はてなキーワード: 感情移入とは
数行の文章でも人柄が出るのだなと痛感。
西野カナはまず”あなた”という言葉をこういうニュアンスで使わない。成熟した人の言葉遣いだと思います。
三番目の”多く”という言葉はとても文語的で、西野カナが歌詞でこのような言葉を使うとは思えない。
”必要よ”、という言葉遣いも少し年のいった人の表現のように思う。
逆に”私達”という表現はいかにも西野カナらしい、感情移入してもらうことを狙った表現。
また、”いつまでも”を二回繰り返す感じは歌の歌詞っぽい。柴田さんの詩に比べて表現もいかにも抽象的。
数行の文章でも、書いた人の年齢や性格などが伝わってくる気がする。
柴田さんは素朴だけれども、魅力的な詩を書く人だと思いました。
エヴァQを見た。以下雑感。
なお前提として、下記のような人間が書いた感想であることをご理解されたし。
・オッサン。かつてのアニオタ。現在はアニメは基本的にガンダムUCとエヴァしか見ていない。
・エヴァはテレビから全シリーズ見ているが、アニメ誌などは一切見ていないので映像以外の知識はほぼゼロ。
以降、ネタバレあり。未見の方はご注意。
↓
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・ヴンダー
その存在がどうしてもかつてのアニメ作品を連想させてしまうのはいたしかたないところ。
・アスカ
・ミサト
あんた、「乗りなさい!」って言ってたじゃん。
・リツコ
・マヤ
・新キャラクター達
物語的・かつ商業的に主要キャラクターのビジュアルを変えないための強引な解決法。
そら、絵的に28歳のアスカと14歳のシンジが並んだら、話になりませんわな。
・カヲル
まあ、前作とは別人物だから仕方ないのかも。
・エヴァMark.09
羽?が変形してブースター?になるところはラピュタのロボットを彷彿とさせる。
宮崎駿は偉大だなぁ。
・ゲンドウ
よくわからん。
・冬月
将棋を打ちながらいきなりシンジ(=視聴者)に状況説明をする、ただそれだけの人物。
素晴らしい。これを見るだけで本作の価値はある。
・戦闘
エヴァと比較される構造物(ビルなど)が消滅したために、巨大感が無くなってしまった。
エヴァは巨大ロボットアニメから卒業してしまったのね…。(もともとロボットじゃないけど。)
・シンジ
そらあ、浦島太郎状態でみんなに小突き回されたら、わけわからんわな。
・マリ
本作を見た中高生の間で「がってんしょうち!」が流行ったであろうことは想像に難くない。
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・感想まとめ
うん、まあ本作だけでなんとも言えんよね(オイオイ)。
グダグダ書いたけど、制作側はこんな反応はわかってて作ってるんでしょう。
「シン~」での完結に期待。
ガルパンについて語りたくなったんだけど
ツイッターでやるには140字の縛りがウザいし
自分のWEBサイトはエロ絵サイトだから需要の薄い長文乗っけて誰得な思いさせたくないし
はてなダイアリーの垢は持ってるんだけど長らくログインしてなくてIDとパスを忘れちゃったしなので
増田に描く
なお原文は2012年11月にミクシィの日記に書いたものなので
身内向けということで文体が多少馴れ馴れしいし
まだ6話のサンダース戦前の状況ということで現在の、「俯瞰的見地から見たガルパン像」から
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ブレインストーミング代わりに今日はガルパンについて語りたい
ガルパン(正式名称「ガールズ&パンツァー」、以下愛称の「ガルパン」で統一)
現実とはちがう世界、「華道」や「茶道」のように、戦車を使って軍事教練に励む「戦車道」が良家の子女の教養の一つになっており
学校教育で「戦車道」がクラブ活動として推進され(←日本の右傾化が!軍国主義復活!ぐんぐつの音が~!)
そんな世界で女子高生が「戦車甲子園」を競う青春の日々を描いたアニメです
やはり日本は憲法九条を護持し他国に侵略的な脅威をいだかせるような軍備拡張路線をとるべきではない、という個人的信条なのですが
ほらリアルでょぅι゛ょレイプとかダメ絶対でもぷにケットでそういう系同人誌買ったりするじゃん?
「それはそれ、これはこれ」という…
社会に対する「こうあらねばならない」という理想の大枠と、個人的な趣味嗜好との間に矛盾をきたすのは人間よくあることだというわけで
は、積極的に嗜好するほどではないにしても【興味があります】状態なのですよね~
軍事っていいよなパワフルで
兵器の味って男のコだよな
それでガルパンです
(どれくらいかというと、「ガルパン」劇中の10式戦車と90式戦車の区別が全くつかなかったレベル)
ストパンと似た部分(女の子×ミリタリー/キャラ原案島田フミカネ先生)があり
この奇貨居くべしと思い密かに注目していたのですが
「戦車」という全く馴染みのない題材を
女の子たちがキャッキャウフフ!しつつ戦車甲子園を目指すというサクセスフルなアプローチを取ることで
うん! そうかそうかそうなれば話が違う
ここに並んだ大量の戦車がすべておかずとして立ち上がってくる
という、キャッチーな萌え豚仕様の娯楽アニメに仕上がっているのですよね~
僕みたいにストパンでハルトマンを知ったニワカミリタリ趣味のアニオタには
ちょっと敷居が高かったのですが
劇中では「部活動」の体裁を取ることで、「戦車戦」の持つ面白さの基礎を啓蒙しつつ
理想的な作りになっているのです
そもそも一般的に男は「力強いもの」へのあこがれがあるのですよね
戦車や戦闘機・軍艦にかぎらず、偉大なアスリートやマッチョな格闘家、完成した帝国、大馬力のクルマ、大きなタンカー、巨大構造物や、強靭な猛獣や雄大な自然…
そういう「力強いもの」と、そういうものに近づこうとする努力や姿勢というのは…やはりそれだけで大きな「見せ場」「おはなし」を生むわけです
それでガルパンです
萌え豚の中の、「力強いもの」へのあこがれを「戦車戦闘」のシーンで上手く引き出して
むしろ王道的な少年漫画に近い、男性的娯楽性をあげることに成功していると思います。
ガルパンに関しては
等の冒険主義的な発言を行なっている背景には、こういう部分があると思います。
結論としては
ある程度の商業的成果を残せる作品になりうる可能性は秘めているのじゃないかと思います。
(↑この部分、去年の11月に書いた部分なんで今更感が激しいのですがあえて残す)
んで
実はこの件について
当サークル(※同人サークルやってる人間のミクシィ日記なのでこういう表現なわけだ)の特別顧問たる妹くんのご意見を賜りたく
件の動画
<externalvideo src="NC:sm19396234">
を見ていただいたのですね
※ちなみに妹くんは、いわゆる男性的なヲタ娯楽(軍事・格闘技・ガンダム等)にはほぼ全く共感性を持たない方なのですが
しかしストパンをキャラアニメとしては評価していたり、ガンダムUCを「ボーイ・ミーツ・ガールなサスペンスもの」としては評価していたりと、「ギミックにかかわらない話の面白さ」は積極的に汲んで評価する方だと思います
で感想
「お兄ちゃん…悪いけどこのアニメ、お兄ちゃんが思ってるよりずっと
玄 人 向 け す ぎ だから」
ファッ!?
「いや自覚したほうがいいと思うよ、電車と軍事とガンダムロボに萌え萌えになれるのは男の子だけですから」
で…でも…ガルパンは見せ方がすごく丁寧で…
「そう思ってるのはお兄ちゃんが「軍事モノ属性」がある人だから…
軍事関係の「ルール」っての?ああいうものがわかってないと、何やってるかわからないんで
「ああ、わかる人にはわかるんだろうな」ってのは伝わってくるけど、それが面白さに直結してくれないんだよね」
「この動画だとキャラクター多すぎで、しかもキャラ同士の人間関係が…「(戦車内の)役割」しか伝わってこないじゃん?
ストパンみたいに、キャラ同士の性格がよく見えて、そこから感じ取られる関係性で、「軍事とか興味ない人」にも楽しめる的な要素がありませんでした」
そ…それは!1話から通して見ていくとだんだんとわかってくる部分で…
「理解がないとやっぱり1話から、軍事に興味ない人は見ないよ、こういう話…
あと戦車だと女の子がみんなおんなじ格好してて、車内だから体の一部しか見えないわけじゃん?
そこも女の子ごとに違うコスが全身見え(て、芝居ができ)るストパンと違って、キャラに感情移入しにくいんだよね~
「この子たちどういう事をやってんの?」って感じで」
「戦車」はシステム上、1台あたり最低3人多くて5人の乗員を必要とし
どんなに最低限のユニット構成にしても、最低限10人(主人公チーム5人+<味方チームリーダー一人*4>+敵1人)のキャラの見分けが初見でつかなければならない…という
非常に厳しい前提条件があるのですよね
「やっぱりキャラ描写って、ヌルい人を釣るのにも大事な要素だと思うわけよ
例えば(同じ水島監督の)「おお振り」なんかは、野球のルールがわからなくても阿部さんや三橋のキャラが立ってて、
野球の試合って劇中のキャラの関係性を表現する舞台だったわけじゃん?
人間関係が生み出すドラマがメインで、野球がそれを表現するツールにすぎないみたいな…
この動画だと、完全に戦車のドンパチがメインで女の子が添え物(表現のツール)なんで、戦車に興味ないと見てて退屈なんだよね」
「あとせっかく女の子いっぱい出てるのにストパンと違ってパンツ全然見えないじゃんこのアニメ。」
あれはズボn
あ、ハイ…
「それで、まさかこのアニメで冬コミに新刊出したいとか思ってないよね?
お兄ちゃん前の日記で『(ガルパンを新刊候補にしたのは)趣味だから』って言ってたじゃん
これが同人的に来る可能性低いのわかってるよね?」
で、でも…ガルパン6話が神だったし…
「そりゃ、これ本編は熱狂的なファンに受けそうな気はするよ?
でも同人って、本編でやられてない「外野」の部分を妄想するのが楽しい訳で、みんなそこに期待してお金払って本買うわけでしょう?
キャラ同士の関係性とかさ~…そういう外野の妄想の楽しさって、あんまりこのアニメにはナさそう…劇中の戦車の使われ方を解説する本とか、そういうのが受けそう」
確かに…
西住殿×秋山殿がふたふたする本でも描こうかな~と一瞬思っていたのですが
3話くらいまではちょこちょこ出ていた「百合営業」シーンも
4話以降はめっきり絶えて、「普通に女の子同士の友情と共感」以上の感情が、ガルパンのメインキャラ間からは汲み出しにくい感じだと思います
(↑この時点で6話までしか見てなかったんで今から見たら的はずれなこと言ってるがあえて残す)
マイミクさんでガルパン好きな方いたらすみません;;disってるわけじゃないんです;;
それだけはわかってほしい
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↑は冬コミでガルパン同人だそうかなぁと思って妹に相談したら止められたという話
実際有村悠氏のガルパン同人が残念な結果になったことはご本人も仰っているし
当サークルでも、この後ガルパンふたなり化同人出したら、会場で出た部数が ふたけっと>>ガルパンオンリーイベント だったりで
件の記事は以下を参照されたし
Amazon.co.jp: 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の ドリーさんのレビュー
このレビューがおもしろいことは認める。独特の切り口に歯に衣着せぬ物言いは、確かにとびっきり面白い。でも、ただ単に面白いだけで、作品の本質は何にも言い当てられていないと思う。
ネタにマジレスするなって怒られるかもかもしれないけど、好きな小説をここまでコケにされて、「これこそが正当の評価だ」みたいなブコメをたくさん読むと、何か一言言いたくなって書いた。
わざわざ嫌いな作家の作品を読んで、長々とレビューを書いたわけだから、
①俺は作品を正当な評価をすることができる
②世間では流行っているが、面白くない小説が流行っているのは許せない
③俺の読み方によると、これはつまらない作品だ
④その誤った評価を俺が正してやる!
このような思考の元、あのような前置きを書きつつ、批判を書いたのだろうか
しかし、話題になっているから読んでみて、何がいけないのだろうか?
作品を読んで元気付けられて何がいけないのだろうか?
作品をどういうきっかけで読もうと、読んでどういう気持ちになろうと、その個人の勝手だし、誰にも迷惑をかけていないのに、なぜそのような気持ちになるのか理解できない。
確かに、村上春樹の孤独は、本当の孤独を知ってる人からしたらオシャンティーなものかもしれない。
でもそれってお母さんが子供に、アフリカで貧困に苦しむ子供は飢えや病気に苦しんでいるのだから、お前も我慢しなさいって教えているのと同じで、
少なくとも僕やそのほかの人には普遍化できない場合も多いのではないかなって思う。
僕らはアフリカで貧困に苦しむ子供よりは豊かで恵まれている。とりあえず食うに困らないし、寝るところにも困らない、幸せのはず。
だけど、悩みすぎて病気になる人もいるし、自殺する人は日本にたくさんいる。
その鬱になる人や自殺する人に、お前より貧困に苦しむアフリカの子供の方が不幸なのだから、お前は幸せだ。
なんていってもその人の悩みや悲しみは消えない。
なぜなら幸せの尺度は絶対化できないから、その人の中でしか尺度は測れないから。
だからそういう意味では、飢えた子供の不幸と自殺しそうな人の不幸は、同じように不幸なんだ。
だから、多崎つくるの孤独は、たとえドリーさんを始めもっと強烈な孤独を知っている人にとっては孤独じゃないにしても、彼の中では真の孤独なのだし、その孤独に共感したっていいじゃないかって思う。
なおかつ、ドリーさんは、別に作品をしっかり読めてもいないと思う。
ドリーさんの批判の中心は、おシャンティすぎて、全然共感できない、あるいは孤独にリアリティーがない主人公、「くたびれ果てた男ども勝手に妄想」したような女性などなど、登場人物にリアリティーがなく、感情移入ができない、というところだろうけど
なんかそれって的外れな、あるいは表層的な批判だなぁと思う。
イカ臭い妄想と断じるのはたやすいけど、それって安易でもったいない考え方だなぁと
確かに、村上春樹の小説には、こういうリアリティーのない人物がよく出てくるし、批判の対象になりがちだけど、
つまり、あえて登場人物の虚構性を高めている。
それが村上春樹の小説の特徴の一つだし、面白いところの一つなんだ。
とくに本作品では、さらにその登場人物の虚構性が際だつように構成されている。
で、ここまでは従来の春樹作品によく出てくるパターンだなぁって感じなんだけど、
なんと本作品では、タイトルに「色彩を持たない」なんて言われ方をして、はじめから紹介されている。
付け加えて言うと、没個性なんて人格、正直ふつうに存在し得ない人格。病気ではない限り、だってみんななんかしらの個性があるし、もっともっと感情の動きがある。
つまり、これが虚構性の強い登場人物ですよーって、読者にはじめから提示しているというわけ。
ほかの登場人物になるとその傾向はもっと顕著になる。
つくるの4人の友達の名前は「アカ、アオ、シロ、クロ」、ほかにも灰田など、緑川だの、対照的に、多崎つくるの周りにいる人物は、わざわざ色を名前に盛り込んでいる。
これはつくると対照的になるように配置され、人物の虚構性を高めるのに十分すぎる効果を発揮する。
つまりもう、読者に登場人物の虚構性をこれでもかっていうくらい、分かりやすく説明してある。
たぶん今回村上春樹は、前回の作品「1Q84」が抽象的すぎて分かりにくかったっていう批判をいっぱい受けたから、今作品では読者のことを考え、わざとらしいくらいに分かりやすい構成にしたんだと思う。
では、虚構性を高めるとどんな効果があるかについて。
これにはいろいろな効果があるし、難しい部分なんだけど、一つの効果として物語の受け止め方が変わるんじゃないかなとにらんでいる。
多崎つくるの孤独は、確かに特殊で誰も経験したことがないようなものだけど、なんだか自分に当てはめることができるような気がする。
虚構化の強調により、無駄な情報が削がれ多崎つくるの孤独は、まるで神話や教訓話のように、自分のことに置き換えやすかったりする
そういった効果があるのに、ケミストリーだのという、そういった細かい部分で(実際この言葉を作ったのは多崎つくるは高校生の時に作ったものであり、作った当人も恥ずかしそうに述懐しているというのに)、小説自体をバカにするのは実にもったいないなぁと
ドリーさんは、ネタバレのあらすじを書いて、つまらないあらずじでしょうってレビューではコケにしているけども、そのあらすじだけで判断しないでほしい。
確かに、あらすじだけ読むとつまらなく思われてしまうかもしれないけど、
小説は、あらすじでは説明できないから、表現できないから、伝えられないから、たくさんの言葉を緻密に配置して作り上げているもの。
だから、あらすじだけを読んで、全部知った気になって、満足してしまうのだけはやめて欲しい。
以上長々と、ドリーさんのレビューの批判を書いてみた。僕は斜に構えて、誰かのことをバカにする人は嫌いです。
斜に構えてバカにするのは簡単だけど、それで見落とすこともたくさんある。そのことが伝わればと思います。
Naoki Takahashi
あーあとまあ、「男をイジめる話は売れない? 売れない理由を考えてみろってw」知ったことかボケがw
客がどういう理由でどういう偏りを持ってようが俺が何かを書く理由とは無関係なんだよ。
知ったことじゃないとか、あんたのツイートが大元なのによく言えるわ
なら徹底的に自分語りだけにしておけばよかったんだよ
Naoki Takahashi
虐められている少女に感情移入する読者「も」多いのは、そこに虐められてる自分を重ねているからだ。
こうして自分以外の陵辱エロゲ/マンガ読者の心理を代弁しているから俺も
”陵辱エロゲを好んで買ったり創作したりしている「元・イジめられっ子」が多い(らしい?)ことを考えると面白いねw”
と述べたわけだな
「虐められて心が折れたために、安全圏から無力な相手に暴力を与える愉悦」を求めて
彼等が「(男にも虐められたのに)男をイジめる話を求めていない、イジめたいのは女だけ」だとしたら興味深い話だ。ということやね
いまさら「知ったことじゃない」と投げるのは、自分の発言に対して無責任に過ぎないかねw
社会反映論的な読み方をあえてベタにやるなら、陵辱マンガはオタクいじめ
オタク蔑視オタク抑圧を割と素直に露骨に反映してきたものだからね。ひねりもなにもない。
虐められている少女に感情移入する読者「も」多いのは、そこに虐められてる自分を重ねているからだ。
一方で、マンガの中で虐める側に回る事によって復讐心を満足させる手合いもいるとは思うが。
前者はともかく、俺には後者だって悲しい社会の犠牲者に思えるがな。
多分どん引きされるだろうけどフォロワー激減を覚悟して敢えて書く。
最近少ないんだけど、10年か20年前くらいは結構あったガチ暴力エロ漫画、
馬乗りになって顔の形が変わるまで鼻歌歌いながらぶん殴って、
精神的に完全に屈服させる奴、あれが分かるのって虐められた経験がある奴だけだろう。
殴られる側の無力感や苦痛についての深い共感が可能で、だからこそ完全に安全圏からそれを
「与える」側に回れるのは堪えられない愉悦だということ。
そういう心境に、虐められて心が折れたことのない人間は至れないんじゃないかなあ。
https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/283096322192588800
https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/283096637851709440
https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/283098890729828352
https://twitter.com/NaokiTakahashi/status/283099338232713216
そして実際子供にそんなに売れてない
必死に今のゲームはつまらないと言う意見に噛み付いているのはそれを楽しんでる子供じゃない気がする
噛み付いている人はつまらないと言う言葉が気に入らないのであって、でも面白さを挙げる事もできない
だから今実際に作ってる側の人だと思う
典型的な変化と言えば
初期の頃と現在では内容に大きな違いがある
第一作目と二作目に共通するのは、ゾンビなんか信じてないゾンビと戦うような心構えも出来てない主人公がゾンビの動き回る町から逃げ出すゲーム
最新作になるにつれゾンビ駆除の専門家がゾンビを駆除するゲーム
初期の作品にはきっちりした感性がある
ただの人間である主人公が怖い怪物たちから必死に助かろうとする
まさにその再現・表現
では新作のは何?
もうただの障害物でしかない敵たちを駆除する事に何を再現したいのか
強い敵をやっつけた爽快感?
もともと人生や命がかかって命からがら逃げられると言うものだったのに
それがとても薄っぺらい感じに
一番最初の設定をもう一度作るだけでがらりと変ると思う
心全身で感じたものはもう一度最初からはじめたいと感じると思う
でも、ただ難しかっただけのものだったら一度終えたらもう一度はじめるのが億劫になると思う
その違い
実際に今作ってる人はバランスや調整こそが全てで、やってる人が本当に全身で感情移入したり感じるかどうかは全然考えない
だからただ疲れるだけ
本当に面白いなら何度でも同じ作品をやると思う
飽きずに
何度でも
解決できない問題を抱えているとき、恋人に「自分は無力だ」と思い知らせてしまうことがある。
恋人がどれだけ努力してくれたところで解決できないのはわかりきっているのだから、彼には「自分でがんばってみる」とか「何年かたって状況が変ればなんとかなるかも」とか言っておくしかないのだが、「苦しんでいる君を見ていられないんだ」ということになるらしい。
まあ、ありがたいというか、そこまで感情移入するほど好きでいてくれるのだな、とは思う。
ただ逆にこちらも、「何もできなくてごめん。僕はなんて無力なんだ」とやられるとちょっとしんどくて、ただでさえ自分の問題でしんどいところ、なぜ慰める側にまわらなくてはならないのかと思ってしまう。
「何も役に立てないんだったら、僕の存在意義は何なの」とか詰め寄られると、特にこれに関してあなたには何も望んでいないんだけど、と言って納得してもらうのは難しい。
「いてくれるだけで心強いよ」のようなことを繰り返し繰り返し伝えないと、また「僕の存在意義!」になってしまうので、注意が必要である。
こういう過程で結束を強めるカップルも多いのかもしれないが、わたしの場合は、「助けたい」「支えたい」と言いつつ自分の存在意義を知りたいだけで、実質助けたり支えたりはしてくれないんだなあ、と思うと、「いつも支えてくれてありがとう」の言葉も棒読みになってしまうのである。
過労死のニュースを見るたびに、或いは知人が仕事の辛さを口にするたびに、そんなに追い詰められるくらいなら仕事を滞らせてしまえよと思うけれど、実際その立場にいたら怖くてそう出来ないのは痛いほどよく分かる。
私も客商売で勤め人だったが、客のクレームは絶対逆らえない上司の怒りに匹敵するほど怖かった。客には私を断罪する権利があると思うから。
しかも客は一人ではなく無限にやってきて、追い返すことは出来ない。
その客を待たせて行列など作ってしまうと、もう死刑執行人がスクラムを組んで私を待ち構えているような、絶望的な気持ちになる。
自分でもこの精神状態はおかしいと思ったので、勤めを辞めて今はバイトで生活している。
しかし今でも、昼時のドトールなどで客が集中して列を作っているのを見ると、勝手にレジ打ち係に感情移入して、息苦しくなってしまう。
できれば一生買い物もせず引き篭もっていたい。できないけど。
どこが違うのか分からんなあ。
どのコンテンツも、ある程度は感情移入が必要であるが、コンプレックスや性欲を埋める為に作られているので気持ち悪い。つまり、理想の空想とコンプレックスや性欲の為の空想の違い。現実の外にある世界へ憧れる点に対して、過去や未来の---叶わないと分かっている---可能性に思いを寄せている点が気持ち悪いのだ。
実際には上にまったくたてつくことの出来ない不満を抱えるサラリーマンが、時代劇の中で、あるいは現実のそれとはまったく異なるファンタジーな刑事の活躍に仮託して、「過去や未来の---叶わないと分かっている---可能性に思いを寄せている」のは同等に気持ち悪くないとおかしいだろw
男性エロにはネタ要素を求めずにはいられない。みんなも、もう1冊の方は見なかったことにしたいんだろ?
わあい月見荘のあかり あかり月見荘のあかり大好き。あかりちゃんの曇り無きハッピースマイルを見るたびに湧き上がるバッドエナジーがクセになる。
ドバト先生の描くロリの健気さっていいですよね。ゴージャス宝田にいじられるドバト先生萌え。
2012年のトンデモ枠。圧倒的な触手描写と、手の込んだギャグ設定が楽しいです。
前作「ピンクトラッシュ」からシリーズ続いたねー。メンズヤングは休刊したけど、けろりん先生の人気はむしろ高まってきてるかな。
話題を巻き起こした表題作。続く裁判傍聴はちょっと露悪的過ぎたかも。
シスケ先生のエロ漫画モチベーションの高さには惚れ惚れします。
ドライブ感溢れる鬼畜展開がナイスでした。青年誌の方も段々ノってきた感じ。
紙魚丸ワールドが単行本にまとまって良かったです。しかし蕾秘(ライヒ)って誌名、格好良すぎませんか?
10.駄菓子 「純潔の終わる日々…」
光源フェチが表紙に現れてないの惜しい。乳首ガチガチなの、イイよね。
BL創作同人で注目され、2010年にはふゅーじょんぷろだくとから「ミ・ディアブロ」が刊行された梶本レイカの代表作長編が、2012年遂に単行本にまとまった。グロテスクでショッキングな展開と尖りにとがった描写は、鬼畜BLという枠組みを超えた強度と鮮烈さを持って読む人に叫びかける。サブカルコミックが鳴りを潜め、マンガ表現のホットトピックはもっぱら萌え4コマという昨今にあって、BLジャンルが表現の極北を担っているというのは決して言い過ぎでは無いだろう。ウェブ掲載分の収録は2巻で終わり、現在は新規ストーリーがふゅーじょんのオリジナルBL誌「comic Be」で掲載中。山奥の男子校で繰り広げられる暴力と退廃に満ちた肉体関係は、新たな広がりを見せている。
市川けい 「スロースターター」
高校野球部・キャッチャーの攻・エアリーヘアの受。大きく振りかぶりそうな2人の出会いは、通学の車内だった。互いの学校生活の話で盛り上がり、ふと会えない日が出来ると少し寂しくなり……。友情からのBLというのは、自分の気持ちに戸惑い、相手との距離感を測りかねながら縮めていくのが王道だ。「通学/通勤電車でいつも一緒になる」という巡り合わせは、こうしたストーリー運び非常に相性の良い舞台装置で、天丼設定とまでは言わないがそう珍しくはない。市川けいが出色なのは、それを踏まえた上でガラ空きの電車内におけるあの間延びした空気感を、コマの間合いで巧みに表現していることだ。モノローグの入れ方、固定ショット・コマでの人物の動きなどの「間」を取るセンスが独特で、意図的に停滞させられたテンポは、2人の進展のじれったさと絶妙にマッチしている。反面、肝心のプロットは2人が結ばれるまでダレることはない。各話の山場の見せ方も上手く、特にキスシーンの甘酸っぱさたるや爆発甚だしいリア充になっている。内容的にも若く爽やかな仕上がりが心地よい。とてもしかしそのキスシーンが駅構内のトイレってのがまた何とも……電車好きすぎじゃなかろか。
夏糖 「花咲き道理」
「その人の持つオーラが花や泡の形で見える」不思議な力を持つ主人公と、彼が属する劇団を舞台にした群像劇。能力設定、といっても物語中でそれが意味を持つシーンはごく数箇所で、主眼は公演に向けて活動する劇団の人間模様にある。劇団員各々の交流の中で主人公の取る立場は概して淡白なのだが、それは画面の中にこっそりと映りこむオーラの花と同じように、作品に安らいだ雰囲気を与えてくれている。ラストで主人公が心情を吐露するシーンも、劇団の居心地の良さが読み手に伝わってくるような、素朴な優しさが感じられる。抑制の効いたストーリーで、主人公の存在に癒される話。
掲載された茜新社のBL誌「OPERA」はキレの良い新人をいくつも擁するが、単行本まで結実する作家はそう多くない。群像もの、しかも演劇というメタストーリーが絡む複雑な設定で1年以上に亘って手がけた事実は、それだけの力量を物語っている。現在はリブレ出版の「Citron」でも執筆しており、今後の作品にも期待したい。
磯野フナ 「委員長のおもちゃ性教育」
真面目な文章ばっか疲れんだよ! いいよねーこういうアホ丸出しの単行本タイトルって。ジュネットのピアス・JUNEって最近は描写の濃い萌エロBLの名産地だけど、磯野せんせーはたいへんイキがよろしい。コナかけられて顔を赤らめるとこ、イジられて涙を滲ませるとこ、ブッこまれて表情を蕩かすとこ、マジでエロ可愛いぜ。目の描き方を中心に絵柄もアニメ系っつーかまあ女性同人独特なんだけど、デフォルメもメリハリ利いてるし、描き慣れた感ある一方で性交シーンも手を抜いてないのがアツいね。あと女の子が可愛い(超重要)。BL作家の女体描写って成年マンガ家(男性向け)の男体描写よりレベル高い気がするんだけど、そんなことないですかね。偏見かね。コミックJUNEは休刊してしまったが、新人の弾数は色々あるので何とか次につなげて欲しいもんです。
良くも悪くも、創作同人臭の強い作風なんだけど、いいと思います。そういうの好きなんで……。くっつかずに悲恋でおしまい、とか、何となく悩みを打ち明けて心を楽にしてEND、だとか、そういうのは、商業誌だとあまり喜ばれないと思うけど、新人らしくて贔屓したい。描線にも不安な雰囲気が出てて、作風とはよく合ってます。
ここでは基本的に新人を紹介しているが、2012年の新人を一人挙げるなら、名取いさとを選びたい。心交社の「moca」とリブレ出版の「Citron」の掛け持ち連載で、同時期に単行本を刊行。それぞれほんわか友情モノと少し鬼畜な暗い雰囲気に仕上がっていて、ストーリーの幅広さがグッド。髪の毛1本1本まで行き届いた丁寧な作画も新人離れしており、「日陰蝶」では剣道着を着けての試合・会話シーンを(第1話で)こなすなど、作画に対する気合が窺える。無理のない人体描写と細やかな表情の描き分け、作者の萌えを垣間見せるキャラクター造形も多様と、BLマンガ家としての天分アリアリ。難を付けるなら、タフな仕事量にも関わらず安定した絵柄で既に初々しさを脱却していることか。女性キャラも可愛い(超重要)し、くたびれたオヤジから涙ぐむショタまで愛のある描写が光る。今後は一般女性/青年誌まで活躍の舞台が見込めるモンスター新人だ。
“君の鍵穴は私の鍵で開かれる!!”っつー単行本帯のアオリでちょっと話題になったよねコレ。まあピアスは単行本に限らず誌面でもアオリ文が横行してて、編集がいちいちナイスフレーズ捻り出してるわけだし、ちゃんと反応するのはいいことだよね。「股間もテントもピンコ張り!!全裸で楽しむ夏休み河原キャンプ」とか、綴込みの見開きイラストもイカしてるんだわこれが。しかし東条せんせーの手がけるショタはサイコーだな。桃尻のラインが犯罪過ぎる。超絶画力だからトンデモBL変態ファンタジーも安心して楽しめるんだよなー。貞操帯&お漏らしやら目隠しオナホプレイやら猫耳コスプレの尻尾アナルin(前作)やら、マガジン・マガジンって出版社は心得てるわ。この人って美少女絵も絶品だから(超重要)、Keyのゲームのコミカライズも好評連載中なんだぜ。まさに鍵穴ってやかましいわwww
葉月つや子 「白衣にひそむ熱情」
眼光も険しいサツバツな絵柄に慣れれば、有無を言わさぬ攻の気迫はBLでも稀有なストロングスタイル。葉月つや子といえば知る人ぞ知るレディコミの女王である。近年の主な活動場所はぶんか社の「まんがグリム童話」だが、レディコミ仕込のスピーディでパワフルな作劇はBLでも健在だ。怒気漲らせる攻が駆動する物語は、受を存分に振り回し、しかし最終的には見事に鞘に収まる。各読みきりの短い尺の中で怒涛のダイナミズムを見せ、その上できっちりハッピーエンドに収めるこのカタルシスはワザマエと言うほか無い。長いキャリアを持つ作家の2年ぶりとなるBL単行本は、そのいぶし銀の魅力を堪能できる一冊だ。いつもならヤクザや貸金のダークスーツ姿が映えるところだが、本作では医者の白衣が前面に出ており、少しだけ和らいだ雰囲気になっている。
トワ 「秘密にスキャンダル」
人気タレントである幼馴染との秘密の関係を描いた、作者の初単行本。BLのお約束というか、こうした立場関係では有名人側が惚れている構図が基本であり、本作もその例に漏れない。回想の幼年時代から現在は大学生としてのキャンパスライフ、進展後はサラリーマンとなった主人公との恋仲まで、柔らかなタッチによる登場人物たちは皆親しみやすく、ほのぼのとした作品だ。タイトル通りのスキャンダル疑惑や、ライバル芸能人の横槍といった筋書きも大体鉄板だが、本作は脇役がどれもキャラが立っており、悩める主人公とのやり取りに説得力がある。そのため個々のエピソードに感情移入が出来て、自然に楽しめる、という好例になっている。スピンオフによる余りものカップル救済というお決まりの続編展開も、キャラの読者人気を裏付けるものだろう。可愛い女子も沢山出てくるが(超重要)、特に主人公の妹の鈴ちゃんがイイ。鈴ちゃんヒロインにした少女マンガが読みたい。
作画:如月マナミ,原作:渡海奈穂 「純潔ドロップ 青坂高校シリーズ」
「純潔ドロップ」は、とある高校を舞台とした原作を、2人のマンガ家が作画した双子作品の片割れである。体育科の完璧スポーツマンのモテ男と、普通科の文化部長である残念イケメンの確執から始まる学園BL。如月マナミの描くキャラクターは端正な顔立ちながら表情豊かで、特に赤面して眉を歪める描写が秀逸だ。文化部長が強気の体育会系に不意打ちする、逆転の構図もしくはギャップ萌えをメインに扱っている。その場の勢いやら体育会系特有の頑固さ(偏見)に流されて、つい一線を踏み越えてしまう運びは原作の鮮やかな手腕。双方負けず嫌いな性格がコミカルで、背伸びし過ぎな攻とオラオラ一転甘えたな受が微笑ましい。舞台である高校は共学で、2人の取り巻きには制服姿の可愛いJK(超重要)も色々出てくる。彼女達が当て馬やモブ扱いではなく、ちゃんと個性を持って物語に関わるのも好感度高い。
ちなみに、ここに挙げた他作品の掲載誌にリブレ出版の「Citron」、茜新社の「OPERA」、心交社の「moca」があるように、最近のBLジャンルは各社でオリジナルアンソロジー誌が創刊されており、新人のデビュー・活躍舞台もそちらが多数になっている。本作「純潔ドロップ」の発行元であるプランタン出版はその波に乗っている出版社だ。掲載誌「Canna」は創刊3年に満たないが2012年には500ページ超えという、BL誌全体の中でも上位のボリュームに到達した。価格や発売サイクルの違いもあるし、何より雑誌の厚さと発行の安定性は別物だから単純比較は出来ないが、見過ごせない存在感であることは間違いない。
今期、「新世界より」と同程度に作画が酷いと思ったアニメってあった?
反日デモが原因なら他のアニメの作画もヤバイことになってると思うんだけど。
それにしても設定を詳しくは説明しないという、とても画の力が必要な形で話を進めているのに
肝心の作画がしょぼくて状況やキャラの感情が分かりにくい、感情移入がしづらい。
説明を放棄するんならせめて画で惹きつけてくれないと…。
あとDVD&Blu-ray1巻の描き下ろしパッケージ絵も酷いと思った。
http://www.tv-asahi.co.jp/shinsekaiyori/bd_dvd/img/dvd01.jpg
とりあえずどうしてもエヴァをループものにしたいやつはまどマギを楽しみにしたほうがその人のためだし、
巨神兵までエヴァの一部みたいに思っているやつは風の谷のナウシカという漫画を一度は読むべきだし、
ミサトさんひどいとかいってるやつはもうちょっと人の意図というものを読み取る訓練をしたほうがいい。
たしかにエヴァというのは穿った見方をさせようとするような磁場がある。
新劇は、ヱヴァンゲリヲンといったっていいけれど、これは前と違って至極真っ当な物語なのだ。
それは序、破ではみんなわかっていたはずで、
かつてのエヴァにくらべると真っ当だ、ということを強く認識していたはずで。
でもQの極端な急展開にめくらましを食らっている。
繰り返しになるが、僕が強く主張したいのは、新劇は、とても真っ当な物語である、ということ。
そしてどこまでも観客のために作られている作品だということ。
前置きが長くなったけれど、タイトルどおり、まともな見方を提示したいと思う。
エヴァQという作品の肝心な部分は、
碇シンジを観客のラインまで下ろしてきて、感情移入できるキャラにする、というところだ。
正直行って第壱話からぼくはなんでシンジがエヴァに乗ったのかわからなかった。
そりゃ綾波だとか親父だとか、そういった要素で乗ったという論理は捉えられたけれど、
その気持ちを理解できるかといえば完ぺきにノーだ。
時はたち、彼は序、破とどんどん成長していって、シンジさんなーんて呼ばれるような大人びた存在になってしまう。
そこにいるのは僕ら――この二十年近く前のアニメのリメイクをよろこんでみている僕らとは、まったくかけ離れた存在だ。
どうぞエヴァQをクソつまらんといって月9ビブリア古書堂でもみてください。
もともとエヴァの、シンジの魅力というのは、どこか僕ら側にいる主人公だ、という点だったはずなんだ。
それがTV版では話が進むうちによくわからなくなっていって、
旧劇の完全に狂った彼の姿は僕らとはまったく関係ないところにあった。
それとベクトルは真逆の方向を向いているけれど、破でもシンジも僕らとは関係ない存在だったわけだ。
「綾波を、返せ!」というセリフをはじめて耳にしたときの印象を思い出してほしい。
僕はまったくしっくりこなかった。どこかそれは英雄じみていたから。
こんなクソみたいな生活を相変わらず続けているる僕とは似ても似つかないキャラクターだった。
でも僕は破に夢中になった。爽快だったし、ポジティブな綾波やアスカも快楽主義的な立場で可愛さを感じたから。
そしてQだ。はじめて見たときは面食らった。
14年後って設定もヴンダーのデザインもゲンドウのサングラスもなにもかもに。
面食らっているうちに『つづく』の文字が黒背景に浮かんでいた。
見終わったあともしばらくポカーン状態がつづいていたけれど、一日くらい経つと、何か残るものがあった。
見事なまでに、僕とシンジの心象が重なり合っていたのだ。
というより、自分が映画を見ながら思ったことを、シンジが感じていたことだと考えてみると、
とてもしっくりいくことに気付いた。
起きたら14年経っていたときの驚きがまずそうだろう。
あのヴンダーだとかサングラスだとか新キャラだとかの強烈な違和感。
冗談だろと思いながらも、でも14年は立ったんだ、それはまるで旧劇から今までの時間のように、という曖昧な実感。
24話んときはどうもキモかったカヲルくんにも、妙な親近感がある。こいついいやつだな、という。
そしてサードインパクトの結果も、『急にこんなこと言われたってなあ……』という、
そして、『この世界をやり直したい』という強い気持ちと、2本の槍にすがってしまう気持ち。
なにもかもが手に取るようにわかったのだ。
いままでのシンジの行動は、観客が責めることができるか、褒めることができるか、そのどちらかだった。
でもQでの彼の行動は、どこまでも理解できるものだった。
そしてシンジの行動を観客に理解できるようにするには、この構成とストーリーは、必要不可欠であるように思うのだ。
ミサトさんだって『行きなさいシンジくん、とか言ってたくせして、あなたは何もしないで、といってひどいやつ』
みたいなコメントをいくつか見かけたけれど、ちゃんと映画全部見たのか疑うレベル。
もしくは親からも先生からもしつけられたことのないゆとりか。14歳の感想だったらゆるせるけれど。
エヴァQをつまんなかったというひとは、ハリウッド映画みたいなのを期待しているならもう見ない方がいい。
逆に、謎の考察ばっかしてる加持リョウジじみた人は、もうちょっと主人公たる碇シンジの視点によってあげてほしい。
いまさら人類補完計画の全貌がなんだろうが、どうでもいいでしょう? ゼーレの正体とか気になる?
いまだに本気でTV版の伏線まで回収してくれるなんて思っちゃいないよね? 先はどんなに予測しようが何の意味もないし。
伏線の回収なんかより、胸踊るサスペンスなんかより、キャラクター同士の馴れ合いなんかより、
そして14年前、旧劇で『現実に戻れ』とバケツ一杯の冷水を浴びせられながらも、
学びもせずまたアニメらしいアニメを期待していた僕らへの、再びのメッセージなのだ。
しかし旧劇のように、庵野さんは水を浴びせるだけで済ますのではない。
観ることで自分の現実にまで意識がいくように、丁寧に構成を組んだのだ。
そして、僕たちにはまだシン・エヴェンゲリオンが用意されているというではないか。
なんてサービス精神の旺盛な人なんだろうか、庵野秀明という人は。
僕は、エヴァQは一つアニメの新天地を切り開いたと思っている。
少なくとも碇シンジに関しては成立させているように感じた。
http://soccercopype.ldblog.jp/archives/20028099.html
なんか違和感あり。
巨人を昭和の遺物とか日本企業の人事に見立ててそれに感情移入するとか言うけど
今の巨人なんか完全に非日本企業。結果出さない奴はどんなベテランだろうが2軍だし
東野もトレードされた。とにかく結果出さない奴は普通に短期で消えていく。
そもそも監督が不倫もみ消しに元ヤクザに1億払ってたりしているのに
サラリーマン社会のどこと共通する昭和のお荷物とやらがあるのか。
自分は巨人ファンじゃないが他所から見ていて巨人は普通に強い。
巨人だけが勝つことへの執念をフロントと現場が持ち合わせている。
強奪と言われようが補強は怠らない。澤村も菅野も異様なドラフト指名だったが
確実な戦力を組み入れて現実化させている。そのような競争環境の下、個々の
選手の質も極めて高く維持されている。スコアデータを專門に扱うスタッフを置いて
選手首脳陣が確実に実戦に取り入れている。他球団のスコアラーが置き物化しているの
とは全く違う。
特に酷いのは中日だ。親会社は巨人と同じ斜陽産業だがここの球団は失笑レベルである。
あまりに酷いのでまたあとで。
子供の頃から自発的に嫌なことをすることができず、親や教師の監視下以外では勉強しませんでした。
それでも中学までは成績は良かったのですが、中二で不登校になってからは教師という見張りが居なくなったため全く勉強しなくなり、学力はガタ落ちしました。
今でも勉強、否、勉強に限らず嫌なことは一切ヤル気が起きず、やらないという自堕落な生活を送っており単位も取れていません。「皆イヤイヤながらやっている」と言われても、嫌なことをするとストレスが溜まるのにワザワザやる必要性を感じないのです。
アルバイトも面接をドタキャンし、資格のスクールに通ってもスグ辞めてしまいます。こんな僕でも生きていられるのは家族のおかげですが、その家族の一員で同じ血を引いている弟は優秀な努力家で東京大学に通っております。
精神論でヤレ、と言われてもシャーペンを持つ気になれないのです。拳銃を頭に突きつけられでもしない限り本当に勉強や努力ができません。
普通の人が「眠いなぁ。でも学校行かなきゃ、起きよう」という所を、僕は「眠いなぁ。学校面倒だから二度寝しよう」となるのです。
「お前は甘えだ、そんな事では生きていけない」と思われるでしょうが、本当にその通りで、ここでどうにかしなければと思い相談させて頂きます。
だらだら書きましたが、要は「目の前の嫌なことと、それをやって得られる成果」が直結しないのです。
英単語一個覚える度に一万円貰える、なら勉強しますが、英単語一万個覚えないと利益を得られない、では動けないのです。
ただ、好きなこと、興味のある事なら他の人より熱中してできるので、専攻している学門の教授からは優秀な学生扱いを受けています。
これは甘えですか?
【その他】
・気心の知れない他人といると疲れるので一人で行動する。
・法律に触れない範囲のマナー違反をしてはいけない理由が分からない(深夜にスピーカーで音楽を聴くなど)。
・東日本大震災が起こっても他人事のようにしか感じられず、被災者に感情移入ができなかった(当方関東住み)。
・承認欲求が強く、誰かに認めて貰いたい。