたり、

腕白だった雪が風呂場で泣いちゃったり、

よくできてた。

それにしても雨は十歳で声変わり半端ねぇな。

で、嵐が来る。

唐突クライマックス。そりゃ尺たりねーよ。

無駄が多すぎるもん。

もうね、頭の中では、ストーリーの結末が、

俺がこうあって欲しいという道筋が、全部出来てて、

狼がネコバスみたく活躍して嵐の中、人間を救う、

CGも使いまくって視覚的に盛り上がりまくって、

前半のグダグダを全部ふっ飛ばしてくれるような、

スカッとする展開を望んでたんだけど。

雪は、誰も残ってない学校教室で、

初恋男の子と二人っきり。

自分が狼の混血であることを告白して、終わり。

花は、嵐の中山へ入っていった雨を追って、

転落して意識を失う(あれは全身骨折だと思うが、つうか死ぬと思うが。御都合主義が過ぎる。その辺の説明も是非ききたい)。

三途の川ライクな場所で夫に慰められて(本当にありがちという言葉を使うのも恥ずかしいくらいクソ演出)、

目覚めたら、雨に運ばれて駐車場放置プレイ

自分の道は自分で決めなさいと言った手前で、

行かないで~と泣く花。

母の強さ? そんなテーマ

なんつうの。女の……何なのお前? っていう矛盾

で、結局、雨は独り立ちしてしまう。

ところでお前は嵐の中、山で何やってたの? 見せ場ねぇー。

というか……

盛り上がる場所、ねぇー。

延々と説明。説明。説明の使い捨て

エンターテインメントが、そんなに嫌いなら、大衆映画やめろって思うんだけど。

ポストジブリ狙ってるなら尚更。

「しっかり生きなさい」とか言われても、失笑もののけ姫キャッチコピー

ED曲のアカペラ部分で、残っている精気を限界まで吸われた。

なんだ、この、げっそりする感覚は。

「浅いよ」と言われようが、

「わかってねー奴」と罵られようが、

ジブリパクるだけパクっと食って、

盛大にゲロをぶち撒けたような作品だった。俺にはそう思えた。

2012-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20120702151444

ファンタジーにおける主人公の血統なんて超人的な力を使うことへのエクスキューズみたいなもんだし何で萎えるのかわからん

地球人(だったはず)のクリリン物語終盤まで頑張ってついてきてることとかミスターサタン張りぼてヒーローでありながら英雄偶像になったのに胸熱くなることはあるけど、悟空ベジータがしっぽ持ちだからって萎えるとか意味分からんやん。

と思ったけどハリー・ポッター萎えるな。

エンダーのゲームくらいまで行かないと血統ちやほや型は萎える。確かに。

アレだ、「血統(とそれに由来する能力)があって初めて辛勝できるか下手したら負ける」くらいの敵とブチ当たらないと感情移入とかないしあんまりスカッともしないんだ。

まり主人公がどうこうっていうより、「所謂『強大な』敵」が所謂まりじゃなくて本当に強大じゃないとダメ

DIOやダッキちゃんやフリーザ様やトグロくらいの圧倒的な力量差。これ。

血統主義少年漫画が多い」=「オカルト非科学マンガが多い」

はてなブクマ

日本少年マンガは、血統に秀でた主人公が多い、

 そんなのでは萎えいか感情移入できないんじゃないか?」という問題指摘が

中国人マンガ愛好家からあった。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1719416.html

主人公が戦いの中で強くなる、強さを見せるというのはアニメ漫画における

>爽快なシーンですが、その強さの理由に「キャラクターの血統」といった背景が関係することも

>多いかと思います中国オタクの中には「強い理由が血統」ということについてちょっと

>考えてしまうこともあるらしく、中国ネットで話題になっていました。

>考えてみると日本の作品の主人公の強さって、結局は血統で決まってない? 

>強いキャラはみんな「良い血統」という背景がある。主流な少年漫画を見てみれば、

ルフィナルトゴン一護リクオもハッキリと血統による強さとなっているし、

コナンなんかでも同じ分野で優秀な親の才能を受け継いでいる。

>優秀なキャラには、優秀な血統が背景としてあることが多いね。ここまで多いと、

>この設定が日本人感覚独自の強い説得力を持っているのではないかと考えてしまう。

>血統か……特に印象的なのはNARUTO」かな。ロック・リーはどうすればいいんだ……

ジャンプ系だと、「るろうに剣心」が血統による強いキャラってのが出てないね

>ただ、あれは時代設定的に明治維新というそれまでの封建体制が崩壊した時代と関係するから

>血統重視のキャラが出ていないのかも。(続く)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml

少年漫画範疇ではないけど「ベルセルク」のガッツは血統とか全く無いキャラだね。

>言われてみればああいうのは珍しいかも。日本アニメは昔からそうだぞ。

>お前ら「一休さん」が単なる片親しかいない子供だと思っているのか?

一休南朝天皇私生児で、出家しなければ大きな問題になっていた。

>それと単なる寡婦だと思われていることの多い母親藤原氏の血統だから

一休はスゴイ血統のキャラということになる。

>全てが血統によるものではなくても、本人の努力師匠存在、育った環境過去

経験と同じかそれ以上に重要ものだったりすることは多いかも。

それから血統と背景があると話が作り易いのかもね。伏線にもできるし。

>正直、修行で強くなったりはするけど強くなれた理由が結局は血統による能力ってことだと、

>なんとなく冷める時がある。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml

成る程、と思ってよくよく考えると、もっと根の深い話が日本少年コミックには

あるような気がした。

いわゆる「日本少年誌」というのには

ファンタジーSF伝奇モノ」が多くて、

スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミックが少ない」ということもあるのではないか

30年以上前自分小学生の頃の「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」などは、

もうちょっとスポーツモノ・学園モノ・ギャグコミック」が多かった気がする。

特に学園モノ・ギャグモノとかは、主人公の血統を問わない設定が大半だし

有閑倶楽部あたりは違うな、少女漫画だが)、スポーツモノも、

主人公の血統がいいパターンは、あまりないと思う。

なので、自分小学生の頃は、それなりに少年マンガを読んでいたと思う。

しかしその後、少年マンガを暫く読まないまま大人になり、たまに散髪屋とかで

ジャンプ」「サンデー」「マガジン」あたりを手に取ると、

殆どファンタジーSF伝奇モノ」で、ビックリした。

ここでいう「ファンタジーSF伝奇モノ」というのは

主人公超能力や霊力を駆使したり」

現実世界ではありえない世界設定」だったり

現代科学に則らない法則を前提とする」マンガのこと。

こういうマンガでは、そりゃ血統の設定が重要視、当然視される。

自分は元々が「オカルト擬似科学嫌いな理系チック人間」なので、

主人公超能力で対決する」という設定のストーリー、と分かった時点で

「次の頁を一切見たくなくなる、興味が萎える」。

ジャンプ辺りで「安心して読める」のは、せいぜい「こち亀」くらいか

(あれもハチャメチャなマンガではあるが、一応現代科学法則を逸脱はしていない)

それ以外は全て超能力系だったりして、腰抜かした。

まあ自分が「今の小学生」だったら、これら3誌は絶対買わないなあ。

ジャンプサンデーマガジンでこんなに非科学マンガが横行して、

 日本科学リテラシー大丈夫か?オカルトに嵌る若者を産みだす下地を作ってないか?」と

心配になる反面、

少年マンガの売れ行きが減少しているのは、オカルト流行りの連載ばかり

 厚遇されている誌面作りに、小学生中学生が飽き飽きしているから、

 彼等もバカじゃない」という側面もあるのでは?と思うので、少し安心する。

せめて成人コミック程度に、

オカルト頼みじゃない、リアルワールドコミックの比率を高めようよ」と

集英社小学館講談社に言いたい。

2012-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20120603235901

人それぞれなんだろうけど、母子家庭だった自分からするとわざわざシングルマザーであることが明らかな人と交渉を持つのはかなり抵抗を感じる。

また、その母親よりも子供の方に感情移入しちゃってダメだ。

過去母親が男を連れてくる度に持った複雑な心境がよみがえってきそうで怖い。

2012-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20120523210745

一方で「ラノベは文章が簡潔すぎてページ半分がメモ帳」とか、

「主人公が老成しすぎて感情移入できない」とかっていう文句もあるわけで。

どっちやねん、と。

いや、両方あるんだけどさ。

2012-05-06

[][]5/5

風俗体験談エロ体験談を眺めて時間を浪費してしまった。妄想の中で何回もイった。

体験談っておもしろいな。人の話を読みながら、その人に感情移入して疑似イキできる。たぶんムラムラしているからこそ成せる技なのだろう。

残り92日

2012-04-27

「『ドラクエ7』ってなんであんなに叩かれてるんだ?」という問いかけに対する答え

http://game129.blog.fc2.com/blog-entry-389.html

諸君、私はドラクエ7が大好きだ。シリーズ最高傑作という確信がある。しかしながら、世の中の反応の一部は―いや、一部と言うにはいささか大きすぎるかもしれないが―ネガティブだ。さて、この中のネガティブ意見の代表的とも言える

に、私がいくらかのポジショントークや色眼鏡を交えながら答えてみたいと思う。

フリーズ

これは現在ではほぼ解決した問題である。というのも、このフリーズ現象はThe best!などの廉価版発売にともなって多くが解消されている。

ちなみに私はPS,PS2双方において、フリーズが多いとされる初期DISCを使っていたが、フリーズしたのはデスマシーン戦後の一度きりであり、それも一回だけなので多いという実感はない。

他のフリーズが多いとされるゲームでも同様であり、私はフリーズが多発しているプレイヤーの使用環境ハードの状態が気になるところである

参考までに私の部屋は埃っぽく、ゲームもケーブルに繋いだまま放置ということもザラで、いい環境ではない。DISCに細かな傷が付いているものも多い。

主要パーティキャラ離脱

いわゆる「種返せ、ブス女イラネ」である。これを持って「ドラクエらしくない、ドラクエ王道でなければならない」とさえ言うものもいる。この「王道」というのはドラクエ結構重要意味を持っている人も多いようだ。

さて、ドラクエらしさとはなんだろうか。私は天空以降のシリーズでは「離別と喪失」に見出したい。

なぜ天空以前と切り分けるかといえば、ロト三部作は主要人物に近しい人間が「作中で」離れるということはないのだ。2のムーンブルクは作中ではない。3のオルテガゾーマ城で主人公の前にて息絶えたが、それまでに殆ど情報がないため、思い入れある人が多いとは思えない。

ところが4になると作中で主人公の町は滅ぼされ、エドガンの弟子とは生き別れ(しかも選択次第では死ぬ)、サントハイム城はもぬけの殻になり、ロザリー人間に殺されたり、人間関係露骨に描き出してくる。これは当然容量の都合で出来ることが増えたのはもちろんだ。4で王道らしいのは実質第一章のみであり、何も失われていないのはトルネコぐらいのものだ。

5では主人公の父母が死に、主人公夫妻も子孫を遺して仮死状態になるなど、近しい人間が失われる。モンスターを仲間にするというコンセプトも影響してか、前作よりは少ないが、親が死ぬことを強く見せたのは後にも先にもこの作品のみである

6は毛色が変わり、「喪失したものを取り戻す」ことが強く打ち出されている。そして、失ったものを取り戻すことによって別のだいじなものが失われることを描くことに成功している。この作品のバーバラとターニア立ち位置は象徴的である。この作品が悲愴的なのはプレイヤー喪失したものを取り戻す過程で、これから失われるだろう別のだいじなもの感情移入していることだ。

さて、7である。私はキーファ離脱に強く反発する理由を見いだせない。というのも、これだけさんざん人との別れを描き尽くしてきたのに、なぜ反発するのだろう。推し量れば、前作のバーバラの別れはシステム上そうなることが予見できていたうえ、エンディングの出来事だから気にならない人が多かったのではないか、そして、パワータイプで「「使い勝手がいい」」キャラ物語の途中で「「勝手に」」抜けることに不快感を覚えた人が多いのではないか

まあ、これは発売前、当時の雑誌に掲載されていた開発中場面の写真にも問題あると思うが。

世界観システムの問題

いわゆる「石版」と「序盤の物語」と「ゲームバランス」と「擬似3D」である

前者2つは物語の根幹だが、軽視されがちだ。というのも、結局ゲームとはどこまで行っても作業だ。その作業を作業と思わせないことが重要なのだが、前半の探検部分はとりわけお使いでもないのに作業だという意見は多い。これは私にとって意外だったのだが、最初神殿の謎解きが分からいから投げたという人もいた。

また、今作最初戦闘導入はシリーズ中一番だと思われる。多くのRPG魔物がいる世界が当たり前になっているなか、こういうシチュエーションは新鮮だ。

石版システム、私は楽しんだが、「コレクトの強制」を冗長かつ不快に思う人がいるのは当然だと思う。似たようなので言えば「ゼルダの伝説風のタクト」あたりが同じ理由で批判されている。

一部のボスキャラ職業によって難易度が大きく変わるというのは、しかたがないこととはいえ問題である山賊やヘルクラウダーオルゴ・デミーラなどはよく取り上げられる。

今作から世界が3Dっぽくなり、視点移動が可能になった。視点を変えないと見つけられないところがあるというのは私にとってプラスだったのだが、不評の声がこれも多い。7のようなタイプ天空シリーズはすべてリメイクされたが、どれもこれも視点を変えずにクリアできる以上、立体化する意義はないと考える。


他にも雑多な不満不平は見受けられたが、割愛する。

いずれにしても私からすればドラクエ7はシリーズ最高傑作であるのは間違いない。今のところ、10は買わない予定だ。9は買ってひと通りクリアし、すれ違ったが、どうも受け付けなかった。たとえドラクエでも、毎月1000円も払ってられないというのが10を買わない理由だ。モンスターズ3Dは買うつもりでいる。

2012-04-22

夏目友人帳みた。周りの人達の妙な優しさはみんなどう消化してるん?

風邪で寝込んでいる間に夏目友人帳を見た。見始めたら止まらなくなってしまった。これは面白かったと言っていいのだろう。

ところで、どうしても気になる点が一つ。

夏目の周りの人たち、同級生藤原夫妻など、彼らの気の長すぎるほどの優しさに対する違和感はどう対処すればいいの?

夏目友人帳は、自分一人だけに妖怪が見えるということが原因で長い間他人とうまくやってくことができなかった主人公の夏目タカシが、

藤原夫妻という養父母やよき友人たちのもとで、周囲に自分を受け入れてもらう、その難しさや怖さを徐々に克服していくことに焦点を当てた成長物語としての側面を持っている。

もちろん魅力はそれだけではないのだろうけど、

彼の成長、あるいは彼がなかなか成長をしないことに対するじれったさが、

見るものを惹きつけ、続きを見たくなる一つのドライビングフォースとなっていることは間違いない。

ところが、こういう見方をした時にどうしても気になる点がある。

タカシの周囲の人間が、極端にやさしすぎる点だ。

物語中での彼の成長を描くために、過去との対比がよく用いられる。

過去で描かれる夏目は、妖怪のせいで周囲の人から奇妙な行動を目撃されたり、虚言癖があると指差され、距離を置かれる。

さらに、両親がいないために、親戚をたらい回しにされ、自分の居場所を持つことができない非常に孤独少年として描かれる。

一方で、現在の彼は、藤原夫妻という「優しい」夫妻に引き取られ、高校でも「優しい」同級生に恵まれ、

多少奇妙な言動を見られたり、変なことを言っても、幸いなことに距離を置かれることはない。

むしろ、北本西川、笹田といったクラスメートは、初期お世辞にも愛想が良いとはいえない夏目に対してすら好意を持ち、

時には上の空の夏目に懲りずにお節介を焼き続けるのである

おれは作品の欠点を意地悪くつつくような血気盛んなタイプではないし、

多少気になることがあっても見えないふりをして楽しめる方だと思う。

しかしどうしてもこの対比の違和感が気になってしまう。

少なくとも物語スタート地点での夏目個人は、過去夏目と同一だろう。

それが周囲の人たちに恵まれて、徐々に心を開いていく。周囲の人達に支えられながら、夏目が成長しているのである

ところが、過去に出てくる人たちも、必ずしも意地の悪い人というわけではない。

引き取ってくれる親戚も、一部を除けば夏目のことを悪く思っているわけではないし、

同級生も少なくとも転入してすぐには親しくしてくれようとする、とこれは夏目自身が回想している。

これを拒んでしま夏目自身、そして言動、虚言癖によって徐々に溝ができてしまうというのである

すると、過去現在との違いは果たしてなのだろう、ということになる。

物語初期には、他人の好意を条件反射的に拒んでしま夏目はいまだ健在で、おかしな言動だってある。

確かにこれは徐々に改善されていくのではあるが、その素地は彼自身にあるのではなく、

それまでただひたすら優しく彼の未熟さを受け入れてかまってくれる友人たちにあるのだ。

現在の彼らが夏目に対してひたすら優しい笑顔を向けていられるのだろうか。

あるいはもっと単純に言ってしまえば、アニメクールを通してひたすらやさしい友人たちに対する違和感、これが気になって仕方がなかった。

物語としてテーマを浮かび上がらせるためには、単純化というやり方は効果のある手法だと思う。というか物語ってそういうものだ。

ところが、この単純化された物語に対して現実感、あるいは説得力を持たせるためには、

その特殊な設定が許される理由付けが無くてはならない。

もちろん、説得、というのは相手がいるものであって、どれだけしっかりとした理由付けが必要となるかは受け手によるだろう。

理由がなくても流せる人もいるだろうし、逆にもっと極端に目に付く人もいるし、また受け手の体調なんかにも左右されるだろうから

別に絶対的にうまいやり方はないし、そもそも現状がうまくないと言えるわけではもない。

ただ自分にとってはどうしても気になって仕方がなかったということだけ。

おれの疑問としては、みんなこの「夏目の周囲の人の極端なやさしさ」をどう消化しているのだろう?

ということである。気にならないのか、どうなのか。

最後にこれはかなり個人的な背景が影響することかもしれないが、おれにとってつい次を見てしまう動機となったのはむしろ、

「いつになったら周りの人がイラッとした表情をみせるだろうか」

というジリジリとした緊張感があったような気がする。

自分にとって夏目のいる全く悪意のない環境というのはとても不自然で、

誰かが舌打ちをすることで現実感が生まれるはず、

もっといえば現実感をつかむために誰かが夏目に対して(これはつまり感情移入している自分に対して)舌打ちをしているのを待ってる、

どこまでいけば舌打ちされるのだろうかというジリジリとした緊張感こそが、次を見てしまう原動力となった。

クールみてからは、この物語には悪意はないのだということを了解したために、そういう緊張感はなくなったのだが。

どうなんですかね。

2012-04-17

時の娘

最近時間世界線の乗り換えをネタにしたアニメが多いのはなんで?

http://blog.livedoor.jp/robosoku/archives/5628491.html

時間遡行モノが増えた理由。ずばり、ロマンスと相性がいいからだ。

その土壌として、美少女というキャラクターを主軸においたロマンスものアニメ業界で確固たる地位を築いたからというのはもう疑いようもない。

ところで、「真実時の娘」というメアリー1世の時代のコイン(4ペンス銀貨)、レオナルド・ダ・ヴィンチの残したメモなど、様々な所に見受けられるフレ-ズがある。

ロマンスにおいて恋人(へ)の心理こそが真実なのだから真実が従うのは時間だけだ。

時間遡行モノだけは唯一、時間に抗ってある心理を確かめ、意思を貫いて事実に変えることができる可能性を持っている。

かつ、その可能性に向かって何度も挑戦する場合ループという狂気以上に事実に変えるという目的がそのロマンス真剣味を与え、感情移入の余地を持たせることもしやすい。

最後に、ジュリアン・ジェインズによる人間の心の仮説である二分心が提唱された著作『神々の沈黙-意識誕生文明の興亡』の巻末に近い部分では

真実という概念のものが、・・大昔の確実性に対して誰もが抱く根深いノスタルジアの一部」なのではないかとも示唆している。

ロマンス真実を求め、時間遡行が昔を求めて行く中での心理描写が作品を観る人に普遍的な共感を与えるのかもしれない。

2012-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20120410213525

BLを読み始めた小学校高学年~中学生くらいの頃は

男向けのエロにあふれる巨乳よりも、BL少年体型のが自分に近くて親近感がわくってのもあったな

胸が大きすぎると、自分とは違う生物を見てるようで、感情移入しにくい

2012-04-07

人生の半分以上を、基地の街で暮らしています

人生の半分以上を、基地の街で暮らしています

小学生から大学出るまで、米軍住宅のそばで暮らしていました。

就職してからは、あちこち行きましたが、一番長くいるのが基地の近くです。

米軍軍服で闊歩するから怖い、というような報道に一切感情移入ができません。

このあいだも、定食屋ラーメンセット食べていたら迷彩柄の結構えらい感じの米軍さんがスーツ日本人と入ってきて飯を食っていました。凄い仲良さそうに楽しく話していました。市役所の人かなあ。

どの辺が怖いんだろう、と思います

小学生のころ、街に「入ってはいけない金網のある場所」がありました。入るとつまみ出されるので、やんちゃ坊主達は武勇伝として語っていました。でも、それだけでした。大きな車が走っているだけの話です。

今、飛行場の近くだから日に何回か大きな音をたてて色々な飛行機が飛んでいきます自衛隊飛行機も、米軍飛行機も飛びます。でも、それだけです。うるさいと言っても、そばに寄った時の電車ぐらいにはうるさいですが、それだけです。

米軍ちょっと移動するぐらいで怖がる意味がわかりません。単なる日常です。

基地反対運動意味がわかりません。うるさい施設が横にある所に後から引っ越してきたのは、生活に便利だからそこに住み続けているのは、たいてい周辺住民の方です。しかも、反対する人に住民でない人が入っているとなると余計に意味がわかりません。

ニュースを見るたびに、なにか心がもやもやといたします。

表現しにくいのですが、貴様は可哀想な人間であるのだと決めつけられているようなことに近い、そんな気持ちがします。

2012-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20120405154421

女子高生レイプする35歳のおっさん感情移入する男も大概異常者だと思うが。

少なくとも女の目から見たら合意男子高生に感情移入する男の方がナンボもマシ。

http://anond.hatelabo.jp/20120405154704

なんでそう例が恣意的なのかね。

マスオさん」は感情移入以前に「入り婿」のスラングとしてすでに定着してるよ。

追記:調べたら実際は入り婿じゃなかったけどwww

にもかかわらずスラングにはなってる。

なんとなく、「峰不二子をちゃん付けで呼ぶ」くらいのところがジョークとして通じるぎりぎりのポイントのような気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20120405143241

横だけど、

都心に広大な森を持ってる大富豪」みたいなもんで、突っ込む方が愚かだろ。

ツッコミが入ってるのはマンガアニメの設定の無茶ぶりじゃなくて、それに乗りっぱなしのオタクの態度の方だから

13歳の超天才とか15歳の超絶運動能力とかそれに由来したり伴ったりする彼らの万能感とか挫折体験に心理的に同一化して違和感まったくない35歳とかの話。

登場人物が10代に縛られるのは、視聴者に合わせるってよりも、舞台設定に合わせる意味合いの方が強いだろ。

いや、まず視聴者に合わせて感情移入できるキャラクタを想定して、そのキャラがそれなりに不自然でなく振る舞える舞台をしつらえてると思う。

第二次大戦特攻隊とかだと既にオチがついてるのもあって盛り上がらないし新しい要素詰め込みづらいか架空宇宙戦争になってるだけ。

呼び方についても、「ブライトさん」と呼ぶのも、「タマ姉」と呼ぶのも、作中でそう呼ばれてるからってだけで、「マミさん」も同様だ。

作中の呼称モニタこっち側に延長されているというのが既に現実逃避でなくてなんであろーか。

向こうの世界に住んでる登場人物らと一緒の目線、同じ世界観存在無意識にしろなりきってると言われて反論できまい。

2012-03-12

萌えキャラは「男と女のいいとこどり」なのでは

要は二次元のような「ジェンダーロールに素直に従って可愛い女を演じてくれる女子」が欲しいなら、自分ジェンダーロールに沿った勝ち組男にならねばならない。同性との競争から逃げ「弱者男性」を名乗りたがるのに、女に対してだけマッチョになりマウンティングしたがる男はバカにされる。

https://twitter.com/NATSU2007/statuses/147360885797691392

 

最近萌え美少女女性ジェンダーロールに従っているわけではないと思う。

 

最近萌え美少女の中には、

有能である、戦える、勇気がある、権威がある、などの「理想男性」要素と、

美人である、若い、可愛げがある、処女である、などの「理想女性」要素の両方がある。

萌え美少女は男とか女とかいったものを超えた、「強者」だ。

二次萌えは「女にはこうあって欲しい」という押し付けではなく、「男性にとっての理想の"人間"像」を眺める行為だと感じる。

から美少女ものエロ漫画でも、美少女キャラ側に感情移入する男性読者が居る。

逆に美少女を犯す側に移入する人は、「理想人間を食べる」ことで自分自身が充たされる感覚があるのではないかと思う。

二次元イケメンも、

有能である、戦える、勇気がある、権威がある、などの「理想男性」要素と、

共感性が高い、思いやりがある、美肌・華奢・美形などの「理想女性」要素を内包している。

女性にとっての理想の"人間"像」を眺める行為二次元イケメン萌えなのではないだろうか。

2012-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20120301195517

事態を起こさないためには、発言者を肯定することしか言えないだろ。

それ以外は、「事実をないがしろにされて二重にダメージ」だろ。

「人を傷つけたらごめんなさいしなきゃいけないよね」って観点

が入ると、どういうプロセスで二重のダメージがなくなるんだ?

発言者を肯定する」って具体的にどういうことなのかはっきりさせてみ。

お前んとこの会社は大変だな。こんなバカ抱えてそいつ無駄金払ってよ。

まず、出発点は、「人物Aが不用意に発した言葉で人物Bが既に傷ついてしまった」ところなわけ。

人物BはすでにAに対して不信感を抱いている。で、人物Bは当然Aに真意を問うてもいい。

問われた人物Aが取るべき行動は、「あんなのちょっと話を合わせただけじゃないか、傷ついたなんて大げさな、どうかしてる」という保身に走った言葉を吐くことではなく、「そんなつもりはなかったが、確かにあなたを傷つけた。あなたがどう受け取るかを考えたら、ああ言うべきではなかった。ごめんなさい」だっつってんの。

「ごめんなさい」すれば言っていいんじゃなく、「ごめんなさい」してやっとBがB自身に「Aを許して受け入れる/やっぱりAを信頼できないから今後も一線引く」かの選択を問うことができるだけなの。実際に選ぶのはBであってAができるのはごめんなさいすることで「選んで下さい」まで持ち込むことなの。

Bは選ぶことで失言によるダメージに対して自分で折り合いを付け、癒すチャンスを得ることになるの。

「人を傷つけたらごめんなさいしなきゃいけないよね」って観点が欠けると、必然「選んで下さい」まで持ち込みすらしないで、Bを傷つけておきながら「お前は傷ついてなどいない、お前の傷なんて大したことはない」と言うことになる。これは事実をないがしろにしている。つーかBをないがしろにしている。

Bにとっては二重のダメージ失言ダメージと、そこから回復する機会さえ奪われるダメージと。

外野当事者ではないのでAを庇うからってAの代わりにごめんなさいしたりする必要はないけど、Aがごめんなさいしなきゃならない理由がどうしてもわからないというのなら、それはAに感情移入し過ぎでAを庇ってBを攻撃してるだけなのですっこんでるといいと思うの。馬鹿なの死ぬの?

2012-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20120227195512

物語感情移入していて、かつ「意味を汲み取る=価値を見出す」と理解してるからじゃないの。

物語の方が現実より面白くてもイインダヨ、だって普通はそういう風に作ってあるしね。

2012-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20100730153231

横だけど

俺は一人暮らしを始めて半年になる大学生だ。

事実淡々と並べただけで主人公なのにまったく印象がわかず感情移入できない


しかし余りの部屋の汚さに、様子を見に来たおふくろが絶句

しかし」がどこにも繋がっていない、一人暮らし半年でこんなに汚いのか!という意味であればもっと描写が必要



掃除洗濯料理全てを、コンセントでの充電のみでこなしてくれる美少女型のロボットだ。

シックな正統派のメイド服を着た、非の打ち所の無い完璧美少女が、

淡々事実を述べるだけでは羨ましいともスゴいとも思えない、この文章の一番の見せどころは『これはまるで理想彼女のようだ』なのだからここはもっときちんと描写した方がいい

テキパキと機械的に家事をこなす表現だけではすでにオチが見えてしま


俺は突然、猛烈にイラついて、美優の頭を瓶で殴りつけた。

ここも見せ場なのだからもっと情感たっぷり狂気を演出した方が盛り上がる

あと語尾が全て「~だ」で変化が無く飽きる

どこにも感情移入できず、ただダラダラと長ったらしく妄想を垂れ流しているだけで


これはまさしく垂れ流された「文」であり、小説ではないので評価するには厳しい

見た目が理想でもやっぱり心が通じ合ってなきゃ!みたいな漠然としたテーマ面白いけれど見せ方が下手

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