真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えとしてはYESでもあり、NOでもある。
「トラブルに遭わないよう気をつける」という話と、「トラブルに遭った人間側の是非」という話は似ているようで違う。
考えてもみたまえ、そういったトラブルは被害者側が悪かろうが悪くなかろうが起こりえるものだ。
仮にこの世が、「加害者側が100%悪い」という考えが絶対的な世界だったとしても、トラブルに遭う可能性自体はなくならない。
悪くても悪くなくてもリスクが存在するのならば、その軽減について考慮しないのは非現実的だろう。
昔、ゴリラに手ひどくやられたことがあったが、銃を常に持ち歩くべきだったという後悔は私の中で今なお燻っている。
そこで君は、婚約者の両親を何と呼ぶべきだろうか。
「お父さん」と呼んで、「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」なんてことになったら面倒だろう?
最近、ゴリラみたいな少年に「お父さん」と呼ばれたことがあるが、私も同じように返したよ。
では、そういう場合に相手をどう呼ぶべきかというと、正解は「呼ばない」。
より厳密には「主語を避ける」のだ。
名前を呼ばずとも、対象を指す言葉がなくても、対話は可能である。
実家に挨拶するとき以外にも、距離感を測りかねている相手にも使えるだろう。
天抜きも同じといえよう。
天ぷらを食べたくて蕎麦を食べなければいけないのなら、そもそも蕎麦なんていらない。
だからといって、蕎麦屋で「天ぷらだけください」というのは、不躾に「お父さん」と呼ぶのと同じだ。