田川とかの例を見るとこれ思い出す
どうしてこうなってしまったんだろうな。
別にリベラルであることが間違っているわけではない。というか、思想的には俺もリベラル寄りだ。
しかし、オールドなオタクが無理にリベラルに舵を切ろうとして、結果ついていけない数々の事故例を見るにつけ、悲しいというかなんというか、無常を感じる。
彼らは本気で正しくあろうとしているんだろう。だが、身体に染み込んだ旧弊の鎖がその理想についていかない。
結果、なんだか見当違いな分析やとんちんかんな義憤を発するなにかになってしまう。
当事者でもなければナチュラルに「人を傷つけない」空気で育ってきた世代でもないだけに、「こうあるべき」の理想が空回りしてしまう。
アップデートするべきという時代の雰囲気に迫られ、耳学問や本で学んだふるまいをなんとか身につけようとする。自分たちを置いてけぼりにしつつある「ただしさ」の最終便に乗り遅れまいと必死に追いかけている。
痛いほどよくわかる。俺もそういう世代に属する最後のオタクだろうから。
まあ、でも、ねえ、へぼやん。
俺たちはすっかりおっさんだよ。
新しい時代へなんていけないよ。
「正しく」なくても、せめて「間違ってない」くらいで許してもらっていいんじゃないかな。
いまあんたがリアルで何やってるかは知らないが、たぶん政治家でもデカい組織のエラいひとでもないでしょう。
いるだけで誰かを圧迫するような立場ではないだろう?
あんたが捨てるべきは、古い時代の価値観とかじゃなくて、常に絶対に「正しい」側にいて「間違い」を糾すべし、という、古臭い男らしさだよ。
誰かを責めなくてもいいんだよ。