はてなキーワード: 羞恥とは
中学生の頃、登校中にだ。
でも、漏らしたのはこれが最初で最後(だと思いたいという希望的観測)だ。
当時の登下校に限らず移動の時は腹の調子を見て、出来るだけ大便を済ましてから動くように心がけている。
ただ、いくら心がけていても、腹の下しは先取りできないし、終わりを伸ばすのも限度がある。
腹痛が始まったのは、通学路の半分を超えたあたりだったと思う。
腹を襲う猛烈な鈍痛。あ、いつものやつが来たなと思い、大便が漏れないように尻の穴に力を入れて堰を作る。
波は堰のギリギリまで攻めてきて、そして引き潮のように戻っていく。その繰り返しがしばらく続いた。
民家でトイレを借りることも考えたが、私にとっては腹痛は日常茶飯事で、借りることによる羞恥を鑑みると、それはとても実行できなかった。
全身から冷や汗だひたひたと湧出し、顔が自然と下を向く。視界には余計なものを入れず、ただ足と尻の穴にだけ意識を集中した。
一歩、また一歩と歩みを進める。普段登下校している20分程度の道程が、永久に続くのではないか、そんな風に思えた。
校舎が見えて来た。学校の周りであることを示すレンガの歩道をそのまま進む。
登校中の生徒に友達がいないことを、そしていたとしても話しかけられないことを、頭の片隅で祈る。
この時点で尻の堰は既に限界を超えており、土嚢を積んで緊急対応をしている状態だった。
校門を通り、自転車置場を抜け、校舎へと入る。
靴を脱ぎ、靴をしまう。下駄箱からトイレまでは曲がり角の無い一直線。
その途中。もうトイレまでは10mも無かっただろう。中庭に面した日当たりの良い廊下で、堰が決壊した。
モリモリモリと、尻から大便が噴出し、ズボンを盛り上がらせる。大便が尻を伝い、足の付根へ落ちていく感触を受ける。
廊下に落ちたら一貫の終わりだと思い、残りの10mを尻を(大便を)抑えながら、歩みをさらに小股にして、トイレへと駆け込む。
幸い足元からの大便の漏れは無く、道中は無事のようだった。だが、パンツ及びズボンは悲惨な状態で、見事に大便にまみれていた。
普通の人間ならこの時点で、授業には出ずに下校することを考えるだろう。僕もそうだった。
しかし、今日は中間テストの日だった。休んだことによる、先生や親、友達への事情説明等を考えると、頭が重くなった。
トイレの水で洗えば何とかなるのでは、そう考え、大便器の水でパンツとズボンを洗い、出来るだけ乾かして、颯爽と何事も無かったかのように教室へと向かった。
その後のことは、書かなくても分かると、思う。というか、これ以上、書くことが、自分にとって辛い。
簡単に概要だけ書く。教室は臭い臭いのオンパレード、教師は気を使い現状維持、その状態でテスト続行、絵に描いたような最悪な1日となった。
何でこんなに辛いのに、書いてるだけで冷や汗が出てきて、情けなく思えてきて、思考はどんどんマイナスに落ちていくのに、わざわざこんな文章を書いたんだろう。
似たような経験のある人とか、現在進行系で似たような問題に陥っている人がいれば、こんな奴もいるよというお知らせにはなるのだろうか。
良ければ、過去の恥を書くことの意義を、誰か教えて下さい。
始めに断っておくが、ここでいう「男の娘」とは二次元創作物上の登場人物を指している。
従って、現実世界に存在する「自称・男の娘」というおぞましい勘違いカマホモ野郎は論外とする。
理由は、男の娘に投影されている性的性質が「女性性」であるためである。
「一見して女性であるが男性である」のが男の娘である以上、その本質は女性らしさにあると言える。
なお、男の娘作品を好むホモも存在するようだが、彼らは男の娘という要素自体には興奮していない。
ただ単にショタコンであったり、男の娘に自己投影して男に犯される図に興奮するカマホモでしかない。
同様に「男の娘は女と絡ませなきゃ抜けない」と宣う痴れ者も、男の娘自体を興奮の対象にしていないため、ここでいう男の娘好きにはあたらない。
以下に例を挙げる。
①好きな人が男性であるため、女装をしてアプローチをしつつも、内心で女に生まれなかった自身を憎んでいるパターン
②おっさんを騙して金を毟り取るために女装をして円光するも、普通に犯されてメス堕ちしてしまうパターン
①「好きな子が実は男だった…」という事実にショックを受けるが、それでも恋心を振り払えないというパターン
②恋人がいるアピールをするために友人を女装させたところ、存外可愛くて男であるはずの友人に胸が高鳴ってしまうパターン
上記のように、男の娘作品はほぼ共通してアブノーマルな関係にともなう葛藤をアクセントにしている。
この点においてレズ物に近似した性質があると言えるが、レズ作品には男性器が介在しないという致命的な弱みがある。
読者は作中の男性器に自身の男性器を投影して快感を重ね合わせるので、レズ作品にはどうしても物足りなさが付随しがちである。
男の娘モノ作品は、この点をクリアーしているところに強みがあると言えよう。
男の娘というジャンルは「ホモでない者が男性を性的興奮の対象にする」という点で特異性を持っている。
このジャンルがホモか否かでたびたび論争になるのは、「男の娘好き」と「男の娘作品好き」の分別がついていないためだと思われる。
男の娘自体は好きではなくても、男の娘作品に頻出の「羞恥」「ショタ」「逆レイプ」といった副属性に興奮しているだけの者が多いため話がこじれやすいのである。
最後に、ここまで読んでくれた方々に問う。男が「男の娘」の男性器を口淫するシーンで、あなた自身はどちらに感情移入するか?
「男」か?「男の娘」か?
最初は深夜
巨乳の偽乳を仕込み、ハイウエストの超ミニにニーソであざとさ前回の服で歩き回る。
その日は特に何もなかったが1人のおじさんが後を付けてきた。
ある分かれ道で追い越され、私の進みたい方ではない道を行ったおじさんは
一度だけ振り返った。じーっとこちらを見つめるので意味もわからずお辞儀をして別れた。
思えば誘われてたんだと思う。家に帰ったあとで少しだけ後悔した。
何度か外出をして、転機が訪れた。
「君、女装でしょ?」
チャラそうな男が声をかけてきた。
この人はAという人で、その後長い間お世話になることになる。
実はこの時点で個室のトイレに二人で入っているという異常な状況だった
初めてナンパされて嬉しくなった私はAに肩を掴まれるという大失態を犯し、
「で、何できる?エッチできる?」
無理、とは言えなかった。怖かったのだ。
咥えることはできる、と一度も咥えたことのない勃起したそれを口に含み必死に頭を振る
「あー、やばい。すっげぇー気持ちいい……。馴れてるね、チンポ咥えるの好きでしょ?」
というAの言葉は、今でも忘れない。
得も言えぬ興奮が込上がり、脳を溶かすかと思った。
Aは私のアタマを掴み、乱暴に腰を振った末に果てた。私はそれを飲み込んだ。
Aとはそれっきりだった。
しばらくして再開し、数度再開した辺りでやっと連絡先を交換することになった。
何度も出掛けてわかったが茶髪のウィッグ時がもっともナンパされやすい。
生足だとナンパの比率は跳ね上がる(生足の日でナンパされなかった日はなかった)がニーソが好きなので基本はニーソだった。
よく、終電帰りのサラリーマンがこっそりと後を付けてくるので手頃な電柱の下でスマホをイジるふりをして歩を止めると
2割ほどがそのまま素通りし、
3割ほどがチラチラと振り返りながら通り過ぎる。
そして、
残りの5割がナンパをしてくるのだ。
深夜、オレンジ色の街頭に照らされた「いかにも」なミニスカ巨乳の女を見れば
多少不自然な体格でも終電帰りでくたびれてるサラリーマンには見分けがつかないらしい。
寧ろ、無言で精一杯女の子らしい動きを意識すると男の鼻の下が伸びるのがよくわかった
足はまっすぐ腰を少し曲げて、小首をかしげる。
すると、男もだいたい小首をかしげる。
「どういう意味?」という感じではなく、こちらのジェスチャーを真似ることで接触を図ろうとするのだ
スケベ顔で小首をかしげて、警戒心をなくした男たちは不自然なくらい近づいてきて「何してるの?」と問う。
そこでもう一度小首をかしげる。
身体を左右に揺らして、指で唇に触れ、ちょっと考えてから小首をかしげる。という動作は、たまらないらしい。
スケベ顔に磨きがかかり「教えてよー」ともっと身体を寄せてくる。
ここでい悪戯心を出して男の身体に触れようとすると、だいたい皆数歩下がる
「いやいやいやw」と、スケベ顔であからさまな期待をしつつ数歩下がる。
仕方がないので胸を強調する仕草をすると、男たちはゆっくりと手を伸ばして胸に触れる。
あとは状況を見つつだが、結果は2種類。
意外とばれないことも多く、この後俺の家で続きをしよう。と誘われることもよくあった。
そして、バレる場合。
流石にスキンシップを過剰にすればバレることもある。
私の腰に腕を回し、小柄なお尻を鷲掴みにしてギンギンに勃起したそれを擦り付ける。
息を切らしながら、咥えるように促すその様子がひどく可愛い。
私は無言より、感想を言ってくれる人のほうが断然好き。
余裕たっぷりに「変態じゃん」「何本咥えたの?」とこちらを女性と思ってなじる男も大好きだ。
男性は果てた後、私を抱き寄せ酒とタバコの臭いのする舌で強引に私の初めてを奪った。
骨が軋むと錯覚するくらい強い抱擁に、しつこくマーキングするみたいな濃厚なキス。
コレは私が初めて男性に逝かされた瞬間だった。
性行為を共用されるかと思いきや、男性はあっさり去っていった。
程なくして私の活動は昼に移る。
店員の見回りはほぼ無く、少しだけ薄暗いので誤魔化しもきく。
お尻の肉が見えるくらいのミニスカで店内を歩き、
足を曲げずに腰だけ曲げて機体の説明書きを読む。
集まる視線、後ろから声をかけられて見知らぬ男と一日デート、ということもザラにあった。
私の服のチョイスがオタク受けするからかもしれないが、行動力は立派だと思う。
そしてオタクは女装を見抜く能力があまりない。練習した不自然な女声でも全然ばれない。
奥手で鈍感でむっつりスケベなオタク相手でないとコレは出来ない。
ボウリング中にハイタッチをするが、すごく不自然にハグを要求する。
「こういうの好きなんだ……?」と馴れない感じに言葉責めされる、最高だ。
そしてやはり、面白いくらいバレなかった。
というか、
男は本当に気づかない。
おばちゃんも気づかない。
奥様は気づいているのかもしれないし、スルーしてるかもしれない。謎だ。
ともかく、楽しかった。
私は今後も女装を続ける。
ドラゴンカーセックスというのは一見すると難しい性癖で自分も暫く分からなかったのですが、ある方の解説で腑に落ちました。
簡単に言うと、「悔しい!でも感じちゃう!ビクンビクン」という古典的なシチュエーションを先鋭化したものということだそうです。
欧米においてドラゴンというのはとても神性な存在で、カーセックスはおろかドラゴンが性行為を行うことすら酷く羞恥的に映るということらしいのです。
そして車。これはオナホ代わりというわけですが、よりによって車。車というのは我々下界の人間の日用品であり、そんな下賤なもので性欲を発散するなど高潔な神的存在のすることでは決してない。
それにも関わらず性欲が抑えきれず、しかも車がちょうど良いので、そしてなんかこう感じもいいので、自分が高潔な存在であるにも関わらず、理性は嫌だと言っているにも関わらず、本能で車に突っ込んで腰を振ってしまう。腰が止まらない。それが酷く羞恥心を煽って感情移入する、それがドラゴンカーセックスだという極めて簡明な説明を見て感心したものです。
というわけで、女性専用車両増田さんも忙しくもう少ししたらいなくなるとのことですが、
ここは一つ、女性専用車両でドラゴンカーセックスという性癖を開拓することによってこの不毛な性差別問題に手を打ってくれませんでしょうか。
皆さんもうちょっとhagexとか低能先生とかの話もしたいでしょうし、私もドラゴンカーセックスについてもう少し語りたいので、よろしくお願いします。
今時結婚ってしてもしなくてもいい風潮だけど、私に限っては結婚して世界がめちゃくちゃ変わったので、そっと吐き出していく。
元々、社会での生きづらさはやばかった。
学生時代は苛められるか無視されるかの安定ぼっち、うんと好意的な人が多いときには面白がってもらえたけど、でも自分が喋ると周りの空気が止まる感じはずっとあった。
皆が笑うタイミングで笑えないし、まともな受け答えも未だにわからん。
幸い勉強は人並みにできたし、まあヤンキーからは程遠いまじめちゃんなので、割と堅いところに就職できた。
家族の中でもちょっと浮いてはいたけど、一応家族として寛げる空間はあった。
社会人になって一人暮らしすると、もうなんていうか、コミュニティの中で浮いてるのを自分で受け止めるしかない。
やらかして、周りが優しくアハハーと笑ってくれても、でももう自分の中では羞恥と後悔でうわあああってなって、帰ってきたら真っ暗な部屋。
どこに出かけても、ちょっと薄笑いを浮かべて見られているような感覚。
それを笑い飛ばせない孤独。
早めに家庭を持たなきゃ死ぬと思った。
というか、ぶっちゃけ30までに結婚できなかったら本気で死のうと思ってた。
当時はまだ婚活って言葉は一般的じゃなかったけど、お見合いパーティーとか知人の紹介とか出会い系サイトとか使いまくった。
合コンもしたけど、浮きすぎて引き立て役にしかならなくて、集団の中で自分を魅力的に見せる能力がないことに気がついたので、途中からは一対一で話せるものだけに絞った。
それでも全然成果でなくて、親や周りからはいつ結婚すんの?従姉妹のなんとかちゃんもう子供いるのよ?ていうか彼氏くらいつくりなさいよアハハーみたいな脳天気えぐりプレッシャーを浴びつつ、なんかもう半泣きで婚活した。
7年に及ぶ婚活で、相手は唯一私と付き合うことにOKをくれた男性だった。
付き合うことになってからは非常に速やかに結婚することになって、今は子供もいる。
なんていうか、今までの珍獣扱いから、人間扱いに変わったとでも言えばいいのか。
配偶者がいて子育て中で働いてる、ただこれだけの属性で、すごくまともな人扱いをされるようになった。
何かと見下し発言の多かった先輩は接触してこなくなったし、彼氏自慢の電話がしつこかった同級生は音信不通になった。
でもって、なんかちゃんとした扱いをしてもらえるようになった。
いや、これは私の勘違いで思い込みなのかもしれないけど、例えば駅でぶつかられても、舌打ちじゃなくてスミマセン、とちゃんと言われたり、お店でお会計の間違いを指摘してもため息をつかれなくなった。
職場の飲み会でモテない変人として槍玉に挙げられることもなくなったし、同僚は子育て情報を教えてくれる。
なんか、なんかほんと、世界が優しくなった気がする。
私はそういう社会にいるのだと思う。
既婚で子供がいて、真面目に働いている、という属性は分かりやすく評価される世界。
その世界で、独身でもいい、一人で気高く生きていけるという潔さは、私の中のどこにもなかった。
夫に、どうして付き合ってくれたのか聞いてみたことがある。
コミュ障丸出しなのに、必死すぎてなんか放っておけなかった、ということだった。
とりあえず、死なずに済んで、今こうして生きていられて幸せだ。
初投稿、下書き無しなので文に乱れがあったり読みにくかったりすると思うけど許して欲しい。
友達と「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメか?」と言うことを話していて考えたこと。
個人的な性と半生の話が出てきてあまり公には話せないのでここに書くことに。もしかしたら似たようなこと考えている人がいるのかなって希望も少し。
性の目覚め
最近、どうもエロいので自分の中にあるエロのかたちを一つ一つ考えている。
その体験っていうのが幼い頃見た夢なんだけど、その説明のために一応当時のことを書いておく。
当時保育園の年長組だった僕は、おゆうぎかいで確かダンスを踊ることになっていた。男女別で、女子はモーニング娘。の「ラブマシーン」だった。衣装は黄色いフリフリの服だった。
夢の内容は、その「ラブマシーン」を自分が女の子に交ざって踊っている夢だった。
そしてそれを見る両親を僕が見ている夢だった。
「あれ、○○(僕)じゃない?」と母が言い「そんなわけ無いだろ。○○は男の子だよ。」と父が言う。それを僕が見ている。
そんな夢。
あまりに強烈だったので起きてからも夢の内容を覚えていて、そしてその事を考えているとなにかドキドキすることに気がついた。
何となく床に下腹部を擦り付けると言い様の無い快感があって、そこからは特に話すこともない。
ともかく、学校で性教育を受けるまで、僕のエロのすべてがその夢だった。というわけでもない。『ぷよぷよ』の「アルル」も、『ワンピース』の「ナミ」もエロい!と(感覚的に)思えたし、事実それらの女性キャラクターでオナニーもした。なんなら同人誌を調べるために新しいマンガに手を出した。乱暴だがその辺から性教育を受けたと言えるだろう。行為や言葉の意味はわからないけど何となくおっぱいはエロかった。
小学生のころ「オナニー」とか「セックス」の意味を辞書で調べるノリがあった。自分の「オナニー」とは違ったのでピンと来るのに時間がかかった。自分のしている(た)「オナニー」がおかしいと感じ、“あの夢”は悪夢になった。
時は流れて大学生の頃の話。
親元を離れて独り暮らしを始めた僕は、おそらく多くの童貞がそういう道を通っているように、ただれた性生活を始めた。片端からエロサイトを見て、pixivと2ちゃんねるとTwitterを行き来した。エロ本やオナホールを買ってきては友人たちにレビューを聞かせた。よくいるエロいやつだ。多分普通と少しだけ違ったことは、いくつかの特殊性癖にも精通したことだと思う。
ケモノ、男の娘、ペドフィリア、みたいなある程度メジャーな特殊性癖でヌけるようになったところで、大学の先輩から「なんでそんなもんでヌいてんの?」と聞かれた。
しばらく先輩の「なんで?」が引っ掛かっていた。先輩には悪いが、遅効性の毒みたいだった。最初はただの好奇心とちょっとした虚栄心だったと思う。自分の知らないエロの世界に触れて、粋がりたかったのだろう。男の子の世界には「面白いやつとエロいやつが強い」という不文律がある。特殊性癖は「エロくて面白くなる」上で大きな武器だった。
「なんで?」の毒が回りきった頃、自分の性癖の分析を始めた。その性癖を初めてエロい!と感じた画像や動画を覚えている限りもう一度インターネットから探してきた。そしてそれらの要素を抽出して、どこがエロいのか?を考察していった。
すると大学に入ってから意図的に開発した性癖に関して興奮のポイントに二つの共通点を見つけた。
・犯される側に感情移入している
・弱さ、危うさを無意識に感じている
心理学とかはやってないので精神分析とかではないけれど、当時はただドMなだけだと思っていた。
ふと思い出すと“あの夢”は女装と両親との関係の崩壊を“エロく”感じる夢だった。
「女体化」にであったときに強い憧れに似た興奮を覚えたのも、露出・赤面した少女の画像ばかり集めていたのも、当然の成り行きみたいにMに目覚めたのも多分深いところであの夢に繋がっているような気がした。
今思えばエロくなろうとしたのは仲間内の地位をあげるためじゃなくて、あの夢から逃げていたんだと思う。でも結局お釈迦様の手のひらの上で飛び回る孫悟空みたいに、僕は“あの夢”に囚われていた。良くも、悪くも。
まとめ
性癖に故郷があるなら僕は女装とか羞恥とかの村に生まれたんだと思う。少し一般から外れてはいるが“なんとかなる”部類だ。
これが食人とかスカトロの村だったら、多分とっても大変だったんじゃないかなって感じる。
最近は同性愛が認められててうれしいけど、性的指向と比べ性的趣向は未だに犯罪者枠だ。
性被害を受けた人や性癖を持たない人が訳のわからない性癖を気持ち悪く思うのも理解できるし、特殊性癖をもろ手をあげて歓迎しろ!なんて言うつもりはない。だって気持ち悪いし。
でも痴漢の村に生まれたおじさんはお金を払ってイメクラに行くべきだし、ネトラレの村に生まれた兄ちゃんはエロ本を買うべきだと思う。それだけじゃなくて彼らが村から出ようとするなら恋人がそれを助けてあげてもいい。でもその努力って絶対隠れてするし、なんなら持ってることすら気づかれたくないから「エロ本を買った」「風俗に行った」だけが表面に出て崩壊しちゃうんじゃないかな。
普通にグラビアのおっぱいで目覚めて、部活のマネージャーと付き合って、大学の後輩と結婚するタイプの友達には理解されない話だけど、僕みたい(いわゆる「普通」の)異性愛者の村に上京することができた、そこ以外の村の人ってけっこういると思うし、「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメだ」という人は一夫一妻の異性愛者村に生まれた人の価値観なんじゃないかなぁ。
それでも必ず振り向かせてきた
最低限の接点と、一対一で話してもちょくちょく笑いがうまれる和やかさが生じる範囲ならいける
3年から5年かける覚悟さえ最初にきめれば、どんな人間でも落とせる自信がある
まず人の縁はどちらかが意図的に更新を働きかけない限りだいたい2~3ヶ月で期限切れになる。(持論)
もし好きになった相手にちょっとでもお姫様基質があるならすごく簡単
人はみんな、自分はなんにも頑張らず、しかし誰かからちやほやされるという状態が大好きだから
戦略的に、定期的に、心地よい範囲で、常にこちらから話しかけることを続ければ、すぐ仲良しのポジションは得られる
「誰かと付き合った程度ではこの人は私をちやほやするのをやめないんだ」と学習する
「この人は見返りまでいらないんだ」と学習する
キャバ嬢に「ヤラせてくれないなら指名やめちゃうぞ」と言い出すおっさんがこれ
ださいよね、そこで全部終わるよね、やめましょう
それから大事なのは、どんな恵まれた人間でも「ついていない日」がある
そういう日が全部チャンス
あんなに好きでも喧嘩してしまうんだ、と同時に、この人はいつも変わらず優しくしてくれて精神的に安定するな、と思わせられることができる
おさえるポイントは
「相手のあるがままを尊重する」…矛盾の指摘などはNG、相手が羞恥をこえて内なる願望をこぼしてくれたら笑わずに聞く、その価値観を覚える
「元気になるまで最優先にする」…今すぐきて、には行く 交通費数万なんてすぐ取り戻せる 仕事なんて数日休んだくらいで誰も死なない
「元気になったらいつもの距離に戻る」…ここで束縛は絶対ダメ、二度と頼らなくなる
大事なのは嫌なことがあったときに気晴らしに選びたい相手になっておくこと
3年もあればそういう機会はすぐに二桁を超えるだろう
早ければ三桁いけるかな
そして自分の中の期限を守る
最初の3年とか5年がこれ
株でいう損切りと一緒で、ここでやめるという自分との約束を守る
もうちょっとこのままでとか思わない
「今日からこの都合の良さはあなたのものではなくなる」「むしろ他のものになります」とにおわせる
ずっと好きだったけどそろそろ他の恋を探そうとおもうとかなんとかいえばいい
そうすると「自分に恋愛感情をもちながら、一度も嫉妬をむけず、常に味方をしてくれていたのか」とあかるみになる
(敏い人なら勿論すでに察してるけど)
契約解除だけなら痛手じゃないけど、それが他に注がれるとなると
損失は実質二倍だから、かなりこたえる
その日のうちっていっていいレベルですぐ付き合ってくれるよ
あとは、落として満足するんじゃなくて
落とした後が本番だとおもって、幸せにするよう頑張ること
「自分が相手を幸せにするんだから」をお互いに想える状態を徹底して維持する
恋人同士になってはじめてぶつけあうこともあるし
世の中の人はなぜか、友達ならわかってくれなくていいけど、恋人にはわかってくれないとイヤ!というのが本当に多いので
途端に理不尽なことが激増する
恋人というポジションに結びつけて逃げにくくなってから欠点を小出し後出しする奴もとても多い
「そんなこと私にしてくれたのあなただけ」をプレゼントすればだいたいうまくいく
相手が高嶺の花だとよくあるのが
いろんな人間が自分より後に相手を好きになっては玉砕してくのを隣でみることだ
好き→告白→断られる→もう嫌い!をバカみたいな速さでこなして勝手に去ってくんだよね
同じく10年覚悟の選手がいたらこっちも警戒するけど1年ももたない早漏ばっか
結局相手より自分が好きな人なんだよね、そんなやつにはあげたくないから散ってくれて助かるけど
ただ落ち着いた人間としてそばにいるだけで、大好きな人にとっての己の存在価値が相対的にぐいぐいあがっていくのは気持ちいいよ
みんな「本気」っていいながら、しないよねえ
を以前から感じていた自分の感覚を褒めてあげたい。自分は美術の授業は好きだったけど、別に芸術の勉強をしっかりしたわけではない。けれどどうもあの写真家の写真から、無機質なのに生々しい違和感、加虐性、暴力性みたいなのを感じてしまう。そういうのを売りにしてたのかはしらん。そういうのを生命のリビドーとか性の躍動とか人間の業とかうんたらかんたらとかいって有難がる人もいるとは思う。
でも大学で周りがいくら良いと言っていてもどうも腑に落ちなかったし、お節介な友達が手持ちの中でも厳選した写真集を貸してくれた時も、なんでこの人がこんなに評価されてるんだろうとしか思えなかった。(同じ友達からライアンマッギンレーの写真集を借りたときは、なんかわからんが良いなぁと思えたから、別にその友達のおススメを否定したい気持ちがあったわけじゃないと思う。)
写真をきちんと学んだことはないから写真を勉強した人が聞いたら怒られるだろうけど、それなりのカメラで白黒にして多少画面がガサついていて『普段あまりお目にかかれないエロい構図、アンニュイな光景』を撮ればそれなりにみえるよね??ね?
結局それっぽいことやってた人の中では『日本で最初に地位を確立&エキセントリックな狂人』っていうイメージが、凡人が考える芸術家像にしっくりきたっていうのが今までしぶとく評価されてきた理由なんだろうな。広告写真では、被写体の個性を殺す写真家は逆に重宝されるのかもね。
昔美術の時間に、その人が作った作品を見たらその人の人間性がわかるって先生に言われて『んなアホなぁ』と思ったんだけど、今はその言葉もあながち間違いじゃないのかなぁと思う。
自分に甘い人は最後の詰めが甘いし、大雑把で性格の人は作品の端が折れてたりするし、繊細な人は繊細な色使いとか消えかかりそうな線を書くし、自分が正しいと根拠なく信じ込んでる人の絵は力強いし、美術教師にウケがいい作品を作る人は自分が無くていずれ苦労するし。(ちなみに最後の例は自分です)
思えば、美術教師が放課後妙にニヤニヤしながら作品を見てたのは、隠された性癖とか傾向を覗きこんでたからなのかなぁ。くそっ圧倒的羞恥!
アベノミクスは、大規模すぎる金融緩和という第一の矢以外は、全く当たっていない、というか第二、第三の矢を放つこと自体を、言い出しっぺの総理自身が、全く忘れているかのようである。
景気は良くなっているように見える、経済指標のいくつかは向上している。法人税の税率を下げて企業の経済活動保護を行っているし、あれだけ札を刷っていれば当たり前のことでしかない。問題は、刷った金がどこに流れていくかである。
人口の多くを占める給与所得者の手取りは減少している。増税・社会保障費負担増しているからだ。消費税も増税するつもりでいたらしい。人口の大半を占める給与所得者の手取りは減っているし足元景気は両手を上げて喜べるほどの変化とは言いにくい。大規模金融緩和を行うための方便の一つである年金運用もそれほど改善したという話はきかないどころか、年金受給年齢を引き上げるという報道もあるように、むしろ大して良くはなってないのではないだろうかと思っている。
更に、重商主義政策は続き、いわゆる「働き方改革」に着手している。人口の多くを占める給与所得者の手取り収入が下がっている上に、この先は人手不足が深刻で更に労働環境の悪化、主に労働時間の増加と時間当たり報酬の低下、というかたちで私たち給与所得者に対して、厄災として降りかかってくるだろう。人口減少に伴う労働者人口の減少は、もう10年以上前から話題になるべき場所では小さい話題にはなっていたが、これは企業の利益率低下を招く。一番のコストである人件費が上がる可能性が高いからだ。そして労働者保護の視点がゼロの現政権が考えている「働き方改革」の骨子を見る限りでは、企業にとって人件費を抑えるためにはとても有効な、労働者の権利を最小化(というか労働基準法を守る気がない監視や罰則の導入をする気がない)するものを、推し進めそうになっていた。
推し進めそうになっていた、と過去形で〆ることができたのは、ひとえに森友問題、加計問題(これはまだ疑惑段階ではあるが、森友がこれだけ真っ黒なら…とは思わざるを得ない。状況証拠は森友より分かりやすく真っ黒なので)のおかげである。
加計問題は一見問題がない良い話のように見える。官僚の管理主義を排除し雇用や若者の流出などの問題を抱える地方へ希望を与える、ように見える。が、露骨な「オトモダチへの利益誘導」にも見える。加計スキームの怖いところは「オトモダチでないとアベノミクスで買う人がいなくなるほど刷った金が還流できない」という「構造」を邪推できてしまうようなものでもあるからである。いくつかの報道で本丸扱いされているのはこれが理由だ。どれだけ札を刷ろうが、幼稚園児に北朝鮮のようなマスゲームを仕込んで首相夫人を褒めそやさせたり、首相と幼馴染の生まれた時からオカネモチでないと、本質的な意味でアベノミクスで恩恵を得ることはできないのでは…と思えてくる。
もちろん、投資家のうちに旨いことやった人々もいるだろうし一部の「勝ち組社員」の中には多少ベアがあったりボーナスでうはーとなったりしている人はいるだろうが、働き方改革がこのまま推進されてしまうと、せっかく給与が雀の涙ほど増えたところで、労働時間や負担がどんどん増えるだけ、という暗い未来が更に想像しやすくなる。金を回してもらうには安倍のケツを舐めるしかない、という社会になるということ。
増田が自民党のことが嫌いになれないというのは、どちらかと言うと安倍様のケツを舐める側に近いところから仕事を得ているからだろう。ただ、世界はその他大勢の「そうじゃない人」も支えているし、増田だって所詮はただの給与所得者でしかなく、上が「おらもっとケツ舐めてこい」という体制になったり、将軍様の気まぐれで余禄が還流されなくなったりしたら、同じことを言ってられるかという風が吹けば飛ぶような立場でしかない。
社会を、より大きな社会リスクや変化を減らせるように運営していくためには、こういう形はあまり良くない。人が動かす社会は不安定さを招きやすいからだ。繰り返すが増田だって「今たまたま」悪くない場所にいるだけでしかないし、安倍将軍のゴキゲンが変われば簡単に変わる、人知的な政治の怖さはこれである。私は法治国家の方が好ましいと考える。
更に元増田の不思議なところは、自民党と安倍政権をごっちゃにしているということだ。もちろん議会民主制なので政権与党≒キャビネットではあるのだが、実際には党内にも色んな意見があって調整したり話し合いをすることで、議論や法案はより良いものになるはずである。民主主義ってそういうことでもあったりするが、安倍政権は公務員人事権の運用も独裁的(森友問題はおそらくこれが原因で起こっている)だし、内閣人事もこちらの顔が羞恥で赤くなるほど露骨な「ケツ舐めてくれる人優先」で能力を見た適材配所には全くなっていない。言えばきりがないほど、麻生がかつて漢字読めなかったことを揶揄されきっかけで退陣したのがばかばかしくなるだろうなと思うぐらいには失言や方言や失策のオンパレードである。稲田さんが典型。
これは私見だが、おそらく安倍麻生を筆頭にした「彼ら」は、そして増田も「公」の概念を理解していないのではないだろうか。安倍、麻生両氏については「公=オレ」ぐらいに思っていそうである。違うよ。「公」はその社会に属している全員が共有する「場」であって、民主主義国家においては「法律」を作ってその場所をみんなで守る、と言うようなものである。常々首相はアホヅラで「朕は国家なり」って言うと似合うだろうなーと思っているのだが、それは帝国主義的だしもっと言えば独裁である。江戸時代か、いや明治天皇にでもなったつもりでいるのか(実際の明治天皇はそういうタイプの性格ではなかったようだが)もしれない。
厄介なのはご本人たちに「公=オレ」いう間違いを自覚する気がないことと、公=オレと思いこめる源泉が「親から受け継いだ多大な財産」をバックボーンにしているという残念さである。せめてワタミ程度に「自力で手に入れたもの」であれば…もしくは官僚上がりの政治家のように一応は人並み以上に勉強を積み重ねた人であれば、とも思うが。ワタミはワタミでああいうひん曲がり方をしているし官僚上がりだと官僚との慣れ合いが酷くなる可能性もあるし困ったもんだ。まぁ安倍政権は官僚上がりの閣僚が少ないので後者の心配は不要である、つーか逆に偏差値で言うと43くらいだなーと思うのでもう少し官僚上がりの閣僚増やしたらいいのに笑。
今そういう独裁的な国家体制でこれ以上続けていても、国際競争力や世界でのプレゼンスを維持できるとは全く思わない。現に安倍政権はほんっとーに外交がド下手だ。ちょっと面白いぐらい下手。北朝鮮に振り回されまくってるし、猫の目が変わるようなトランプ政権の情報を米国から流してもらえてないことすらしばしばだ。あれだけしっぽ振ってんのにどんだけ舐められてんだよ笑と思う。
更にいえば、誰も買うものがいなくなるほど刷っている札は、この後どうするんだという問題である。トリクルダウンは今のところ起きていない、あとは日銀がいつ紐を引き絞るのかということであるが、これ、誰がどのタイミングでやっても世の中全部が大怪我はする。すでにそのぐらい刷りすぎてる。なのに多くの給与所得者たちの手に渡る金は少ない。首相もいつだかの会見で「給料あげたれよ企業よー」というコメントを出したがその後に政権が進めたのが「底に穴があいている働き方改革」なので、まーガス抜きでしかなかったのかなーと愚考する。
インフレも起きつつある。もちろん良いことではあるが、それに比して給与の上がり率が追いついていない。この先に待っている可能性はスタグフレーションである。すでに可処分所得の低い世帯からじわじわと個々の家計においてスタグフレーション的な現象が起こっている。若年層や子育て世帯に余裕がないなど、で、結果的に少子化も止まらない。
もしくは、紐ちょっと引き絞っただけで一気にまたデフレに逆戻りか。どちらにしても札を庶民に還流させるための方策であるはずの第二、第三の矢がまったく飛んでこないのだから当然である。ここで所得増税とか消費増税するあたり、安倍ちゃん結局良く分かってなかったんじゃね?感がすごい。2012年に第一次安倍内閣が発足してアベノミクスアベノミクス煩く言うようになった時から、「基本歓迎するけど、いつ紐締めるんだろうね、つーか第二第三の矢って具体策ゼロだけど大丈夫なのかね…」という声はあった。結局あれから5年経っても第二第三の矢はまだ実体が見えてこない。