はてなキーワード: 従順とは
基本的に、学校という組織にいる間は、勉強をするな、やめろと言われることはまずない。
当たり前だが、学校というのはそれが存在意義なので、やめるという選択肢は頭にないのだ。
しかし、勉強を続ければいいことがあるかというと、個人レベルでは必ずしもそうではない。
大学入試がそうであるように、一定のレベルに満たないものは排除されるプロセスだ。
大学院、博士課程と進んだとして、教授になれる人間が何人いるだろうか。
そこまでの成果を挙げられなかった時、その努力を誰が評価してくれるだろうか。
ただでさえこの日本では、単純に学んだ学問の量より、学校の名前の方が重視される。
もっと言えば、学校の名前よりも、若さと従順さの方が大事なのだ。
だからこそ、若さがあるうちに、どこで勉強に見切りをつけるかが大切だ。
これがスポーツならわかりやすい。中学高校と野球ばかりやって、プロになれれば万々歳だ。
大学で部活を引退して、一般企業に就職するのも悪い選択肢ではない。
しかし、独立リーグに行って薄給で夢を追う奴は、平たく言えば損切りのできないバカである。
せいぜい年に数人が育成契約に引っかかるぐらいで、決して分のいい賭けではないからだ。
勉強もまた同じである。ポスドクというのは、言わば学問の独立リーグなのだ。
どこまで勉強を続けることにメリットがあるかは、自分の才能や努力や興味や運との相談になる。
もし、それらに恵まれていれば、もしかしたら教授まで突っ走れるかもしれない。
しかし、とにかく誰もが勉強していいことがあるかというと、そうとは限らない。
あれ?
気付いたときにはもう遅い。ストレスのループにガッチリ嵌め込まれ、顔色を伺い右往左往。
モラハラを受けた身としてやり方を書いてみます。条件としては会社内での事です。
モラルハラスメントを行うにはターゲットの吟味が重要です。出来るだけ従順、素直、適度に無知な人を狙います。
きちんとした社会経験を積んだ人は、すぐに論理性の破綻に気付きます。また、自信がない人であればなお結構。
○モラハラに移行する前までの行動
段階は3つ踏みます。
①懐柔
②親和
③攻撃
①ではターゲットに優しく近付き、褒めたり認めるような言動を繰り返します。俺だけがお前の良さをわかっている、という事を染み込ませましょう。また、目線は下に落としてはいけません。あくまで上からです。
ここでは信用を得ることが目的です。
①が済んでターゲットが心を許してきたら、②の段階です。二人の間柄がよほど親しくなったと錯覚させるため、プライベートの情報を握るようにしましょう。介入するのも大変よろしいです。①程褒めたりしなくて結構です。悪いところを指摘し、自分がダメな奴だとターゲットに思い込ませて下さい。褒めると叱るを繰り返して、信用を崇拝に変化させて下さい。自信がない状態となれば、他人からの誉め言葉にも懐疑的となります。俺は認めてるんだけど周りはな……と優しく慰めてあげましょうね。
この状態で関係が続けられるのであれば、③攻撃にまで手を出す必要はありません。
①と②の段階ではひたすらに金をつぎ込みます。ここで恩を着せまくる事が攻撃段階で生きてきます。金はターゲットに我慢させる薬です。諦めるな。
相手に非を見付けたら粘り強く糾弾します。どんな些細な事でも構いません。大事なのはお前が悪いという一点です。
利用するべきワードをいくつか上げますので、是非利用してみて下さい。
「大人になれ」「お前の感覚はおかしい」「お前の事を買っていたが裏切られた」「信じていたのに」
周囲には自分は悪くない事をアピールしましょう。自分の非は一切認めてはいけません。しかし周囲にお前の方が悪いのでは?と言われるような事柄であれば、ターゲットへの攻撃は隠れて行いましょう。
②の効果でターゲットは周囲から孤立、もしくは一番仲が良い人は自分というポジションになっています。否応なしに自分が悪いという問題に目を向ける事となります。
ターゲットは絶対に逃がさないで下さい。誰かに相談させてもいけません。こんな小さな問題で周囲に迷惑をかけるのか?と縛り付けていく必要があります。この縛り付けにはダブルバインドが効果的です。あまり心理学には詳しくないのでググってどうぞ。
とりあえずは要求や命令に対してどのような反応をしてきても否定する、という事を覚えていて下さい。例えば「覚えてる?」a覚えてる b覚えていていないという反応の場合、aならば「自分に都合よく覚えている!」bならば「ごまかすな!」といった具合です。
疲弊したターゲットが自分から離れようとしたら「ではこれとこれはもうしないで」等と周囲に迷惑が掛かる要求を行います。周りを人質に捕られたターゲットは、再びモラハラの中に身を沈めます。
○被害者になったら
まずは周囲に相談しましょう。全くの孤立無縁状態社内戦線味方無しであっても、誰かに相談=モラハラへの抵抗です。
牙を抜かれた子犬ちゃん状態では全くお話になりません。相談することは戦う力をつけることです。大概のところあなたは悪くありません。自分が悪いのループから抜け出しましょう。
モラハラがメールや文書で行われたものであれば、コレクションしましょう。誰かに見せて笑い飛ばしてもらうのも良いものです。モラハラはポエミィなメールを送ってくれたりするので、酒の肴にするのも一興です。
反抗しないからターゲットにされたのです。反抗出来ないようにターゲットにされたのです。抗う力をゆっくりと養いましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20170129222811
ブコメにもあるとおり、私も最初は「きらら枠やその他日常系アニメ=優しい系アニメ」と捉えていたが
そこにも少し差があると思う
きらら枠は同性の女の子だらけとは言え、どちらかと言えば百合なんだよね
チノちゃんかわいー!とか、アリスかわいー!みたいな感情をぶつけるキャラがいて
ギャグをしつつ一緒に暮らしてイチャイチャするってのがまず柱としてあって
もちろんイイハナシダナーってのもいっぱいあるけど
(ちなみにそれをやりすぎると桜Trickになる。大好きだけど)
肉欲的というよりは、あくまで女の子同士の友情という側面を強く出してると思う
好きな子に優しくするのは当たり前だけど、「私たち(会って間もないけど)友達だよね」な関係でエゲツナイ優しさを振るうのがこっちだと思う
見分ける差としては「何でこの子こんなに優しいのか意味分からない」ならこっちじゃないかな
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おまけ
救いがないというか
ようやく主人公が救われた!と思った瞬間厳しい状況に陥らせるような世界の作品
どう転ぼうが救われるというか
何か事件が起こりそうになっても、キャラや世界が優しすぎて事件にならない世界の作品という意味で書いた
私が何より驚いたのは「何も起こらないんだからつまんねーはずだろ」と思っていたのに
何か悪いことが起きそうになるたび、友情パワーやらなんやらで解決されてしまう状況というのも「衝撃をウケるほど面白い」と思ったことだった
面白いというか、衝撃的だ
やっと救われると思ったキャラが即死してしまうような展開と、正反対で衝撃を受ける
何でそんなに優しいんだよ!何で!何でだあああああああうわあああああああああ!!って
おまけ2
男キャラを出すとそもそもエロス方向に引きづられるから、どう足掻いても優しい系にはしづらいんじゃないかと思った
味わい深い
でもたぶん無機物キャラや非人間が一番やりやすいと思うんだけどどうだろう
どこまでも従順に主人に尽くすロボとかね、自分の汚い心が見えてきて衝撃を受ける(これは映画とかゲームでもいいね)
おまけ3
ARIAやヨコハマ買い出し紀行のベクトルでいいんだよね?
まとめ
最近「登場人物がみんないい子」っていうアニメがちょいちょい出てきている
私は非常にハマっているのだが、なぜ面白いのか考えると意外な答えが出た
私は元々、何も起きない系アニメが嫌いでしょうがないタイプだった
事件が起きてスタートであって、何も起きないで喋ってるだけみたいなアニメは価値ゼロだと思っていたんだ
結局、価値観があまりにも違うというのはそれだけで非常にエキサイティングなのだ
「普通のアニメなら展開の都合でこうするだろうな」みたいな物をぶち壊して
例えば、シドニアの騎士(SF)、シュール系ギャグアニメ、スクライド(バトル脳)とか(漫画だとドロヘドロなんかも)
一見登場人物の価値観は現実と同じようでいて、どこかが圧倒的にずれてる
異質な価値観に嫌悪したり、感心したり、笑ったり、突っ込んだりする
「なんだこいつ」と思ってから、少しずつその登場人物の考え方とか、大事にしているものが分かる
それが面白いんだと思う
その様に読者が胸打たれる、のような
他にも、動物キャラ、ちびっ子キャラなんかでも、打算がないキャラは大勢居た
でもそれらもあくまで
「そういった設定だから、打算がなく、優しいんだ」という言い訳があった
普通に登場する誰もが優しいのだ
すると、まるで物事のどおりが少し異なる世界に迷い込んだような錯覚を起こす
そこでは優しくて当たり前で、みんないい子で当たり前、そんな感じがしてくる
※「そこ」というのは、世界であったり、集団であったり、1人のキャラ近傍であったりする
そういった作品は、まるでSF作品を見る時のように、自分の感覚との差がすごく尊く感じられてくるのだろうと思う
いい子がいい子していることでショックを受け、浄化される気分だ
もちろん面白いと感じるかどうかは人それぞれだと思うが
__
追記:
私が見ていないものもいっぱいあると思います。いいのあったら教えてほしいです
きらら枠を全部入れてもいいと思うけど
個人的には「暴力的なまでに優しい作品」まではいかず、「普通に優しい作品」を少し超えるくらいのイメージ
上記で説明したのは主に前者
感動的な展開でもないのに優しさが強すぎて
つづきかいた
http://news.denfaminicogamer.jp/column01/pokemon-contribute
例えば、子供のケンカに大人がしゃしゃり出るのは変だし、スポーツで監督が試合中乱入するのも変でしょう
乱入して一緒に戦わないからって、それは決して、仲間を見捨てるとか安全圏で好き勝手言うとかではないのは理解できるはず
なのに、ポケモンを戦わせるだけで自分は戦わないからってサトシが卑怯だとか奇異だとか、はあ?って感じ
自分のポケモンが負けそうになったからって、トレーナーが殴りにいっちゃおかしいでしょうが
仲間と共闘してるというより、ポケモンバトルをしている、という大前提を忘れちゃいかん
自分も殴りに行かず鼓舞するだけ、という行動に対して卑怯だとか思ってしまうのって、やっぱり友達至上主義文化に犯されてると思う
何よりも仲間が大切とか、仲間を切り捨てるのは鬼畜の所業とか、ああいう刷り込みってどこから始まったんだ?
それぞれがそれぞれの責任と役割を果たすことが集団の利益になるというのも、またひとつの正しいあり方だと俺は思う
その過程で仲間を直接的に助けないことがあっても、それはそれでひとつの正義だろう、と俺は思うのだが、日本の漫画文化では、これは絶対悪とされている気がする
この刷り込み教育によって、従順な社畜が量産されているような気もする
最近の、仲間に溶け込まないゆとり新人みたいに言われる人って、こういう仲間至上主義少年漫画を読まず、無気力省エネ主人公のラノベで育ったんじゃないかって思う
これはこれで問題もあるのかもしれないが、仲間至上主義一色よりは絶対にいい
いや、色んな考えがあって世の中は良くなると思う
近年の人事担当者
「ろくに研修しなくても即戦力になる新卒で、指示しなくても自分の判断で行動する従順な奴隷で
人生の酸いも甘いも噛み分けたフレッシュな若者で、誰とでも仲良くなれる競争心に満ちた人物で
バリバリの体育会系だが全く暴力的でなく、家柄が良く上品だがどんな下ネタにもつきあえて
どんなに罵倒されてもくじけない粘り強さと肩叩きされたらサッと身を引く潔さを兼ね備え
過労死するほど働かせても健康を崩さず、結婚できないほどの安月給でも人生設計できて
起業できるほどのノウハウを持ちながら無能な上司の下で一生うだつがあがらない底辺人生を歩んでくれる
日本中から引く手あまたな希少な逸材が山ほど、将来性のない我が社に喜んで来てくれればいいのに」
↓
化粧はしてない、服は微妙にダサい、髪型も切っただけーとかくくっただけーという感じ。
僕はロリコンではないが、この年代までの女子は皆一様に可愛いと思う。
しかし、18才に近づくにつれて、女は垢抜けようとしだす。
髪をウンコ色に染め、変なパーマをかけ、こだわった服を着て、化粧を覚える。
なんてもったいないことを…
世の中の女性に知ってほしい。
垢抜けない女が好きと言う男が大変多いということを。
たいていの女は、着飾ったり塗りたくったところで劇的に何か変わるものでもない。
普通の格好でいい(スカート推奨)し、化粧もあんまりしなくていい。髪はストレートのミディアムかロングなら間違いないから。
もちろん、これは
垢抜けない=従順そう、反抗してこない、言うこと聞いてくれそう
という構図があるので、それにイラっとくる女は多いかもしれない。
でも、騙されたと思って一度実践してほしい。周りの男の対応が変わると思う。
街で垢抜けない女に会うたび、
マジレスすると、どんだけ教育改革ガーとか言ってやれ小論文だ面接だグループディスカッションだとかいうテスト以外の方式を導入しようとしても、それをゲーム化して商売にしようとする奴らがいる以上は無理。
新しい方式ができるとそれを数値化して分析して効率のよい合格方法を割り出して、それを金を持ってる家庭の子供に洗脳的に教えていく。
だからいつまでたっても金持ち家庭に生まれて従順で想像力に欠けたタイプの子供が高学歴を独占してそういうやつらが「国際競争力のない」仕事をしていくことになる。
面倒なのは合格パターンを分析して提供する塾講師連中がおそろしく優秀であるということ。
下手をしたら新しい受験方法をガーガー言ってる有識者よりもずっと。
変な例えで言うと、それまでは感覚とか経験をもとに作られてきた芸術作品を細かく分析してパターン化して抽出してその中で一番評価が高いものを総合して作品として発表するとかいう感覚。
昨日、映画の感想と愚痴を言いたくて友達とこんな話に、映画の世界観を説明する時に「僕のオナネタの設定を説明する」という事態に発展した。
オナネタということで…
・現実ではなかなか厳しい合理的にハーレムや二股を実現してみたい
・伊東ライフ作品のように、ただ「ヌク」という行為そのものが褒められる世界。
・それらがありながらも、自分が一番好きな子が悲しまない精神構造または行動原則を持ってること
・親近感が湧くように、主人公はブログがもっと稼げて基本的に家にいる俺
その結果、ちょっと人に言うのが恥ずかしいぐらいひどい設定ができていた。
一応、大まかなプロットを話していくと
・若くして世襲という形で経営者になったせいで、お金には余裕のある奥さんがいる。
・特にブログをやりたかったわけではないが、はみ出し者にブログを教えるか、寄稿するかアフィリエイトするかでお金を得てる俺の変な生活を面白がって(若くして家業を背負った自分にはできない面白さがあって)繋がる。
・「仕事が好きでかつ、勤務時間前後はきちっとしたい」という理由から通勤時間1時間前〜(仕事中)〜家に帰って来てスーツやYシャツを着ている時は一切の行為・いたずらは禁止。
ただ、僕が求める頻度が多くなった時に、「この設定だと、奥さん大変だし、大変なことを考慮してできない日の妄想をしてたらおかずにならない」ということで、妄想した時にいつもちゃんと濡れ場が来る設定に変えるためにテコ入れをする。
・仕事に差し支えがある時や生理など奥さん側が「できない・したくない」時に申し訳なさと煩わしさから、俺に愛人作りを推奨される。
・とは言え、カネがかかったり、貢ぐ方向に暴走されても困るから、その手のお店は禁止。奥さんか公認の人としか抜けない。
・俺にそんな度胸も当てもなく、なおかつ「別れる口実」だと疑って愛人を作らない日々が続くと、彼女の方から「メイドを雇う」という話が出て、なおかつその子と一緒に3人で夜を過ごすことが続く。
・奥さん、軽度のレズ/射精管理/他人のセックス鑑賞/AV的なエキセントリックなシチュエーションの再現に目覚める。(その結果、色んな子が通い婚的にローテーションしたり、「そういうツテがないかみんなで秘密を共有できる子を探す」という話に発展すると同時に、俺も俺の愛人も奥さんのおもちゃとなった結果として、やるという行為に発展してる状況ができあがった)
・それでも、一緒に住むことになったメイドが「抜いてあげられる、求められる自分が好き」というめちゃくちゃ自己肯定欲の低い従順すぎる子で、結果的には彼女とたくさんすることが大半。また、奥さんとスケジュールが会わない時に押しかけてきた女の子としてる時は彼女が見張ってる(という体の彼女への放置プレー焦らしプレイ)が実現する。
・結果、「奥さんか公認の誰かとしかやってはいけないが、家にいる時には(奥さんの仕事・通勤の邪魔にならない範囲で)どんだけ女の子にがっついてもいい」。
・関係を持った女の子が増えた結果として、「家計に入れなくていいから、稼いだお金は全部ブログと交際費に使うこと。男の子がお金を出してるという体裁の方がメンツが立つし、やらせることへの抵抗感が減るから」
・浮気や愛人を公認する代わりに、一人で独占したり、関係性をぶち壊すような誘いを、他の女の子に禁止する。破った場合は離婚&訴訟。(という決まりを作った途端に、奥さんよりカワイイ女の子が思いついても、奥さんより妄想の頻度にメイドの登場数が増えても、奥さんほどの度量の大きい女性が他にいないことを知らしめられたため、俺は奥さんに足を向けて寝られないし、俺自身も奥さんが一番だと念押しする形になる。)
…我ながら「合理的だし、実際に聞いた女の子自身の発言や趣向に配慮したやりたい放題の男像」を作ってみた。
だが同時に、「いくら合理的といってもこんなことをOKする女性はいないし、法律のことはよく知らないけどきっと何かしらの法律に抵触するだろう」と思って、このオナネタを人前で話したことはなかった。
少なくとも、邦画でこれを上映したら「歪んだ関係」みたいに言われるだろうし、アニメではこんな強度の高い設定のハーレム萌えアニメを俺はそんなに知らない。(しいて言うなら、彼女がいてなおかつハーレムな化物語、落第騎士の英雄譚、境界線上のホライゾン辺りぐらいだと思う。)
ところが、友人に「奥さんができすぎててなおかつ、歪んでる結果として、奥さん公認・管理のもとでハーレムができてる状況だよ」という概要を説明して言われたのは「戯言シリーズがそんな感じの描写・人間関係あるで?」と言われた。
驚いたことに西尾維新は10年以上前にそんな作品を作っていたらしい。だとしたらそれはすげーわ。
僕は
・ガッチャマンクラウズ(人に優しすぎて結果的に都合のいい人みたいになってる一ノ瀬はじめ)を奥さんの元ネタに、
・伊東ライフ作品的な「射精管理が趣味または自己承認のための行動と化してる」という概念
・桂井よしあき作品のあるヤリチン的な人の話の「お嬢様学校の女の子達が、ヤリチンの用務員に好き放題させることで、恋人を学園単位で共有してる設定」
・境界線上のホライゾンみたいに「恋人がいるのに、幼なじみも、姉も、親友もそれぞれ違う立場で全員がトーリが大好きという形のハーレムができてる」
辺りを元ネタにしてミックスして作った妄想だから、西尾維新の影響ではない。つうか、西尾維新の作品はめだかボックスの2期と化物語を人並みにしか見てない。
そして、その友人は戯言シリーズを勧めたいがあまり、僕のブログに戯言シリーズの難解な寄稿を2つも書いてくれている。(あまりにも難しすぎて、まともに読めたという評判を聞かないのが悩みだけどね)
前編 http://www.tm2501.com/entry/Contributions-from-the-ghost_i
後編 http://www.tm2501.com/entry/Contributions-from-the-ghost_i_introduction
でも、僕は僕が彼とは全く違う元ネタや実体験の末に編み出したものが、彼に話すと「それ、フィクションで見たよ」「哲学者がツイートしてたよ」と言われて、考えていることが合流していくことがすごく多いんだ。
そのことの面白さというか、妙を語りたかったんだけど、青二才ブログで俺のオナネタの設定を語るとGoogle AdSenseに抵触する危険があるし、なによりも女性ファンが減りそうで怖くなったから、左手がイカ臭いおっさんしかいない増田に書かせてもらった。
なんか…ごめん。
ハロウィンが嫌いだ。
だが、なぜかと問われると即答できなかった。
昨日と今日、必死に考えてハロウィンがイライラするのかが解った。
こう書くと、間髪入れず「お前らなんてただのいい子ぶりっ子の陰キャだろ!」「タダの嫉妬だろ!」と言い返されるだろう。
それがまた嫌な感じだ。
自分たちの世代の近くには、ネオ麦茶や酒鬼薔薇やガングロギャルがいて、
テレビゲームがたくさんあったが、それをやることは当然良いこととはされず、
エヴァンゲリオンみたいな気持ち悪いアニメにハマっているキチガイみたいに扱われた。
当時、40~50だった親や教師世代からは、強い抑圧を受けた。
それも多分、俺らみたいな「何を考えているか分からない若者」に対する恐怖だったんだと思う。
「お前らのせいで日本の未来は暗い!!」みたいなこともはっきり言われた。
だが、別に俺たちだって殊更おかしなことを考えていたわけがない。
俺らだって大人たちがただ怖かった。生殺与奪を握られていたのだから当然だ。
生きるためには大人たちのいうことに従順に、真面目に、人に迷惑をかけないように生きるしか無かった。
社会に出て他の世代と触れ合うまで実感は無かったが、比較するとかなりダウナー世代だった。
(後々、大人たちからは、「元気のない世代」だと言われて戸惑った。俺達はモラル崩壊したモンスターじゃないのかと)
それが今、どうだろう。
出来婚を授かり婚と言い換え、DQNネームをキラキラネームと言い換えるような奴に
「お前らよりマシだろ」と嘲笑われ、赤ちゃんポストに放り込むことが殺すよりマシだとキレられ、
毎年バカが公道で好き放題騒いで練り歩いてゴミを散らかしていたら、
行政がお墨付きを与えて歩行者天国にし、警察が警護までしてくれる。
迷惑をかけているバカの側に大人が合わせるとか、俺らの常識には皆目存在しない。
このハロウィンの騒ぎなんて、警察や政治家が暴走族に暴走する自由と場所を保証したようなもんだ。
俺達が小さくなって目立たないように声を抑え、必死に守ってきたモラルは何だったのだろう。
そういった良い子ぶりっ子の「陰キャ」である俺達がリアルで生み出したムーブメントなんて何もない。
黎明期のネット文化などニュースに取り上げられることなど無かった。
不良共の自分勝手さには辟易するが、従順すぎる連中には幻滅する
目を血走らせた金の亡者は軽蔑するが、目を輝かせた自然派はむずがゆい
右翼は自分の思想を優先するから嫌いだし、左翼は現実を見ないから嫌いだ
リア充共の無神経さには殺意を覚えるが、オタクの気持ち悪さには反吐がでる
何事にも裏の事情があると思っている陰謀論者は狂っているが、目に見える世界が全てだと思っている連中は単純で愚かだ
実行した結果を受け入れつつも、環境の影響や偶然を認め、
良い結果には自分の貢献を主張しながらも、すべてを自分の手柄にせず、
無理やり鬼ごっことかやってる集団に混ぜられたのが苦痛だった。
彼女たちからすると、いつも一人で絵本を読むか積み木崩しをやるだけという態度がめんどくさかったのだろう。
昼寝やおやつの時間に抜け出したりとナチュラルに問題を起こす子どもだった。
人に合わせることはめんどくさいことなんだという気持ちを抱いた原体験はそのころにあるだろう。
今もやはり本を読んでクリエイティビティを持て余し、人をからかって規範的な生活にそぐわない態度で生きている。
それは長年積み重ねて熟成された自分の感性に従順な結果であり、
走るのが速かろうが、物知りだろうが、ルックスがよかろうが、立ち回りが悪ければ良しとされない。
もう辞めてからだいぶ経って身バレする可能性が低くなったので昔勤めていた会社のことを書いてみようと思う。
以前勤めていた会社は約50人規模の地方中核都市の中小企業だった。
社長はバブル期の後半に30歳そこそこで起業をした人間で、色々途中ありつつ約20年でかなりの売上の会社にしたやり手だ。
時代もあったしたまたま始めた事業がその後世間的なニーズの波に乗れたという運もあったが、認めたくないものの仕事はできる起業家だったと思う。
私は比較的社長に近い位置に採用されており、その社長が他の社員や取引先と会合をしている様子を見てきた。
サイコパス的性格というのは他者への共感性が薄く、モラルが低く、自尊心が高く、また口が達者で一見魅力的という特徴があると言われるがこれが完全に当てはまる。
本人を目の前にしているときにはさんざん相手からの信頼を得るための美辞麗句を並べ立てておいて、相手から受けられる利益の当てがなくなるとあっさりと切る。
切って周囲から何か悪評が立ちそうになると「断腸の思いで切った」「時には経営者は嫌われ者になる覚悟が必要」とこれまた周囲をうまい具合に丸め込む。
あまりのすさまじい二枚舌に精神のバランスは大丈夫なんだろうかと最初は思ったが、何年も一緒に仕事をしているうち、二枚舌で相手を騙したり陥れたりすることにむしろ快感を覚えるタイプなんだということがわかった。
良心の呵責なんて全くなく、「バレなきゃ違法じゃない」を地で行くタイプだった。
先に精神が参ってしまったのはそんな様子を間近で見続けてきた私の方で、こればかりは匿名とはいえここに書くことはできないような事件があり「これ以上ここにいたら自分の良心も麻痺してしまう」と思い離職を決意した。
私は勤務をしていたときには社長に極力逆らわず、言われたことは言われたとおりに遂行し、従順すぎるくらいに従順だったのでかなり気に入られていたようだ。
なので私が辞めると告げた時にはもしかしたらひどい罵詈雑言を浴びせられたり離職の日まで嫌がらせを受けるようなことがあるのではないかと心配していた。
しかし予想に反してサイコパス社長は何年も勤めてきた自分に初めて涙を見せた。
いわく「お前がいたから俺はここまで会社を大きくできた」ということで、行かないでくれとまるで恋人にすがるかのような態度をとってきた。
ちなみに長年仕事をしてきたが私は社長のことが信用できなかったのでプライベートなことは出来る限り口にしてこなかったし、架空の恋人を作ったり別れたりしてきた。
私が絶対に辞める意志は覆さないと言ったところ、「せめて次の仕事を世話させてくれ」や「辞めている間何か助けをさせてくれ」とこちらが不気味に思うほどのことを提案してきた。
もうこれ以上この人とかかわり合いを持ちたくないと思っていたのでそうした提案も全部退け、逃げるようにして退職した。
退職したあと夜道を誰かにつけられているような気配がしたり、家の玄関先に社長が吸っていた銘柄のタバコの空き箱が置いてあったりということがあったが多分気にしすぎだと思う。
それも数ヶ月したらなくなった。
今考えるとサイコパスというのは悪気がないからサイコパスなのであって、良心の呵責なくバッサリ長年勤務してきた従業員を切ったり、取引先との契約を反故にしたりするのは本人の価値観からすれば全く問題ない素直なことなんだろう。
周囲から嫌われそうになったら全力で好かれようとするし、裏切られそうになったら何をしてでも関係を取り戻そうとする。
実に素直な性格だ。
直情的で自分に正直だ。
だから私を引き留めようとした涙も芝居ではなく、その瞬間は本気でそう思っていたんだろうなと思う。
あの人は会社を起こしてそれがたまたま成功したから良かったけど、人生における興味がもし殺傷とかに向かったら歴史に残る犯罪者になっていたかもしれない。
・気軽に話しかけて気遣ってくれる
・叱る時は厳しく叱り褒める時は喜んで褒める
・リーダーシップがある
自分ではもう結果を残せなくなった人間が自分の立場を守るために、人望という盾を作ろうとするとこうなるのだ。
それにまんまと騙されて甘い環境でグズグズ育った人間に有能な人間がいた例しがない。
出来上がるのは従順で面白みのない、それでいて少しでも環境が悪くなれば文句ばかりいうクソ社畜だ。
有能な人間とはどのような環境下でも自らの役割を見出して活躍する人間のことだ。
どんなに人間性が破綻していたとしても、金を稼げる人間がそこにいるならば、そんなことは期待せず黙って働き金を稼げば良い。