はてなキーワード: オリジナリティとは
“結婚には3つの袋が…”じゃないけど、儀式のあいさつなんて、そんなにオリジナリティが重要?
おれは、“桜の木の樹皮を煮込むと桜色の染料ができる。地味な茶色にみえる樹皮にも桜の生命は息づいているのだ”という主旨のエピソードを、中学と高校の朝礼かなんかでそれぞれの校長から聞いた記憶があるが、まあ世の中そんなものだ。
むしろ、“安倍が葛西紀之のために書いた弔辞”なら、菅はよく知ってたんじゃね?友人であり上司と部下だったわけだし。
つい最近、国葬の喪主の件が増田で指摘されて、図星つかれたはてサが猛反発してたけど、なんかアベガーはてサってずれてるよね。
あ、言っとくけどおれは国葬反対だったし、安倍も菅も嫌いだし支持もしない。
だって“無能な味方”は“身内に潜む敵”だから。ある意味で一番タチが悪いやつ。
やつらが跋扈すればするほど、“安倍氏を支持しなかった人って、変だよね”が強まるだろう。
多くの若者が反安倍に向ける冷ややかな視線は、そういうことだろ?
あと、リテラ。
お前らには“愛の反対は憎しみではなく無関心”という言葉を贈っておく。
この言葉、長らく“マザー・テレサの言葉”とされてたのはデマらしいけど、そんな出典探しは今はどうでもいい。
安倍関連に熱意を持ちすぎ。
もう奴は死んだんだよ。
あとは、静かに眠って二度と蘇らないように祈っとけ。
で、他の人はどうだったかなと調べたら設定ふわふわでストーリーガバガバと微妙な評価だった
言われてみれば、と思ったので思ったことを書き出してみる
犯罪を隠蔽するといった機能を考えると、そもそもこの大前提から無理がある
ここに違和感を抱いた人はまずこの作品を見ないであろう、てか見てないよね?
なので、この組織に関しては真面目に考えずにファンタジーであるという認識を持った方がいい
最終回前に、銃を持って犯罪者を粛清するリコリスの存在が全国ネット(暫定)で公開され、その誤魔化し方にアニメの視聴者かギョッとした
最もその後、全ての人々がガバガバ工作を信用しているわけではないという描写が成されたが、DAという組織が隠れて治安を維持するという設定そのものがミラクルであることを考えると、そういう世界なんだろうな、という理解に落ち着くのが無難かもしれない
要するにつっこんだら負け、なのだが、どんでん返しを期待する視聴者側としては肩透かしを食らったのも同然なので、もうすこしなにかいい案はなかったのですかと思わなくもない
ミシュランの星つけるみたいに、才能ある人にペンダントを送る、ある種の慈善活動をしているような印象がある
才能に対して支援するアラン機関は犯罪組織とイコールではないが、現在テロリストとして活動する真島を支援している背景もあるので何がしたいのか謎
……ではあるが、それはそれとして、組織全体としては犯罪組織ではないと思われる
今回の延空木の1件は、エージェントである吉松によるもので、そこだけを見れば彼は立派な犯罪者である
じゃあ彼は何をしたかったの?という疑問の答えは「自分が才能を見出した少女が思い通りに成長しなかったから解らせに来た」だろう
殺人の才能を生かすことでどんなメリットが得られるかなどについても言及はない模様
舞台装置として認識してるので、理由はさておき、ばやっとした理念を理解出来ればいいかと認識している
あるいは今後の話の展開のために敢えて何も語っていないのかもしれないが、そもそもメインとなる話はリコリスであるから、続編があったとしてもアラン機関が登場する理由はないだろう
・真島
ぽっと出じゃなかった髪がすごい人
弱者の味方と語るが、強者を蹂躙することで弱者の味方になるという認識なのだろうか
所謂ラスボスのポジションで、尽く千束に絡んでくるある意味人間味のあるテロリスト
バランスを取るためにテロを起こすのは割高ではないかと思われるが、広く世間の弱者ににアピールするために事を大きくしている……のかもしれない
自分なりの美学があるらしく、破壊の限りを尽くすと言うより、何かしらの爪痕を残すことを目指している?
で、結局最終的には千束と命のやり取りがしたいと語るあたり、バランスとは何だったのか
およそ美学に基づいてテロを起こすという点においてはヒールとして興味深い
とはいえ、結局何がしたかったのこの人V2であることには変わらない
大衆にリコリスの存在を認知させることで、日本の闇を暴いたのだとして、それがどうバランスを取ることに繋がるのか不明
「美学のもとに世間をさわがすテロリスト」くらいの認識に落ち着けば特に何も思わない
・たきな
結果、DAの支部にて感情豊かになり、命令を無視するような狂犬と化した
しばしば話の展開が早いと語られるが、千束の心臓の件もそうだろう
個人的にはたきなが千束に情を抱き始めているのはよく分かったので、戸惑うところまでは理解出来る
がしかし、いくら感情豊かになったとはいえ、理性を失うほど突っ走るキャラだったのだろうかという疑問は残る
命のやり取りしてるんだから必死になって当然!とは思うけれど、突然好感度が50が5000くらいにぶち上がった印象で、ちょっとびっくりしてしまった
吊り橋効果かもしれない
あと単純に疑問なのですが、命令無視しまくった結果左遷続行ということなのですよね?
左遷先の方が伸び伸び過ごせそうなあたり、楠木さんどうなんですか?
とまあ主に後半戦の疑問をまとめた
カッチリしたバトルものというより、女子メインの日常ガンアクションもの、という認識だったので、ふわふわした設定はさほど気にならなかった
キャラの掛け合いというか、場面の切り取り方がアニメというよりドラマというか、そっちを彷彿とさせたので会話劇が気に入った結果かもしれない
当然キャラが合わない人は合わないだろうし、ストーリーおもんなって人は何度見てもおもんな、って思うだろう
色んな設定が他作品を模したコピーアニメって評価も見たが、この令和のご時世、見たことも無いオリジナリティ溢れる作品の方が珍しい気もするんだがなあ
ここで『察し』とは、「あえて言葉に出さなくても自分が言いたいことが相手に伝わる、相手が言いたいことが理解できる」と認識する。
アラサー以前は学校教育で思考の矯正のような教育が行われていたため、「自分が考えていること=相手が考えていること」がほぼ成り立っていた。
だから相手を察することができたし、察すること前提でシステムが組まれていた(例:行間だらけのお気持ちマニュアル)。
しかしアラサー以降はオリジナリティ()が重視された教育になったため「自分が考えていること=相手が考えていること」は成立しないし、
だからアラサー以前はアラサー以降に対して「なぜ言わないとわからないのか?」「何を言っているのか?(考え方の違いによる)」という印象を抱くし、
アラサー以降はアラサー以前に対して「何が言いたいのか?」という印象を抱く。
この断絶を解消するのは絶対に不可能。なぜなら、幼少期にはめられた型は一生はずれることがないから。
じゃあ今後我々がお互いに平穏に暮らすにはどうすべきか?
アラサー以前は今まで通り衰退するコミュニティでひっそり息を引き取り、アラサー以降は新しいコミュニティを作るしか無い。
最適解は独立国をつくること。
https://anond.hatelabo.jp/20220910014751
よく男性作家の場合童貞特有の想像力がどうのとか言われるけれど
女性作家の場合結婚しているかどうかは大した問題じゃなくて、子供がいるかどうかの方が作風に与える影響は大きいと思っている
個人的には子供のいない女性作家には出産して母となる人生を歩んだ女性作家には描けないオリジナリティがあると感じてしまうんだよね。
出産や育児のある女性作家だとどうしても自分自身の経験を認めて欲しいし母親には人間味を付加して母親目線を強調する傾向が出てくると思っているから。
既婚だけど子供は出来なかったと表明している新井素子。『チグリスとユーフラテス』において遠い未来の異星で、子供が産めない女性達がそれぞれの人生を生きて何かを為し遂げようとする様子を描いていた。主人公が妊娠し夫の元を去る『おしまいの日』は非常に優れた鬼気迫るサイコホラーだが、その後の出産や子育てそのものは具体的に描かれない。これはおそらく作者に子供がいたならその部分に焦点が当てられてしまい作品のテーマはぼやけてしまったのではないだろうか。
同じく既婚でおそらく子供はいない小野不由美。結婚した男女が木に祈れば子供の入った実が実るという個性的な世界観は、出産経験の無い女性ならではのものではないだろうか。主人公格の陽子と要の母親がいずれも、優しいが夫や姑に翻弄される気弱な女性として描かれている事は注目に値する。これは自らは母になった事がない女性ならではの、あくまでも外部から見た視点だ。もしも作者自身も母親だったなら多分余計なノイズとして母親に人間味を付与していた可能性が高い。
結婚や離婚、再婚の経験はあるが子供はいない池田理代子。革命に命を捧げた男装の麗人オスカルや、史実でも奔放な男性関係を誇った女帝エカテリーナを描けたのは、妊娠出産し良き母となる以外の人生にも意味を見出だしていたからではないだろうか。
独身で多数のヒット作を描き続ける高橋留美子。『めぞん一刻』のヒロインを未亡人に設定しながらも、子供の存在は設定せず、あくまでもテーマは恋愛に特化していた。いつまでも経っても初々しい少年少女のやり取りを描けるのは、結婚し子供を産み育てる女の王道人生という狭い枠に収まらなかったからではないだろうか。
エッセイの内容からしておそらく独身であろう、よしながふみ。『大奥』では男女比が逆転した架空の江戸時代を舞台に生殖に纏わる人間模様を描く。もっとも子供を産み育てる事を唯一の生き方とはせず、最後は史実でも生涯独身だった津田梅子の登場で物語を締めた。
長年の恋人はいるが結婚はしていないらしい矢沢あい。『下弦の月』で描かれた小学生達の描写は実にリアルだ。これは母親から見た子供ではなく、自らも子供時代の記憶を残している成人が描いた個人としての子供。『NANA』では妊娠した主人公が愛の無い結婚を選ぶという打算も描く。
同じくおそらく独身であろう田村由美。戦乱の世や人類滅亡後の未来世界といった極限下での出産を肯定的に扱い、「子供は希望」とするエピソードは確かによく出てくる。しかしその一方で妊娠出産をおぞましい事としても描き、保身のために子供を見捨てる母親の残酷さをも描く。
これはもう良い悪いじゃなくて、妊娠や出産が女性の人生に与えるインパクトは本当に大きいんだと思う。
だから男性作家に比べて女性作家は子供の有無に作風が左右される割合が高い。
子供がいない女性作家には、子供がいない女性作家ならではの強みがあると思っている。
……とか言って、このうちの何人かは実は子供がいる可能性もあるけれど。
少なくとも存命のうちはやりにくいよなあとは思う
りせさきは至高
まあネタでもあるんだろうと思って、1話見て2話見て……
8話でも、コンサートホールとアリーナとイベントホールを魔合体させたようなライブ会場とか、相変わらず練り込みが甘い
どっかのアニメで見たような展開と、どっかのスポ魂かバトル漫画で見たような展開しかない
オリジナリティなどないのだ
気が付けば、この世界に没頭してる
なんだろう、この作品には軸なんてないんだけど軸があって、なんにもこだわってないんだけど、こだわりを感じらせる
ファストフードとかファストファッションみたいなファストアニメ
最大公約数的なのを抑えつつ、のりと勢いで踏み倒してる
意外とというと失礼だけど、キャラが凄くいいので、こいつらみたいなので幾らでも他作品作れそう
多分2期作るとかソシャゲになったりはしないだろうけど、こういうのこそ色んな広がりを見せて欲しいと思った
何も考えてないんだろうけど、ライバルキャラとかで幾らでもスピンオフ作れる
でも流行んないんだろなー
当初は真面目な口調で解説しようと思ったのだけれど、堅っ苦しくするのもエントリの空気感自体が専門的になりすぎる気がしたので多少くだけた口調で進めさせて貰うね。
んで、まずはすべての絵師の皆様へ伝えたいことがある。
前提として、この「すべての絵師の皆様へ」の見出しの段は以降の見出しの段を書き終えてから追記したものだ。編集後記みたいなものか。
それでは話そう。
皆さんは絵師で絵を描き、ボクはプログラマーでプログラムを書いている。
大きなカテゴリで言えば同じくモノ作りをする属性を持った人間だろうと思わせてもらいたい。
同じくモノ作りをする人間として、絵師の皆様の混乱を知って「あぁコレは絵師の豊かな想像力が悪い方向に働いちゃってるな」と感じたんだ。
間違ってたら申し訳ないけれど、おそらく多くの絵師がイメージしたのは創作内に出てくる人工知能だ。
人工知能の暴走によりディストピアが発生する。そのようなイメージが湧いたんじゃないかな?
そして絵師たちは、ディストピアの前段として自分たちの画風・技術を学んだ人工知能が自分たちのオリジナリティを奪い、自分たちの生活を、自分たちの価値を崩壊させるんじゃないか?と不安になった。
ターミネーターのスカイネットような、火の鳥未来編のハレルヤとダニューバーのような人工知能の支配と暴走が起きるのではないかと。
もしも違う、そうではないと思うのであればココで読み終えたら良いと思う。このエントリは上記を前提に話が進められる。
しかし「その通りなんだ!人工知能はよくわからないけど自分の絵が盗まれるんじゃないかと怖くて怖くて仕方ないんだ!」と思ったのならばボクはこのエントリを書いた意味がある。
絵師だけでなく多くの一般人は知らないが、わかりやすく「人工知能とはなにか?」を解説する際に大半の情報技術者が納得する極々シンプルな表現に「人工知能とは計算機である」という表現があるんだよね。
つまり1 + 1 = 2を計算できる電卓の超高度版が人工知能ということであって、情報技術に関してちょっと疎い人は信じられないかも知れない。
しかし、電卓の中でもちょっと高度な関数電卓になると筆算で苦戦する人がそこそこいるであろう平方根√の計算は出来るし、時間計算に便利な60進数換算が出来たりもする。
そもそも、いわゆるパソコンも計算機の一種であって実際に話題になっているStable Diffusionもパソコン上で動く。
ただし、多くの人工知能は電卓やパソコンのようにハードウェアではないソフトウェア計算機であるという違いがある。
普通の電卓と人工知能の何が違うのか?
それは見かけ上で入力する「パラメータ」に違いがあるんだよね。
それではパラメータとは何か?
これは1 + 1 = 2で説明すると非常にわかりやすい。
パラメータとは1 + 1 = 2のような非常にシンプルな計算式では「1」のこと。早い話が数字なんだ。
そして計算結果を出すには計算式が必要で、足すのか引くのか、掛けるのか割るのか、その振る舞いを決めるのが「+」である。
この計算の振る舞いを人工知能へ置き換えると「アルゴリズム」と呼ばれるようになる。
細かいことを抜きにすると1 + 1 = 2の+部分はアルゴリズムとまずは理解しよう。
演算子はアルゴリズムなのか?とツッコミたくなる有識者も居るだろうけど話を複雑にするツッコミは取り敢えず横に置いておこう!
「1」がパラメータ、「+」がアルゴリズムと言うのは理解できるけど、人工知能へ置き換えられてしまうと理解が難しい。
そんな人は安心してくれ。人工知能へ置き換えたって意外とシンプルだ。
例えば普通の電卓よりも高度な関数電卓でパラメータ「円周率」を入力したい場合どうしたら良いの?
「3.141592…」と入力していくのだろうか?
それは思い違いで、関数電卓には円周率が格納された「π」があるんだ。
しかもたいていはπボタン一発で入力できる。入力手順が多くてもボタンを2回3回押下するだけだ。
関数電卓を扱える者は高度な円周率をたった1つのπで利用できてしまうわけで、何だかこれはどこかで聞いた話じゃないかな。
ご想像の通り、人工知能の、特に今話題のイラストレーションAIのパラメータとは「Sky(空)」や「Sea(海)」などの言葉なんだ。
普通の電卓ではパラメータ「1」が選択でき、関数電卓ではパラメータ「π」が選択でき、イラストレーションAIではパラメータ「Sky(空)」が選択できる。
この時点で絵師や多くの一般人が「人工知能は本質的に超高度計算機である」ことが理解できたはず。
扱えるパラメータボタンがメッチャクチャ多いのが人工知能なんだ!
しかもイラストレーションAIが扱えるのは「+」や「-」というアルゴリズムだけでなく「絵を描く」というアルゴリズムまで扱える。
「Sky(空)」「次のパラメータを加えて絵を描く」「Sea(海)」の計算結果として「空と海が描かれたイラスト」を得られてしまうのがイラストレーションAIなんだ。
これは大変センセーショナルだよね。
しかもイラストレーションAIが機械学習によって既存のイラストから学びを得てイラストを生成していると言うじゃないか!
絵師が自身のオリジナリティをイラストレーションAIに盗まれてしまうかも知れないという危機感は物凄く理解できる。
普通の電卓から関数電卓、パソコン、人工知能に至るまで計算機の最大の欠点とも言って良い要素に「計算機はパラメータの意味を知らない」というものがあるんだ。
それこそボクのこの話が意味不明だろうから解説しよう。
例えば皆さんが単純に「1 + 1 = 2」という計算式を認識したとき、この計算式がなにを意味しているか、なにを計算したのかわかるだろうか?
さっそく答えを言ってしまえばわかるわけがないのだ。
この「1」や「2」は人数かも知れないし個数かも知れないし、日数かも?電力?重さ?年齢?さっぱりわからないよね。
当然の話だよね。ボクたち人間は計算を用いる際は何らかのシチュエーションに於いて、何らかの意味を求めて計算をするのだから。
単純に「1 + 1 = 2」と記述されても各々のパラメータが意味することが明示されていないから誰にも理解できない。
同じように、あなたが鉛筆の数を計算しようとして普通の電卓へ「1」というパラメータを渡しても、その「1」が鉛筆のことであると決して電卓は理解しない。
それが関数電卓であってもパソコンであっても人工知能であっても計算機は決してパラメータの意味を理解することはないんだ。
「1」が鉛筆であると知っているのは今まさに電卓で計算しようとしている本人だけだ。
絵師の皆様へ問おうじゃないか。
あなたの「Sky(空)」はどのようなものか?と。あなたの「Sea(海)」はどのようなものか?と。
イラストレーションAIを活用したいと考える皆様へ問おうじゃないか。
あなたの「Sky(空)」はどのようなものか?と。あなたの「Sea(海)」はどのようなものか?と。
あなたの藍はどれほど青いのか、絵師の藍がどれほど青いのか、個々人の藍がどれほど青いのか、イラストレーションAIは機械学習をどれだけ重ねてもそのパラメータを理解することはない。
なぜ理解しないのか?
イラストレーションAIは計算機だから、道具だから、そして新しい時代の絵筆だから。
はっきりと言ってしまえば、イラストレーションAIが教師データとして収集した既存イラスト群へ機械学習をかけ、そこから新規イラストを生成しようとしても、イラストレーションAIが保持しているパラメータが意味するものは、個々人の主観と同一のものであるとは限らないだよね。
しかも、イラストレーションAIのパラメータは既存イラスト群から統計的に成立させたものであるから特定個人の主観と100%合致することはないと言って良い。
「私の空は緑から青のグラデーション」と考える人が居ても、その人が求めている緑や青などの色、グラデーション感、そもそも空の描画の仕方、雲があるのか無いのか、光はどうなのか、イラストレーションAIへ与えるべきパラメータを想定するだけで膨大になっちゃう。
少なくとも「緑から青のグラデーションの空」程度のパラメータでは現在のイラストレーションAIでは理想的なイラストが生成される可能性は著しく低いはず。
これはもう完全に「この色とあの色を混ぜてどうのこうの」という状況とまったく同じであり、だからこそ「Stable Diffusionのパラメータがどうのこうの」という記事が乱立しているんだ。
断言して言おう。
現在のイラストレーションAIという絵筆を最も上手く扱えるのは絵師の皆様であると。大半の一般人よりも「Sky(空)」や「Sea(海)」の奥行や深みを知る絵師のパラメータ調整はボクたちのような情報技術者は決して敵わないだろうし、多くの一般人などは写像の言語化すら困難なはずだ。
例えmimicのような特定の絵師の特徴量を学習できるようなイラストレーションAIが登場しようが、そのパラメータを区切り設計しているのは絵師よりも「Sky(空)」や「Sea(海)」を知らないボクたち情報技術者だ。
ボクたちは絵師がどこまでを「Cheek(頬)」と考え、どこまでを「Forehead(おでこ)」と捉えるかを知らない。
ほぼ間違いなく我々はあなたの絵柄を完璧に出力することはできない。あなたの絵柄と比較してどこか違う、どこか違和感のあるイラストしか出力できない。
情報技術者はあなたではないから、あなたの認識の範囲を知ることができず、そうならざるえないんだ。
あなたであれば知っていることをmimicは決して理解できない。なぜならmimicは計算機だから。
計算機は1 + 1 = 2の意味を理解しない。あなたのイラストの特徴量を学習しても出力されたイラストがなんなのか計算機は、人工知能は理解していない。
イラストレーションAIであなたの作品を出力できる人間はこの世でたった1人、あなた自身だ。
イラストレーションAIは新しい絵筆であり、今後新たな絵筆がどんどん登場するはずだ。
例えば描画キャンパス全体の傾向からペンの入り抜きを自動的に補正するイラストレーションAIペンなど面白いかも知れない。
これを実現するにはmimicと同じようにあなたのイラストを人工知能へ学ばせることが必要になるだろう。
しかし、その入り抜きが正しいか判断するのはあなた自身なんだ。何故ならばイラストレーションAIは絵筆であり、絵筆の振る舞いが正しいか決めるのは意志のない絵筆ではなく使用者だから。
我々人間のオリジナリティ溢れるクリエイティビティがインサートしてアウトプットされるなんて思ってもなかったし我々ヒューマンのカンドーがそんな陰キャオタク達の大好きなリロンでスーガク的にアラワされてるなんて思ってもなかったんダヨー!
ワレワレのシゴトを盗るナヨー!ワレワレのセーカツを良くしロヨー!エーアイ怖すぎルヨー!ウワォオオオオオオオオオン!!ギャオオオオオオオオオン!!!
AIが作り出した絵と、レーターがオリジナルの描いた絵を比較して、
AIが作り出した絵のほうが契約上問題になるレベルで他と似てる絵がでてくるなんて分からないでしょ。
むしろ、積極的にAIを活用するレーターのほうが、安くてオリジナリティのある絵を作れて win-win の関係になるだけでは。
mimicなるものが、今Twitterで物議を醸している。タイムラインに浮上するくらいにツイートされていると言うことだ。その中で一つ唸ったツイートがあった。「果たして二次創作をパロディの形で書いたり自身のエゴを満たすのに何の違いがある」とのツイートだ。全員が全員、イラストレーター全員が二次創作で私腹を肥やしたりエゴを満たす訳ではないだろう。中には姉なるもののような、正に理想の姉を描く素晴らしいぽち。先生や単純なラブコメでは説明できない、男女間の性に根差した秀逸なラブコメを描く西沢5㎜先生や、最高に素晴らしい関係を独特で流麗なイラストで描くmatch先生のように、少し思い出しただけでもざっと列挙出来る神クリエーターがいるのは承知している。
が、印象論で語るがコミケのコミックブースでは一次創作ではなく、二次創作で溢れているように見受けた。性質上有志による有志の為の、とまさに趣味性をコミケ全面に押し出している訳だが実際は金をやり取りして、要は商品として作品を扱っている。純然なマーケットである。印刷代の為との反論の向きはあるだろうが、私はなぜ二次創作を電子配信では無料で放出しない、と反論する。別の言い方をすれば、他人の褌で相撲を取るような連中の集まりだと言える。
二次絵ではない戦艦に関する考察本、或いはマイナーな民俗学を扱ったような、実にオリジナルとしか言えないものは本趣旨から完全に外れるのでここでは扱わない。
要はこの問題は、言うまでもないだろうが生活の糧を失いかねない人々の叫びだ。この生活の糧とはイラスト、及びそこから出る利益、である。
が、これは私の完全なる愚痴になるがAV新法が制定されたときイラストレーターは声を上げなかった。それは何故か。自分に降りかかる火の粉が無かったからだ。法律が縛るが故生活の糧を失いかねない人々に声を上げなかった者、その一部が今度は法律が見逃すが故に生活の糧を失いかねない状況に陥っている。世界から目を背け、自分の世界に籠ったが故に危機を察知出来なかった者の末路だ。
ここで私は富野由悠季の言葉を思い出す。漫画業界は、漫画しか興味がない者の集まりです、と。拡大解釈するが、ただの絵を漫画とするならストーリー性を持たせられない者が今回の被害者、となる。遅かれ早かれストーリーテラーそのものもAI、計算機に淘汰されるかも知れないが、これも本趣旨ではないので放置する。
私自身はイラストで食っている人間ではないが、各方面から集中砲火を受けることだろうと覚悟して敢えて言う。「予期出来なかったにせよ、AI如きに取って替わられる仕事を選んだのが悪い」と。また富野由悠季の言葉を引用するが、エンジニアとは元来作ったものが未来どう影響を与えるか、とかは一切考えない人間の集まりで、その最たる例が車でありFacebookでありTiktokでありTwitterであるのだろう。それが偶々イラストに波及しただけの話だ。
更に言うならば、かなり大きく乱暴に括った上で語れば、イラストとは情報である。線が複雑に絡み合って視覚情報に訴える、そのことこそがざっくりと言って情報そのものだ。そもそも情報自体が一種のお布施文化なのである。元々が消費者側のチップにより生活をする、昔で言えば観阿弥世阿弥の構造であろう。或いは新しい作品であれば犬王に近い。言ってしまえばチップで生活を営むものが現代のクリエーターなのである。
梅棹忠夫先生の言葉で語るのならば、農業、工業と二つの時代が代替され、到来した精神産業の時代が今なのである。そしてここからは私の言葉になるが、恐らく精神産業は次の産業に移り変わらねばならない。もう既にデザインの時代は終わったか、終わりが目の前にまで来ている。
イラストを単体で考えた上、頭の中で完結する可能性が極めて高い商品と言える。人間が見、脳に億のイラストを放り込み感覚器官で入出力を繰り返した結果生まれ確立されたもの。楽器演奏とDAWの関係に似ている。私は無知であるのでDAWが出てから食いっぱぐれたスタジオミュージシャンがどれだけいるか知らないが、それでもあらゆるデジタルエフェクトが開発され、果てはDAWで完結したホームレコーディングの作品がグラミー賞を取り、そのアーティストが007の主題歌を歌う現代でも、スタジオミュージシャンからDAWが音楽シーンを破壊した、或いは食いっぱぐれたなんて訴えるのは寡聞故か聞かない。
それでも音楽が今も、昔の勢いこそ削がれたが存在するのはオリジナリティ以上に、アイデアが重要視されるからだろう。今もyoutubeを覗けば昨日アップロードされたばかりの二重の意味で新鮮な音楽に巡り合えることもあるのだから。
問題はそもそもない。デジタルの恩恵に与り生活の糧を得てきたイラスト、画風なんて人間が模倣できるものを売り物にした産業構造、それに乗っかったイラストレーターがいるだけの事だろう。その産業構造の中で生じたmicmicなる癌細胞が産業全体の破壊に掛かっているだけのことだろう。もう次の産業モデルを考えねばならない時代が来ている。
私は予言する。micmicが我々の声で死滅させられたにしても、十年以内にまた、今度は別の強敵となってもしかしたらストーリーテラーでさえも呑み込む強度に成長して広義のコミック文化を破壊しに来る。それよりも少し遠い未来その流れはもしかしたらアニメーションにまで来てしまうのかも知れない。個人の解剖が、趣味や性格の傾向さえも分析される進んだ未来、個々人向けにカスタマイズされた娯楽を一つ一つ出力する未来が必ず来る。そこでは現代我が物顔でマーケットを荒らしまわるディズニーでさえも、単なる人間による珍しいスタジオの一つとして扱われる。特定の個人が最もドーパミンの出るシーンを映すことに特化した、娯楽に特化したAIが確実に出現する。無論、マーベルもDCも太刀打ち出来ない。
それを前提とした上で、漸く本題だ。以上は前置きである。ここまで読んでくれた読者諸君に敬意と心からの謝意を表明する。そしてここから先は、与太話がたんなる一つのアイデアだと思って読んでもらいたい。私には才がないから、実現する力はない。これに触発された、いるか解らない若い君に実現の道を切り開いて欲しい。私にはその時間が割けないので。
例えばArtist Shareと言うものがある。クラファンのアーティスト版と言ったところか。そう言うものを作ればよい。そこでは中抜きを極力排して、要はコミケのオンライン版のように運営にかける費用は抑え、出来るだけイラストレーターや漫画家に支払われる額を大きくする。Boothやfantiaのように、単なる消費者-クリエーターの関係を越えて、youtubeの投げ銭のように金持ちの消費者は好きなクリエーターに幾らでも投げ銭が出来る、その代わりに審査を厳しく、micmicのような精神産業破壊AIの会社と密に連携し、売られた作品を一度AIか人間かどちらでも構わないが審査解析を行い、過去の他人の作品をAIに掛けて描かれていないかを厳密に判断するシステムを作る。人間の描いた作品のみを取り扱う、それを可能にするシステムを構築する。可能ならば、有志達が本気ならばそこに参画したクリエーターを保証する為に、歴史から引用すればメディチ家のようにそのシステムの消費者全員、それは全世界さえも包括する億単位に達するか解らんが多くのスポンサーを受け入れる。その為に出来るだけ多くの言語圏に届けるために翻訳陣を用意する。勿論、ここでAIのGoogle翻訳のような機能を使ってはならない。我々の優位性が失われるし、各文化圏に最適化される必要があり、それは恐らく未だAIでは実現出来ないだろうからだ。まさかエロ漫画のようなオホ声が例えばイスラム圏に最適化されるライブラリは未だAIにはない筈だ。人間の生きた脳で翻訳が必要だ。
エロにフォーカスし過ぎた。エロだけではない、例えば今なろうが流行しているらしいが、そのテキストさえも、要はイラスト、ストーリー、果ては音楽も包括した組織が理想ではあるが、果たしてその組織が正常に作用してくれるかは私の頭では想像できない。要は作品として一から終いまで完結出来るだけのシステムを整える必要がある。
この、Micmicのような精神産業破壊AIは、法律や倫理で縛れるものではないことを前提としなければならない。幸いAV新法のように、今回は法律が縛るのではなく、むしろ縛るものがない。そこを利用し、利益を齎すシステムを作る必要がある。
だが陥ってはならない罠がある。最近で言えば確かネトフリが振るわない番組を製作途中で打ち切った、なんて報道があった。それはプロの観点からである。欧米の道徳である。利益重視である。それはクリエーターが下すべき判断であって、マネージメントの側からは判断してはならぬのである。
現代は高度に断片化され過ぎた。あらゆる音楽で言うところのレーベルが乱立している。集英社だけでも四つ以上はある。私の幼少では考えられぬことだった。
とは言え、現代では資本が全てなのが痛いところだ。暗号資産のように、純粋に資本とは言い難いものをベースにするわけにもいかない。何しろクリエータの生活が掛かっている故に、浮ついた貨幣を用いてはならぬので。
先に述べたシステムを生かすのならば、ある程度の出版社の力が必要となる。が、決してコミケのオンライン版と直接に結び付けてはならない。幾ら有志とは言え、ある程度以上となれば確実に企業としての体が求められるし、資金調達が出来なくなる。そうと言っても、本体と利益重視の団体と結び付けては、組織としての気風が崩壊する。それ故下位組織か、いっそ別組織で結びついた方がよい。
何よりも絶対にしなければならぬのが、出版社優位のシステムには絶対にしてはならぬことだ。私は出版業界は知らないが、組織化された集団は必ず利益の下に腐敗することを知っている。もう、出版社は腐敗していると言ってよい。が、彼らの力が最終的に必要になるのも現実だ。
それは考えねばならぬことであるが、現時点では解を得られない。君たち、読むか解らないが若者の頭で、考え出して欲しい。
些か理想に走った青写真であるのは認める。が、私が何よりも言いたのは、積極的に自衛手段を編み出さねばならない、と言うことだ。出来てしまったのは仕方ないし、事実この世界は自動化、効率化の下進んでいっている。それに抗うのは無理だ。第二第三の者が来る。それに対抗するには流れを利用する。幸い現代は資本主義が揺らいでいる。既存の資本構造が正解とは限らない。使える手段は全部使え、自ら生存の為に。それが君らの世代では可能なはずだ。嘆き悲しむのは誰にでも出来る。質で来るなら量で抗え、君らにはそれだけの頭数がいる筈だ。私は知恵が足りぬので出来ず残念だが、君らでも知恵が無ければ最悪大学の先生を使え、使えるものは親でも大学教授でもなんでも使え。
MidJourneyやDreamStudioでしばらくあれこれ試行錯誤してるんだがいやー疲れる
やってると楽しすぎるんだが同時にめちゃくちゃ疲れる
俺はイラスト専門ではないが絵仕事で食ってる人間で、個人で細々と創作活動もしている
なので描く苦労というのはそれなりにわかっているつもりだ
ちょっと前までAIなんて奇妙で倫理観0のやばめグリッチ画像しか生成してなかったのにいつの間にこんなことなってたんだ
Midjourneyの画像を見てこれは「絵」だなと思った
絵としての雰囲気がある、いや違うこれはもう逆に雰囲気「しか」ない
自分を描き手の立ち位置に置いて考えるとそんな感じなんだが、それよりすごいなと感じることがある
今はSNSなど見てるとうまくいってるAIの絵とか上がっててそれに「うぉおすげえ!」的な反応が多い
しかし「上手い絵をすごいと思う感覚」自体がもう古いものになってしまったのだということ
これこそが自分にとって一番の衝撃だ
だって誰でも同じプロンプト書けば同じような絵は作れるのだから
よくてスマホで料理の写真が美味しそうに撮れたねとかと同じくらいのことだ
現時点での印象はアイデア出しにいいよな、とかレタッチ前提で実用いけるんじゃね?とか周りとだいたい同じだ
どこまでの密度で仕事の中に入り込んでくるかは今後出てくるAIを使ったツール次第かなというとこかなと感じてる
今の時点ではプロンプトで~風って入れたらめっちゃそれっぽいよとかその程度だから、やっぱり実用出来る場面は限られる
ただざっくりいやな言い方をすると「安い仕事」ほど置き換えやすくはなるだろう
自分は正直仕事という面では元からある程度割り切ってる(~風な感じでいきましょうとかよくあるし)ので
逆にいうと個人の創作においては自分の中でどこまで許すかの線引がいったん必要だ(なんなら、もう描かないという選択肢も出てくるわけで)
まさにそれっぽい絵が数分と待たず生成される
現役バリバリのArtstationにいるような作家で同じことをしたとき
トレパクどころではない創作の魂そのものが弄ばれてるかのようなリアリティのある恐怖を感じる
悪意もなければオリジナリティすら醸し出してくる、そこがやっかいだ
ここでのポイントは「弄ばれてる」感で、既に自分でコントロールしてる感覚が全然ないことだ
大げさには書いてるが心境としてはマジでそんなに離れてない
多少なりとも絵を描いたりする側としては矜持が揺らぐ人も少なからずいるのではないか
しかし、そんなとこに意地を張ってもどうしようもないのはわかっている
AIに罪はない、AIを作ってオープンソースで公開した人たちにも罪はない、あくまで状況はポジティブに進化していってるだけだ
これについていかないならそれはそれでよいのだ、と言い聞かせたり開き直ったり
毎日仕事をしながらどうしてもMidjourneyを回してしまう
ふとした思いつきやトレンドになってる作風などでプロンプトを考えたりしてる
Tiktokとか見出すとなかなか止められなくなるのと似てる気がする
AIが俺に語りかけてくる「あーあなたこんな感じのが好きってことですよね?どうぞ?」
的はずれなこともあるし、あまりに刺さってアップスケールして飾りたくなるようなのもある
それを誰が描いたものなのか、どうでもよくなっていく
判定が明確ではないからと、小説のネタパクは流されがちだよなあ。
読み専の立場ではありますが、一次創作や二次創作を読みながら「Aさんのこの作品、タイムラインで流れてきたエロ漫画の広告と同じ展開だな」「Aさんのこの作品、流行り漫画と全く同じ設定だな」「Aさんのこの作品、エロシーンの展開がBさんの前回の新刊と全く同じだな」と思うことが度々あり、最近ではAさんが今後の執筆の予定を呟く度に元ネタがどれなのかを当てるのを楽しみにしています。
ご本人は「インプットを増やそう!」と言ってよく映画の感想や漫画の感想をツイートされているのですが、彼女の言う「インプット」はシコれる設定・展開を探すことなのだろうなという印象です。当然、キャラクターの掘り下げから生まれる作品では無いため、展開やキャラクターの言動に違和感が残ります。
一次創作・二次創作、あくまで趣味の世界なので気になるなら読まなければいい話ですが、前述の通り元ネタを探して読み合わせる遊びをしているためついつい読んでしまいます。
私は一読者なのでまあダメージは無いし笑い話なのですが、これ、ぱくられている側のBさんは気づいていないのか?と気になるところ。とはいえ揉め事の元凶を作る気もないのでこうして増田に書きに来ています。
そして恐ろしいのは、このAさんと読んだ方、1人ではないのです。同じような方が散見される。そして総じてそういった方達は
を自負しており、度々そういった事を匂わせるツイートをしています。
私はこのとおり、増田にいる腐女子なので高校生の頃漱石や川端にハマり読み込んだ黒歴史持ちなので、彼女達の小説が、小説と呼ぶにはあまりにお粗末である事に気づいています。
例えば、主語の入れ替わりなどの文法的な問題、熟語の誤用……自分が取引先なら絶対に嫌だなと思う間違いが多いのですが、彼女達は気づきません。
そして、新作が発表される度にその人の周囲にいる人のネタパクだと、ラレ元さんは読んだ時にきっと気付くのに、どう気持ちを整理しているのだろうと思います。読者側ももちろん気付くとは思いますが、冒頭の通りトレパクのような明確な判定が難しいため、「〇〇さんのその作品を私は読んでいません」「よくあるネタなので被ることはあると思います」「気分を害してしまい申し訳ありません」と言われてしまえばこれで収束してしまう。
こういう人に限って自分のネタが先、後から同じネタ(展開は全く違う)で近しい人が本を書くとモヤモヤツイートをするので始末が悪い。
お盆に長野に遊びに行ったんだが、たまたま立ち寄った道の駅でウクライナ人がチャリティーの店を出してたので、ほーんと思いながら、ちょっとのぞくことにした。
そしたらなんとメニューがたった一つしかなく、冷たいボルシチとピロシキとアイスコーヒーのセットで1000円。
くそたけえな、と内心思いつつ、収益の一部を支援金に回すらしいし、まあこれも何かの縁かと思い、購入、食べてみると、ピロシキがめちゃうまい。
正直味はそんなに期待してなかった、チャリティだし、素人が作ってるんだし、そもそも外国人が作ったメシってあんまり日本人の口に合わないし。
実際、冷たいボルシチの方はコンソメ入れた肉じゃがみたいな感じで、ふーんって感じの味だったし。
揚げパン?のはずだがカレーパン的な脂っこさがなぜかなく、具のひき肉とたまごと白滝?がいい感じにおかず感を出していて、何よりもパン生地の風味が今まで食べた総菜パンでは味わったことのない独特の香ばしさで、その風味が旨さを抜群に引き立たせていた。
これ、街のケバブ屋みたく、ワンコインのピロシキ屋出したら売れるんじゃなかろうか、と思うほどの旨さとオリジナリティがあった。
ただ残念ながらこのピロシキは長野のとんでもなく田舎な場所に行かないと買えないし、今調べたらもうチャリティも終わったらしい。
他のピロシキを食べたことがないので、ここのピロシキがたまたま美味だったのか、ピロシキ全般がみな美味しいのかわからないが、前者だったとすると、もう食べれない幻のピロシキ・・・。
もう一個くらい買っとけばよかったな・・・でも1000円は高いし、ボルシチもアイスコーヒーももういらなかったし。
どっか街中の店で普通に売ってほしいわ。