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はてなキーワード: 鬱屈とは

2019-02-27

産経新聞東京新聞兄弟のように似てるなあと思うのは、もしかしたら東京様にいながら地方支配されてる鬱屈感があるのだろうか。

2019-02-18

ほんとうは危ない「イイネ!ダンス

 

 

昨年ブームとなり、

老若男女が無邪気に模倣したであろうイイネダンス

 

言わずと知れたDA PAMPの大ヒット曲 USA

そのサビで踊られるダンスのフリのことだ。

 

あのダンスに込められているその危険意味を、

何人の日本人がそれに気付いているだろうか…。

 

おそらく何割の方はそれに気付いており、

その重ね合わされている意味理解しているが故にあえて、

このブームをバズらせる事に荷担してもいたのだろう。

 

そうは思っているのだが、

どのくらいの人数にそれが共有されているのだろうか。

そう不安にも思っている。

 

 

イイネダンス

 

 

イイネ!と形容するくらいだから、もちろん良い意味で受け止められているのだろう。表面上は。

 

その特徴的な右手の動きも、親指を立てるそのポーズも、

当然「Good!」を意味するジェスチャーから来ているのだろう。

 

しかし、

その曲に合わせシェイクする腕の振りに違和感を感じないだろうか?

 

その腕の角度と位置が高すぎるのだ(元ネタとされるshootダンスと比べても)。

 

 

 

その手の描く放物線は頂点を超え、背中側では下るほどなのだ

そしてまた、その仕草身体を画面に対し横を向いて行われるのだ。それはなに故だろう。

 

その立てた親指が描く軌跡が、親指がどこを通過しているか

 

その意味を少し考えたら、その違和感の答えが分かるのだはないだろうか。

 

 

親指を下に突き下ろす仕草は、相手否定意志を示す行為であり、

その親指を首の前で通過させる仕草は、死ね!殺すぞ!という意味である

 

そしてこの手の動きとセットとなっているのが、足で何かを踏みつけるような仕草でもある。

 

 

 C'mon, baby アメリカ

 

 

これはちょうどイイネダンスが踊られている時に歌われてる歌詞である

 

その意味は、愛しい人を招き寄せる時の呼びかけであると共に、

敵対する相手挑発する時に吐きかける言葉でもある。

 

この、密かに重ね合わされている意味を、どれだけの人が自覚的に使っているのだろう‥。

 

無論、これはそう解釈できる…という話であって、振付師意図を決めつけているものではない。

ただ、そんな解釈もしうるダンスを、あなた家族子供にこのまま踊らせていても良いとお思いでしょうか?

 

今なお気になって仕方がない。

 

いかがだろうか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついでに蛇足ながら…、

 

「ダサカッコイイ」とも評されたその意味が相反する評価

 

それは単なる外部評価としてあるのだけではなく、

曲そのものの中に、相反するままに、貫かれているような気もする。

 

まず、今上げたC'mon baby にあるように、戦後ずっと常に日本指導し先導し父親のようなポジションにあったアメリカを、あたかも目下の対象であるかのように呼びつける構図を描いている。

 

これは、昨今多少批判的に言及されるようにもなってきた「日本スゲー」勢を満足させる構図でもある。

アメリカ挑発し、見下し、かかってこい!と挑発しているのである

気持ちの上では。

 

その潜在的意味を、意識的にか、無意識的にか、人それぞれの割合で汲み取られていたことによって、この歌は、この時代に、必然的な条件を揃えて一大ブームとなっていたのだろう。

 

気持ちの上だけでは。

 

 

そう。潜在的な願望としては持っていても、直接面と向かって宣戦布告はできない。その度胸は無い。

 

から、正面向いて直接的に挑発ポーズは取れやしない。

横を向いてその意味を隠し、最初イイネのサムズアップを強調することで言い逃れをまず先に用意しているのだ。

 

その鬱屈した感情の発露が、ダサイ。

ダサイけれど、完全に服従している訳ではないという秘めたる信条がカッコイイのだ。

 

アメリカ欺瞞対象として賞讃しつつも否定する。

 

 

 ドリーム見方を inspired

 

 

それは、夢を見せて成長の原動力を与えたくれた…という意味ではあろうが、

叶うはずのない夢を追って身を持ち崩すよう動機付けられたとも取れる。

 

 

 サクセスの味方を organizer

 

 

成功道筋を付け導いてくれたというように解釈すべきではあろうが、

儲けに繋がる見込みのない者には一切目もくれられないとも取れなくもない。

 

 

 C'mon, baby アメリカ

 

 

英文の部分の意味は逆さに解釈するのだとすれば、この言葉はこうなる。「こっちに来ないでくれ」と。「アメリカよ、もう日本に関わってくれるな」と。

 

 

 どっちかの夜は昼間

 

 

栄枯盛衰弱肉強食繁栄の裏に影在り。

 

我々が、日本が、現状「夜」であることは、今、これまでが、アメリカが「昼間」であった事と必然的関係となっているのだ。

 

 

 

…と、

 

ここまでだけなら、アメリカ日本の構図で終わりである

しかし、こうも歌われている。

 

 

 競合してくジパング

 

 

より強くアメリカナイズされた沖縄は、日本本土に対して先行する存在だ!と、そこで育った若者としての自意識はあったりするのだろう。

しかし、そんな沖縄基地問題にもあるように、日本本土から負担一方的押し付けられて続けている存在でもある。

 

どっちかの夜は昼間…その沖縄「夜」を産み出している「昼間」とは、単純にアメリカとしてよいのであろうか、それともその標的は実は日本本土を指しているのであろうか。

 

アメリカ繁栄の裏で、日本国内の対立は煽られている。

 

それらをひっくるめて歌われている。

 

 

 C'mon, baby アメリカ

 

 

これをただ無邪気に歌い踊っていてよいのだろか?

 

その親指を地面に向けて突き立てているその矛先は、どちらを向いているのだろうか…。

 

 

 

 

 

芸術への衝動

この世界で起こっているしょうもないできことを、物腰柔らかな口調で切れ味鋭く皮肉りたい

抽象的なイメージと大胆な色使いで構成された映像を、俺の好きな70〜80年代音楽に載せて巨大なスクリーン爆音で流したい

自虐的言動鬱屈し続けてきた自分の半生を、見た目は綺麗な1枚の絵画中学生でも読めるような平易な文体小説へと落とし込めたい

それらを実現するためのスキルが、俺にはない

世界の片隅のこんな片田舎世界の中心への憧れを数十年燻ぶらせているがもう限界

どうすれば俺のこの思いを世界に発信できるだろうか

どうすれば俺は何者かになれるだろうか

2019-02-15

anond:20190212122924

若者鬱屈してない。就職は空前の売り手市場働き方改革残業少ない、初任給も上がり始めた。

鬱屈してるのは氷河期アラフォー

2019-02-14

anond:20190212122924

その鬱屈具合も今の若者多様化分散化しすぎて少数のまとまりの中でしか共感を得られなくなっている

世代でも他グループ鬱屈には共感不能

から時代鬱屈表現したような尾崎豊みたいなのは現代には現れ得ない

anond:20190212122924

尾崎時代自分vs社会鬱屈のはけ口になっていた

今の時代鬱屈がある場合自分vs自分と捉える傾向が強い

多分転換点は2000年

doragon ashviva la revolution革命を歌いながら、それは社会への働きかけを歌ったのではなくて自己変革を通じて同世代連携

ともにこの社会を歩んでいこうというメッセージだった

2019-02-12

今って、尾崎みたいに鬱屈した若者を代弁するようなアーティストっていないの?

2019-02-07

[] #69-3「愚者自覚

≪ 前

結果、俺のいるAチームは負けた。

勝敗内野の残り人数で決まったんだけど、Aチームは俺1人で、Bチームは2人だった。

「うーん、惜しかったね」

ブリー君は何の気なしにそう言った。

俺たちは、それに気のない返事をする。

「……そうだね」

そう、僅差だった。

からこそ、俺たちはブリー君を恨めしく思った。

不平不満を垂れ流して味方チームの士気を下げつつ、パスで敵に易々とボールを渡し、避けるそぶりすらせずやられたブリー君をだ。

もちろん、俺たちのプレイに何の落ち度もなかったわけじゃない。

最も悪目立ちしたのがブリー君というだけだ。

でも、ブリー君が文句ブツブツ言わなければ、パスくらい最低限できれば、避けるのをもう少し頑張ってくれれば……。

そのどれか一つだけでも多少できれば、マシだったなら勝てたゲームだ。

極端な話、ブリー君がAチームではなくBチームにいれば……いや、ブリー君がいなければ勝てたに違いない。

僅差で負けたという結果は、そんな鬱屈とした思いを大きくさせた。

だけど、そんな俺たちのことなんてブリー君は知ったこっちゃない。

「やっぱり戦術不足が敗因だと思う。もう少し対策を練るべきじゃないかな」

ブリー君は自分プレイを棚にあげ、物知り顔で語りだした。

外野も、もっとパスを回して相手を動かして、体勢が調わなくなったら足元を狙えばいいんだよ」

挙句に、俺たちにアドバイスまでし始めた。

まあ実際のところ、ブリー君の言っていること自体的外れってわけじゃない。

言ってる本人がまるで出来ていない点を除けば、一理ある指摘だ。

だけど「ブリー君が足を引っ張ったから」という指摘の方が、何理もあるのは変わらない。

そのことを言わないよう気を遣う俺たちと、その可能性を1ミリも考えないブリー君。

健全なコミニケーションが成立するはずもなかった。

「うん、うん、分かったから。早く教室戻ろう」

「そうそう、そうだよブリー君。早く着替えなきゃ」

俺たちはそう言いながらブリー君に背を向け、小走りでその場を後にした。

ブリー君が後ろからまだ何か言っていたが、自分たちの会話でそれをかき消す。

それは、良いやり方ではなかったけれど、それが俺たちの精一杯だった。

あの時、ブリー君の顔を見たり、声を聞いたりする余裕が俺たちにはなかったんだ。

本心からくる心ない言動が、いつ表に出てくるか分からなかったんだから


私、女だけど、ああいうのと上手くやっていける気がしないわ」

俺たちにだけ聞こえる声量で、誰かがそう呟く。

仲間のタオナケだ。

“ああいうの”とは、たぶんブリー君のことだろう。

自分の言っていることが周りにどう思われるか、まるで考えていないんだもの。すごく無神経で、そのことに無自覚で、自分のことを客観的に見ようともしない」

タオナケの言うことには同感だ。

だけど諸手をあげて賛同するわけにもいかなかった。

タオナケ。そういうことは出来る限り声に出さない方がいい。ロクなことにならない」

「私、オカルトは好きだけど、言霊だとか本気で信じちゃいないわよ」

「そういう話じゃあない。言いたいことを言うのに慣れてしまったら、いずれ歯止めが利かなくなっていくと思うんだよ。そうなったら俺たちはブリー君と同じだ」

俺たちはクラスメートとして、否が応にもブリー君と接していかなければならない。

毎回、苛立ちを言葉にしていたら身が持たないんだ。

「無理して仲良くする必要もないけど、だからといってトラブルも望まないだろう?」

「私、その理屈は分かるけど、何だか不服だわ。こっちが一方的我慢を強いられてるみたいじゃないの。ねえ、ミミセン?」

タオナケが仲間のミミセンに話を振るが、反応は鈍い。

「おい、ミミセン」

俺はミミセンを軽く小突いた。

「……あ、ごめんタオナケ。聴こえてなかった」

雑音を嫌うミミセンは、その名が示す通り耳栓をよくしている。

それでも普段は近くの会話くらいは聞こえるんだけど、その時は耳当てまでつけて音を防御していた。

しかも、その耳当てを手で押さえつけた状態で、小さい呻き声まであげているのだから聴こえるわけがない。

「私、戸惑ってるんだけど、ミミセンどうしちゃったの?」

「どうもブリー君の声が、だいぶ耳に“くる”みたいなんだ。声質とか、喋る時の抑揚とか、色んなものが相性悪いみたいで……」

ミミセンの反応は極端なパターンだけど、この時点でクラスの皆が精神をすり減らしていたのは事実だ。

時間問題だろうな。

俺の未だ残っている理性が、漠然とした未来を告げている。

次 ≫

2019-01-22

anond:20190122012239

一部の勝ち組以外はみんなヒイヒイ言って働き詰めで鬱屈した生活を送ってる

こんな国が先進国ですと言われても、

否定はしないが、ハイそうですかとしか言いようがない。

2019-01-21

2019-01-22

■風嬢で一生が終わると思っていた

自分をMだと思おうとしていたが、どうにも違うらしい。多分私は馬鹿なだけだ。だからあらゆることを受け入れられるし、何をされても笑っていられるんだと思う。

中学生の頃男子にボロカスいじめられていて、毎日「ブス」「キモイ」「しね」のどれかを聞くような日々を過ごしていた。それと同時進行で私はネット上で男に自分性的な面をアピールして欲情されることに酔っていた。バランスを取っていたんだと思う。リアルではボロカスに言われてゴミ扱いされているけれど、ネットではちゃんと女として市場価値があるんだぞ、と逃げ場を作らないと自分が滅茶苦茶に壊れてしまうような気がしていた。

高校生になってもそれは続いた。

周りの女子は一気に垢ぬけていくけれど、私は馬鹿なのでなんでみんながそんな風に一気に女らしくなっていけるのかわからなかった。要するに私は容姿に恵まれないのみならず芋っぽいダサい女だった。そうなってくると今度は見た目の面でも顕著に美醜やセンスが際立ってくる。女子にすら「デブゴリラ」と言われる始末だった。

私はそんな風に現実過酷化していくのと同じようにネットにのめり込んでいった。高校に上がりケータイを手に入れた私は遂に出会い掲示板(年齢や個人情報登録する必要のない、実質出会い系サイト。多分当時はギリギリ合法)で自分性的チヤホヤしてくれるおじさんと性的なことをするためだけに会った。とはいってもおじさんが、私は処女から無駄に気を利かせてくれたから、挿入は無かった。それにしたって、私にしてみれば自分に対してリビドーを感じ我慢できず放出するだらしない男の姿はひどくセンセーショナルで、蠱惑的に映った。

それから色々な男とやりとりをしては性的なアレコレをした。それだけが私の自己承認欲求繋ぎとめていた。

その中で私は奉仕型のMだとよく言われた。そうかもしれない、そう言われるならそうなんだろう程度に考えていた。

高校卒業後すぐ、出会い系サイトで知り合ったおじさんを迎え入れて、その人の精液と一緒にティッシュ丸め処女を捨てた。

お金は貰っていなかった。今思うと本当に頭の回らない馬鹿だったと思う。どうせヤるなら売れるものは売っておけばいいのに。

私にとって私という女はゴミカス程度の価値しかなく、私の体は見た目の悪い玩具しかなかった。

同時進行で卒業まで続いていたいじめが辛すぎて、大学進学をやめておくことにした。きっと私は大学でもうまくやっていけないとどこかで思っていた。結局股を開いてしか男とコミュニケーションが取れない私は「みんな」の言うように気持ち悪い存在なんだと、リアルネットが実は地続きなんだと、そんなことに気付き始めたころ、私は既に疲弊絶望に包まれていた。

疲弊絶望したが、だからといって救われるわけではない。

適当専門学校に進んだ私は一人暮らし生活費を稼ぐために風俗店入店した。

本番禁止店であったが、結局のところ誰ひとりとしてそれを守る人間などいなかった。それは嬢も客も一緒だ。

毎日が肉欲にまみれ、甘ったるい接客で何人もの男を相手し、日々脳みそがとろける感覚がした。私は遂に落ちるところまで落ちていくんだ、落ちていけたらきっと楽だとすら思った。そうしていくことが、いじめから始まった私の女としてのコンプレックスが報われるたった一つの道だとすら思った。私は男がリビドーを捨てていくためのゴミ箱に甘んじることでこの物語を終わらせよう。潮時と思える時が来たら死んでしまえばいい。

そう簡単にもいかなかったんだけれども。

結局実習で馬鹿さが露呈してまたいじめに遭い、私の意識は急激に社会に引き戻されて、学校も続かなくなって実家に帰ることになった。

専門学校講師の勧めで精神科にかかったら、薬を処方された。

いじめから始まった色々な鬱屈は、いじめによって急激に収束し、結局田舎の芋くさい女に帰って来た。

自分性的コンテンツとして消費されていたのがウソみたいに、私は今淡々パートタイマーとして働いている。

不思議なことに、潮時をとうに過ぎている気もするのに、私はまだ生きている。多分、これからも生きていく。

今思うと、若気の至りじゃ済まされないよなって、若くたって自分の頭で考えればもっとマシな道を選べたはずであると思う。当時は「コレしかない」と思っていたことでも、案外別の選択肢なんかごまんとあったりするんだと最近になって気付いた。

結局のところ私は変態性欲者でもMでもなく、ただの馬鹿だったんだと思う。

後悔は先に立っていてはくれない。多分、先に立っていたとしても無知な私はその啓示を無視するんだろう。私なんてそんなもんだ。

こんな体験談ごまんとあると思うけど、だからこそ似たような体験した人がコレを読んだとしたら「自分だけじゃなかったんだ」とか思ってもらえたらいいと思う。

それをここに置いて、過去自分への懺悔とする。

2018-12-26

anond:20181226102801

あなたがそう考えることは勝手ですが、差別主義者の主張は社会同意を得ることができません。

リアル鬱屈を抱えたまま、せいぜい増田で好きなだけ吠えていてくださいね

2018-12-25

anond:20181225100407

ありのままでみたいなのが大受けしてたし、本当の自分を見てもらえない見てもらってないという鬱屈した思いの人が自分を誤解なくわかってほしくて事細かにこういう文章を書くのかもしれないな。

2018-12-22

anond:20181222104922

罪じゃないけど新規絵を期待してる層ってのはやはりいるだろう

そういうのが蓄積すると、新規絵もえらるキャラとそうでないキャラ差別化されてる、みたいな鬱屈した言説が飛んでくるので

なるべくみんな新しい絵を発注してください

2018-12-15

anond:20181215222702

どうしようもない鬱屈した男が主人公の食漫画って例えば?鬱ごはんとか?

美少女人生に登場しないでも救われる話

やる気ないフリーターとかニートとか無職おっさんとかで、しかも暇を楽しむ度量もなくただただ鬱屈としているようなどうしようもない男が最終的に救われる漫画またはアニメアニメ映画含む)で、しかも救われる理由が「美少女が俺の人生に現れたから」「美少女承認してくれたから」「美少女を助けようとか美少女にいいとこ見せようとかしてちょっと頑張ったら意外と事態好転たから」とかじゃない話を探してるんだが、なんかある?

登場人物美少女がいても、主人公一方的に憧れているだけで現実では何も進展しなかったり、ちょっと優しくされて舞い上がったけど実際は陰口言われてて絶望したりする展開ならあり。逆にどんなに美少女が表面上ツンツンしててもいざという時に駆けつけてくれたり、最終的にSEXできるならダメ

自分でも調べてみたんだが、ただ美少女が出てこなくて面白いアニメならピンポンとか色々あるが、どうしようもない男が主人公あるいはそれなりにメインの話で美少女なしに救われる話がなかなか見つからないんだ。アニメの「僕だけがいない街はいい線いってるかなと思ったけど、いまいち存在感が薄いとはいえやっぱりあのピザ屋のJKはどう見ても顔がいいほうだし、最後あっちルート完全に絶つならまだしも結局最終世界線?でも出会えちゃってるから俺が探してるのとはやっぱりちょっと違う。

あと男の場合よりももっと少ないと思うからこれは聞くだけ無駄かもしれんが、ブス女(ブス扱いされてるだけで眼鏡取ったらかわいいとかは論外)とか年増が主役で、突然イケメンと一つ屋根の下の生活が始まったり、死んだ祖母勝手に決めていた許婚しか弁護士医者など謎に高スペック)が偶然ドンピシャ好みのイケメンだったりしないでも救われる話があればそれも教えてくれ。ブスとか年増に加えて貧乏とか病気持ちとかあればなおいいです。

ちなみに漫画家とか脚本家とかクリエイターと呼ばれる人種美少女(もしくは高スペックイケメン)という飛び道具なしでどこまで彼らを明るい結末に持っていけるのかが個人的に知りたいだけなんで、ポリコレがどうとかはどうでもいいです。それと漫画アニメ限定したのは純文学とかだとこういう話は珍しくない程度には沢山あるイメージで、なんで漫画アニメだと少ないのか(あるいは俺が知らないだけでほんとはいっぱいあるのか)も知りたいから。

2018-12-12

anond:20181212191847

もちろんそれも見たかったが、その世界線が今よりもよかったとは一概には思わない。

視聴者に媚びていく姿勢ハルヒの反骨精神に反するもので、ただでさえブームが終わりかけている作品に一層の陳腐化や、現在一部で行われているような「売れただけで実のところ目新しくもないありふれた作品」という過小評価を招く危険もあっただろう。


一期ほど売れてないから二期失敗とか決めつける人がいるが、絶対数から言えば決してそんなことはない。エンドレスエイトうんざりながら見たし、「溜息」もいわゆる鬱展開的なやつなんだがハルヒ一期から深夜アニメに入った自分はここでそういうアニメの楽しみ方を知れたと思っている(そもそも一期からしてそんな明るく楽しい感じの話ではない、コメディ調だがタイトルからして「憂鬱」だし、ハルヒの根源にはモラトリアム鬱屈がある)。


違法動画流行った一期であったが、二期に関してはYouTubeで一週間無料公式チャンネル配信がなされ、アニメネット配信の先駆けになったという点も再評価されて欲しい。

2018-12-08

FOREVER Dr.モーガンのNY事件簿の話をしますね

BS258 Dlife (月) 21:00 (金) 24:00で放送してるドラマなんですけど。

映画シャーロック・ホームズ」のクリエイターが贈る、良質なミステリードラマ!というのがおススメ文句らしいです。

私はシャーロック・ホームズの方観てないんでよくわかりませんけど。

主人公Dr.モーガンは不老不死になって200年くらい生きています、外見は30代くらい。

監察医をしています

DlifeHPでは親友と紹介されてるエイブは、孤児だったのですがモーガンに引き取ってもらって現在生活を共にしています

エイブは60代くらい?

見た目は逆転してるけど、まあ二人の関係は親子ですね。

この!!見た目逆転親子の関係が!!いいんですよ!!

血のつながりはないけど、その辺に関する鬱屈みたいなのはあんまない感じですね、アメリカドラマから

この親子がお互いを心配したり、昔のことをほじくりかえしてまだ怒ってるから!!ってなったり、

ジェネレーションギャップとか趣味の違いですれ違ったりしながらも歩み寄ったりするのが、もうすごくいいの!!

子供立場でありながら、自分の方が先に死んでしまうであろうことを考えてモーガンのことを心配するエイブとか。

年相応におじいちゃんめいてきてるエイブ心配するモーガン

歴史に残る野球試合を、モーガン仕事のせいで見られなかったことを未だに根に持って話しながら思い出して怒りだしてしまエイブ

ピアノが弾けるモーガンが、幼いエイブクラシック指南しようとするも、ジャズに傾倒してしまったエイブ

親子の間には音楽のへだたりができるが、関わった事件きっかけにして、長い時を経てジャズに興味をもったモーガンエイブ指南を頼む。

おっさんおっさんがさ~~、二人でぎゅうぎゅうになってピアノの前に並んでんのとか、心温まらずにはいられないでしょ~~~?

ほぼ毎話、親子エピソードはさんできますので、このドラマテーマといっても過言ではないです。

ミステリーなんで事件も起きます

美人刑事もいるよ。

不老不死を知る謎の男、アダムなんてのもでてきます

シーズン2とかに続いていかないらしいので、さくっと観終わりますよ!

不老不死モノとか親子愛モノがお好きな人にぜひ観て頂きたい!!

そんなこみいった筋はないので途中参加でも楽しめる!

私も1話からまじめに見てたわけではないので、全然大丈夫

モーガン演ずるヨアン・グリフィズイケメンだよ!

BS258 Dlife (月) 21:00 (金) 24:00放送から!!観て!!

2018-12-05

とろサーモン久保田の件

M-1での上沼恵美子審査に対してインスタのライブ配信文句を言ったのが炎上している。

オバハンとか女性差別するようなことを言っているのが槍玉に上げられている。

あとはスーパーマラドーナの武智の更年期障害発言

かにこういった内容はわざわざ配信すべきではないし、仮にしたとしても発言の内容は充分に気をつけるべきだけど、上沼恵美子自虐ネタは嫌いとかいいつつミキは突き抜けてるからいいという発言批判されるべきだと思う。

現に批判されていたけど、今回の一件ですっかりその発言は忘れられている。

まあ芸人2人の人間性もあるし、酔った勢い配信した軽率さもあるが、私はとろサーモン久保田鬱屈とした気持ちは分かるので、Twitter久保田謝罪に対してボロクソにリプライ飛ばしまくる一般人に少しどん引きしてる。

そもそもあの動画ちゃんと見ていないでキレてる人も多い。

単純にニュースを見てキレてる人も多いだろう。

色々残念な出来事。。。

何はともあれあーいう内容で配信をした2人は軽率以外の何者では無い。

するんだったら酒に酔わずちゃん批判して、そして面白くするべきだった。

酒に酔って批判するというのが彼らの中で面白いと判断されたのなら、今回のことで考えを改めるべきである

2018-12-02

さらに続きです→大企業の男に相手にされない(女にも)

https://anond.hatelabo.jp/20181201155849

https://anond.hatelabo.jp/20181130212224

少しだけ書き足させて下さい。

私はあの人たちが育ってきた、生まれ環境がすごく羨ましいと書きましたが、結局はそれに尽きるのだと思います

例えば今現在の私が急に覚醒して皆さんに言われたように努力をして、奇跡的に一流の大学に入って卒業できて、今の派遣先のような大企業入社できて、あのキラキラ人たちの中に入っていけたとして、この鬱屈した感情が綺麗さっぱりなくなってしまうのかというと、とてもそうは信じられないのです。

どうしたって私がおよそ下流環境で育ってきた過去は変わらないし、両親も時々連絡をとる地元友達学歴はもとより芸術にも音楽にも理解なんかとても示さないことはわかりきってます

そもそも親と仲が良いのは恥ずかしいなんていう思春期感情を引きずったままのような私が、ナチュラルに両親と仲が良さそうなあの人たちを羨んでるのも変な話です。

だけど、あの人たちが羨ましい。あの人たちのような環境に生まれたかったなと考えている一方で、眉毛太くて正直ダサいなだとか、話し方オタクっぽくてキモイなだとか、メイクとかネイルとかもっと気を使ったらとか、逃れられないヤンキー的な価値観から内心見下しにかかっている自分がいることもどうしようもなく自覚していて嫌になる。

中学生用の英語ドリルを早速買ってきたと書きましたが、こんなもので身につけられるのは所詮知識だけでしかなくて、本当に私に欠けているのは外国文化に対する興味を持ったりするような教養に属することなのだと今になって気がついて、自分の無教養さに改めて嫌気がさしてきます

もう寝ます

2018-11-20

ディズニーランド着ぐるみ存在が明るみに出たので夢を守る対策

着ぐるみって何?」

と聞かれたとき年齢別に夢を守る対策を考えた。

■〜3歳

大人仕事で、やらなきゃいけないものなんだよ

って言う。この年であれば「そういうのがあるんだよ」見たい雰囲気出して納得させればなんとかなる

■5歳〜7歳

影武者として説明する

ドナルドグーフィーも休憩したいことがある。そのとき着ぐるみっていう

変装スーツを係の人がかぶる説明

ミッキースティッチは悪のキャラ2よく勝っているので恨みを買われることが多い。

その時のためにも影武者があるんだよと説明

メリット:夢を半分守れる。

着ぐるみ存在は明らかにしつつも本物はいるという説明によりそれなりの納得感を持たせられる。

将来、勘のいい子供真実にたどり着いてもすでに着ぐるみ存在は知っているので傷は浅くて済む◎

好奇心が強く、ごまかしが効きにくそうな子供有効

■筆者の経歴

幼稚園入園時より、漢字学習自主的に開始。

年長時点で小学3年生レベル漢字の判読を実現。

小学一年生時、進研ゼミダイレクトメールに混入されていた保護者向け漫画を読んだ際、

サンタが両親である描写出会い失望する。

両親からは適切な説明を得られず、鬱屈した学生生活を過ごす。

これをきっかけに以降、夢を守るにはどうすればいいか現実的施策立案したいと志し、現在に至る。

2018-11-19

anond:20181119105803

鬱屈としてる時は未来を悲観したりもするけど、基本的には未来については楽観してる。人間って案外適当に出来てるから今「だめだー」って思ってても2、3年すれば「いけるやん」って思ってるかも知れないものな。

そういう風に思ってるからこそ、努力ができない現状をもっての批難を見たりすると「嫌だなー」と思うわけで。

2018-11-14

[]ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

すごいぞなんと140点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんでサントラ買いたいくらいには良かったです。

ただその一方で実はこの映画感想を書くつもりは当初なくて、というのも自分クイーンリアルタイム応援してたファンではないからなんですよね。もちろん日本人普通に暮らしていればCMやら飲食店の店内楽曲クイーンの曲は耳にしてるし聞けば、あああれね! くらいのことは言えるんだけど。

でもどうせファンの人がたくさんレビューを書くと思ってたんで自分が書く必要はねえでしょうと、思ってました。

フィクションでええやないか

んだけど、実際見てみてその周辺の感想とか聞くと、もやもやした気持ちが募ってきたわけです

やはり133分という限られた尺の中では出来事を省略する必要もあったり、感情動線設計エピソードの順序入れ替えなどは行われているわけです。そういう意味でこれはノンフィクションではなくて、エンドロールにも書かれているようにフィクションです。

本国広報プロデューサーもそうフィクションだと発言しているんだけれど、コアなファンであればあるほど史実との違いが目につき、ニコニコ笑いながら(多分なんの悪気もなく)貶すという光景がなきにしもあらず。実在人物フレディ・マーキュリーの伝記的な映画でもある以上仕方ないのだけれど、正解/不正解という視点がついてきてしまう。

オタクオタクであるゆえ仕方がない心性で「かー。しょうがないな、この部分もうちょっとこういう描きを入れてほしかったな。かー」「よくやってるけど30点!(地獄のミサワの顔で想像してください)」的な、本当は大好きなクイーン映画がすごく良い出来で嬉しいのだけれど一言わずにはおれないような。そういう反応多いのです。

気持ちはすごくわかるのだが、ソロで鑑賞にいったこ映画の後ろに行ったカップル男性が「あいクイーンのことになると早口になるよな」とかで、なんか、すごくいたたまれなかったりもする。キミのその愛情彼女さんには全く通じてないし、むしろ映画の感動いまどんどん減らしてるよみたいな。

からこのレビューでは物語フィクション)としてこの映画おすすめします。

若い人もクイーン知らない人もちょっとしか知らない人も寄っといで。これはとても良い映画だったよ。知識なんていらないよ。単体で物語としてよかった。だから観るといいよ。そういうレビューです。

何もないという窒息

映画はフレディがクイーン前身バンドであるスマイルメンバーに声をかけるあたりからまりますデビュー前のフレディは当然まだ若く、瞳だけがギラギラした挙動不審青少年で、当たり前の話だけど何も持ってないわけです。

何も持ってないというのは、金も実績も名声も持ってないし、家庭ではなんだか居心地が悪いし、将来の確固たる保証もないということで、その何も持っていないという閉塞感が初っ端から強烈に描写されます

それがすごく良かった。

それは、この映画ロック界のスーパースター伝説偉人フレディー・マーキュリーを崇める映画ではなくて、何にも持ってないチンピラのフレディから始める映画だっていう鮮烈な意思表示なわけですよ。

野心を持った若者っていうモチーフ映画でも小説でもよく出てくるモチーフなのだけれど、若者は野心を持つってわけではなくて、それは全く逆で、財産らしきものは他に何も持ってないから野心ぐらい持たないと惨めでやってられないってことですよね。

作中で描かれるフレディがまさにそれで、デビュー後彼はすぐさまオレ様キャラを発揮し始めるのだけれど、最初デビュー前のシーンでは内気で繊細な少年なわけですよ。オレ様ってのは虚勢だとすぐわかる。スカウトの前でも音楽プロデューサーの前でもでかいことを言うけれど、それは「いまは何者でもないチンピラだ」ってことを当の本人たちが痛いほどわかってるからにすぎない。

かに伝説バンドクイーンメンバー全員が稀有な才能を持っていて音楽に愛されていたのかもしれないけれど、でもそれは人間的な弱さを持っていなかったことは意味しないし、何も持ってないし、何も確かなことがない。将来何になれるかわからないし、不安だけど、弱みを見せるわけにも行かない。それって、青少年普遍的鬱屈だとおもう。そういう意味で、スクリーンの中のフレディは、たしかに観客席と地続きだと感じました。

生存戦略としての虚勢

から無駄に見栄を張り無駄喧嘩を売ってオレ様は天才なので何をやっても大成功なんだぞー! と嘘でも吠えなきゃならない。それは文字通りの意味で虚勢なのだけど、フレディはその意地を張り通して段々とスターへの階段を登っていくわけです。

生存戦略としての見栄と意地で、それがある程度以上に通用成功する。

からこそフレディは問題解決する手法として去勢音楽しか持たないわけです。下手に成功しちゃったから。そして、バンド内で揉め事が起きても、スポンサー揉め事が起きてもこのふたつで解決していくしかない。他のノウハウはびっくりするほど何もない。

でもその問題解決手法アーティストとして成功するために最適化されているために、フレディ個人内面の寂しさや煩悶を癒やす役には全く立たない。

溝ができつつある恋人であるメアリーとの間をなんとかつなぎとめようとするフレディのやり方は、小学性みたいに真っ直ぐすぎて、純真ではあるのだけれど多分恋愛検定で言うと偏差値43くらいでとてもつらい(っていうかお前隣り合った家の寝室の窓から明かりのオンオフ相手確認するとか昭和少女漫画クラスやぞ)。

バンドメンバーとの関係傲慢ワンマンが過ぎてギクシャクしていくが、こち解決傲慢&虚勢に仲間に対する甘えをトリプルでどん!! しているわけでお前よくこんなんで空中分解しないな?(とおもってたら分解した)という感じで、これまた辛い。こっちは偏差値41くらい。素直でない分2低い。つらい。

全体的にコミュ力中学生レベルでしょう(つらい)。

自分性自認ヘテロなのかゲイなのかで悩むフレディは、その鬱屈がたたって恋人メアリーとは距離を置くことになってしまうし、それをきっかけとして私生活が荒廃していくわけです。周辺に金をばらまき、ドラッグ乱交パーティーに溺れていくけれど、それで内面の寂しさは癒せない。

そもそも音楽&虚勢という生存戦略アーティストとしてのし上がることに特化しているので、私生活を豊かにするには役に立たないわけです。それどころかスターダムにのし上がればのし上がるほど、マスコミの下世話な視線に晒され、心無い詮索で私生活崩壊していく。仕事音楽)に逃げ込もうとするその弱い心が、事態を決定的に悪化させてしまう。

バンド危機だし、フレディは仲間からも「キミって時々本当にクズ野郎になるよね」といわれてしまう。スクリーンを見ながら「せやな」と言わざるをえないわけですよ。

フレディは、フレディの才能に殺されつつあるわけです。

でも、やっぱり、救いはある

この映画ふたり大好きな登場人物が居て、そのひとりはバンド精神的なリーダー?であったブライアン・メイ(演グウィリムリー)。この人の演技が、めちゃくちゃ良かった。特にセリフにならない表情の動きみたいなもので、映画の深みを何層も掘り下げてくれました。

喧嘩をした直後に浮かべる「仕方ないなあ」というような許容の表情や、ラストライブシーン中の「言葉にしなくてもわかってるよ」とでもいいたげなさりげない承認の表情など、どんだけバンドが砕け散りそうでも、メンバー音楽に対する愛を、演技だけで表現してのけた。ぶっちゃけすごい。

朴訥な、言葉は悪いけれど垢抜けない田舎者風のキャラ構築だけど、静かな思いやりと知性が感じられるっていう難しい役だったのにね。

もうひとりはジムマイアミハーバー。このひとは、当初クイーンというバンドプロデューサーから紹介された弁護士として登場します。契約面でクイーンを支えるためのスタッフのひとりでした。

出会ったその最初のシーンで(ヤング傲慢な)フレディからジムという名前はつまらないんでマイアミに変えろ」くらいのことは言われて笑いのもととなり、つまりコメディキャラ位置づけです。

でも物語中盤、フレディは誤解と癇癪からマネージャーであるジョン・リードを一方的にクビにしてしまうわけです。そしてフレディは、後任のマネージャーを「次のマネージャーはきみだ」のひとことで、その場に居たジムマイアミハーバー押し付けちゃうわけっすよ。

そんなの嫌でしょ。自分なら引き受けたくないです。だってクイーンの連中は音楽やってるとき以外は飲んだくれてるか喧嘩してるか女といちゃついてるかで、偉そうだし、わがままだし、人の話聞かないし、どう控えめに評価しても糞ガキ(主にフレディ)だもの

でも、ジムマイアミハーバースタジオ演奏しているクイーンを見て、引き受けてしまう。「わかった、やるよ!」といってしまう。それがすごく胸に詰まるシーンでした。

だってさ、たしかクイーンは(主にフレディ)は人の迷惑を考えないクソ野郎だけど、音楽の才能は本物で、それ以上に音楽と観客に対して真摯なのは見ててわかるんだよね。そこだけは本気で一切手抜きしないで、いいものを作ろうとしてるのがわかるのだ。

ジムマイアミハーバー弁護士としてのキャリアもあるし、こんなワガママ集団のお守りなんかしなくても十分生活できるはずでしょ。一方、クイーンマネージャーを引き受けるっていうのは彼らのツアーもついていくだろうし、各方面からの問い合わせやスケジュール管理もしなきゃいけないわけでしょう。それは控えめに言って、人生を捧げるってのとほぼイコールですよ。このわがまま集団を守って、彼らの盾になり続けるという意味だ。

立派な大の男の人生進路変更させてしまう、クイーン音楽のちからってのは、別段彼らの業績を知らないスクリーンこちらの素人にも、やっぱり分かるんですよ。そこで迂闊にもホロリと泣けてしまった。

(あとで調べて、彼ジムマイアミハーバー本人は最後までマネージャーを続けて、この映画制作にも関わったことを知って二度泣けました)

チャンピオンは誰だったのか?

フレディは前述の通り、性自認問題やら持ち前の癇癪から疑心暗鬼になって、「家族」とまで思っていたバンドメンバーを遠ざけて孤独になり、その孤独がつらくてより酒におぼれて生活がぼろぼろになっていく。

でもそういう最悪の時期を、元恋人メアリーの助言で断ち切ってバンドメンバーのもとに戻るわけです。

そこから映画クライマックスへ、復帰のための厳しいレッスンから1985年のライブエイドに向かっていく。自分HIV罹患していて余命がいくばくもないこと。でもそれでも「同情はゴメンだ。俺の望みは残りの人生音楽に捧げることなんだ」とフレディは仲間に言うわけです。

それに対する仲間のアンサーが「お前は伝説だ」と。

でもフレディは「俺たち全員だ」と応えてライブへとつながってゆきます。幾つもの和解があって、ライブ当日、フレディは素晴らしいパフォーマンスを見せる――というのがクライマックスの展開なわけです。そこで立て続けに流れる名曲の数々ですが、やはりひときクローズアップされているのが"We Are The Champions"という楽曲です。

おそらく誰もが耳にしたことがあるこの曲が名曲だってのはもちろんあるんですが、やはり、この物語の中では、すごく重いです。そして良かったです。

この曲は確か公開当時「傲慢歌詞だ」という批判を受けたはずなんだけど、実際映画館で、物語の中で聞くと、ちっともそういう曲には聞こえないんですよ。歌詞のものは「俺たちはチャンピオン勝利者)だ。今まで色々やってきた結果勝利者になった。敗北者に用はない。俺たちはこれからも挑むんだ」というもので、なるほどそう要約してみれば、傲慢にも聞こえます。とくに大セールスを記録した世界アーティストのそれともなれば、そういうやっかみを受けるかもしれない。

でも、そういうふうには聞こえなかった。

しろ、今まで自分たちがやってきた努力や行動のすべてを自分たちは自分たち自身に胸を張っているけれど、それを周囲には理解してもらえてない、“未だ自分たちは最終的な何かを何も受け取っていない”若者である自分が、自分自身に対して「俺たちは勝利者だ」と励ましているような、自分友達鼓舞するような、そんな曲に聞こえるのです。

しかに名声も金も手に入れたけれど、でもだからといってそれがゴールだなんて思わない。今現在環境は決着ではない、だから敗北者に用はない。もっともっとおれたちは目指す何かに向かって、求めていた何かに向かって手をのばすんだ。そんな歌詞に聞こえてしかたがないわけです。

人間人生の何処かのシーンで、自分を励まさずにいられない心境になるってどうしようもなくあると思うんですよ。

苦境にあっても、自分は間違っていない。今まで歩いてきた道は愚かだったわけではない。それを証明するために現在という試練を超えて、未来で何かを手にしたい。

そんな気持ち世界アーティストであろうともそこらに兄ちゃんおっさんであっても、抱くことはある。むしろそこらのおっさんやおばさんだからこそ、自分応援する必要がある。多くの観衆のそういう内面祈りのような感情を、本人に変わって歌い上げるからこそ大スターになれるんじゃないかと思うわけです。

から"We Are The Champions"という曲におけるWeは、フレディでありクイーンメンバーであり、ライブエイドの観客であり、そしてこの映画を見ている人間でもあるわけです。

それがとても良かった。この映画自分に関する物語として見れることが、とても良かった。

これらのことは別段クイーン情報を知らずとも、楽曲に対する知識がなくてもこの映画を見るだけで十分についていけます

この映画は、伝説バンドクイーンというのが居てその偉業にひれ伏すためのものではなく、かと言って歴史的事実に対して○×クイズをするための出題でもなく、音楽に深い愛を捧げた内気な少年プライドと虚勢を頼りに世界と戦った――そして最後には家族の元へと戻り偉大な勝利を得た。

そういうビルドゥングスロマン映画であって、あるいは中途半端知識のあるファンよりも、何も知らない世代や人々にこそ深く刺さるものだったと思います

2018-11-13

anond:20181112223537

構図としては「キャパオーバー自転車撤去して予算もゲット」という表層的には市民不利益を与える行動を選んでいるようには見えて、

その対象となるのは帰結として百万遍ユーザーである京大生=学生がメインになる。

予算ゲットどころか、おそらく撤去・保管費用で持ち出しにしかなってない。

ある一面を切り取った場合に、本来解決すべき不利益社会人ですらない学生に皺寄せとして与えている、というのは屁理屈だが一面において正しく、その辺の感情的鬱屈がああいった文章を書かせてしまったのかなぁ、と思った次第である

学生税金こそ払ってはいないが社会の成員ではある。いやな言い方だが、むしろ社会に金を掛けさせて勉強している身」ですらある。まだ学生なのだから社会迷惑をかけても仕方がないというのは、すでに屁理屈にすらなっていない。理屈以下。

何故か卑屈っぽく被害者意識が強いあたりがいかにも京大生らしいと思う反面、簡単論理構築すらできないあたりのレベルを超えたバカさに一周回って本当に京大生か?という疑いも。

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