2011-10-12

働かないアリからニートを擁護する愚論

http://blog.livedoor.jp/honkinohonyomi/archives/52529848.html

余力のある社会は強い//『働かないアリに意義がある』長谷川英祐 « 本気の本読み―グループ書評・本のまとめブログ


http://news.nicovideo.jp/watch/nw127033

http://nikkan-spa.jp/72646

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ブラック企業の“大手”社員が激白「すでに社畜化してますね」 | 日刊SPA!


最近良く聞かれるようになった「働きアリの中にも怠けた蟻がいて、それは集団のためになっている。これは人間における労働者ニートの関係と同じだ。だから働かない人がいることは悪いことではない」という主張。これはまこと見るべきものを見ない唾棄すべき愚論である


単純に言えば、アリ社会


それにひきかえ日本人は、


端的に言えば一番最後こそが両者を分かつもっとも重要ファクターなのだが、こういった還元主義的発想は共通項ばかりを論って差異に無頓着である

ましてや仮にこの言説が一定以上の信頼性を持ち得たとしても、この手の大局的主張は個を幸せにすることはない。幸せになるためには物質的、精神的な満足こそが大事なのであり、それは様々な方法こそあれ、多くは労働によって達成されるのだ。

資産家の御曹司で余生も安泰だという若年層にとっては、それでもいいだろうが、多くはそうではない。そしてこの主張はそうでない「溜めも役割もない」人々に向けているのだから、どのみち的はずれである


ちなみに、「アリとキリギリス」などを引き合いに出して現代の「労働者ニート」問題に置き換える言説はこれより以前から見られたが、これはそれ以上に愚論である。そもそもキリギリスはまともに働こうが最初の冬には死ぬのだからニートキリギリスに当てはめるという事自体が残念な考えである。もちろん、この話が成立した時代においては仕方がない事情もあろうが、21世紀にもなってこのような話をしたり顔で振りかざしていては恥知らずしかいいようがない。


われら人類ニートの問題はこれら以上に複雑なのだから、このようなバカでも知った気になれるような矮小化に振り回されてはいけない。

  • 言いたいことはわかるけど、それ「論」ではないね。 言いたいことをしっかり論理的に文章化すれば、その結果には同調できる。

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