はてなキーワード: プリントとは
昨日、技術者の採用試験でコードレビューをやらせれば力がわかるみたいな記事がホットエントリに入っていたけど、逆に採用試験でプリントアプトしたコードと赤ペンを渡されて「レビューしてみてください」みたいな企業は技術指向の人は警戒したほうがいいんじゃないかと思う。
コーダーとレビュアーが対面して印刷したコードを見ながら、ペンを持ってあれこれ指導を受けるみたいな形式のレビューをやってるところは、たぶん、技術指向の人には耐えられない開発体制の可能性が高いと思う。
レビュアーがレビュー前に自分のPCでばっちりコードをチェックしておいてレビューに臨むとかだったらいいけど、対面でレビュアーがコーダーを指導するみたいなレビューをやってるところって、コーダーにコードを印刷させて、それを持ってこさせて、レビューが始まってからおもむろにコードを読み始めるみたいは感じでしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20141114125656
これ見て気が付いたんだけど、そんなに親しくない仕事の同僚が去年くれた年賀状無料で公開されているものだった・・・。
別にちゃちゃっとプリントしたもの送ってくれてもそれは問題ない。
もやもやしたのはその年賀状、「自分で書いたイラスト」として会社の人たちに配っていたこと。
年明けの職場で全員違うデザインで年賀状を出していたらしく、それを全て自作だといって周りからちやほやされていた。
そのイラスト自慢でデザインの仕事とかが回ってきたとかじゃないのでわざわざ言いふらす気はないが、
ネットで公開されているものを自作だという感性がこんなに近くにあったなんてちょっと落ち着かない気持ちだったので増田へ投下。
昔の私を見ているようです。
「自分と他人のズレに気付いている」から、辛くなってしまうんですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20141030020525
この日記を書かれた方に、何かしらお伝えしたくなりました。
書きたいことをつらつら記しただけの、まとまりのない文章になってしまいましたが…
何かの参考になれたら幸いです。
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「自分の当たり前が世間の常識とずれている」と気付けなかったせいで、
でも、実はそれと同じくらい、私自分も苦しみ、辛く悲しく傷ついてきました。
(そうか、自分の欠点に気づいてから、もう10年近くなるのか…)
今は、「自覚のある当事者」として、おだやかに生きていく方法を模索しています。
自分の欠点をおぎなう努力はもちろん、人に気配り・感謝を忘れず、自分にも無理をさせすぎず…
まだまだ課題は多いですが、生きることが少しずつ楽になってきたと感じます。
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行ったら、なにかしらの診断は出ると思います。
でも、そこから先、「苦手を抱えながら、どう生きていけばいいか?」というお悩みを解消してくれるような先生はなかなか見つからないかも…。
また、下手なお医者にかかってしまうと、精神病と混同されて精神薬を処方されたりします。
お薬を一旦飲み始めて、次の診療で「まだ辛いです」っていうと、処方が増えたりします。
どうしても薬を飲みたいんだ!という時には、漢方薬がよいかもしれません。
こういう時、病院以外に相談できるところって、中々みつからないですよね。
気軽に話ができる環境がみつかれば、いいですね。
(変な壺とか水とかオーラとか、怪しげな商法にも気をつけてくださいね。)
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だったら、フリーランス・個人事業主っていう生き方もありますよ。
職場や通勤での辛いなにかを我慢しすぎて、自殺を考えてしまいそうになったら、
「一人で金を稼いで生きていく」道もあるっていうことを思い出してみてください。
開業するならコミュニケーション能力も磨かないといけません。
そのためには自分で自分を支え成長させる努力が大切になります。
(それができねーから苦しいんだろー!と突っ込まれるかも…^^;)
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作者さんは、どうして準備を前もって出来ないのかとか、物をなくすかとか、「原因を分析」されたことは有りますか?
例えばものの置き場について。
作者さん、たとえば小学生の時に、鉛筆やプリントをなくしたこと、よくありましたか?多分、答はイエスだと思います。
では「上履きを毎回違うところに置いた」って経験はありますか?多分、答はノーだと思います。
定位置をしっかり覚えているからではありませんか。
つまり、(努力次第ですが、)意識を何度も何度も繰り返せば、あなたはなんでも片付けられるようになりますよ。
生活パターン(ルーティン)を分析して、「置き場を設定」しましょう。
自分の生活動線を把握したり、モノの置き場をクセづけるまでが大変なんですが、
「本当に改善したい」と思われるなら、張り紙でもなんでもして覚えましょう(^^)
鍵は玄関のここ、服は(脱ぎっぱなしでもいいから)部屋のここ、というふうに、
「モノの住所」を決めておくだけなんですが、結構部屋がスッキリしてきますし、「アレどこだ?」でイライラすることも減りますよ。
自然と体が覚えてくれて、そのうち無意識に定位置へ戻せるようになります。
(ただ、眼鏡は不意に脱着するから、「メガネメガネ」は私もまだよくやります。笑)
自分が何を持っているのか覚えていないほど、物を多く持ちすぎている時は、整理しましょう。
「断捨離」「ときめく片づけの魔法」などの考え方がある程度参考になります。まとめや解説サイトなどを御覧ください。
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洗濯物をたたむ時間がなが~いっていうのも、すっっっっごくよくわかります。
タイマーを使ってみませんか。
5分でも3分でもいいので、「このタイマーが鳴るまでたたむ」と決めて、たたんでみるんです。
好きな音楽をかけてもいいかもしれません。
タイマーがなったら、一旦休憩してもいいし、やる気があれば続行してもいいです。
私は、やる気がでない作業の時は、タイマーや曲をつかって、「ゴール」を決めてから行動しています。
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片付けや準備のスキルに関しては、育った家庭環境の影響もあるかもしれません。
私の場合は、両親・祖父母共に掃除や整頓がとーーーっっっても下手な環境でした。
(例:冷蔵庫には賞味期限切れのあれこれがどっさり、タンスは常にぎっちぎち、部屋中モノであふれて床が見えない)
まともな「掃除の概念」を持たないまま大人になり、アルバイトや職場でやっと
「へー、掃除ってこうするものなんだー」と常識を知っていったような感じです。
もしも、作者さんに何か心当たりがあれば、それは「障害のせい」ではなく「家庭の影響」なのかもしれませんよ。
ちなみに私は昨年まで汚部屋の住人でしたが、今は掃除大好き人間です。
何歳になっても人は変われると、声を大にしていいたいです。
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人付き合いが苦手とか、ひとつの分野に集中しすぎるとか、得手不得手は色々あると思います。
多くの人が楽しいことでも、私はぐったり辛い…ってこともありますよね。
多くの人を比べた中での「少数派だから」という理由で特別視されやすいだけだと思うんです。
発達障害は、ある意味「作られてしまった障害」なんじゃないかな~と感じてます。
「自分の普通」が、普通に通じるところで暮らせるなら、全然辛くないんですよね。
まぁ それがなかなか、難しいんですけどね(^^;)
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ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。
でも、ある程度軽度のアスペルガーとかADHDとかは、思考や行動パターンを調整していくことで、徐々に生きやすくなれると思うんです。
可逆的、といっていいのかな。
良くしていけるものだから、「障害」と断言してしまうのは、なんかしっくりきません。
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それと同じように、「多数派との”ずれ”を補正する手段」があれば、生きやすくなる気がしています。
いまの日本では、その「補正ツール」たりうる何かが流通しきれていないから、苦しんでいるだけなのかも。
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「人の目を見つめるのが苦手」な人と「血を見るのが苦手」な人がいたとして、
「その苦手と向き合う機会が多くて」かつ「そのせいで社会的な損をする」リスクが大きいのは、おそらく前者ですよね。
苦手なことには人それぞれ違いがあるっていう、それだけのことなんだけど…
画一的な社会では、そのズレが許容されにくいみたいなんですよね。
誰しもが感覚に違いを持っていて、ある種の過敏性を持っていると思うんです。
「パクチーが食べられない」「強い光が苦手」「テレビを付けないと寝られない」「人混みが嫌い」とかね…いろいろあるでしょう…
その特性が、社会的に損をするかしないかは、ただの運次第じゃないのかな…
いまはコミュニケーションが出来ないと損をする社会だから、対人関係の行為に苦手があるひとが、損をしやすい。
それだけじゃないかと思うんです。
だから、発達障害の疑いや診断がある人は、「へーそうなんだー」くらいで気楽に受けとめていいんじゃないかなぁ。
必要以上に自分を追い詰めて鬱々としたり、劣った人間だと思い込む必要は無いんじゃないかなあ~と思ったりします。
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(私自身の体験や特性については、テーマからそれるので割愛します。)
私は小中高と学校生活で苦しんだ末、鬱で登校拒否・引きこもりとなり精神科に駆け込みました。
ある所ではうつ病、ある所では自律神経失調症…と、医師によって変わる診断と処方箋に右往左往。
数件目の病院でやっと「発達障害」の話を切りだされ、ショックと同時になぜか安堵したのを覚えています。
それからは、むさぼるようにネット・書籍・論文などから情報を探しまくりました。
WISC-IV 知能検査を受けて、自分のIQを知ったり、「はー、この分野は得意で、この分野は不得意なんだな」という分析は出来ました。
でも、「それだけ」でした。
私はてっきり、知能検査を受けた後には
「あなたが持つ弱点は、こんなシーンで困り感をまねきやすいです」
「だからこういう風に考えましょうね」という風に、
具体的に解説してもらえるんだと思い込んでいたので、なんだかがっかりしちゃいました。
その間1年ほどは、医師に言われるがまま通院していました。
しかし抗鬱剤をどれだけのんでも、苦しみの原因はなくなりません。
「どうして苦しいのか」、根本から解き明かさないと、一生苦しいままだと分かりました。
自分自身と社会のズレ・偏りはなにか、自力で研究を始めました。
そして気付けば10年近く。
これが早いのか、遅いのかはわかりません。
確かなことは、年々生きやすくなってきた、ということです。
また、曲がりくねった人生の中で、世界に一人だけ心から愛せる人と巡り会えました。
この人さえいてくれたら、もうそれだけで十分に幸せだと感じます。
その人に恥をかかせたくないから、きちんと生活できるようになろうと決めたことが、私を変える大きなきっかけの一つになったのでしょう。
苦手なことも、愛する人のためなら頑張れる、それが私の力強い支えになっていると思います。
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作者さんが私の日記を呼んでくれるかどうかは分かりませんが、
こんなやつもいるんだよってことに気づいてもらえたらいいなと思います。
苦手なことを「発達障害だから」と断言してしまうのは簡単です。
が、光のプリズムのように、その強弱は加減できることもあるんです。
変わりたいと思ったなら、きっと変われます。
でもどうか無理をしすぎずに。
苦しい時もありますよね。
お互いがんばりましょう。
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http://anond.hatelabo.jp/20141031142843
読んでくださった方、コメント下さった方、みなさんありがとうございます。
小学生の頃に球技をするとき、太陽を向く側のコートになると眩しくて目を開けていられなかった。
幼稚園の頃から他の子に遊びに混ぜてって言ったり、他の子から何かを借りるのにすごい抵抗があった。
始業式はいきなり体育館にぶちこまれて混乱して泣いたし、運動会は仕組みの意味がよく分からなかった。
もっと遡れば赤ちゃんの頃、目線を合わせようとするとそらす子だったらしい。
広汎性発達障害か何か?でも、もっと学校で問題を起こす弟の方で「グレーゾーンです」と言われたものだったしな。
いまだに締切ぎりぎりにならないと動けないし、
友達同士の、あの挨拶みたいなやつのラインが分からない。(どのレベルから親しくしたらいいのか、あいさつしたらいいのか分からない)
目線を向けられても、それが自分にぶちあたっているのか、前の席か後ろの席か、本気で分からない。
その結果失礼なことをすることがある。自分でも意味が分からない行動をとってしまい恥ずかしく思ったりする。
自分が甘えているだけか?
それとも他のみんなは分かってるものなの?
「太陽がまぶしくて目があけていられない時ってあるよね」って言ったら、小学生の頃聞いた友達からは同意が得られなかった。
家事面なら、洗い物なら洗い残しがあってとても凹むし(兄は水を出しっぱなしにするものの、上手だった)、掃除はそもそもできない。
洗濯物を干していても畳んでしまうまでの時間の感覚が異常に長い。料理の材料は腐らせてしまう……。
勉強面では予習ができない。ギリギリにならないとやる気が出ない。仕方ないので、家じゃなくて別の所で課題しなきゃな…。
次の日の準備が小学生の頃からできない。プリント整理もできない。なんかイライラしてくる。無駄になることが怖い。そして出てこないプリント。
それと、モノを持って移動して、次の事をしているときにはもうそのモノが無い。昼寝のたびにメガネを置いては見つからなくなり、予備メガネかけて探してる。
ADHD?アスペ?発達障害?病院とかカウンセラーに相談したらいいの?
言い訳がてらADHDのページを見てたら、わりとアスペかADHDであるような気もしてきた。
まぁでも、言い訳が欲しいだけって言われたらどうしようかなって怯えてる!
「みんなそんなもんだよ」
って言われたらどうしようかな!
学校のテストには相性がよかったみたいでなんだかまだ労働してなくて進学してるけど、そんなに頭が良い方でもないし、すぐに混乱するんだ。
シビュラシステムが欲しいくらい使いにくい人間だなぁと我ながら思ってる。
あと、大学向いてなくってワロタ。そんなに向いてる人間なんて珍しいか。
人生で一番楽しい時期だよって両親には言われたけど、高校生の方が楽しかったなぁ。
いくらでもひとりでいれる環境だから、ひとりで居て生活ボロボロになって、混乱して辞めちゃう子も多いんだろうなぁって思う。ちょっと辞めたい。
大学の先生は高校の先生みたいにこどもを好きでいる(ようにする)前提なんて無いだろうなって思うわけだし。
話が脱線した。
関東に住んでいた私の卒業式は中止、卒業パーティ&旅行も中止、レンタル袴はキャンセル。
結局3月中の適当な日に必要書類と証書だけ取りに来いと言われ、いそいそ学校に行き、卒業証書をプリントみたいにはいと渡されただけだ。当たり前だが普段着だ。
証書を受け取れる期間は何日か設定されており、タイミングが合わず、ほとんどの友人に会えなかった。
その後就職した人もいたが、リーマンショックをモロに被ったタイミングだったこともあり(所詮言い訳だが事実だ)就活失敗した人も多かったから、お互い聞きづらい空気もあった。なので今何してるのかも知らない。
被災地が本当に大変だったことも頭では分かっている。
分かっている。
こちらはもう、そんなことはないだろう。
あの震災で誰も血を流していないし、
誰も失っていない。
全員けがもなく無事だったし。
無事だったからこそ。
あれからもう3年が過ぎた。
自分は小学校時代真面目な生徒だった。当然道徳だろうがなんだろうが真面目に授業を聞いてた。
その結果かまあ勉強も出来たしそれで先生に褒められるのも好きだった。
小4か小5の時に人権教育の授業を何回かやった。その時のテーマはネタになりやすい部落差別とか外国人差別ではなく障害者差別。
確かその初回の授業だったか自分が「障害を持っている人が~」といった感じの発言をした時に先生にたしなめられた。
「障害者の人達は自分が障害を持ちたかったわけではないんだから『障害を持っている』ではなく『障害がある』と言うようにしましょう」
その時はそういうものなのか、と納得した。
このテーマで数回授業をやった後プリントを配られた。そこにはあるシチュエーションが書かれていた。
「この文章の中でいけないのはどこだと思いますか」と先生が皆に尋ねる。
プリントに書かれた場面内ではまあ分かりやすい障害者差別の内容が載っていた。これを普通に言えば正解なんだろうな、というのは
すぐに気づいたがそれでは他の生徒と同じだ。もう一度よく読むと文章内に「~に障害を持っている〇〇くんは~」と書いてある。
これを指摘すれば先生によく覚えていたと褒めてもらえる!と思いすぐに手を挙げて発表する。
「『障害を持っている』って書いてあるけど『障害がある』じゃないといけないと思います!」
すると先生は
その瞬間「人権教育ってその程度の物なのか」と一気に冷めてしまった。結局高校まで表面上は今までのように優等生然として
人権教育の授業を受けてたけど腹の中では「この授業意味あんの?」と思い続けていた。
こうして書いてみると「本当はその前から内心面倒だと思ってたんじゃないか?」とも思えるけどそうじゃない。
あの時から「人の気持ちってこんな些細な事で逆転するんだなー」と妙に冷めた視点を持ち続けてたし人と接する時の戒めにしてたから。
元気かな、Y先生。
http://anond.hatelabo.jp/20140108194144
監督がどうだとか、演出がこうだとか、主演俳優の演技がどうだったとか、そんな話はいったん脇に置いて。
「燃えよドラゴン」をリアルタイムで見た年配の方々が、口々に話すのは、必ずしもブルース・リーの格好よさではないはずです。
彼らが楽しそうに話すのは、肩をいからせながら劇場を後にする観客の姿であり、少ない小遣いを握りしめてヌンチャクを買いに走った幼い自分自身の姿。
「単純に面白かった」映画の上半期ベストとは別モノとお考えください。
第5位 ゼロ・グラビティ(2回目)
第4位 ウルフ・オブ・ウォールストリート
第3位 アクト・オブ・キリング
第2位 ロッキー・ホラー・ショー
委員長(女)と鑑賞。学生時代はいつもツンと澄ました表情を崩さず、どこか近寄りがたい雰囲気だった同級生(当時クラス委員長)(美人)(三つ編み)と、同窓会で再会 → ホラー映画話で盛り上がる という夢のようなシチュエーションを経て、ホラー映画友達に。2013年中は、これまで一人で観に行っていたホラー映画を、委員長(仕事中だけ眼鏡をかける)と一緒に観に行くという、もし学生時代の私ならその場で卒倒してしまいそうな、夢のような時間を過ごしました。つまんなかったな、死霊のはらわた。面白かったな、キャビン。映画の終盤の大虐殺シーンときに目が合って、満面の笑顔だったことは一生の思い出。
しかし、楽しい時間はいつまでも続きません。2014年早々の飲み会の席で、「年末に彼氏ができた」「彼氏が嫌がるかもしれないので、一緒に映画を観に行くのは控えたい」という旨を委員長より告げられます。悲しいけれど、仕方ない。
「じゃあ最後に、普通に面白い映画を観に行こう」と誘って観に行った映画が『ゼロ・グラビティ』。私は2回目の鑑賞でしたが、面白い映画は何回見ても面白い。さみしいけれど、さようなら委員長。
奥さん(スイーツ)と鑑賞。彼氏彼女のころは昔は一緒にホラーやスプラッターも観てくれたのに、今では「王様のブランチで紹介される映画しか観たくない」と言い張るようになった奥さん。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』も、事前に予告編や前評判を観て「これは『グッドフェローズ』の方のスコセッシやな・・・?」と判断し「奥さんと観に行く映画リスト」からは早々にはずしていたのですが、「王様のブランチで紹介されていて、とてもおもしろそうだった」という奥さんの強い希望で一緒に観に行くことに。今回ばかりはありがとう、王様のブランチ。
鑑賞後「もしかして、やっちゃったかな?」と不安に思いながら、恐る恐るに感想を聞くと、意外なほどの高評価。今でも、奥さんの中での評価は「『アナと雪の女王』より『ウルフ・オブ・ウォールストリート』。『LET IT GO』より『マコノヒーのチェストソング』」とのこと。「んーんー、んーんー」って歌いながら夕食の準備をする奥さんかわいい。
「もしかしたら今後は、付き合いはじめた頃みたいにアメコミ映画も一緒に観にいってくれるかも?」と淡い希望を抱き、後日ためしに『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』を自宅で一緒に観たところ、途中でいびきをかいて眠りはじめました。
高校友人(男×2)と鑑賞。それぞれ個別に食事に行ったり遊んだりすることはあっても、3人そろって会うのは久しぶりだったため、妙に緊張したことを覚えています。少し早く劇場についたので、上映前に学生時代の思い出話に花を咲かせたのち、並んで写真を撮りました。学生時代からはつらつとしていた友人は、今でも若々しく。おっさんじみていた友人は、よりおっさんに。
携帯で撮った写真を見ながら『変わらないものなんか/何ひとつないけど/変わるスピードが/違ったんだなあ』というクロマニヨンズの歌が頭をよぎります。
映画を観た後は、完全に圧倒されてしまい、会話もそこそこに、つけ麺を食べて解散。ベトナム・マレーシアで仕事をしている友人の「現地の人を見る目が、少し変わるかもしれん」という一言が印象的でした。
初見。「『ロッキー・ホラー・ショー』はコスプレをして騒ぎながら、観客が一体となって観るもの」と事前に見聞きしていたので、「昨年の『パシフィック・リム』のように、映画館が一体となって鑑賞したような気分が味わえるかもしれない」と思い、ガチガチにコスプレをして会場に赴いたところ、持ち込みでコスプレをして映画館に来るような頭のおかしい一般客はおれだけだったため、上映中、かつて経験したことのないような孤独にさいなまれました。
好事家たちの間で熱狂的支持を集めるVシネマシリーズの劇場版。委員長(女)と鑑賞。「委員長ともう一緒に観に行くことはない」と言った舌の根が乾かないうちに、ダメモトで誘ってみたところ、まさかのOKが出ました。「どうしても観たいから、彼氏は説得した」とのこと。さすが、Jホラーファン。ほん呪シリーズコンプリートは伊達じゃありません。覚悟が違います。
劇場につくと、そこはホラー映画Tシャツを着た男性客率が非常に高い異空間。twitterアイコンをプリントしたTシャツを着ている剛の者まであらわれるという異様な雰囲気の中、映画が始まると、予想外の展開の連続に、劇場は揺れるような歓声と爆笑に包まれました。終盤の想像を絶する超展開に、委員長が思わず「どうなってるの、これ」と笑いながらつぶやいていたのが印象的。上映中、こっそり横顔を覗き見すると、委員長は本当に楽しそうに笑っていました。今度は振り向いてはくれなかったし、目が合うこともなかった。
上映後、食事をしながら近況について尋ねると「付き合ってから最初に観に行った映画は『永遠の0』」とのこと。彼氏の一番好きな映画は『アルマゲドン』。委員長の一番好きな映画は『エクソシスト』。それでも委員長は彼氏にべたぼれ。がんばれ、負けるな委員長。
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今年も残り5か月。誰と映画を観に行こう??
視界に入るもの全てが、目にとって刺激が強すぎて、というか情報過多だった。
ポスターの字やプリントの題字も、全てが意味を訴えかけてくる。
耳に入ってくる音もそうだ。人の言葉はどれも、バラバラの文法を使ってつむぐ文章であり、頭の中で適切な漢字変換までする必要がある。
学校の先生は、黒板に字を書きながら喋る。私は人の言葉と字として書かれた文章の情報を同時に処理することができなかったので、どちらかを捨てる必要があった。
私は黒板の字を選択した。自分のノートに、自分のペースで、書き写す。チョークの色を変えられたら、こっちも色を変える。筆箱の中にはチョークと同じ色のペンが揃っていた。ただ黄色は紙に書くと見えにくいので、蛍光ペンで書いてから鉛筆でなぞっていた。鉛筆で書いてから蛍光ペンを重ねると滲んでしまうのでそうしていた。
たまに、喋るのがメインで、黒板にはキーワードのみを書く先生がいた。そういうとき、私は、キーワードのみをノートに書いた。話はあまり聞いていなかった気がする。
音に関してもそうだった。全てが耳に入る、ここまではいいとして、それを頭が次々に処理しようとする。
たまたま絶対音感を持っていた私は、例えばクラシックのような音楽は聞くに耐えなかった。これは絶対音感を持っていない人には伝わりにくいのだけれど、絶対音感を持っていると、五線譜に載るようなわかりやすい音の場合、それが「ド」「レ」「ミ」といった風に、言葉として頭が処理をする。つまりクラシック音楽を聞いていると、複数の人が同時に別々の言葉を喋っているように聞こえるのだ。
「ファーミーレードー」「ミラソファー」「レドシラソファミレ」「ラファソラーファソラ」「ソシラソドレミ」こんな感じに。もう、全然落ち着かない。
それから、食事に関しての興味が大変に薄かった。というよりも、周囲の食事に対する興味と、自分の食事に対する興味のギャップがひどすぎて、これには大変に苦労した。
まず、給食の時間になると、周りの児童たちはとても楽しそうにする。献立を気にして、好きなものを多くとる。楽しそうに話をしながら食べて、おかわりまでする子もいた。
一方私は、「食事をする」という行為がそもそも、例えば注射が苦手な子供にとっての注射のように、その度に緊張して、ドキドキして、というかできれば避けたかった。
何も口にできなかったわけではないけれど、周囲がその食事に盛り上がれば盛り上がるほど、自分の食事に対する嫌悪感のようなものが浮き彫りになって、余計に辛かった。
だって、なんだかよくわからないけど食べ物として扱われているその物体を、あろうことか口の中に突っ込んで、歯で噛み砕き、それぞれの味や食感が口の中いっぱいで、それからここが大変なところなんだけれど、飲み込まなければならない。喉を異物が通るという恐怖。嚥下してしまえば、胃という体内の臓器にそれが収まっていく。気持ち悪い。もうこれを元に戻すには嘔吐するしかない。嘔吐はとても怖い。喉をいわゆる汚物が逆流するのだ。胃にこれが残っている限りはその可能性に怯え続けなければならない。なんでこんなことしなきゃいけないの?
そういう私をよそめに、学校の先生は「残さず食べましょう」なんて標語?を掲げたりする。勉強なら、できない子がいても、どうすればいいか教えてくれるのに。体育だって、跳び箱の飛び方とか、鉄棒のつかみ方とか、教えてくれるのに。なんで給食は無条件に「食べれるでしょ?なにさぼってるの?大事なことでしょ?当たり前でしょ?」みたいな顔してくるの。
家では親が「ちゃんと食べなさい」と言う。私は「おなかが痛い」と言って食事を残す。母はがっかりした顔をしたり、呆れた顔をしたりする。結局私の茶碗は、中学に入るまで、幼稚園児サイズだったし、よそわれるご飯もその半分だった。
当時、このように言葉にできたかどうかはわからない。でも、今でもあの感覚は覚えているし、こうして文章に書き起こすことができる。というか、今でもその感覚に陥ることがあるのだけれど、場合によってはなんとか自己暗示をかけて回避する、という術を身につけたので、幾分マシである。
先日ある人にこういうことをなんとなく語ったら、興味深そうにしていたから、文書化してみた。
アニメふだん見ないから、まとめとかTwitterで話題になってる絵をチラ見するぐらいだけど
アニメに出てくる「ダサい」服装って、決して「地味」ってことじゃなくて
「明らかに余計なことをしている」ことに起因するケースが多いんじゃないかなと思う
https://twitter.com/yaoipops/status/484548981737799683/photo/1
たとえばこれだと、
・謎色ベストの謎ワッペン(この謎ベスト着てなければ超ダサくはならないと思う)
・カットソーの謎プリントと謎肩ベルト(単色・オフショルダーのカットソーじゃあかんのだろうか)
なんていうんだろう、ダイエーとかヨーカドーの洋服売り場感満載
ブコメで「作画に手間がかかるから」って言ってる人いるけど、無地にわざわざ描き足してるんだから、スタッフの趣味ってことだよね
作品世界に合ってさえいればいいんだろうから、最先端の尖ったファッションにすべきとは思わない
ただ目に優しい「無難さ」ってのはもう少し意識してもいいんじゃないの、とは思う
前にアイドルマスターのキャラの私服っての見たけど、あれはアニメの女の子の服装として理想的じゃないかしら
すてきなかっこで街練り歩く
ピチピチジーンズはじけそう
皮下脂肪率は50%
すっぱい臭いがその真髄
36010人並ぶ
幼稚園児さえ射程距離
モニター画面に大噴射
GO GO GO GO GO GO GO GO GO GO GO GO GO GO GO サンボ
萌えるファットに撮るファット
高い金払ってコーヒー飲んで
店員の前で奇妙な行為
乳乳尻尻うなじ鎖骨足へそ
カメ小の扱いもなれたもん
同業者を叩いてご満悦
強気になりゃいいってもんでもないぜ
300*300キャンパスに
全精力傾けエロ絵描く
それでも戦う奴等は神
2D2DTO3D
ひらぺったいあの娘今や3D
リアル女なぞもういらねえ
肉製のブスと フィギュアレディ
どっちっかっつったら シリコンボディ
こうなりゃ貫け純潔ボディ
近親相姦レッツゴー
大股開きでKOだ
やっぱり僕らはMSX
最強PCMSX
SCREEN7のスプライト
32Kのメインラム
MSX3はまだか
俺は待ってるぜ西和彦
ここにいけば何か見えてくるぜ
ヤオイの姉貴も手ほどきくれるぜ
化粧を覚えてモテ路線
取り戻せ僕らの失楽園
今は少し太くなってる。
プラチナ万年筆から出ているのがなじみがあるやつだと思う。800円くらい。
http://www.platinum-pen.co.jp/softpen_top.html
採点中にインクが切れると今まで覚えていた答えを忘れたり、調子が狂ったりするので2本は持っておきたい。
ペン先と補充用インクも忘れずに。
家で採点しようとして、学校に忘れてきた場合は、ぺんてるのサインペンで代用できる。
黒と赤。できれば速乾タイプ。
教員になって、その日に使う。ひたすら名簿や帳簿にスタンプ押していくので、採点ペンよりも先に買っておくべきもの。
確かそれぞれ1200円くらい。
好きなの買えばいい。浸透式のスタンプは音読カードの確認用として活躍する。子どもたちに使わせるなら浸透式。
忘れた子ども用。最終奥義で貸し出す。持ってこないのが悪いのに、大抵持ってこないのは学力低位な子。忘れたんだから漢字練習でもしろ、と言うとぐんぐん学力が落ちていくので貸さざるを得ない。
クラス規模にもよるけど、3セットずつくらい。これは100均のでいい。分度器だけは左右均等に開くソニックのがよい。
学校用に販売されているシール。量販店で買うと親と被る場合があるのでオススメできない。
大抵200枚で200円だが、キラキラが入っていると50枚とかになる。
業者に電話するとき、「学年費じゃなくて私の個人で買います。」で自分宛に請求が来る。学期末にまとめて支払いで大丈夫。
何でも良いが、中がコルクだとプール指導の時に水没させた時に一瞬使えなくなる。
B4サイズがはいるかごを持っておくと、開いた状態でノート提出をさせられる。
スーパーのエコショッピング用のかごは、職員室から教室の荷物の移動に役立つ。
ノート40冊、プリント120枚、漢字ドリル40冊、全部持って移動とかざらにある。
体育の時に。普通の時に着るのは怠慢というか、子どもの頭が切り替わらない。
座学の時は座学のための服を着る。メリハリを持つ、持たせるのが大事。
ここまではまぁ普通に持っているはず。
そして、他にもいろいろあるけれども、ここから先は持っているとオススメなもの。
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音楽の授業をする時や、合唱曲の練習など、多岐にわたって活躍。どうせチョークの粉で接触不良になるので、安いので良い。
サスティーンペダルも同時に購入すること。
lightning-HDMIのアダプタも買っておく。そうすることで電子黒板につなげる。
SDカードのスロットがついていると、子どもが写真を撮って自分で印刷するという流れができる。
子どもが使えるようにしておくとまたちがう。学級会の話し合いのメモ、理科の観察、体育では動画モード、何でも使える。
複数台そろえておくと班ごとに使ったりできるのでいい。どうせ壊れるので安いので良い。
オススメはオリンパスのVH-510かその後続。価格と性能のバランスがいい。
教室の狭い空間に違和感なくおけるのはSurface。残念ながらMacは教育現場では役に立たない。
校務用パソコンが整備されている学校もあるが、教室に持ち運んで良い学校は少ない。
よって、これ。動画を見せたりするならWiMAXなどの契約をしておくと、校内のLANと分離されるのでオススメ。
というか個人所有のPCはセキュリティポリシーで校内LANにはつなげない。
なごむ。子どもに活躍の場を与えられる。中にはメダカでも入れておけば5年の理科で使える。
他にも色々買ったけど、授業スタイルによってまだまだそろえるべきものはある。基本的に全ての教科を指導するので、全ての教科で必要な用具類はそろえておきたい。
これもまた、特に裁縫セットなんかはどんどんコンパクトになっているので、時々買い換えないと子どもに説明するときに混乱が起きる。
http://anond.hatelabo.jp/20140708201612
SNSは道具だ。
昔は無かった道具で、今は大多数の人がなんかしかのツールを使っている、普及度の高いカルチャー。
その道具をどう使うかは自由だし、どう思うかも自由。
だけど、どんな世代のどの人も、自分が楽しいと思って使っている道具をけなされたら、反発のひとつもしたくなる。
かたくなに携帯電話を持たないお母さんとか。
かたくなにパソコンを使わないお父さんとか。
年賀はがきの宛名をプリントすると「心がこもっていない」と説教してくるおばあちゃんとか。
自分の理解できない文化を「嫌い」というくくりで対処するから、それを使っている人たちの反発がある。
コミュニケーションのとり方が下手なのは道具を使いこなせない側「にも」あるのかもしれない、という視点は常に必要だと思う。
SNSを生活の道具として使う人の目線に立ってみよう。彼らはSNSで連絡が取れていれば「友達」だと思う文化がある。逆にSNSで見かけなくなった人を「最近疎遠だな」と思うようになる。
それがいいか悪いかを判断するのは難しい。だから自分を振り返ろう。
友達を失いたくなかったら、自分から電話すればいい。今度会おうよ、でも、最近どうよ、でも、なんでもいいじゃない。
「えー、会うとか面倒ー」「電話してくるなんて常識知らず」「そういうのはSNSで連絡してよ」
前に「服装がダサい人の特徴と、唯一の改善策(http://anond.hatelabo.jp/20140413020052)」を投稿した増田です。今度はもう少し初心者向けに書きました。
※オシャレになる方法ではなく、知識なしで地雷服を避ける方法です。
・無地の服を着る
柄物やプリントの入った服は一切着てはいけません。チェック柄やボーダー、ツートンカラーも着ない方がいいです。理由はアリかナシかの判定が慣れていない人には難しいからです。でも何故かファッション初心者ほど無地の服を着ない傾向があります。無茶をしてはいけません。なお、下着に着るTシャツは白無地一色で揃えましょう。
・服の色に縛りをつける
具体的に着ていい服の色は、黒、白、灰色、紺色、ベージュ、オリーブだけにします。フォーマルで使われる色+カジュアルで定番のベージュ(チノパンの色)とオリーブ(カーゴパンツなど軍モノの色)です。これ以外の色は着てはいけません。なお、これは服のみの縛りで、靴やカバン、小物類はこれに茶色と差し色(赤や青など、少し派手な色)もアリにします。
(もう一つルールをつけるなら、白は必ず一箇所以上取り入れると良いです。シャツの下に白Tシャツを覗かせるとか、靴底の白いスニーカーを履くとかです。あと当たり前ですが全身同じ色はやめましょう。※上着とズボンは別の色にしてください。)
※黒は積極的に選ぶ色ではないです。ですがアウトドアウェアなどで、他の色が全部派手な場合はどうしても黒一択になります。
例えば赤色は派手なイメージのある色ですが、赤色という括りの中にも中国国旗のような派手な色からワインレッドのように落ち着いた色まであります。どんな色ならアリなのか(肌に馴染むか)選ぶ上で、イメージしやすいのは野菜や果物などの自然食品です。つまり服の色でも、食欲をなくす色(ショッキングピンクなど)を避ければ、地雷な色を選ぶことはなくなると思います。(この例え思いついたの自分ですよ!と匿名でアピール)
なお、差し色は無理して取り入れる必要はありません。差し色をする理由はオシャレというよりはバランス取りです。色を寒色(青から緑まで)と暖色(紫から黄まで)でザックリ分けた時(実際はもう少し複雑ですが)、服装全体でどちらかに寄りすぎない方が落ち着いて見えるからです。(青いジーンズに白のシャツを着ている時にオレンジ色のニット帽をかぶる、赤いTシャツに下にオリーブのカーゴパンツを穿くなど)
最初は服のデザインの良し悪しがわからないと思うので、機能性を目安にしてください。例えばビジュアル系の着る服には、変なプリントがされてたり穴が開いてたりベルトが何本もついてたり安っぽい金具がついてたりします。これらは全て機能性の面では不要です。では何故ついているのかというと、そこには作る人(着る人)の美意識が含まれているからです。この美意識こそが地雷服を選ぶ根本なので、念入りに捨て去りましょう。なるべくシンプルに、機能性を考えて必要最低限なディティール(ポケットとか社会の窓とか)のみの服を着ましょう。美意識は趣味の分野で発揮すればいいですし、服装という生活分野であえて発揮する必要はありません。
・標準体型の人はSサイズを着る
日本人男性だと170cm、60kgぐらいが標準体型だと思います。これぐらいの標準体型の人は問答無用でSサイズを着ましょう(海外のメーカーだとXSの場合もあります)。そして、ここに身長体重合わせて10プラスするごとにサイズアップします。175cm、65kgの人はMサイズ、180cm、70kgの人はLサイズ、という風に選ぶとサイズ選びであまり失敗しなくなると思います。
ちなみにズボンはベルトなしで腰骨に引っかかってずり落ちてこないぐらい、靴は革靴の場合足の実寸そのままor0.5cm大きめ、スニーカーの場合足の実寸+1cm~1.5cmを選ぶとちょうどいいはずです。
※何を当たり前なこと言ってるんだ、と思われるかもしれませんが、上で述べた基本的なルールを過不足なくできている人は意外にファッション好きばかりで、ファッション嫌いの人には少ないです。ファッションにコンプレックスのある人ほど美意識デザインのされた服を着て失敗していることが多いように感じます。
※他人の自由な服選びを否定する気はありません。本人が満足しているならそれでいいのですが、もし「自分の服装変かな?でも何が変かわからない」という人がいたら参考にしてもらえればと思います。
過去の職歴を見て、職種を変えた理由を聞いてくる。
……ん、今回は特定の職種への応募(しかも派遣)だぞ。今回の仕事と何の関係があるんだ? プライバシーに関わる質問じゃないか?
今までに受けた他の面接でそんな質問は一度もされたことがない。
事前に課題を出されて、1週間かけてそれを作って提出したので、仕事内容もそれと同じだと思っていたら、少し違うらしい。
じゃあどんな内容なのか? と質問すると、ニヤニヤした感じで口ごもる。それは企業秘密なんだよね~って感じ。
いやいや、仕事内容がわからなければ、それが自分にこなせる仕事かどうか判断できないだろ。
他の会社では画像をプリントした紙を見せて「こんなのを○週間くらいで作ってもらいます」と教えてくれたぞ。
帰り際にも「どんなパソコンを持ってます?」と意味不明な質問をしてくる。
何なのこの人たち。
結局、不採用。理由は「コミュニケーション能力に問題があるため」。
おいおい、コミュニケーション能力がないのは、仕事内容も伝えられないお前らの方だろ。
当然ながら、1週間かけて作った課題に対しては1円も支払われていない。
初心者向けの株の本にも色々あって悩んだ。文字しかない本、やたらと特定の証券会社を推してくる本、わかりやすいけどちょっと古い本など。
とりあえず特定の証券会社に偏らず、そこそこ図解のある本を買った。
本を買う前にさっくり調べたのだが、株を買うのには証券会社というものの口座が必要らしい。
本をがっつり読む前にまずは証券会社に口座を作ろうと思った。
複数口座つくるのもアリとのことなので、野村証券とSBI証券に申し込みをした。
前者は勤め先の持株会受け渡しに必要なため、後者は評判がよさそうだったため。
SBI証券はネットで口座申し込み後すぐにログインできたので「もう株が買えるのか?!」と色めき立ったがそんなことはなかった。
インクジェットでプリントしたので濡れてにじまないかが心配だ。
ああ!一刻も早く某社の株を買ってスッキリしたい!!
ここ数日某社の株価を見ているのだがジワジワと上がってきている。
本格的に暑くなる今くらいの季節。毎年思い出す。
母親は心配し、せめて脱水症状だけは気をつけるようにと水筒にはいつもポカリスエットを入れて持たせてくれた。
その遠足は別クラスの担任が何故か引率を努めることになっており、それが悲劇を生んだ。
「糖分が含んだ飲み物はすべて禁止。」とか急に言い始めた。
事前に渡されたプリントには一言もそんなことは記載されていない。
「水筒の中身にポカリスエットなどの甘い飲み物を入れてきた人は挙手するように」
この教師はしょっちゅう説教をすることで嫌われている教師であった。
しかし、周りで手を挙げているものはひとりもいなかった。そんな馬鹿な。
前回の遠足では結構な人数がポカリスエットやらジュースを持ち込んでいたはずだ。
説教が始まるのだろうと観念したとたん、水筒の中身をすべてぶちまけてしまった。
そして自分に水筒を渡しながら「次からは気をつけるように」とだけ言った。
その後は語るまでもないが、水筒のない遠足が楽しいはずもない。
自分以外にもポカリスエットやらジュースやらを持参したものは当然いた。
彼らは中身を隠して、上手く飲んでいた。
当日は湿度も高く、汗ばんだのをよく覚えている。実に美味かっただろう。
その担任の信念では「甘い飲み物 = 甘え」であり、遠足には持参することが許されぬ飲み物だったのだろうと思う。
当時も今もそう考えている。
またそれが当時の教育方針の主流だったのかもしれない。
事前説明がない。
なぜ捨てたのか、後々の教訓になるような説明をしない。
自主申告のみで、ずさんなチェック。
あの時、しっかりと理由を説明してくれれば、きっと 20 年以上経った今では思い出すことはなかっただろう。
同じような目にあった人は、当時いたのだろうか。気になる。
もしいたとして、ちゃんとした説明を受けていた方は教えて欲しい。
教師を恨む気持ちはない、ただ納得したいだけだ。
現実問題 中身を実装するとこういうことだよねぇ。
class { bool nullable, bool value, bool operator == (NULL){ if(nullable){ return true; } return false; } bool operator == (bool){ if(nullable){ throw; } if(value){ true; } return false; }
というオーバーヘッドとフットプリントを許容してまでクラス化するようなものなんだろうか?
便利そうだけど すっげぇ 気になる。
C#だからいいような気もするが、 bool演算一つのために 関数コールして ifステートを複数回判定するのはオーバーヘッドが大きすぎる気がする。