はてなキーワード: 内弁慶とは
https://www.google.co.jp/amp/s/www.sanspo.com/geino/amp/20191003/acc19100319320001-a.html
モラルに問います、とツイッターで調べる。視覚障害者が駅のホームから転落。人身事故が起きた。ブルーシートで隠して作業を行なっていたが、そのブルーシートの隙間からスマホを突っ込んで撮影する猛者が現れた。そこで駅員さんがモラルに問います、ってアナウンスした、って話らしい。
昨晩、トレンドに入ってるのを見かけて、ふと気になって押した。ネットニュースのリンクを貼って、様々なツイートをしている人たち。
ツイッターで語る人たちと盗撮した人たちとマスコミ、一緒じゃね?と最初は思った。
でも、それは極論。
盗撮する人たちはモラルのないダメな人たちなのだろうか。純粋にその一点で考えたい。
盗撮という言葉に悪いニュアンスが含まれるので、撮影者とする。
・撮影した映像を見て、面白がる(快楽を得る)ため。これは喜びに限らない。怖いものを外野から眺めることで、恐怖を得ることを目的にするエンタメ(ホラーetc)もある。
・ジャーナリスト的使命感。隠されたものを隠されたままにしておくのは危険。相互監視社会では全てがオープンであることが理想。もし、ブルーシートの中で遺体を雑に扱ったりしていたら、指摘する必要はある。また、亡くなられた方の姿も1つの重要な情報である。周囲の人身事故に対する思いも変わるし、飛び込み自殺への抑止力になる可能性もある。
・純粋な知的好奇心。電車に轢かれたら人はどうなってしまうのか。遺体の処理はどのように行われるのか。わからないことはモヤモヤする。僕はこれに一番共感できるかな。なぜ撮影してしまうのか、とかわからないことはモヤモヤするし、そのために調べたり考えたりすることは心地よい。僕自身も不謹慎でモラルのない人間なのかもしれない。こんなこと誰にも言えない。ポイズン。でも言ったら、それはそれでポイズン。
次に撮影者をどうして止めたり、断罪する必要があったのかについて。それに関して誰もが撮影しだしたら秩序が乱れるから、というのが1つ。独占禁止法ってのがあるっぽいし(詳しくはわからんけど)。撮影取材報道をマスコミの特権にするのは違う気もする。みんながやりたいことやったら文明社会が崩壊する。けど、それが民主主義なのかな、滅びるなら滅びればいいんじゃね、とも考えるけど。自分は死にたくない。
ま、でも大前提として、超えてはいけない一線を超えたってのはあると思う。ブルーシートにスマホを突っ込むのは、周囲から見るとインパクトあると思う。じゃ、外から写真一枚パシャリならセーフ?写真動画がNGで、文章でツイート、LINEする程度にするべき?写真NGでも、イラストなら?と疑問は絶えない。
モラルに問います、深い言葉だ。僕にしっかりとしたモラルはないけど、問い続けなければならないのかな。いつか断罪される恐怖に怯えながら。
思い返す渋谷ハロウィンで車をひっくり返した事件。僕の世をしのぶ仮の姿はコミュ障で隠キャだからああいうことになることはないと思うけど。調子にのってしまうところがあるから。イケてる感じだったらヤバかったと思う。コスプレして、練り歩いて、フリーハグして、夜が明けたらゴミ拾いする。そんなバランス感覚は凄すぎるし、僕には無理な気がする。
怯え怯え生きている。自分が周囲に不快な思いをさせてないか、ビクビクしている。その反動で、内弁慶な面があって、親しくしてくれる素敵な人たちに失礼な態度をとってしまう自分が嫌いだ。
いつか信じられるモラルを手に入れられるのだろうか。なんか信仰を持ちたい気分。出家するべきかも。とか言ってもギャグ。宗教に怯えながらも、アウトローにもなりきれない僕。そんな僕が案外好きだったりするからタチが悪い。
妹はデキ婚して姪っ子が生まれた直後すぐ離婚して実家に帰ってきた。
俺は妹の言い分しか聞いてないから実態を全て把握してる訳じゃないが、まぁ元旦那はロクでもない男。金銭面もだらしなく貯金はほぼゼロ、家電や家具を揃える資金や生活費は全部妹の貯金かこちら側実家の負担。家族ほったらかして飲み歩きは日常茶飯事。食べ物は平気で粗末にする(支援のつもりで送った米袋、中身が半分程残ってるのにゴミ袋にしてやがった)。
付き合ってられないという事で離婚する時も「娘に会う気はない」「だから養育費も払うつもりはない」とのこと。妹も俺の両親もそれを承諾。
俺はその話を聞いて反論。「養育費は親がどうこうではなく子どものために受け取るべきでは無いのか。妹や両親が向こうと関わり合うのが嫌だってんなら俺が代わりに裁判したって良い」と。しかし返ってきた返事は、その必要はない、とのこと。曰く「養育費だろうが何だろうが、あんなクズと金輪際関わりを持ちたくはない」。要はそこまで言わしめる程のクズだったってこと。
さて、姪っ子はスクスク育って現在4歳。俺は今実家を出てるから姪っ子に会うのはひと月かふた月に1度。会うたびに成長してるのが嬉しいし可愛い。その反面、やんちゃすぎる性格に不安がよぎる事がある…。
というのも、結構暴力的で口が悪い。機嫌が悪くなるとすぐ手が出るし、平常時にも面白がりながら手を出す事がある。そして注意されたり咎められたりすると、まず言い訳から始まりその後は罵詈雑言の嵐、最終的には暴力。
そして食べ物も粗末にしがち。出された料理を残したり、あれ食べたいと我儘を言う割には一口食べてもう要らない、と言う事も多い。
幸い幼稚園で問題等は起こしておらず、給食もよく食べるし、外では比較的良い子にしてるらしい。内弁慶な感じなのかな。
もちろん「子どもはそんなもんだ」と言われればそれまでのこと。今後の教育次第で落ち着いて行く可能性は十分あるしその努力はしていかないといけない。
でも頭をよぎるのは、やっぱり元旦那のクズっぷり…血、なんて安易な考えしてる自分に自己嫌悪する事もあるんだけど、なかなか不安が拭えない。ウチの家系はどちらかというと物静かな性格で、俺たち兄妹を育てた両親も姪っ子の事を「あんた達の時とは似ても似つかないほどやんちゃで多動的」と評価してる。その持って生まれた性格が、今後元旦那のように悪い方向に働かなければ良いけど…将来的に家庭内暴力を振るうようになったりね。妹や両親は姪っ子の事を1番に考えてるけども、俺は妹や両親自身の事も心配だ。
養育費は得られない、妹は非正規で働きながら姪っ子の面倒を見てかなきゃならない、両親も現役で働けるのがあと何年になるか分からない。性格面以外にも姪っ子を取り巻く環境は不安なことばかり…ただただ、健康に、元気に、まっすぐ育ってくれる事を祈るばかり。
あいトリ少女像撤去のニュースを見て父親が言った一言を聞いて、もう駄目だと思った。
アートに造詣がなく、YAHOOニュースぐらいしかソースのない父親はこのニュースをテレビで見ながら「人の嫌がることはやっちゃダメだよ」と言った。
この父親はつぶれそうな中小企業(1社はつぶれた)で総務のおじさんしかやったことがない癖に、家では母親を使用人扱いで、娘にはモラハラばかりの男尊女卑的内弁慶男である(院卒大企業勤務の息子には何も言わない。スペックで敗北しているから)。
最近「父親がネトウヨになった話」がネット上でシェアされているが、うちもそうなのだ。
昔からこの父親のことは嫌っていたが、大人になって分かったのは、彼は、今時流行りの「おっさん叩き」で叩かれている「おっさん」像そのものであるからだということである。
特に個人的なかかわりもないのに中国や韓国をバカにし、男には勝てないから女をバカにし、仕事でも人間関係でも相手にされない自分の自尊心を満たそうとするしょうもない人間である。
あいトリに話を戻せば、両手足を切断された裸の少女がほほ笑む絵画を芸術とあがめ、性被害を訴える韓国の衣装を着た女の子の像を排除しようとする日本の「おっさん」たちが「娘」たちから嫌われても仕方がない、というか当然である。
近年の「おっさん叩き」と「#metoo」運動は、かなり密接な関係があるように思われる。これは、搾取され続けた娘たちの、父親殺しの物語のように思える。
父親が亡くなってから、早いもので二ヶ月が経った。肺癌が主な原因だった。
私は父親が嫌いだった。昔ながらの亭主関白な夫と言えばわかりやすいだろうか。母を召使いのように扱い、母がいなければ娘の私を扱き使う父親だった。
例えば夕飯時、口を開けば「早く箸を持ってこい」「飲み物を持ってこい」と偉そうに命令した。反発すれば怒鳴り散らし、机を叩くなどして威嚇する。その影響で私は人が(特に男性が)怒っていたり怒鳴っていたりすると、身が竦むほど恐ろしさを感じるようになったぐらいだ。
父親は典型的なクレーマーでもあった。理髪店で自分の気に入らないヘアカットにされた時は、相手が泣くまで怒鳴りつけたそうだ。同じことを他の店でもしている。本人が武勇伝のように語っていた。相手に落ち度があるのはさておき、そこまで怒る必要は断じてないし、店員にどんなトラウマを植え付けたのか考えるだけで忍びない。
そんな父親ではあったが、小さい頃は私を目に入れても痛くない程に可愛がっていたようだ。記憶は薄れているが、確かに可愛く思っていたのは事実だろう。しかし私はその愛情に、思春期らしい気持ちの悪さを感じていたことを覚えている。今思えば、それは都合の良い人形を可愛がるようなものだったからではないだろうか。
小学生ぐらいの記憶を引っ張り出してくると、休みの日に父親が家にいたことは稀だった。一人もしくは母とパチンコへ行くことが多かったからだ。いたとしても日がな一日ゴロゴロと寝転がっているだけで、家族で出かけるようなことはなかった。泊まりで旅行など、温泉に一度行ったきりだ。
今や定番であり行ったことがないというだけで子供に惨めな思いをさせるというディズニーランドなど、その頃の私には想像もつかない世界だった。ある程度成長するとディズニーランドに言ったことがないのは少数派だとわかり、私は友人と話を合わせたくて「行ったことがある」と何年間も嘘をつき続けた。
「子供を可愛がる」というのは、子供の遊びに付き合い、行きたいところへ連れていき、一緒に経験を積み重ねることではないだろうか。父親からはそういった愛情をもらうことはなかった。
私には兄がいる。私とは違い、高校も大学も両親の期待以上のところへ進んだ、彼らにとって自慢の息子だ。父が兄に対して怒ったのは、小さい頃以外だと私が知る限り大学留年の危機に瀕した時だけだ。また、兄を小間使いのように扱ったこともない。
そもそも兄は私の四つ上で、中学の時は部活や塾で朝早く夜遅く、高校の時は遊び回ってほとんど家におらず、私が中学生の時にはもう家を出ていたため記憶が薄い。仲は悪くないが、まるで他人のように感じる。
そんな兄と私はよく比べられた。よくある話だ。優秀で友人も多くクラスの人気者な兄とは違い、私は特に秀でておらず人見知りも激しく友人は少ない。父にとって私は「理想の娘」ではなかっただろう。よく冗談で「お前は橋の下で拾った」と言われたものだ。私は、先に生まれただけで両親の良いところを全部持っていった兄が憎らしく恨めしく、そして何より羨ましかった。この頃の私は成績にしろ資格を取るにしろ両親が喜ぶだろうと思って行動していた。その成果である様々な賞状がうちには飾ってあり、父はよく自慢していたようだった。
私にとって父は畏怖の対象でもあり、自分を認めて欲しい存在でもあったのだ。
社会人になってからの数年間も、私は実家にいた。勤め先が実家のすぐ近くであったこともあるが、精神的に自立していなかったからだ。
その頃父との関係は冷戦状態で、口を開けば互いに怒鳴り合うこととなった。私は他人からは怒ることなどない穏やかな人間に見られていたが、それは人見知りを拗らせた内弁慶だからであり、家ではとても口が悪く我儘だった。
父は二言目には喧嘩腰に「なにぃ!?」と眉を吊り上げた。それに恐れをなして怯む自分を気付かれたくなくて、いつも怒鳴り返していた。
家を出てからはほとんど実家に帰っていない。父と口を利きたくなかったし、母とも何を話せばいいのかわからなくなっていた。
その内に私が結婚し、父が定年前に退職して数年後、肺癌が発覚した。他の病気まで併発していた。当たり前だった。あまりにも酷い生活だったのだから。
今まで何年…いや何十年と、私は両親に煙草を止めるよう苦言を呈してきた。それに加えて父は甘いジュースが好きで、見るからに不健康な体型だったが運動はしなかった。そして、職場でほぼ強制的に受けさせられる健康診断も逃げ続けた。恐らく何か見つかるのが怖かったのだろう。
退職後から発熱したり咳が続くことが多くなり、具合の悪さにとうとう病院へ行った時にはもう手遅れだ。他の病気のせいで放射線治療はできず、低血圧のため手術もできないと言われた。
それでも父はめげずに抗がん剤治療を始めた。この辺りのことを考えると気が滅入るので省くが、とにかく辛く過酷な日々であっただろう。
担当医に「今夜が山でしょう」と言われた日から二日ほど過ぎた。付き添い人である母と兄はゲッソリとしていた。父は夜中の決まった時間にパッと目を覚まし、叫び暴れるのだと言う。「痛い」「苦しい」「殺してくれ」と。
モルヒネの量を増やしたため、父は最早会話ができなかった。たまに独り言を呟いたり、かと思えば急に会話に入ってきたりしていた。
私が最後に父を見たのは亡くなる三日前だ。まるで死を待つように、ただベッドに座ってぼうっとした目で息をしている父の姿に、私は何故か涙が込み上げて部屋から逃げ出した。それ以上見ていることができなかった。
寝れなくて辛いから付き添いを代わってくれと兄に頼まれたが、今の姿ですら見ていられないのに暴れ出す姿を見たら更に正気でいられるはずもなく、断るしかなかった。兄はこのことを恐らく恨んでいるだろう。
母からの電話を受けて夜中に病院へ向かった。道中、ずっと涙が止まらなかった。
父のことが大嫌いだった。父そっくりなせいで私は不細工だし、すぐ怒鳴りつけるし、母や私を扱き使うし、我儘で自分勝手で金遣いも荒く、不貞を働いたこともある最低な人だ。何度となく「死ねばいいのに」と思った。
それなのに何故、涙が出るのだろう。何故、苦しんで死んだのだと思うと辛いのだろう。何故、遺品である携帯やタブレットから父の痕跡を辿っては苦しくなるのだろう。
今もまだ、父を思い出すと胸が詰まったような気持ちに苛まれる。
葬式が済めばすっかり日常に戻れるぐらい父に対して思い入れがないというのに、ふとした時に見てもいない死に際を思って胸が詰まるのだ。
きっと父は長生きしても人に迷惑をかける老人になったであろうから、早くに亡くなって良かったのだと思っている。
生きていたら、やはり何度となく「死んでくれないかな」と思っただろう。
今日、もう稼働しなくなった家族全員のグループLINEがふと目に入った。入院中の父が母へ毎日のように「あれ買ってこい」「早く来い」とそこに送っていた。そのやり取りを見て、どうしようもなく誰かに吐き出したくなった。
Twitterをやめた。
足掛け6年やっていたことになるが、とうとう最後に残していたアカウントも削除してしまった。
仲の良かったフォロワー数人のことが少し心残りだが、もうログインするつもりはない。
匿名性があり、写真や動画を載せる必要もなくサッと書いて投稿することができる。
必要のない人間にはまったく必要のないツールだが、私のような内弁慶で、そのくせ言いたいことだけは一人前にある人間にとってはまさにオアシスのようなものだった。
くだらないこと、他愛ないこと、それこそ何を食べたかから日々あった面白いこと、ちょっとした思いつきや豆知識、夢、愚痴などなんでも書き込んだ。
多少人目を気にした書き方で2、3年も続ければフォロワーはそれなりに増える。
大したことを書いていたわけでもなかったが、私のツイートを好きだと言ってくれるフォロワーにも恵まれた。
フォロワーが増えるとその視線に振り回され、SNS内の人間関係に疲れ、流れてくる刺激的なツイートに心をかき乱され、あげくフォロワーと自分を比べては落ち込んでしまうようなことが増えた。
ネット遊びの醍醐味はやはり人とのコミュニケーションにあるのだろうが、残念ながら私はコミュニケーションが下手だった。
Twitter自体もかなり変わったように思うが、何より変わったのは私だったように思う。
楽しいことや悲しいことをどこかの誰かと共有することは、寂しさや手持ち無沙汰を紛らわせ、私の生活の慰めになっていた。
だが、いつかそれも終わる時が来る。
Twitter以外にやりたいことも出てきたし、潮時だと思った。
アカウントを消しても、また似たようなものを見つけてはまりこんだりしてしまうのかもしれないが、とりあえずTwitterはここまで。
良い時間だったと思う。
本当に感謝している。
すみません。増田の母です。ネット環境を与えたばかりで、内弁慶が過ぎているのです。本当に人権がないのは、行きずりの増田に対して暴言を吐くうちの息子の方です。よーく躾けておきます。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
家庭内暴力の多くのケースで、加害者は外ヅラは良い内弁慶タイプだから
起こっている問題が外部に露見しにくい…ってのが家庭内暴力やDVの特徴なのでは。
逆に社会への不満等から無差別に人を襲う事件とかだと、日常生活で孤立してたり
普段は大人しい奴が突然爆発したり…といったケースの方がよく聞くような。
完全に印象論だから、何かちゃんとしたデータがあるといいんだけど。
(人の死が見たいってサイコパスが家族からエスカレートして知人をターゲットにした特殊例はある)
何が言いたいかというと、元事務次官は息子の暴力にビビって川崎事件の犯人とダブったみたいだし
ネットでも同様に感じたのか「事件を未然に防いだ」みたいな意見をよく見るけど、
"川崎事件の犯人"と"元事務次官の息子"って、同じ「中年引きこもり」でも全く違うタイプなんじゃ?
幼少時に親に捨てられ周囲からいじめられ、世間から孤立して生きてきたアダルトチルドレンに対して
ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。
今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。
第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授・講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります。基本的に助教や研究員・博士課程の方が下の修士・学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事は研究だけではなく、各メディアの取材や研究室見学など多岐にわたります。自分が研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学者対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思います。さらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンやアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達は雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生は雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算の運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。
第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分の想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子とPCを発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要なものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生の方針で、リビングラボという生活空間と研究室が融合したような形態でラボを運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士の最初の一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生がとある巨大予算を獲得し、学生・スタッフを増員するとの方針でキャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間も10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)
このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教(自分の所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導の仕事が集中します。(本来、特任研究員は助教とは違い、学生の指導ではなく自分の研究に専念するという名目で雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分の研究は進みません。
第三に、教授・講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事を放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず、学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.
さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)
また、学内の期限(修論の題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生や事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないかと懸念しています。
オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授もゴーストオーサーの常連だからかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)
このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)
次に、研究室の主である教授の性格が合わず、人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います。上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます。
初めに、衝動的な発言や暴言が多く看過できないということがありました。衝動的気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言は学生や職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。
また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分の感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請で事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。
内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランドの言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談で教育したということなのでしょうか。
専門用語を拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波の電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス(電圧を電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味の言葉があります。この単語は力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論を研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間は簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。
3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究者コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体の問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。
そもそも、自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。
また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめしてしまったのも要因の一つです。元々内向的な性格なのもあって、自我・意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要な進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試も第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室の選択を毎日後悔しています。
それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?
第一に、自分の所属していた学科は、院試が卒論の研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分の研究および研究室への適性がいまいちわからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論の研究室と修論の研究室を別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。
第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがあります。サークルの飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生の記事はネット上で見たこともあり、先生の研究も科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室の内定を蹴り、他の研究室のポストに就くそうです。)
第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分の大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学のOBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部の勉強やサークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクをはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分の選択をよく考え直してほしいです。
ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置系ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境が自分にとっても良いとは限りません。トルストイは著作に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています。研究室も一つの小さなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。
ちょうど2年前になる。上司からの執拗なパワハラによって退職に至った。
パワハラが始まったのは退社する3年前。その上司が自分の直属の上司になってから。いわゆる言葉による長時間の人前での罵倒、叱責、嫌味・・・そのうえ、日常的に深夜残業と休日出勤を強要された。
それまで健康だった自分が精神を崩し、近所の心療内科に通った。うつ病の診断をされた。
そのことをその上の上司にも査定の際に言ってその上司の下ではない配置にしてくれと言ったが聞き入れられなかった。周りの同僚からも「君はパワハラをしている」とその上司に警告があったそうだが一向に収まらなかった。
結果、あるきっかけで他の社員がいる前で号泣、そのままフェードアウトのように退社させられた。その際、その上司のその上の人と面談になったが「あいつも悪気はない」「君がこの会社にあっていない」「彼の期待に応えられない君にも責任がある」と、擁護するだけ。
そしてなぜか給料大幅ダウンを言われる。事実上の自主退社に追い込まれた。
私は失意のまま会社を辞めた。が、許せなかった。半年たって、まだこの怒りが収まっていなかったら復讐しようと思った。
半年後、それを実行した。
まず、パワハラ上司の言動や上司との面談の会話記録はスマホに録音してあった。客観性を持たせるために自分に気をかけてくれた同僚から匿名を条件に社内で日常的にパワハラがあったことを証明する文章をもらった。
勤務実態の証明のためタイムカードも退社前にこっそりコピーしていた。通っていた心療内科の先生に通院歴、診断書も書いてもらった。
丁寧に話を聞いてもらい、音声データなどを聞いてもらったところ「客観的に見ても勝てるでしょう」と。そこでパワハラ当事者と会社を相手取って慰謝料請求を行った。
反撃の開始である。
向こうも相当慌てたようだ。社内に残っていた同僚からメールで状況を聞いていたのだが、必死に隠そうとしていた。幹部が集められて向こうも弁護士を立てた。
が、こちらの証拠がそろいすぎている&そのパワハラ上司は以前から私以外にも疎まれていたらしく、社内調査で他のパワハラが出るわ出るわ…一気に立場が悪くなったそうだ。
結果、会社側の社長の謝罪文と和解金として200万の支払いをしてもらった。
パワハラ上司は降格。当時社内で肩で風を切っていたのが、人望も失い今は閑職に追いやられ、あの人が辞めるのも時間の問題だとささやかれている。
以上がパワハラに対する私なりの復讐だ。弁護士を~って話だと面倒になるイメージだったが、思った以上にあっさり片が付いた印象だった。数回打ち合わせとメールのやり取りをしただけであった。
というか、法律という外の世界の力を借りるとこの手のパワハラをする人間というのはとことん弱い。内弁慶だった。
今は私は同種の会社に転職している。仕事内容は同じ。そこで彼に言われたやり方と真逆の技術論で仕事をし、社長賞をもらうほど。つまり、あの時のあの上司の叱責は全く見当外れだったこと、自分が彼の言っていた「無能」ではないことも立証もできた。
パワハラで苦しんでいる人に言いたい。ちゃんと証拠を集め、客観的なデータを集めれば復讐とは意外と簡単。むしろ黙ってフェードアウトしなくてよかったと思う。
弁護士依頼時に10万円ほどかかるが、泣き寝入りよりよほどいい。
人生狂わされた代償がたった200万程度では割に合わない。しかし、自分の中で気持ちの整理はついた。
アイドルオタクです。
ぼくは嫌いです。
まず、オタクが登壇するイベントとは何ぞや?と言いますと、"イベント参加者の中から抽選で選ばれたオタクがコーナーのお手伝い等をするイベント"のことです。
別に、「ぼくは推しちゃんのためにチケ代を払ったんだ!」とか「チケ代払ったからには一分一秒でも長く推しちゃんを見ていたいんだ!」とは言いません。
でも、オタクを見るためにイベントに行きたいわけではありません。
ぼくにはほんの少しガチ恋のケがあるからかもしれませんが、登壇したオタクがイジられてるのを見ても何も楽しくありません。
あと最前おまいつがうっかり当たったときの登壇後の斜に構えた感じが臭すぎて寒いです。
あと友達多いオタクが登壇したあと内輪ネタで客席と盛り上がってムダな時間がかかるのもうっとうしいなと思ってしまいます。
でもアイドルちゃんはファンを大切にしようと、ぼくたちオタクをステージに上げようとしてくれます。
大半の人が当たれば嬉しいだろうし、オタクが登壇するイベントも好きなんだろうなと思う。
でもぼくは嫌いです。
だからと言って、そんなイベントはやめてしまえ!なんてクレームは入れないし、5ちゃんねるで文句垂れるつもりも無いし、ファンを辞める気もありません。
何が言いたかったかというと、目の前のただの紙切れになってしまったチケットを見て愚痴りたくなっただけ。