真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えはノーだ。
むしろ量は少ないこともあり、特別グルメでもない人間には不当な値段に映ることもある。
これから私が言うことは君にとって朗報でもあり悲報でもあるのだが……
厳密には「実際のところ良く分からない」というべきだが、そもそも良く分からないものに金を出してる時点で優れた金銭感覚ではないことは認めよう。
しかし、これは私に限った話ではない。
多くの人は一万円のステーキを千円のステーキの10倍の価値があるなんて微塵も思っていないのだ。
では、なぜ食べるのか、金が動くのか。
それは物事の価値というものが、一般社会の基準や、大衆の普遍的な金銭感覚から外れていくほど漠然としていくからだ。
漠然とした価値ほど、値踏みというプロセスも漠然とするのである。
それはモノが内包している価値、金を支払う個人の動機、その実体も曖昧であることを意味する。
何に対して、どの部分に、どれ位の価値を感じて金を支払うかを消費者は具体的に考えない。
下手をすれば、提供側すら考えていないこともある。
基準から外れているか、そもそも基準がないので、回答は出せても解答は出せないためだ。
今回、学ぶべき教訓は「基準にしていないからこそ動く金があり、基準にしているからこそ動かない金もある」といったところだ。
つまり一万円のステーキを食べられるのは“千円のステーキを基準にしていない”から、といっていい。
例えば、私はDAYSやジャンプラなどで無料公開されているマンガをよく読むのだが、単行本や有料エピソードを買ったことはない。
一万円のステーキを食える人間が、百円単位のものを渋るというのは中々に奇妙な話と思われるかもしれない。
それでも確かなことは一つだけある。
「一万円のステーキを食っているときに、千円のステーキの話をすると飯が不味くなる」
同席者にそんな話をされたら、尚さらだ。
もちろん、ハヤシライスのことを考えながらステーキを食べるのも嫌だろう。
なので、君はカレーライスを食べればいい。
この内容はブクマ 500user の価値がある意見だよ。 タイトルと冒頭一行はあまりにも投げやりだ。とても勿体無い。
ハッ! 文章の価値をブクマ数基準で考えていないということか。