はてなキーワード: 耳学問とは
研修医の増田が病院内で竹田くん予備軍とされてる医師を発見したので、特徴をまとめておく
・第一印象はすごい良い
竹田くんの第一印象は良いのだ。立ち振る舞いが堂々としていて自信に満ち溢れている。なので、一見すると良い医者なのかな?と勘違いする
・努力はしている
竹田くんは良い医者を目指そうと努力もしている。しかしその努力が明後日の方向になっている。結果、竹田くんは「努力している俺!」とナルシストになるだけで実際はポンコツになってしまう。
・不要なことをしたがる
竹田くんはエネルギーに溢れており、様々なことをしでかす。その結果、周りに疎まれていくが本人はそれを分かっていない
・後輩大好き
竹田くんはすぐに見栄を張ろうとするため、後輩(研修医)が大好きなのだ。同僚や上司には実力がばれておりマウントを取れないため、研修医を捕まえてはレクチャーしたり武勇伝を語る。医者は耳学問的要素もあるため、研修医からしたら上級医のレクチャーはありがたく聞いてしまうのだ。
以下まとめると竹田くんは
ロッテ時代に既婚でありながら時折、ソープランド通いをしていた博満に対して、信子は「もし私が浮気したらどうするつもり?君は遠征先とかで、ソープランドへ行ったりしているんでしょう?ねぇ、どうなのよ?」と訊いた。すると博満は、「ソープランドが浮気かよ!性処理ならいいじゃねえか!」と開き直った。信子はこの発言に「この男は、ひょっとすると私の想像をはるかに超えた大物かもしれない‥」と脱帽したという。そして博満が買ってきた男性週刊誌を「教材」に勉強し、夫婦生活についていかに研究不足かを思い知らされ、ソープを我が家でやってみようと思い立ち、耳学問ながらソープの技術をマスターした。その後信子は、博満に「あとで、ソープランドごっこしてあげるからお客さんになりな」と言って、準備の様子を見せたところ、それを機に博満のソープ通いは収まったという[4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E5%90%88%E4%BF%A1%E5%AD%90
まず、こいつが理解しなければならないのは、これは行政書士や税理士といった士業の扱う専門領域である、ということ。
問題なのは、単純な行政文書であれば「行政書士にお任せするべきだ」「素人判断はできない」と考えてきたであろう市民が、
もしこれが企業の会計問題であれば、素人には理解は無理だとまず考えただろう。
というか皆さんにとっても行政書士や税理士など一般的なので、このようなことは、普段から素人には無理だと考えてるでしょう。
経理や行政法に関する基礎的なリテラシーや作用が全くないにも関わらず、適当にネット記事(特に情報ビジネス屋のクソ雑煽り)だけを信じて耳学問で適当に意見を持つと、こんなにも的外れになってしまう。
何らかの専門家の方ならお分かりいただけるだろうが、普通は素人は自分で判断できることなど何もないので、専門家に丸ごと相談したり、丸ごとお任せするんだよな。
世の中には三つの話があると思っていて、
1.倫理学や人類文化学や政治学や法学等を含めた、専門家が調査や学説や歴史等に基づいて、学術的な定義を積み重ねて行う学術的議論(これは体系的な知識が必要で、素人が簡単に参入できない)
2.データや文書や遺伝子検査血液検査などの単なる事実の集合(+専門家による解釈)
で、いわゆるオタクやネット民は1と3を混同した話し方をしていることがよくあるので物凄く気になるんだよな。
1と3は明確に相容れないものなので。
正義とは何か、差別とは何か、などの議論は基本的には1の領域である。
なぜならネット民は差別に関する定義の変遷、思想の変遷、歴史や諸問題、学説、論文、法制度、各国や各種団体の対応、社会問題に関する体系的知識を専門知として得ているわけではないから。こういった学説や論文は査読や批判反論、再反論など長い道のりを経て、洗練されてから1つの学説としてのポジションを獲得する。
オタクの言う「定義」は、『その辺の人が特に専門的体系的知識もなく関係ないまま、ただ個人的になんとなく考えてたこと』だったりするので、こんなネット空間に触れていたら大衆の知性がどんどん落ちていくのではないかと危惧している。
内容が「人による」「人の考え方次第」の域を出ない素人談義にすぎない。1なら定義はズレないし内容が人によるとか人次第にはならない。
議論が可能な程度に統合された意見ではない。単なる積年の感想だ。
差別という言葉を日常的に聞いたことがあって辞書で引いたレベルの知識量で適当に使ってるだけの耳学問だろう。
専門家は123を完全に区別して使っているが、ネットの有象無象は123を混同しており、そんなネットの有象無象の意見をさらに参照・引用して(例:HNマスダ氏は○○○を唱えているが、のように)メチャクチャなネット談義が活発に行われている。
誰の判断なのだろう?この人の?個人的にいいと思う、悪いと思う、こう思う、なら分かるのだが、ここでも断定されている。
1と3が区別できてないのだろうと思う。
そこを取り違えて自分たちが行っている安全のための差別をさも自分たちが正義かのように語るのが危険なわけでさ。そうして差別は拡大していくんですよ。
拡大するかどうかにつき、この人に差別史の知識はないだろう。やはり、1と3が混同されている。
この後も似たような語調が続くのであるが、
例えばすでに存在する学説の引用であるならまだわかるのだが、市井の人がなんとなく自分なりに定義することや感想を持つことを、定義とは言わないし、見解とは言わないのだ、ということをネットに親しむ人は分からなくなってしまうのではなかろうか。
人の認知は必ず歪むし人は利己的である。3のように誰でも思ったことを言うだけなら、マッド気質の人が殺人の自由を主張することだって意見になってしまうし、適当なことを意見として言うことも可能だ。定量化もされていないままの意見は議論にはならない。
だから、3は3として、体験や感想は体験や感想として重視され尊重されるが、1とは区別しないと社会全体がまともな議論のできない国へと変わっていってしまう。
その社会的な損失を考えると頭が痛い。
当方、大学院でメディアの影響を社会学的枠組みを用い統計学的手法で研究していた。師事していたのはその道の大家。(※大学名とか教官名は特定防止のため伏す)
まあ出来は壊滅的に悪かったんだけどね…
まず言っておくと、強力効果論のようなある特定のメディアの影響モデル「だけ」をつかってメディアの影響をすべて測ることは不可能。
もちろん今も研究は多々行われているけど、メディア環境自体激変を続けていることなどから今後も影響評価に対する統一的知見が出る確率はほぼない。
仮にそういう理論を完成させたら即東大情報学環あたりのポストはゲットできるはず。
実際の研究においては調査の都合上ある特定の議論に沿って分析を進めていかざるを得ない。
仮に複数の議論を包括したうえで研究を行う場合、特に実際にデータを収集して行う調査においては研究に沿った形で逐一面接項目や質問項目を作らなければいけない。
そうなれば項目も膨大になってデータ収集される側の負担も大きく増す。負担が大きい調査を薄謝で行ってくれるような優しい人間はそんなにはいない。
結果統計学的に意味のあるデータが集まらず、満足いく分析ができない可能性も大きい。
メタ分析に関してならできなくもないといいたいけど、その対象は調査データだったりするので調査の段階で軒並み躓くとメタ分析の意味も薄らぐ。
あと、メディアの影響に関してはその人が置かれている環境や属性によっても大きく異なってくる。
その場合、異なる環境の人同士を十把一絡げにまとめて単一の尺度で分析することが妥当なのか?という問いもでる
(※先述の通り実際の研究では「大人の事情」でそうせざるをえないことが多いが…)
>「水からの伝言」と違うの?
まず条件を統制して研究することが可能な自然科学と、それがほぼ不可能な人文科学の研究は本質的に異なる。
当然理論の再現可能性に関しても限定的になることは留意しなければいけない。
ただ、それを理由に「理論に妥当性がない」と言いだしたら人文学の見地はすべて棄却せねばならないことになる。
元のエントリ、一見専門用語をちりばめるなどして「それっぽく」見せているけどよく読むとツッコミどころしかないの。多分ネットの耳学問だけで情報を知った半可通だからかな?とは思う。
もちろん俺もどうしようもなく不出来な院生だったし人のこと偉そうにいえんがな。実際こんなサビたなまくら未満の論駁しかできないわけだし。
自分も浅学非才だし、もっと本とか論文を読んで知識をつけなきゃなとは常に思っている。
この記事を読んで、数年前に買ったミレーのドライナミックメッシュを着てちょっと散歩してきた。
結果から書くと、俺は真夏にミレーのドライナミックメッシュを着るのは推奨しない。
ただこれは個人差が大きいことだというのは先に断っておく。
(あと以下に書くことは俺の個人的な感想で絶対に正しい客観的な事実ではないことを留意して欲しい。)
たった一度の経験だし、体調や気候にも左右されることなので断言できないが俺の身体には合わなかった。
まあ暑い時期にわざわざ一枚多く衣服を着るのだから単純にそれだけで暑くなる。
ドライナミックメッシュは見た目は網目で軽いタッチに見えるが、その印象に反して実際にはそれなりに着用感がしっかりとしているインナーなのだ。
その上に吸水用のインナーを着て、更にもう一枚Tシャツを着るとちょっと真夏には着込みすぎに感じた。
あと、汗がうまく体を冷やすことを妨げるような感じもした。
(これは実際の俺の体感から出た感覚なのか、耳学問からの想像の産物によるものかはハッキリとしない。)
というのは基本的にミレーのドライナミックメッシュは真冬の登山などで汗冷えを防ぐためのインナーなのだ。
汗で体温を下げるというのは人間としての基本的で重要な機能なのだが、登山中などでは下着が保水することで汗冷えしすぎてしまう。
それを避けるためのものだと俺は考えている。
そういうインナーを真夏に着るとうまく体温調整をしてくれないのだと思う。
夕方でそれなりに涼しい風が吹いているのに、体がうまく冷えてくれない。
これまでの経験から予想する風による涼しさと、実際の感覚とにズレが出てそれがなんとも気持ち悪かった。
それもどうにも奇妙な感じの暑さ、それを感じた。
30分ほど歩いていみたが、あまり状況に変化はなく、ちょっとこのまま続けると体調が悪くなりそうな感じもしたので帰宅した。
とまあ完全に個人の主観で俺のたった一度の体験なので断言はできないが、俺には酷暑の時期のミレーのドライナミックメッシュは賢明な選択だとは思えなかった。
毎週、そこそこの時間を運転こなさないといけない都合で時間つぶししたい
・画面を目で追わないでも内容が追える
・高めの声で喋る(低音ボイスは聞き取りずらい
・ライブ配信少な目(ライブが多いと間延びしがち、ゲーム画面見ながら系は論外、切り取り動画はそういう意味で流しっぱなししやすい
・内容が多少間違ってても気にしない(知識を耳学問で聞きかじったところで正しさに辿り着くわけないし、気になったらあとで調べればいい
・CMが少ないとさらに良し(アニメ番宣系はCM流れないことが多いので助かる
なお、ネットラジオは操作が必要なので運転中は使いづらいという認識。ラジオアプリなどで運転中に使いやすいのあったら教えてください
以下、操作しないので流れるにまかせることも多いのだが、そのなかでチャンネル流しっぱなしで気に入ってる参考例(リンクはしない)
「ゆっくりとは?」と語の定義を考察したくなる程度に極限まで詰め込んだトークがみっちり詰まってる。内容は映画レビューやアニメレビューなど
普通の人にはほぼ参考にならない。マシンガントークが好きな人向け
・よしおの部屋
マーベルコミックスはつまらないので映画だけ見てコミックは読まないでヨシ!とかぶっちゃけてくれる(もちろんネタ)
基本アメコミ読まない人を対象にして丁寧に語ってくれるので、はてなでアメコミ雑語り論争に乗っかってコメントしたい人向けかも
なおDCやその他の独立系、ヒーローもの以外のコミックの話は出てこないので、これでアメコミ知った気になるのは当然なしで
・興梠一郎 / Korogi Ichiro【Official】
中国ニュースを解説する系チャンネル。実際の中身の偏り度合いは知らないが、聞き取りやすく、煽らないのでまあこの程度なら聞いとこうかって感じで聴く
画面を見るよう促すこと多いが見ないので、実際に信頼おけるかどうかは全くわからない
・れおんまる【CV:へんたいふしんしゃさん】
プリコネの説明、攻略のチャンネル。ハイテンショントーク。ゲーム攻略系は他にもハイテンション維持してくれる人が多いので助かってる
・もへじ
ダムとか道路とかの土木ネタ。ほぼ全部喋ってくれて画面見ないでも大体わかるので助かる
最近は現地中継をちょこっと入れてそこだけ聞き取りに向いてないが時間としては少ないのでまだ大丈夫
肥料メーカーの公式チャンネル。他の園芸チャンネルより動画再生数が全く伸びてない
社員の研究者、つまりガチ理系の人が、頭おかしいハイテンションで頑張って自社製品の説明をしてくれる。ツィッター公式で慣れあってる系より好感度高い
勉強になる(ならない)
ライブ配信が中村悠一のトーク能力が思いのほか高くて30分から1時間ぐらいは間が持つ
ゲームプレイ部分や紹介部分は画面見るの前提なので、長時間運転には向いてない
ネタが濃い気がするが、チャンネル主の見解と主張がものすごく強い競馬チャンネル
趣味ものはこのぐらい自己主張が前に出ても問題ないと思うが時おりどこまで信頼していいかだいぶ怪しい電波が紛れ込んでる気はする
しかし聞いてる側が競馬知識全然ないので真実は不明。主ご自身で「ニチャアア」を多用するので自覚的に自己主張強めでやってると思われる
・「ぼっち・ざ・らじお!」
アニメ宣伝のラジオ番組はCMが挟まらないので助かる。ぼっちらじおは青山さんのソロトーク部分が長いおかげで車中でも聞きやすい時間が多い
女性声優同士のかけあい、じゃれあいは、声が高い一方で、どうしても曖昧になりがちで車内では聞き取りにくいのが難点
FGOの内部情報リークで悪名がだいぶ高まったチャンネル。編集で詰め詰めに喋ってくれるので聴きやすい
ゲームレビューはわりとまあ普通。辛口というほど辛口でもない。自分とゲームの趣味が違うので知らないから聞いてられるという面はあると思う
FGO騒動のあと業界人コラボしたり公式案件やってみたりしてたようだが、うまくいかないのか結局自前レビュー形式が多いので聴く側としては助かってる
・GoodSpeedVision
自動車ネタ。技術的な説明や物流業界ネタなど。聞きやすい声でだいたい画面見なくても済むように全部喋ってくれる
技術的なネタはたぶん本職のメーカー専門家あたりがツッコミ入れたくなるとこもあるんだろうなーぐらいのザックリした説明
・まとめ系、切り抜き系もろもろ
トークが流れ続ければそれでいいのでけっこう聞くが、ずっと流してると内容がループしがちなのが難点
田川とかの例を見るとこれ思い出す
どうしてこうなってしまったんだろうな。
別にリベラルであることが間違っているわけではない。というか、思想的には俺もリベラル寄りだ。
しかし、オールドなオタクが無理にリベラルに舵を切ろうとして、結果ついていけない数々の事故例を見るにつけ、悲しいというかなんというか、無常を感じる。
彼らは本気で正しくあろうとしているんだろう。だが、身体に染み込んだ旧弊の鎖がその理想についていかない。
結果、なんだか見当違いな分析やとんちんかんな義憤を発するなにかになってしまう。
当事者でもなければナチュラルに「人を傷つけない」空気で育ってきた世代でもないだけに、「こうあるべき」の理想が空回りしてしまう。
アップデートするべきという時代の雰囲気に迫られ、耳学問や本で学んだふるまいをなんとか身につけようとする。自分たちを置いてけぼりにしつつある「ただしさ」の最終便に乗り遅れまいと必死に追いかけている。
痛いほどよくわかる。俺もそういう世代に属する最後のオタクだろうから。
まあ、でも、ねえ、へぼやん。
俺たちはすっかりおっさんだよ。
新しい時代へなんていけないよ。
「正しく」なくても、せめて「間違ってない」くらいで許してもらっていいんじゃないかな。
いまあんたがリアルで何やってるかは知らないが、たぶん政治家でもデカい組織のエラいひとでもないでしょう。
いるだけで誰かを圧迫するような立場ではないだろう?
あんたが捨てるべきは、古い時代の価値観とかじゃなくて、常に絶対に「正しい」側にいて「間違い」を糾すべし、という、古臭い男らしさだよ。
誰かを責めなくてもいいんだよ。
延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。
しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄は人間と荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。
鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。
確かに鉄道は知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。
でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。
終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。
ひょっとすると列車の座席に隣り合わせたことから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ。
たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか。
こんな新しい自然な出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。
チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。
列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。
時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。
踏破ルートは3,000m障害や10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルートの選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。
チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。
そこには、自分自身の問題として果たさなければならいことがある。
責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。
いわば、人生のドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由と可能性があたえられているのだ。
チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。
列車待ちのホームで洒落た服装に身を包み、小首をかしげて詩集をひろげているちょっと気どった人。
おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。
どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。
体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分のスタイルを作り出してみよう。
"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。
始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店でお土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。
ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。
日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。
手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から、自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ。
EL、DL、EC、DC、そしてSL。特急の場合もあるし、急行、普通列車の場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜のトンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車でからだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。
日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。
いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。
こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所や列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。
それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。
駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会の終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅、高原の終着駅など、それぞれの良さがある。
しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかもゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。
色鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ。
どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明が必要になる。それが始発駅と終着駅の写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジの
https://anond.hatelabo.jp/20180222134603
このスター集めまくってるコメントみて、俺思わず笑っちゃったよ。
口数ばかり多い、ウラナリのはてブ民には、遠い遥か彼方の銀河系の話なんだろう。
アフィのノウハウや英語の勉強記事をシコシコ無言でブクマしてる暇があったら、ちっとはイオンのリカーコーナーでも行って見聞を広めた方がいい。アルコール依存症は100万人以上、年間35,000人以上が急性アルコール中毒で死亡するこの国のリアルだ。
大学を出て吹雪のような現代社会で働くお前らにとって、ストロングゼロはお前らを包んでくれる暖かいウールだと教えてやる。
ストロングゼロの価格は10ml=4円がベース。これはコンビニ350mlベースの計算で、量が増えていくに連れてじゃんじゃん安くなるなぁ(10mlあたり3円近くまで落ちる)というイメージ。もちろん、コンビニで買えば多種多様のつまみが一緒に買えるし、お買い得なリカーショップで買うなら家でつまみを作っても良い。
町中から酒屋が排除された今、購入場所は流行りの密林というやつ。ここで売人と連絡取って直接送付してもらうのが今のトレンドだ。だけど、毎回アクセスして購入ってだんだん面倒なので、そろそろストロングゼロのダッシュボタン作って簡単に買えるようにして欲しい。酒屋やドラッグの取引なんかと違って、顔つき合わせるなんて面倒なことはしないぞ。売人と客は最初から最後まで顔はおろかお互いの素性すら知らない。たかが酒に礼儀なんて糞って思うだろ?だがブツはヤバくても取引はセーフティーに。苦虫噛み潰したような顔でもメール上ではお互い笑顔が円満取引のコツだ。Anonymousの仮面だっていつもにっこり笑顔、だろ?
で、だ。
どうせお前らは「ストロングゼロ」なんてシロモノは、増田のストロングゼロ文学くらいしか知らないんだろう。ストロングゼロが無くなった近未来だの、西野カナの結婚式だの、あのあたりだ。ブラック企業で働いているサラリーマンや、コンビニのイートインスペースでストロングゼロ飲んで気絶してる、壁の向こう側の人間の話だと思ってるんだろう。
これだから、ノマド生活に憧れる脳内お花畑シティーボーイはダメなんだ。現実を見ろ。アルコール依存症ですと診断された人間が100万人以上いる国だぞ。診断書がでているだけでその数だ。推定500万人近くの人間が依存症に近いと言われている。お前らには全く気づかれず、いや気がついているかもしれんな。二日酔いで会社を休むようになった、なんてヤツが周りにいたら、要注意。そいつは俺だ。
じゃあ、俺は何のためにストロングゼロに手を出してるんだ?
ストロングゼロ最大の利点は「考えなくていい」「泥のように眠れる」ところにある。明日への活力が云々・風邪予防とか言ってるヤツは耳学問の青二才だから気にしなくていい。それは芋焼酎だ(健康のためには芋焼酎を飲もう!)。確かにストロングゼロでも、明日への活力にはなるが、そんなもんは副次的だ。筋弛緩剤のように体から力を奪っていくから、セックスする相手が居ても勃たずに眠ってしまう。
余談だが。ストロングゼロってのはな、仕事で疲れた時、ちょいと会社のトイレで飲むだけで、次の日から働けなくなるんだ。10ml=3円とした場合、1回の目安が350mlだから、1回105円。ここぞという時にキメれば、105円で職を失うんだから、安すぎる。下手すりゃロクな仕事をしてくれないっていう噂の労基署よりスマートにブラック企業から離脱させてくれる。もちろん、露頭に迷うリスクはあるが、そんなもんにビビってちゃ資本主義社会では生き残れない。トレーラーハウスにはいつまでも居るわけには行かないって奴だ。
さて。この「考えなくていい」ってのが最大の利点でもあり副作用でもある。
ストロングゼロ飲んで朝起きたと思ったら部屋に西日が落ちていた時、人間はどうなると思う?俺たちは諦めて「もう一本開けよう」と冷蔵庫に走る。
携帯電話に不在着信がズラッと並んだ(「無の境地になる」ってやつだ)現実を直視しないために、もう1本決めよう…となりゃもうオシマイ。ジャンキーまっしぐら。気づけばパック(内容量:1,800ml)の出番だ。だけど、栄養ドリンクと同じで、ここぞという時の武器にしてるヤツはそこらじゅうにいる。悪魔的に言い訳が上手いやつがな。逆鱗に触れるギリギリのところを見極めて正しく守ってさえいれば、言い訳なんてなんとでもなる。痛い頭をこすりながらシャワーを浴びてコーヒーとにんにくで酒臭さをカバー、ポカリスエット一気飲みして小便ピューリタンすれば午後からは出勤できるからな。
まあ、はてブ民はストロングゼロ文学ではしゃいでいるのもいいだろう。でも、一般知識としてアルコール依存症は自分とはそんなに遠くないところにあって、知り合いの誰か(あるいは自分かもな)がそうなるかもしれないということは知っておくように。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20180221/k10011338141000.html
id:taruhachi こういう記事で末端価格って出るけど、安定した価格の市場があるのだろうかと思ってしまう。 7 clicks
このスター集めまくってるコメントみて、俺思わず笑っちゃったよ。
口数ばかり多い、ウラナリ坊やのはてブ民には、遠い遥か彼方の銀河系の話なんだろう。
アフィのノウハウや英語の勉強記事をシコシコ無言でブクマしてる暇があったら、ちっとは街へ出て見聞を広めた方がいい。年間1万人以上、つまり毎日30人以上が覚せい剤で逮捕されるこの国のリアルだ。
暖かいウールに包まれたまま大学を出て社会で働く、お前らに教えてやる。
消費者物価指数のグラフが心肺停止したこの国で、覚せい剤の価格は0.2g=1万円がもう長いことベース。これは自然にできた示し合わせみたいなもんで、1万円から乖離していくほど高いなあ(質がイイんだろうなあ)というイメージ。もちろん、このイメージを逆手に取ってボッタくってくるヤツもいれば、お買い得と見せかけて塩を販売してくるヤツもいる。
町中からイラン人が排除された今、購入場所は流行りのダークウェブというやつ。ここで売人と連絡取って待ち合わせるのが今のトレンドだ。だけど、Tor経由でアクセスしなきゃたどり着けないってわけでもなくて、特定の隠語と組み合わせてググれば、簡単に出てくる。仮想通貨の取引所なんかと違って、単なる数字のやり取りじゃないぞ。売人と客が最終的には直接顔と顔を突き合わせるんだ。礼儀は欠かせない。でも、ナメられたら最後さ。笑顔で塩を売りつけられちまう。ストリートじゃいつだって、ビー・ポライト、ビー・プロフェッショナルなんだ。
で、だ。
どうせお前らは「覚せい剤」なんてシロモノは、芸能人が逮捕されたニュースでしか知らないんだろう。シャブピーだのアスカだの、田代だの、清原だの、あのあたりだ。ヤクザや芸能人、コンビニのイートインスペースで大五郎飲んで気絶してるドロップアウターだけの、壁の向こう側の人間の話だと思ってるんだろう。
これだから、ノマド生活に憧れる脳内お花畑シティーボーイはダメなんだ。現実を見ろ。年間1万人以上が覚せい剤で逮捕される国だぞ。発覚しているだけでその数だ。まず、そう遠くない距離の人間が手を染めている。お前らには全く気づかれず。突然C型肝炎になりました、なんてヤツが周りにいたら、要注意。そいつは俺の知り合いの知り合いかもだ。
じゃあ、彼らは何のために覚せい剤に手を出してるんだ?
覚せい剤最大の利点は「眠らなくていい」「疲れが飛ぶ」「やる気が出る」ところにある。通常では体験できない快楽が云々・性欲増大とか言ってるヤツは耳学問の青二才だから気にしなくていい。それはヘロインやMDMAだ。確かに覚せい剤でも、感覚過敏にはなるが、そんなもんは副次的だ。男にとっちゃ、単に集中力が増すから、セックスをやり続けられるってだけだ。
いいか。覚せい剤ってのはな、仕事で疲れた時、ちょいと会社のトイレで粉にして鼻から吸うだけで、次の24時間バリバリ戦えるんだ。0.2g=1万円とした場合、1回の目安が0.02gだから、1回1000円。ここぞという時にキメれば、1000円で24時間は戦士になれるんだから、安すぎる。下手すりゃロクに薬効のない栄養ドリンクより安上がり。もちろん、逮捕されるリスクはあるが、そんなもんにビビってちゃ資本主義社会では戦えない。ヒップがスクエアのふりをし続けるにはコストも甘受せにゃならんのさ。
だがな。この「眠らなくていい」ってのが最大の利点でもあり副作用でもある。
アドレナリン過多で飯も食わなくていい&眠らなくていい魔法の薬効が切れた時、人間はどうなると思う?だから俺たちは畏敬を込めて「元気の前借り」と呼んでいる。
この薬効切れ状態(いわゆる「ヨレ」)をどうにかするために、もう1発決めよう…となりゃもうオシマイ。ジャンキーまっしぐら。そう遠くない日に、12時間パックで入った個室ビデオの机に注射器(通称:道具、ポンプ、ペン)をズラリと並べている自分と出会うことになるだろう。だけど、栄養ドリンクと同じで、ここぞという時の武器にしてるヤツはそこらじゅうにいる。ジャンキーにもならずに。なぜなら、用法用量を正しく守ってさえいれば、大して危険なクスリじゃないからだ。法を無謬のものと固く信じ、日々ポリティカリーに生きてるお前らピューリタンには分からないかもだがね。
まあ、はてブ民はヨッピーの言う通り、素直に温泉で交互浴でも試しときゃ疲れを取るには十分だろう。でも、一般知識としては知っておくように。
中高年の世代は権威主義の人が多いように思えるが、権威で物事の正誤を判断するのは非常に愚かな行為で、
頭の良い層にとっては愚かさの極みであると思われる。
特に理系の人間であれば、正当かを判断するのには非常に慎重になる必要があると理解できるだろう。
有名な機関が発表していたとしても、その主張に至るまでのプロセスなどを加味した上で蓋然性の高さを評価する。
時には権威主義の人間が愚かに思え、雰囲気で正誤を判断してしまう風潮を変えたいと思うようになる。
最近ではテレビで有名大学の学生だったり医者や弁護士など、権威を認められた人間が、
意外にも一般人と大差がなく、そこには誤謬も偏りもあるという情報が共有されるようになってきた。
特に大学入試に関してはテクニックの世界であることが露呈され、テストの手段や知力の指標としては危ういものになっていると感じる。
この流れが、権威に対する疑問をもたらし、今までの絶対的な判断の仕方に変化をもたらすのではないかと期待する。
だが一方で、インターネット上では耳学問で得たあやふやな知識と不完全な思考力を持つ人間が、
陰謀論や極論を論拠に、非常に知識も正当性にも長けた人間を否定する動きが見られる。
こういう理屈が通じない人間には、圧倒的な権威で正当性を認めさせるのが有効な手段なのだろうが、
その方面に関して言えば逆行していると言えるだろう。
勉強しなくても生きていける世の中であるが、こうした頭の悪い、世の中をかき乱すだけの人間を減らすには各々に勉強をさせる必要があるだろう。
正当な人間をも権威が低下した中で、自己評価が肥大した人間を諌める手段は非常に効率の悪いものになると想像する。