「悔恨」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 悔恨とは

2017-09-13

作品面白いと思う理由の一つに、過去記憶が想起させられるからというのは大いにあると思う。

人間寿命の半分程は生きてしまった自分には悔恨と未練、追憶以外に価値あるものが残されていない。

から、そんな苦しみと若さに満ちた学生時代を思い出せる作品を見ているとなんだか安堵する。

自分もそうだったな、逃げ出したくて堪らなかった。選択出来るもの選択出来ないもの、離れていく友人、無理解大人達。

一歩退いてみればあの頃の自分もよく頑張っていた部類なのだけど、なかなかそれを認めてやる事が出来ない。でも偶には、若者を責める事ばかりせずに彼らが紡ぎ出す音色に耳を傾けてみたいものだ。

彼らは精一杯自分達の青春謳歌しているに過ぎないのだから

2017-08-23

はっきり言って肉親が死んでくれてホッとする人もいる

動画:故人がペッパーでよみがえり、テクノロジーで弔う「四十九日」 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News

この記事話題になってて、故人の顔と音声をPepperで49日間だけ再生するという奇妙なプロジェクトがあるのを知ったんだけど、記事を読んでもこの発案者の市原さんという人の考えてることがよく分からない。

記者はこう書いている。

故人が四十九日の間、そばに居てくれたら。懐かしい口ぶりや仕草をもう一度目にすることができたら──。大切な人を失った喪失感を、テクノロジーで癒やす「新しい弔い方」に目を向けたのはアーティスト市原えつこ(Etsuko Ichihara)さん(29)。

遺族の悲しみを癒すと記者は書いているが、市原さんの考えはもう少し深いところにあるらしい。

「誰かが亡くなった悲しみや、自分死ぬかもしれない恐怖を、科学では根本的に解決できないところがある。それを担ってきたのが宗教宗教がかつて担っていた領域を、テクノロジーを使って再輸入できないかと思った」

意図するところがわからないが祖母の死をきっかけに思いついたそうだから、肉親を亡くすとはどういうことか、具体的な何かの思いがこのプロジェクトを動かしてるんだと思う。


でもさ。

俺の父親認知症で60代半ばでボケ出して徘徊をするようになり、二人きりで住んでいた老齢の母を散々手こずらせ、もちろんヘルパーさんは来てくれるんだが24時間つきっきりな訳はなく、70をいくつか過ぎて足腰が弱ってからはやっとおとなしくなったけどその頃にはもうまともな会話ができなくなって、80のだいぶ前に病院のベッドで干物みたいになって死んだんだけど、あの10数年間の父、誤解を恐れずにいうと徐々に父でなくなっていった父Pepper再現する意味はないし絶対してほしくないな。だって死ぬ間際の父はロボット以下だったのだから


父の通夜では俺が添い寝した。焼き場で骨を拾った時は泣いた。母は通夜葬儀も泣き通しだった。だから悲しくないなんてことはない。

でもある種の解放感を感じなかったかと言えば、それはウソになる。


肉親を失うって、ただ悲しいだけじゃない、色々な感情のごちゃ混ぜなんだと思う。通夜から葬儀の間は、感情に向き合うのを忘れさせるために、わざとバタバタと忙しくさせるのだとも聞く。

49日、あるいは納骨までの一定の期間というのは、介護で苦労した母の思いや遠くで働いているためにモヤモヤした思いでいるばかりでロクな孝行ができなかった俺の悔恨を整理するために用意されていたように思う。

父には大した遺産なんてなかったか相続がどうのというのはなかったけれど、相続で揉めると憎しみさえ生まれるかもしれない。


そんなこともあってか、亡くなったのお面をかぶり喋り方を真似るPepperというのが、ビジュアル的な気色悪さを除いても、何でそういうものを作るのか、やっぱりピンと来ない。晩年の父はボケてたから。ボケた肉親のロボット出会いたいと思うだろうか?

もちろんこれはうちの場合だけで、中にはPepperになった肉親に会いたいと思う人もいるだろう。だからそれぞれの家庭の事情に結局は帰着するのだという身もふたもない話になるのだが、少なくとも俺には故人のモノマネをするPepperというものに対して、拒否反応がまず第一に来てしまう。

2017-07-29

悔悛と懺悔:またひとつ年をとった

周囲の人間に祝ってほしいという年でもなくなった。

ただ、少しの後悔とともに、

毎年この日を待ちわびていた頃のワクワク感を思い出してチクリと痛む。

あれは祝ってくれる存在があっての楽しみだったのだと。

書き殴ってきた理想自分から

つの間にか遠く遠い現在地に辿り着いてしまった。

リスクを取らない道は

高い代償へとつながっていた。

自分はまだ何者にもなれないでいる、

来年も、その次も何かになれそうもない。

いつどこで道を違えていたのか。

今はかつて祝ってくれた人たちへの

悔恨の念が胸を挫くばかり。

でも、こんな思いは今日限りここに閉じ込めて

もう一度がむしゃらに走りはじめたいんだ。

いまから、ここから

しろ今日は、「誕生日なのだから

少し場所を貸してほしい。

そして、願わくばこの懺悔を見届けてほしい。

礼は、来年今日自分からしよう。

こんな時間につきあってくれてありがとう

いいやつだな。

もし来年も会えたら嬉しい。

それを楽しみに一年、生きられそうだ。

2017-05-27

菅田将暉制服童貞の焦燥

少し前にネットニュース俳優菅田将暉くんが

制服を着るような役を卒業したい」と周囲に漏らしている、みたいな記事を見かけた。

よくあるどうでも良い芸能ニュースだ。そもそも嘘なのか本当なのかも分からないし、第一興味もない。

ドラマ邦画殆ど見ないので、彼に何の思い入れもない。最近人気の俳優で元仮面ライダー、くらいの認識だ。

記事内の年齢の()表記を見ると、どうやら彼は俺と同い年らしい。

調べてみると俺は92年、彼は93年早生まれなので正確には同学年だった。

その彼が制服を着る役、すなわち高校生役をやめたいと漏らしているらしい。

もう24歳。まあ、当然と言えば当然である

成熟した役柄にステップアップしたいだろうし、何より制服姿に無理が出てきている。

ふと思い立ち、同学年の俳優女優を調べてみる。

本田翼剛力彩芽桜庭ななみ有村架純・・・

なんか女の子しか出てこなかったけど、なるほど。みんなかわいいけど、高校生役はさすがにしんどい。

彼女らが高校生役という映画ドラマCMも、ここ数年は見聞きしないような気もする。

日本中の同学年の中でトップクラス容姿を持つであろう彼女達ですら緩やかに年を取っていく。

容貌こそまるで違えど俺とて同じ人間。俺の若さも同じように日々着実に目減りしており、刻一刻と失われつつあるのだ。

至極当たり前のことだが、「加齢」という厳然たる事実を胸元にドンと突きつけられて狼狽えてしまった。

そしていつも抱えている焦燥感が更に膨らんでしまって、気分が滅入ってきた。

このナメクジの裏っ側を腐らせたようなネチっこい文章から

お分かりの通り、俺は彼女いない歴=年齢の童貞である

色恋沙汰に一切無縁の純粋培養・温室育ちだ。

友達ゼロ高校もろくに行かず、なんとか受かった大学もつまらなくてすぐ辞めた。5年前の話だ。

死ぬのは怖いから、跡形もなく消えてなくなりたいな。」

そんな事を考えつつ、アルバイト転々とする日々。

でも、紆余曲折を経てホワイト中小企業に潜り込むことができ、なんと正社員登用された。

給料は安いが良い上司にも恵まれたし、残業もほぼ無い。ボーナスも出る。運が良かったとしか言いようがない。

仕事に慣れたころ、「このままじゃ人生ダメだ」と思って義務的に何個か始めた趣味

ほとんどが長続きしなかったが、1個だけガッチリ自分にハマる趣味もできた。

趣味経由で片手で足りるほどではあるが、親友と呼べるような友達(同性)もできた。

明るい彼らのおかげで俺のコミュ障気質は劇的に改善された。

酒も飲めるようになったし、イベントなどにも出向くようになった。

16~20歳の間の自暴自棄だった自分バラバラに散らかしてしまった人生パズルピース

ここ数年を掛けて一生懸命拾い集めて、この1年でようやく一枚の絵になってきたような印象だ。

しかし、パズルにはゴッソリと抜け落ちている箇所がある。

そう、恋愛である。この箇所に関しては清々しいほどに真っ白である

ここで冒頭の話に繋がる。

俺はパズルピース必死で拾い集めている間に貴重な若さを随分と消費してしまっていたのだ。

まだまだ若いだろ、と自分に言い聞かせているうちに、20代の折り返し地点に到達してしまった。

冒頭のネットニュースは、その事実を俺にずいぶん遠回しな形で伝えてくれた。

俺はピースを拾う優先度を間違えてしまったのではないか。そんな悔恨がふつふつと涌いて出てくる。

友人や定職といったピースを血眼で探しているうちに出来上がったのが24歳の童貞である

友人や定職、確かに重要だ。でも、恋愛すらできずに何が人生だ、と考え込んでしまうようになった。

知人にフリーターなのに彼女婚約しようとしている大馬鹿者がいるが、彼の方が俺より幸せそうに見える。

まずは血眼になって恋愛すべきではなかったのか。とりあえず何事を差し置いてでも。

最愛パートナーと泣いたり笑ったりしつつ、友人や定職を探しても遅くなかったのではないか

これは隣の芝生を青く感じてるだけなのか。無い物ねだりなのか。

何度も反芻するたびに、どんどん気分が沈み、胸から喉にかけての辺りがずっしりと重くなってくる。

人達女性を紹介してもらえば?もちろん何人か紹介してもらったさ、でも誰とも話が噛み合わなかった。

コミュ障気質は治ったつもりだったんだけどな。数を熟せばいいのかな。どこに出向けばいいんだ?もうよく分からない。

飲みの席でも年を経るごとに「彼女が出来たことがない。」という主張が容認されなくなってきたのを肌を持って感じる。

最近ではヘラヘラしつつ、「ずっと居ないんですよw誰か良い娘いないっすか?」と笑って誤魔化す悪癖ができた。

同僚の中年独身男性の一挙手一投足や悲惨孤独死ニュースにばかり目がいくようになった。俺もああなるのかね。

もう最近恋愛を飛び越して結婚したくなってきてしまっている。子供も欲しいなぁ。どうしたものかね。

とりあえず今年の目標体重を落とし、女性比率の多いイベントに参加することだ。

こんな努力をしている間にも若さはジリジリと目減りしていってる。若さを浪費せぬようにキビキビと生きていきたい。

2017-05-02

ゆとりにとっての世界

ネタバレ注意】

クリアの人はUターン推奨

FF15クリアしてから何となく思ってたことがやっと言語化できそうなので書いてみる。

個人主観から偏りとか間違いとかいろいろあるけど、あと長すぎるけど、暇な人だけ、広い心で読んでな。

FF15主人公ノクティスは、ゆとりここに極まれりとでも表現するべきゆとり権化たる20歳若者である

東京新宿モデルにしたインソムニアという小国の中の、都庁モデルにしたというお城が彼のおうち。

お父さんから借りた高級車を乗り回して旅をする。

道中その高級車はバカ息子(ノクティス)とその取り巻きDQN丸出しの改造を施され、当初の荘厳な姿は見る影もなくなる。

ノクティスは一国の王子様でかなり甘やかされて育ち、身近にいる同年代友達ともタメ語でしゃべるけど結局はおつきの人たちなので厳密には対等な関係ではない。

旅の道中、その友達悪態をついたりからかい合ったり、20代若者らしい他愛ない会話がものすごくたくさん出てくるのだが(終盤の急展開を際立たせるためにあえてそういう何気ないシーンを強調するという演出なんだけどそれはまあ今はいい)、ノクティスの口調がまあぞんざいなこと。

お前、神様から世界を救う役割を任された王子様じゃなかったらとっくに見捨ててるからな、と言いたくなるシーンが多々ある。

ノクティスはおつきの3人の男友達とともにずっと一緒に旅をするのだけど、4人の中で暗黙のうちに「父親」「母親」「きょうだい(弟?)」「主人公」と明確に役割が分かれており、母親役の友達への態度が特にひどい。

戦闘中に敵に襲われてしま

もっと敵の動きをよく見ろ」

母親から指摘され、その言葉が終わらないうちに心底ウザったそうに

はいはいはい

とか反抗期中学生でも今どきやらない返事。

今日の天気は?」

と、自分スマホ見りゃすぐわかることをわざわざ尋ね

快晴だ。気温も上がるだろう」

としっかり答えてくれたのに

「ほーん…」

と生返事。

うわ感じ悪い、ってちょっと引くレベルゆとりっぷりなのだ

すぐ

だるい」とか「眠い」とか「なんでこんなことやんなきゃいけないんだ」みたいな愚痴ばっかり言うし。

終始こんな感じなので父親役のやつからは何度かマジギレされるのだが、それにも「な、なんだよ…」と被害者みたいな顔をするか、もしくは「わかってるよっ!!全部わかってるんだよっ!!」と精いっぱいの虚勢を張った内容のない返ししかできない。

神様から世界を救う役目を任されたノクティスが、かように重度のゆとりであるがゆえに、悪者の悪だくみを食い止めるのに間に合わず世界ほとんど滅亡する。

町は廃れ、村は滅び、どこもかしこ魔物であふれかえり、わずかに残された人類が肩を寄せ合って細々と生をつなぐ世界

そこでようやく、ノクティスは覚醒する。

時間はかかった(10年かかっている。その間に多くの犠牲があった)が、ついに悪者を倒し、世界平和を取り戻したのだ。

これがFF15ストーリー

誇張でなく、ストーリーの半分ぐらいは、ノクティスのダメっぷりとそれをけなげに支えるおつきの3人の珍道中を描くことに費やされている。

残りのうち4.5割ぐらいは隠しダンジョンややり込み要素、最後の0.5割が覚醒ノクティスの無双シーンとエンディングエンディングは泣けた)。

「すでにほぼ滅んでしまった世界を救う」

というのがなんか不思議な感じがした。

まあFFはこういうの結構ありがちだし、FF6も一度世界崩壊してから後半のストーリーが始まるし、FF10も緩慢に滅びゆく世界を変えるっつー物語だし、だいたい「悪者が大規模な破壊行為を行って取り返しのつかないことがたくさん起こったが最終的にはそれ以上の被害が出るのを食い止めた」って感じで、世界結構な損害を被ってはいるんだよね。どの作品も。

…なんだけど、他の作品主人公一味がものすごい精鋭揃いで当事者意識も高いし自分がやらねば誰がやるって決意とか覚悟がわりと最初のころからしっかりある。旅のはじめの目的から世界を救うことになるまでは偶然や成り行きもあるんだけど、その成り行きを受け入れるのも早い。状況を理解してからよっしゃそういうことなら一肌脱ぎますか!!ってなるまでのタイムラグほとんどない。当たり前のようにみんな世界を救うという目的を共有し、それに向かって邁進する

みんな世界を救うことに一生懸命なので、守りたくても守れなかったものとかを前にして、すごい落ち込むし、あのときああしてれば、って後悔したりする。

ひどいのになるとクラウドみたいに自我を失うレベルまでそういう後悔とか罪悪感とかに支配される。

ノクティス一行はそのあたりが結構のんびりしている。

守れなかった存在を前に悲しむことはあっても「自分の力が足りなかったから…」と後悔するシーンはほとんどない。

敵軍に理不尽理由で殺された人さえも、どうかすると自然災害で亡くなったかのようなニュアンス追憶していたりする。

自分がみんなを救わなくちゃ、と力んだりしていない。

自分を過度に追い込まないのだ。

その結果、世界がほぼ滅亡する。

でも、他の作品みたく

「遅すぎたのか…」

と後悔するシーンとかもない。

なんかこう、滅私奉公じゃないのだ。

いつだってマイペース、主軸は自分

たくさんの人が死んだ。

けれども、それでノクティスが「俺が至らなかったせいで…」と自分を責めたりするシーンはない。

3人の仲間達もそうだ。

いなくなったノクティスが成長して再び姿を現すのを10年待ち続け、ついに戻ってきた彼に「遅かったじゃねえか」と言いながら再会を喜ぶ満面の笑顔

「早くしないと、この世界が本当に終わってしまう…」

とか誰も言わない。

仮に彼らに

「ノクティスが戻ってくるのがもっと早かったら、被害もっと少なくて済んだのでは?」

と尋ねたらこう答えるだろう。

「でもノクティスが十分に成長するのには、これだけの時間必要だったのだから

ふるさとインソムニア廃墟と化しているのを目の当たりにしても

もっと早く帰ってきていれば…」

と後悔するシーンはひとつもない。

たぶんだけど、FF15意図的

「後悔」「自責

という要素を徹底的に排除しているのだ。

責任感の強いヒーローほど、そういうのがついてまわる。

救えなかったあの人への悔恨の情がしばしば世界を救う原動力にすらなる。

ノクティスにはそういうのはない。

いや、設定上はあるんだろうけど、描写がないのだ。

10年経ってふたたび仲間の前に姿を現したとき、これまでのヒーローだったら「世界がこんなになるまで何もできなかった自分はなんと非力だったのだろう」とかひとしきり嘆いてみせると思うのだけどノクティスがそういうことをする描写はない。

でもきちんと悪者は倒すので、自分役割を忘れているというわけでもない。

そういう描写を見ていて、ああ、ゆとりって確かにこんなだよなあ、と思ったのだった。

決して頭が悪いわけではない。

社会貢献の意欲はある。自分役割もわかっている。

自分にできることを、できる範囲でやる。

できないことを無理にやろうとしない。

そういうメンタリティを突き詰めていくと、ノクティスになるのだ。

からほとんど壊れてしまった世界を目の当たりにしても、ノクティスが自分を責めることはないのだろう。

彼はそのときそのときの彼にとってのベストを尽くしたのだから

まあ、それはそれで、いいのかもな。と思った。

後悔したって、自分を責めたって、死んだ人が生き返るわけじゃないんだしね。

現実仕事だって、考えてみれば、それでいいんだと思う。

今日行ったとんかつ屋で、あちこちのテーブルの上の食べ終わったお膳が全然片付いてなくて何だろうと思ったんだけど、若いエイター男の子結構のんびりしてる子で、ひとつ配膳が終わって、周囲を見渡して、近くのお膳をひとつ片付ける、という場当たり的な対処しかしないのでなかなか片付かないのだということが少し見ているうちにわかった。

もっと全体を見て、機敏に動いて全部のお膳を素早く片付けてしまおうよ。自分飲食店バイトしていたときにはそうしないと怒られてたけどな」

最初わたしは思った。

自分バイトしていた店ではそれが当たり前だったので、頑張って慣れた。

できない自分を責めながら、早くできるようになろうと努めた。

でもまあ、なんていうか、そこまでしなくてもいいんだよね。

たぶん。

わたしもウエイターも同じ人間で、人間にとって仕事ストレスは少ないに越したことはないというのは真実で、まあ自分を追い込みながら余裕ない感じで片づけるだけが正義じゃないよね、とか思った。

そんで、そのウエイターみたいに、上の世代からの白い目もものともせずに、自分のペースで、できる範囲でできることをやる、自分を過度に追い込まない、というような働き方をする若者が増えれば、日本はだいぶ変わるんじゃないかな、とか思った。

うーん、やっぱりなんか言語化できてないな。

まあ、ゆとりも悪いことばかりでもないかな、と思ったんですよね。

長々とごめんなさい。

2017-04-14

一部の発達障害と「共感」する力について

発達障害のある人の手記を読んで思うこと

「私が」ではなく、「周囲の人が」困ったり、迷惑をする時の感情に思いを馳せる力。それはすなわち、他社の感情に寄り添う「共感力」に他ならない。

これは「定型」発達者が、成長の過程でおのずから身につけてゆく力だ。

最近は、職場発達障害の疑われる同僚に接するようになり、障害の様々な態様について関心を持つようになったのだけれど、

そんな中、発達障碍のある人の手記を読むと、この力がポロリと欠け落ちているように感じられることがある。

「私」がこう思った。「私」は、こんなふうに苦労した。だから「私」は今、こんなふうな生き方をしている、等。

論証の視座が自己に偏っていて、どこか一人称小説を読んでいるような気分になる。

特にアスペルガー症候群と診断された人の手記には、この傾向が色濃く出ている。

ex.

アスペルガーの私が、マルチタスク命!のコンビニで働いた結果…」

https://h-navi.jp/column/article/35026205

 →著者ヨーコ氏の他の記事も参照

申し訳なさ」が成長・発達を促す

敗れた側のスポーツ選手はいう。「こんなに応援してもらったのに、応えられなくて申し訳ない」と。

オリンピックワールドカップで、また欧州サッカー選手監督がそういった反省の弁を口にしているのを見ることがある。

から、この「申し訳ない」という感情は決してこの国特有のものではないのだろう。

そして、このような反省悔恨を述べた後、選手監督が次に口にするのは「だから、次はもっと努力したい」という言葉だ。

このとき申し訳ない」気持ちは、周囲に迷惑をかけないために、または、誰かの期待に応えるために、その原動力として働くようになる。

こうすまい、ああすまいと、「自分以外の誰か」にとってよくない結果を避けようと努力し、自らを発達させるエネルギーを生み出す。

自分のせいで落胆したりや辛酸舐めることになる他者への共感=「申し訳ない」という感情が出発点となり、人は成長・発達を遂げることができる。

共感力を伸ばす

こんなことを書くと、発達障害で苦しんでいる当人に、さらに罪悪感を持たせようというのか、という意見もあるだろう。

それは確かにそのとおりだ。

このような「申し訳なさ」に至る=気づくためのメソッド治療方法があるとしたら、それは前出のような手記を書くことのできる状態発達障害のある人にとって望ましいものだろう。

少なくとも、自分がこの世に存在することが申し訳ないというような、極度の抑うつ状態にまで達している発達障碍の人には、すでに禁忌である

私のような素人が、決して軽々しく日常生活に応用していいものではない。

しかし、こちらもまた感情ある人間であって、ふとした瞬間に、相手に対して非難いたことばを掛けることを制御しきれないのも事実だ。

ここで主張したいのは、こういった発達障害のある人から申し訳なさ」を引き出すような問いかけ・コミュニケーションを一概に否定するのではなく、

時には負荷をかけることが有効場合もあるのでないか、ということだ。

罪悪感という負の感情を克服するために、克服したいという意思を持つがゆえに、人は自らを発達させようともがく。努力する。

申し訳ない」という感情に含まれる、他者存在距離を感じるところから視野が拓かれ、自らの発達障害に深い理解が及び、ひいては、その克服に至ることがあるのではないか

以上のようなロジックで「申し訳なさ」を引き出すことが発達障害のある人のためにもなるという主張をしてみたいと思う。

なんでこんなことを考えざるをえないか

望むべきは、私自身がもう少し発達障害の疑われる同僚に気を使ったり、自らを押し殺したりすることなく、時に軽やかに時に遠慮なく、モノを言えるようになることだ。

発達障碍のある人の周囲の人間の負荷。

まったく陽のあたらないこの負担を担ぎながら、私もまた、私自身を視座の中心に据えて、こんなレントシーキングまがいの呟きをしている。

発達障害を望ましい個性であるとか、多様性の発露であるかいった主張だけは受け入れられない。発達障害が克服・改善されない限り、かならず誰かが負担をこうむるのだから

以上。徒然おわり。

2017-04-03

ソニー株式会社退職しました

表題の通り、数年勤めたソニー株式会社退職しました。

個別具体退職理由はいろいろあってそれらは後述しますが、退職を決めた基本的理由は、個人的キャリアパス設計会社方針ミスマッチ労働観のミスマッチ技術投資の考え方のミスマッチの三点に集約できると思っています

キャリアパス設計会社方針ミスマッチ

私はソニーソフトウェアエンジニアとして働いていました。

ソフトウェアエンジニア(を目指す人間)にとってソニーと言えば、"自由闊達理想工場"、エンジニア自由活躍できる会社日本メーカーなのにソフトウェアもちゃんとつくれる会社、などのイメージがあるかと思います。私もそう思っていました。

実際会社説明会などでそういった説明しましたし、そういったイメージを前提に私はソニーを選び、「エンジニアとしてプロフェッショナルになる。品質が高く、お客の求める体験を作り出せる人間になる」というふわっとしたゴールを設定し、いわゆる"プログラマ 35 歳定年説"をガン無視した一生エンジニアキャリアパスを描いていました。

しかし、会社の求める人材像、少なくとも自分が配属された事業部で求められる人材像、キャリアパスは、上記と全く異なるものでした。

昇進の段階としては、現場業務(エンジニア)は基本的に常にマネジメント業務(中間管理職)に対して格下に位置得付けられており、一部オーバーラップする部分があるものの、昇進する = エンジニアをやめてマネージャーになるという状態でした。退職の原因になった上司からも「君は優秀なんだからプログラミングみたいな低俗なことは早く辞めて人を動かせるようになれ。私が引っぱりあげてやる」(意訳)といったようなことを言われ、自身の「エンジニアとして生きる」というキャリア設計との相違は明らかでした。

もちろん、組織としてスケールするために、エンジニア経験を活かしてマネジメントに移行することは否定されることではありません。ですが端からエンジニアリングマネジメントになるための踏み台として"しょうがなくやるもの"として扱うことには強い違和感嫌悪感がありました。

退職の際の送別会で、部署の中でもエンジニアとしてレベルが高いと感じていた40代の先輩が、「ソニーではエンジニアリング評価されない。俺はその方向に進んだけれど、給料最近下がる一方だよ。君はい選択をした」と言っていたのが、未だに記憶に残っています

労働観のミスマッチ

はいわゆるライトオタクで、アニメゲームが好きでコンテンツを消化する時間無限に足りないと感じていたり、自分で何かを考えてものを作るという絶望的に時間を食う行為も好きだったりして、ともかく余暇時間の確保が人生重要課題です。

うご推察されたことと思いますが、ソニーでの私の労働時間はそれなりに長かったです。企画ビジネスユニット主導のスケジュールに開発部隊は圧殺されて、長時間労働常態化していました。私も残業時間が 90 〜 100 時間程度の月が 3 ヶ月ほど続いたこともありました。部署の先輩には、残業時間の"平均"が100時間という方もいましたし、月の半ばで法規制が許す残業時間を"使い切ってしまう"ため月の中盤以降は"定時に帰ったことになっている"デバイス系の同期もいました。正直に告白すれば、私もチームリーダーに「打刻してから席に戻ってこい」と言われたことがあり、そのチームリーダーは次の日悔恨の表情で「昨日言ったことは忘れてくれ」と言っていましたが、数カ月後に突然辞めました。

前述の通り、趣味時間人生の意義になっていた私にとって、これは体力的だけでなく精神的にも非常にダメージの大きいものでした。上司からの「君のチームが他のチームに比べて残業時間が少ないので、(労使交渉で通常の上限の)60時間まで残業時間を埋めてほしい」という指示が決定打となり、退職を決意するに至りました。

技術投資の考え方のミスマッチ

昨今の、シャープ東芝等のニュースで明らかになっているとおり、大企業から安泰ということはもう過去の話です。そのため、自分市場価値を高めておく必要があると私は強く感じています

しかし、会社エンジニアリング軽視であり、またその昇進先であるマネジメントについてもお世辞にもプロ仕事とは呼べないものであり(残業100時間を続けないといけないマネジメントとはなんでしょうか?)、ソニーで働き続けることは私の「労働市場自分市場価値を高める」という方針にとってリスクしかありませんでした。

人事担当者に、現在キャリアパスについて不安があるという相談をしたときにも「増田さんがソニーで(定年まで)働き続けることを考えると〜」のような発言をしており、会社がなくなる / 現状の待遇が維持されなくなるというリスクは全く考慮されておらず、いかにただただ嵐が過ぎるのを耐えるかという発想しかありませんでした。

エンジニアリングについても、昨今の汎用チップスペック的に見劣りする高額のカスタムチップの開発、そのカスタムチップを使いこなすための C / アセンブラによる手動の最適化といった"職人芸"に対する信仰、大量のテスターを雇っての人力テストなど、エンジニアとしてのセンスとしてやや疑問符がつく、ともすればレガシーな開発手法がまかり通っていたりと、この技術職場適応したとして、その人物一般的問題対応できるだろうか?その人物市場評価するだろうか?という疑問が拭えませんでした。

また、業務時間がまるで足りないからとコードレビューすらろくにできないので知見がたまらない、時間がないので勉強もできない(しない)、もちろん職場で最新の技術に対するディスカッションどころか雑談すら成り立たない、という状況で、私がこのような職場業務忙殺されている間にも、世界エンジニア勉強技術力を高めているのかと思うと、相対的自分市場価値を毀損されていると感じ、焦燥感にはちきれんばかりの思いでした。

転職

こういった不安・不満があり、また会社の期待にも応えることが難しいということで、先ごろ無事ソニー退職し、新しい職場で働き始めています。新しい職場は上記の 3 要件についてよくマッチしていると感じており、心穏やかに働けています。幸い年収も多少増える結果となりました。

色々書きましたが、これらはソニーが悪い会社だと言う話ではなくミスマッチだと思っています。上記の内容はすべて私の価値観を元にした一面から評価になっており、他方でここで挙げたような会社の考え方(マネジメント優先・仕事優先・安定優先)に同調・納得できる方もいると思います。残念ながら私とはミスマッチだったというまでです。

また、あくまでこれらはソニーという(さらに言えば自分の配属された事業部という)組織に対する評価であり、尊敬できる先輩・同期もたくさんいましたし、そういった方々と出会えた、幸いにして現在も仲良くしていただいているということは、本当にありがたいことです。

みんながしあわせになるといいな。

おもしろ案件お気持ち表明

ここからは単なるおもしろ案件共有コーナーです。

内定もらった時の風景は今でも覚えていて、友人と一緒に出かけていた先で内定通知の電話がかかってきて、本当に2人で喜んで、とても嬉しかったのを覚えている。どうしてこうなっちゃったんだろうなぁ。

ものつくりの現場で、エンジニアリングバカにされたのは悲しかったなぁ。私がいる間だけでも、ものが作れなくなっていってるのが感じられたのも悲しかった。

2017-02-22

山手線ホームドアの手前、混雑する車内を前にイアフォンを鞄の中から探していた。一度入ると取り出すのが大変だから…そう、時間はかからなかったと思う。ただ手こずっただけだ。

やっとお気に入りを鞄の奥底から引っ張り上げたとき山手線は目の前になかった。忽然と消えた!驚きに周りを見渡せば、遥か右に消えていく面影

鞄を探すちょっとした時間がどれくらいだったか山手線が目の前にあって、山手線がいなくなって、その始まりと終わりは覚えているのに間が抜けていく。今日退職手続きをする会社も思えばそんな感じだった。

昨日、今は違う部署にいるお世話になった上司メールを書きながら、通り一片の定型句じゃもったいないエピソードを思い出そうとした。だが、うまく説明できない。一番お世話になり、また一度は障害の尻拭いを客先にしていただいたはずの仕事の話が出てこない。

本人はまず覚えていないだろう日常会話……春野にあるホビーショップについて店名と外観が結びつかなくて、上司が幼少の頃に遊んだお店、今もありますよと切り出せなかったこととか、そんな軽い悔恨ばかり思い出す。

自分の中で十年間という大学高校を合わせたよりも長い入社時間がすでに畳み込みを始めているのだと気づいた。

思い出の整理はしがらみに絡め取られたまま、客先に挨拶して周る言葉すら、まだ二、三考えているだけだ。だが、生理的記憶は既に取捨選択を行っていたのだろう。気付かなかっただけで既に廃棄処分を受けていたのだ。重要書類もそうじゃないのも本人の意志確認なしに。

業務報告書を読み返す苦行は途中で辞めた。これはもう整理がついた自分だ。

今日よ、早く終われ。大きな日常の中の一日なれ。早く昨日になることを、そればかり願っている。

2016-12-15

この世界の片隅に」を観に行きました。

君の名は。」に隠れてあまり話題に上がりませんが、少なくとも界隈ではヒートアップしている気がします。

観に行った友達からSEが良いとのことでしたが、確かに、といった感じ。

弾がいくつも落ちてきて、時期によって種類も変わるのですが音声ともに視覚描写を変えていくところが丁寧。

爆破してから金属が残って燃え続けるやつって何の種類・・・

爆弾で思い出しましたが、核については必要以上に触れておらず、そういうところもいい。あえて日付をぼかしておいて、視聴者に察せさせる配慮(?)もうれしい。

呉の人からすると、広島に新しい爆弾が落とされたらしい(爆破過程がいつもと違うことと、何やら雲らしきものが見える)・・・くらいの事実認識がおそらく確かに普通なのでしょうなあ。

また、あのときの雲から「あの子」を想起させるところも小気味いい。ほかにも「あの子」をすずが何度も何度も思い起こすシーンがありますが、フラグ回収という意味では気持ちいいし、悔恨の意としてもしつこくない。これも理由がはっきり説明されているからなんだよなあ。

そういえば、後悔のもととなった事故シーンはこの作品の一番奇特な場面だった。あそこで初めて、「ああ、映画を観てるんだぼくは・・・」みたいな、聴覚視覚がフル刺激されているような感覚が走った。すずの感情起伏もあそこでガラッと変わるし、視聴者からしてもあれだけ時間をかけて場面を見たからこそ後半への準備ができたのでは。

あと、すずの描く絵はシーンを一気に童心への回帰へと持っていき、そのたびに涙腺が少し刺激されるのは「昔を懐かしむ」人間の定め?でも別に恣意的に場面を挟んでるなあという感じがしないのは、紙自体が貴重だったりする時代背景(つまり紙の出てくるシーン自体が少ない)からか。

この映画クラウドファンディングでの応援公募されたことで話題に上がりましたが、そういう意味でもこの映画が作られた理由というのは、「この世界の片隅」を動かしたい(してほしい)・聴覚刺激を加えたい(ほしい)という願望がやはり大きいのだと思う。

戦争を題材にするにあたって、人の恐怖心を駆り立てる轟音はあってしかるべきだし、感情の起伏こそ動きがあってなんぼのもん、だ。

戦争ものってどうせお涙頂戴か、見てたら気まずくなるんやろ?」って僕は今の今まで思ってましたし、ほかのものは実際そんなのがあるかもしれないけど、コミカル要素がままあって、あくま日常を実寸大に描いてるこの作品は僕にとっては非常に観やすかった。いやほんとNHK連続テレビ小説でどれだけ胸糞悪い思いをしたか。本当にこの作品にあえてよかった。戦争に対する思いは描く人それぞれが覚悟をもって確固たるものを抱いていると思いますが、たぶんそれは敗戦直後のすずの叫びそのまんまでしょうし、僕はこの台詞でやっと戦争ものへの全体的な反発から解かれるよな気がするし、なぜ人々はここまで戦争について語るのだろう?というわだかまりまで自分の中でもう少し消化できそうな気さえしてきた。

表面的な感動だけを呼び起こすことなど全くせず、心の底からの(原始的な?)感情を目覚めさせてなお上位な思想を頭の中でくぐらせてくれました。

何度も見よう、とはならないけど、たぶんふとした時にまた呉の風景が僕の頭に戻ってくるのだろうな・・・その時にはもう少し戦争観を成熟させていたいものです。

2015-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20150914011449

残念ながらコピペじゃなくて、実際にTVタックル野坂本人が冗談めかして言ってたんだな。Youtubeか何かがあればよかったんだが見つからなかった。

まあ、実際に締め切りがどうとかは本心じゃなくて、悔恨とか悲愴とか怨念とか、そんな自分の当時の心情を勝手他人想像されるのが嫌だったんだと思う。

義務教育国語って、作者の心境なんて本人以外分からんものを無理やり想像させようとする一方で、論理性を軽視する傾向にあるんだよね。村上春樹プリンストンで「成熟喪失」をテキストにした時、学生から「これは批評じゃなくてエッセーだ」と言われたそうだ。新聞社説ですらやけに情念的なこの国で、国語教育論理性を求めるのは無理があるのかもしれない。

2015-09-04

敷居が高い意味誤用注意

 

ヤスすきやばし次郎はボクにはまだ敷居が高いですよ。』これは間違った表現である

 

ヤスすき家紅生姜かけすぎたので敷居が高いんですよ。』これが正しい。

 

 

 諸君が上記2つの正否を理解せず誤用していたとしても恥ずべきことはない。なぜなら、政府の行った世論調査でも45.6%もの人間誤用しているという調査結果があるからだ。45.6%がどれ程の戦闘力かというとちょうど山口組から割って出た神戸山口組戦闘力に匹敵するほどである

 

 冒頭の例えが分かりづらかったという筆者の悔恨を込め新たな例文を書き、筆を置くことにしたいと思う。

 

 

素人本家に顔を出すのは敷居が高い』←誤用

 

山健『本家に顔を出すのは敷居が高い』←正しい

2015-07-23

M風俗店に行った話

以下、風俗ネタ下ネタの詳細描写ウ○コネタ注意

嫌悪感がある方はごめんなさい。

ソフトM向けデリヘル行って来た話をだらだら書く。

Webで調べて、デリヘル形式のお店に決め、コース・予算をチェックして電話電話によるとすぐ入れるとの事。

お店は隣の街なので、電車に乗り、駅について改めて電話ラブホテルを紹介されチェックインして改めて電話連絡。

そしてお風呂にお湯を張り、AVチャンネルを見ながら姫の到着をしばらく待つ。

ここまでの段取りはいもの事なので慣れたものなのだが、

この時は緊張して喉が渇きまくりだった。

なにしろ初めてのM風俗なのである

かねてよりM風俗に興味があったのだが、なかなか足が伸びなかった。賢明増田諸兄ならご存知の通り、M風俗はやや割高なのである

エリアによってはソープランドとほぼ同額なのだ。同額ならばソープランドの方がよい。この時まではそう考えていた。

その日は違った。

入れるより入れられたかったのだ。

また、今思えばひどくくだらない男のプライドであるが、

日常関係のある女の子に責められるのには抵抗があって、

自身にM気質があるのは自覚していたものの、

(元)嫁・彼女セフレの前ではSの皮を被っていた。

※もちろん、この【被る】というのは二つの意味である

直近にストレスを抱える事案があり、色々と解放したくなったのも、この店を選択した理由である

そんな様にM風俗に来た理由自分なりに逡巡していると、ドアホンが鳴る。

開けると目方40歳位の小奇麗な女の子スーツびしっと決めて立っているのである

部屋の外に立たせていてもしょうがないので、ささと部屋に通す。

今日暑かったですねとかそんな話をしながら、ソファにささどうぞとエスコートする。

着座した女の子が重そうな鞄から出したのはプレイカルテであった。

なんて呼んでほしいか、どのようなプレイをしたいのかなどを女の子と話ながら記入する。

ソフトM/普通のM/ハードMの選択肢があったのだが、いかんせん初めてなのでどの程度のものなのかがわからなかった。

からない事は素直に聞き、要望を率直に伝えるしかない。

「M風俗は初めてなのでソフトMコースが良いです。痛くないやつ。ただエネマグラとバイブとペニバンはおしりに入れてください。」

「初めてなのによくばりね。」

女の子もさすがにプロである。やさしくうなずいてくれた。

カルテの記入が終わると女の子は重そうな鞄から色々道具を取り出しベッドの周りに並べていく。

手際の良さはさすがである

ベッドの準備が整うとシャワータイムである

胸重視の増田諸兄ならばそうだと思うが、

この脱衣の瞬間は風俗において重要なのである

しかしながら非情な事にこの日は大平原に二つのクルミであった。

いつもならボディソープを泡だてている後ろから胸を触るかどうかの葛藤がある(だいたい触らない)のだが、

この日はそんな気が起きなかった。

シャワータイムは臀部を入念に洗っていたのが記憶に残っている。

この時点で少し気持ちよかったのも記憶に残っている。

そしてシャワーが終わると先に出て、

ベッド上のアイマスクをして仰向けで待つようにとの指示を受ける。

指示通りアイマスクをし、ベッドで待つ。

緊張である

ベッドの端が沈みこむ感覚があり、近づいてきた事がわかる。

最初は足元に口づけがあり、そのあとはアダムタッチだとかフェザータッチだとか言われる技法

全身を触れてくる。とても気持ちいい。自然オットセイの様な閨声が上がってしまう。

女の子はいつもこんなに気持ち良い事していたのか、ちくしょう」などと恨みごとが湧きあがってきたのを覚えている。

アダムタッチを熟知している増田諸兄には周知の通りだと思うが、

敏感な個所にはなかなか触れずに焦らしてくるのである

アシカの様な咆哮をあげていると、するりと感触が伸びてきた。

待ちに待った時が来たのだ。

そうすると、あつい温泉に入った時に覚えるあの「くうっ」と視界が歪む感覚があり、頭が真っ白になるのである

おそらくドライオーガズムと言う奴であろうか。そうであってほしい。

そして一呼吸おいてアイマスクが外される。

そこには汗をかいた目方40位の女性がいた。

本当に申し訳ない話であるが、少し興が引いてしまった。

私の体も正直であった。

そして四つん這いになるように促される。

いよいよである

たっぷりのローションを塗られマッサージをされる。

最初は指が一本入ってくるのだが、

これがまた気持ち良かった。

すぐにまた元気になってきた。

私の体も正直である

そのあとでエネマグラをぶすりと差しまれてびくりびくりと刺激されると、

ここでも頭が真っ白になる。本日15分ぶり2回目である

すっと抜かれて次はバイブレータである

いくつかの小玉数珠状になったバイブレーターで、そこにゴムをかぶせて利用するそうだ。

一つ二つと丁寧に押しこまれていく。

ころあいをみて電源が入り、ぐりんぐりんとお腹の中で回る。

これもまた気持ちがよく、下腹部に力が自然と入ってしまう。

増田諸兄ならば普段感じているであろう、あの排便の快感がずうっと続く感じなのだ

そんな意識もうろうとしている中、「きゃあ」と悲鳴がきこえた。

「何」と聞くとどうやら血が出ているらしい。

「あの日かな?」と思い返したが、私は男性である

まりの刺激に切れてしまったらしい。

慣れてないししょうがいね、と抜くことになった。

そうするとまた「きゃあ」と声が聞こえる。

「どうしたの?」と聞くとバイブウ○コがわさっと付着しているようだ。

どれどれ、と見てみると確かにバイブレータ小玉の隙間が茶色で詰まっている。

これは無理だね、と言う事でペニバンを待たずに終わってしまったのである

仰向けでの手作業をしてくれると事になったのだが、

ここでもまた「きゃあ」である

まり気持ちよさに力が入りぷりぷりと少量ではあるが排出してしまったようである、、、いや、出ていく感覚はあったのだがどうしても体を止められなかったのだ。

「ごめんなさいね

「いいのよ」

私の悔恨をしっかりと手で受け止めてくれている聖女がそこにはいた。

軽く洗浄し、聖女の導きの元で無事に昇天することができた。

そのあとお風呂に入っていつも流れで終了する。

この間、お尻が高鳴りっぱなしであった。

以上、M風俗だと思ったら聖女風俗だったクソミソな話である

増田諸兄にはこのような悲劇を繰り返さないためにも

どうかきっちり浣腸直腸洗浄を済ませてから事に臨んでほしい、

と言う啓蒙を持って筆を置かせて頂く。

2015-06-22

道端で餅に出会った。

正月じゃないのに!???」と俺が驚くと、餅は「ごめんね」とちょっと申し訳無さそうに謝った。

 餅に謝られてちょっとこれもびっくりしたんだけど、よく考えたら餅が悪いわけじゃないし、やはり諸悪の根源アメリカ新自由主義帝国主義にあるという気持ちになり、怒りがメラメラと燃え上がってきた。

 俺が燃えると餅は「もっちっち」という聞いたことのない鳴き声を出しながら、急速に膨張していき、十六分後にパン、とはかなげに弾けた。

 俺は哀悼悔恨で胸がいっぱいになった。

 せめてもの供養に、とたまたま持っていたコストコの業務用きなこ20kgできなこ餅を作り、食べて応援だ!的なことをやろうと思ったのだが、コンクリートの地面にへばりついた餅は絶望的に不衛生で、そうでなくとも湯気だった温度が夏の暑さと相まって食欲を大いに削いだ。

 

 餅は「五秒ルール! 五秒ルール!」としばらく頑張ってアピールしていたもののそのうち余裕で五秒経過してしまい、やがて諦めたようにニヒルな笑みを浮かべ、β化していった。

2015-06-06

夜のコンビニでオッサン店員にフェ◯チオさせる

夜の10時。

晩酌のためのビールを買いに近所のコンビニに行く。

冷蔵庫の棚から三ツ矢サイダーと薫るプレミアムモルツ塩辛を手に取りレジへ。

すると洗い物をしている40に近いと思われるオッサン店員がいる。

品物を読み取る左手の薬指には指輪がはめられている。

女子大生Tポイントカードはありますか?と聞かれるのはいいのだが、

オッサンに聞かれると僕の中の虫が疼きだす。

カードはありません。

それよりあなた、なんでそんな歳になってまでこんなコンビニバイトしてるんですか?

しかも、失礼ですが結婚されているようですね。

結婚する前に、深夜のコンビニで働くことになるって想像してました?

あなた必死家族を支えようとするのはわかるけど、

貴方の力で結婚をしようと思ったのが間違いじゃないんですか?」

きょとんとするオッサン向けておれは続ける。

あなたしかしえて自分の子どもに勉強しろとか努力しろとか言ってませんよね?

そんなことを言っているんだったらあんたは死んだほうがいい。

あなた自分勉強努力もせず今の地位に甘んじていることを恥じるべきなんですよ。

自分が通れなかった道を美化して子どもに伝えることはやめてくださいね

不相応という言葉を知れ。

住んでいる場所はこの店の近くですか?

もし近所にばれないように遠くに来てるとしても、奥さんの気持ちはまぎらわせませんよ。

自分人生をあずけた旦那が、高校生DQNに混じってバイトをしているなんて、奥さんの気持ちを察すると堪えれません。

あなた自分人生を恥じて、憎んで、恨んで、早くしんでしまえばいいと思います。」

紅潮しこわばったオッサンの顔。。

あなたがもしこのまま恥にまみれた人生を送りたくないというのなら、

ここで男であることをやめるべきだと思います

男でいることを捨てて、これからは生きていって下さい。

そうすれば貴方人生にも幾らかの救いはあるはずですから。」

そういって僕はベルトを外し、ズボンのチャックを開け

レジに跪き、僕の猛々しいファミチキをオッサンの口にぶちこむ。

パーマがかかっている髪を掴み、オッサンの頭を禿しく前後運動させる。

そのレジに立つ中年の男は抵抗することなく、僕に体を預け、絶望、驚き、安堵、悲しみ、悔恨苦痛、いろんな感情が入り混じった顔をしている。

僕のファミチキをしゃぶり、これまでの人生を味わい、新しい人生をいきていけオッサン。

その時間3分ほど続いただろうか。

オッサンはレジの上の塩辛の封をあけ、僕のファミチキ塩辛を塗ってしゃぶりたいと懇願してきた。




コンビニのオッサンを見ると、こんな想像を20パターンくらい考えて反面教師にしているんだけど、

みなさんはどんなパターンがありますか?

貴方の持つ豊富レパートリーを教えて下さい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん