はてなキーワード: 画期的とは
あれさーチョ〜うらやましいんだよねー
ほら、あれってさ、うちら付き合ってまーす!愛し合ってまーす!っていう宣言みたいなもんじゃん?
周りもあれ見たら無意識的に、あの2人は愛し合ってるんだろなーって思うよね?
俺あれやってみたいんだよね〜一度でいいから堂々と!
こいつと愛し合ってますよ〜!って無言の吹聴がしてみたいんだよねー
でもそういう訳にはいかない。
俺らがやっちゃうと、周りは訝しげに見るだろうし、何より気持ち悪がるだろうし。
そりゃ男同士で手を繋いで歩いてたら気持ち悪がられるよ。無理もない。
ま、もしも周りが気持ち悪いなんて思わなくても、あいつは手なんて繋いで歩いてくれるわけないんだけど。
今割と話題になってる同性婚あるじゃん?渋谷区の。あの話もしたんだよね。
あの条例はすごい画期的で、喜ばしい事だよねーって言ったりして。
まあでもああいう条例の効力?恩恵?にあやかる事は同時に自らのジェンダーっていうの?
そういうのをある程度の人にカミングアウトしなきゃいけないわけじゃん?
そこまでしてそういう権利みたいのを俺は享受しようとは思わないわけよ。
契約の紙みたいなもの(そんなのがあるかどうかは知らないが)を持ってきたら、
それはめちゃめちゃ嬉しいよね?ってかそれに至ったプロセスが何より嬉しいよね?って話に同意してくれて、
なんだ、普段冷めてるように見えて、そういう気持ちあるんじゃん!とかちょっと嬉しくなって。
その話をした後、渋谷区に引っ越しちゃおうかな〜とかバカみたいな妄想してさ〜
そういえば初台は渋谷区だっけかな?とか。そもそもそういうのにあやかる気はないとか言ってたくせにさ。
連絡がなくなってそろそろ1ヶ月経つかな。
今日はメールがくる!とか、まったく当てにならない直感を日々信じて。
諦めたらジェムが濁って魔女化する!そうなったら完全に終わりだ!!とか思って、
何よりあいつを信じようと、前向きに前向きに過ごしてきたけど、そろそろそれも限界かな。
この1ヶ月あいつの事、そして何よりも自分自身ともしっかり対峙できたじゃねーか。それでいいじゃねーか。
絶対口にしなかった「諦めよう……」という言葉を口にした瞬間、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
あなたがいなくて、とても寂しい
2月8日に西武ドームで行われたリアル車将棋のニコ生タイムシフトを見終えた。言わずと知れた羽生善治四冠と新進気鋭の豊島将之七段が対局したのだが、まず場所が野球場であること、対局者はそれぞれ4時間の持ち時間を持つが、普段の対局とは異なり時間切れの場合秒読み勝負とはならずその時点で負けとなること、また直接対面せずに一塁側、三塁側に設営されたテントの中で考慮し、マイクで指し手の宣言を行い、そしてそれを合図にドライバー達がグラウンドへ駆け出し、でかでかと描かれた「将棋盤」上に配置された「駒」である車に乗り込んで目的の場所へと移動することで対局を進めていくという、スケールの大きい、あえて別の言い方をすると非常に馬鹿馬鹿しい企画だ。
個人的には将棋は駒の動かし方と大まかな戦法しか分からず、見る方も有名な棋士はなんとなく知ってはいるものの棋戦を積極的に見ることはあまりない程度の者なので将棋の詳しい内容を語ることは難しいし、車に至っては公共交通機関の発達している都市部での乗用車利用は禁止してしまえばいい、くらいの考えを持ったことがある程度には車の所有欲がない人間である。
そんな自分がこの番組に興味を持ち、最後まで見続けることになったポイントは、なぜこのような企画を立て、実行できたのか?という一点に尽きる。
今回の番組はドワンゴに並んでトヨタの主催という立場で行われた。つまり番組の本質はトヨタの宣伝だ。ドローン空撮を利用した壮大なオープニングから始まり、MCやゲスト、解説の棋士が次々と入れ替わりながら途中休憩時以外ほぼノンコマーシャルで進行していくのは快適だ。ゲストは盤面の動きの多い序盤と終盤に将棋側、長考が多い中盤に車側を多く呼んでいたように思うが、盤面解説の棋士に対しても積極的に車のエピソードについても聞いていくというコンセプトで進められ、番組全体の長さは10時間を超えるものとなった。
駒となる車も、羽生側は往年のトヨタ車、豊島側は世界初の量産型燃料電池車であるMIRAIをはじめとした最新のトヨタ車が選ばれ、豊島側の歩兵、銀将、飛車が成ったときは専用の車種に入れ替わるという演出も用意された。展開の都合上、成銀と龍王の出番はなく閉会式での紹介のみとなったが…。
陳腐な表現だとは思うが、今回の番組はネット番組ならではの特性というか、地上波テレビではできないことを惜しみなく行う「良さ」を見た気がする。今回のような番組は当然ながら地上波では行えるはずもない。例え無尽蔵の予算があったとして、公共性が求められるとされる地上波放送においては10時間もの間、たった1社の宣伝のためだけの番組を生放送し続けることを許す土壌がないからだ。地上波で行うとなるとたとえば1時間とか2時間の枠に圧縮され、視聴者に分かりやすいように編集され、宣伝色も薄められたものが届けられる。それはおそらくクライアントの思惑と必ずしも合致しないものになるだろう。
登場するゲストたちも、次々に「こんな企画誰が考えたんだ?」と口にした。東洋経済の記事によるとドワンゴがトヨタに持ち込み実現した企画とのことだが、トヨタ側の真剣な取り組み具合もその記事から見て取れるように、この番組を通していわゆる「若者の車離れ」をなんとかしたい、というトヨタの思いが強く感じられる番組作りだった。ネット番組にありがちの低予算番組とはせず、社長決裁が必要となる規模で行うほどの企画を通した担当者の努力には敬意を表したい。
そういう意味で番組全体を通して特に印象深かったのは、終盤戦に差し掛かったあたり、レーサーの脇坂寿一氏とトヨタマーケティングジャパンの社員が登場した時間帯だ。脇坂氏がトヨタ社長の豊田章男氏自らレースに出場するというエピソードを紹介したり、チャーリー・チャップリンが「あなたの最高傑作は何か?」と問われたときの言葉を引用した「ネクスト・ワン」を会社のキャッチフレーズにしているといった話、そして企画担当者の話を通して、トップをはじめとした社員達がが商品を好きであることが企業にとって強い力であるということを感じた。
本論とは外れるがピストン西沢氏の言葉も車将棋ならではといったもので興味深い。「羽生陣営の玉将である二代目クラウンはエンジンが冷えてしまうと大変なので、車ファンとしては定期的に動かしてほしい」。玉将はいったん駒組みが終わってしまえば終盤攻められない限り動くことはないし、実際本局でもその願いが叶うことはなかったのだが、終盤羽生玉が攻められた際に、移動中エンストをしてタイムロスを起こしてしまうクラウンを見たときにはある種の痛快さを覚えた。
さて、このように自分としては今回の番組はクライアントであるトヨタの思いが強く反映され、それが功を奏した画期的なものであるように感じられ、それが最後まで見続ける原動力になった。もちろん100点満点の番組だったという訳ではなく、段取りの悪いところや会場のチョイス(他に会場の空きもなかったのだろうが、吹きっ晒しの西武ドームで10時間以上過ごすとか…)などの改善すべき点も見られた。トヨタの思いにマイナス方向の印象を持った視聴者もいるかもしれない。もしこの番組に続編があるとしたらどうなるだろうか?たとえば「○○社vs××社」のような企画となったとき、別の意味を持つことになるだろうか。また、今後もドワンゴがまったく別の業種に対して大規模な番組企画を持ち込み、それが実現した際にどういう番組になっていくかというところについても注目していきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20150211020227
私は今30代。小学生中学生高校のときは、固定電話が通信手段だった。
小学生のころは「クラスの連絡網」という電話番号が印刷された紙の一覧を配られていた。台風とか忘れ物とかの時はそれで連絡が来る。もしくは電話帳で調べる。電話帳で住所と苗字でそれっぽいのを探して、適当に電話する。珍しい苗字だと間違えはないけど同じ苗字の人が多いとか人が多いともう解らん。かけ間違いを謝りながら電話をかけまくる羽目になった。ちゃんと聞いておくのが一番いい。
クラスの友達と「今度の土日、お祭りに行こう」と約束した時は、電話で連絡を取り合って、待ち合わせ場所と時間を決めて、落ち合って遊びにいった。「もしもし、わたくし○○小学校の○○といいます。○○さんおられますか?」とご家族に言う。ここできちんとした話し方をすると大体お母様やおばあちゃまが優しい。会えない時、遅刻した時はすごくたいへんだった。喧嘩になる。
小学校を卒業するときは、クラスの女の子がよくわかんないファンシーな紙に個人情報を書いてくれとか言って持ってきたりしていた。アレって一体なんなんだろう?
中学生になると、クラスに加えて部活の友達の番号を聞いた。そして連絡を取る。電話番号はきちんと書いてきちんと残していた。今はもう考えられない面倒くささだ。
高校生になったときは、ポケベルが普及し始めたころだった。「ポケベルがならなくて」とかドラマをやってたころかな?私はドラマをみないので良く知らない。ポケベルって言うのは、電話で数字の羅列をポチポチ送ると、カタカナが数文字送れる、ってやつ。「バイト イク」とかが送れる。数字暗記してた人もいたと思う。田舎住まいだったので持ってる人は少なかった。画期的な通信手段だったとおもう。
固定電話で長電話することが増えた。長電話していると、家族が怒り出す。当然だ。当時ウゼーと思ってたけど今思うとすごい迷惑だった。電話代が跳ね上がってよく怒られた。反省しています。オタクの知り合いはFAXで絵を送りあっていたようだ。
当時は友人が家によく来てて夜の十時くらいまでよく家に居た。通信手段が限られているけど、何か話したいとかそういうときは実際一緒にいるしかないってことなんだとおもう。
大学生になって一人暮らしをするにあたって「固定電話を契約するよりは携帯電話を持ったほうがいいでしょう」と親に言われ、携帯電話を持つことになった。通信代金は親もちだった。今のガラケーと違って四角くて長くて重かった。アンテナが付いていて伸ばしたり出来た。通話できないところをアンテナが立たない、と言っていた。一年二年後には大学の友人も全て携帯電話を持つようになっていた。待ち合わせが楽だったり、どこにいるの?とか聞きやすかったりでやはりすごく便利だからだ。ただ、通話料金が高くて長電話などはしないようにしていた。メールも使えるようになって便利になった。文字数の制限がかなりあって、短い文しか送れなかったけど。私は電話があまり好きでなく、メールで連絡を取るほうが好きでそっちばかりだった。今でもそうだ。着信音が当時はファミコンみたいな電子音だった。自分で打ち込んだりして作る。ほんとうです。
携帯電話には時々全然知らない人から電話やメールがきて、友達になろう!とか突然言う人がいた。私は怖いのでそんな人にあったりはしなかったけど「メル友」というのができたりすることも有ったらしい。
大学でパソコンを使うようになってから、パソコンと、パソコンの回線を、自分でバイトなどでお金を貯めて使うようになった。そのころICQ(チャットツール)と言うのが流行り始め、夜はそれでチャットをしたり、チャットルームにはいって知り合いや知らない人と会話をしたりしていた。ネットゲームは知り合いがしていたのでしていた。ICQは突如日本以外の居住の人に話しかけられることが多かった。ノルウェーのオタクの人と定期的に喋っていた。
これらインターネットは自分にとっては画期的だった。遠くの人と知り合いになれるというのは本当にすごいことだと今でも思う。小中高と、顔を知っていて電話番号を知っている人としか話して関わることしかできなかった。
言うなれば、距離が近いだけで、自分が本当にコミュニケーションをとりたい相手かどうか、解らなかった。でもたくさんの人とコミュニケーションを取れるということは、相手への選択肢が増える。マイナーな趣味が共有できたり、同じ悩みの人を探して相談したり。
また情報をインターネット上においておくこともできる。他人と時間がずれていてもコミュニケーションが取れる。また、1対1でなく、多数の人にコミュニケーションがとれる。これも画期的だと自分は思っている。今は当たり前になっているけど、これはすごく素敵なことだと思う。(面倒ごとも多いけど)
それからしばらく間が開いて、Android OSを搭載した端末を買った。携帯電話のメニューって言うのがどうも嫌いだったので。アプリを入れるようになってガジェットを使うようになって、ああ便利になったなあとしみじみ思う。初めてのスマホはまだ動くので大事にとってある。
その理屈は成り立たないんだな。イチローが年俸2億って言われて、「試合に出るの1/10にして2000万でいいです」って契約ができると思うかい。
企業のCEOに1億払う理由のひとつは、1000万で10人集めて仕事させるよりも、その1人にフルタイムで任せておいた方がいいからそうしてるわけ。そういう仕事の場合、稼働時間減らしたら仕事そのものが無くなる。
もうひとつ、数億程度の稼ぎには、普通に40年働く分を数年に凝縮して一気に稼ぐ、っていう場合がある。普通の生涯年収より高くなるのはリスクプレミアム。起業家の生涯年収の期待値は普通にサラリーマンやった場合より低いから、当たりが大きくないと釣り合わない。だけど累進がきつすぎるとそういう働き方をするメリットがなくなる。そうなると画期的なスタートアップは出にくくなる。過去半世紀のうちで少人数のスタートアップで始まった企業がいくつもあるけれど、それらが存在しなかった世界を想像してみれ。
といっても、何百億って稼ぐクラスになると「金が金を呼ぶ」って形になるから、そういう層はまた別の対応が必要だと思うけどね。資産課税が良いのかどうかわからん(抜け穴が多そう)だが、「溜め込んだ資産をただ増やすのに使うだけでなく、社会のために使う」インセンティブになる政策が必要だとは思う。
MMORPG/ソーシャルゲーム(以下ソシャゲ) の最も画期的だった点は、それが自己満足システムではなく、自己への価値付与システム、いわば自己顕示システムだった、という点にある。
オフラインのゲームは、スコアアタックのような要素を持っている場合を除けば、基本的に全ての結果が自己満足に過ぎない。
キャラクタがどれほど強くなろうと、あるいはレアアイテムを手に入れようと、それは他人にとっては全くどうでもいい話であって、それを自己顕示の手段とするのは、不可能ではないが、非常に難しかった。
MMORPG/ソシャゲ における強いキャラクタやレアアイテムの所持は、例えそれが膨大な時間の投入によって得られたサーバ上の変数値に過ぎなかったとしても、
「社会的成功」であり、他人を出し抜いた結果であり、他人の羨望や嫉妬を集める手段、つまり自己顕示手段そのものとなる。
これは意識するか無意識であるかに関わらず自動的にそうなる。ここに「人間に快楽を与えるシステム」としての、MMORPG/ソシャゲ とその他のゲームの決定的な差が存在する。
つまり、通常のゲームでは何をやってもせいぜい自己満足パターンでしか麻薬が得られないが、MMORPG/ソシャゲ ではそれに加え、自己顕示パターンで強烈な麻薬が得られる、ということだ。この差は計り知れない。
自己顕示はそもそも、MMORPG/ソシャゲ においてだけではなく、人間の人生にとって非常に重要なキーワードだ。
全ての人間は、寝たい、食べたい、と考えるのと同じように、常に自己顕示したいと考えている。
しかし、多くの人間にはそれを為すだけの力や資産がなく、一部の才能のある人間を除き、ほとんど誰もこの欲求を達成することができなかった。
MMORPG/ソシャゲ はそこに救世主の如く現れ、何の才能もない人間でも、時間さえ消費すれば自己顕示が可能なシステムを与えた。
結果、MMORPG/ソシャゲ はそういった層の人間を心を強く掴み、支配し、依存させ、「麻薬漬け」にした。
つまりそういうことではないか?
https://mechashiko.herokuapp.com
MECHASHIKOにYoするだけであなたのスマートフォンにエロ画像が届きます。Yoを開いて1タップでシコシコ。
私自身シコシコできる物は持ち合わしていないんだけど、まぁ分かりやすいしね。それに女でもシコシコ(すりすり)してるし。
「作りました〜」だとすぐ終わってしまうので経緯とか書き連ねていくと、始めはエロ系のやつは作る気は無かった。
スキルセットがない自分でも最低限の形を作れる物を選択して、他との差別化を狙っていったら今の形に落ち着いた。
あんまり画面数ないようにしてユーザー登録なくてーとかで楽なのでーって調べたらYoのAPIっての使ったやつが良いんじゃないかと行き着いた。
スマホでエロアプリとか審査通らないだろうけどYoとかのプラットフォームを使えばエロできるのが魅力を感じたのが大きい。
前職ではディレクターしてたけどあまり自分には向いてないと感じて今無職。側から見てたエンジニアという職業、アプリケーションを作れるのに魅力を感じてプログラム習得中。次の職業に生かせればいいですね(他人事)。
言語はRubyでsinatraってやつを使っていて、herokuでホスティングしている。
書いたら1行だけどgitとか諸々理解したりとかで2ヶ月ぐらい掛かってる。ディレクターしてなかったらもっと理解に時間かかりそうだったしエンジニアの人たちってすごいんですね。
自分一人で仕様決められるのは楽でいいですね。これが上から決められた要件を満たすってなるとさらに難しいんだろうな。。そうなるまでどれだけ時間かかるんだろ。
エロ画像を登録したりできるようにしてるんだけど、最初の画像は私のTumblrから画像を抜き出して入れている。性欲強かったのがこんなところで活用できるとはね。
作る時にYoのAPIっての使って何かしてる例を探してみたんだけどあんまりないんですね。1タップでスマートフォンに通知くるプラットフォームってすごく画期的だし、前職の事だけど通知機能だけが欲しいのにスマホアプリ作るってなるとコスト高くてやめるってことが何度かあったから、その時にこういうのあれば良かったなーってビジネス的には思う。でも調べて出てきた前例が個人のものでビジネスには使ってる例は日本だと見つからなかったなぁ。
どうすれば持続してゲームが出来るんだろう。
例えば洗濯バサミを瞼に付けてみるとかコーヒーをブラックで飲むとか試したものは数知れない。
でも根本的な解決にはなってないし、そもそもこれは眠気覚ましの方法でしかない。
基本的にはお菓子やジュースを飲む等して気分を紛らわすのがベターだろうけど
一番まともに持続できそうだって言えるのは結局今いるスペースから外に出るか、あるいは
ノーパソの位置を変えてみるとかそれしか方法がないんじゃないかって思う。
行き詰って飽きたというよりはむしろ何故このゲームをやってるんだろうって沈む気持ちをどう立て直すかによるかもしれん。
どうも熱しやすく冷めっぽい性格が災いしてるのか血液型がAB型だからなのか
ゲームをやる上で最も重要な集中力が持続しないんなら、いっそ辞めてしまうのがベストなんだろうけど
俺からしたらいつまでもゲームがしたいからベストとは言えない。
そこで倦怠感を生まずに半永久に、それも食事を摂らずともやって行けるような画期的な方法があると
ゲームがまた一段と楽しめるんじゃないかって思う。
2ちゃんねるの完全匿名システムも当然にこうした流れの延長線上に登場したものだった。デフォルト「名無し」の匿名で投稿できるだけでなく、サーバーに投稿者のIPアドレスすら記録しない2ちゃんねるは画期的かつ、実験的なシステムだったのである。2ちゃんねるでは差別発言を投稿する自由すら認められていたが、膨大な量の言説によって「悪い」言説は自然と淘汰されていくはずだという楽観論が支配していた。また、そうあるべきだと誰もが考えていたのだ。
ええ? そんなんだっけ?
「悪い言説」なんて、我慢して無視するか、スレを分けて隔離するか、でなきゃ運営に頼んで削除してもらうしかないわけで、とても「自然と淘汰」なんて言ってられる状況じゃなかっただろ。
まあ俺が2ch始めたのは2000年頃なので、それ以前の本当の創成期はそうだったのかもしれないけど。
そもそも板によって空気が違いすぎるんだから、一括りに「みんな楽観的だった」とか、逆に「どこも荒れてた」とか、そんなこと言えるわけないじゃんね。
netcraft 確かに乙女ゲーはキモい。アンジェリークとか男性の考える「女性はこういうのが受けるだろう」という押しつけを感じる。
アンジェリークは「女性だけの開発チーム」ってのが売り(当時は画期的)だったわけだが。
当時のコーエーの副社長が女性で女性向けのゲームを作りたいと言い出した、って経緯じゃなかったっけ。
「主人公が本来目指すものは女王(王妃とか姫とかじゃない)」「女ライバルとの友情も描かれてる(ただいがみ合うだけじゃない)」
「男同士の関係性も描かれてる(腐需要)」って辺りはいかにも女性が企画したっぽさが出てると思う。
そもそもブレインストーミングは、「これはダメかも…」「あんまいいアイディアじゃない」みたいな躊躇いをなくし、
だからこそ、それを行う際には必要よりも少し長めに時間を取って行う。
そもそも言葉が矢継ぎ早に出てこないし、韻なんてもちろん踏めない。
しかしそこに「しゃべり続けなくてはならない」というルールを設けることによって、
最初にハイタッチなどをしてアイスブレイクを行うことも重要だ。
まず恥ずかしさを捨て去ることが大事なので、
最初は昨日の出来事などをラップしてみるなどで場の空気を作っていく。
なぜ昨日の出来事なのかというと、客観的事象であるため簡単に話せるからだ。
ちなみに「yeah」とか「come on」とかそういうのは禁止である。
ちなみに、可愛い女の子が困りながら「come on」と言い続ける姿はとても可愛い。
上記の提案を行い実践しようとしたところ、
誰もやってくれなかった。
だから誰かに託したい。
フリースタイルラップこそ最高のブレインストーミングであるという証明を!
俺は元増田ではないがぶコメでおっさんたちがマジ切れしてるの見てわりと本気で驚いた。
その場の傘の “総量” の話と、 “個体識別” の話は全く違う話だから切り分けなきゃならなくて、まあ前者の “明らかに足りないのに持っていく” ヤツは確かにただの盗人だけど、後者に関してはむしろ画期的なシステムだと俺は思っていた。
そもそもビニ傘って “意図的に” 無個性に作っていて、無個性であるから売れる。違いを付けたほうが売り場で目立つのに、メーカーがそうしない時点で “無個性の方が売れる” と数字が出てるのだろう。つまり、ビニール傘を買う人間は “無個性で” “間違えやすい” 傘である状態を始めから受け入れて買っている。むしろ俺なんかはそこが “利点” だとすら思ってる。
はなから “間違える事” を前提にビニ傘システムは出来上がっていて、ビニ傘を使っている人間が皆「まあいいか」という意識を持つことで、いちいち “特定の人と特定の傘” のペアリングを気にしなくてよくなる、それはわりと本気で画期的なシステムだとすら思っている。
そういう意識でビニ傘を買ってるから傘立てに無くなってもいちいち怒る気にもならない。きっと誰かが間違えたんだろうと思う。自分のが無くなったら、人数分を明らかに下回っている場合(傘があと1本しか無いなど)を除きできるだけ似ている傘を持って行く。
俺がビニ傘が好きなのは、そうやって皆で細かい事を気にしない事で見知らぬ他人と共有して、特定の個体を気にするコストを減らしている合理的なところだ。そのシステムは昔の方が沢山あった気がするけど上手い例えが思い浮かばない。図書館のシステムだって似たようなものだと思う。ためしにビニ傘購入の500円を “レンタル料” だと考えれば、もし自分が使っていたビニ傘が持っていかれてもきっとそこまで怒る人もいないのではないか。
絶対に持って行かれたくない奴はビニ傘じゃなくてちゃんとした傘持ったほうが、持ち去られる確率が下がるのは確実だ。逆にビニ傘にわざわざマーキングしてたり、席まで持って行ったりしてるのがたかだか500円に必死すぎて笑える。
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
テスラの技術はフリーエネルギーへの転換が出来るので封印されたのです。「 ニコラ・テスラの名前は、最近やっと知られるようになってきた。
私は彼のことを学校では一切教わらなかったし、マスコミでその名前が報じられるのを聞いたこともない。つまり、彼の存在自体が完全に「封印」されていたのである。彼の発明であることを知らずに、我々が利用しているものは数多くある。その代表的なものが、交流電流であり、その他リモコン、無線、ラジオ、蛍光灯、電気モーターなどである。電気といえばエジソンと教わったと思うが、エジソンはニコラ・テスラを隠すためのカムフラージュに過ぎないのだ。彼がなぜ歴史から消されてしまったかといえば、それは彼が最終的に彼らの支配を拒否し、彼らに敵対してしまったからである。
現在も状況は変わっていないが、電力には巨大な利権がともなう。
つまり発電、送電をはじめ、電線や部品、発電所など、無数の会社が関係している。しかしテスラが考え出したのは、無線で電気を送るシステムだった。送電線は必要ではなく、世界中の人がどこからでも電気を受け取ることができるという画期的な発明だった。しかも大気中のエネルギーを電気に変えることができたのである。つまり発電所は必要ない。オーロラが蛍光灯と同じ原理で光を放つように、大気中には膨大なエネルギーが存在していることを彼は知っていたのである。
ラジオを聴くとき我々はダイヤルを回し、周波数を変えて望みの局を探すが、テスラの技術もこれと似ている。つまりある周波数にチャンネルを合わせることで、電気の材料となるエネルギーを取り出すのである。つまりラジオの電波のように普段は意識せず見えないが、チューニングを合わせることでそれが顕在化するのだ。
しかし驚くことに、テスラが送ろうとしていたのは電気だけではなかったのである。
彼は同時に、文書や画像、音声、映像などあらゆる情報を送ることを考えていたのである。つまり、現在のインターネットであり、それを彼は100年も前に実現しようとしていたのである。しかしこの発明は、時期尚早で画期的過ぎた。
彼の発明が実用化の1歩手前まで来た時、電力利権を牛耳る「支配者」たちは、それが実現してしまうと自分たちの利権が独占できなくなることに気がつき、危機感を抱いたのであった。そして結局、これまで彼の研究を援助していた「支配者」たちは態度を一変させると、テスラへの総攻撃を始めたのである。ウォーデンクリフ・タワーは破壊され、研究所は爆破され、何千時間も要した苦心の研究成果が灰燼に帰したのである。
彼の発明は「封印」され、軍事機密扱いになったが、米国は彼の研究成果を取り入れ、「HAARP」をつくり上げている。そしてインターネットもそうである。今や、全世界のインフラが、テスラのつくった仕組みを採用している。それなのになぜテスラは教科書には載らないのだろうか。つまり、教科書に何を載せて何を載せないかもまた、彼らの支配の下にあって決められているからである。
諸悪の根元・・利権 ということは、莫大なお金と大きな権力さえあれば、新しい技術はいとも簡単に「封印」することができるのである。そしてこの「金」と「権力」を持った代表が、まさに現在の「石油業界」なのである。
ではなぜ、こうした偉大な発明が未だに実用化されず、日の目を見ていないのだろうか? それどころか、そうした事実すら知らされていないのはどうしてなのか。その答えはただ1つである。世界を支配したい人々によってすべてが握りつぶされ、我々がその恩恵にあずかれないように徹底管理されてきたからである。」
すべての始まりは「石油利権」の誕生からそして「原子力利権」に至るまで・・・この利権意識を捨て去り、分配、共有すると意識を人類が変えない限り、人類の至福繁栄は訪れない。超古代文明がたどった愚かな末路になりかねない。
Rie Solisramirez wrote a new note: テスラの技術はフリーエネルギーへの転換が出来るので封印されたのです.
Oct 16
https://m.facebook.com/notes/rie-solisramirez/テスラの技術はフリーエネルギーへの転換が出来るので封印されたのです/753060034720101/?ref=bookmark&__user=100000483333692
「博士、歴史を塗り替える画期的なアイデアがあるのです。私はそれを現実のものにしたいと考えています。」
彼女の師である米国H大学のV教授が、彼女に教えてくれたという。
そのアイデアが現実のものであれば細胞生物学においては歴史的な大発見である。
ES細胞を用いて網膜を形成するなど驚異的な偉業を成し遂げてきたS博士であるが、iPS細胞の出現により最近は影が薄くなってしまった。
研究の意義をよく理解しないお上の人々の独善的な判断により研究費も削られ、窮地に立たされていた。
そんなときに彼女はやってきた。STAP細胞という、従来の常識では考えられない方法で生成された万能細胞というアイデアとともに。
しかし、当初S博士は懐疑的であった。酸浴だけで多態性を獲得するだって?そんな現象はありえないね。
秋の朝のことである。木々の葉はすっかり落ちてしまい、冬の到来を予感させる。
普段は硬派で通っている自分が、今回だけは折れてしまった。彼女にはそれだけの魅力があるのだろう。
やさしく寝顔にキスをする。心も体も軽くなって、S博士はふたたび眠りについた。
「できたぁ!」
数カ月後、O博士はついに偉業を成し遂げた。STAP現象の確認に成功したのである。
S博士はその頃別のプロジェクトで多忙を極めていたが、彼女の成功を耳にして大変うれしく、そして誇りに思った。
「共著者になっていただけないでしょうか。博士のご支援がなければ成功には至らなかったのです。」
その夜は二人で厳かに、愛の術を行った。
しかし、それは一瞬の夢であった。
「一体どういうことだ!説明してくれ!」
「どう逃げるつもりなんだ!明らかに捏造じゃないか!」
「ちょっとくらい画像が変だからって何よ!これくらい誰でもやることじゃない。記者会見ではあるって言ってよね!じゃないと私達の関係をバラすわよ!」
S博士は満たされた気持ちから一転、ふたたび窮地に立たされた。
彼女を立てれば、科学の良心への反逆である。私は科学の中に生きているのに。
科学を守れば、家族を失う。妻も子も、裏切りと汚辱の中に深い悲しみを受けることだろう。
彼女はありえない選択を迫ってきた。
会見の日の夜、彼の横にはいつものように彼女が寝ていた。S博士はO博士を取った。
科学なんて糞食らえ。彼女も家族も失うくらいなら、こうするしかなかったんだ。
「それでいいの。さすが、あなたは賢いわ。」
複雑な気持ちで愛撫を受ける。このままではいけないことは分かっていた。
それからというもの、彼女は豹変した。なぜ私はこの女に顎で使われているんだろう。
「ちょっと!早く飯用意しなさいよ!殺すわよ!」
「はやく動けクソジジイ!ほら!」
ひどい。
いつまでこんな生活が続くのだろうか。
愛すべき天使だと思っていた彼女はいつしか、悪魔に変わっていた。
私はすべてを失った。
私も風鈴になれたら。