はてなキーワード: きぬとは
自衛隊の全身である保安隊の根拠法である保安庁法(昭和27年法律第265号)においては,一定の官職については幹部保安官又は幹部警備官の経歴を有しないことが要求されていた。なお,同法の政府原案では,これらに加えて旧正規陸海軍将校の経歴も欠格事由とされていたが,議論の結果,削除された。
保安庁法(ほあんちょうほう)
(長官官房及び各局の職員)
第十六條⑥ 長官、次長、官房長、局長及び課長は、三等保安士以上の保安官(以下「幹部保安官」という。)又は三等警備士以上の警備官(以下「幹部警備官」という。)の経歴のない者のうちから任用するものとする。
この欠格事由が設けられた趣旨については,第13回国会参議院本会議(昭和二十七年七月二十五日(金曜日))において,内閣委員長河井彌八が次のように説明している。
内閣委員会におきましては、両法案につきまして、六月二日以降地方行政委員会との連合委員会を二回、人事委員会との連合委員会を一回、及び前後十回の内閣委員会を開き、その間に参考人の証言を求め、本法案の審査に万全を期したのであります。その審議の過程において問題となりました主なる点を申上げますれば、…第三に、保安庁の長官、次長、官房長、局長及び課長等、幹部職員には旧正規陸軍海軍将校を任用しないという政府の原案は、衆議院の修正において削除されているのでありますが、この点について政府の考え方を質しましたのに対し、政府は、何分にも軍隊に類似をいたしている実力部隊であるから、政治政策を支配するというような弊害に陷りやすい。これを民主主義を守るために予防しようという趣旨の規定であつたが、旧時代の一つの経歴というものを理由として、殊更に差別待遇をなすがごとき感を與えることは、今日の政治段階から見て適切でない。実行によつて効果を挙げれば、必ずしも法的に制限する必要はなかろう。こういう趣旨を以て削除したものである。こういう御説明でありました。これを削除したことによつて公然と旧正規陸海軍将校を保安庁の幹部として任用することはしないということを明らかにいたしております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/013/0512/01307250512069a.html]
即ち,保安庁内部部局の局長,課長が文官でなければならないことを定めた保安庁法第16条6項は,(※引用者注:保安庁は)何分にも軍隊に類似をいたしている実力部隊であるから、政治政策を支配するというような弊害に陷りやすい。これを民主主義を守るために予防しようという趣旨
で設けられたものである。
もっとも,この欠格事由に関する定めは,保安隊を自衛隊に改組した際に制定された防衛庁設置法(昭和二十九年六月九日法律第百六十四号)においては削除されている。
削除の理由については,防衛庁設置法案の審議に際して,第19回国会衆議院本会議(昭和二十九年三月十三日(土曜日))において,緒方竹虎大臣が次のように答弁している。
保安庁法による内局の任用次格制限を全部撤廃したのはどういうわけか。政府といたしましては、政治の軍事に優位するこの原則は絶対にかえぬつもりであります。ただいまも御指摘がありましたように、旧憲法のもとにおきまして、統帥権が独立をいたして、政治が必ずしも軍事の上に優位していなかつたために、太平洋戦争のような悲惨事を現出するに至つたのであります。従いまして、政府といたしましては、新憲法のもとに政治が軍事に優位するということは、これはどこまでもこの方針を堅持して、かえぬつもりであります。しかしながら、それと文民の優位ということは、おのずから異なるのでありまして、この旧軍人というものを今回の保安隊に用いなければ別でありますが、用いまする以上、その間に差別を設けずに、おのおの十分にその能力を発揮せしむることが、保安隊あるいは自衛隊を今後発展せしめる上にも最も重要なことであると考えまして、この間の差別は撤廃をいたしたい、そういう考えをとるに至つた次第であります。それだけに、今後この保安大学その他の教育は特に重要性を持つて参るのでありまして、過去における軍人の教育が一種のかたわの教育であつた、そのために大戦前の事態を引起したところに大きな考うべきものがありますので、特に今後の保安大学その他の専門教育について注意を払わなければならぬと覚悟いたしております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0512/01903130512020a.html]
また,第19回国会衆議院内閣委員会(昭和二十九年四月六日(火曜日))においては,木村篤太郎大臣が次のように述べている。
○木村国務大臣 昨日も御質問の際に申し上げたのでありますが、建前といたしまして政治が軍事に優先する。御承知の通り旧軍人はなやかなりしときにおいては、この建前がくずされておつたのであります。これがわれわれの国を破綻に導いた一つの大きな原因ではなかろうかと考えております。そこで新憲法下におきましてはどこまでも政治が軍事に優先する、この建前をとつて行く、これが大きな一つの原則であります。
それでシヴイリアン・コントロール、わが国内ではこれを文民優先といつておりますので、建前といたして、今後創設されます自衛隊については、制服の者も平服の者も互いに手を取り合つて行かなければならぬ、ここで対立関係があつては将来に禍根を残すのだ、いたずらに対立相剋をしたなれば、また旧軍閥の復興のような不幸な目にあうのではないか、このときこの際、ほんとうに制服と平服とが互いに手を握り合つて日本の国防の第一線の任務について、国民の信頼を得なければならぬ、こう私は考えておるのであります。そこで御審議願つております防衛庁設置法案におきまして、現在の保安庁法におきましての次官、局長、官房長、課長の任につく者は三等保安正、三等警備正以上の者はなれないことになつておる。ひとたびそういう服を着た者は服を脱いでもなれないということになつておる。これではいかね。たとい一たび制服を着た者であつても、りつぱな人であつてその任にたえる者はならさせてもいいのではないか。この建前を私はとりたい、こう考えておるのであります。一たび制服を着た者がさようなポストにつくことができぬということになりますと、そこに恐るべき対立関係が出て来ることになるわけです。お互いにいわゆる人事の交流はあつてしかるべきだ、私はこう考えております。シヴリアン・コントロールのことを盛んに申されるのでありますが、えてしてさようなことで文民優先ということになりますと、上の方の者はわかつております。間違いありません。しかしややともすると下部において平服が制服よりも優等な地位についているのだ、お前たちはおれたちより下の者だ、こういうことを頭から考えて行かれると、今の相剋摩擦が非常に災いをなして来るのではないか、これではいかぬ、かるがゆえに一たび制服を着た者であつても、適材であれば内局において勤めることができるのだ、現在の保安庁法によるいわゆる禁札を取下げる方がよろしい、こういう考えから御審議願つておりまする防衛庁設置法案においてはさような制限を撤廃した次第であります。今後私はどこまでも第一の原則として政治は軍事に優先し、しこうして第二段においては制服を着ている者も平服に至る者も互いに手を握り合つて融合和合をして行こう、こういう建前をとつておるのであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0388/01904060388020a.html]
このように,防衛庁設置法の設置にあたっては,むしろ内部部局に武官(制服組)を取り込むことによって背広組と制服組の対立を緩和することが企図された。この場合にも,最高司令官である内閣総理大臣が文民である以上,文民統制の原則は害されていないという前提に立っている。
なお,第19回国会参議院本会議(昭和二十九年三月十八日(木曜日))において木村篤太大臣により,内部部局への入局時に制服組出身者は制服を脱ぐのだから文官優位の建前は堅持されるとの説明も為された。
…そこでその内局の問題でございまするが、内局も決して、制服を着たまま自衛官が内局に入ることはできないのであります。(「その問題じやない、頭の問題だ」と呼ぶ者あり)入ろうと思えば制服を脱いで、そうして職員として内局に入つて来るのであります。これにおいて私は、いわゆる文官優位の建前は十分堅持できるものと、こう考えております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0512/01903180512020a.html]
この改正については野党から強い懸念が表明されているが,少くとも,条文上は武官(制服組)出身者が防衛庁の内部部局に入ることが可能であることが前提となっている。
なお,文民統制(憲法66条2項)と文官統制(文官優位)とは区別して論じられている。
むしろ(昭和27〜29年という時代のためか),ここでは退役軍人を念頭に置く議論と制服組の処遇に関する議論との混線が一部見られた。
2014年12月11日にヨルダンは8年間停止していた死刑執行を再開した。
●ソース http://www.hrw.org/news/2014/12/21/jordan-resumes-death-penalty-executes-11
ヨルダンの死刑囚でもっとも有名なのは、今回の件で一躍日本でも知られることとなったSajida Rishawiであり、死刑再開を伝えるアルジャジーラの記事にも写真入りで取り上げられている。
●ソース http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/12/why-did-jordan-resume-death-penalty-201412271125989644.html
イスラム国ならずとも、このまま行けば何が起きるかは明らかだった。
さて、イスラム国が現在握る握る一番強い対ヨルダン交渉カードといえば、やはりヨルダン空軍中尉、Mu'ath Safi Yousef al-Kaseasbehである(http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-264.htmlではMuadh al-Kasasbehと表記されているが、欧米メディアではこの形かMoaz al-Kasabaという表記が多いようだ)
「テロリストとは交渉しない」は建前であり大原則でもあるが、単なる人質でなく、軍務に従って行動していた人物が作戦行動中に捕虜になった、というのであれば、「捕虜交換」というのは、通常の交渉よりも遙かに名分が通りやすい。
確かにヨルダン国民にとって、サージダ・リーシャーウィー死刑囚というのは絶対に許せないテロリストで極悪人ではあるけれども、ではムアーズ・カサースベ中尉の命とどちらが上かというと、かなり天秤は拮抗していると言える。実際、そのせいでヨルダン世論は混乱している。
さらなる問題はイスラム国との交渉にはアメリカがあまりいい顔をしないことであり、たとえば身代金交渉であれば黙認される可能性はあっても、テロリストの釈放は反発を招く可能性は高い。
ヨルダンはもともと周りにイラク・シリア・イスラエル・サウジアラビア・パレスチナ・エジプトとそれぞれに付き合いの難しい国しか存在しない。
日本人には想像できぬぐらいサバイバル能力に長けた先代国王、フセイン1世の立ち回りの上手さだけで今日まで存続できたと言ってよいぐらい国家基盤は危うい。
「アメリカの不興を買う」というのはそれら隣国との関係を損なうのに勝るとも劣らないぐらいの危険である。
ここで、今回の日本人人質の話が入ると、ヨルダンにとって、事態は相当に改善される。
仮にリシャウィ死刑囚の釈放と引き替えにカサースベ中尉と後藤氏が解放される、という形で妥結すれば、ヨルダンは面子を立てつつ、日本に恩を売ることができる。
ヨルダン単独で取引に踏み切った場合よりも、アメリカの反発が緩和されるのは確かだし、「日本を助けた」ということで一応は国内世論対策にもなる。
シリア内戦開始後、ヨルダン国内に流入している難民はヨルダン総人口の1割、それ以前からの流入も含めれば人口の2割という破滅的な数字である。
●ソース http://www.taro.org/2014/05/post-1474.php
仮に「テロリストとの取引」を原因に、アメリカからの難民関係の援助金が削減されれば、それだけでヨルダンは存亡の危機に直面する。日本が加わってアメリカをなだめる、あるいはもっと直接的に日本が資金を肩代わりしてくれれば、話は変わる。
イスラム国にしてみれば、もともと日本は有志連合にも加わっておらず、テロを仕掛ける先としても足場がなさすぎる。もちろんカネを出してるから一応は敵であるが、さらにそこから踏み込ませて、本格的な敵に格上げする理由はない。
もちろん宝石よりも貴重な有志国連合の捕虜を釈放するというのは大問題だが、「獄中の同志の解放」はあらゆるテロ組織にとって、最優先といってよい問題である。それに加えて、日本とヨルダンが、アメリカとの関係を多少とも損なわせることができるのは確実で、取引手数料としては悪くない。
つまり、ヨルダンとの捕虜交換をまとめるための触媒として、今回の日本人人質事件を組み立てた、というのが本稿の主張である。
以上はすべて単なる仮説であり、妄想である。IS内でもトップに近いレベルでの判断が要求されるであろう事項であり、映像の出来が雑だったとか、発表の仕方が従来のやり方と違うとか、その種の辻褄が合わない点を考えると、推理と言えるほどの論拠は存在しない
・政府が身代金を払わないことを一層正当化するために人質の人格をけなしてあたかも「そもそも助ける価値がなかった」と主張する一部の親与党派(かも疑わしいような)の人たちは本当に醜い
・反与党派もこんな事件のまっただ中に現政権を引きずり降ろそうとするのはやめましょう。右にも左にも言えることだけど、非常事態が起こった時ぐらい超党的に協力できぬものなのか
・この問題を起点に集団的自衛権がどうのこうのって議論をする人たちへ、在外邦人を救出することはそもそも個別的自衛権の範囲内でできることなんじゃないでしょうか
・クソコラグランプリについては、まあ各所で褒め称えられてるみたいだけどイスラム国バカにするついでに邦人人質もバカにしちゃってるのはなんとかならんのかね、それだけは気になった
・当事者感覚の欠如だったり「おもちゃ」を発掘してそれをみんなで弄んだりするってのは問題の矮小化を招くのでちょっとなんとかなりませんかね。もっと庶民同士で真面目に話し合ってもいいじゃない。この世の政治に関する問題全般に言えるけど
・なんつうか、イスラム国という「他人」と日本政府という「他人」のバトルをモニター越しに生暖かく見守る「野次馬」がガヤガヤって感じの構図だよなと
☆ 円満に退職するために向こうのシフトへの影響とか完全に想定していたのだけど(というかあと2週間肉体労働することも考慮すると早めにしないと骨折れるとか思ってたのだけど)向こうの反応がその日で成立するのが(お互いの幸せに最適なんだけど)当然のような感じだったのでカルチャーショックなの 10/10 23:56:09 / twicli ↩ ▼
☆ それでも30キロ近いお米だけでも10個は抜いて積み上げたし汗もかいてるしほんとうに骨が痛い Fav1 10/10 23:04:00 / twicli ↩ ▼
☆ 今は関節が痛むのでお米の数字を認識したらローラーの前の方に荷物をひきに行くという(評価されうる)行動をしつつもお米をひきぬいてパレットに積む労働をスルーしたりもするのだけど、数字も見ないでパレットスルーで荷物を後ろに押す人が多くて、行きすぎた荷物はもう一度供給係までいくけど無駄 10/10 23:02:02 / twicli ↩ ▼
☆ 荷物に貼ってある番号は他人よりも相当見てると思うのだけど(同じ荷物の番号を複数人が見るのは無駄であるか、荷物を抜いて長距離往復することのどちらがいいのかとかは臨機応変としか表現できないけど)真面目だし数字認識はできるので目に入った数字を無視できない性格であってつらい 10/10 22:59:05 / twicli ↩ ▼
☆ 人によって何を効率的だと思うかが違っているのだけども、自分が分身した時の方法論と、自分が奴隷を雇った時の方法論は異なるので、人それぞれそれぞれの効率的認識への信頼があっての作業になるのだけど 10/10 22:56:24 / twicli ↩ ▼
☆ 自分は真面目系クズと表現すべき場面とかもあるけど、慎重で丁寧で、理想が高いと言えるには言えるだけの行為を習慣的にする人であって、 10/10 22:54:09 / twicli ↩ ▼
☆ おうちついた 10/10 22:47:06 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 自分は監督者どころか新入りなので反論せず笑顔でハイハイって言いながら相手の脳内の不幸の成仏を願って相手の怒りを殺すだけだけども 10/10 22:41:21 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 自分が分身できたらいいのだけども、目の前にやりたい作業が複数あっても人手は一人分しかないわけで、スルーしてる部分を目にしては何も考えずに口頭注意だけする監督者は視野が狭すぎてかわいそうだなぁとしか思えなくて 10/10 22:37:23 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 供給係は何も考えず荷物を流して来るし、ほっといたらワインボトルとか割れてしまうからそれを避けたりとかもしてるしパレットに積み上げる時間がなくてローラーから荷物を引き抜いて床に放置することもあるし、各自で効率だと思う作業をしていると信じたい 10/10 22:34:10 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 自分は6時間労働で、6時間保てる範囲で、適切なパフォーマンスを考えて労働するし、2時間労働のパフォーマンスをやってしまうと骨が折れる 10/10 22:30:19 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 監督者等のイライラを向ける先は人手不足であって、常に手を動かしてる人に怒りをぶつけるのは誰も幸せにならないし人間としてかわいそうだなぁうけるなぁという感想しか持てない 10/10 22:28:00 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 手区分する荷物の種類はお米、24キロ相当の飲料等の液体、家具、ゴルフバッグ、スーツケース、砂利、などなどの関節が痛むもの、軽いけど箱が大きい、大阪に本社を置く世界的総合電機メーカー発、各大型電気店宛に家電付属部品、お花。割れ物注意のワインボトルなども手区分 10/10 22:25:25 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 荷物の番号を見て番号に合っているロールパレットに荷物を美しく積み上げる。ロールパレットがいっぱいになれば新しいパレットを自分で組み立てるし、マイク放送でひたすら人を動かす人がいて、シュート担当の人が手区分に回されたり逆もある 10/10 22:16:59 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 区分機に乗らない荷物は手区分といって、一本のローラーの上に供給係が配送係から受け取った荷物をひたすら並べて、ローラーの脇を自由に動く手区分する人々がたくさんいて、自分はそれが多かった Fav1 10/10 22:13:04 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 区分機という機械の上でベルトコンベアされて地域ごとの専用シュートに行く荷物もあれば、区分機には物理的に乗らないよねという荷物もあって 10/10 22:09:56 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ トラック内のロールパレット内の荷物から別のトラック内のロールパレット内の移動するまでの荷物の過程はいろいろあって、また荷物の種類によってもいろいろあって Fav1 10/10 22:08:08 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 郵便法違反で捕まったり訴えられたりしない範囲で愚痴りたい Fav3 10/10 22:05:53 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 今日で最後だったけど真面目に労働したし足と腕の筋肉と関節がとても痛い Fav2 10/10 22:04:27 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ JRゆめ咲線で改札入る前に乗るべき電車が来てたのでその電車目指して乗ろうとしたらドアに人がいっぱいで次の車両のドアに乗ろうとしたらUSJ帰りの女性ばかりの女性専用車両で危なかった 10/10 22:03:00 / TheWorld for iOS ↩ ▼
☆ 最終出社日二週間前に、って資料とかにあったので完全にその手順を想定してしまっていたのだけど本日付けで承認されたのでカルチャーショック Fav2 10/10 15:17:12 / TheWorld for iOS ↩ ▼
働いている時は「無職」という単語にどうしようもなく惹かれていた。
「さっさと無職になってこんな社畜生活からおさらばしたい・・・」
そんな欲求にとりつかれていた。
無職の日常は最初は快適だったものの数ヶ月過ぎると不安しか残らなかった。
「将来に対する不安」
「周囲の目」
「無為に日々を過ごす事への罪悪感」
諸々。
働いている間はそんな不安は感じないのだ。ブラック企業に勤めていても、とりあえずは目の前の仕事を片付けることに集中してしまえばなんにも考えられなくなる。働いているので、無為に日々を過ごしている・・・なんてことも考えない。
仕事から開放されて少し時間が経った頃に不安は突如として現れて、私の胸を苦しめている。嫌なことばかり思い浮かぶ。自分を卑下するような言葉やあまったれた自己便宜的な文句を壁にぶつけては精神の安定を計る。
幸か不幸か、家族がいる私は皿洗いするなり、昼飯を用意するなり(弁当を買ってきたりインスタント麺にお湯を注ぐ程度)、部屋の掃除をしたりして、「何もしていない不安」から逃れている。いちおう他人の役には立っているのだ、という行動をする。
すると胸がやや軽くなる。ほんの少し スッ とする。
また私は働き出すだろう。またブラック企業に勤めてしまうかもしれない。もしかしたらアルバイトやパート、契約社員、派遣になるかもしれない。まだ分からない。でもいつかは働く。生きるのには金が必要だ。
だから今日の午前中、「楽してお金を得るには」と鬱々と考えた。
単純労働はだめだ。そうだ頭を使おう。人間には脳みそという素晴らしいものがあるのだから、頭を使って楽して金儲けだ! アンケートに答えてせこせこポイント貯めて換金なんてやってられるか! さくっとAndroidアプリでも作って一儲けすることに考えを割いたほうがよっぽどいい!!
私は「Android アプリ 儲け」とGoogle先生にお伺いを立てた。
結果は散々だった。
私は考えを方向転換させ、ブログで高収入!時代はアフィリエイトだよね!!
またしても現実は厳しい。
どうやら楽して儲けるのは難しいことのようだった。(そらそうだ)
私はPixivを徘徊した。自分のブックマークを眺めてはクリックし、しばしにやにやする。そこでとある作品に行く着く。
以前面白く読んでブックマークしておいた作品だ。書籍化されているらしい。
そうだ結婚だ!!
何度目かの閃きが頭に走り、しばし作品を読みフンフンと考えた。
積極性と自発的行動が求められるのは考えるまでもなくわたしは無理だと決断を下した。
見知らぬ人間と連絡を取り合い、食事し談笑するなんてハードルが高すぎる。
今、その工程をこなす自分を想像してみたが、その後のセックス的相性はどうなるんだろうとかしょうもないことしか考えつかない! 煩悩を直ちに消し去ってしまいたい。落ち着こう。
セックス、そんなものは一次的欲求を満たすだけの、ただそれだけの行為だ。他人と裸ん坊でベッドインせずともオナニーすれば性欲はひとまずどうにかなる。
まず性欲から離れよう。
今の私には「婚活」は無理だった。
アフィリエイトブログも、Androidアプリで一発大儲けも無理だ。そもそもプログラミングのプの字も知らない。
「なにこれ。意味分かんない」と頭の悪い女子高生の口調を真似るのが関の山だ。
親の脛をかじることだけはしたくない。
私は働かねばならない。
働くことは良い事だと思う。肉体を動かし汗をかく。お客様に「ありがとうございました!」と笑顔を向けつつ爽やかに言う・・・仕事を終えて家に着く頃には心地よい疲労感に包まれているはずだ。・・・心地よくなくとも疲労感はあるはずだ。
そんな日の夜はきっと寝やすい。無職で引きこもってセコセコとしょうもないワードを検索してはのたうち回る日の夜よりは寝やすいはずだ。
だから働くことは良いことだ。
どうせ長居もできず、耐え切れなくなったら逃げるようにやめるだけ。
そうして履歴書に汚点として刻まれるのだ。
そうなってはいけない。そうなりたくない!!
今はまだいい。金はある。働かないでいい。
でも、まだ、まだ働かなくていい。考えなくていい。
ちょっとは考えなくてはならないが、本腰入れなくていい。
まだ大丈夫だ。
高LVユーザの中には自身の強大な破壊的戦力に酔ってポータル破壊ゲームかのように特定のポータルを破壊せんと自身の持つ戦力をたった1ヶ所のポータルへ全て投資する者が多い。
繰り返すがIngressは陣取りゲームである。戦力をたった1ヶ所のポータルへ集中したのならば他のポータルを破壊することが困難となる。そのような自身の戦力に酔った行動は陣取りゲームにおいて合理的でない。
Ingressの本質とは陣取りゲームであるという点に尽きる。この点を再認識されたい。
確かにIngressでは強大な戦力を持ってすれば破壊できぬポータルはない。通知にタイムラグがあることを考えればリチャージが間に合わず破壊されてしまうこともある。
しかしながら通知されるまでに決定的なダメージを与えるということは敵陣はそれだけ多くの破壊戦力コストをかけているということである。
ポータルの破壊にはバスターもしくはストライクと、そしてXMが必要である。
XMは比較的簡単に補給できるのに対してバスターやストライクはポータルをハックしなければ基本的に補給ができない。
そしてバスターやストライクは高威力なものになればなるほど入手難度が高くなり、その入手難度の高いバスターやストライクは1度使用すると消滅してしまうのである。しかも攻撃は現地でなくてはならない。
対してレゾネータの回復にはポータルキーとXMさえあれば良い。XMは先ほど言ったように比較的簡単に補給でき、ポータルキーは入手難度がそこまで高くなくレゾネータのリチャージでは消滅しない。しかもリチャージは現地でなくとも良い。
従って、消滅する戦力と消滅しない戦力であれば後者のほうが有利であるのは明確である。
Ingressの本質は陣取りゲームであり入手難度が高いが優秀なバスターやレゾネータを沢山収集し自陣を強化し敵陣を破壊することではない。
しかしながらIngressという陣取りゲームにおいてそれらの要素は重要な要素であることは間違いない。
だからこそ入手難度の高い優秀なバスターやレゾネータを敵陣が多く浪費せざる得ない立ち回りをすることが重要になってくるのである。
逆に自陣は入手難度の高い優秀なバスターやレゾネータの効率的な使用運用が重要なのである。
Ingressでは低LVユーザ、特にLV4に満たないLV1~LV3ユーザは戦力に殆どならないというのが多くのユーザの認識であり、だからこそ自陣の低LVユーザへ対しAPを稼がせる動きが一般的だ。
その動きは間違ってはいない。戦力としてはより高LVの方が良い。しかし低LVユーザが戦力にならないという認識は間違っている。
前述したようにIngressで重要なのは相手の戦力を浪費させることだ。
例えば、とある青ポータルのレゾネータが全てでは無いが数ヶ所頻繁に破壊される傾向にあるとしよう。この時その青ポータルを所有する青ユーザはどのように考えるかと言えば、最終的に全てが破壊されポータルが奪われるかもと危機感を得てより破壊されにくくしようと高LVレゾネータを設置したり希少価値の高いシールドを使用するはずだ。
低LVユーザであってもレゾネータ直下でバスターを数十回放てばレゾネータを破壊することが可能で、それが頻繁に起きれば敵陣の戦力を浪費させることが可能なのである。
低LVユーザがそうやって数ヶ所のレゾネータを破壊していてくれれば自陣の高LVユーザはポータルを奪いやすくなり、自陣の戦力の節約にも繋がってくるのだ。
低LVユーザはAPを稼ぎながらポータルを破壊しきれなくとも積極的にポータルに接続されているレゾネータを1ヶ所だけでも良いから破壊しておくべきである。
ある一定の範囲内に整然と並ぶ自陣ポータル。例えば緑ばかりが並んでいると非常に美しい。
そんな中に突如としてたった1ヶ所が敵陣に破壊され青ポータル化されてしまった。
この場合、多くのユーザが取る行動は再び緑ポータルにしようとたった1ヶ所の青ポータルを破壊しようとするものである。
再三言っているがIngressは陣取りゲームである。たった1ヶ所が敵陣ポータル化したからといって直ぐに破壊行動へ出る必要はない。破壊するタイミングは三角形に結ばれた時だけだ。
美しくないという観点はただの感情であり陣取りゲームを理性で考えるのであれば、たった1ヶ所のノイズは無視して構わない。
破壊しようとする時は敵陣にバスターやレゾネータ、ポータルキーを消費したであろう三角形に結ばれた時が一番合理的だ。
逆に言えば敵陣の戦力を浪費させようと思えば、耐久力を可能な限り高めたポータルを敵陣の支配範囲内へ出現させれば良い。
敵陣は感情的にもそのノイズを排除しようとし無駄に戦力を浪費させるであろうからリチャージを繰り返しノイズとしたポータルを維持するように努めて敵陣の戦力浪費を誘発させるのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140718104103
私は、今で言うところの”まとめ”のようなな「女は劣っている」、「お前はブスだから女としての価値もない。貰い手のいないお前は、せいぜい手に職でもつけるんだな」と言われて育ちました。
そうして、生きぬくためにと勉強しました。だってそれしか生きていく方法がないと信じていたから。
小学校では「私はブスだからいじめられても仕方ない」とすすんで孤独になり、女子校へ電車通学を始めた中学生からは「ブスでも対象になるんだ」と痴漢のストライクゾーンの広さに驚愕し、高校生になって男の子に好意を寄せられるようになってからは「このラブレターみたいなメールに真面目に返事をしたら、みんなで私を笑いものにするんじゃないか」といぶかしみ、やっとできた彼氏に「私のいったい何がよいのか」を問い詰めました。
彼氏を寝取られたときには流石に悲しみましたが、「だいたい私みたいな、すぐに失われていく年齢しか価値がない女に彼氏がいたこと自体が僥倖だ」と納得もしていました。
勉強はして、名の通った大学を卒業したけれど、とびぬけたキャリアウーマンになれたわけでもなく、「誰にでもできるけど面倒くさい事務のお仕事」にかろうじてしがみついてきました。しょせん、私の器なんてそんなものなのです。
未婚彼氏なしで三十路を迎え、「産廃」になって、やっと開き直ることができました。女としての唯一の価値だった”年齢"を失い、やっと肩の荷をおろせました。
今になって、両親は私が嫁に行かないことを心配しています。縁があれば結婚もいいなと思いますが、産廃で羊水腐ってるとか言われる年齢になっちゃう私をお引取りいただくのは申し訳ないです。
贅沢はできないけれど頑張れば老後の貯金をして、Kindleで毎月好きな本を買って読めるくらいの生活ができてるのだし、わがままだけれど、体が続く限りはお給料を稼いで税金を納めて、できるだけ他人様に迷惑はかけないように生きていきたい。そしてできれば、”産廃死ね”みたいな言葉を浴びせられずに暮らしていきたいです。
そうなんだよねぇ。
まともに治療受けていたのかどうか
今となっては確認もできぬ。
そもそも、いつ感染したのかも聞いてなかった。
「ガンダムUC」の最終話ついてちょっと書きたい(ネタバレあり)。
最初に立場を明らかにしておくと、増田は、典型的な富野信者であって、ガンダムプロレスにはあんまり興味がもてない人間だ。バイアラン・カスタムとかシュツルム・ガルスのトコとか、こんな意味ねーシーン全部削って、会話に尺まわせよと怒っていた。そーいう面倒くさいやつが書いたもんだという前提で読んで欲しい。それと後半は電波。富野信者なので。
で、この「ガンダムUC」、MSチャンバラについては絶賛されているが、ストーリーの方は賛否両論がある。だが私は批判することに意味があるのかと当惑している。こーいうのは、主張者が主張した内容をマジに信じている、という前提がなければ、なりたたない。私は、そこが信じられないのだ。
「UC」最終話を劇場で見て愕然とした。「送り手はこの物語のメッセージをまるっきり信じていないのではないか」と衝撃を受けた。この作品に対して、茶番だの陳腐だの説得力がないだのただの二次創作だなどと言うのはいいが、それを一番、自覚しているのは送り手自身なのではないか、という疑念をぬぐえずに今に至っている。
どういうことか。
「ガンダムUC」というのは「ラプラスの箱」という秘密を廻る物語だ。
これはほとんどマクガフィンに近く、中身は実はどうでもいい。とにかくこいつが連邦の中枢により隠蔽されたことで、宇宙世紀の歴史(とニュータイプ思想)は歪み、1stガンダムから「逆襲のシャア」まで続く戦乱の歴史が巻き起こることとなった。しかし歪んでいようが何であろうが、百年続けば、それは秩序の一部となってしまっている。
既存の秩序の維持するため、「箱」を隠蔽するか? 混乱を呼ぶとしても、「箱」を公開するか?
少年たちは後者を選ぶ。たとえ波乱の未来を到来させるとしても、「不正義による秩序」より、勇気を持って「正義による未来」を選ぶ。物語が描くべき正しい選択、正しい若者のあり方だと思う。
かくして宇宙世紀は箱の呪縛から解放される。人の革新=ニュータイプ思想のもと連邦とジオンの戦いが形を変えて繰り返される不毛な連鎖から解き放たれる。これはもちろん、終わることを許されず、次々と続編を創ることを余儀なくされたガンダム産業の比喩でもあり、だからこそガノタの胸に響く。
もちろん、我々ガノタは、その選択の先に待つ「F91」や「V」の時代が、必ずしも希望に満ちた未来でないことを知っている。だが、そうだとしても、「これまでと同じことをひたすら繰り返すだけ」より「失敗覚悟で新しい世界を創る」ことを選択した若者たちの決断は、とても尊いものとして描かれる。
それを見届けて、シャアもアムロもようやく成仏する。一年戦争の呪いから宇宙世紀が解き放たれた瞬間である。
富野信者が、勝手なことしやがってと怒るのはわかるが、しかし、ともかく、それがこの映像が発したメッセージなのだ。
だが、恐ろしいことに、劇場で上映されたこの作品は、実に4年間、7巻かけて書いた結末を、直後にみずから全否定するのだ。スタッフロールが終わり、何が始まるか。
突然に、1stガンダムのリメイク、「機動戦士ガンダムORIGN I」の予告が始まるのである。
http://www.gundam-the-origin.net/
「一年戦争の時代」からの解放をテーマにした物語のラストで、唐突に「一年戦争」がリメイクされますよーと嬉々として宣言されるのである。よーやく成仏できたシャアは30分待たずに現世に呼び戻される。この予告編は意図的に、映画「機動戦士ガンダムⅠ」の予告に似せて作ってある分、余計ループ感は強い。
唖然とした。個人的には「UC」7話はそこまで引き込まれるものではなく(イデオンネタは超大喜びしたけど)、「及第点」ぐらいの印象だったが、それでも感動を返せ、という気になった。本篇終了後即座に全否定される映画なんて聞いたことがない。一体、原作者や監督やスタッフは、どうしてこんな暴挙を認めたのか。本当にそれでいいのか。このあたりの意思決定の構図はよくわからないから、とりあえず「送り手」と一緒くたにする。ともかくこの送り手が、自分で発した「箱の解放」とか「一年戦争の呪縛の終結」とか「歪んで腐敗した旧体制から混乱覚悟で新しい時代へ」なんてメッセージをまるで信じていないし尊重する気もないことだけはあまりに明らかだ。
新しい時代なんて創るつもりはないよ。
え? じゃあ「UC」はなんだったのって? ほらわかるでしょ、本音と建て前ってやつですよ、おたくもニュータイプだったら察してくださいよ、ねぇ。ほら、キュピーン! って。
これはそういう宣言だ。
ハルトーシ少年は継承した「富野の箱」を手みやげにサンライズ財団の重鎮となり、バンダイム・エレクトロニクスのガンプラを売る人になりました……それが4年かけた「ガンダムUC」の結果です、と言っているのだ。おかしいですよ晴敏さん! そんなの富野信者の晴敏さんの言うことじゃないですよ!
そんなわけで「UC」の内容についてまともに批判することの意味を私は見失った。だって送り手が、自分の語った物語を信じてない、それどころか一番ひどい形で全否定を行ってしまっているのだ。今更何を言っても単なる死体蹴り、いや、それどころか、そのような批判こそ、送り手はむしろ望んでいるのだとさえ思えてくる。
つまりこういうことだ。
メチャクチャ単純化すれば「UC」での賛否両論というのは、ガンプラオタクと富野信者の対決である。前者はとりあえずMSVが一杯出てくれば喜ぶし、後者は富野神の書いた聖典に他の誰かが一筆書き入れることなど許さぬと批判する。ガンプラオタク濃度が濃いヤツは「UC」肯定するし、富野信者濃度が濃ければ「UC」否定という話だ(繰り返すが、メチャクチャに単純化すれば、である)。
だが、両者は本当に対立しているのか? 前者の主張は「ニュータイプ思想とかどうでもいいから新しいMSV一杯出せ」であり、後者の主張は「下銭な二次創作者如きが富野神のニュータイプ思想(宇宙世紀史でもいいが)に手を触れることなど一切まかり成らん」である。
この両者は必然的に「永遠に一年戦争の外伝だのリメイクだのを作り続ける」という結論に帰結するしかない。前者は積極的に、後者は消極的にそれを肯定する。そして送り手もまた、それこそを望んでいるのはすでに見たとおりだ。
そうしてガンプラオタクは送り手の造ったMSVのプラモを買い続る。富野信者は彼らを嘲笑うことで「自分こそ富野神の思想を守り続ける孤高のニュータイプ」という立場を確保できる。
しかし、私は富野信者として、そこに安穏とすることはできぬ。そんなことをすれば脳内カミーユ・ビダンが「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!」とスイカバー突撃をかけてくるからである。散っていたお禿様の髪に顔向けできぬからである。富野信者であるということは、富野を聖典とすることではなく、富野のように生きることだと信じているからである(だから、今度の「Gレコ」だけが本当のガンダムなんですよ、という立場にも私は立つことができぬ)。
(大人しくガンダムを卒業すればよいのはわかっている。それができれば苦労はしないのだ!)
ガンダムはロボットアニメでありサブカルチャーである。ガンダムはビジネスとの兼ね合いの中でしか生まれこないし、それこそがガンダムの強さ、ガンダムの同時代性の源であることは、絶対に否定できない(ガンプラ売りに徹した「ガンダム」は嫌だが、押井守映画のような文学モドキの「ガンダム」なぞもっともっと嫌だ)。
だからハルトーシ少年だって、私が↑で書いたことは百も承知かもしれない。きっと彼は叫ぶだろう。
「やりました、やったんですよ、必死に! その結果がこれなんですよ! 映画の「ローレライ」(と「戦国自衛隊」と「亡国のイージス」)がコケて、右傾エンタメ作家の席は百田尚樹に奪われて、今はこうして富野の二次創作を書いてる! これ以上、何をどうしろって言うんです! 何と戦えって言うんですか!」(註1)
私は、彼に答えるべき言葉を持たない。こんな時は、富野神に還るしかない。神は言っている。
"Century color Million color" ――せいきの色はまんこの色であると。
違う。
ターンAターン、だと。∀だと。全肯定であると。
送り手が自分のメッセージを一切信じていないなら、それを批判して何の意味があるだろう。逆だ。有効なのは、相手が信じていないメッセージを、こっちが文字通りに全肯定してやることだ。つまり∀UCだ。
バナージが何も考えずに箱を開けた、その蛮勇を評価するように、富野のニュータイプ思想を継ぎ、「逆シャア」の先を書こうとした覚悟は評価する。
駄作も愚作も一杯出来るのを承知で、宇宙世紀のその先が語られるのを心から望む。
できるかぎり応援する。
それしか、ガンダムに対し、緊張感を持って向きあう=富野的である方法は、ないような気がするのである。
むろん、それは、終わりのないディフェンスである。
ガンプラオタクからはそっぽを向かれ、富野信者の罵倒に耐えねばならぬ。
しかし、それでも、えんえん一年戦争をリメイクし外伝を造り続けるよりマシだと信じる。
その向こう側に何もなくても――いや、しかも脳波コントロールできてしかも手足を使わずにコントロールできるマシンにセシリーが触手レイプされ、バイク戦艦が街々を踏みつぶし、カテジナさんがオデロもシュラク隊も鏖にして、月光蝶でみんな灰になったあと、全人類が無限力に溶け合って何もかもが因果地平の彼方にスペースラナウェイする哀しみが待っていたとしても――、かまわないのである。
STAND UP TO THE VICTORY!
註1:いや、もちろん田母神俊雄と戦ってくれればよい。ついでに百田も撃てばよい。実は「ガンダムUC」の小説版には、田母神論文事件を露骨に批判した箇所が存在する。詳しくはこちら → http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-388.html。小説版が出た頃には、ただの右のヤバイ人だった彼が、若者の支持を受ける保守系政治家候補となってしまった現在こそ、福井の田母神批判はアクチュアリティを増している。
どこから見ても虚言癖なのに見た目が愛らしい感じがするだけで騙される人が多い。
子供のころからどうしてか虚言癖を見抜く事ができて、そのたびに周囲からつまはじきにされるんだが
もちろん後で必ず全員が痛い目を見させられて、でも私に謝るのも癪だからと謝らない。
逆にどうしてわかったのかと気持ち悪がられる。
あの声がわからないのかな。
人を騙そうとする独特の響きと形。
嘘を言う時と本心の部分の音の違い。
嘘を言ってる時の声は、刺さってくる。
本心の声はどんなに怒鳴ってても丸く体に当たる。
だから本心の声で攻撃されると丸いもので引き裂かれて凄く痛い。
嘘は刺さるだけですぐ引きぬける棘みたい。
ああそうか。
サッカー観戦をしていると、こういうワードにたどり着く事が多い。
「○○がクソ」「○○死ね」「○○やめろ」
こういうことを言っている奴ほど、なぜその状況でそのプレーが行われたか全く説明しない。
シュートを外した→外した奴はクソ、やめろ
優勝できない監督→出て行け
■
なぜシュートを外したのか?
直前のプレーでパサーとのイメージにずれがあった。
もっと前で欲しかったが、足元に来たのでオーバーモーションになり、DFに詰められて枠を狙うことが不可能だった。
もっと遡ると、CMFからの縦パスをトラップしてサイドにチップし、即座にゴール前へ反転して折り返しを待ったが来ず、そのままDFのチェックを受けていた。
DFが引きつけられて開いたバイタルのスペースを使うべきだったが、サイドからのクロスを受ける形になった。
死ねと言われるほど評価の低い選手だろうか?ここでデータを持ちだしてみると。ワントップのFWで、シーズン終盤の現在で10ゴール以上15ゴール未満、アシストはかなり多く、その分だけ得点を演出しているのがわかる。
1トップなのにアシストが多いということは、この選手が居なければ前線の選手全員の得点が期待できなくなるということだ。居なければ自身の得点がなくなるだけでなく、周りの評価が下がる。
客観的に見れば、アシストと得点を合わせた得点期待値が高い選手を放り出すのは馬鹿げている。
なぜディフェンスがミスをしたのか?
相手のFWにスピードがあった。そのスピードは試合前から留意すべきものだった。なので、チームはDF一人でチェックするプランではなく、カバーをすることは指示されていた。しかしカバーが来ない。
カバーをするCMFが攻撃時に前へ行ったが戻ってこれず(スピード、スタミナの問題など)一人でチェックする事になった。
もともとCMFはスタミナやスピードのあるタイプではなかった(そのためポジションは後ろ目の守備要員だった→攻撃のプランにも影響があり、前述のシュートをミスという部分にも繋がる可能性が多いにある)
入ってきたボールに対してその場でGKから声が上がったが、反応したのは自分だけだった。
ではこの選手は死ななければいけないほど劣るのだろうか?
DFは一人で一人を守りきれば絶対に負けないというものではない。オーソドックスな戦術であれば最終ラインには多くて4人。そこから攻撃時にSBがオーバーラップすることが日常茶飯事だ。
ピッチ上の状況とバランスを全員が見極めながらゴールを守らねばならない。11人全員の行動が密接に関係しているのだ。
その証拠として、現在CLでもベスト4に進んだチェルシーの前線は、スタミナとスピードを重視したウィリアン、オスカルが名を連ねる。これは守備への貢献を考えた選出なのは明らかだ。逆に言えば、攻撃に非凡な才能を持つマタだったが、守備への意識とスタミナに難があり、出場機会を失った。
今回のケースでは最初から一人でチェックするプランではなかった。大きな非は無いだろう。
では何故一人で抑えられないこの選手が起用されたか?それはスピード以外の能力を見出されたからだ。あるいは相手のFWを止められるDFは世界には居ないのかもしれない。
なぜ優勝できないのか?
1シーズンを戦える選手層が無い。中盤からどんどん失速する。しかし代わる選手がおらず出突っ張りになる。コンディションが落ちる(上記のシュートを外してしまう要因になる)。
ではなぜ選手層が薄いのか?近年の市場価値高騰から、特別な資産を持つチームが選手を独占する。優勝をするにはその特別なチームと渡り合わねばならず、しかし特別な資産はない。
プレーの外側での支出が大きく、金銭的に厳しい状況で主力選手が次々引き抜かれる中、現在は雌伏の時である。しかしそれでも一流と呼ばれるチームに見合うだけの最低限の成果を出し続ける。
なぜ選手の怪我が多いのか?原因不明。基本的に試合中での怪我が多く、不確定要素が多すぎる。
はっきり言うと、毎年主力選手を引きぬかれてなおリーグトップと渡り合い、欧州チャンピオンリーグに出場し続けるほどの成果を出すのは前例がない。
マラガは財政難で沈んだ(選手の引き抜きに関してどうこう言うつもりはない)し、ドルトムントもけが人が続出し、予断を許さない。インテルも3冠の後はセリエ中位を続けている。リヴァプールも昨年まではまさに雌伏だったはずだ。チェルシーのモウリーニョは名将だ。ではベニテスは駄目か?そうはならない。彼はリヴァプールでCLを制覇し、現在ナポリで一流クラブを指揮している。
このエントリがどこのチームのことを言っているのかわかっても、何も言わなくていい。
纏めよう。まず、サッカーで口汚く批判をするなら、その責任を負う事を自分の理論と考えで示すことが最低限の批判の仕方だ。そして、サッカーのプレーは、あるいはピッチ上の選手は、他方から密接に関係しあってプレーを行っている。スタッフもそうだ。
クラブが好きだから声を上げるという理論が成り立つのは、そのクラブの地元だけだ。日本でやっても届くのはJだけだ。Jに届くのは現場で上がった声だけだ。俺はそれでも議論にならない死ねだの出て行けだのといった言葉を上げるのはアホらしいと思うが。
メリットは何もない。デメリットは、同じクラブを好きなやつが嫌悪感を募らせる。明確だ。
嫌悪感を募らせた結果、こんなエントリを書くのだ。聞くに堪えない。サッカーは好きだが、そのサポーターや、対立が華みたいなサッカー文化は嫌いという矛盾した状況になってしまった。
それとも、こういった人は多いのだろうか?
ぼんやりと働いているうちに童貞のまま25歳になってしまった。
もっと若かった頃は飲み会でポロッと「実は童貞なんですよー」などと言ってもネタにしてもらえていた。
最近は場が凍ってしまうこともしばしばなので、うかつに公言できない。
問題は一度リアルで本番を経験してしまうと、2次絵で抜けなくなる恐れが有ることだ。
働いているとはいえ、400万以下の年収では性欲をすべて風俗で消費することは不可能である。
非常に低廉なコストで毎日抜ける2次絵を使用できなくなるのは、懐にかなりの痛手だ。
次クール見るべきアニメを熱く語っていた連中が彼女ができた途端、
やはり本物を体験してしまうと、絵に書いた女には興奮できなくなってしまうのだろうか。
山のあなたの空遠く
「幸」(さいはひ)住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」(さいはひ)住むと人のいふ。