2011-11-15

縮んでいく世界で楽しく生きること ~21世紀人類課題

21世紀人類課題、なんて大きく出たけど、僕らの叡智はこの1点に集中すべきと思う、とぼんやり考えている。

縮んでいく世界でどう楽しく生きるか。

ホント、これだけ。市場がどんどん拡大して、どんどん儲かる時代はもう終わった。

僕らは自分が思ったよりもなんかずっと貧乏だった。


僕の会社は今季赤字だそうだ。

欧州不景気や円高のせいでまるで利益が出ないんだと。

(ついでにタイ洪水サプライヤさんが止まってしまってモノが作れない)

あんだけ残業したのに、「赤字です」だと。

やる気なくなっちゃうよなあ。


僕の地元東北のすごい田舎だ。

実家帰省するたびに過疎化が進んでいるなあと寂しい思いになる。

バス電車の本数はどんどん減って、駅前には老人ホームが新設され、パチンコ屋くらいしか賑わっていない。

僕を含め、若い人はどんどん東京に出ていってしまう。

から雪かきは年老いた両親がやるのだ。

僕が子どものころは8人の大家族だった。

今、住んでいるのは両親と祖父の3人だ。きっと寂しい思いをしていると思う。

祖母は自殺をした。

体の不調を感じ、(または過度に思い込んでしまって)自分介護をさせるくらいならと死を選んだ。

自分介護に苦労したから、母にはそんな思いをさせたくなかったし、そんな姿を見せたくなかっただろう。

でもなんで……


よく実家に遊びに来ていたおじさんが自殺した。

遊びに来るときケーキを持ってきてくれて、年末年始の親戚の集いでもよく参加する元気の良い人だった。

孫もさずかり、よくなついていてとても幸せそうに見えた。

けれど収入を得られる仕事がなかなかなく苦労していたようだ。

老体にむちうって、鉄道メンテナンスをやっているといっていた。

「やっぱり俺は農家人間だった。商売人には、なれなかったなあ」

親戚の集いでふと僕に言った言葉を思い出す。おじさんは営業畑で生きてきた人だった。

何を思ってこの言葉を言ったのだろうか……


社会家族共同体が小さくなって、吸収しきれない絶望けが個人の中に膨らみ積もっていく。

お金は、明日のよりも少なくなっているかもしれない。

家も古くなっていく。手入れされない田畑が増える。

自分の身体は老いて、頭もはっきりしなくなっていく。

それらの予感でますます老いていく。


ほうっておけば絶望の底に引きずり込まれそうな縮小形の世界

僕らはどう楽しく生きるか。

局所的に拡大しているサークルに身をおくのか? でも外側の老いていく両親はどうするの?

悩ましい。

悩ましいけど、どんなところであれ明るく楽しく生きていくのは人の義務だと思う。

全く新しい考え方が求められている気がしてならない。

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