2022-09-19

平穏暮らしたかったら、世代間で断絶するしかないよね

『察し』の文化限界がきている

ここで『察し』とは、「あえて言葉に出さなくても自分が言いたいことが相手に伝わる、相手が言いたいことが理解できる」と認識する。

アラサー以前は学校教育思考矯正のような教育が行われていたため、「自分が考えていること=相手が考えていること」がほぼ成り立っていた。

から相手を察することができたし、察すること前提でシステムが組まれていた(例:行間だらけのお気持ちマニュアル)。

しかアラサー以降はオリジナリティ()が重視された教育になったため「自分が考えていること=相手が考えていること」は成立しないし、

その教育世代はそれが当たり前として暮らしている。

からアラサー以前はアラサー以降に対して「なぜ言わないとわからないのか?」「何を言っているのか?(考え方の違いによる)」という印象を抱くし、

アラサー以降はアラサー以前に対して「何が言いたいのか?」という印象を抱く。

この断絶を解消するのは絶対不可能。なぜなら、幼少期にはめられた型は一生はずれることがないから。

じゃあ今後我々がお互いに平穏に暮らすにはどうすべきか?

アラサー以前は今まで通り衰退するコミュニティでひっそり息を引き取り、アラサー以降は新しいコミュニティを作るしか無い。

最適解は独立国をつくること。

アラサー以降はもう日本というコミュニティを捨てるため、日本政府から国としてのお墨付きをいただく必要はない。

老害政府中指を立てて、ぬくぬく独立国暮らしていけばいい。

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