はてなキーワード: 役者とは
ジャニーズにはまった。当方、Mステもろくに見ずに大人になってしまったソシャカス2次オタである。
この年になって若いアイドルに対して恋愛感情は持てないが、単純に顔のいい男が顔のいい男とつるみ、自分の現実とは全く縁のないきらびやかな世界で、あんまり中身のない歌を歌い、踊り、彼らの人生をわたしたちに消費させてくれる様を見るのは、ただただ心にキマる。疲れた精神の隙にどんどん付け込まれる。
疲れた大人にこそ、ジャニーズの滋養強壮的な側面を知って欲しい。徹底した会員制を貫き、このご時世にSNSすら禁止している事務所の方針上、「なんとなく興味を持ったから」というきっかけでジャニーズの魅力を知ることはなかなか難しいと思う。だってバラエティなら彼らよりもっと面白いことができる芸人は山ほどいるし、ドラマならもっとすごい演技ができる役者がいる。顔がいいだけなら若手俳優やモデルの台頭もすさまじい。歌の上手さでは本業の歌手にはかなわない。テレビでなんとなく見かけるジャニーズは、どこか半端な、ちょっと顔のいい男の集団かもしれないけど、彼らの、アイドルの真髄は歌、ダンス、パフォーマンス、人間性、すべてを引っくるめて、自らの存在そのものを、ファンに「エンターテイメント」として還元するその在り方だと思うから。少しだけ、足を踏み入れて、彼らの人生の切れ端を垣間見てほしい。彼らはわたしたちの現実とは離れた、厳しくてやるせなくて、そしてきらきらした現実に生きている。
とりあえず、ちょっとでも興味のある方は、来る二月十四日に発売されるSexy Zoneのニューアルバム「XYZ=repainting」を是非お手に取ってみてください。 若い男の子がその美しさを保ったまま氷漬けにされる映像が見れます。さらにAmazonならちょっとお安くなりますのでよろしければどうぞ。
私はずっと何かを「追いかける」人生だった。アイドルや俳優、常に心の中には大好きな存在がいる。
そんな憧れの人も時には入れ代わりがある。好きがなくなる瞬間がある。
私にとってそれは、どうやら遠く離れた存在になる事とイコールで結ばれるようだ。
小学生の頃から大好きだったジャニーズのアイドルグループは横浜アリーナなんかで会えなくなってしまった。その後好きになったジャニーズJr.も、デビューと共に私の中にあった何かがスッと冷めきってしまった。
彼らにお熱だった頃の友人に会うと、「あんなに好きだったのに!?」とよく言われる。自分でも不思議でならないが、辛うじてメンバーの名前は言えるけど、曲名も歌詞もメロディーも記憶から抜け落ちているし、今どんな活動をしているのかなんて興味はない。
遠く離れることは寂しい。元々近いわけではないが、横浜アリーナの、代々木体育館の空気とホーム感を味わってしまった。
あとこれは私のおかしな性癖だが、みんなが好きじゃないものを好きな自分が大好き。「えーかっこよくない」「そんな人たち知らない」と言われる中で自分だけが良さを知っているファンであることが、たまらなく気持ちいい。
もちろん彼らの顔も歌もトークもパフォーマンスも好きだった。でも人気がでて大きくなると、それらは私にとって価値のないものに変わってしまうのだ。
冷静に思い返すと、実にファンとは名乗れない人間だ。応援している人が売れていくことを拒むのだから。
そんな私に、代わりがないものができた。カテゴリーで言えば役者。それもテーマパークに勤務している方。
今まで好きだったアイドルとは違い、極端に人気が出ることはまずない。して、ずっと心の中に留まる。
一度退園されたときも「じゃあ次代わりに」とはならず、ただ増えることのない思い出を何度も何度も掘り返した。会いたいと強く思う毎日、夢には何回も出てきた。
結局その人はまたパークに戻ってきた。でも、いない間ですら留まった大きな気持ちが消えた瞬間があった。
ファンの用語で言うと「干された」。認知されている出演者から、故意に反応やファンサービスがなかったことを示す。
初めてだった。私を見つけた瞬間に反対を向く。私には目線も合わせない。ショックだった。
アイドルはもともと認知なんてないから大きくなることで離れていく気がしたが、テーマパークの出演者の場合は認知されてしまう分、今までよりも明確に私から離れていったから辛かった。
食事も取れなくなるほど落ち込んでどうしようもなかった。何日間も泣き続けた。
同じ趣味で知り合った友達は、「たまたま気分だよ」とか「私もいつもそうだよ」だなんて励ましてくれる。その気持ちは嬉しくとも、素直に受け止めることはできない。
もし気分なら、そんなのに巻き込まれたこと、巻き込んでもいいファンと思われたのが悲しいし悔しい。もしかしたら嫌われたのかもしれない。私もだよ、だなんて言われても私はずっとずっと待っていたんだから同じにしないでとさえ思った。励ましの言葉を贈ろうという気持ちだけをすくってありがたく頂戴した。
今でもその出演者が大好きだし、今までも本当に大好きだった。でも、それより不信感が強く出てしまったから、私はもうその出演者に会いにはいけない。私の中から好きがなくなる瞬間が訪れたから。
結局のところ、好きがなくなる瞬間は自分自身で決めているのだろう。向こうからしたらなんのタイミングでもないが、私の中で、ある日突然突っぱねてしまうようだ。ベルリンの壁か…。
こんな話を友人にしていると、「元カレかよ」と言われるけど「もはや離婚だよ」と返す。
好きになる瞬間も、好きがなくなる瞬間も、ある日突然訪れる。
https://anond.hatelabo.jp/20180116200633
かっけーおばちゃんキャラいっぱいおるやろー
と思ってひとまず10月期見た(チラ見含む)ドラマからかっこいい人挙げる(役者年齢は現在のもの)
フジ「刑事ゆがみ」主人公刑事のいる部屋のボス(役職名わからん)稲森いずみ(45)クールビューティー 呆れた表情で叱責されたい
日テレ「ブラックリベンジ」復讐の女・主人公 木村多江(46)ダークヒーロー感かっこいい
テレ朝「相棒」今期出てるかわかんないけど片山雛子は木村佳乃(41)したたかで洋ドラっぽい 美彌子役の仲間由紀恵はもう38か…
テレ朝「科捜研の女」主人公・マリコ 演-沢口靖子(52)かっこよくて可愛い!内藤剛志演じる土門との戦友感最高だよね
テレ朝「ドクターX」スーパー外科医・大門未知子は演-米倉涼子(42)毎週毎週かっけえええええ!&つええええええ!してくれるね!麻酔医の内田有紀も(42)かー見えないな。前シーズンの泉ピン子も強ババアでよかった
最近じゃないけどテレ朝「緊急取調室」 強行犯係→特殊犯捜査係と渡り歩いてきた主人公刑事 - 天海祐希(50)とか「京都地検の女」の検事・鶴丸あや=名取裕子(60)も強キャリアかっこいい女主人公 テレ朝刑事ドラマ枠でこういうの多いね
(TBS「監獄のお姫さま」は見てないけどキャスト眺めると素敵なオバサンいっぱいでかっこいいキャラいそう)
あとこれ以外で最近見たやつだと
映画「キングスマンゴールデンサークル」パッと見素敵なアメリカンママなクレイジーサイコボス・ポピー様 ジュリアン・ムーア(51)かっこいいとは違う?でも笑顔でサクサクぶっころすのいいよね?
米ドラ「ハウスオブカード」政界の強オッサン&強オバサン祭りだ!!みんなかっこいいぞ!!
実写だと年配女性がもりもりと大活躍してかっこいい作品はたくさんある(というか普通にあるというか)けどアニメは少ないね。漫画もあまり。何でだろうね。客層がもう全然違うんだろうね。
「年配女性はアニメを見ない→客がいないから彼女ら年代が活躍する作品があまり生まれない」のか「アニメは若者(上でもせいぜい30代程度)がメインの話が多い(=アニメファンの需要)→年配女性が興味を持てず離れる」のか。卵が先か鶏が先か。
以前、携帯乙女ゲー作りの話で、男性は年配の人でも「高校生くらいの年代の物語」を楽しむが、女性で年配の人は若者の物語を敬遠する(現在の自分と近い年代の物語を求める)、というのを読んだけど、そう言うのも関係しているのかな。
なぜあれをネタにできるんだ。
と心底思う。
かくいう俺はホモである。政治的に正しく表現するとゲイである。LGBTである。
だから面白さが分からないんだろ、と言われればそうなのかもしれないけど、
淫夢が流行り出した前後の音MAD界隈のことはまだ記憶に残っている。
某海外ゲイAV、某草加、某フェチ系ビデオ、某熱血テニスプレイヤー。
どれもまあわかる。
筋肉ムキムキの外人がパンツの奪い合いしてるなんてシュールで面白いし、さらに空耳のオプション付き。
草加に関しては宗教勧誘ビデオのワンシーンをリズムに乗せるという面白さに加えて素材がベテランお笑い芸人である。
容赦のない放屁音を連打するフェチ系ビデオは小学生的な感性を思い出させてくれたし、
脈絡もなく熱弁を振るうテニスプレイヤーも勢いで笑わせてくる。
ニッチな界隈のさらにAVという役者が限られた状況で、何とかエロの前後に前戯的な小芝居を挿入しようとした結果、
壮絶な棒読み学芸会が爆誕してしまい、冷静な目線で見ると滑稽で仕方ないというのは確かにある。
男がちんこ勃起させてアヘアヘ言ってる光景なんてノンケから見たらグロ中のグロ中じゃないの?
プロ野球選手が男相手にンギモヂイイ!!とか言ってる猿芝居の面白さがそのグロさに勝ててるとは到底思えない。
何故日本人が演じてるホモAVなんて鳥肌の立つような(とあえて表現する)映像をチョイスしてるのか。
「やらないか」→「パンツレスリング」の系譜は理解できても淫夢に関しては理解が追い付かない。
そういうのが平気な人もいるんでしょ、で済ませるには淫夢のミームはあらゆる場所でみかけるし、
ミームだけ独り歩きしてるのかと思いきやAV本編のフル動画は検索上位にヒットする。
一部だけで受けている、とするには無理のある存在感だ。
淫夢のミームが浸透する流れをホモフォビアの視点で語る人もいる。
いわゆるヘイトなのだと。ゲイが嫌いだからネタとして、オモチャとして消費しているのだと。
…しっくりこない。ヘイトとってないのに消費されてる人たちはなんなんだ。
修造は嫌われてたのか。OMMC姉貴の愛称で昨年親しまれた彼女は世間から嫌われているのか。
そんな馬鹿な。
というわけで、現状どの視点から切り取っても淫夢の愛され(と言っていいだろう、もはや)ぶりは
年末にやっていた元SMAPの中居くんとナインティナインが日本縦断するという定期企画。番組が終了予定ということもあり、「めちゃ×2イケてるッ!中居&ナイナイ日本一周FINAL 日本一周72時間ホンネの旅」として、元SMAPの3人がabema TVでやっていた「72時間ホンネテレビ」を意識しまくったタイトルまでつけていた。
FINALということで、強行スケジュールで日本を移動するフォーマットは変わっていなかったけれど、要所要所でいつものお約束を崩していて、それがはまっていなかったように思う。例えば、ご当地グルメを中居くんがいただこうとすると、進行役のナイナイが笛を吹いて強制移動というやつ。今回は普通にご当地グルメを食べていただけ。ここはいつものような展開の方が良かったんじゃないかなと思う。
あと、最後の打ち上げのところでの、めちゃイケメンバーのこれまでを役者がロール・プレイするやつもいらなかったなー。さして感動もなかった。
そして、もっとも雑だなーと思ったのが、大オチである中居くんのスライダー。
感動的なスピーチを読み上げていると思ったら、突然落とし穴が。するとカメラが切り替わって、以前のスペシャルでみた大スライダーでびしょ濡れになりながら落ちてくる。
最後にこれを持ってくるのは良いとして、流れが雑すぎる。宴会場で話を聞いていたメンバーが、スライダーの下に回り込んできており、見ている人が明らかに別撮りであることが分かるし、それにより「フィクション」感が強くなってしまう。めちゃイケの日本一周の旅は、フィクションなんだろうけど、ノンフィクションなんじゃないかと思わせる演出がよかったんじゃないのか。先のご当地グルメの話にしても同じで、カメラが止まったら、用意してもらったご飯をみんなで美味しくいただいているのかもしれない、けれど、番組の演出としては「本当に食べてないのかも」と思わせるような作りになってないと笑いが成立しないんじゃないの?
すべってきたあとで、ナイナイがしきりに「3000万かかってんで!」と言っていたけど、一般の人からしたら笑いよりも引いてしまう金額だよなー。数百万くらいならギリギリわらいになるのでは。かけた金額に対して得られる笑いが少なすぎる(最近宮迫が「もらいがすくない」と言ってるやつね)。もはやそういう感覚もなくなってしまったんかなと思うと寂しくなるね。
現在日本に役者として活動してる黒人がどれくらいいるのか知らないけどそんなに多くないだろ。
優遇はオッケーだけど、冷遇はダメってわけじゃないって女性差別問題でさんざん言ってたよね?
当然「黒人役は黒人しかできない」なら「白人役は白人が」「日本人役は日本人が」「鷲鼻役は鷲鼻が」ってなる。
演劇って何?
「キング牧師の言葉に感動して役をやりたい」って感じた(黒人ではない)人は「君は黒人じゃないからキング牧師の役は出来ない」って言われるんだよね?
しかも明治座。まさかこんなとこで2018年を迎えるだなんて、少し前の自分じゃ考えられない。
特にお目当ての役者さんいなかったはずなんだけど、観てるうちにとある人に目を奪われていった。2017年の後悔はこの役者さんを追ってこなかったことで、2018年の抱負はこの役者さんを追うこと。
生きる目的ってこうやって見つけるんだね。
別に黒塗りが無くなったって困らないでしょ、とのブコメをちらほら見るが私は…私は…どうしたらいいのだろうか。
お芝居の中で黒人役がある場合、タカラジェンヌはドーランで肌を黒く塗り黒人に扮する。代表的なのは『風と共に去りぬ』のマミー役だ。宝塚において『風と共に去りぬ』というのは『ベルサイユのばら』と並ぶ古典演目で、何度も何度も再演されてきた大切な作品だ。しかし、いくら名作であっても今現在のポリコレ基準で考えるとアウトになるんだろう。
つい最近も、花形スターが黒人役をやる演目があった。「うちの黒塗りは笑いにしてるんじゃなくてカッコイイと思ってやってるんだからいいんです」という理屈は通じるのだろうか?それって傲慢じゃないのか。
これが他所の劇団ならば、黒人の役者を引っ張ってくればよいのだろうが、ご存じの通り宝塚は大半が若い女性たちで構成される劇団である。そうした役者の制約のあるの中で国籍を問わず老若男女を演じなければいけない難しさはどう解決したらよいのだろう。
宝塚の黒塗り文化は芝居だけではない。ショーにもある。いわゆる「黒塗りショー」と呼ばれるジャンル。私としてはむしろこっちの方を心配している。黒塗りって差別的だよねっていうことを何となく理解してもなお、率直な気持ちとして宝塚から「黒塗りショー」が無くなったら心から悲しい。
ショーにおける黒塗りというのは、黒人というより褐色の肌をしたラテン系のイメージである。こちらの代表は『ノバ・ボサ・ノバ』。これも歴代のトップスターたちが演じてきた名作。私の大好きな作品だ。燕尾服やスーツでビシッとスタイリッシュに決めた男役もカッコいいが、裸足でオラオラとサンバを踊る男役のカッコよさも捨てがたい。
宝塚のお芝居はヨーロッパの歴史物が題材になることが多いので(特にフランス革命の酷使っぷりはすごい)、黒人役っていうのはそもそもかなり少ないのだが、「黒塗りショー」はジャンルとして確立されているので定期的に新作が生み出される。もしかしてこれってすごく危うい状況なのだろうか…。
宝塚はずっと昔から定期的に海外公演を行っており、今年も台湾公演が計画されている。劇場でもちらほらと外国人と思しきお客さんを見かけることもある。だから、日本の感性だけでいいっていう開き直りもなかなか厳しいよなって色々考えては鬱になってる。
この記事が物議を醸しているようでモヤモヤしたので自分の中で整理をつけるために文章化してみる。
「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/01/02/history-of-blackface_a_23321243
[1]. 単にエディ・マーフィという役者のモノマネをするためのメイクであって(意図的・無意識とわず)黒人をいじるものではないのは明白
[2]. 被差別の対象だった人たちの身体的な特徴を使った表現は相手を傷つける可能性がある。(ただし被差別対象ではない人が差別だと叫ぶ場合は差別の拡大になるだけで誰も得しないことがあるので注意が必要)
[3]. 特に黒人風の肌メイクを差別的にエンターテイメントとして使われた歴史的なバックグラウンドから、米国などでは差別的表現として扱っている
[4]. (意図的・無意識とわず)民族・人種のステレオタイプな身体的特徴を使った表現は差別的であると言われるだろうが、エディ・マーフィという個人のモノマネについては差別的ではないという意見もそれなりに見かける。
[5]. 個人のモノマネが黒人差別と言われるのは[3]に配慮していないからである
[6]. 本質的に差別がなくなった状態というのは[3]のようなものへの配慮をしなくて良い状態といえるので、逆にそれらへの配慮を増やすことは差別を意識させるだけともいえる。
[7]. しかし[6]のような考え方は理想ではあるものの、実際に差別され傷ついてきた人たちが存在している以上は過渡期に極端な理想を求めるのではなく、ある程度の配慮をしながら緩やかに配慮する範囲を減らしていくしかない(ので[6]のように配慮しないことを良いことと捉えない方が現実的である)
[8]. 程度問題として[7]にある「ある程度の配慮」をするには歴史的バックグラウンドや未来に向けて緩やかな変化を見据えて議論しながらすりあわせていくしか無い。
上記の[8]にあるように、本質的には差別的ではないものでも歴史的なバックグラウンドから相手を傷つける場合がある。
とはいえ「本質的に差別ではないのだから傷つくな」と言っていい性質のものではなく、現実的にはそういった配慮をしながら未来に向けて本質的な差別だけに配慮すれば良い状態を作っていければ良いのではないかと考えました。
・逆転やミスリードが無く、想像通りにしか展開していかないチープなストーリー。設定だけ思いついて書き始めたんだろうなと言うことがありありと伺える。オチが見えた後の時間は苦痛でしかない。
・やたらと同じ場面やセリフが繰り返されるが、何ら具体的説明がない。「考えるな感じろ」とでも言いたいのだろうが、演出や脚本家の独りよがりな妄想を感じ取れる人は皆無である。
・最後のオチが投げっぱなしで終わる。「ご想像にお任せします」というのをやっているつもりだろうが、クソつまらない話のオチを観客に考えろと言われても困る。脚本を書く技術が無くても、せめて広げた風呂敷ぐらい畳んでくれ。
・無駄に殺陣やダンスが多い。プロの芝居でさえ長くやられるとだれる要素なのに、素人臭い動きを延々と見せられるのは苦痛でしかない。やるならばポイントを絞って使った方が効果的だ。
・意味もなくやたらと叫ぶシーンがある。叫んどけば青春っぽい感じが出ると思っているのだろうか。脚本家の心理描写の稚拙さが露呈するだけである。
・ギャグシーンなのに役者がギャグに徹しきれていない。謎のプライドが邪魔しているのか、「自分が馬鹿な言動をして笑われる」ことに妙な抵抗を抱いている節がある。特に女性に多い。
・異常にナルシストな役者が一人いる。「俺かっこいいだろう?」と言わんばかりに自分を誇示してくるが、ビジュアル的にも演技的にも微妙な上にそいつのせいで全体の雰囲気を壊している。大抵男性である。
・内輪ネタが異常に多い。内輪ネタをやるなとは言わないが、多すぎると数少ない外部の人間はしらけるだけである。
・無駄にシモネタも多い。シモネタ自体は否定しないが、面白くないシモネタはただただ下品なだけである。シモネタを使うなら確実に笑わせなければならない。
全体的に、「人に見せる」「観客を楽しませる」という意識が低い学生劇団や社会人劇団にこういった傾向が強い。
彼ら自身は本気でやっているのはよくわかる。セリフのミスはなく、動きは洗練されていて、オペとの呼吸もばっちりあっている。しかし、壊滅的につまらない。
最低賃金についてのツイートがバズったついでに晒された、夢の国のオタク女同士のクソ泥仕合。たったの三日程度で空中分解の様相を呈しているので、野次馬としては「なんだよ終わりかよ」「つまんねえな最後までやれよ」といったところ。
かくいう自分も、2.5次元的な若手俳優のオタクだ。舞浜には昔一度連れられて行っただけ。アクターにも、そもそもディズニーにもとりたてて興味はない。
アクターのオタクとの距離感としては隣の隣の畑くらいだろうから、あの泥仕合の女たちが誰のオタクなのかは、ブログに書かれた内容や晒されたツイートから調べればすぐに分かった。その役者や彼が所属する劇団の芝居は見たことがなかったけど、知ってる名前だったし知ってる劇団だった。この世界、狭すぎて笑える。
最初に言っておくと、今から書くのは九割方がブログ主に対する苦言だが、だからといって"怪物"に味方しているわけでもない。オタク女の泥仕合なんかだいたいどっちもどっち。"怪物"は自分の鍵垢フォロワーにユダがいたのを見抜けなかった、あるいは初めは友達だった人物がユダになったのか、正しいことは知る由も無いけど脇が甘い。
ただ、どっちが"ヤバい"かというとそれはブログ主のほうに軍配が上がると思う。もし仮に同じアクターを追ってるファンだったら、捨て垢を作ってお前頼むからマジでやめろって言いに行くところだった。恥を晒すなよって。
恥だろ、これ。
舞浜のオタクじゃないからローカルルールとか知らないけど、道端でうんこしないでよ、ちゃんとトイレでしてよ、って思う。
少なくともここにひとり、あの劇団のあの役者は頭がおかしいファンをいっぱい飼ってるんだなあと思った人間がいる。もしいつか彼の出演する舞台を見ることがあれば、あっあの時のオタクがクソな役者だ、と思うだろう。もし自分の好きな役者が一部の頭がおかしい同厨のせいでそんな風に思われていたら、とは考えるだけで寒気がする。
当人はmetooタグと同じように固有のタグを作って被害に遭った人が声を上げやすい環境を作りたい、とか考えてるようだけど、失礼すぎる。セクハラやパワハラで傷つけられた人たちに。このタグもはあちゅうの諸々でケチがついたような流れはあるけど、オタク女の汚い泥仕合とセクハラパワハラを同列に語るのは、あまりにもひどい思い上がりだ。
そもそも、当初ブログ上でスクショが晒されていた、"怪物"の鍵垢ツイート。あれを見て最初に思ったのは「こんなに大騒ぎするようなことか?」。舞浜のアクターオタクは心の清らかな人ばかりなのかもしれない、とすら思った。あの程度の愚痴や暴言やを書き殴るアカウント、ありふれたものでしょ。違うのかな。
知らない人に説明すると、女オタクばかりのジャンルにはたいてい、愚痴垢と称されるアカウントが存在する。若手俳優界隈にも、ジャニーズにも、ディズニーにも、同人にもある。大抵鍵なしのアカウントで、謎のお嬢様口調で何かや誰かを糾弾しているので見分けはつきやすいと思う。ところであれなんでお嬢様口調なんだろう。知らない。
で、今言及しているのはそういう愚痴垢じゃなくって、ただ鍵をかけて、鍵なしのアカウントじゃツイートできないことをツイートするアカウント。鍵なしアカウントでのフォロワーについて、"怪物"がしていたように現場で居合せる同厨や他厨について、愚痴を吐き出したり陰口を叩いたりするアカウント。自分が見てきた限りで言えば、"怪物"のものとされるツイートはむしろ生温いくらいだ。べつにこの程度でピーピー騒ぐなってわけじゃない。
生温かろうが冷たかろうが熱かろうが、内輪の泥仕合を全世界に配信するんじゃないよ、と思う。
内輪でならブログ主と"怪物"の両者がどういう人物なのか、どういう言動をしてきたのか、ある程度は皆分かっているだろう。しかしブログ主が外へ向けて発信したのは"怪物"の悪行のみ。それを読んだ素直な部外者が鵜呑みにすれば、独りよがりで攻撃的で恐ろしい"怪物"と被害を告発するブログ主、という構図が視えるだろう。
鵜呑みにせず色々掘ったり疑ってみたりしても、実際に"怪物"の標的にされていたブログ主の元友人は問題の公表を快く思っていなかったり、そもそも"怪物"に目をつけられた原因はブログ主と元友人側のマナーのない行動だとされていたり、当然"怪物"はブログ主の誤解と自らの正当性を主張するし、正しい事実は何一つわからない。もちろん、何か一つでも証明されるとも思っていないけど。
社会的な問題提起、というポーズをとってはいるけど、最初のツイートは「現在進行形で受けている嫌がらせのお話!どうしたらいいのかわからないので、良かったらリプ下さい」と、個人レベルの話だったはずだ。せいぜい界隈内で数十リツイートでもされて、数百人規模が見て、ああだこうだ言ってるくらいがちょうどよかったんだと思う。それが、ディズニーとも、そもそもオタクや追っかけとも関係のない非オタの目にも留まった「最低賃金」に関するツイートに繋げてツイートしたものだから、舞浜独自のルールを知らない舞浜以外のオタクにも、女オタクの陰湿さを知らないパンピにも広まってしまった。
それだから被害者は声を上げよう、オタクの在り方を考えよう、的な問題提起風に切り替えたんだろうか。
ただ単に問題提起がしたいなら、オタク同士のいざこざには罪の無いアクターが特定されてしまうような仔細な言及はいらなかったし、加害者についても被害者についても個人レベルで詳しく書きすぎていた。普段使っているアカウントではなく新しく作成したアカウントから発信すれば、(元)友人が個人特定される可能性は低くなり、反撃を恐れなくてよくなったかもしれない。
個人叩きに寄りすぎていたことを反省しましたという姿勢で"怪物"のスクショを消したり、アクターに関してファンが少ない、人気ではないなどと述べていた部分も消したようだけど、そうすると今度は歯抜けの記事になり問題提起としては情報不足だし、歯抜け記事の一番下に追記した文章まで読む人なんてなかなかいないんじゃないのかな。
個人的には、「外野は黙ってろ」と思う。だから、この件に関してはただの野次馬で、他ジャンルのオタクである自分は直接彼女らにリプライやDMやコメントをするつもりはなく、ここでしか発言しない。
外野が参戦する意味がないのは、学級会や議論や殴り合いを経て何かしらの結論やまとめが生まれたとして、外野はそれに関係しないからだ。舞浜のオタクのあるべき姿が見出されたのなら、それをシカトするなり念頭に置くなりするのは舞浜のオタクだけだ。
なのでそろそろ書くこともないし終わりにするけど、岡田育がものすごい首突っ込んできてたのには笑ったんだけどあの人本当何なんだろうな。
https://twitter.com/okadaic/status/945101211308576768
>みんな報復を恐れていて、「そういうときは黙っているのが一番上手いやり過ごし方だ」というふうに言われる。そう信じ込もうと努めてしまう。でも、声を上げて抵抗していいんだよ。怖いなら。
と言うけど、「怖いけど、それよりも報復されるのが恐ろしいから黙ってやり過ごそう」と思っているオタク女って、どれくらい存在しているんだろう。
明らかに言動がヤバいオタクに触らないようにするのは恐れというか回避というかだけど、そんな人材なかなかいないわけで、自分も相手も似たような程度であることが多いと思う。味方の数の多さや顔の広さ、歴の長さとかの違いはあるだろうけど。
現場でマウント取られたり嫌なアピールをされたり、掲示板で晒されて叩かれたり、鍵垢で悪口を言われて嗤われたり、そういう時に表立って「わたしこんな被害に遭いました!抵抗します!」と今回のブログ主のように声高に叫ぶオタクがあまりいないのは、個人的には、それと自分の周囲を見る限りでは、報復が怖いからではないと思うんだけど。的外れだなあ。
それで思い出したのは、2.5次元ミュージカルの元関係者(裏方)に聞いた、
2.5次元ミュージカルはとにかく見た目がどれだけ寄せるかどうかが全てなので、
でもその後の命運を握るのは非情なことに所属先の大小、なのだそうだ。
その後の活躍率でいうと、特撮もかなり厳しい生存率じゃね?と思う。
テレビドラマで知った人のwikipediaを見ていたら特撮出身と知って、ラジオ出ているのかなと調べたら出ていなかったり、
ところでそれよりも、あの曲のフルを聴きいてみたくて手が震えるので配信してください。
話題になったブログで「そんな界隈もあるんだな~」と思ったので
ツイートが明らかな捨てアカウントや、不穏な名前のアカウントからRTされている様子が見てとれた。
恐らく、普段は鍵垢で活動している人たちが、一言言うために捨て垢をとったのだろう…
と、思ったらそれだけではなかった。
「マナー違反のファンを潰す」ための公開アカウントである、と公言し、以前から活動しているらしいアカウントがいくつか見られた。
えっなにそれこわいな?
・どうやら色々「鉄の掟」があるらしい
ディズニー好きを公言しているアカウントで役者さんのアカウントをフォローしてはならない
ディズニーには「中の人」はいないのだから、○代目の役者さん、のような発言をしてはならない
とかなんかすごい色々鉄の掟をかざしている人を見た。
で、それをできてない人を「つぶす」らしい。
あのブログで言及されていた本人も、その名前でアカウントをとってなんか色々かいていた。
ただ、「Dオタ以外の人にわかってもらうのは大変だ」とも言っていたので、
なんか前述の「鉄の掟」に則ったときに色々あったんだろうなと推測する。
・感想
なぜだろうどこの女オタクも、
「ワタシタチは特殊だ。
という幻想を抱きがちだよな~と思う。
きっとほんとは、
Dオタだから「仕方ない」こともいっこもないんだろうな、と思う。
たぶん、ごくありふれた「ルールを押し付ける気持ちよさ」「敵を作ることで連帯する気持ちよさ」に、
なんかそれらしい理屈をつけてるだけなんじゃないのか。
そうじゃないなら「ワタシタチは特殊」幻想がこんなにあらゆるジャンルにはびこる理由がない。
だいたいその「特殊」には法的根拠もなければ明確な前例もない。
多くの人が見たことのある、ひどくありふれためんどくさい人々、ただそれでしかない。
「なぜDオタじゃない人がヒートアップしてあれこれ言ってくるのか」とか
「こんなのDオタだけじゃないだろ」という発言が散見されていたが、
たぶんそれは、ブラック企業はこの世に数多あるけど、
アリさんマークの引っ越し社や電通が名指しで燃え、耳目を集めたのと一緒だろうなーと思った。
Dオタだけではなく多くの人が経験したことのある気持ち悪さと共通する。
だからこそ、名指しで指摘されたときに多くの人が反応したのだろう。
・番外編:5chも見てきた
それどころか、リアルな生活でも数十年感じていなかった沸々とした怒りと憎しみ、今まで触ってきたことへの虚無感をひたすら感じる。
いい年こいたオタクだから何もかも笑って許してきた。ジャンルの人間はみんな運営disで絆を深めていると思ってた。
アプリリニューアルと言って余計なシステムがついても、リニューアル後一年間以上バグが放置されて今でも報酬が受け取れなくても、
キャラクターごとに贔屓や扱いが違っても、二期アニメのテコ入れ用キャラのために既存の人気キャラを貶める要素がつけられても、
その二期アニメが一期の数分の一の売り上げの大爆死だったことも、一方アプリが対応機種でもガクガクに処理落ちしても、それが命取りになる音ゲーだとしても。
ガチャに天井を設けた直後に新しいレアリティを出して天井が無意味になっても。UR以下のレアリティがほぼ機能しなくなっても。
推しキャラだってちょっと前に出た新規グッズでグループの中で1人だけハブられても。
今思えば揚げ足をとれる部分はたくさんあった。アニメも二期はなかったことにしてた。
目が覚めたきっかけを作ってくれたのは4年間推しているキャラでした。今までも、可愛かったよ。これからも可愛い。そしてかわいそう。
デフォルメの愛らしい姿に惚れ、その姿とは裏腹にストイックに我流をひた走るギャップはかっこいいなと何度も曲を聴いて感じました。
演奏技術も業界から褒められていて、それでいてポンコツでグループのみんなとバカやって愛嬌もあって……
とは言うものの、結局はエキセントリックな口調にばかり頼りきられて、その勢いで突っ走ってきて特に目立ったエピソードはなし。
でも縁の下でグループを支える……と言うポジションに落ち着かせてくれた演じた役者達。役者が対談で吐露する雑誌も何冊も買ったなあ……と思い出します
よくよく考えるとキャラクターの情報の少なさに非常に苦労したんだろうな、と言う文章もあって頭が上がりません。
役者勢には本当に感謝しています。断片的でパーソナル要素のない情報とは違う、魅力的な部分を引き出してくれたのは役者勢だと思っています。
好物や苦手なものすら抽象的で、大昔に出た雑誌にリスペクトするアーティストと人物の名前があって、
今では完全に宣伝しかしなくなった公式Twitterがまともにお遊びしていた頃に「家族の人数」「スマホの台数」など微細な情報が出てきたのみ。
むしろよく今までやってきたよ。
そんな推しキャラをメインに据えたイベントが原作アプリで開催されたのが最近。
4年間、原作アニメマンガ舞台全部のメディア含めて、初めてと言ってもいいメインポジション。
ずっとずっと、内面的な葛藤や描写はされないのかな?と首を伸ばして待っていました。
正直ニコ生でイベントタイトルが発表された時から「これ、バカにされる系かも」と本能でうっすら感じていました。
所属するグループ自体がアニメでは顔芸の勢いもウケてたから、コイツらならただバカにしてもいいだろう的勘違いも多々あったし。
仕事を押し付けられる。理不尽に八つ当たりされる。空回りする。disられる。説教される。
サンドバッグのようにされる推しの姿がエピソードを通して描写されただけにしか見えなかった。
数ヶ月前に同じ「闇堕ち」イベントを看板キャラクターでやった時の丁寧さは一切なかった。
イベントの冠になってるキャラクターを悲惨な目に合わせるイベント、他のゲームではあるんだろうか。
リア充憎しだって、お前は今までそんなこと言わなかったじゃないか。周りなんて気にしないキャラだった。
それほど追い詰められるような精神的消耗をする描写がされたと言うことか。
このアプリをリリースしているパブリッシャーのサイト見てみるとリア充オーラムンムンの素敵な写真がたくさんあるよ。
リア充見てて悔しいよな、じゃなくてリア充爆発しろ!って奴をバカにすると面白いですよねwって作られたのかな。
実際やっていて 非常にツラかった。ツラかったけど全部見たよ。だって推しキャラの初メインだよ。
でもこうやって全部見たから憎しみを全てブチ撒けることができる。皮肉だな。
リア充爆発しろ、は何年も前から他の子が度々口にしていた言葉。でもその子のエピソードは最近やった。
「誰でもよかった」って無差別に人を傷つけるようなイベント企画に巻き込まれたのかもしれない。
だから人気のあるグループの推しが狙われたのか。ユーザーカムバック施策のために。
ここまでやっても最終報酬ブロマイドまで来てるのは1000人とちょい。推しが不快な描写の連続の犠牲になってこの程度。
どんどんDAU落ちてるよね。ランキング報酬もちょっと人数減らしてるもんな。
4年間待った結果がこれかと思うと、ひたすら憎い。
これならメインになんてならなくてよかった。いつものように縁の下で活躍していて欲しかった。
やっと来たメインだ!ってただただ喜んでる奴らも憎い。可愛い!じゃねえよ可愛いけどそれ以上に惨めだろうがよ
メインイベントなんだから普通なら喜べるはずだよね。喜べないからもうファンじゃないのかもしれないな。
ファンじゃないならもう辞めるしかないな。ごめんな。お前の限定が出るたびにお金それなりに入れたよ。
エピローグの配信が楽しみです。夢オチになっても、フォローが入っても、あの酷い目に合う姿を見せられたのは変わらない。
4年間が崩れ去っていくような虚しさですら、このジャンルきっかけにハマった別の趣味が埋めてくれる。
本当に好きだったし本当に憎い、色々なきっかけをもらった。推しの言葉を借りるならレジェンドオブ複雑すぎる感情、これをアンチと言うのだろうね。
キャラや曲は好きだし、来年発表されてる舞台は楽しみだよ。そこでは思う存分ロックに商売してほしい。
それ以降、どうなるか。
ファーストシーズンだけ見終わった後これがあまり話題になった気がしなくて何でかなと思って
これは人気でんわ
ただし評価する部分はある
簡潔に言うと「劇中劇の登場人物たちが、自分たちが劇中劇のキャストであるということに気付く話」
演じている役者じゃなくて劇中劇としての話の中のキャラクターたちが
それを認めた上で生きている自分たちは本当だと意志を持って生きていく話
大抵劇中劇って演じてるのを自覚してる俳優や演者が現実世界の楽屋で普通に生活しているけど
これは劇中劇のキャラクターたちにとっての現実がその劇そのものという話
ネタバレとかを見て回ってやっと理解したから最終話だけでここまで気づくのは難しいし
ロジャーの記憶やメモリーに対しての「違う!」という繰り返される否定が良心的にさえ思える
シティが舞台として作られた存在やロジャーはアンドロイドなのか?というのは全てミスリードで
世界そのものが作りものだったことがはっきり分かるのが最終話のみという構成
つまり誰がアンドロイドか人間かという考察そのものが意味がなくて
エンジェルという監督が作り出した世界にすぎない、40年前が最初からなかったというのはそういう話
ロジャーが受けた交渉というのは嘘偽りの世界で生きる人たちにも誠があるということをエンジェルに伝える役目だった
当時リアルタイムで見ていた人たちの感想を知りたいところだが2002年の作品となると
知り合いで見てた人を探すのは難しそうだ