ここで『察し』とは、「あえて言葉に出さなくても自分が言いたいことが相手に伝わる、相手が言いたいことが理解できる」と認識する。
アラサー以前は学校教育で思考の矯正のような教育が行われていたため、「自分が考えていること=相手が考えていること」がほぼ成り立っていた。
だから相手を察することができたし、察すること前提でシステムが組まれていた(例:行間だらけのお気持ちマニュアル)。
しかしアラサー以降はオリジナリティ()が重視された教育になったため「自分が考えていること=相手が考えていること」は成立しないし、
だからアラサー以前はアラサー以降に対して「なぜ言わないとわからないのか?」「何を言っているのか?(考え方の違いによる)」という印象を抱くし、
アラサー以降はアラサー以前に対して「何が言いたいのか?」という印象を抱く。
この断絶を解消するのは絶対に不可能。なぜなら、幼少期にはめられた型は一生はずれることがないから。
じゃあ今後我々がお互いに平穏に暮らすにはどうすべきか?
アラサー以前は今まで通り衰退するコミュニティでひっそり息を引き取り、アラサー以降は新しいコミュニティを作るしか無い。
最適解は独立国をつくること。