基本的に、学校という組織にいる間は、勉強をするな、やめろと言われることはまずない。
当たり前だが、学校というのはそれが存在意義なので、やめるという選択肢は頭にないのだ。
しかし、勉強を続ければいいことがあるかというと、個人レベルでは必ずしもそうではない。
大学入試がそうであるように、一定のレベルに満たないものは排除されるプロセスだ。
大学院、博士課程と進んだとして、教授になれる人間が何人いるだろうか。
そこまでの成果を挙げられなかった時、その努力を誰が評価してくれるだろうか。
ただでさえこの日本では、単純に学んだ学問の量より、学校の名前の方が重視される。
もっと言えば、学校の名前よりも、若さと従順さの方が大事なのだ。
だからこそ、若さがあるうちに、どこで勉強に見切りをつけるかが大切だ。
これがスポーツならわかりやすい。中学高校と野球ばかりやって、プロになれれば万々歳だ。
大学で部活を引退して、一般企業に就職するのも悪い選択肢ではない。
しかし、独立リーグに行って薄給で夢を追う奴は、平たく言えば損切りのできないバカである。
せいぜい年に数人が育成契約に引っかかるぐらいで、決して分のいい賭けではないからだ。
勉強もまた同じである。ポスドクというのは、言わば学問の独立リーグなのだ。
どこまで勉強を続けることにメリットがあるかは、自分の才能や努力や興味や運との相談になる。
もし、それらに恵まれていれば、もしかしたら教授まで突っ走れるかもしれない。
しかし、とにかく誰もが勉強していいことがあるかというと、そうとは限らない。