はてなキーワード: OPとは
EX-ARM絵からして桂正和のアシっぽいし中身も新味なくてクソ古いなこれ、と原作から思ってたけど、やっぱアニメもぞんざいな扱いなんだなこれ。すでにネタ扱いだし。
で、見てみた。
こんなもんOK出すとか現場はよっぽど時間もらえなかったんだろう。
今どきBlenderのレンダリングとアニメーションでもこれはないぞ。
とげったーツッコミポイントの鍋や3Dとセルを混ぜるのもすげぇし、背景が恐ろしく手抜きだし、構図は悪いし紙芝居だし、もう声優ラジオとして聞いたほうがマシなんじゃあるまいか。
ここまで糞だと天晴なのでトライナイツ超えは堅く、これはもう確かに注目の新作だと思う。
集英社が注目しない作品に対して酷な扱いをするのがよく分かる。
3Dスタッフが拙い、実写出身の監督のコンテがひどい、演出がひどい。
これは原作からそうなんだけど、素子みたいなコスとかバトーみたいな男とか古臭いテーマとかどう考えてもアニメ化のメリットがないんだよねえ。
ここまでパーフェクトにひどいとむしろ笑いが消えるんだな。
私がこんなオタクになったのは君のせい。箸の持ち方が綺麗になったのも君のせい。君はもう覚えていないだろうから、ここで消化しようと思う。
一番古い君との記憶は、小学3、4年生の帰りの会。机の上に置かれたノートの「嘆きノ森」という文字が目に止まった。
私「これなに?」
君「......」
君は何も話さずに、ただノートをこちらに見せてきた。ノートにはびっしり文字が書かれていて、「嘆きノ森」は曲名らしかった。気になったので家で調べてみた。小学生だった私は「嘆」をどう読むのか分からなかったので、「きノ森」でくぐった。
すると、「嘆きノ森」はひぐらしのなく頃に祭のopであることが分かった。ここで私の性癖があらぬ方向へ歪み始める。(当時を振り返ると何故君があの歳でひぐらしを知っていたのか不思議だし、あんなグロいのよく見たなと関心する。)
小学生での会話はこれで最後。ここから私のオタクライフが始まる。エルフェンリート、コープスパーティー、SchoolDays、、Another、blood-c、ぎょ、perfect blue、パプリカetcオタクライフは順風満帆?だった。
次に話したのは高校1年生の時。中学卒業と同時に親にスマホを買い与えられ、初めてのスマホに興奮し手当り次第LINEを交換してた。高校のグループLINEに
┌(┌^o^)┐ホモォ
を送ったのが真っ黒い思い出です。
そんな時、ひょんなことから君からBL本を借りることになった。家が近かったこともあり休日に直接借りに向かった。君は何も変わってなくて、最近見てるアニメの話や攻め・受けなどの基本的BL用語を教えてもらった。おすすめのBL本を聞いたとき、玄関でおもむろにBL本を広げ始めたときはびっくりした。
中学時代は何度か席が隣になり、給食の時間には向かい合って食べていた。君は箸の持ち方が綺麗だった。使い方は下手だったけれど。ハンバーグや肉が出てきたときは、箸をナイフとフォークみたいに両手で持って食べてたね。君みたいに綺麗に持ちたくてまねしてた。でも学校で話すのはなんだか気まずくて何も話せなかった。
今では両手で使えるくらい上達したよ。君の知らない私の物語。そんな君と今、付き合っている。BL本を返す時に挟んだ「好きです」と書いた紙のせいかな。
裏世界ピクニックの原作が好きだ。洒落怖が好きだし、百合も好きだ。勘違いだと分かっていても「私のために書かれた」と思えるくらい自分の好みにストレートだった。
コミカライズも好きだ。『スパイラル』、『天賀井さん』の水野英多だ。さすがに原作に比べると……と思いつつも、おおむね満足できるものにしてくれている。
この先はただただアニメ版の内容について罵倒しているので、どうか原作を5巻まで買ってから読んでほしい。というか、原作だけ買って、この日記は読まないでください。
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原作は電子版の1~4巻の合本が1月17日まで1375円(1冊340円!)なので今すぐ読んでください。
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空魚が「人間!?」と口パクで喋る。何かおかしいな、と思った。
原作に当たると、“不意を打たれて、言葉が出なかった”とある。別に原作の一言一句まで覚えているわけじゃなく、「声を出して反応ならぬ反応をする、しかもその際頭が動く」というシーンに違和感があった。心理ネームを口パクで処理するのはアニメ的な演出ではあるので、目くじらを立ててとやかく言う場面ではないけど。
「人間です」というおうむ返しも微妙。人語を介しているなら人間だし、あるいはそうでなかったとしても判別はできないので、原作のとおり「生きてます」の方が自然。
私はなんとなく、人間、かかし、ヒトガタ・ニンゲン、ムーミンの「ニョロニョロ」辺りを混ぜたような見た目を想像していた。が、アニメだと『ハルヒ』の神人のようなデザインになっている。
自分の解釈が唯一の正解だ、などと驕るわけではないのでそれ自体は別にいいんだけど(神々しすぎて田んぼにいそうじゃないなとは思うけど)、『ガンバ』のノロイみたいになるのが残念すぎる。くねくねの怖さって、「不思議なものがいる」「不意に見てしまい、見続けてしまう」「その結果、壊れる」というものであって、「攻撃的な見た目の『敵』に攻撃される」というものではないと思う。『不安の種』みたいな「気持ち悪い」であって、「怖い」ではあってほしくなかった。
見返していると、冒頭から違和感に気付く。1カット目が「ウルトラブルー」なのだ。くねくねに当てられたファーストカットは、無力なまま死んでいくことへの恐怖が描かれているはずだ。それを「裏世界の深部」と表現するのは誤っている……というか、情緒を理解していない。
ここもひどい。原作にはこうある。“止まらない目眩の渦に呑み込まれるように意識が落ちていく。”
アニメでは、水たまりが突然深くなり、そこに溺れていくさまが描かれる。溺死ではなく、地面に足がつかず溺れるような描写はまだ、イメージ映像として理解できるけど、その次のカットが鳥瞰で、水たまりには誰もいない。つまり、本当に「落ちた」と表現している。
鳥瞰のカットに鳥子がいないのは、カメラ的に丁度切れているんだろうけど、切る意図が分からない。目の前で沈んだのなら助けられるけど、人がいることが見えないまま水たまりに呑み込まれても、動けないだろう。
このシーンは、完全なギャグだ。原作だと、「うえっ」と言い、舌を出すにとどまっている。今まさに敵に襲われている、という場面で、二人して背を向け、四つん這いになって吐き真似をしている(もしくは、ギャグ的な演技だが実際に吐いている)。リアクションが大げさすぎて、真実味が削がれている。
OPがCHiCO with HoneyWorksであることからも、また「ハヤカワ・ジュニア・ブックス」という新レーベルで原作1巻を刊行することからも、子供向けアニメとしての側面があることがうかがえるので、この「翻案」を悪いと言ってしまうのはよくないのだろう。
モノローグが少ないのもこのためと思われる。『鬼滅の刃』がアニメであそこまで子供から人気を得たので、子供向けに焦点を合わせるという売り方は間違ってはないと思う。それが裏世界ピクニックでやることなのかは疑問だけど。
これは原作を読み返して気付いたのだけど、原作だと水たまりに嵌りそうになっている。これは最初から嵌っていた空魚との対比であり、ある種、「助け合うことでイーブンになった」と読み取れる。
アニメでは崖から落ちるよう改変されている(一応、その下に水たまりはあるのだけど)。何故こう改変したのかというと、「滑る」「滑り落ちる」ことを分かりやすくビジュアル化したかったのだろう。子供が見ると定した場合、アニメ版の描写の方が分かりやすいだろうし、これに関しては一概に悪い改変とは言い切れない。
ちょっと、絶望的な始まり方だった。まんま原作と同じ流れだ。小説は受け手の想像力に依存するのである程度場面を飛ばしても問題がないけど、映像化するのならその辺はちゃんと補完してほしかった。
前述のとおり(というのは私が勝手に思っているだけなので見当違いかもしれないけど)、モノローグが大幅にカットされているので、余計に理解しづらくなっている。
六面体のアップ→OP→走る二人という唐突な場面転換ののちに、埼玉の大宮のロケーションが映し出されるが、不自然に人がおらず、そこが表世界なのか裏世界なのは判別がつかない。無意味に確定できない情報は視聴者を不快にさせるので、アバンからAパートをまともに繋ぐ気がないのなら、せめて人の営みを描写してほしかった。
私が1話で一番引っ掛かったのはここ。そもそも私は「くねくね」を「怪談」だと思っていない。実話怪談(洒落怖)については原作者自身が単行本で記しているので譲るが、少なくとも、「怪談『くねくね』」と演目のように言うようなものではないと思っている。
リッチなアニメだったなら、くねくねの紹介の際にイメージカットではなく、書き込みをそのままアニメ化とかしてくれたのだろうけど、それを望むのは贅沢すぎか。
空魚は「私たちだけ映っていない」と述べる。
アニメでは、アバンの最後とこのシーンで二回、六面体を描いている。その二つの場面で模様(?)が違うので、映像的に語れたと判断したのだろうけど、「鏡面なのに私たちだけ映っていない」くらいは言ってもよかったのでは。ほんのり光っているし、CGを貼りつけて背景を描画し続けているわけでもないし、一見して鏡面だと分かるのかな。「自分たちが映っていないことを除けば何の変哲もないキューブ」と原作から読み取っていたので、ちょっと違和感があった。
緊張感がない。空魚は棒立ちで、ゲートに無頓着。そのまま次のカットに移るが、今度は空魚が茫然自失で立ち尽くしている。アニメなのだから、ここは「大慌てする空魚」と「扉が開いて=ゲートが消滅してしまい憮然とする空魚」で対比させてもよかったのでは。
扉が開いても、前述のとおり商店街に人がいないので、現実世界に引き戻されたという絶望感もない。
空魚のモノローグが削られているので、この時点で裏世界が空魚にとって特別なものだったと、視聴者には分からないのに、次のカットではいきなり鳥子が空魚を慰めている。極力モノローグを排除したいのなら、ここでこそイメージカットを使うとか、原作どおりに進行させるのではなく回想なりを入れるとか、空魚に鳥子に対して語らせるとかしてもよかったのでは。ただ原作をそのままなぞってアニメにするのは、誠実な仕事とは思えない。
アップで画面を映して、点滅しているだけなので、「ちょっと調子が悪いときのスマホ」くらいにしか見えない。もうちょっと引きで撮るとか、平常時の画面をフラッシュバックさせるとかしないと、どんな異常が起きたのが分かりづらい。
六面体もそうだけど、裏世界のもの・裏世界に触れたものをやたらと発光させるので現実味がなくなってしまっている。日常が侵食されていくふうには演出できなかったのかな。
うーん。いやあ、まあ、そういうこともあるだろう。「こいつ、後の話で出てくるんだぜ!」って、知ってたら自慢できるだろう。オッドアイ前の空魚と偶然出会っていた可能性もあるだろう。これは……ねえ。別にそんな、全然あれじゃないんだけど。遊び心だし。なんか、変に必然になっちゃったというかさ、ねえ。
金銭についての会話が丸々カットされている。あくまで空魚は打算で動いた、という建前があるからこそ、二人の関係は成り立っているのではないか。
「終電、なくなっちゃったね」は別に事実を口にしているわけじゃなくて、「帰りの足がなくなったから、ここで泊まるのも仕方ないよね」ということだ。大金に目がくらんだからあの危険な裏世界にまた行く、初めて会った人間と行動を共にする、そういう言い訳があるから空魚は動いたんじゃないのか。
アバンで授業料や奨学金の話をしているのに、ここでリアリティのディティールである携帯電話の修理なんかをカットして、主人公の動機づけができていないのは問題だ。
「空魚ならそんな話、聞いたことあるんじゃない?」に対して、原作では返答しているが、アニメでは無言で、頷きもしない。くねくねについての知識があるのなら、ここでも語るのが自然……だけど、モノローグを使いたくないから無視させたのかな。
5階で乗り込もうとしてくる人物は、くねくねのビジュアル以上に残念。このシーン……というより類話の怖さというのは、「何の変哲もない人間」というのが肝だと思っている。あくまで日常の範疇に、怪異的存在が侵食している、というのが怖いのであって、発光して明らかにお化けですって面した化け物が走ってきても、それは全く怖くない。
心霊写真だ、と言って渡されたのに骸骨が浮かんでいたら笑ってしまうだろう。一見すると普通の人なのによく見たら首が180度捻じ曲がっていた、という不和が怖いのだ。
個人的に、怪異同士や無関係な神話群を結び付けて考えるのが好きなので、ここがカットされたのは悲しい。私は裏世界の怪異たちを「人間の意識をハックした結果、最も効率的に恐怖を感じさせるものが洒落怖だったので、そのテキストを抽出し、対象に見せている」だと思っているので、その場合だと「くねくねの正体」なんかを考えても何にもならないから、カットしても問題ないんだけど。
くねくねのせいで目眩や倦怠感がある、ということだと思うんだけど、アニメでは空魚が銃声に驚いて身をかがめ、鳥子は銃が効かないことでへたり込んだように見える。くねくねと「目」が合った瞬間に空魚をアップにするとか、くねくねの特性を分かりやすく描写したカットが欲しかった。
現状把握のシーンでは、二人にくねくねが迫ってくる。くねくねって別に直接的な接触で攻撃してくるわけじゃなくて、「遠目で見ていたらいつの間にか気が狂っていた」というものであって、原作にある遠近感が狂うというのも、アリス症候群的な話なんじゃないのか。悠長に二人で会話している間に攻撃的な見た目のくねくねが直接襲ってくるという、よく分からない絵面になってしまっている。
原作を読んだ限りだと、オカ板の書き込みと「わかった! わかった! わかった! わかった!!」は、空魚が実際に声に出している。アニメではどこまでが心理ネームでどこからが発声しているのか分かりづらい。
ただ、ここは私が原作で特に気に入っているシーンなので、過剰に意識しているだけかもしれない。錯乱した感覚、脳を内側から侵食されていく不安定さが、テキストで表現されているのが好きだったので、映像化するとその辺の演出が変わってしまうのはしょうがない。
鳥子の「打ち上げってしたことないんだ」がアニメではカットされているが、冴月-鳥子-空魚という関係性で鳥子の処女性を描いているので、百合的にはここがカットされたのは残念。
打ち上げがギャグとして処理されてしまっている。非日常である裏世界との対比として、表世界はリアリティを保たなければならないのだけど、商店街のシーンといい、配慮が足りていない。
OPでは普通の作画で打ち上げが描かれているし、「ファイル5」では中間領域のために必須の場面なので、おまけとして、意図的にギャグで崩しているのだろう。
前述のように子供向けアニメとして作られたという私の読みが正しかった場合、このコーナーの存在も理解できる。『鬼滅の刃』も本編とは関係のないギャグ風の次回予告をしているからだ。
引きの絵がCGなのは何も言わない。『ラブライブ』はライブシーンで作画とCGを組み合わせていたのが特徴的だったし、『裏世界ピクニック』もそういうアニメ、ということなのだろう。
アニメ監督の川崎逸朗氏によると“2021年のアニメ新番組(中略)その全てがコロナ禍で作業されてきたもの”とのことなので、何なら、今後もこういった形式のアニメは増えていくのだろう。
https://twitter.com/itsuro_k/status/1346667359788879874
空魚と鳥子、声逆じゃない? 別に不満とかではないんだけど、空魚の方が高音で鳥子の方が落ち着いた感じだと思ってた。そりゃまあ、オーディションなりあるわけで、そこで逆パターンもやって結果こっちになったんだろうけど。これは完全に私の好みです。
さすがに私でも知っている。ティーンのことはよく分からないけど、これはいいことなのでは。
オフィーリアと土佐衛門はいいアニオリだと思う。ただ、汚い例を先に出して、「オフィ―リアと取り繕ってみたけど本心では土左衛門呼びしている」の方がよかったと思うけど。
ウダウダと書き連ねてきたけど、アニメ化に際してこうやって実際に子供に原作を読ませているだけで満点なんじゃないかな。子供、ネットロア知らんでしょ、と思ってたんだけど、どうやら普通に知っているようでよかった。「日本のおかしな現代妖怪図鑑」なんて本も出ているらしく、妖怪や都市伝説と同じくらいの認知度があるんでしょうか。
https://www.hayakawabooks.com/n/n194591ad11e3?magazine_key=m109bc51b7ac7
原作を読んでいるので不満が爆発したけど、初見だと楽しめるのでは。洒落怖をベースにした創作なんつーものを広めていいのか(面白さが理解してもらえるのか)とは思うけど、アニメ化で間口が広がるのはいいことだと思う。
所詮私はツイッターで騒いでる人なので、全然、みなさんは原作読んだりアニメ見たりしてください。裏世界ピクニックは最高に面白いので。
透明ディスプレイの使い方が上手い。映像が宙に漂っているよう。
2年前のOPムービーは良かった。コロナ禍の影響で出演者は別撮りにするしかないにしてもああいう路線はできないものなのか。
番組に客観性を持たせるという意味でサブちゃんが顧問的位置に座ってるのは個人的に賛成。でもサブちゃん話してるとき加藤一二三みたいだななんか。
いきなり三連ちゃんは各スタジオのPAの調子が実際に放送してどうなのか確認したかったからか?
やっぱりはじめてことで混乱してるところがあるのかも。
いつもいい曲あてがって貰ってる。衒いがないけど耳に残ってきれいにまとまったポップス。
平野紫耀はピッチが甘い(違和感あるほどではないけど)が声質で誤魔化されてる。ハスキーボイスに細かいビブラートが混ざってくる感じが初期の森進一ぽい。
実は弱ペダに出てた人が一番上手いのではないか、コーラスパート担当だったけどうまく溶け込んでる。
メインボーカルの男の子が変声期できつそう。でも当てふりにすると空々しいだけだから歌うしかないのか。
ワイプ芸でアイドル連中が賑やかしになってた。こういう時にジャニーズは勝手がいい、だから重宝されるのか。
氷川きよしの大幅な路線変更で後釜っぽい見られ方してるんだろうな。
「肌が合う」と生々しく歌った後で「惚れたねほの字だねほっほー」とぶりっ子かますの、ファンからはどう写ってんだろう…
SMEが推してる若手実力派女性歌手ってAimer、milet、Uru辺りだと思うんだけど、なんで他2人と比べてキャリア浅いmiletなのかな?と思ってしまった。
今年のAimerは「SPARK-AGAIN」が、Uruは「あなたがいることで」が結構ヒットしたのに、miletが披露したのは去年リリースされた曲だしなあ。
AimerもUruもミステリアスなキャラでテレビ出演は慎重だし、キャリアがある分序盤の枠だと声掛けづらいとかそういう事情なのだろうか。
ただ観客がいないだだっ広いホールの真ん中でレーザーに照らされながら歌う様はMVの再現のようでなかなか見応えがあった。
オリンピックと大河/朝ドラに全フリしたような人選。しゃべりは芸人に任せてる。
今回はサブちゃんと徹子にどう相手するかが一つの課題だったのか。
南キャン山ちゃんがチコちゃんに恐々と相手してるのじわじわ笑えてくる。
審査方法は今回データ連動を利用した視聴者投票のみ、視聴時間に合わせて投票数が変わる仕組みで大泉洋も言っていたがよく考えたものだ。
アイドルオタクは推しのために興味のない演歌もちゃんと見ろということだ。
「今年は踊らないの?」って件をウッチャンがめんどくさそうにあしらってるのが一番印象に残った。
ああいう、場の勢いでやってみたら上手く行っちゃって後々ややこしくなることってままある。
今年はNiziUと坂道グループが対比される構図だったけど、振り付けとか曲そのものの難易度はそんな大差ないように見えた。ただちょっとNiziUのほうが丁寧。
秋元康の歌詞ってイケイケどんどんで人を励ますような描写が少ない。AKBや坂系に限れば「働け、進め、若くて可愛い子に惚れた」ということしか歌ってない気がする。
「イントロがあってAメロがあってBメロで溜めてサビがきて、で、それぞれ律儀にキーやリズムパターン変えてて」っつうJ-Pop特有の歌劇調のスタイルが通用しなくなってきたなと思う。「夜を駆ける」も「香水」も「Make You Happy」も実はループミュージックの構造を成していて、リズムパターンやコード進行を大きく変化させないクラブやヒップホップミュージックの方法論に従っている。ダンスが身近になったりSNSの拡散が馬鹿にならなくなった今だとそういったどこを切り取ってもさまになるスタイルがどんどん主流になりつつある。J-Popらしいコテコテの曲は「紅蓮華」のような映像作品とのタイアップか、デートの雰囲気作りにちょうどいいバラードでしかみられなくなり、そのうち今の演歌のような「中高年向け音楽」という扱いになるかもしれない。
スカートの裾を振り上げる振りは衣装が独特な造りだから出来ることで、こういう衣装の意匠と振り付けが連動していたりするのがかっこいい。
サビの「No!no!no!」の裏で被せられてるシャウトの声は誰なんだろう。いい声してる。
だんだん大泉洋に対するウッチャンの態度がやさぐれてきてるけどどうなるんだこれから。
演歌歌手でもないのに往年の代表曲歌わせられるのは陰りが見えてきたサインかもしれないんだよな…
「Ultra Music Power」歌うときの知念の声が年々伸びなくなってきてるのが切ない。
八乙女光ってEXIT兼親に似てるよね?入れ替わってもしばらく気付かれなさそう。
こういう若い女の子が集まってるグループで1人欠席があったりするとなんか不穏な気持ちになる。
SnowManは欠場。いつ誰がコロナに感染してもおかしくないからNHKのプロデューサーはこの2、3ヶ月肝を冷やしてたんだろうな。
篠原ともえには悪いけど、Perfume(ライゾマ)の演出とかに見慣れちゃった今はただでかいだけじゃ白けるんだよな。
もう普通に歌わせてあげたって。
尼崎のヤンキー数原くんはこの王子様衣装をどう思ってんだ。衣装合わせのときに「キンプリと間違えてんのか?」って愚痴ってそう。
無観客ライブでエア握手してる紹介VTRからして可笑しすぎる。
良心的存在であるウッチャンですら吹き出してしまう衣装のセンスはどうにかならなかったのか。
元SMAPメンバーですらドアップきついときあるのによくこんな煽ったカメラワークをやるな。
洗練されたコードや譜割に独創的な詩世界。シンプルな衣装と舞台演出が曲の完成度やパフォーマンスを際立たせていて良かった。だからこそ最初の寸劇は蛇足に感じたけどこれはご愛嬌か。
坂本冬美はかっこいい老け方してる。ツンデレな温泉宿女将とかやたら頭のキレるベテランパートみたいな役どころでドラマに一回出てほしい。
10年前くらいの洋楽でよくあったEDMみたいだけど、もはやキスマイはそういう歌を歌う集団って僕は納得してる。
中継主体であることで民放特番ではよくある局内を練り歩く演出が今回採用されたのは面白かった。
何歌うかとか演出がどうだとか本調子かどうかとかそんなこと関係なくただ出てくれるだけで満足できるか?そういう安心感があるか?っていうのが大御所か否かだと考えている。
その中でも今回トップクラスにホッとしたのは天童よしみの出演シーンだった。
もう天童よしみが歌うならば知らない曲でもジャニーズのねじ込みがあってもなんとも思わない。
さだまさしがライブ後にNHKの生放送でフリートークするのを見てる人意外といるよね。
さだまさしの歌を聞くと毎回「力抜いててこうも声が通るものなのか」と感動する。中音域ちょっと歪むのもかっこいい。
やっぱりJ-Popらしい転調をだんだん耳が受け付けなくなってる。音像はがっつりサブベース聴かせてて海外のメインストリームと混ぜても聴き劣りしないレベルだと思うんだけど、なんだろう。
小室哲哉に全く触れられてないのがどうしようもないけど悲しい。
鈴木雅之を嫌いな人ってあんまいないだろうけど、かぐや様から入って「夢で逢えたら」とか「ロンリーチャップリン」知らない層もやっぱり一定数いるのかな。
意外とジャスチャー激しい人だったのに今更気が付く。
毎年恒例の子ども向けの配慮コーナーだけど当の子どもに支持されてるかは疑問。
歌ってるときの二階堂ふみのすごく努力したのはわかるし見応えあるけど本職の人にはやっぱり敵わない感じ、歌手になる夢に挫折する「エール」の役どころにはまってたな。
いずれは誰かに歌い継いでほしい。
後半に続く。
特にパートのおばちゃんとか年配の上司とか技術補佐の爺ちゃんと話す時に役立つと思ってさ。
そのへんの職場における関係を良好に保っておきたいけどやや価値観が違って共通の話題を持ちにくい相手とのコミュニケーション手段が4時間で手に入るなら安い投資だと思ったわけよ。
出だしの「今年はコロナで生活が一変して辛かったですよね」って所で早くも振り落とされそうだった。
別に俺はコロナで生活が変わっても困ってないし、むしろ飲み会や地元への帰省が断らなくても向こうから勝手に中止になって助かるぐらいだった。
「多数派の意見はすなわち全国民の意見である」と言わんばかり、いや、言うまでもなくそうであるという主張がいきなり豪速球で飛んできた、俺はそう認識した訳さ。
どっかのコピペで「全体を100としてそのうち26を支配すれば、多数派のうちの多数派を支配することで結果としてすべてを支配できる」と言っていたが、まさにそういった考えを無自覚でやってのける多数派連中の傲慢が国営放送の年末特番ののっけから飛んでくきたこと、まさにそれが俺を心底がっかりさせたわけだ。
はだしのゲンに出てきた非国民連呼多数派迎合無責任愚民集団から1ミリも成長してない思考回路が剥き出しだったのさ。
吐き気がしたさ。
でも耐えた。
そもそも歌番組なのにOPが一曲目から始まらず司会進行の自己紹介からスタートって事が気に食わなかったが、こりゃあくまで趣味的なもんだ。
あんな適当な物をさも「最新技術との融合≒今風だから若者も安心』と言わんばかりに見せられた所でいよいよ必死に飲み込んだツバに酸っぱい味が混じったもんだ。
そこから歌が始まるわけだが、まあ歌の内容自体はそんな文句もないし、ちょっと聞き覚えのあるグループの最新曲と演出が分かって多数派に媚を売るための下準備にはなりそうじゃねえのって投書の目的を思い出しもしたさ。
だがな、背景に出てくる映像が無理すぎた。
『コロナの中で必死に団結しようとする全国の皆さん』の映像がよお。
ふざけんなよ?
つまりはこの紅白ってのはどこまでも「コロナの不幸は『人々が繋がれなくなったことにある』と捉える連中」のためのものだってことか?
そのスタンスが単にちょっと最初のMCで掴みを得るためのものじゃなくて、ずっと貫くつもりだってのか?
無理だ。
世間が一色に染まっているはずというその無根拠な盲信、そういった番組が税金で作られスペシャルな番組として流される。
俺はチャンネルを切った。
いっそNHKも解約しようと思ったが、一度契約したが最後手続きがクソ面倒くさい国営詐欺のような代物であることを思い出してひとまず愚痴って終わることにした。
別に歌には文句はなかったし、演奏やステージの豪華さは流石だと感じた。
聞いたこともねえアイドルが歌ってようが、アニソン歌手の痛いコスプレ大会だろうが、演歌はまだ終わってませんよと老人世代の文化へのヨイショだろうが、むしろそういった「それぞれの閉じこもった文化による闇鍋」であることにこそ、国営放送でやる意義があるように思った。
たとえば、AKB系の世界ではやたら人数の多い連中が男性の性欲を刺激することを意識しつつ同じような振り付けで踊る喜び組のような文化が今でも続いてることを、わざわざ自分で調べることなく勝手に向こうから教えてくれるのだ。
自分にとって異文化である空間で今何がどう流行っているのかを、半年~数年程度の遅れの範囲で一気に把握できるというのは非常に便利なのものだ。
ぶっちゃけ紅白にはその文化の本当の最新ブームはまず出てこない。
選考段階において流行っているかが一つの基準になるし、その上で多くの層にとって「そうそう今年はこれが流行ってたんだっけ」と思い出してもらうことが目的だからだ。
本当にその界隈に置いて最先端のはやりは、その界隈の中で勝手に盛り上がっていろが紅白のスタンスだろうし、それは正しいと私は思っている。
何も求めない。
紅白という番組の方向性が「多数派のお祭り」であるというのならそれを貫けばいい。
闇鍋歌番組は別に他にもあるわけで、私が求めているのがそれならばそっちを見ればいいわけだしな。
私が求めるような「世の中における多数派を気取る人達とのコミュニケーション手段」を目的に紅白を見るのなら、そもそも「コロナにおける最大の被害は人恋しさ」という価値観の方にも迎合して見せなければおかしいのだ。
それができないくせに安易に他所の文化に首を突っ込んだ時点で、私に文句を言う資格はない。
どうせ紅白の話になれば自然そういう流れになるだろうし、その時に必死に誤魔化してもきっと何処かで矛盾が出るだろう。
下手をすれば「地元に帰れなくて寂しかったです~~~😂」「人のつながりって本当に大事~~😍」と心にもないことをひたすら一年中言い続けることになったやもしれぬ。
そうなるぐらいならもっと別のアプローチで雑談のネタを探った方がまだ建設的だろう。
その事に気づけたのは紅白のおかげだ。
多数派(であることに甘えきった自称「普通」派の連中)の高慢というものをちょっと甘く見ていた。
でもさ、俺やっぱこういう番組作るのに金払ってるって思いたくないからさ、解約させてくれない?
別にジョジョや田亀源五郎のドラマとか興味ないし、子供いないから教育も見ないし、ニュースも「中立中庸」って感じでやってないみたいだしさ。
いらないんだよね。
それで100円ぐらい今より値段下げて。
正直、自分が払ってるお金の中に「他人の家にズカズカ上がり込んだり嫌がらせすることで相手にプレッシャーをかけて金巻き上げてくるヤクザまがいの連中への給料」が入ってると思うと凄く嫌なんだよね。
そこは本当勘弁して欲しい。
長くて読めねーよという方は、こちらの動画をどうぞ。 https://www.youtube.com/watch?v=xuTbgInWgsw https://youtu.be/C5e_QmwXeQw?t=725
追記2
本文にも書いてるけど、クレームの詳細やBL映画の広告の内容や手法の是非については、正直どうでもいいっす。そっちこそどうなんだ主義とか表現の自由だとかの議論をする意図は、全くありません。
この記事を書いた理由のほとんどは、クレームで停止したマジカミの映画CMの供養が目的で、残りは停止に対してブックマークでどんなコメントがあるか、という興味です。(追記2ここまで)
追記3
1月予定で、シュタインズ・ゲート復刻キマシタワー。(追記3ここまで)
マジカミとは魔法少女になれる12人の女の子が戦うターン制戦闘の3DCGのゲームで、全年齢版とエロありのR18版があります。オート周りがかなり親切に整備されていますが、ある程度の操作が必要な難易度のコンテンツもあります。また、ガチのアニメOPや、全編でそのままのサイズの3DCG、オシャンティなメニュー画面/音楽も満足度が高いです。
先日のインタビューの記事では、開発寄りの方に受けが良かったのか、人気エントリーに載ったりしました。 https://www.famitsu.com/news/202011/20209683.html
なんか映画館行ったらエロBL映画公開されてるんだけど anond:20201211184533 が人気エントリーに載ってたから。
なんでこれがOK(一部のブックマークコメントから)で、マジカミはだめだったんだ? 納得いく理由とかは正直どうでもいいけれど、その人たちのコメントを知りたい、というのが2~3割くらい。
BLじゃなかったら駄目だったんだろうか?
お金を出した人だけが見れる映画CMは公共で、映画館のポスターやエスカレーターの広告は公共ではない?
ゾーニングしてないから? でも鬼滅の刃の映画はPG12だったけれど、そのゾーニングでも足らなかったんだろうか。
多分、コメント自体は擁護ではなく、どちらがあってもいいだろ論(クレームの当事者ではないだろうし)だろうけど、既に実際にクレームで止められた映画CMがあるんだが、そのクレームはOK?
クレーム自体は、最終的な理由はR18版があるからってのが理由なんだろうけど、それをOKとしたらエヴァやfateに、その他エロゲー発の数多くのゲーム作品および派生作品もダメにならんか?
という諸々を書いたけれど、書いた理由の残りの7割強は、映画CMの供養。
全く知らないBL映画の話題が人気エントリーに載って、結果的にCMになっている。でも自分が遊んでいるマジカミは映画CMが停止されるだけで、(追記1)そのクレームで停止されたことが何も話題にもなってないのも、なんか理不尽だし。
なので、前者の増田のコメントをした方向けへの露出でも、後者のマジカミの映画CMの供養の目的でも、どちらでも良いので人気エントリーに載るようにブクマしていただけると助かります。
制作会社がMAPPAになった途端に作画クオリティがガタ落ちしてしまったが、ストーリーは時系列のおかしな改変がなくて、だいぶ分かりやすい。原作既読勢は、原作どおりだなーと思うだろうし、初見の人は、これまでの話を知らなくても、なんとなくストーリーを追えることだろう。
という点をいいところとして挙げるのは、3期ではその辺りがどんだけ酷かったのかってことの裏返しなんだよなぁー。
3期は、映像的な面白さの枝葉末節に拘り過ぎて、他の全部がダメになった感じだった。原作既読者が観たって、何が起きているのかよくわからない、残念な脚本だったのだ。シリーズ構成の小林靖子氏はすごくいい脚本を書くひとで、私も『どろろ』とか結構好きだったんだけど、この人、何でか時系列を大事にしないんだよな。何の前触れもなく時間が進んだり戻ったりして、訳わかんねー。1期はわりと普通に観れたから、2期以降は監督との相性かなんかなのかなあ。ま、進撃の場合原作のストーリーがしっかりしてるので、独自色の強い靖子節などは要らなかったかもね。
なんて、4期の感想というより3期の悪口になってしまったな。4期の話に戻ろう。
オープニングとエンディングが、アートっぽくてすごく良い。アニメのOPやEDのお約束をぶち破る、斬新かつとても進撃らしい映像と音楽さいこう。
ストーリーの方はというと、筋書き通りに進んではいるものの、原作で随所に仕込まれていたギャグシーンが総スルーされているのが悲しい。そんな真面目にやんないでいいのよって思った。会議実は青空会議は、笑うとこだよ!
声優さんの演技は大体全部いい。特にガビの元気溌剌さと高慢ちきさのバランスがグッド。子安さんは子安さんなんだからもっとふざけて欲しいけど。せっかく、ジークなんだし。
映像については、CGの多用は仕方ないにしろ目立つんよ。ガビのお父さんの頭とか動きがふわふわし過ぎだよ。ライナーに注目が集まるシーンでドローンで追跡していくみたいにライナーが徐々に大写しになる場面は、凄いんだけど作画があんまりよくなくて。
まだ2話なので言えることはあまりないのだけど、結構悪くない感じ。
最終巻読んだ人の中には既に気づいている人も多いはずだけど、アニメ版OP紅蓮華には実は凄い秘密がある。
最終巻まだ読んでない人はここで引き返したほうが良い。
アニメで見るつもりならそこで明かされるはず。
強くなれる理由を知った 僕を連れて進め
⇨そう、まさにここだよね「強くなれる理由を知った」のは誰だったのか?僕とは?連れて進め?そういった謎が最終巻で全部明かされる
泥だらけの走馬灯に酔う こわばる心
⇨この漫画でもトップクラスに回想パートが多いキャラは?もちろん1位は炭治郎だけど時点は誰だろう?
震える手は掴みたいものがある それだけさ
夜の匂いに空睨んでも
⇨夜こそを住処とするのは?鬼殺隊?それとも?
変わっていけるのは自分自身だけ それだけさ
⇨この漫画全体を通して一番変わったのは誰だろう?ヒント炭治郎は最初から強い子だった。
強くなれる理由を知った 僕を連れて進め
⇨もうネタバレ配慮いらんよな?そう。これは鬼舞辻無惨の歌だ。
どうしたって!消せない夢も 止まれない今も
⇨死の無念さ、失われる夢
誰かのために強くなれるなら
⇨そして出会う、門炭治郎の持つ輝き
ありがとう 悲しみよ
⇨敗北し、鬼舞辻無惨は死ぬが、炭治郎の強さを知ることが出来た
紅蓮の華よ咲き誇れ! 運命を照らして
⇨行け。炭治郎。散りゆく無惨の思いを託され
イナビカリの雑音が耳を刺す 戸惑う心
優しいだけじゃ守れないものがある? わかってるけど
⇨部下に厳しく当たる鬼舞辻無惨
逸材の花より 挑み続け咲いた一輪が美しい
⇨才能任せの日の呼吸、挑み続けた火の呼吸
乱暴に敷き詰められた トゲだらけの道も
⇨異常者に追われ続ける無惨の人生
本気の僕だけに現れるから 乗り越えてみせるよ
⇨それでも諦めない頑張れ無惨
簡単に片付けられた 守れなかった夢も
⇨永遠に生きたいと夢を完全に打ち破られ
紅蓮の心臓に根を生やし この血に宿ってる
⇨それでも託した思いが炭治郎の中を生きる
⇨無惨に悲しい過去。死による結末
無情に破れた 悲鳴の風吹く
⇨死に直面した悲しみ
誰かの笑う影 誰かの泣き声
⇨歓声を上げる異常者の集まり
誰もが幸せを願ってる
どうしたって!
消せない夢も 止まれない今も
誰かのために強くなれるなら
ありがとう 悲しみよ
紅蓮の華よ咲き誇れ! 運命を照らして
アニソンについてのブコメだと、どうしても「今のアニソンはタイアップばかり。作品名や必殺技名が歌詞にある昔のアニソンは良かった」
ってコメントが並ぶけれど、下手な往年のアニソンらしいアニソンより、今の邦ロックタイアップアニソンのほうがずっと作品の内容を理解して制作されているように感じる。
もえあがーれーガンダムーとかさ。せいぎのーいかりをーぶつけろーガンダームーってなに。どう考えても鉄血のオルフェンズやガンダムUCのタイアップJ-POPより作品への理解がないでしょ。作詞家は富野監督に謝ってほしい。
多分るろうに剣心のジュディマリあたりの悪印象が強いんだろうな。一方で、作品にめちゃくちゃフィットしている印象のハガレンOPのアジカンのリライトは、作品用に書き下ろされた曲ではまったくなく、レコード会社の提示したストックの中から監督が掘り当てた既存楽曲というのも面白い。