2019-02-18

ほんとうは危ない「イイネ!ダンス

 

 

昨年ブームとなり、

老若男女が無邪気に模倣したであろうイイネダンス

 

言わずと知れたDA PAMPの大ヒット曲 USA

そのサビで踊られるダンスのフリのことだ。

 

あのダンスに込められているその危険意味を、

何人の日本人がそれに気付いているだろうか…。

 

おそらく何割の方はそれに気付いており、

その重ね合わされている意味理解しているが故にあえて、

このブームをバズらせる事に荷担してもいたのだろう。

 

そうは思っているのだが、

どのくらいの人数にそれが共有されているのだろうか。

そう不安にも思っている。

 

 

イイネダンス

 

 

イイネ!と形容するくらいだから、もちろん良い意味で受け止められているのだろう。表面上は。

 

その特徴的な右手の動きも、親指を立てるそのポーズも、

当然「Good!」を意味するジェスチャーから来ているのだろう。

 

しかし、

その曲に合わせシェイクする腕の振りに違和感を感じないだろうか?

 

その腕の角度と位置が高すぎるのだ(元ネタとされるshootダンスと比べても)。

 

 

 

その手の描く放物線は頂点を超え、背中側では下るほどなのだ

そしてまた、その仕草身体を画面に対し横を向いて行われるのだ。それはなに故だろう。

 

その立てた親指が描く軌跡が、親指がどこを通過しているか

 

その意味を少し考えたら、その違和感の答えが分かるのだはないだろうか。

 

 

親指を下に突き下ろす仕草は、相手否定意志を示す行為であり、

その親指を首の前で通過させる仕草は、死ね!殺すぞ!という意味である

 

そしてこの手の動きとセットとなっているのが、足で何かを踏みつけるような仕草でもある。

 

 

 C'mon, baby アメリカ

 

 

これはちょうどイイネダンスが踊られている時に歌われてる歌詞である

 

その意味は、愛しい人を招き寄せる時の呼びかけであると共に、

敵対する相手挑発する時に吐きかける言葉でもある。

 

この、密かに重ね合わされている意味を、どれだけの人が自覚的に使っているのだろう‥。

 

無論、これはそう解釈できる…という話であって、振付師意図を決めつけているものではない。

ただ、そんな解釈もしうるダンスを、あなた家族子供にこのまま踊らせていても良いとお思いでしょうか?

 

今なお気になって仕方がない。

 

いかがだろうか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついでに蛇足ながら…、

 

「ダサカッコイイ」とも評されたその意味が相反する評価

 

それは単なる外部評価としてあるのだけではなく、

曲そのものの中に、相反するままに、貫かれているような気もする。

 

まず、今上げたC'mon baby にあるように、戦後ずっと常に日本指導し先導し父親のようなポジションにあったアメリカを、あたかも目下の対象であるかのように呼びつける構図を描いている。

 

これは、昨今多少批判的に言及されるようにもなってきた「日本スゲー」勢を満足させる構図でもある。

アメリカ挑発し、見下し、かかってこい!と挑発しているのである

気持ちの上では。

 

その潜在的意味を、意識的にか、無意識的にか、人それぞれの割合で汲み取られていたことによって、この歌は、この時代に、必然的な条件を揃えて一大ブームとなっていたのだろう。

 

気持ちの上だけでは。

 

 

そう。潜在的な願望としては持っていても、直接面と向かって宣戦布告はできない。その度胸は無い。

 

から、正面向いて直接的に挑発ポーズは取れやしない。

横を向いてその意味を隠し、最初イイネのサムズアップを強調することで言い逃れをまず先に用意しているのだ。

 

その鬱屈した感情の発露が、ダサイ。

ダサイけれど、完全に服従している訳ではないという秘めたる信条がカッコイイのだ。

 

アメリカ欺瞞対象として賞讃しつつも否定する。

 

 

 ドリーム見方を inspired

 

 

それは、夢を見せて成長の原動力を与えたくれた…という意味ではあろうが、

叶うはずのない夢を追って身を持ち崩すよう動機付けられたとも取れる。

 

 

 サクセスの味方を organizer

 

 

成功道筋を付け導いてくれたというように解釈すべきではあろうが、

儲けに繋がる見込みのない者には一切目もくれられないとも取れなくもない。

 

 

 C'mon, baby アメリカ

 

 

英文の部分の意味は逆さに解釈するのだとすれば、この言葉はこうなる。「こっちに来ないでくれ」と。「アメリカよ、もう日本に関わってくれるな」と。

 

 

 どっちかの夜は昼間

 

 

栄枯盛衰弱肉強食繁栄の裏に影在り。

 

我々が、日本が、現状「夜」であることは、今、これまでが、アメリカが「昼間」であった事と必然的関係となっているのだ。

 

 

 

…と、

 

ここまでだけなら、アメリカ日本の構図で終わりである

しかし、こうも歌われている。

 

 

 競合してくジパング

 

 

より強くアメリカナイズされた沖縄は、日本本土に対して先行する存在だ!と、そこで育った若者としての自意識はあったりするのだろう。

しかし、そんな沖縄基地問題にもあるように、日本本土から負担一方的押し付けられて続けている存在でもある。

 

どっちかの夜は昼間…その沖縄「夜」を産み出している「昼間」とは、単純にアメリカとしてよいのであろうか、それともその標的は実は日本本土を指しているのであろうか。

 

アメリカ繁栄の裏で、日本国内の対立は煽られている。

 

それらをひっくるめて歌われている。

 

 

 C'mon, baby アメリカ

 

 

これをただ無邪気に歌い踊っていてよいのだろか?

 

その親指を地面に向けて突き立てているその矛先は、どちらを向いているのだろうか…。

 

 

 

 

 

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